上 下
10 / 40
第四章 籠鳥檻猿

鳥籠

しおりを挟む
起きたくなかった。

日はとうに登っていたが、起き上がる気にはなれなかった。窓際に果物は補充され、卓には朝餉も用意されていてる。それから枕元に軽くつまめる乾餅クッキーなどが置かれている。

食べる気にはならなかった。

私は絹の寝巻きを羽織ったまま、広すぎる高床の隅に座り込んでいた。翡翠ひすいかんざしを無くしてしまった事を思い出すと、溜め息が止まらなかった。

小青シャオチンが扉を開けて入ってくる。
「おはようございます、銀貴妃イングイフェイ
小青シャオチン膝を軽く折り、挨拶をする。
「朝餉はもうお下げいたしますね。お昼は粥になさいますか」
「お粥もいらないわ」

陛下が来ないから落ち込んでると思われるのは、嫌だった。だけど、無理して食べる気にもなれない。

「本日はお出かけなさいますか」
昨日のことを思い出すと、宮女の服を着て出かける気にはなれない。
「今日は…お庭を眺めているだけでいいわ」

病気なわけではない。陛下が来なかったことに落ち込んでるわけではない。簪を失ってしまったのは自分の不注意だから、妹から取り返してやろうという気は湧かない。

昔からそうだった。

私は泣かない子供だった。

実家で理不尽な扱いを受けて、自分の大事なものを誰かに取られた時。母の形見や大事にしていた服や、お気に入りの本。泣くことが出来なかった。

父が無くしたものの代わりに買ってやろうと言う。「代わりになるものなどないのだから、失ったままで良いのです」と答える私を可愛げがないと父はいい、嫌がらせをしても顔色を変えない私を第二夫人は気味悪がった。私はそんな事で感情を揺さぶられたくなかったから。なんて思いたくなかった。

だから、書物を読むのが好きだ。私の中に入れてしまえば誰にも奪うことが出来ないから。そして、物を貰うのは嫌いだ。無くしてしまう恐れがあるから。

とうとう最後の形見まで無くしてしまった。その事実は気分を重くする。もう莉華リファには会いたくなかった。後宮を歩き回らずとも、しばらく書物を読んで過ごしてもいい。

小青シャオチンが朝餉をさげ、私は再びひとり。書物を手にとった。陛下が貴妃グイフェイへの褒美を尋ねたときに、宮女の服と書物を所望した。沢山もらっておいてよかった。夢にまで見た3食昼寝付きで勉強が自由にできる環境…今がまさにそれなのに、塞ぎ込むなんてバチがあたるわ。

手にとったのは白居易の〝与徽之書〟である。最後の夜に陛下が読んだ形跡があったから気になっていた。

  ◆

憶昔封書与君夜
金鑾殿後欲明天

かつて君に手紙を書いた夜は
夜明け前の金鑾殿だった。

今夜封書在何処
廬山菴裏曉燈前

今夜も同じく君に手紙を書く
廬山の草庵の中、灯火の前で。

籠鳥檻猿倶未死
人閒相見是何年

籠の鳥、檻の猿だが死んではおらぬ。
また会えるのはいつになるだろう

  ◆

陛下の読んでいた書物を覗き見したことを後悔した。何だか恥ずかしかった。陛下が私を想ってくれているなどと勘違いしたくない。ふて寝することにした。

夕暮れ時になり、小青シャオチンが粥を運んできた。
「食欲がなくとも、何かお口に入れてくださらないと心配でございます。寝室でお召し上がりになれるものにいたしました。お気に召さなければ他のお品のご準備もあります」

蒸し鶏の卵粥である。
「ありがとう。いただくわ」
その返事に小青シャオチンは安堵した笑顔を浮かべる。
「お食事が終わりましたら、陛下からの贈り物をお持ちいたしますね」

ひとり過ごす私を気遣って贈り物をくれたのか。後宮を開く側も大変だなあと思いつつ、確かに少し気持ちが晴れる。私がリクエストしたもの以外の贈り物は初めてだ。陛下は何を贈ってくれたのだろう。

食事を終えた私に小青シャオチンが大きな鳥籠を運んできた。贈り物は鳥であった。

美しい翡翠色の翼、金色がかった玉虫色の頭部と長く伸びた尾羽。嘴の黄色、腹部の紅色が鮮やかだった。

こんな色合いの鳥は北部では見たことがない。この国の南部にはいるのだろう。鳥籠の中に、文字が書かれた木の葉が見えた。

  ◆

親愛なる籠鳥ロンニャオどの

せめてこの鳥が自由ならば
我々も少しは気が紛れる

檻猿ジャンイェン

  ◆

私たちの名前を書物から引用したのね。少し笑ってしまった。しかし、手紙の内容は全く意味がわからない。贈っておきながら、籠の鳥を空に放てと言っているのだろうか。せっかくの贈り物なのに。

残念に思いながらも、牡丹の庭に出る。鳥籠の扉を開けると美しい翡翠色の鳥は庭を3周したあと、空に羽ばたいて行ってしまった。

見事な細工の大きな鳥籠だけが残り、陛下のお通りがない二夜目が来ようとしていた。






しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

公爵様、これが夢なら醒めたくありません!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:125

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,899pt お気に入り:3,817

後宮天才料理人

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:3

わたしはお払い箱なのですね? でしたら好きにさせていただきます

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:30,233pt お気に入り:2,522

イケメン店主に秘密の片想いのはずが何故か溺愛されちゃってます

BL / 連載中 24h.ポイント:11,673pt お気に入り:1,091

処理中です...