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第四章 籠鳥檻猿
鳥籠
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起きたくなかった。
日はとうに登っていたが、起き上がる気にはなれなかった。窓際に果物は補充され、卓には朝餉も用意されていてる。それから枕元に軽くつまめる乾餅などが置かれている。
食べる気にはならなかった。
私は絹の寝巻きを羽織ったまま、広すぎる高床の隅に座り込んでいた。翡翠の簪を無くしてしまった事を思い出すと、溜め息が止まらなかった。
小青が扉を開けて入ってくる。
「おはようございます、銀貴妃」
小青膝を軽く折り、挨拶をする。
「朝餉はもうお下げいたしますね。お昼は粥になさいますか」
「お粥もいらないわ」
陛下が来ないから落ち込んでると思われるのは、嫌だった。だけど、無理して食べる気にもなれない。
「本日はお出かけなさいますか」
昨日のことを思い出すと、宮女の服を着て出かける気にはなれない。
「今日は…お庭を眺めているだけでいいわ」
病気なわけではない。陛下が来なかったことに落ち込んでるわけではない。簪を失ってしまったのは自分の不注意だから、妹から取り返してやろうという気は湧かない。
昔からそうだった。
私は泣かない子供だった。
実家で理不尽な扱いを受けて、自分の大事なものを誰かに取られた時。母の形見や大事にしていた服や、お気に入りの本。泣くことが出来なかった。
父が無くしたものの代わりに買ってやろうと言う。「代わりになるものなどないのだから、失ったままで良いのです」と答える私を可愛げがないと父はいい、嫌がらせをしても顔色を変えない私を第二夫人は気味悪がった。私はそんな事で感情を揺さぶられたくなかったから。悲しいなんて思いたくなかった。
だから、書物を読むのが好きだ。私の中に入れてしまえば誰にも奪うことが出来ないから。そして、物を貰うのは嫌いだ。無くしてしまう恐れがあるから。
とうとう最後の形見まで無くしてしまった。その事実は気分を重くする。もう莉華には会いたくなかった。後宮を歩き回らずとも、しばらく書物を読んで過ごしてもいい。
小青が朝餉をさげ、私は再びひとり。書物を手にとった。陛下が貴妃への褒美を尋ねたときに、宮女の服と書物を所望した。沢山もらっておいてよかった。夢にまで見た3食昼寝付きで勉強が自由にできる環境…今がまさにそれなのに、塞ぎ込むなんてバチがあたるわ。
手にとったのは白居易の〝与徽之書〟である。最後の夜に陛下が読んだ形跡があったから気になっていた。
◆
憶昔封書与君夜
金鑾殿後欲明天
かつて君に手紙を書いた夜は
夜明け前の金鑾殿だった。
今夜封書在何処
廬山菴裏曉燈前
今夜も同じく君に手紙を書く
廬山の草庵の中、灯火の前で。
籠鳥檻猿倶未死
人閒相見是何年
籠の鳥、檻の猿だが死んではおらぬ。
また会えるのはいつになるだろう
◆
陛下の読んでいた書物を覗き見したことを後悔した。何だか恥ずかしかった。陛下が私を想ってくれているなどと勘違いしたくない。ふて寝することにした。
夕暮れ時になり、小青が粥を運んできた。
「食欲がなくとも、何かお口に入れてくださらないと心配でございます。寝室でお召し上がりになれるものにいたしました。お気に召さなければ他のお品のご準備もあります」
蒸し鶏の卵粥である。
「ありがとう。いただくわ」
その返事に小青は安堵した笑顔を浮かべる。
「お食事が終わりましたら、陛下からの贈り物をお持ちいたしますね」
ひとり過ごす私を気遣って贈り物をくれたのか。後宮を開く側も大変だなあと思いつつ、確かに少し気持ちが晴れる。私がリクエストしたもの以外の贈り物は初めてだ。陛下は何を贈ってくれたのだろう。
食事を終えた私に小青が大きな鳥籠を運んできた。贈り物は鳥であった。
美しい翡翠色の翼、金色がかった玉虫色の頭部と長く伸びた尾羽。嘴の黄色、腹部の紅色が鮮やかだった。
こんな色合いの鳥は北部では見たことがない。この国の南部にはいるのだろう。鳥籠の中に、文字が書かれた木の葉が見えた。
◆
親愛なる籠鳥どの
せめてこの鳥が自由ならば
我々も少しは気が紛れる
檻猿
◆
私たちの名前を書物から引用したのね。少し笑ってしまった。しかし、手紙の内容は全く意味がわからない。贈っておきながら、籠の鳥を空に放てと言っているのだろうか。せっかくの贈り物なのに。
残念に思いながらも、牡丹の庭に出る。鳥籠の扉を開けると美しい翡翠色の鳥は庭を3周したあと、空に羽ばたいて行ってしまった。
見事な細工の大きな鳥籠だけが残り、陛下のお通りがない二夜目が来ようとしていた。
日はとうに登っていたが、起き上がる気にはなれなかった。窓際に果物は補充され、卓には朝餉も用意されていてる。それから枕元に軽くつまめる乾餅などが置かれている。
食べる気にはならなかった。
私は絹の寝巻きを羽織ったまま、広すぎる高床の隅に座り込んでいた。翡翠の簪を無くしてしまった事を思い出すと、溜め息が止まらなかった。
小青が扉を開けて入ってくる。
「おはようございます、銀貴妃」
小青膝を軽く折り、挨拶をする。
「朝餉はもうお下げいたしますね。お昼は粥になさいますか」
「お粥もいらないわ」
陛下が来ないから落ち込んでると思われるのは、嫌だった。だけど、無理して食べる気にもなれない。
「本日はお出かけなさいますか」
昨日のことを思い出すと、宮女の服を着て出かける気にはなれない。
「今日は…お庭を眺めているだけでいいわ」
病気なわけではない。陛下が来なかったことに落ち込んでるわけではない。簪を失ってしまったのは自分の不注意だから、妹から取り返してやろうという気は湧かない。
昔からそうだった。
私は泣かない子供だった。
実家で理不尽な扱いを受けて、自分の大事なものを誰かに取られた時。母の形見や大事にしていた服や、お気に入りの本。泣くことが出来なかった。
父が無くしたものの代わりに買ってやろうと言う。「代わりになるものなどないのだから、失ったままで良いのです」と答える私を可愛げがないと父はいい、嫌がらせをしても顔色を変えない私を第二夫人は気味悪がった。私はそんな事で感情を揺さぶられたくなかったから。悲しいなんて思いたくなかった。
だから、書物を読むのが好きだ。私の中に入れてしまえば誰にも奪うことが出来ないから。そして、物を貰うのは嫌いだ。無くしてしまう恐れがあるから。
とうとう最後の形見まで無くしてしまった。その事実は気分を重くする。もう莉華には会いたくなかった。後宮を歩き回らずとも、しばらく書物を読んで過ごしてもいい。
小青が朝餉をさげ、私は再びひとり。書物を手にとった。陛下が貴妃への褒美を尋ねたときに、宮女の服と書物を所望した。沢山もらっておいてよかった。夢にまで見た3食昼寝付きで勉強が自由にできる環境…今がまさにそれなのに、塞ぎ込むなんてバチがあたるわ。
手にとったのは白居易の〝与徽之書〟である。最後の夜に陛下が読んだ形跡があったから気になっていた。
◆
憶昔封書与君夜
金鑾殿後欲明天
かつて君に手紙を書いた夜は
夜明け前の金鑾殿だった。
今夜封書在何処
廬山菴裏曉燈前
今夜も同じく君に手紙を書く
廬山の草庵の中、灯火の前で。
籠鳥檻猿倶未死
人閒相見是何年
籠の鳥、檻の猿だが死んではおらぬ。
また会えるのはいつになるだろう
◆
陛下の読んでいた書物を覗き見したことを後悔した。何だか恥ずかしかった。陛下が私を想ってくれているなどと勘違いしたくない。ふて寝することにした。
夕暮れ時になり、小青が粥を運んできた。
「食欲がなくとも、何かお口に入れてくださらないと心配でございます。寝室でお召し上がりになれるものにいたしました。お気に召さなければ他のお品のご準備もあります」
蒸し鶏の卵粥である。
「ありがとう。いただくわ」
その返事に小青は安堵した笑顔を浮かべる。
「お食事が終わりましたら、陛下からの贈り物をお持ちいたしますね」
ひとり過ごす私を気遣って贈り物をくれたのか。後宮を開く側も大変だなあと思いつつ、確かに少し気持ちが晴れる。私がリクエストしたもの以外の贈り物は初めてだ。陛下は何を贈ってくれたのだろう。
食事を終えた私に小青が大きな鳥籠を運んできた。贈り物は鳥であった。
美しい翡翠色の翼、金色がかった玉虫色の頭部と長く伸びた尾羽。嘴の黄色、腹部の紅色が鮮やかだった。
こんな色合いの鳥は北部では見たことがない。この国の南部にはいるのだろう。鳥籠の中に、文字が書かれた木の葉が見えた。
◆
親愛なる籠鳥どの
せめてこの鳥が自由ならば
我々も少しは気が紛れる
檻猿
◆
私たちの名前を書物から引用したのね。少し笑ってしまった。しかし、手紙の内容は全く意味がわからない。贈っておきながら、籠の鳥を空に放てと言っているのだろうか。せっかくの贈り物なのに。
残念に思いながらも、牡丹の庭に出る。鳥籠の扉を開けると美しい翡翠色の鳥は庭を3周したあと、空に羽ばたいて行ってしまった。
見事な細工の大きな鳥籠だけが残り、陛下のお通りがない二夜目が来ようとしていた。
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