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第三章
55 世界最強の騎士
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ヒナリに面会を願い出た騎士は、王国騎士団の女性騎士だった。聖騎士団長のヘルッタよりも体格が良く、いかにも歴戦の強者といった風格を漂わせている。
その女性騎士はヒナリの前に膝を突くと、堂々たる声を貴賓室に響かせた。
「聖女ヒナリ様、私は王国騎士団所属、アドラシオン・ソスピドと申します。聖女ヒナリ様への拝眉の栄に浴し、恐悦至極に存じます」
真摯な眼差しが、ふと熱量を増す。
「私はこの競技会で優勝し、アルトゥール卿との対戦が叶い、私が勝利した暁には、アルトゥール卿に結婚を申し込みたく存じます」
(結婚!?)
予想だにしなかった言葉に面食らう。先ほど耳にしたばかりのアルトゥールの両親の話を思い出す。あのドラマティックな光景の中に、アルトゥールとこの人が――。
「聖女ヒナリ様。賢者アルトゥール様への求婚をお許しいただけますか」
揺るがぬ眼光に射抜かれて、ヒナリは思わず視線を逸らしてしまった。背後に立つ賢者たちに助けを求めるわけにもいかず、ひとり脳内会議を開催する。
(なんて答えたらいいんだろう)
まず真っ先に思い付いたのが『するだけなら自由では?』ということだった。プロポーズされた上で、それを受けるかどうかを決めるのはアルトゥール自身である。
その光景を思い描いてみる。アルトゥールの熱い眼差し。あの燃える瞳が自分以外の人に向けられるかと思えば途端に胸がざわめき出す。
返事は確定した。
ヒナリはゆっくりとまばたきをし、女性騎士をまっすぐに見つめると、きっぱりと言い放った。
「私が差し許すまでもありません」
「では……!」
女性騎士アドラシオンの目がたちまち輝き出す。願いが叶ったと言わんばかりのその瞳を見据えて口元を綻ばせてみせる。
「賢者アルトゥールは、わたくしと共に在るためとあらば、必ず勝利します」
「っ……!」
女性騎士アドラシオンが瞠目した。
何かを言い返そうとした口を閉ざして歯を食いしばる。徐々に視線が下がっていく。
そのまま目を伏せてがくりと項垂れると、震える声を絞り出した。
「……聖女ヒナリ様への無礼なる物問い、大変失礼致しました」
詫びを口にし、顔を上げた女性騎士アドラシオンが明らかな敵意をもって聖女を睨み付ける。ヒナリはその鋭い眼差しを笑顔で受け止めた。
「健闘を祈ります」
突然の来訪者が貴賓室をあとにし、扉の向こうで足音がしなくなるまで待ったヒナリは詰めていた息をめいっぱい吐き出した。
「びっくりしたあ……!」
まだどきどきしている胸を押さえて深呼吸する。
「プロポーズかあ。アルトゥールってモテるんだね」
ソファーに戻ったヒナリが賢者たちに問い掛けると、正面に座ったベルトランがやや早口で語り始めた。
「そりゃもう! 僕らの前でこそ素直でちょっと頼りなさげなところを見せるけど、どの騎士団の騎士の中でも一番腕が立ち、人格者で、階級差も関係なく誰に対しても真摯に接してくれると評判の騎士様だからね。ひとこと話せばご令嬢だけでなくお堅い女性騎士も軒並み陥落するって噂だよ」
「分かるなあ……」
降臨直後に話し掛けられたときの印象を思い出す。屈強な体躯からは想像も付かない貴族らしい流れるような身のこなし。文句無しに顔が良く、しかも公爵家の長男。ここまでモテ要素が揃っていて、女性が放っておくはずがない。
(そんなにすごい人が、溺愛同然に私を大切にしてくれるなんて。奇跡だよね)
ヒナリはしみじみと現状のありがたみを感じつつ、自分の頬をつねった。
その仕草を見たベルトランが、小首を傾げる。
「どうしたの?」
「アルトゥールって、すごく私を大事に扱ってくれるじゃない? もしかしたら夢を見てるのかなーって思って」
「はは、夢じゃないよ。僕らが君を想う気持ちは現実だ」
まっすぐに見つめてくる瞳が、ふと色香を漂わせる。
「信じられないなら、夢じゃないって君が実感できるまで……たっぷり愛してあげようか」
「わ!? わわ分かりました! 夢じゃないって分かったってば」
いきなり儀式のことを匂わせられてしまっては、賢者たちと過ごした夜の光景が次々と浮かんできてしまう。
ヒナリはあたふたとティーカップを持ち上げると、熱くなった顔を隠したのだった。
◇◇◆◇◇
「すごい迫力……!」
賢者たちと並んで貴賓席に座ったヒナリは、初めて見る剣技のぶつかり合いに思わず声を洩らした。男女の騎士たちが織り成すせめぎ合いに胸が躍る。
一方で、大怪我をするのではないか、命を落とすのではないかと震え上がるほどのぎりぎりのやり取りに、手に汗を握った。
神聖騎士団からは聖騎士団のヘルッタが勝ち上がってきていた。ヘルッタは、自身より大きな騎士たちの渾身の一撃を見事に受け止め、素早い身のこなしで相手を翻弄していった。
王国騎士団からは、先ほどヒナリを訪ねてきた女性騎士アドラシオンが勝ち上がってきた。
アドラシオンは、宿敵も同然の聖騎士団長ヘルッタと向き合うやいなや、敵意をあらわにした。
「聖騎士だからというだけでアルトゥール様といつも手合わせできるなんて、許せない……!」
睨み付けた顔は、全く表情を変える様子がなかった。
「私は聖女ヒナリ様をお護りするために日々鍛錬しております。聖騎士たる信念こそあれど、個人的な感情は存在し得ません」
冷静な返答が癇に触る。アドラシオンは地面を蹴り全力でヘルッタに襲い掛かった。
「こしゃくな! 常にアルトゥール様のお側に在れるからと上から物を申すか!」
怒りを込めた一撃を繰り出す。その剣は難なくいなされた。
(聖女も聖騎士も、ただその立場にあるだけでアルトゥール様のお側に居られるなんて、許せない、許せない、許せないっ……!)
間髪を入れず攻撃を繰り出していく。剣をかわされれば即座に反撃され、その痛烈な一撃を受け止めてはまたやり返す。
実力は同等であるような手応えだった。
(だが想いの強さは私の方がずっと上だ!)
かつて王国騎士の誰もが手を焼いた素早い魔獣を仕留めたときの集中力で、相手の急所に狙いを定める。
対敵の速度を上回った一撃は、確かに狙い通りに打ち込めた――はずだった。
「くうっ……!」
「――!?」
ヘルッタの苦悶の声と共に、剣を打ち付けた箇所が目映い光を散らした。剣を持つ手に痺れが走る。
不可解な現象に、一瞬目を見張った直後。
「――お覚悟!」
「ぐうっ……!」
反撃が繰り出される。力の入らなくなった手ではその一撃を受け止めきれず、剣を取り落としてしまったのだった。
拍手と歓声とに包まれる中、アドラシオンは空を見上げて呟いた。
「私は……負けたのか……」
石畳の上に呆然と立ち尽くす。予期せぬ現象が起きたものの、それは魔獣と対峙しているときにだって起こり得ることだ。
とはいえ到底受け入れられない現実であることには変わりなく、思考が停止する。そんな中、落としたままだった剣が差し出された。
「アドラシオン殿。私はアルトゥール卿との手合わせの機会を辞退致します」
屈辱的な言葉に、止まっていた心が瞬時に激情一色に染まる。
「何をおっしゃるかヘルッタ殿! 負けたのは私だ! 私を侮辱なさるおつもりか!」
「いえ。貴女の剣技、見事でした。一度決定的な一撃を打ち込まれた際、私は鎧の加護に救われた。此度の勝利は聖女ヒナリ様の御加護がなければ成し得ませんでした」
「アドラシオン殿」
「――!」
いつの間にか、王国騎士団名誉顧問アルトゥール・ツェアフェルトが側に歩み寄ってきていた。
憧れの騎士の姿を久しぶりに間近で見ることができて、しかも名まで呼んでもらえてたちまち胸が高鳴り出す。
アルトゥールは温かな眼差しでアドラシオンを見つめると、口元に笑みを湛えた。
「いかがだろうか、アドラシオン殿。私も、ヘルッタ殿のおっしゃることは道理に叶っていると思われるが」
「アルトゥール様……!」
焦がれた騎士が、自分に向かって優しく語り掛けてくる。感動に目が潤んでいく。
「是非、是非わたくしと手合わせをお願いします!」
アドラシオンは剣を握った手に力を込めると全力で頭を下げたのだった。
ヒナリは高鳴る鼓動に息を弾ませつつ、女性騎士アドラシオンと向き合うアルトゥールを見守った。
アルトゥールの勝利を確信してはいる。その一方で、アドラシオンの想いの強さもその戦う姿から伝わってきた。強烈な願いが事態を揺るがすことだって、充分にあり得る。
それを思えばヒナリは心の中で叫ばずにはいられなかった。
(アルトゥール、お願い、勝って……!)
アドラシオンを応援する野太い声援が闘技場を包み込む。
延々と続くかと思われたそれは、しかしこの競技会最後の手合わせが始まった瞬間、水を打ったように静まり返った。
主導権を握るべく渾身の一撃を繰り出すアドラシオンに対し、片手で軽く受け止めるアルトゥール。
アドラシオンがそれまで大勢の騎士を打ち負かしてきたとは思えないほどの圧倒的な力量差が、その一撃で見て取れた。
アルトゥールがアドラシオンの狙いを全て先読みし、ことごとくいなしていく。まるで『いつになったら本気を出すのだ』とでも言うように。
かと思えば『これに応えられるか』と問い掛ける、痛烈な一打を繰り出す。
辛うじてそれを受け止めるアドラシオンの表情が焦りに染まっていく。
心の揺れをその表情にありありと示すアドラシオンに対して、アルトゥールの顔は真剣そのものではあったがどこか冷めているようにも見えた。
自身のテリトリーには決して踏み込ませない――そんな冷徹さを帯びている。
ヒナリは、今まで一度として見たことのないその表情に、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
アルトゥールの剣が振るわれる度に、騎士の心を支える柱が一本ずつ丁寧に折られていく。
その様は、猛毒で徐々に死にゆく哀れな小動物を見るかのように恐ろしい光景だった。
鋭い金属音。天高く舞い上がる一本の剣。
次の瞬間。
容赦なく振るわれたアルトゥールの剣がアドラシオンの首を刎ねる直前で動きを止めた。誰の目にも勝敗は明らかだった。
「参り、ました……」
アドラシオンが、呆然とした面持ちで膝を突く。
静寂の中に、地面に落下し回転する剣の金属音だけが鳴り渡る。
顔面蒼白になったアドラシオンが、その場にへたり込んだ。
結果はアルトゥールの圧勝だった。アドラシオンの剣は一度としてアルトゥールを揺るがすことはなかった。
次第に広がりゆくどよめきは、アドラシオンが一方的に打ち負かされたことより、アルトゥールの途方もない強さに畏怖の念を感じている声が多いようにヒナリには感じられた。
「アドラシオン殿」
立ち上がれないアドラシオンに向かって大きな手が差し出される。
アドラシオンが顔を上げると、涙の向こうに温厚な笑みが見えた。
「いい剣技であった。これからも国民の安寧を護るべく励まれよ」
「はっ! ありがとう、ございました……!」
アルトゥールの手を借りて立ち上がったアドラシオンは、歯を食いしばり涙を堪えながら全力で頭を下げたのだった。
その女性騎士はヒナリの前に膝を突くと、堂々たる声を貴賓室に響かせた。
「聖女ヒナリ様、私は王国騎士団所属、アドラシオン・ソスピドと申します。聖女ヒナリ様への拝眉の栄に浴し、恐悦至極に存じます」
真摯な眼差しが、ふと熱量を増す。
「私はこの競技会で優勝し、アルトゥール卿との対戦が叶い、私が勝利した暁には、アルトゥール卿に結婚を申し込みたく存じます」
(結婚!?)
予想だにしなかった言葉に面食らう。先ほど耳にしたばかりのアルトゥールの両親の話を思い出す。あのドラマティックな光景の中に、アルトゥールとこの人が――。
「聖女ヒナリ様。賢者アルトゥール様への求婚をお許しいただけますか」
揺るがぬ眼光に射抜かれて、ヒナリは思わず視線を逸らしてしまった。背後に立つ賢者たちに助けを求めるわけにもいかず、ひとり脳内会議を開催する。
(なんて答えたらいいんだろう)
まず真っ先に思い付いたのが『するだけなら自由では?』ということだった。プロポーズされた上で、それを受けるかどうかを決めるのはアルトゥール自身である。
その光景を思い描いてみる。アルトゥールの熱い眼差し。あの燃える瞳が自分以外の人に向けられるかと思えば途端に胸がざわめき出す。
返事は確定した。
ヒナリはゆっくりとまばたきをし、女性騎士をまっすぐに見つめると、きっぱりと言い放った。
「私が差し許すまでもありません」
「では……!」
女性騎士アドラシオンの目がたちまち輝き出す。願いが叶ったと言わんばかりのその瞳を見据えて口元を綻ばせてみせる。
「賢者アルトゥールは、わたくしと共に在るためとあらば、必ず勝利します」
「っ……!」
女性騎士アドラシオンが瞠目した。
何かを言い返そうとした口を閉ざして歯を食いしばる。徐々に視線が下がっていく。
そのまま目を伏せてがくりと項垂れると、震える声を絞り出した。
「……聖女ヒナリ様への無礼なる物問い、大変失礼致しました」
詫びを口にし、顔を上げた女性騎士アドラシオンが明らかな敵意をもって聖女を睨み付ける。ヒナリはその鋭い眼差しを笑顔で受け止めた。
「健闘を祈ります」
突然の来訪者が貴賓室をあとにし、扉の向こうで足音がしなくなるまで待ったヒナリは詰めていた息をめいっぱい吐き出した。
「びっくりしたあ……!」
まだどきどきしている胸を押さえて深呼吸する。
「プロポーズかあ。アルトゥールってモテるんだね」
ソファーに戻ったヒナリが賢者たちに問い掛けると、正面に座ったベルトランがやや早口で語り始めた。
「そりゃもう! 僕らの前でこそ素直でちょっと頼りなさげなところを見せるけど、どの騎士団の騎士の中でも一番腕が立ち、人格者で、階級差も関係なく誰に対しても真摯に接してくれると評判の騎士様だからね。ひとこと話せばご令嬢だけでなくお堅い女性騎士も軒並み陥落するって噂だよ」
「分かるなあ……」
降臨直後に話し掛けられたときの印象を思い出す。屈強な体躯からは想像も付かない貴族らしい流れるような身のこなし。文句無しに顔が良く、しかも公爵家の長男。ここまでモテ要素が揃っていて、女性が放っておくはずがない。
(そんなにすごい人が、溺愛同然に私を大切にしてくれるなんて。奇跡だよね)
ヒナリはしみじみと現状のありがたみを感じつつ、自分の頬をつねった。
その仕草を見たベルトランが、小首を傾げる。
「どうしたの?」
「アルトゥールって、すごく私を大事に扱ってくれるじゃない? もしかしたら夢を見てるのかなーって思って」
「はは、夢じゃないよ。僕らが君を想う気持ちは現実だ」
まっすぐに見つめてくる瞳が、ふと色香を漂わせる。
「信じられないなら、夢じゃないって君が実感できるまで……たっぷり愛してあげようか」
「わ!? わわ分かりました! 夢じゃないって分かったってば」
いきなり儀式のことを匂わせられてしまっては、賢者たちと過ごした夜の光景が次々と浮かんできてしまう。
ヒナリはあたふたとティーカップを持ち上げると、熱くなった顔を隠したのだった。
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「すごい迫力……!」
賢者たちと並んで貴賓席に座ったヒナリは、初めて見る剣技のぶつかり合いに思わず声を洩らした。男女の騎士たちが織り成すせめぎ合いに胸が躍る。
一方で、大怪我をするのではないか、命を落とすのではないかと震え上がるほどのぎりぎりのやり取りに、手に汗を握った。
神聖騎士団からは聖騎士団のヘルッタが勝ち上がってきていた。ヘルッタは、自身より大きな騎士たちの渾身の一撃を見事に受け止め、素早い身のこなしで相手を翻弄していった。
王国騎士団からは、先ほどヒナリを訪ねてきた女性騎士アドラシオンが勝ち上がってきた。
アドラシオンは、宿敵も同然の聖騎士団長ヘルッタと向き合うやいなや、敵意をあらわにした。
「聖騎士だからというだけでアルトゥール様といつも手合わせできるなんて、許せない……!」
睨み付けた顔は、全く表情を変える様子がなかった。
「私は聖女ヒナリ様をお護りするために日々鍛錬しております。聖騎士たる信念こそあれど、個人的な感情は存在し得ません」
冷静な返答が癇に触る。アドラシオンは地面を蹴り全力でヘルッタに襲い掛かった。
「こしゃくな! 常にアルトゥール様のお側に在れるからと上から物を申すか!」
怒りを込めた一撃を繰り出す。その剣は難なくいなされた。
(聖女も聖騎士も、ただその立場にあるだけでアルトゥール様のお側に居られるなんて、許せない、許せない、許せないっ……!)
間髪を入れず攻撃を繰り出していく。剣をかわされれば即座に反撃され、その痛烈な一撃を受け止めてはまたやり返す。
実力は同等であるような手応えだった。
(だが想いの強さは私の方がずっと上だ!)
かつて王国騎士の誰もが手を焼いた素早い魔獣を仕留めたときの集中力で、相手の急所に狙いを定める。
対敵の速度を上回った一撃は、確かに狙い通りに打ち込めた――はずだった。
「くうっ……!」
「――!?」
ヘルッタの苦悶の声と共に、剣を打ち付けた箇所が目映い光を散らした。剣を持つ手に痺れが走る。
不可解な現象に、一瞬目を見張った直後。
「――お覚悟!」
「ぐうっ……!」
反撃が繰り出される。力の入らなくなった手ではその一撃を受け止めきれず、剣を取り落としてしまったのだった。
拍手と歓声とに包まれる中、アドラシオンは空を見上げて呟いた。
「私は……負けたのか……」
石畳の上に呆然と立ち尽くす。予期せぬ現象が起きたものの、それは魔獣と対峙しているときにだって起こり得ることだ。
とはいえ到底受け入れられない現実であることには変わりなく、思考が停止する。そんな中、落としたままだった剣が差し出された。
「アドラシオン殿。私はアルトゥール卿との手合わせの機会を辞退致します」
屈辱的な言葉に、止まっていた心が瞬時に激情一色に染まる。
「何をおっしゃるかヘルッタ殿! 負けたのは私だ! 私を侮辱なさるおつもりか!」
「いえ。貴女の剣技、見事でした。一度決定的な一撃を打ち込まれた際、私は鎧の加護に救われた。此度の勝利は聖女ヒナリ様の御加護がなければ成し得ませんでした」
「アドラシオン殿」
「――!」
いつの間にか、王国騎士団名誉顧問アルトゥール・ツェアフェルトが側に歩み寄ってきていた。
憧れの騎士の姿を久しぶりに間近で見ることができて、しかも名まで呼んでもらえてたちまち胸が高鳴り出す。
アルトゥールは温かな眼差しでアドラシオンを見つめると、口元に笑みを湛えた。
「いかがだろうか、アドラシオン殿。私も、ヘルッタ殿のおっしゃることは道理に叶っていると思われるが」
「アルトゥール様……!」
焦がれた騎士が、自分に向かって優しく語り掛けてくる。感動に目が潤んでいく。
「是非、是非わたくしと手合わせをお願いします!」
アドラシオンは剣を握った手に力を込めると全力で頭を下げたのだった。
ヒナリは高鳴る鼓動に息を弾ませつつ、女性騎士アドラシオンと向き合うアルトゥールを見守った。
アルトゥールの勝利を確信してはいる。その一方で、アドラシオンの想いの強さもその戦う姿から伝わってきた。強烈な願いが事態を揺るがすことだって、充分にあり得る。
それを思えばヒナリは心の中で叫ばずにはいられなかった。
(アルトゥール、お願い、勝って……!)
アドラシオンを応援する野太い声援が闘技場を包み込む。
延々と続くかと思われたそれは、しかしこの競技会最後の手合わせが始まった瞬間、水を打ったように静まり返った。
主導権を握るべく渾身の一撃を繰り出すアドラシオンに対し、片手で軽く受け止めるアルトゥール。
アドラシオンがそれまで大勢の騎士を打ち負かしてきたとは思えないほどの圧倒的な力量差が、その一撃で見て取れた。
アルトゥールがアドラシオンの狙いを全て先読みし、ことごとくいなしていく。まるで『いつになったら本気を出すのだ』とでも言うように。
かと思えば『これに応えられるか』と問い掛ける、痛烈な一打を繰り出す。
辛うじてそれを受け止めるアドラシオンの表情が焦りに染まっていく。
心の揺れをその表情にありありと示すアドラシオンに対して、アルトゥールの顔は真剣そのものではあったがどこか冷めているようにも見えた。
自身のテリトリーには決して踏み込ませない――そんな冷徹さを帯びている。
ヒナリは、今まで一度として見たことのないその表情に、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
アルトゥールの剣が振るわれる度に、騎士の心を支える柱が一本ずつ丁寧に折られていく。
その様は、猛毒で徐々に死にゆく哀れな小動物を見るかのように恐ろしい光景だった。
鋭い金属音。天高く舞い上がる一本の剣。
次の瞬間。
容赦なく振るわれたアルトゥールの剣がアドラシオンの首を刎ねる直前で動きを止めた。誰の目にも勝敗は明らかだった。
「参り、ました……」
アドラシオンが、呆然とした面持ちで膝を突く。
静寂の中に、地面に落下し回転する剣の金属音だけが鳴り渡る。
顔面蒼白になったアドラシオンが、その場にへたり込んだ。
結果はアルトゥールの圧勝だった。アドラシオンの剣は一度としてアルトゥールを揺るがすことはなかった。
次第に広がりゆくどよめきは、アドラシオンが一方的に打ち負かされたことより、アルトゥールの途方もない強さに畏怖の念を感じている声が多いようにヒナリには感じられた。
「アドラシオン殿」
立ち上がれないアドラシオンに向かって大きな手が差し出される。
アドラシオンが顔を上げると、涙の向こうに温厚な笑みが見えた。
「いい剣技であった。これからも国民の安寧を護るべく励まれよ」
「はっ! ありがとう、ございました……!」
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