月下美人  頑張った母ちゃんの闘病記

酒原美波

文字の大きさ
12 / 14
第十二章 虹の橋の彼方へ

月下美人

しおりを挟む
1.過去への旅
 正直、最初は兄の死を書くのは通過点に過ぎないと感じていた。だが実際に書き記していくと、精神的には相当キツかった。投稿した後に、後悔の涙をこぼして自分を責めた。
 父との別れの際には、3代目が無言の慰めをしてくれた。散歩途中で3代目を膝に乗せて泣く、これが父を亡くしてしばらくの間、私の朝の儀式になっていた。それが癒しとなって、悲しみが昇華されていたのかもしれない。だから父について書いたときは、それほどダメージは強くなかった。

 やはり闘病記をまとめるのは時期尚早だった。家族の死に際しての記憶の掘り起こしは、精神的にキツい。インターバルを置かなければ、向き合うことが出来なかった。この絶妙なタイミングで、親友からお誘いがあり、久々に外へ出て気分転換したことで、なんとか精神バランスは保たれた。
 当初、この闘病記は彼岸までに書き上げて、家族への供養に捧げようと目標を立てていた。そこまで間に合わないかもしれない。その時は、兄の命日までと、ゴールを引き伸ばそう。

 書くのは辛いが、やはりこのタイミングで背中を押されたのは正解だった。記憶は鮮明だが、記録がザルとなっているため、そこから細かい日の記憶を辿るのが容易ではない。出来事は覚えているが、日付とワンセットにはならない。更に数年過ぎていたら、記憶さえ更に曖昧になっていたかもしれない。
 そして丹念に辿っていくと、悲しみの数も多いが、周囲の優しさが大きかったことにも気付かされた。
 スケジュール帳は、ますます空白が酷くなっていく。日を追うごとに、必要事項を簡単に記載しているだけだ。
 
 兄の死後、3代目愛犬の散歩は片道がやっとになった。稀に自宅まで歩き切る事もあったが、それも12月のはじめまで。片道歩いて疲れ果てた3代目をかかえて、自宅に連れ帰った。
 相次いだ父と兄の別れに、母の体も変調をきたす。やはり家族の死という過剰なストレスは、遺された者達の体に変調をきたす。
 振り返ると、あのとき友人達が支えてくれなけば、私も潰れてただろう。

 もう一つの迫りくる別れが、母と私を完膚なきに打ちのめす。

2.顔のないラスボス
 11月30日、兄のスマホ解約。
 その足で戸籍を集める。今回は地元と、祖父母が暮らした区の区役所のものを集めれば済む。末っ子叔父のように、本籍をずっと動かさなければ、もっと楽ではあるけれど。
 だがどちらにせよ、銀行の解約や年金支払停止の手続きのため、住民票と印鑑証明必要なので、地元の市役所は欠かせないけれど。
 そして、障害者手帳の返却。結局、一級の認可が下りた時には既に入院してたので、タクシー券はほとんど使わなかった。
 
 12月4日、葬儀の支払い。本当に、良い業者さんを引き当てたと思う。ともかく安上がりな葬儀をということで、派遣葬儀社を調べたが、こんなにも親身に相談に乗っていただき、葬儀に関してもかなりサービスしていただいた。
 この日の話題は、やはり火葬式での御経合戦。
「もう笑いを堪えるのが苦しくて。あんな面白いのは初めてみましたよ」
 そうなんだ。他でも火葬式でも、同じことに出くわしているのかと思っていた。まあ、浄土真宗と日蓮宗じゃ水と油だし?

 12月6日、時間は書いてない。しかし日曜の夕方、母は高熱と腰の激痛を引き起こす。
 訪問看護に連絡するが、すぐには来れないとのこと。本当に役に立たない。いざというときに役に立たないなら、マジで診療ポイント稼ぎなだけじゃないか。こんなのが訪問看護なのかと、憤りしかなかった。
 地域医療相談センターへ電話をかけるが、殺人ウイルスのせいで、なかなか繋がらない。やっと電話が繋がって、事情を話すと、直ぐに救急車が向けられた。
 救急車到着。担架で救急車に運ばれるが、ここでも殺人ウイルスのせいで、なかなか受け入れ先が見つからない。唯一、個室料金支払いが可能なら、市内の病院受け入れ可能先が見つかる。ともかく痛みに苦しむ母を楽にしたくて承諾する。
 そして運ばれた病院は、古いながらも、今回は「当たり」だった。
 
 診断『急性腎盂腎炎』。菌が腎臓に入り込み、高熱と激しい腰痛を引き起こす。処置が遅れると敗血症になりかねない。慢性化して腎不全になれば、人工透析となる。母が患う顕微鏡的多発血管炎は、それでなくとも腎臓を攻撃する。

 この日は夜10時過ぎに病院を出たと思う。面会は極力避けてくださいと言われ、殺人ウイルス検査後、病室が空いたら順次、大部屋に移しますとのことだった。運ばれる患者は多い。
 駅に近いが、普段使う改札とは逆サイドにあるため、こちら方面の地域についてはほぼ知らない。病院も夜に見た時は、まあまあの大きさかなと思ったが、後日来た時には入り組んだ道を通って、道路隔てた場所に別館にあって、こんなに広かったのかと驚いた。

 12月7日、駅前病院へ薬や最低限の入院グッズを持って行く。そしてここは、先に手付金を支払う制度。数万円を受付で支払う。
 相次ぐ受難を心配した親友が、地元までわざわざ来てくれる。そうか、それで駅ビルの上でランチしたから、レストラン街は開いてたわけか。親友の優しさには、感謝しかない。

 12月8日、トイレの見積もり業者2軒が訪問。私の記憶だと母の入院直前に、トイレタンク上部の手洗い場の水の出る箇所を母がフラついた拍子に折ったのは、兄の葬儀後かと思った。
 しかし11月5日の午後18時カレンダー記載は、トイレタンク上部の破壊だったようだ。昔の私、もう少し詳しく書いといてほしい。まあ、当時は見返すことも考えてもなかったのだろうけど。
 ともかく入院中に、トイレを直してしまおうと考えたのだけは間違いない。

 お金のある頃は、住宅を建てたハウスメーカーを通して、ドアをはじめとする洗面所などの修理やシロアリ防止剤を依頼していた。しかしハウスメーカーを通すと高くつく。そこで今回は、ネットを使って3社に見積もり依頼した。
 1番最初に依頼した場所は、地元会社だった。評価は最高点だが、見積もりは考えていた予算より若干高い。水道局指定業者である。
 2番目に依頼したところも地元だったが、忙しくて見積もりは後日と言うことになった。
 3番目に依頼したところは、値段が他の業者と比べて格段に安かったが、評価が一番低い市外の業者だった。

 3番目に依頼した業者は、ごく最近、ネット参入したので評価が低いのだと、見積もりに来た時に理由を話してくれた。市外では老舗に属するが、2代目に移行してからネット参入して新たな顧客を獲得しようとしたのだと言う。トイレの点検、床板の痛みなどを丹念に調べ(最初の業者は床は調べなかった)、公的な水道指定業者のお墨付きをもらっている。これがないところは頼まないほうがいいと言われた。トイレを専門的に扱う業者と言うことで、在庫ストックも倉庫に多くあり、これで値段が一社目の三分の一に出来た訳も分かった。

 12月9日、駅前の母の病院。面会は書いていないが、このとき二人部屋に移った記憶がある。
 兄の銀行解約、税務署手続き。

 12月10日、2番目に依頼した地元の会社の見積もり。評価は高かったが、確かめてみるとリフォーム専門業者だが、公的な水道局指定はなかった。ここは除外だ。その場でお断りすると、値段を最安値提示したところまで下げるという。しかし、それ以前の問題だ。そもそも忙しいと後回しにされたわけだし。それでも食いついてきたが、またの機会にと、お断りさせていただいだ。

 既に3社目に見積もり依頼した会社とは8日の時点で、12月10日の業者を評価した上でと条件で、ほぼ段取りを付けていた。見積もりを依頼した以上、この日の見積もりに利点があるか、確認のため来てもらったわけである。
 12月10日の見積もり業者帰宅後、すぐに3社目に依頼した。翌日にはトイレリフォームが始まった。

 その前に、親友の助言が役立った。これまで修理に火災保険を使う概念がなかったが、「一応、保証適用か確認を取りな」と言われたのだ。連絡してみると、スマホに写真を撮って送ってくださいと言われる。火災保険対象となった。
 親友には感謝しかない。ただでさえ火の車の我が家なので、多少なりとも補助が下りるのは有難がった。
 また、火災保険会社は他にも修理はありましたかと尋ねてきたので、キッチンシンク下を直したことがあると言うと、領収書があるなら保険が下りますと言われた。
 だが母がそのとき担当したので、領収者はなかった。と言うか両親、昔から更新間近に説明のため業者が来てたのに(殺人ウイルス以降は電話でのやり取り)、家の不備を一回も火災保険に相談しなかったんだな。特に昔の平屋は床は腐ったり、雨漏りしてあたので修理費も高額だったので、随分と損をしたと思う。

 12月11日、13時半から21時までトイレリフォーム。予定より大幅に時間がかかった。母が入院しているタイミングで、ちょうど良かった。
 床は長年の父と兄のトイレ失敗(ウォシュレットの消し忘れのほか、間に合わなくて失敗)で床は掃除しても臭いが取れず、父が亡くなる前後から母までもウォシュレット出しっぱなしにするようになり、床が傷んでいたのが気になっていた。
 表床を剥ぐと、裏も傷んでいた。それで急遽、床下の床の張替えまで行う大工事となったのだ。
 トイレも結局、タンクだけでなくトイレ丸ごと交換することになった。以前馴染のリフォーム業者に取り付けてもらったウォシュレットの型がトイレの大きさに合わず、ぐらついて危なかったのだ。
 保険が下りるからこそ、トイレ丸ごと取り替えることが出来た。そして今回は、手洗い場は母のおぼつかない足ではむしろ危険ということで、フラットな蓋にしてもらった。こちらのタイプのがトイレ価格も安くなる。丁寧な業者さんに当たって、本当に良かった。
 3代目はリビングの曇りガラス越しにウーウー唸っていたので、リビングの出入りの際には机の脚付けたリードに繋いだ。
 初代や2代目と違って、庭に入るのは許すけれど、家に上がる者は容赦しない3代目だった。 

 親友の、心遣いが嬉しい。もう一人の親友も心配してわざわざウチの地元に近い駅まで来てくれた。毎月会ってる親友はこの月は2度も駅まで来てくれた。

 12月12日、駅前病院へ母のテレビカード代とオムツを、病棟受付に渡す。病棟には初日以来、入れない。

 12月22日、3代目が大量の鼻血を出す。

 12月23日、母が大部屋へ移る。
15時から医者と面談。このときようやく、母との対面が許された。『せん妄』にはかかっておらず、元気そうだった。
 医師から回復に向かっているが、まだ完全に危険を脱してはいないこと。老医師は言う。
「仮にもしものことがあっても、自分を責めないでないでください。ステロイドを使って免疫力が低下しているなら、なおさら急性腎盂腎炎を起こすのは仕方がない。在宅で、貴女はよく頑張ってこられたのですから」と、このようなことを言われれ、思わず涙がこぼれた記憶がある。
 父のときも、兄のときも、余命宣告が出たときに主治医から「決して自分を責めないように、介護も看取りも正解はない」と言われた。これまで何人の先生や医療従事者に言われてきただろう。だが本当に、介護も看取りも正解の有無は分からない。残るのは悔いだけだ。

 3代目はこの日、朝も昼も夜も、ほぼ食べずと、メモがある。朝は好物の有名高級メーカー缶詰、昼と夜は焼いた牛肉。元気な頃なら喜んで食べていた。

 12月24日、私の定期胃カメラ検診。クリスマスイブの胃カメラには複雑だったが、逆流性食道炎の荒れた食道と胃の小さなポリープ以外は相変わらずで問題なしと言われた。

3.2021年
 この年に初詣に行った記憶は不鮮明だ。だが母と出かけていた不動尊と、某有名神社は毎年欠かさずご挨拶しているので、混雑の中を行ったような気がする。特に今年ほど、神仏のご助力を願ったことはなかった。

 1月3日、父と兄と祖父母が眠るお墓へ墓参。その後、地元駅ビルで親友とランチする。
 1月5日、母の紙オムツとテレビカード代を渡しに駅前の病院へ。別の親友とランチする。「1人にしておくと、ちゃんとご飯を食べてるのか心配で」。そう言ってくれた。
 食事は食べていた。だが不眠は続いた。3代目愛犬が心配なのもあるが、父が亡くなって以来、眠りは浅い。母が徘回へでないか常に頭にあった。母が入院していても、最悪のことしか頭に浮かばず、この頃は熟睡出来なかった。それにいつ何があるか分からないので、すぐに飛び出せるようホットカーペットの上に毛布をかけて、服を着て横になっていた。

 1月11日、友達がド田舎の自宅まで遊びに来る。2人で惣菜を持ち寄って、テレビを見ながらオタク談義。
 3代目愛犬が思ったより元気で良かったと言ってくれた。この日は夜まで語り合い、ひとときの楽しい時間を過ごした。

 1月13日、13時駅前の病院の病院で面談。母の退院日が決まる。

 1月15日、11時に母が駅前の病院を退院。思ったより歩けているし、昼間は意識もハッキリしている。久々に自宅に帰れるとあって大喜びだった。
 駅前だが病院まで大きな坂があるので、タクシーを病院前に呼ぶ。

 1月19日、都内の大学病院泌尿器科へ母が受診。膀胱炎を診断される。入院で延期されていたCT検査が行われる。

5.宣告
 3代目の状態がどんどん悪くなる。排便ももう自力で出来ず、油に浸した綿棒で掻き出す。食事も口元に運ばないと食べない。獣医に連れて行くには、距離的に抱きかかえては無理。ネットで格安の犬用バギーを購入し、獣医へ連れて行く。ガンと認知症だった。問診で心臓も異常をきたしているという。 
 心臓発作予防薬やステロイドと痛み止めの投与。しかし痛み止め以外は、更に具合いが悪くなったため、他の薬はやめた。手術は最初から考えていなかった。いや、考える余裕さえなかった。もう我が家の財政で、保険に入っていない犬を手術することは出来ない。年齢的にも15歳目前では手術させるだけ苦しめるだけ。
 親友に会っていたときは、チョコチョコと歩き回って、バス停まで見送りにも行けた。しかし、1月末にはもうほとんど歩けなくなっていた。それでも散歩は行きたがるため、朝晩は外の空気を吸わせるためにも、抱き上げて連れて行った。
 バギーは駄目だった。猛烈に暴れて、顔が血まみれになる。バギーを使うのは獣医に連れて行くのみにした。

 1月30日、都内の大学病院消化器内科と内分泌内科を、母が受診。
 およそ1年間、肝機能障害の経過観測のために消化器内科を受診してきた。そしてこの日、運命の宣告が出る。
「ガンマーカーが上昇を始めました。原発を探すため、より踏み込んだ検査が必要です」
 医師の宣告に、私も母も目の前が真っ暗になった。

 2月2日、都内の大学病院、膠原病内科と呼吸器内科、母が受診。呼吸器内科では、肺の様子を主治医が丹念に檢べるが、間質性肺炎跡以外にガンらしきものは見当たらない。
 2月9日、都内の大学病院でより細かい検査を母が受けることに。
 かつて父も受けたPET検査、放射能を使うために完全防御室待合室で私も待機。母は丸一日かかって、各部位の体の検査を受ける。

 2月19日、天敵先生クリニック、母の定期受診。随分と久しぶりだ。母の入院、ガンマーカー上昇に、天敵先生も驚いていた。慰めの言葉をもらった気がするが、記憶にない。
 2月27日、以前にも行った脳神経外科クリニックを母が受診。アルツハイマーの状態を調べるためだった。数段、脳の機能は下がっていた。

 3月5日、天敵先生クリニック、母の受診。間が空いてないか、おそらく定期受診だろう。

 3月24日、3代目の発作
 3月26日、獣医。3代目、心臓の薬が合わない。ステロイド服薬に切り替える。
 3月26日、獣医。前回の処方のステロイドが合わず、痛み止めのみとする。
 3月31日、バギーで獣医に連れて行く途中、大暴れして流血。そして吐血。
 4月1日、私のみ獣医へ行く。痛み止めをもらう。今後はもう、3代目のために痛み止めだけもらうことになる。チーズに包んで口元に運ぶと、飲み込む。そして薬が効いてると、心地よさ気な寝息を立てて眠る。 
 4月4日、3代目が立てなくなり、寝たきりに。 
 4月7日、3代目が、立ち上がる。ヨボヨボしながら部屋を歩く。僅かだが食事は取れている。
 
 4月9日、兄の納骨と父の一周忌。
 派遣された住職は、また別の人。父のときと同じように、霊園事務所で改葬届を提出し、手持ちの埋葬表を預ける。後日、兄の名前と埋葬日が記載されて、自宅に郵送される。
 すでに墓場は手入れされ壇が設けられている。霊園事務所で購入した花を供え、お線香に火入れをして、読経が始まる。ついでという言い方も変だが、事前に葬儀屋さんに頼んで印刷してもらった御位牌用の兄の戒名板にも魂を入れてもらう。
 読経後、石材店がお墓を開けて、古い祖父母の骨壺、真新しい父の骨壺の前に、兄の骨壺を置く。家族がどんどん墓の中に入る。
 否、家族の抜け殻が墓に入る。彼らの魂は、すでに天国にいる。こんな暗いところに留まっているはずがない。明るくて花が咲き誇る素晴らしい地で、皆は穏やかに暮らしているだろう。

 4月16日、都内の大学病院内分泌内科、母の受診。検査と書かれている。

 4月19日、私は右耳の突発性難聴を患った。体が悲鳴を上げ始めた。おりしも突発性難聴を患う芸能人の情報を掴んでいたので、一刻も早く耳鼻科にかからねばならない。遅れれば聴力が戻るのが遅くなる。
 とてもマズイ薬(飲めなきゃ毎日点滴通い)、それと特殊な薬が処方される。恐らく抗生物質の類いだと思うが、それがカレンダーに9日間、飲む回数が赤ぺんで書かれている。まずい薬の際の医師の言葉。
「この薬は昔からあって、改良されても不味さは変わりません。ジュースに溶かして飲むのが最適ですが、どうしても飲めない場合は点滴に毎日いらしてください」
 私は幸い、このまずい薬を飲むことができた。しかしジュースに混ぜると余計に気持ち悪くなるので、原液を直接飲み込み、あとはひたすらお茶をがぶ飲みした。

 4月20日、都内の大学病院消化器内科、膠原病内科と呼吸器内科を母が受診。検査ありと書いてある。
 消化器内科、ガンマーカーは確実に上がっているが、原発が見つからない。転移の後も見つからない。

4.愛犬、虹の橋を渡る
 4月26日、3代目は焼き肉のカルビと鶏肉を食べる。久々によく食べた。

 4月27日、朝、3代目は私のスリッパに顔を突っ込んでいた。いままで、そんなことしたことなかったのに。朝はチョコチョコ歩いていた。肉も少しだが食べていた。
 午前中は私の耳鼻科。今日で特殊な飲み薬は終了。まずい薬は、たっぷり出される。1本ずつ液体なので、ともかく重い。耳はともかく、喉から血の塊が出てくる。あー、これは副鼻腔炎の酷いときにお目にかるやつだ。鼻の悪化から耳に行ったか、耳の悪化が鼻にきたかは、わからない。ただ溜めとくと余計に悪化するので、出てくれるのはありがたい。

 リビングで母とテレビを見ながら、うたた寝していたときだった。鼻の薬はさほど眠気を感じないが、耳の薬は強烈な眠気がくる。
 リビングの寝床に寝ていた3代目が突然「キャンキャン」と吠える。飛び起きて3代目愛犬の元へ駆け寄ると、3代目の脈も心臓も止まっていた。体はまだ温かい。
 私は苦しみために助けを求めたのかと思った。だが親友は後に「最後のお別れのために呼んだだよ」と慰めてくれた。臨終は午後21時ジャストだった。

 ついに、逝ってしまったか。父の一周忌と兄の納骨を見届けて。父が亡くなったのと同じ月に。
 忠犬3代目は若い頃のように猛スピードで、虹の橋を全速力で駆けていったことだろう。ツンデレで家族にはチロッチロッとしか尻尾を振らなかった3代目。
 歴代愛犬の中で、唯一、家族を見送る大役を果たした3代目。思えば、大地震の経験だの、家族の病を間近で見てきて、とても辛かっただろうね。
 私はグッタリした、軽くなった愛犬の亡骸を抱き上げて庭へ出る。空が曇っていたか、月が出ていたか、星が出ていたかも分からない。ただ涙が溢れて止まらなかった。ただただ悲しかった。遠からず来る別れの日、頑張れとは言えなかった。何度も死の淵から這い上がった3代目。
 きっと父を追いかけたい気持ちと、私や母を心配する心で揺れていたのだろう。だが力尽きた。精一杯生きた。
 『家族』の死を相次いで経験した私にとって、一番喪失感を憶えたのは、この3代目の死だった。親友であり、悪友であり、弟であり、息子でもあった。さんざん迷惑もかけられたけど、かけがえのない存在だった。
 抱きしめるとお日様の匂いがした3代目。おまえを抱きしめていると、辛いことも和らいだ。どんな薬よりよりも、おまえの癒しの力が勝っていた。
 頑張って、私を慰めてくれたんだね。そして寿命を精一杯伸ばしてきたんだね。何度も死の淵から這いずり上がって、必死で傍に居てくれたんだね。
 ありがとう。おまえまえが居てくれたから、ここまでこれた。そしてこれからも人生の荒波に立ち向かう。
 3代目忠犬レン、安らかに。

5.2人だけの生活
 3代目の遺体を、母が拭く。「頑張ったね」そう言いながら、母が濡らしたタオルで拭いて清める。
 その間、私は父の遺品のタオルを段ボールの棺の下に入れる。このタオルは兄がお土産に買ってきたもので、電車が沢山描かれ、何線を走る電車か記載されていた。父はこのタオルを気に入っていた。棺に入れることも考えたが、何となく残した。
 3代目が寒くないよう私のフリースでくるんで、棺の中に入れる。買っておいた高級犬用缶詰、お菓子、ドッグフード、音の鳴るボールを入れる。花は明朝に庭で咲いているものを切り取ろう。
 仏間の仏壇の前に、3代目の遺体を置く。ここなら寂しくあるまい。いや、もう魂は、とっくに父の元へ到着してるだろう。
 初代は歴代で一番温厚だったが、父の激ラブは3代の中で断トツだろう。弟分の3代目が駆け寄っても、「近寄るな、俺の父ちゃんだ!」と慣れない喧嘩を売って、「うるせぇんだよ、さっさとどけ!」と気の強い3代目が喧嘩を買っているに違いない。
 父よ、下手な仲裁で噛まれるなよ。そういうときは、離れるに限る。犬は上下関係さえ確立したら、殺し合うまで喧嘩しないから。
 2代目は兄と傍観しているだろう。だが3代目が喧嘩を売ってきたら、2代目は、立ち上がる。「少し、立場を分からせてやらないとな」、2代目は人間には愛想が良かった。だが柴犬の血が濃い雑種だったので、血の気は多い。
 3代目、父を巡る先代たちの洗礼受けただろうな。そう、父の取り合いに勝つのは大変だぞ。頑張れ。

 4月28日、午前中に動物霊園へ電話し、火葬の依頼と送迎をお願いする。ここは初代と2代目も眠る霊園だ。
 午後、都内の大学病院消化器内科を母が受診。採血でガンマーカーの様子を見ながら、母に「手術はご希望ですか?」と尋ねて、母は間髪なく「はい」と答えた。しかし等の原発が見つからない。ガンらしきものが、様々な検査をしても見つからない。
 正直、あの頃の私は3代目のことで頭がいっぱいで、話の内容を覚えていない。母がガンでなければ、この日は病院をキャセルして、3代目の傍らに居たかった。
 帰路、花屋で奮発する。自粛で休みが多い中、花屋が見つかるか危惧したが、親友が「あんたのとこの駅ビルの花屋はやってるよ~」と調べてくれた。確かにやっていた。もっと華やかな色合いが良かったが、この花屋は敷地が狭いため、その時々に花に色合いのテーマをもたせている。このときは赤紫系統だった。それを花束して自宅に持ち帰る。自宅の花も早朝に切って供えたが、春の花には遅く、初夏の花には遅い谷間のシーズンだったので、遅咲きの中でも最後のチューリップと、今年初咲きのオレンジのバラ、それとツツジを切って供えた。
 購入した花を入れると豪華になった。3代目としては、花ならたぶん、広場の雑草を好んだかもしれないな。

 4月29日、午後に3代目を送迎する霊園の車が到着する。その前に折り紙で、折り鶴を作ろうと思った。
 仏間から、リビングへ3代目の段ボール棺を移す。時間間際まで折り続けて、糸で繋ぐ。それを3代目の首にかけた。
 随分と痩せたものだと、遺体を見つめて思う。健康時は15キロの筋肉質だった体格は、9キロまで減っていた。
 そして送迎車が到着した。私は段ボールを抱えて外へ出る。母はこの日、デイサービスで日中はいない。
 3代目を乗せた送迎車が走り去ると、私は涙が止まらなかった。家に入って、父や兄のときでさえ、涙は流しても、声を上げで名前を叫んで泣くことはしなかった。

 4月30日、午前9時5分の火葬に合わせて、タクシーを呼ぶ。母は喪服を着ると主張したが、動物霊園の火葬場付近は蚊が多い。普段着のズボンで行こうと説得する。
 行きのタクシー運転手は、犬好きな人だった。自分の家も何頭か犬がいて、これまで犬がいない生活を送ったことがないと言っていた。
「ウチもここの霊園で、いつもお世話になっています。犬は家族ですから、亡くなるのは寂しいですよね」
 動物霊園に着くまで話していた。涙を噛みしめるのに必死だった。
 タクシーにお金を払って礼を言い、事務所で火葬の手続きをとる。そして位牌も依頼するが「高っ!」。
 いまこんなに値上がりしてるのか。2代目のときはもっとデザインもシンプルで、もっとお手頃価格だったのに。他の位牌はないのか、出切れば先代の時作ったものがいいと言うと、事務員は検索して、2代目の位牌のタイプはすでに廃盤となっいるとのことたった。いまは写真入りのものが、木製に名前を書いた位牌だけだという。木製の見本が貧相だったので、写真入りのものが位牌を依頼する。本当はもっとランクの高いものがいくつか種類もあったが、そこまでは手が出ない。場所も取る。 
 ふてくされた顔だが正面を向く3代目写真を持ってきていたので、それを提出する。位牌申込みの手続きの際、うっかり享年日を3代目と兄の命日の日付と間違えたのに気付いたのは、出来上がってから。それを指摘したのも、親友のLINEだった。私は位牌ができたことに気を取られ、享年日まで確かめていなかった。
 お坊さんから魂入れもしてもらってるし、ま、直さなくてもいいかな。霊園の名簿には正しい享年日が記載されていることだし。

 火葬場へ向かう。すでに段ボールから出された3代目が、折り鶴と花に囲まれていた。タオルとフリースとボールも一緒に燃やせるが、骨に付着するのでと、少し遠ざけてある。
 火葬場の人は、ドッグフードをだし、お菓子を出して3代目の口元に置く。アルミに入った高級ウエットタイプドッグフードは、紙コップに全て移し替え、やはり顔の近くに置く。天国でお腹いっぱい食べてくれ。
 私と母はそれぞれに3代目の体を撫でる。そして時間になり、炉の中に入っていくのを見送る。
 外へ出ると、間もなく円筒から白い煙が上がった。
 母を立たせたままにはいかないので、事務所併設の喫茶店に入り、お茶と和菓子を注文する。ここからは、火葬場の煙は見えない。
 焼き上がり予定時間に火葬場へ行くと、3代目は骨となっていた。その骨を火葬場の人が原型通りに丁寧に並べている。骨の説明を聞いた後で、忘れな草の花がプリントされた骨壺に、母と箸で掴んで入れる。だが母の手付きがおぼつかない。骨を乗せた石版は熱を持っているので、触ると火傷する。だから私一人が骨壺に骨を入れて、母は近くの腰掛けに座った。細かい骨は火葬場の人がミニ箒で集めて、残さず骨壺に納めて蓋をする。そして覆いをかぶせる

 胸に抱いた骨壺は温かだった。でも毛の感触はない。当たり前だが。

 事務所備付けの専用タクシー呼び出し電話でタクシーを呼ふ。今度の運転手さんは女性で、保護猫を飼っているとのこと。この運転手さんの歴代猫もここで眠っているが、唯一、思い出の深い猫ちゃんだけは、自分が死ぬ間際まで骨壺をそばに置くのだそうだ。
 自宅に着く。
 母は疲れて、ベッドに眠る。私はリビングのカラーボックスに、祭壇を作る。兄の骨壺があったときに使っていた小さな香炉を3代目の骨壺の前に置く。残り1個の缶詰を備え、庭の花を切る。本当に谷間の時期なので、花が少ない。コンビニで仏花を買ってくるか。
 そのついでに、獣医に犬が亡くなったことへ挨拶に行く。3代目を竹槍予防接種をした大先生だけでなく、看護師役をしていた大先生の奥さんも亡くなっていたことに驚いた。近所だが、地区が違うので回覧は回ってこない。
 お互いに「ご愁傷さまですです」と言って別れた。

 5月1日、親友から呼び出される。私も3代目を入れる写真立てに買いに行くつもりだったので、ちょうど良かった。母はこの日、デイサービス。
 親友はラッピングされた物をくれる。開けてみると、お洒落な写真立てに、以前私がスマホで送った3代目の写真が中に入っていた。
 桜を背景に、横顔が微笑んいるかのような写真。3代目の写真写りは悪く、いつもぶんむくれているか、そっぽむいているかのどちらがだった。
 ありがたく頂戴した。彼女の愛犬は、ウチと半年違いだが、同じ年だった。 

 また、5月3日には別の親友が、ウチの地元の駅までやってきて、線香やお供え物を持ってきてくれた。
 3代目の死を悼んでくれる人が、家族以外にも居てくれる。とても嬉しかった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...