〜祇園あやかし花嫁語り〜

菰野るり

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第二章 藤の散る庭で

夜の帳が下りる頃

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塔子はふわふわした気持ちのまま、公演を観劇して日が暮れてから家に帰る。準備されている冷たいご飯を温めて食べる気にはなれない。お風呂に入り、濡れた髪にタオルを巻いたままで布団にのった。

通学かばんから隠している赤い箱を取り出す。布団上にうつ伏せに寝そべって、箱を開いてみる。桜色グラデーションで不規則にアシンメトリーに宝石が配置されているペンダントを眺めた。

私にこんな事してくれる人はいなかったから、プレゼントは嬉しくないわけじゃない。でもやっぱり困惑の方が勝っている。

(彼氏か…)

ずっと眺めていても飽きないぐらい綺麗な石だ。紅葉丸が似合うと思って選んでくれたことはとても嬉しかった。アクセサリーに興味はないけれど、大きなダイヤモンドリングをつけている元芸妓のおかあさん方の気持ちが今はよく分かる気がした。誰かに愛されたという証拠なのかもしれない。

今まで塔子は自分が愛されてないだなんて感じていなかった。母と血が繋がっていないことも知らなかったから、他の家と自分の家が違っていても、愛されてるから大丈夫といい聞かせてきたし。入れ替わる舞妓ちゃん全部が家族と言われて育っててきた。みんな優しくても皆には故郷に本物の家族がいるのだろう。こんなの、ごっこ遊びだ。

私には家族がいない。

デートしただけの紅丸が今や誰よりも近しいような気がした。塔子には塔子だけを見つめて、ちゃんと話を聞いてくれて、歩く速度に気を使ってくれる人は今までいなかった。

紅丸に良くされればされるほど、これまでの孤独を知った。

電気を消す。誰にも愛されていなかったかもしれないという不安が胸を圧迫して来る。眠れそうになかった。


そうだとしたら寂しくて悲しい。


塔子はカーテンと窓を開けた。月明かりが春の夜風とともに部屋に入ってくる。その時何か白いものがペンダントを掠め取り、部屋へするりと入ってきた。瞬く間に人型となる。吹雪だ。

「かえして」

塔子は家の誰かに届かないように抑えた声ながらも、ハッキリと言った。それを聞いた吹雪は人を馬鹿にしたような顔をする。

「こんな石ころひとつでコロっと転ぶのか。人間の女は愚かだ」

「妖術をつかう方が卑怯でしょう」

吹雪に言ってやりたい文句は沢山あった。

「天狗だって子供を物でつるなんて卑怯じゃないか」
「物じゃない。大事なのは気持ちだもん」
「子供騙しの物だろう」
吹雪は不機嫌にペンダントを投げてよこした。

紅丸を卑怯と言われたのが悔しくて、塔子は涙目になっている。

「私に歩調も合わせてくれて、優しくしてくれるし、紅丸は気持ちを私に沢山くれてる」

抑えなきゃと思ってもどんどん声が大きくなってしまう。

「今まで誰も愛してくれなかったそんな私を好きだって言ってくれるんだよ」

吹雪は心底嫌そうな顔をした。歪んだ端正な顔から極上の甘い声で囁く。

「天狗は滅びかけているからね。子を産ませるためなんだから子供騙しの言葉ぐらい囁くだろうよ。甘い菓子でも貰ったか?あとは宝石で釣られたか」

吹雪の言葉は私の心を抉るのに充分な鋭さがあった。傷ついたことを悟られまいと無理して返答を捻り出す。

「人のデートを覗くなんて最低」
「そこまで悪趣味じゃない。山狗が考えそうなことを当てただけだ。その顔は図星だったようじゃないか」

吹雪の言葉は私の心を鋭く切り裂いたあとも、重くて鈍い痛みを残していた。

「好きだって言われたもん…」

私に力がなかったのは、紅丸の言葉を私自身が信じることがもう出来なかったからだ。舞い上がった自分が恥ずかしくなる。本当にそうだったら良いのにと思う気持ちがまだ残っている分、余計に惨めだった。

子供を産ませるために優しくしてくれただけなのかな。

言葉を失ってペンダントを見つめる私を吹雪は苛立ったように押し倒す。

「やめて…暴れたらママが来ちゃう」
「結界を張ってある。むしろ助けを呼んでも誰もこない」
吹雪は冷たく言い放つ。暴力を振るわれることより、男の人が部屋にいることがママにバレてしまうことの方が怖い。逃れようとしたが手首を抑えられ、のしかかられる。

吹雪の髪が乱れる。耳も出る。妖術を使う時は耳が出るのだろうか。もう2度と気持ちを操られたくはないのに。紅葉丸が助けてくれたらいいのに。私はペンダントを握る。彼への好意を奪われたくなかった。

「紅丸が嘘つきでもいい。あなたよりはずっと好き」

このまま殴られてもいい。そう思って言った。覚悟を決めて目をぎゅっと瞑った。

冷たい左手の指先が私の頬に触れる。吹雪は暴力を振るうわけでは無いようだった。吐息がすごく近い。唇に冷たい唇が触れた気がする。目を開くと金色の瞳が私を睨んでいた。そのまま吹雪は私の首筋を軽く噛みながら下がってゆき、鎖骨の下まで湿った舌を這わせた。
「やめて…ください」
暴力以外の何かと気づいた私は力無く懇願した。
吹雪は私の耳元で囁く。

「あの山狗は、お前が私の子を孕んでも愛してくれると思うか?」
分からないよ。そんなの分からないよ。涙が溢れて止まらない。嗚咽を堪えられず、息も苦しくて出来ない。

「それ…でも…あなただけは好きにならない…」
私の言葉を聞いた吹雪は傷ついた顔をした。そして白い狐の姿に変化すると窓からするりと消えた。赤い口づけの跡だけ残して。

泣き疲れた私は眠り、そして朝が来た。土曜日だ。舞妓ちゃんたちは出払ったあとだから、家は静まり返っている。

洗面台で鏡を確認する。明らかに幾多の口づけの跡が鮮明に残っている。買ってもらったスマホでキスマークの消し方を検索する。ママの化粧品を拝借して試したけれど、うまくいかなかった。

首筋、鎖骨の下まで吹雪につけられたキスマークはコンシーラーやファンデーションを使っても皮膚と色が違うせいで悪目立ちするだけで全然消えてくれない。学校もあるし、今から紅葉丸に会うのにどうしよう。今日はタートルネックを着て隠せても制服はどうやっても無理だ。

お腹も痛い。ぎゅっと下腹部をしめらるような鈍い痛みを感じる。トイレに行くと下着に鮮血がついていた。

これは生理かもしれない。ナプキンの仕舞い場所は私も知っていて、使い方も何となくわかる。生理が来ると、女の子は妊娠するのだ。それは学校でも教わって知っている。生理が来た事は紅丸に言わなきゃいけないのかな。せっかくデートして仲良くなったけど関係が変わるのは嫌だった。大きくなるまで待つって言われたけど、生理が来るまでだったらどうしよう。

昨日の吹雪の言葉が脳裏に走る。キスしかしてないから、大丈夫。妊娠なんてしてないはずだ。

今日は白いシフォンのスカートにしたいけれど、血がついたら困る。赤いバーバリーのプリーツスカートを代わりに手に取る。黒タートルネックのサマーセーターの上には紅丸にもらったペンダントをつけてみた。こんなにぐじゃぐしゃな状況だけど、ペンダントを眺めれば安心できる気がした。

吹雪の言うとおり騙されていても、紅丸に好きだってもう一度言われたかった。
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