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本編
天赦日参拝 東京師走編
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1。今朝の夢
かなり昔に亡くなった祖父母の家へ行く夢を見た。現実では都会だったが、夢の中では昭和ノスタルジー溢れる自然豊かな場所だった。目覚めたあとは、関東ではないような風景に思える。いずれにせよ、該当する記憶の場所はない。
夢の中では、途中に稲荷神社があった。大きな神社ではなく地元クラスの、だが沢山の赤い鳥居が並んでいるのが印象的だった。
私は祖父母の家を目指して歩いている最中に目が覚めた。
都内でも多くの鳥居が奉納されている場所はある。実際、今年になって初めて赴いた根津神社にも多くの朱色の鳥居が並び、そこに沿って流れる水路では亀が甲羅干ししていた。
私は行ったことがないが、上野近辺にも沢山の鳥居のある稲荷社があったと記憶する。
まあ数え切れない鳥居といえば、伏見稲荷大社だろう。私は山を踏破したことはないが、最初に赴いた数十年前は人気もまばらな雨模様だったのが、十数年前に最後に訪れた時には海外観光客でごった返し、参道の店も様変わりして驚いたものだった。
今年は初めて詣でた神社も多くあった。閻魔様の秘書までしていたという秀才だった小野篁公をお祀りする小野照崎神社、強運御守りの芝大神宮。
金運で人気爆発となった小網神社は、友人と赴いた際には散々迷って、やっとたどり着けたが長蛇の列で参拝するのが精一杯。御守り授与所は、また別の列に並ばなくてはならなかった。
その数カ月後、私は別件で銀座へ赴き、その後のランチは日本橋にある某有名うどんチェーン店に行こうとした。ナビを使ってもなかなか目当てのうどん屋にたどり着けず、着いた場所が小網神社だったときには「なに、これ!?」と脱力した。だが小雨で参拝者も少なく、御守り授与所もすいていたので、御朱印と御守りの授与していただけた。ラッキーかもしれない。だが目当てのうどん屋は、この日は諦めた。
2.神田明神
来年の準備期間。大掃除やゴミ出しなどやることは沢山あるが、2024年最後の一粒万倍日と天赦日が重なるこの日を見逃すことは事はできない。神札を替えるのは12月26日と以前から決めていた。
ただ六曜が赤口で、あまり良いとは言えない日。だけど正午は吉というので、昼近くなら正午も同然と割り切った。前日25日も一粒万倍日の大安だったから、良いことあった人も多いかも?
当初、午後に約束も入っていたので、距離的に一番近い神社へお礼詣でする予定だった。
だかまあ、アクシデントが今月半ばから勃発し、おまけに鼻風邪もひいて私のメンタル絶不調。そこでおおらかな神様をお祀りする神社ではなく、悪縁退散に強い神社に参拝先を変えることにした。
私が毎年詣でている神社の一つが、神田明神だった。ド田舎からここまで来るには、交通費と時間もかかる。だが母の命を救ってくれた病院が最寄りに有り、そして年に何度もその病院へ入院していた母は、他の病院だとせん妄を起こしたり、入院中にますます不調になったりしたこともあった。しかし、この病院では取り乱すこともなく穏やかに、そして退院予定日にはキッチリ退院できた。私の体調異変がなければ、在宅介護で最期を迎える直前まで、母をこの病院へ通院させることも出来ただろう。母も地元から遠いこの病院へ通院するのはさぞ負担だったと思うが、不平は言わなかった。
母が入院すると、神田明神に参拝へ赴き、母の御守りを授与していただいた。それをお気に入りのショルダーバッグにつけて、母は通院と入院を繰り返していた。
いまでも病院を見上げると、涙がこみ上げてくる。だが悲しみより、当時の辛さより、母と通院の合間にした外食の思い出の懐かしさによるものだ。高価なものを食べさせてあげることは出来なかったが、母は病院周辺のランチを楽しんでいた。
今日は新年の準備が着々と進んでおり、門松も立てられていた。参拝者は多いというほどではないが、列は出来ていた。ちょうど社殿の御祈祷の時間と重なったので、参拝中に太鼓の音と神主さんによる祝詞が聞こえてきた。
参拝を終えて、古いお札を返しに社殿裏側に回る。古い御守り、神宮大麻、神田明神札をお返しした。社殿裏には勧請した神様も祀られており、稲荷社が3社ある。
「ここの神社のどれかか、あるいは全部が夢で出てきた稲荷社とご縁があったのだろうか?」
と、考えながら各所の鳥居をくぐって参拝した。
御守り授与所兼土産物屋やカフェのあるエリアへ入る。早速、新しい神宮大麻と神田明神札を授与していただく。年末の神宮大麻樹の授与には
来年の暦の小冊子もついていた。
隣の御朱印(配布のみ)のファイルが、これまでと変わっていた。
朝食も食べずに飛び出してきたので、お腹が空いた。カフェへ足を運ぶと、相変わらず枡パフェは完売だった。まあ、夏場ならばともかく、冬に冷たいパフェに挑めるほど、私のお腹は丈夫ではない。
普段は限定たこ飯(多幸飯)があればそれを、無ければ生姜焼きを食べるのだが、本日の気分は勝つカレーだった。誤植ではなく、ここのカツカレーは、勝つカレー。ブラス料金ドリンクセットに、ホットほうじ茶をつける。初めてここのほうじ茶を飲んだとき、あまりの美味しさに驚いた。
まあ自宅で私が飲むほうじ茶は、お湯でティーパックか、水出し専用お徳用パック、もしくはペットボトル。だからきちんとした淹れ方をすれば、ほうじ茶は普通の店で茶葉で購入してポットで淹れたら美味しいのかもしれない。だが自分で淹れるより、美味しく淹れて貰えるお店ならそちらを選択する。
そう言えば以前、某新オープンしたタルト屋で友人とお茶した時には驚いた。悪い意味で。タルトはそれなりの値段もしたのでまあまあだったが、紅茶が色がついただけの白湯にしか感じなかったのだ。店を出たあと、友人に「あんなマズイ紅茶初めて飲んだよ」と言ったら、友人も「色水白湯だったよね」と同意した。当然だが、二度とその店には立ち寄っていない。
まずほうじ茶が運ばれてきた。やはり美味しい。スイーツも追加したほうが良かったかもと思ったが、勝つカレーがズッシリ胃にきたのでスイーツ付けなくて正解だった。
まだ時間的にお昼か否か微妙なところだったので、スイーツを仲良く食べる老夫婦や、単身参拝達のおにぎりセットやたこ飯など、食べているのは皆多種多様だ。
御神酒は近所のスーパーで金箔入りを買おうかと思っていたが、小ぶりながらも『神田明神』ブランドが入った御神酒をかごに入れる。ここへ来ると、物欲が刺激されるのが難点だ。特に「限定」と書かれていると、ついフラフラと手に取ろうとして「いかん、いかん!」と己と戦う。
己に買ったか負けたか、御神酒とキーホルダーを購入。三角おにぎり型のトルコ石のついたキーホルダーだ。
手ぬぐいも飾り方が上手で、かなり悩んだが、そこはなんとか堪えました。
外へ出ると、社殿の参拝列が伸びていた。都心にも関わらず、燦々と日光を浴びられる広々とした社殿前は、そこにいるだけで鬱々とした気分が爽快になる。御神籤の誘惑は年明けまで我慢。先日、別のところで引いた引いた御神籤の内容に凹んだばかりだ。
12月28日に大祓の儀式予定が書かれてあり、「うっ!」と言葉を詰まらせる。行きたい。しかし交通費問題の他、別の神社のお礼詣でも済まさねば。ちなみにお礼参りが日常的に使われる言葉だけど、何だが別の意味に取られそうなので、お礼詣でとさせていただいてます。
私は授与されたばかりのお札を手に、社殿から離れた場所で一礼して、今年最後の神田明神を後にした。来年もお参りする予定だが、仕事初めの日にたまたま出向いた時には、道路半分閉鎖しての入場制限に驚いたのだ。以来、仕事初めの日だけは避けている。
私は楼門の下でお辞儀をして、鳥居の前でもう一度お辞儀して地元へ向かった。
3.帰路
途中まで電車は順調だった。約束の時間にも充分に間に合うはずだった。先方の都合もあるので、早目に行くのも何だから、近くでお茶を飲みながら時間を潰すかなと考える余裕さえあった。
しかし途中の駅で非常ボタンが押されて電車が停止。後のアナウンスで、乗客がホームと電車の隙間に足がはまって転んだらしい。
約束相手にはショートメールで「10分程度遅れます」と送っておいたので、事なきを得た。
せっかくのお参りで、事故関連でなくて本当に良かった。お参りのお蔭で、約束の面談も滞りなく終わったし。
次の別の神社のお礼詣では、28日友引かな。この日は寅の日、宝くじ購入にもいいのかな?
あいにくと今日は時間がなくて、初夢くじを買う暇がなかった。まあ、棚からぼた餅は期待するなという、神様からの戒めかもしれないけれど。
辰年ももうすぐ終わり。来年は巳年。同じ長い生き物だが、若干の抵抗を憶えるのは、母が蛇を苦手としていたからだろうか。母は鰻さえ見た目で嫌がっていたほどだ。私も鰻は苦手だが、私の場合は鰻の脂っこさによる胃もたれと吐き気がして以来、正真正銘の味覚による嫌悪だ。
ともかく来年は、今年よりも日本全体が暮らしくなることを願います。
ちなみに来年の天赦日は4回程度だったかな?
3月10日が来年一番初めだったように記憶する。一粒万倍日と天赦日と寅の日が重なった吉日。時間があれば、また神社参拝したい。
神社参拝は、大晦日や正月三が日以外は、午後3時以降は避けたほうがいいと言われている。正確には日没後は足を踏み込むなってこと。異界との結界で、アチラとコチラが繋がりやすくなってしまうそうな。
私はファンタジーやホラー漫画や小説は好きだが、実体験はご遠慮申し上げる。
かなり昔に亡くなった祖父母の家へ行く夢を見た。現実では都会だったが、夢の中では昭和ノスタルジー溢れる自然豊かな場所だった。目覚めたあとは、関東ではないような風景に思える。いずれにせよ、該当する記憶の場所はない。
夢の中では、途中に稲荷神社があった。大きな神社ではなく地元クラスの、だが沢山の赤い鳥居が並んでいるのが印象的だった。
私は祖父母の家を目指して歩いている最中に目が覚めた。
都内でも多くの鳥居が奉納されている場所はある。実際、今年になって初めて赴いた根津神社にも多くの朱色の鳥居が並び、そこに沿って流れる水路では亀が甲羅干ししていた。
私は行ったことがないが、上野近辺にも沢山の鳥居のある稲荷社があったと記憶する。
まあ数え切れない鳥居といえば、伏見稲荷大社だろう。私は山を踏破したことはないが、最初に赴いた数十年前は人気もまばらな雨模様だったのが、十数年前に最後に訪れた時には海外観光客でごった返し、参道の店も様変わりして驚いたものだった。
今年は初めて詣でた神社も多くあった。閻魔様の秘書までしていたという秀才だった小野篁公をお祀りする小野照崎神社、強運御守りの芝大神宮。
金運で人気爆発となった小網神社は、友人と赴いた際には散々迷って、やっとたどり着けたが長蛇の列で参拝するのが精一杯。御守り授与所は、また別の列に並ばなくてはならなかった。
その数カ月後、私は別件で銀座へ赴き、その後のランチは日本橋にある某有名うどんチェーン店に行こうとした。ナビを使ってもなかなか目当てのうどん屋にたどり着けず、着いた場所が小網神社だったときには「なに、これ!?」と脱力した。だが小雨で参拝者も少なく、御守り授与所もすいていたので、御朱印と御守りの授与していただけた。ラッキーかもしれない。だが目当てのうどん屋は、この日は諦めた。
2.神田明神
来年の準備期間。大掃除やゴミ出しなどやることは沢山あるが、2024年最後の一粒万倍日と天赦日が重なるこの日を見逃すことは事はできない。神札を替えるのは12月26日と以前から決めていた。
ただ六曜が赤口で、あまり良いとは言えない日。だけど正午は吉というので、昼近くなら正午も同然と割り切った。前日25日も一粒万倍日の大安だったから、良いことあった人も多いかも?
当初、午後に約束も入っていたので、距離的に一番近い神社へお礼詣でする予定だった。
だかまあ、アクシデントが今月半ばから勃発し、おまけに鼻風邪もひいて私のメンタル絶不調。そこでおおらかな神様をお祀りする神社ではなく、悪縁退散に強い神社に参拝先を変えることにした。
私が毎年詣でている神社の一つが、神田明神だった。ド田舎からここまで来るには、交通費と時間もかかる。だが母の命を救ってくれた病院が最寄りに有り、そして年に何度もその病院へ入院していた母は、他の病院だとせん妄を起こしたり、入院中にますます不調になったりしたこともあった。しかし、この病院では取り乱すこともなく穏やかに、そして退院予定日にはキッチリ退院できた。私の体調異変がなければ、在宅介護で最期を迎える直前まで、母をこの病院へ通院させることも出来ただろう。母も地元から遠いこの病院へ通院するのはさぞ負担だったと思うが、不平は言わなかった。
母が入院すると、神田明神に参拝へ赴き、母の御守りを授与していただいた。それをお気に入りのショルダーバッグにつけて、母は通院と入院を繰り返していた。
いまでも病院を見上げると、涙がこみ上げてくる。だが悲しみより、当時の辛さより、母と通院の合間にした外食の思い出の懐かしさによるものだ。高価なものを食べさせてあげることは出来なかったが、母は病院周辺のランチを楽しんでいた。
今日は新年の準備が着々と進んでおり、門松も立てられていた。参拝者は多いというほどではないが、列は出来ていた。ちょうど社殿の御祈祷の時間と重なったので、参拝中に太鼓の音と神主さんによる祝詞が聞こえてきた。
参拝を終えて、古いお札を返しに社殿裏側に回る。古い御守り、神宮大麻、神田明神札をお返しした。社殿裏には勧請した神様も祀られており、稲荷社が3社ある。
「ここの神社のどれかか、あるいは全部が夢で出てきた稲荷社とご縁があったのだろうか?」
と、考えながら各所の鳥居をくぐって参拝した。
御守り授与所兼土産物屋やカフェのあるエリアへ入る。早速、新しい神宮大麻と神田明神札を授与していただく。年末の神宮大麻樹の授与には
来年の暦の小冊子もついていた。
隣の御朱印(配布のみ)のファイルが、これまでと変わっていた。
朝食も食べずに飛び出してきたので、お腹が空いた。カフェへ足を運ぶと、相変わらず枡パフェは完売だった。まあ、夏場ならばともかく、冬に冷たいパフェに挑めるほど、私のお腹は丈夫ではない。
普段は限定たこ飯(多幸飯)があればそれを、無ければ生姜焼きを食べるのだが、本日の気分は勝つカレーだった。誤植ではなく、ここのカツカレーは、勝つカレー。ブラス料金ドリンクセットに、ホットほうじ茶をつける。初めてここのほうじ茶を飲んだとき、あまりの美味しさに驚いた。
まあ自宅で私が飲むほうじ茶は、お湯でティーパックか、水出し専用お徳用パック、もしくはペットボトル。だからきちんとした淹れ方をすれば、ほうじ茶は普通の店で茶葉で購入してポットで淹れたら美味しいのかもしれない。だが自分で淹れるより、美味しく淹れて貰えるお店ならそちらを選択する。
そう言えば以前、某新オープンしたタルト屋で友人とお茶した時には驚いた。悪い意味で。タルトはそれなりの値段もしたのでまあまあだったが、紅茶が色がついただけの白湯にしか感じなかったのだ。店を出たあと、友人に「あんなマズイ紅茶初めて飲んだよ」と言ったら、友人も「色水白湯だったよね」と同意した。当然だが、二度とその店には立ち寄っていない。
まずほうじ茶が運ばれてきた。やはり美味しい。スイーツも追加したほうが良かったかもと思ったが、勝つカレーがズッシリ胃にきたのでスイーツ付けなくて正解だった。
まだ時間的にお昼か否か微妙なところだったので、スイーツを仲良く食べる老夫婦や、単身参拝達のおにぎりセットやたこ飯など、食べているのは皆多種多様だ。
御神酒は近所のスーパーで金箔入りを買おうかと思っていたが、小ぶりながらも『神田明神』ブランドが入った御神酒をかごに入れる。ここへ来ると、物欲が刺激されるのが難点だ。特に「限定」と書かれていると、ついフラフラと手に取ろうとして「いかん、いかん!」と己と戦う。
己に買ったか負けたか、御神酒とキーホルダーを購入。三角おにぎり型のトルコ石のついたキーホルダーだ。
手ぬぐいも飾り方が上手で、かなり悩んだが、そこはなんとか堪えました。
外へ出ると、社殿の参拝列が伸びていた。都心にも関わらず、燦々と日光を浴びられる広々とした社殿前は、そこにいるだけで鬱々とした気分が爽快になる。御神籤の誘惑は年明けまで我慢。先日、別のところで引いた引いた御神籤の内容に凹んだばかりだ。
12月28日に大祓の儀式予定が書かれてあり、「うっ!」と言葉を詰まらせる。行きたい。しかし交通費問題の他、別の神社のお礼詣でも済まさねば。ちなみにお礼参りが日常的に使われる言葉だけど、何だが別の意味に取られそうなので、お礼詣でとさせていただいてます。
私は授与されたばかりのお札を手に、社殿から離れた場所で一礼して、今年最後の神田明神を後にした。来年もお参りする予定だが、仕事初めの日にたまたま出向いた時には、道路半分閉鎖しての入場制限に驚いたのだ。以来、仕事初めの日だけは避けている。
私は楼門の下でお辞儀をして、鳥居の前でもう一度お辞儀して地元へ向かった。
3.帰路
途中まで電車は順調だった。約束の時間にも充分に間に合うはずだった。先方の都合もあるので、早目に行くのも何だから、近くでお茶を飲みながら時間を潰すかなと考える余裕さえあった。
しかし途中の駅で非常ボタンが押されて電車が停止。後のアナウンスで、乗客がホームと電車の隙間に足がはまって転んだらしい。
約束相手にはショートメールで「10分程度遅れます」と送っておいたので、事なきを得た。
せっかくのお参りで、事故関連でなくて本当に良かった。お参りのお蔭で、約束の面談も滞りなく終わったし。
次の別の神社のお礼詣では、28日友引かな。この日は寅の日、宝くじ購入にもいいのかな?
あいにくと今日は時間がなくて、初夢くじを買う暇がなかった。まあ、棚からぼた餅は期待するなという、神様からの戒めかもしれないけれど。
辰年ももうすぐ終わり。来年は巳年。同じ長い生き物だが、若干の抵抗を憶えるのは、母が蛇を苦手としていたからだろうか。母は鰻さえ見た目で嫌がっていたほどだ。私も鰻は苦手だが、私の場合は鰻の脂っこさによる胃もたれと吐き気がして以来、正真正銘の味覚による嫌悪だ。
ともかく来年は、今年よりも日本全体が暮らしくなることを願います。
ちなみに来年の天赦日は4回程度だったかな?
3月10日が来年一番初めだったように記憶する。一粒万倍日と天赦日と寅の日が重なった吉日。時間があれば、また神社参拝したい。
神社参拝は、大晦日や正月三が日以外は、午後3時以降は避けたほうがいいと言われている。正確には日没後は足を踏み込むなってこと。異界との結界で、アチラとコチラが繋がりやすくなってしまうそうな。
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