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第一章

第27話 毒の森をゆく

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 この話の主な登場人物

 カトリーヌ 主人公(わたし)
 フランツ 護衛
 ヒルダ 家庭教師

  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「え!? いま、なんて」

 ヒルダが驚きで固まってる。

「沼の毒は太陽に照らし出されると吹き出し、山から吹き下ろされる冷たい風と合わさって霧となり周囲に漂います。ですから危険なのは朝と夕」

「ということは、もう夜のいまは」

「そう、もうすっかり冷えたいまの時間、毒はありません」

「そんなこと聞いたことがありません。これでもわたしは学究の徒のつもりです、そんなことを記された文献を見たこともないのです。でも、お嬢さまは知っていらっしゃる。どうしてそんなことをご存じなのですか」

「それは、わたしの母が教えてくれました」

「お嬢さまのご母堂が。それは、いつのことです」

「小さい頃、母が病床で、わたしにだけ、そっと」

 わたしは思い出す。
 生前の母を見舞っていたときのことだった。
 悲しい顔をしてはならないと、精一杯の笑顔で見舞っていた。
 そんなわたしに、母が力なく、それでもやさしい笑顔で語ってくれた。

「よくお聞きなさい、カトリーヌ」

「なあに、お母さま」

「もしあなたにとても恐ろしい災いがふりかかり、どうしても逃げなければならないときのことを、いまから教えるから」

「はい」

「ヴォージュの森、そこがあなたを守ってくれるわ」と語り聞かせてくれたことが、さきの霧の正体だった。
 そして最後に、「これは誰にも言ってはだめ、一人胸の奥に留めておくの。森と沈黙があなたを守ってくれる。もし誰かに言うのでも、それは一緒に逃げる人だけに伝えなさい」

 その言いつけをわたしは今日まで守っていた。
 これまでに話たことのある相手はフランツだけ。
 そしていま、母の言いつけどおり、ヒルダに打ち明けたのだった。

「そうですか、お嬢さまは母君からそんな秘密をお聞きしていんたですね。わかりました、行きましょう、ヴォージュの森へ!」

 それを受けてフランツは手綱をしっかりと握る。
 そして言った。

「お二人とも宜しいですね、それでは行きます」

「ええ、行きましょう」

 それを言ったあと、わたしは、──お母さま、どうかお守りください。と密かに祈った。

 そしてフランツの手綱がぱしっと音がした。
 しばらくして馬車は横道に入り、なおも進むと看板が見えた。

『危険、ここから先は何人も生きては戻れぬ森』
『引き返せ』
『命惜しくば、戻られよ』

 などと警告を記した看板が幾つも並んでいる。
 わたしたちはそれを神妙な面持ちでそれを見る。

 そして行き止まりに、『進入禁止』と書かれた大きな看板がある。
 おどろおどろしいどくろの絵も描きそえてあった。
 それを避けて馬車は進む。
 その先に道はない。
 人跡未踏の森だから道があろうはずかない。
 木々の隙間を縫うようにして、わたしたちは奥へと向かった。


 程なくして、巡察隊騎馬隊が通過した。
 ヴォージュの森への小道は無視して。
 そんなところへ向かうなどとは想像もせず。

 速度を上げて捜索していると、やがて出口から向かってきた別の巡察騎馬隊と正面から鉢合わせした。
 彼らは追跡していた馬車が消えたことに首をひねり合う。
 どこかの小道か茂みに隠れているのではと、さらに小隊に分けて捜索を開始した。
 幾人かが念のためのにとヴォージュの森へ向かう小道に馬を走らせたが、おどろおどろしい警告の看板に恐れをなした。

「こんなところ、良家の子女が向かうはずもなし」
「もし向かったところで死ぬだけだ」

 そう言い合って引き返していった。
 彼ら巡察騎馬隊は、一晩中、森をくまなく探索したがついぞ発見できず、引き返していった。


 ゆっくりとだけど、馬車はヴォージュの森を進んで行く。
 その車内で、ヒルダがスツールの座面を開けて何やらごそごそとしている。
 座席のしたは物入れになっているのだ。
 そして彼女は布と海綿、炭を取り出し、何やら作業を始めた。

「ヒルダ、何を始めているの?」

「マスクを作ります」

「それはどのような」

「文献で読んだことがあるんです。遠い、ラテンの国で異臭騒ぎがあって、それで肺が焼けて咳き込むということがありました。人は死ななかったけど、酷い刺激臭がして人々が困っていたところ、ある医師が防毒マスクを作り、その作り方を人々に教えて難を逃れたと。それをやって見ます」

 ヒルダはそう言って、布のうえに薄くした海綿を乗せ、さらにその上に細かく砕いた炭を敷き詰めた。
 それはわたしが食事会で倒れたときに胃の中を吸着させたときの物だ。
 それを持ってきて、ここでも用いている。

 さらに海綿を乗せ、炭を敷き詰め、それを何回か繰り返す。
 香油を数滴たらして布で包み、人数分作った。

「さ、お嬢さま、これを」

「ありがとう」

 受け取ったわたしは、それで口元を被い、頭の後ろで結んだ。
 香油のすーっとした香りがして、さわやかな気分になる。

「さ、フランツ殿も」と差し出されたマスクで彼は口元を被う。
 そしてヒルダも同様に装着した。

「こんなもの気休めかも知れませんが、何もしないよりいいかなって」と言うヒルダに、「いや、心強いよ。ありがとう」とフランツが言った。

「ボン・エトワールとポラリスにはないの、ごめんね」とヒルダが申し訳なさそうにしている。

「ヒルダ嬢はやさしいな。馬は繊細だから、急に覆面をしたら嫌がる。それにこの二頭は頭がよくて察しもいい、異変を察知したらそれには近付かない」

「ならいいんだけど」

 そうつぶやきながら、ヒルダは、──馬にも防毒面って作れないものかしら。と、思っていた。
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