透明人間vs塩田剛三

梧桐彰

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第四章 語られぬ約束

トラウデル・ユンゲの日記(2)

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 まるで魔術のようだった。夫の記録に『我々の選択は正しかった』とあったが、私たちが目の当たりにしたのはまさしくその技であった。

 透明人間は怪力をシオタにたたきつけようと、全力で拳を振り回した。しかしそれはむなしく空を切り、シオタは透明人間を大きく弾き飛ばして貨車の壁へ叩きつけていた。木製の板は大きくひしゃげ、外を流れる森の様子が見えた。

 透明人間はこれで一度床に倒れたが、すぐに跳ね起きてシオタに対峙した。見えない歯がギリッときしんだ。

「やるな……食らっちまったぜ……」

 先ほどまでの陽気な声が消えていた。

 破れた天井の向こうには雷雨が押し寄せていた。二人のにらみ合いを見つめながらもさっと目を上に走らせると、雲はみるみる厚くなり、やがてザーッと滝のような雨が降り始めた。この地域は曇りの日が多く、それまでも雨模様ではあったが、これでいよいよ床はずぶ濡れになっていった。

 雨は列車の中にも流れ込んだが、二人は環境の変化には動じていない。お互いにじりじりと間合いを取り合っている。続けるつもりなのだろう。獰猛な獣を思わせる呼吸が雨音を突き破った。

「誰もピストルは持っていないのですか?」

 私が聞いたが、作業員たちはお互いに顔を見合わせるばかりだ。

 そう思っている間に、透明人間は拳を緩やかに開き、姿勢を下げて素早くシオタへ組み付いた。首を絞め、一気に決着をつけようとしていた。

 またも魔術のような必殺技が出るかと思ったが、今度はシオタはうごかない。ミシッという骨の音が聞こえた。体格の差を生かして、がっちり組みつかれていた。

 作業員たちが悲痛な叫び声を上げた。シオタが窒息してしまったら、次に殺されるのは私たちなのだ。加勢などとても無理だった。こんな異次元の勝負に手を出せるわけがない。

 雷が一度鳴り、ザッと雨が落ちてきた。私たちが顔を伏せた。その瞬間、ズダン! と、大きな音が響いた。ズダン! もう一度。シオタが叩きのめされたのだろうか。私たちは床にしゃがみ込み、おそるおそる顔を上げた。

 二度目の驚きだった。

 雨滴が描く姿には実体があった。ヒトラーが選んだ無敵の用心棒は、揺れる床に屹立きつりつしていた。倒れたのはシオタではなかったのだ。

「まさか?」 


 貨車の隅にうずくまりながら、驚愕の声をめいめいに挙げた。

 透明人間が両手をついてばったりと突っ伏していた。私たちの恐怖はまたも驚愕へ移り変わった。透明人間はがっちりとシオタの首を絞めていたはずだ。反撃の余地はないはずだ。どうすればこういう状況に変わるのだろうか?
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