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第一章 最凶令嬢
アメジスト 日に晒さればシトリンになる
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1.誤作動・運命の歯車
①
……頭脳明晰な脳筋ほど、厄介な人物はいない。
神よ、どうして彼の者をこの世界へ招き入れたのでしょうか?
「ほんと、貴族って大変だなぁ」
教室の窓からフェイは、学園内で繰り広げられる、婚約者探しに奔走する生徒たちを眺めて呟いた。
そう言っているフェイも、トアール男爵令嬢だが、既に彼女は7歳のときに婚約済だ。
相手は貴族令息ではなく、領地内の大牧場の次男。元々はフェイの乳兄弟である。貴族令嬢が一般人と結婚というのも、下位貴族からすると金銭的問題もあって、珍しいことではない。
だがフェイの場合、父の親友である第3王子夫妻から婚約に関する厄介なちょっかいを出されたため、いち早く乳兄弟との婚約を決めた。それに際してフェイに不満はない。「体裁ばかり気にして、中身が空っぽか腹黒の貴族なんてやってられるか」かが本音だったし、乳兄弟のホース・ハーベストとは恋愛感情は全くないが、気の合う乳兄弟なら夫婦になるのも妥協できる。なにしろホースはフェイの言いなりだから、仮面夫婦を命じても了承するだろう。そして別のかわい子ちゃんと、せいぜい浮気を楽しでくれればいいと思っている。それくらい、フェイは貴族との結婚を疎んじていた。ましてや父の親友の息子、つまり次期公爵との結婚なんて論外中の論外。
(あのクソ公爵、毎週、軍幹部やら息子の嫁にとの勧誘の手紙を送ってくるのもウザいんだよね。一度絞めにいくかな)
いまのところ、フェイを貴族夫人にしようと目論む家はジャスティス公爵家のみ。だが息子達には幼少時にトラウマを植え付けていたので、恐らく早々に恋人を、なりふり構わず見つけて結婚するだろう。是非、そうしてほしい。必ずしてくれ。互いに地獄の人生は送りたくないはずと、念を送る。
そんなわけで王立オパール貴族学園に通う理由もなかったし、家族もフェイが問題を起こすに決まってると断言し、当初は行かせるつもりなどなかった。
しかしフェイの双子の妹ルクレツィアは、絶世の美少女と幼女の頃から大評判で、学園に入学したら周囲が必ず問題を起こし、ルクレツィアが被害を被るのは、火を見るよりも明らか。
そこで家族は悩み悩んで熟考を重ねた末、問題児フェイをルクレツィアに同行させることにしたわけだ。両親からすると、「あの死神令嬢が守るルクレツィアに手を出すツワモノはいるまい」と、まるでフェイは狂犬扱いだ。
しかし付け加えておく。両親も兄たちもフェイを心から可愛がっている。むしろ「お姉様大好き!結婚するならお姉様がいい!」と憚らないルクレツィアの行く末を危惧しているぐらいだった。
カラスが数羽飛んでいた。だが3階校舎の窓から外を眺めていたフェイと目が合うなり、カラスたちは次々と落下した。落ちたカラスはすぐに起き上がり、カタカタ震えながら、フェイに頭を下げる。
「相変わらず、失礼ね!」
フェイは教室の窓をピシャリと閉めて、窓辺から離れた。
②
トアール男爵家は代々の貴族ではなく、大商人家系の曽祖父の功労により叙爵された成金貴族だ。
フェイが暮らすミケール王国の貴族は、大別すると4回の婚約者探しがある。
① 生まれながらの婚約。これは直系王族や高位貴族の嫡子に多い。恋愛よりまず、家系を守るための家同士の契約。
② 貴族学園入学までの12歳までに婚約者を見つける。高位貴族、下位貴族ともども、伝手を頼りに茶会やピクニックなどといった催し物で子供たち同士、相性の良い者と婚約させる。もちろん身分の釣り合いは不可欠で、高位貴族は辺境伯家以上、中位貴族の伯爵家、下位貴族の子爵家男爵家と、同レベルの家柄の者同士のコミュニティで子供たちの婚約を見定める。家族としては、この頃に子供の婚約者を決めてしまいところだ。
③ 王立オパール貴族学園。13歳から16歳まで通う全寮制の貴族専門の学校。ここで婚約者をGETしなければ、先は絶望的である。
なにしろミケール王国の貴族子女の成人、すなわち社交界デビューは学園を卒業して間もなくの16歳の秋。せっかくの社交界で独り身は肩身が狭いゆえ、皆、学園で血眼になって婚約者を探す。この頃になると成りふり構っては居られない緊迫感がある。
④ 貴族子女が最も恐れる社交界デビュー後の結婚相手探し。この頃にはロクな相手は居らず、うんと年上か、死別あるいは不名誉な形での離婚をした者、もしくは性格や容姿に難ありの者たちとなる。
傍観者のフェイは、そこかしこで恋の鞘当が行われているのを、他人事のように眺めていた。フェイがこの学園に在籍する理由はただ1つ、姉の使命として、双子の妹の婚約者は吟味、時には相手を牽制(半殺しまでなら可)するよう、父から厳命されているからだ。
家族に言われずとも、可愛い妹の未来の夫選びにフェイは妥協するつもりはない。厳しい目で常にルクレツィアに近づく貴族子息を観察していた。面倒な未来はごめん被る。
フェイは双子で生まれた。母親から受け継いだハニーブロンド、ライトアメジスト瞳は同じである。しかしフェイが父親似の平均的な顔立ちに対して、二卵性双生児の妹ルクレツィアはフェイと違い、美女の誉れ高き母親の更に上を行く、とんでもない美少女だ。
なぜこれほどの美少女が学園入学前に婚約が決まらなかったかと言えば、あまりに美しすぎるルクレツィアを巡って王族を含む、高位、中位、下位の貴族令息がこぞってルクレツィアに求婚し、決闘騒動まで発展したことが多々あったからである。
そこで国王が「ルクレツィア・トアール男爵令嬢の婚約者は、貴族学園に入学してから決めるように」と、ついにお達しが出てしまった。
国王の采配に、フェイは舌打ちせずにはいられなかった。王国オパール貴族学園入学までに、ルクレツィアには婚約してもらわないと面倒なことになるのを、フェイは知っていたからだ。
(くそっ!運命回避のために、ルクレツィアには早々に婚約者をあてがい、貴族学園入学だけは避けたかったものを)
フェイは悪態を付きつつ、心の中で国王を呪った。
「貴様(自国の王様)のせいで、私も家族もお先真っ暗ルート爆進中なんだよ!」
フェイの恨みのこもった怨嗟が通じたのか、国王がルクレツィアの婚約采配直後から半月間、原因不明の高熱にうなされて、王太子が国王代行として奔走して疲労困憊したのは言うまでもない。
③
うるさい親元を離れた思春期のクソガキなんて、手のつけられない狼か熊といった野生動物のようなものだ。
幸い、貴族学園の階級制度によって下級貴族の子弟はわりかし大人しいが、たちが悪いのは、親の権威を笠にきる高位貴族の子息どもだ。
王族や高位貴族は、嫡男やスペアとなる次男は、生まれたときに婚約者が定められる。だが三男以下は身分が保障されない代わりに恋愛は自由で、要はそれなりに釣り合った相手と婚約すれば良いだけの話だ。しかしすぐに婚約をきめてしまっては、成人後の自由時間のない束縛された貴族社会に縛られる。
そのため真面目な王族や高位貴族子弟は別として、クソガキどもは学園入学して自由と悪戯を謳歌するのが慣例化していた。
この馬鹿げた連中のおかげで、これからフェイはとんでもない窮地に立たされることになる。
王立オパール貴族学園には、普通科と魔術科と騎士養成科がある。下級貴族の大半は、功績による叙爵で一般市民と変わらず、使える魔法はランプに火を灯す程度の生活魔法。
しかし中級の伯爵家で3分の1、高位貴族や王族は大半がそれなりの魔力を持っている。魔力が発現すると、それぞれの家で制御方法や簡単な魔術を、私的に雇った魔術師講師から教わる。だが在野の魔術師が教えられる程度の魔術はたかが知れている。そんなわけで、魔術師団へ入団する程の魔力でなくても、魔力量がそれなりにある中級貴族以上の子弟は、コントロール法を叩き込まれる為に、選択の余地なく魔術科に配属された。
魔術科の生徒はエリートという構図が、学園内では必然的に出来上がっていた。
「あーかったるい。乗馬の授業なんて」
フェイはボヤく。乗馬は得意だ。トアール領内ばかりか、周辺の競馬でもフェイは優勝常連。なにしろ婚約者は馬牧場の次男。ハーベスト馬牧場は、お貴族様用の見目麗しい乗馬用の馬と、荷馬車を引くための大型で足の太い馬を、広大な牧場で半々に飼育していた。
だが貴族学園の授業となると、ドレス風の制服を着た生徒は、淑女用の横乗り鞍に乗らねばならない。フェイはこの乗り方の非効率性を乗馬教師に延々と語ったが、「貴族令嬢の常識です」に押し切られた。
ちなみにフェイは、初めての乗馬授業の際、男子生徒用の鞍にドレス風制服でまたがり、気の合う下位貴族の男子生徒(彼らはフェイを悪友認定し、女生徒として全く見ていない)と、競技場を駆け回る疑似競馬をして、教師から叱られた上に反省文を書かされたことがある。
「そうよねぇ。誰が女子は横乗りなんて発明したのでしょう?」
ルクレツィアも同意する。彼女もフェイには到底及ばないが、乗馬は得意だ。
トアール男爵一家は領内および王都でも手広く商売をやっている。荷物があるときや社交へ出向く時は馬車を使うが、普段は騎馬の方が小回りもきいて効率的だからだ。それに馬車は、車酔いを起こす。乗り物酔い皆無のトアール男爵とフェイ以外の家族は、馬車に乗る時は大量の酔い止めと桶を積み込み、2日前から食事も消化が良くて腹六分目に抑える念の入れようだった。
「……あんたら、一応貴族令嬢だってのを忘れなさんな」
数少ない同性友人の1人、マルグリット・サラベス子爵令嬢は言った。爵位は男爵家より上だが、大らかな南部辺境地方育ちのマルグリットの口調の方こそ矯正が必要だと、周囲は思っている。
「そういうマルグリットだって、本当は横鞍の騎乗には反対でしょ?」
「んだなぁ。そもそもドレスなんぞ来て馬に乗るなんて馬鹿げた風習が変だわな。ドレスは馬車、乗馬服は馬と厳格に分けるべきだべねぇ」
マルグリットも、制服ドレスで馬に乗らねばならない意味が理解できなかった。
恋人同士、あるいは夫婦で遠乗りするなら、足の太い丈夫な馬にペアで騎乗した方がロマンティックだし、令嬢あるいはご婦人の安全性も上がる。
そうして乗馬授業が行われる騎馬訓練所へ出向く際、移動中の生徒たちは季節の花が咲き乱れる庭園を抜けて行くのだが、その際に方々から悲鳴が上がった。何事かと思う間もなく、悲鳴を上げる理由とフェイたちは対峙する羽目になる。
評判の美少女ルクレツィアを射止めるべく、白馬の王子様になろうとした、魔術科の馬鹿な高位貴族子弟連中がいた。今日がルクレツィアたちのクラスが乗馬授業なのは調べ済みだ。
この馬鹿貴族子弟どもは、魔術鍛錬実習のために学園で厳重な監視化のもとで飼っていた幻獣コボルトの檻を、こともあろうに皆で力を合わせて魔術を使い、檻の鍵を壊して開けたのだ。
普段、最高学年が魔術実習で生徒数人でグループを作り、コボルト一匹と戦う。ところが己の実力を分かっておらず慢心した馬鹿貴族子弟どもは、放たれた5匹のコボルトに興奮剤まで与える馬鹿の極みの念に入れようで、5匹全てを放ったのだ。
しかも確実にルクレツィアに向かわせるよう、くすねたルクレツィアの匂いのついた櫛をコボルトに嗅がせた念の入れよう。
だが彼らは知らないうちに重大なミスを犯していた。鞄から抜き出したそれは、ルクレツィアがうっかり櫛を無くしてしまったため、外出許可の出る週末に新たな携帯用の櫛を購入するまで、フェイから借りたものだった。
フェイはお洒落に時間をかける生産性を見出せず、朝に髪を束ねて1日を過ごすため、妹に貸していたのだ。乱れれば手ぐしで直せばいいという、なんとも貴族令嬢らしくない発想で。だがこれでも妥協している方だ。洗髪か面倒だからショートにしようとしたときには、周囲が総出で引き留めた。貴族令嬢及び貴族婦人は、艷やかな長髪が常識とされている。成人したら髪を結い上げるためだ。
しかしトアール男爵家の発想は違う。フェイがショートカットで男子のようになったら、ルクレツィアがますますフェイに倒錯的執着するのが目に見えていたからだ。ショートカットを唯一反対しなかったルクレツィアは、早々に兄達のお下がりをフェイに着せようと、早速、兄達の部屋のクローゼットを物色し始めていたほどだった。
ルクレツィアは何度かフェイの櫛を使っていたが、櫛にはフェイの匂いが強く染み込んでいる。
ルクレツィアに向かうと思っていたコボルトがフェイに突進していったのに慌てだす高位貴族子弟。彼らは魔力はあっても、コボルトを倒す、ましてや5匹を一度に制圧する攻撃魔法をまだ習得してなかった。そんなんでよく白馬の王子様になろうなどと、安直な考えをしたものだ。
フェイに襲いかかるコボルトに、周囲の生徒は悲鳴を上げてフェイの近くから逃げ出す。フェイはルクレツィアとマルグリットをライラックの生垣の中へ、咄嗟に突っ込む。だが自らはその場に留まった。
フェイは臆することなく、タコだらけの貴族令嬢らしからぬ拳を握りしめる。ちなみに学園御用達のブーツのつま先には、秘密裏に鉄板を入れる加工を馴染みの靴屋にさせていた。
フェイの幼い頃の夢は女子プロレスラー、しかも悪役レスラーになって、反則技をビシバシ使うのを夢見ていた。しかし運動神経は抜群でも、親戚の迷惑クソジジイの介入のせいで、夢見る未来は捻じ曲げられ、泣く泣く諦めた経緯がある。
高位貴族の中にも、ノブレスオブリージュの精神を持ち合わせた者もいる。その筆頭が、フェイが一番エンカウントしたくない、妹に近寄らせるなど以ての外の第2王子エーリク・ディアを筆頭する、王子の取り巻き高位貴族子弟だった。彼らは逃げ惑う生徒から逆流するようにフェイの元へ向かったが、思うように進めない。
そうこうしているうちに、フェイは先ずリーダー格のコボルトの鼻を殴ってすぐさま腹を蹴り上げる。他のコボルトたちが逆上して一斉にフェイに襲いかかってきたが、フェイは魔法なんて使わずとも、拳と蹴りでコボルトをボコボコに倒してしまった。
「ふん、他愛もない」
フェイは泡を吹いて倒れるコボルトたちを、冷ややかに見下ろす。
貴族令嬢に武術は必要ない。しかし立場的に護身術は、授業カリキュラムにも取り入れらていた。貴族は常に護衛をつけるが、護衛が倒された場合、援軍が来るまで生き残らねばならないからだ。だがフェイの格闘技術は、護身術をはるかに超えていた。
フェイが父からルクレツィア護衛に指名されたのは、彼女の魔力が貴族の魔力持ちと比較すると弱くても、魔力に頼る必要がないほど、めっぽう強かったからだ。侍女や従者は学園寮に下位貴族でも数名なら付けられるが、学園内は高位貴族の子女でも側仕えの立ち入りは禁止。例外は王子の護衛騎士ぐらいなものだった。
「コボルト5匹を……」
「令嬢ただ一人で……」
「さすが最凶令嬢……」
「いや、死神令嬢だろ。コボルトに向ける冷ややかな視線。俺、女だったら惚れてしまうかも」
生徒たちが口々にフェイの華麗なコボルト退治ぶりに称賛する。
遅れて援軍に駆けつけた者たちは呆然とする。見た目は地味で何の取り得もなさそうなフェイが、コボルト相手に華麗に戦う姿に、高位貴族達は目を疑った。
特に第2王子エーリク・ディアは、フェイのコボルト倒し後にも関わらず、何事もなかったかのような涼し気な顔に、ハートを撃ち抜かれた。
「君……名前は?」
エーリク第2王子がフェイに尋ねた時、周囲の女生徒から嫉妬の声が上がる。だが彼女らはすぐさま戸惑った。
第2王子を、フェイは二つ名の1つ『最凶令嬢』の顔で、露骨に凶悪化した顔を第2王子に向けたからだ。
「名乗るほどの者でもございません。それより第2王子殿下とお見受けしますが、教師にさっさとこの馬鹿犬だちを回収して厳重な檻に入れるようするべきでは。まあ、顔面と肋骨数本入っているでしょうから、暫く動けないでしょうけれど」
フェイは淡々と、まるでコボルト脱走の原因が第2王子であるかのごとく、苛立ちさえ込めた顔で睨みつける。周囲は、そんなフェイを怪訝な顔で見つめていた。
第2王子のエーリク・ディアは、金髪碧眼で長身美形、文武両道の、まさに絵に描いたような王子様。貴族令嬢は身分問わずに、正妃たる王子妃は無理でも側妃ならと、虎視眈々と狙って、第2王子との接触の機会を仕立て上げようと奮闘していた。
それをフェイは顔面で「ウゼイ」と、誰がどう見ても、第2王子にまるで恨みでもあるのかと思うような顔をしているのだから、周囲が首を傾げるのも当然だった。
「えっと……」
第2王子が何か言葉を発しようとするのを無視して、フェイは歩き出す。向かった先は、コボルトを解き放った馬鹿高位貴族子弟のもとだ。「ヒィッ!」と声を上げる馬鹿連中は、シドロモドロに言い訳しようとするが、問答無用にフェイは、そいつらを間髪置かずに次々と殴り倒した。
「ウチのルクレツィアにけしかけようとしたな、このクソガキどもが!魔術の基礎しか知らない、ケツに卵の殻をつけた馬鹿風情が、コボルトなんて倒せるわけないだろうが!脳みそかち割って、中身が入ってるか確認したいなぁ」
フェイはバキッと指を鳴らすと、地面に転がって鼻血を出している馬鹿高位貴族子弟どもを平等に蹴り上げた。更に拳をもう一発ずつ振り上げようとしたところで、駆けつけた教師たち全員によって、フェイは止められた。
「別にそんな、負け戦で死地に向かう兵士のような悲壮な顔をなさらなくても、殺しはしませんよ。ウチの父からも『妹に何かしたヤツには、殺さぬ程度の鉄拳で躾しておけ』と言われてるので」
抵抗されなくてホッとしながらも、教師たちは「その教えを指導したトアール男爵、アンタに人の心は無いのか!」と心の中で叫ばずにはいられなかった。貴族学園の教師たちの採用試験規定では、中級程度の魔力を持つことが求められている。従って『最凶令嬢』もしくは『死神令嬢』なんて、フェイを魔術で止めれば良いと当初は高を括っていた。
だがフェイは魔術に耐性のある体質で、教師ごときの魔力では全く効果がないのだ。それをフェイを初めてルクレツィア関連で暴れた際、止めようとした際に分かった教師たちの慌てふためきよう。そう、教師達がフェイを止めようとしたのは、これが初めてではない。
(国王陛下、どうしてルクレツィア・トアール男爵令嬢の婚約を学園入学前に決めなかったのですか!)
ルクレツィアに言い寄る男子生徒に鉄拳を振るうフェイに、下手すると1日数件も立ち向かわねばならない教師たちは皆、同じことを思わずにはいられなかった。唯一の救いは、フェイはそれなりの良識を持ち合わせており、自分や実妹のルクレツィア、ついでに友人のマルグリット・サラベスに敵意を向けねば、大人しく普通の生徒をしているということだ。
「で、ウチのルクレツィアにコボルトを仕掛けたバカどもには、相応の制裁がくだされるんでしょうね?」
フェイが静かに教師達に尋ねると、彼らは一斉にコクコク頷いた。顔の骨が折れて気絶する血溜まりの馬鹿な生徒たちは担架で保健室に運ばれた。そして治癒魔術師の保健医によって顔や全身の怪我が治された後、彼らは全員、退学処分となる。これは教師達がフェイに屈したわけではなく、学園長の英断だった。当然だ、一歩間違えばルクレツィアだけでなく、その場にいた生徒たちだって大怪我あるいは死んでいたかもしれないのだから。
そういうわけで、フェイにお咎めはなかった。ちなみに今回の事件の一番の被害者であるコボルトたちは、第2王子や高位貴族達が呼びに行くまでもなく、駆けつけた魔獣飼育員によって、戸板に乗せられて運ばれた。凶悪なコボルト達は、立ち上がることすら出来ず、血だまりの中で情けなく「キューン、キューン」と鳴いていた。だがフェイの冷ややかな視線に気づくと、一斉に仰向けになって服従をアピールした。
④
「なんと素敵な女性なんだ。あの乱闘の無駄のない美しさときたら!何としても、彼女に交際を申し込むぞ!」
何がどうなるか、賽の目が振られない限り分からない。本来、第2王子を手玉に取るはずのルクレツィアではなく、一般人に埋没しそうな平凡顔のフェイに第2王子は恋をした。
当然ながら、取り巻き高位貴族子弟は、第2王子の頭を疑った。
「特出した人って、実は変人なのですね」、「女人に興味を示さない王族が極稀に存在していて、殿下もそうなのではと疑っていたが」、「だからって、死神令嬢はないでしょ。もう少しマイルドな変人に恋してもらえませんかねぇ?」、口々に周囲がエーリク・ディア第2王子の女性趣向を憂いたのは言うまでもない。
ちなみにバグは、ルクレツィアにも起きていた。フェイの危機に、何もできずとも駆けつけようと、心優しく成長したルクレツィアは、姉の危機に我を忘れて生垣から飛び出した拍子に転倒、危うく逃げ惑う生徒たちに踏まれるところだった。だが危機迫るフェイを身を挺して守ったのが、生真面目だが鬼瓦のような顔をした、ゴリラのような巨漢のマッチョなヨーデル伯爵嫡男だった。
ルクレツィアは、第2王子のような優男よりも、フェイのように容赦手加減の一片もない非情な強さと、加えてフェイの影響でプロレス大好きに。てなわけで、いつの間にかルクレツィアの理想の男性像は、筋肉マッチョになっていた。
ルクレツィアは助けてくれたボラリス・ヨーデル伯爵嫡男は互いに一目惚れして、その後は2人はラブラブとなった。
ルクレツィアに恋するうるさい外野さえ黙らせれば、婚約も秒読み段階といったところか。
2.運命の蛇行
①
フェイの前世で、一部熱烈なファンがついていたアニメ『闇の末路』。深夜放送とはいえ、放送コードギリギリのお色気シーンと残虐シーンを盛り込んだ、テンプレな悪役令嬢一族没落ストーリーである。
ラストは、悪女ルクレツィアの死よりも更に過酷な、美貌が命の顔の両頬と額に焼印を押され、自慢の金髪は丸刈りにされ、家族共々、平民として国で一番厳しい北の土地へ送られて過酷な生涯を過ごすことになる。
「ここで妙なのが、私フェイがストーリーにはいなかったのよねぇ。それと帝国はともかく、財政豊かなポチオローレ王国なんて、こんな国あったっけ?どこかで聞いた国だけど、少なくとも『闇の末路』には出てこなかったはず」
フェイは首を傾げた。フェイは3歳の誕生日で前世を思い出し、ストーリーと転生先に齟齬あるのを見出した。だがバグがいつ発動するのか分からない。それでもポチオローレ王国に、何らかの鍵があるのではと推測、これまでも今も、ポチオローレ王国に関して調べてみたが、一向に謎は解決されなかった。
だがフェイの立証実験、つまり「悪は環境から生じるのか、持って生まれた先天的なものか?」は、いまのところ「環境」に軍配が上がっている。
前世で妹を猛烈に可愛がっていたフェイは、今世でも妹を虜にするなどチョロかった。
一方でルクレツィアが悪に傾こうとしたときのストッパーとなるべく、拳と蹴りで性格矯正できるよう、身体鍛錬に勤しんだ。ここで高位貴族や王族のようにマトモな攻撃魔法が使えたら、もっと効率が良かったのだが、無い物ねだりは仕方がない。フェイは前世の運動神経も抜群だったが、物語終盤の流刑地送りの過酷平民ルート回避のために頑張った結果、学園入学時には軍騎士幹部クラスの運動神経と武術を獲得していた。
そしてルクレツィアも、予想以上にフェイを慕うようになり、「結婚するならお姉様がいい!」と言うまでになるほどシスコンと化した。悪役令嬢の影などこれっぽっちもない。むしろ貴族令嬢として「?」と思われるような、フェイの影響受けまくりの、外見は極上だが、中身が残念な令嬢となってしまった。
さすがにこれはマズイと、両親と兄夫婦たちは、最低限の教養を教えてルクレツィアには何とか及第点の貴族令嬢教養を身につけさせることが出来た。だがフェイは手遅れだった、正確にはフェイを矯正するなど、最初から不可能だったのだ。
いっそこのまま王立騎士団に入隊させた方が外聞が良いのではと、兄夫婦たちは深刻な顔で両親に進言したが、「馬鹿者!あのフェイが大人しく軍の規律に従うわけなかろうが!騎士団を崩壊させるつもりか!」と逆に父から嗜められて納得した。
以前も言った通り、フェイの前世の趣味は、サッカーとプロレス観戦。それを娯楽の少ない領土に広げた結果、僅か数年でミケール王国の国技にまでなってしまった。
ルクレツィアが筋肉フェチになったのも、プロレスラーの肉体美もさることながら、血と汗と派手な技が繰り広げられる、リングと言う名の狭い空間で繰り広げられる格闘美。
フェイはルクレツィアが夢中になれるものが出来て満足しつつも、「あれ、貴族令嬢としては趣味ヤバくね?」と一抹の不安を抱えることとなった。
②
フェイは改めて、『王子様』という人種にアレルギーがあるのを自覚した。
フェイは転生者だ。前世に一応成り行きで恋人はいたが、見た目は爽やかで中身は腹黒な彼氏に根負けして付き合う羽目になった経緯がある。プロレスラーやサッカー選手は推しではなく、あくまでも白熱した対戦が好きで、好みの男性の枠には入らない。そもそもフェイは理想の男性像が、前世も今世も分からない。恋愛談議は昔も今も、フェイがもっとも苦手とする分野だ。
そしてこのエーリク・ディア第2王子はあらゆる分野に置いて優秀と評判だった。だが目的のためなら何でもするという、常識の欠如は否めない。
③
ある夜更け、双子の寮部屋に第2王子が夜這いに来た。
この国の悪慣習の1つに、夜這いで成立したカップルは、たとえ被害者が泣いて嫌がり拒絶しても、結婚を強いられることだ。第2王子の場合は立場的に、トアール男爵令嬢とは身分格差が大きいため正妃にするには難しいものの、荒業でも泣き落としでも駆使して父王を説得し、夜這いが成功したら絶対にフェイ以外の正妃を持たないと決意していた。第2王子がいくら優秀でも武闘でフェイに勝てるわけがないが、第2王子は高難易度の魔術を扱える。魔術でフェイの自由を奪ってしまえばと、王族らしからぬ卑劣な考えが浮かぶなり、即実行に移した。
……彼は失念していた。魔術耐性のあるフェイに、殆どの魔術は通用しないことを。そしてフェイの喧嘩スキルはこの国でもトップクラスだと言う事も。
ちょうどこのとき、リビンクでルクレツィアは恋愛小説を夢中で読んでいた。その近くでフェイは、入浴後のため、汗をかかない程度の鍛錬をしていた。
そこへ窓からいきなり第2王子が侵入してきたのである。ルクレツィアは上等なナイトドレスにガウンを羽織った格好。フェイは前世のTシャツ短パンを、父の経営する洋裁店で特注し、作らせたものを身に着けていた。どちらにせよ、家族でもない人間に見せて良い姿ではない。
「ああ、フェイ嬢ーー」
第2王子がバラの花束を手に愛の囁きを詩にして口ずさもうとしたとき、フェイは試作中のボクシンググローブで、第2王子の顔を思いっきりぶん殴った。たまたまフェイの寝入りばなの鍛錬がシャドーボクシングだったのは、第2王子には幸運だったかもしれない。フェイの素手だったら、確実に鼻の骨が折れていただろうから。それでも顔面クリーンヒットしたパンチで、第2王子の顔から鼻血が噴き出している。フェイは構わずボクシンググローブを放り投げると、テーブルクロスを引っ張って切り裂き、第2王子王子の口と手脚をそれぞれ拘束した。鼻血には何の処置もしていない。慌てるトアール男爵家使用人に、「この程度なら、じきに鼻血止まるから処置する必要もないわよ。全く、絨毯も取り換えなきゃならないし、忌々しいから窓から放り出してやろうか」と、非情な発言。ちなみ双子の寮部屋は4階だ。
ルクレツィアは第2王子突然の登場の恐怖で失神していたため、フェイは同じ背格好の実妹を軽々と姫抱きにすると、ベッドへ連れて行く。その際、使用人に「直ちに寮監を呼ぶように」と命じて、一旦、リビンクから寝室へと移動した。
フェイがリビンクに戻ってくるのと同時に、血相変えた寮監が駆け込んできた。寮監は第2王子の状況に悲鳴を上げる。
なにしろ縛られ倒れたままの第2王子の顔周りは深紅のバラの花びらが鼻血溜まりに浮かび、薄手のトラウザーズは股間が濡れている。だが何が恐ろしいかって、こんな状態でも第2王子は恍惚とした顔をしていたのだ。股間の染みも、臭いからして失禁とは別物のようだ。
「キモっ!コイツ、真性のマゾかよ」
フェイは心底嫌そうに顔を歪め、汚物を見るかのように第2王子を見下した。蹴ってやりたい衝動にも駆られたが、余計に喜びそうなので我慢する。
寮監は直ちに第2王子の特別寮に遣いを出し、第2王子を回収してもらった。寮監や第2王子の護衛達は、フェイに「このことは他言無用で。代わりに貴女の所業、正当防衛とはいえ王族を殴ったことは秘密にしますので」と高飛車な物言いをした。被害者たる自分たちがこんな目に遭って、フェイが黙っているはずがない。
「なら誠意も見せてくださらないかしら。妹は恐怖で失神し、絨毯は汚れて使い物にならず、異国から輸入した貴重な花瓶や、愛用のティーセットはテーブルクロスを引き抜いた際に床に落ちて割れてしまったわ。これらを物品ではなく、お金で返してください。妹にトラウマを植え付けた調度品を、強姦未遂の高貴なナニガシ様から物品で賠償されても気持ち悪いので、ゴミにしかならないですなら」
フェイは指をバキバキ鳴らしながら、寮監や第2王子の使用人たちに迫る。コボルト5匹を素手で倒した凶悪令嬢の気迫に、第2王子の使用人と寮監は態度を一変させ、コクコク頷いた。
……後日、トアール男爵家名義でフェイは、第2王子の特別寮に請求書を送りつけた。壊れた調度品と使用不可になった絨毯の適正価格を請求したのだが、当日直ぐに支払いをしに来た第2王子の使用人は倍額以上の料金を支払った。
「今回のことは、どうぞ内密に」
口止め用込みのようだ。フェイはそれに同意し、「但し、この一度きりです。今度、馬鹿な真似をしたら半殺し程度は覚悟してください」と平然とした顔で言うと、遣いの使用人はコクコク頷いて下級貴族女子棟を後にした。
第2王子は風邪という届けで、暫く登校しなかった。まあ、早業で3連発フェイはパンチを打ち込んだので、両目のアザが引くまで寮から出られまい。
④
(貴様の相手は妹だろうが!私を巻き込むな!)
フェイ・トアール男爵令嬢は、今日も今日とて、キラキラ第2王子エーリク・ディアから逃げ回る。引きこもっている間に、第2王子の優秀な脳が誤作動がますます激しくなったのか、ますますフェイに恋焦がれるようになってしまったのだ。
魔力トップクラスのキラキラ王子様の魔術拘束は効かないが、フェイには索敵魔術を跳ね除けるまでの実力はない。そもそもそれは対抗、もしくは気配消しの高度技術を要する魔術を使わない限り無理だった。
だがスポーツや正当防衛以外で暴力を振るうのは、フェイの美徳に反する。ましてや、相手は王子だ。下手なことをすれば、一家没落ルートが早まりかねない。
「何がどうして、こうなった!」
第2王子を虜にして、婚約者の公爵令嬢に恥をかかせるのは、二卵性双生児で生まれた超美少女の妹ルクレツィアのはずだった。
本編ストーリーにフェイは存在すらしていない。後年はルクレツィアは王子をたぶらかした罪で悲惨な末路をたどり、男爵家の爵位は剥奪されて没落していく。そんなストーリーを回避すべく、影から運命の書き換えを模索して行動していたが、重要登場人物たる第2王子の誤作動までは想定していなかった。
(この世界へ転生するなら、オタクの親友がするべきじゃないか!アイツは、少女漫画に興味のない私にまで無理矢理、布教してきたんだから!)
フェイは運命のいたずらに、悪態をつかずにはいられなかった。オタクな幼馴染の親友とは、大学も一緒で家が近いこともあり、死ぬ間際まで友情は続いた。ときに正規の漫画だけでなく、見るに耐えない同人誌まで押し付けられるのは閉口したが。
転生者のフェイは前世での学生時代、親戚のクソジジイ介入により、行きたくもなかった私立中高一貫校、国立大学生活を不承不承に送りつつ、レスラーやソフトボール選手は無理だが、インターハイやインターカレッジは努力すれば選手として選ばれると、トレーニングは欠かさなかった。その片手間に、趣味のサバイバルゲームや、害獣駆除を目的とした実弾を使って仕留める狩猟。
抜群の運動神経を維持するためと、理系頭特有の探究心による趣味に没頭しすぎた結果、前世のフェイは心臓麻痺で他界した。
天国に行けるかと思いきや、次に目覚めたのが、このミケール王国。よりによって腐女子親友から感想文提出課題を出された『闇の末路』。トアール男爵の流刑は確定、傾国の悪女ルクレツィアは悲惨な末路をたどるという世界線で、本来存在しないルクレツィアの双子の姉に転生してたわけだ。
そもそも王立オパール貴族学園に通うのは、権勢のない伯爵家以下の中位もしくは下位貴族の令嬢や子息。高位貴族も混じっているが、伴侶探しに苦慮した嫡男、もしくは爵位を得られない子弟が大半。
全寮制の貴族学園に入るのは、令嬢は将来の夫を探すため、貴族子弟は伴侶探しをする以外にも、社交界でパイプを作る使命があった。
嫡子の高位貴族や王族は、自邸で多くの講師から勉学からマナーまで学び、社交はデビュー前は茶会やピクニックのお招きを受ければ積極的に参加。デビュー後は晩餐会や舞踏会に出席して、社交界でうまく立ち回らねばならない。
中位貴族でも弱小に入る家では子供たちの交流の場は少ない。だからこそ、学園は友人、あるいは取引相手を探す絶好の場所だった。
王位継承は第1王子に決まっているが、第2王子も王太子に何かあったときのスペアとして大事に王宮で育てられるはずだった。
なのに下位貴族たちの将来の伴侶探しの貴重な場である全寮制オパール王立貴族学園に入学したのは、興味本位というのも理由にあるが、弟の第3王子のためでもあった。
第3王子は通例として、騎士団長になるべく、王立騎士学園に入学することが決まっていた。しかし第3王子は王族の中でも魔力保有が高く、様々なジャンルの魔術にも長けており、この才能を潰してしまうのは惜しかった。
国の防衛には魔術師団も共に関わるが、畑違いの騎士団入団では勿体ないと、周囲は第3王子の才能を惜しんだ。だが国王へ直々に進言する度胸ある者はいない。そこで第2王子は、国王夫妻に直談判して第3王子を王立魔術学園へ、騎士団長には自分がなると宣言したのだ。
「スペアなら、父上がもう一人王子を作れば解決です。我ら王子達の母親である2人の王妃では、既に老けているから見込みはないが、新たに若い側妃を迎えればいい」
ガハハと笑って第2王子は言う。見た目や表面的には完璧な王子様だが、もともと中身は少々残念な人物だった。
第1王妃と第2王妃は幼馴染で親戚同士だったこともあって、仲もよければ性格も似ている。ちなみに第1王子の王太子と第2王子は第1王妃の子供で、第3王子と第1王女は第2王妃から生まれた。共に2人の王妃は美しく教養もあり、第1王妃が公爵家出身、第2王妃は侯爵令嬢と身分も申し分ない。しいて玉に瑕といえば、共に恐妻といったところか。第1王妃と第2王妃の仲は良好だし、王子も3人居れば充分だ。他の妃を入れるつもりなど、一切ない。
……と言うわけで、軽率な言葉を発した第2王子エーリク・ディアは、2人の王妃から1か月間、ネチネチと嫌味を言われる羽目になる。国王は、家臣や国民から慕われる賢王だが、王妃2人には頭が上がらなかったので、見て見ぬふりをした。
「なら素直に騎士学園へ行けよ」とフェイは第2王子がこの学園に居ることを疎ましく思うが、第2王子いわく、一般的な学園も見ておきたいという理由で、1年間を王立オパール貴族学園で学び、その後は本格的に王立騎士学園で騎士団長候補として鍛錬に励むことになっていた。
フェイは学園の隅々を記憶しているので、逃走ルートに不自由はない。だが逃げ足の速いフェイでも、第2王子の魔力探知と人員を動員しての逃走ルート潰しをされては、学園内という限られた狭い空間(校内は迷うほど広い)では、さすがのフェイも逃げ切れない。不覚にも校舎の済に追い詰められた。
「やっと会えたね、フェイ・トアール男爵令嬢。これは僕の愛の挨拶」
第2王子は、持っていた深紅のバラの花束をフェイに差し出す。第2王子は、よほど深紅のバラが好きらしい。深紅のバラは情熱、熱愛を意味するが、この第2王子が持つと意味が変わるのは気の所為だろうか?
だがその途端、フェイは盛大にクシャミを連発した。そのクシャミときたら、令嬢らしい「クシュン」といった可愛らしいものでなく、平民のオッサンのような「ブェクション!」と豪快な連発クシャミだ。
第2王子の取り巻きたちは、「なんでこんな地味で、令嬢らしくもないガサツな女性に第2王子はメロメロなんだ?」と口には出さないが、誰もが疑問を抱かずにはいられなかった。
「フェイ男爵令嬢、君はバラアレルギーだったっけ?」
第2王子は麗しい顔を傾げる。以前、バラの花を強引に贈った時にはクシャミなど出ていなかったからだ。
(バラじゃなくて、あんたアレルギーなんだよ!なんでモブですらない、漫画に存在すらしなかったキャラに執着するんだ!)
とは言え、王族に面と向かって文句言うわけにもいかない。そして幸か不幸か、いまフェイはクシャミ連発で話せる状況ではない。
(誰か、この面倒王子を遠ざけて!)
フェイが願うと、そこへ取り巻きを連れたファーブル伯爵令嬢がやってきた。彼女は没落しかけの伯爵令嬢ではなく、むしろこの国で権勢の強い伯爵家の嫡出子だ。
わざわざ学園の不自由な寮生活を選んだのは、一重に第2王子として接触して気に入られ、ゆくゆくは妃になるのが目的だった。手段を選ばない強欲さは、いっそ清々しい。
付け加えると、こうした権威ある令嬢や高位令嬢の学生は、今年に限って数が多い。皆、美貌の第2王子目当てだ。年の離れた王太子は既に王太子妃との子供をもうけ、しかも王太子妃は実母同様恐妻だった。それでも愛がああるから幸せで、他人が入り込む隙はない。なにしろ王太子夫妻には王子が5人、王女が3人もいて、第2妃や側妃なんぞ迎える意味がなかったからだ。
「まあ、素敵なバラ!それ、私への贈り物ですよね、そうですわよね!」
何気にフェイを突き飛ばして第2王子の前に出たファーブル伯爵令嬢は、瞳を煌めかせてバラの花束を第2王子から強引に奪い取る。
突き飛ばされたフェイは体幹がしっかりしているので、多少よろめく程度で転んだりはしない。それどころか好機とばかりに、脱兎のごとく逃げ出した。
執着第2王子からの逃げ場は、女子寮か教室。フェイと第2王子エーリク・ディア王子とは専攻も校舎も違うため、昼間は移動教室とトイレ以外は極力、教室に籠もっていた。この学園では専攻が違う生徒が他の専攻校舎の教室へ出向くには教師の許可が必要なのだ。
教室の自分机に座ったフェイは、机に肘をついて両手を組みながら、いつもの恨み言を呟く。
「なんで私が。婚約者がいるって、耳にタコが出来るほど言い聞かせてるのに、頭おかしいんじゃないか、あの変態馬鹿め!」
……加えて言う。第2王子は、才色兼備、文武両道、外面最上級で有名だ。
③
話は変わるが、フェイの今世の家族は、両親や妹ルクレツィアの他に、長男次男三男がいる。父親は多岐にわたって事業に携わっており、長男次男三男も各部署で父親の後継となるべく修行していた。
両親と兄たちは「フェイは女の子だから」と、事業に関わらせず、いずれは婚約者の馬牧場で、普通と違う才能を発揮すればいいと考えていた。
しかし父は、5人の子供たちの中で一番フェイに商才があることに気づいてしまった。
そこでトアール男爵はフェイに「ルクレツィアの婚約が正式に受理されたら、国立サンライズ学園へ転校しても構わない。首席卒業できたら、資金援助もしてやる」と約束した。
フェイには夢があった。馬牧場は嫌ではないが、理系女子の探究心がムクムク。前世は強いられた獣医学部だが、今世は医学部か理工学部に所属したい。それに学友を通じて、次は野球やボクシングの普及をしたい。プロレスとサッカーの成功例から、ゆくゆくはワールドカップやオリンピックを開くことも視野に入れていた。
父親がぶら下げた人参に、フェイは大喜びで猛勉強の末、王立オパール貴族学園入学前には既に、庶民のエリートたちが通う国立サンライズ学園の入学試験に合格しており、ルクレツィアの婚約が正式に決まれば、いつでも転校できる手筈は整っていた。
「ルクレツィアに相思相愛相手ができた。婚約も秒読みに入った。こうなったら、もうこの学園に用はない。ウザい第2王子から逃げるいい時期だ。私は前世で自由奔放に生きた日本人、貴族なんて所詮は性に合わないんだよ。粘り強い大和魂、今ここでみせてやる!」
グフグフと笑うフェイを不気味がり、気品高いクラスメートは遠巻きに見るだけだった。
第2王子のお気に入りであるフェイに取り入りたい気持ちは山々あるが、変人がぶっ飛んでる『最凶令嬢』であり『死神令嬢』でもあるフェイと付き合うのは、マルグリットのような別の意味での変人令嬢以外、普通の貴族令嬢には到底無理だった。
なにしろ貴族令嬢的な話題には全く興味を示さず、生物学やスポーツについて熱く語るフェイの思考回路に、貴族令嬢は誰もついていけなかったのだ。
(それにしても、何がどうしてこうなった。悪役令嬢になるはずだった母親似のルクレツィアの矯正は成功し、伯爵家嫡男との婚約話は順調に進んでいる。性格も悪役令嬢どころか、婚約者と筋肉の美徳を語る脳筋令嬢になって、めでたしめでたしなのに!)
ルクレツィアの恋人はボラリス・ヨーデル伯爵令息だが、この学園にありがちな斜陽貴族ではなく、むしろ侯爵家にも匹敵する権威と財産を持っている。
ここへ入学させられたのも、鍛えることに執念を燃やす脳筋の嫡男に家庭教師では手に余ると両親は判断、全寮制の学園で貴族のマナーと勉強を学ばせるために入学させたのだとか。王都から離れたところに領地があるが、それなりに統治するには良い場所で、街も王都ほどではないが発展しているのだとか。
これほど好条件の伯爵家嫡男なら婚約者がいてもおかしくないし、実際、幼少期に親同士が決めた婚約者がいたらしい。だが長ずるにつれ、貴族らしくない脳筋マッチョに成長した伯爵令息に不安を覚えた婚約者が親に泣きついて、婚約破棄料を支払ってまで別れたのだとか。
ルクレツィアとの結婚への障害は身分違いぐらいだが、愛嬌があって美しく、なにより筋肉を愛するルクレツィアと実際に会った伯爵夫妻は、すぐさまトアール男爵家に婚姻を申し出た。
たぶんルクレツィアを逃したら、嫡子たる脳筋マッチョゴリラに嫁の来てはないと察したからだろう。男爵令嬢に過ぎないルクレツィアにしてみれば、破格の幸運な婚約だ。これは双子の姉として、フェイも喜ばしく思うところだ。しかしーー
フェイは考え込む。バグの原因究明に、もしもここに前世のマンガオタクの親友がいたら、解く鍵になったかもしれない。
「今頃は美咲の奴、なにやってるかな。まあ私のことなんぞ忘れて、マンガだアニメだグッズだ同人誌だと、オタク道を驀進しているに違いない。苦労して入った国立大学なんてサボりまくって、きっと親御さんを泣かせているだろう」
そして成り行きで付き合い始めた恋人のことも連動して思い出す。前世のフェイと同じ専攻だった彼氏は、生真面目な仮面を被った鬼畜だったが、犬や猫を前にすると人格が変わる奴だった。そもそもの馴れ初めも、サークルでの話題がペットになるが否や、それまでの真面目一辺倒の雰囲気が一転、彼氏はメロメロに愛犬のことを弾丸のごとく語りだしたのがきっかけだった。
そう言えばフェイが亡くなる前に、彼氏の愛犬のスイスシェパードが、フェイの愛犬・光司の仔犬を身ごもっていたが、何匹生まれたのだろうか。彼氏のことはどうでもいいが、愛犬・光司の子供には会いたかったなぁと郷愁を抱くフェイだった。
3.フェスティバル最中の災害
①
全寮制の王立オパール貴族学園にも、長期休みなどは帰省できる。そして届け出を出せば、門限までの時間帯なら外出することも出来た。
今回の王都の新緑フェスティバルは、届け出を出さずとも祭りに参加することができ、門限もフィナーレである花火が終わる時刻まで特別に延長された。
フェイは、屋台のフライドポテトとスパイスがたっぷりきいたフライドチキンが目的。そしてオリンピックやワールドカップの夢を現実化するためには、有力者の支援も考えなくてはならない。そのためにも商売を成功させるのがまず第一歩。腹が満たされたら、この世界の売れ筋商品リサーチをするつもりだった。
フェイの国立サンライズ学園への編入は、ちょうど学年が変わるタイミングの秋に決定した。ルクレツィアとヨーデル伯爵嫡男との婚約が夏休み中に取り交わされることが、正式に国王から認められたからだ。全く、貴族は婚約1つするにしても、国の許可が必要だから面倒くさい。
ルクレツィアも、婚約を期に学園を退学することになった。ボラリス・ヨーデル伯爵嫡男の卒業を期に、ルクレツィアは結婚することが決まった。そのための花嫁修業として、実家に帰ることになったのだ。
女子生徒は婚約者が決まると、退学して実家で花嫁修業に専念する。貴族は階級によるマナー、特に階級が上の貴族に対する作法が事細かいのだ。ともかく花嫁修業による自主退学は勝ち組で、居残り女学生たちは影で悔し涙を流すという。フェイからするとどうでもいいことだが。
国立サンライズ学園は寮制ではないので、王都のトアール男爵邸から通学できるのも気楽でいい。
なにより、マゾ第2王子から離れられるのが一番嬉しかった。まあ第2王子も秋から王立騎士学園への編入が決まっていたので、二度と顔を合わさずに済むだろう。
「跳ねっ返りのおまえに、貴族令嬢なんて務まるわけないものなぁ」
豪快に笑う父や兄たちに、正直なところムカつかないわけでもなかったが、堅苦しくて自立するのに何ら役に立たない、王立オパール貴族学園での貴族マナー講義なんて、受けるだけ時間の無駄だった。
双子のルクレツィアは、「転校するくらいなら実家に戻って商売の勉強をした方が良いのでは」とシスコン炸裂させて食い下がったが、マルグリット子爵令嬢も国立サンライズ学園に編入が決まったと聞くなり、「なら仕方ないか」と妥協した。マルグリットは、ルクレツィアにとっても数少ない友人だったからだ。
「私もサンライズ学園に編入するさね。親から、『お前みたいなのは、学者になった方が向いている気がする』と言われたさね」
マルグリット・ベネディクト子爵令嬢も、どうやら親が娘の結婚に匙を投げたようだ。彼女は春に行われた編入試験に合格し、秋からフェイと共に国立サンライズ学園に編入する。専攻は、フェイが医学部なのに対して、マルグリットは薬学部を目指すという。家族は「どうして経済学部じゃないんだ」と、フェイに問い詰めたが、フェイが理詰めで「これからの伸びしろは医学にこそある!」と押し切ったのだ。
もちろん片手間で経済の講座を受けることで家族を納得させたが、前世の記憶を使えば、中世ヨーロッパの産業革命直前のような今世の経済を動かすのは、勝者になれるとフェイは確信していた。
マルグリットとは、これまでのようにクラスで一緒にふざけあうことは少なくなるが、それでも友人が同じ学園に編入するのは、正直なところ嬉しい。それに医学部と薬学部は講義が被ることも多いから、互いに切磋琢磨出来るだろう。
②
ルクレツィアは恋人とフェスティバルデートに出かけ、マルグリットは秋からのサンライズ学園編入が楽しみすぎてフェスティバルどころでなく、在校生に遅れることがないよう、今から専門書に没頭している。
いつもプロレスやサッカーを熱く語る男子生徒たちと一緒なのは周囲から浮かねないので、フェイは専属侍女のモニークと共に出かけた。
フェイの婚約を期に、相談相手となる専属侍女が新たに付けられたのだが、それがモニークだった。フェイとモニークは馬が合い、モニークは専属侍女でなく、将来の起業の相棒になることが内定している。一般商人家庭出身のモニークは、身分柄貴族学園には通えずフェイの侍女に徹していたが、国立サンライズ学園の経済学部の試験に合格したため、フェイはモニークとも一緒に通学できることになった。
友人2人との国立サンライズ学園への編入が、今から秋が楽しみでたまらない。
そんな時、王都の東付近から悲鳴が上がり、どんどんそれが広がってパニックとなっていた。空を見上げると、グリフィンの巨大な群れが東のデスライト山脈から西に向かって飛んでいたのだ。
グリフィンは基本、単体だと大人しい。だが団体で子持ちともなると、人を襲うこともある。
「馬鹿な。天文学省は、グリフィンの移動をあと百年近く後だと統計を出していたはず!」
フェイの言う通り、ミケール王国のグリフィンは東のデスライト山脈の資源が少なくなると、西のロストフォレスト山脈へ移動する。それは天文学省の統計で導き出されることが出来、グリフィンも群れで移動する際には人の多い街ではなく、王国を取り囲む山脈伝いに飛んで移動する。
阿鼻叫喚の光景が繰り広げられるなか、フェイは「あああっ!」とこの世の終わりのような声を上げた。
いくつもの屋台から、一番美味しそうだと目をつけていた露店が、一頭のグリフィンに荒らされていたのだ。店主とその周辺の露店商や客はいち早く逃げて無事だったが、ひっくり返された油が燃え広がり、その中で揚げたてのフライドチキンとポテトをグリフィンが貪り食べている。
「よくも……よくも私が楽しみにしていたスパイスフライドチキンを!」
赤茶色の地味な色合いだが、実は仕立てのいいドレスを巻くしあげ、フェイは燃え盛るフライドチキン露店へ突っ込んでいく。
「お嬢様!」
モニークは追いかけようとするが、周囲の人間から止められた。フェイに立ちはだかって引き留めようとする大人もいたが、伊達に第2王子から逃げ回っていた健脚に追いつける者は居ない。
そしてフェイはフライドチキンを貪り食べているグリフィンのもとへたどり着いた。その表情は、悪鬼そのもの。楽しみにしていたフェスティバルのメインを、このクソグリフィンが台無しにしたのだ。
グリフィンは元来、人間を襲うことはない。知恵の神獣として崇められ、ミケール王国の国旗にさえ意匠に使われているほどだ。しかし気の立ったグリフィンは、所詮は獰猛な獣。
旅の途中の食事の邪魔をしに来たフェイに咆哮をあげる。いまにもフェイに襲いかかろうとするグリフィンに周囲から悲鳴上がり、侍女のモニークは恐怖のあまり失神した。
しかしグリフィンがフェイと目が合った瞬間、グリフィンは怯えた顔をして後ずさりし始めた。燃え盛る火の中で怒り狂うフェイの顔は、確かに貴族令嬢らしくない迫力だ。だがグリフィンの敵になるような騎士でも魔術師でもない。
その場から飛んで逃げ出そうとしたグリフィンに、フェイは飛びかかって背に乗るなり、グリフィンと共に空に舞い上がる。
「この馬鹿珍獣が!」
フェイは振り上げた拳でグリフィンの頭を殴る。ご令嬢の拳なんてグリフィンにしてみれば小石が当たった程度でしかないはずだが、グリフィンは悲鳴に似た声を上げた。
それを聞いた、他の露天料理を荒らしていたグリフィンたちが反応して、フェイのもとへ向かっていく。ちょうどその時、魔術師団と騎士団がペガサスに乗って駆けつけた。彼らはフェイが襲われると思って攻撃しようとしたが、フェイの形相に恐れをなしたグリフィンの一団は一定の距離で羽ばたいて立ち止まり、怯えた顔をしている。
「あんたら、絶対に許さないからね!とりあえず街から離れるわよ!お仕置きはそれから!」
フェイを乗せたグリフィンの頭を彼女は再び殴りつけ、そのグリフィンは悲痛な声を上げながら人家のない平原に向かう。フェイが騎乗するグリフィンを先頭に、他のグリフィンも怯えた表情で付き従って街から立ち去った。
「幻獣の長」
魔術師団を引き連れてきた魔術師団長が呟く。その小さな呟きに、魔術師団は驚愕する。
『幻獣の長』の称号を持つ人間は、このミケール王国でも過去に1人しか出ていない。世界的にも歴史を遡って10人も満たないだろう。
「ともかく、街中の消火が先だ!街が丸焦げにならないうちに、火を消すぞ!」
我に返った魔術師副団長の命令に、魔術師団と騎士団は火消しに奔走する。お陰で街は灰と化さず、最低限の火災で済んだ。
火消しが終わると、魔術師団団長は、騎士団長に城へ戻って天文学省に今回の騒動の発端を占って結果を出すよう命じ、魔術師団はフェイが先導して街から離れたグリフィンの一団を追いかけた。
「で、他国からきたドラゴン夫婦に恐れをなして、西のロストフォレスト山脈へ慌てて移動しようとした言うのが真相なわけね」
平原の真ん中で、両腕を組んで仁王立ちするフェイの周囲には項垂れたグリフィンが取り囲んでいる。天文学省が割り出した移動時期と異なる行動をした理由を、グリフィンのリーダーがオズオスと説明した。
「あっちは2頭、こっちは百頭近いのに、縄張りを荒らされて追い出そうとしなかったわけ?」
「相手は獰猛で知られる5本爪のレッドドラゴンでありますぞ!我々が束になって戦ったところで、全滅するのは目に見えておりまする!」
ドラゴンにもピンからキリまで種類がある。だが位が高いとされる5本爪のドラゴン中でも、最高峰が四龍と呼ばれる白龍、黒龍、赤龍、黄龍なのは揺るぎようがない事実。なかでもレッドドラゴンこと赤龍は、四龍のなかでも1、2を争う獰猛さと強さを秘めている。
「だからって、年に6回しかないフェスティバルを潰した理由にはならないけどね。国の象徴の珍獣らしく、もっと威厳を持ちなさいよ!」
グリフィンたちは顔を見合わせる。年に6回もフェスティバルとやらがあるのなら、ここまで怒り狂う必要もないのではと。しかしフェイの鋭い眼光に、身を縮ませる。
「ともかく、あんたらの根城を取り戻すわよ。リーダー、私を乗せて根城へ戻りなさい」
「御意」
グリフィンのリーダーは、頭を垂れてフェイを乗せる。そしてリーダーを先頭に、グリフィンの群れは東のデスライト山脈へ向かった。
3.はた迷惑な家来はいらん!
①
東のデスライト山脈は、深い樹海に覆われた広大な山脈だ。山脈の登頂は絶対生育地を越えていて、始終深い雪に覆われており、帝国およびポチオローレ王国との国境の役割も果たしている。
竜は暖かい場所を好む。デスライト山脈唯一の休火山には、熱い間欠泉が出る熱湯の温泉湖がある。その湖の真ん中の島に、レッドドラゴン夫婦は寄り添っていた。
グリフィンの群れを見るなりオスのドラゴンが威嚇するが、リーダーの背に乗る少女の姿を見て表情を戸惑わせる。顔色というものがあったなら、蒼白になっていたに違いない。
「あんたらが、ウチのグリフィンたちを追い出した侵入者ね。とっとと元の住処へお帰り!」
フェイはグリフィンのリーダーに乗ったまま命じる。地に降りなかったのは地面が灼熱地獄だったからだ。空中で静止してでも、熱風が熱い。
「……『幻獣の王』とお見受けする。いかにも、私は帝国の守護獣をしていたドラゴン。しかしこれには深い事情があるのです」
ドラゴンは威嚇をやめて、フェイに事情を話し出す。レッドドラゴンの夫婦は帝国の外れにあるボルカーノ活火山で暮らしていた。しかし海の彼方から、レッドドラゴンよりさらに強いブラックドラゴンがやってきて根城を占拠。このブラックドラゴンは年数を重ねた強者、若いレッドドラゴン夫婦は移動を余儀なくされた。
「帝国は、ウチの国土の3倍ぐらいあるじゃない。どっか別の場所に根城を持てなかったわけ?」
「妻は初めての子を身ごもっております。また、他の地では我らよりも下位のドラゴンが各所に居りまする。普段なら奴らから根城を強奪することもできますが、妻を万が一にも危険にさらしたくありません。それにあの国に居たら……ブラックドラゴンに妻を奪われてしまう危険性がありました。奴は海の彼方のドラゴン大陸でリーダー決戦に敗れた手負いのドラゴンで、血だけではなくメスを渇望しておりますがゆえ」
レッドドラゴンは項垂れて事情を語った。
「へえ、ドラゴンって種族ごとに繁殖するんだと思ってた。珍獣の世界も奥が深いのねぇ」
フェイが感心すると、「我々は珍獣ではなぬ幻獣だ!」とグリフィンの群れやレッドドラゴンが心の中で叫ぶが、フェイに面と向かって文句は言えなかった。『幻獣の王』に大して、いかなる幻獣も歯向かうことは出来ず、命じられたら従うしかない。
「でもウチの王国は一応グリフィンを奉っているから、ドラゴンが居ると帝国といらぬせめぎ合いになっちゃうのよね。どうにかならない?」
「では『幻獣の王』よ、ブラックドラゴンをぜひ貴女様が説得して、別の国へ去るよう命じてください」
「なんで私が!」
フェイは憤る。それもそのはず、『幻獣の王』なんて初耳だったし、何が楽しくて凶悪なドラゴンを説得しなければならないのだ。
「でなければ、妻のためにも我々はここを立ち退きませぬ。たとえ『幻獣の王』、貴女様の命令でも」
レッドドラゴンは、『幻獣の王』が無意識に放つ独自の強制力に耐えながらも、妻子を守るために訴えた。苦悩と苦痛が入り交じった顔は、顔色が見えれば顔面蒼白を通り越して、血の気ない白になっていただろう。
「我らが『幻獣の王』よ。レッドドラゴンの説明通りだと、ブラックドラゴンは恐らく帝国の人間の王と契約を結んでおりません。これは拘束のない野放し状態。獰猛なブラックドラゴンをこのまま放置しておけば、我がミケール王国にも余波が来るかもしれません」
グリフィンのリーダーは決死の覚悟で、フェイの説得にかかる。
「たとえば?」
「まずは難民。それ以前に帝国の民の多くは、いたぶられて食われて、無残に殺されるでしょう。他の精霊や幻獣も我が国に逃げてくるはず。この国には帝国の幻獣や精霊を受け入れるだけの魔力が土地や大気に足りません」
「つまり、ブラックドラゴンを帝国の皇帝と契約させればいいのね。じゃ、行くしかないか。ちょっと問題の場所まで運んでくれない?」
フェイがグリフィンのリーダーに命じると、グリフィンのリーダーは申し訳なさそうに頭を垂れた。
「我らは初代ミケール王国の国王との契約により、この国の守護幻獣をしております。それゆえ、国境を許可なく越えれば越境違反として、帝国の軍が飼育するドラゴンを差向けられてしまいます。ブラックドラゴンのもとへ参るための解決策はただ一つ」
グリフィンの王は、レッドドラゴンのオスを見る。レッドドラゴンのオスも、決意を込めて身を起こし、フェイに自らの頭に乗るよう促した。
「ドラゴンに乗るなんて、漫画の世界だけだと思ってたのなー」
フェイはグリフィンリーダーから、レッドドラゴンのオスの頭に移動する。ゴツゴツした体は、フワフワもふもふのグリフィンと違って、座り心地が悪い。
「では、参る!妻よ、無事を願っていてくれ!」
レッドドラゴンのオスは、自らを奮起させるように叫ぶ。
「心配すんな、奥方は俺たちが守っててやるから」
グリフィンのリーダーをはじめ、群れは太鼓判を押す。レッドドラゴンのメスも、気丈に夫へ「コテンパンにやっつけてきてね!」と発破をかけた。ドラゴンはメスの数が絶対的に少ない分、オスは頭が上がらないのだ。
「つーか、いつの間にグリフィンと群れとレッドドラゴンは仲良しになった?なら仲良く住めよ」
フェイが厭味ったらしく言うと、一同は目を逸らした。
レッドドラゴンのオスは、フェイを頭に乗せて隣国の住処だったボルカーノ活火山島へ向かって飛び立った。
「哀れだなあ、ブラックドラゴン。よりによって『幻獣の王』が敵に回ったとも露知らず」
グリフィンの一頭が、レッドドラゴンとフェイの後ろ姿を見送りながら呟いた。
②
馬車でマトモに行けば樹海山脈を越えるのを含めて半年、ミケール王国の騎士団や魔術師団がペガサスに乗って猛スピード出しても5日はかかる距離を、レッドドラゴンは1時間もしないうちに元住処近くへ着いた。
「グルルル」
レッドドラゴンは不機嫌な声を出す。大陸から数十キロ離れた海上に浮かぶ火山島は、愛しいメスのために苦労して巣作りした。レッドドラゴンのオスが妻のために集めた沢山の宝石と、石綿で作った巣が跡形もなく消え去り、火山麓の火炎桜の森も灰も残らぬほど消え失せていたことに憤りを隠せない。
が、怒り狂っているのはブラックドラゴンも同じこと。追い払ったレッドドラゴンが戻ってことに、ただでさえ虫の居所が悪いブラックドラゴンは、レッドドラゴンを見るなり業火のドラゴンブレスを敵に向かって吐き出した。
慌てたのはフェイである。こんなところで丸焼けになんてなりたくない。
が、ブラックドラゴンのドラゴンブレスは、レッドドラゴンが浮かぶ空中の半分もいかないうちに方向転換して、吐き出したブラックドラゴンはマトモに自らのドラゴンブレスを浴びた。
「なに、このトリック。こんな力があるなら、わざわざアンタ、ウチの国に逃げ込んで来ることもないじゃない!」
「いいえ、『幻獣の王』よ。これは貴女様のお力ですよ。我々幻獣たちは、どれほど強かろうとも『幻獣の王』には敵わないのです。試しに攻撃してみたらいかがですか。貴女様は、自らの偉大な力をまだ自覚していないようですから」
レッドドラゴンは言い、しばし考え込んでから付け加えた。
「獰猛な奴ですが、同族を殺すのは忍びないので、半殺しでお願いします」
「いやいや、なにを物騒な。いたいけな少女が半殺しなんてーー」
人間を何名も血祭りにしているのを棚に上げてフェイが言う。だがフェイが言ってるそばから、不機嫌絶頂のブラックドラゴンが向かってくる。理性を完全に失って、誰を敵に回しているのが気づいてないらしい。
フェイが咄嗟に指をブラックドラゴンに向ける。動物愛護的にドラゴンを攻撃するのはしのびないと思っていたところに、ふとオタクな親友が書いたボーイズラブ同人誌のワンシーンが浮かんだ。
たちまちブラックドラゴンは特殊な鎖で亀甲縛りにされ、そのまま海に落ちた。山1つ分の巨大な竜が海に落ちたゆえ、津波が活火山や大陸を襲う。幸い、ブラックドラゴンに恐れをなし、辺境の人々は大陸奥地に逃げていたので、津波の損傷は船や家屋に留まった。
ブラックドラゴンは藻掻きながら、顔を海に浮かせたり沈みこませたりしている。『幻獣の王』が使う戒めの鎖は、『幻獣の王』が解かない限り、ドラゴンにどれほどの力があろうとも鎖を断ち切れない。海は荒波が立っているが、ブラックドラゴンか上がってくる気配はない。活火山周辺は、レッドドラゴン夫婦が海を掘って海中を深くしているため、巨大なブラックドラゴンも全身が海に浸かっていた。
「これ、どうすればいいと思う?」
呑気にフェイがレッドドラゴンのオスに尋ねると、縛られたままのブラックドラゴンが「助けてくれ~!」と海面から必死に顔を出しながら助命を求める。
「助けた途端、襲われたくないんだけどなぁ」
「いま、我は我に返った。貴女様『幻獣の王』に逆らったこと、お許しください!代わりに私めは、貴女様の忠実な下僕となりまする!」
「えー、ドラゴンの下僕なんて、冒険者や魔術師じゃあるまいし、いらん。むしろ迷惑」
フェイは将来的に、馬牧場に嫁ぐことになっているのだ。正確には次男坊なので後継者ではないが、既に婚約者のホース・ハーベストには別の馬牧場がトアール男爵から婚約祝として送られており、ホースは荷馬車に特化した馬を飼育しつつ、より強固な体と足つき、それと幻獣と出くわしても暴れない馬を開発中だ。
馬牧場は、フェイの新事業の一環でもある。「ドラゴンの臭いなんてつけてたら、馬が暴れ逃げるじゃないか」というのが、フェイの本音だ。
「そこを何とか!」
ブラックドラゴンは重たいので、縛られたままでは海中に沈むのも時間の問題だ。
「ミケール王国の『幻獣の王』とお見受けする。どうか、あのドラゴンと契約して、助けてやってください!」
何時の間にか、フェイの乗ったレッドドラゴンの背後には、不死鳥に乗った帝国魔術師団が顔を青くさせて訴えた。
「だって、ドラゴンは帝国のものでしょ。ウチの国でドラゴンは、ちょっとねぇ」
「『幻獣の王』の下僕となれば、話は別です!ともかくドラゴンを助けて契約してください!このままドラゴンが溺死したら、海がドラゴンの魔力で汚染されて、漁師たちはもちろん、海辺近くの住人も生活できなくなってしまいます!」
なるほど、そういうわけかと、フェイは帝国魔術師団長の必死の説得に納得する。
フェイがブラックドラゴンの鎖を消すと、自由の身となったブラックドラゴンは海面から飛び出して空中で羽ばたき静止する。
「助けてくださいまして、恩に着ます。また、『幻獣の王』とも知らずに逆らったことを、どうぞお許しください。私はこれより貴女様の忠実な下僕。何なりと、お申し付けください」
ブラックドラゴンは空中で羽ばたいてその場に静止しながら、頭を垂れる。
「じゃ、元の住処に戻ってよ。帝国も我がミケール王国も、図体のデカいドラゴンを養う余裕なんて無いからさ」
フェイが言うと、ブラックドラゴンは絶望的な顔をする。それがあまりに哀れだったのか、被害者のレッドドラゴンのオスか助言する。
「恐れながら、このブラックドラゴンは、闘争に敗北しました。海の彼方のドラゴンランドへは、敗北者は戻れないのです。かくいう私も、かつて決闘に敗れてこの大陸へ渡った身の上。妻はその時、私に同行してくれましたが、それはすなわち、妻もまたドラゴンランドへ戻れぬことを意味します。この大陸にいるドラゴンは、一部の好奇心旺盛さからドラゴンランドを飛び出した例外以外は、決闘に破れて追い出されたハグレモノなのです」
レッドドラゴンは、遠い昔の決闘に敗れた苦い過去を思い出して顔を歪める。だが妻が共に付いてきてくれただけ、レッドドラゴンは幸せ者だった。
「そうは言っても、こんなデカいドラゴンを飼うことになったら、私は学園に通えないじゃない。帝国の魔術師団長殿、貴方様が契約することはーー」
「無理です!ブラックドラゴンは、貴女様『幻獣の王』に忠誠を誓いました。それに上位種のドラゴンは、人や小動物に化けることができますゆえ、貴女様の護衛にピッタリかと」
帝国の魔術師団長は顔面蒼白になりながら説明する。そりゃあ魔術師団長としても、ブラックドラゴンと契約なんて、叶うことならしてみたい。そうすれば周辺国にも睨みを利かせることも出来るし、帝国内の発言力も強くなる。だがブラックドラゴンは、既に主を決めた。
そして『幻獣の王』には、今後、ブラックドラゴンが必要となるだろう。なにしろ大陸を飛び回る任務が課せられるのは確定しているのだから。
「ここでは何ですので、とりあえず帝国近くの駐屯地へ向かいましょう。なにか召し上がりたいものはございますか?」
帝国騎士団長がフェイに尋ねると、フェイは「フライドチキンとポテト、衣にスパイス多めにまぶして!」と躊躇わずにリクエストした。
普段なら、貴族である魔術師団長が淑女に食事のリクエストを聞くことはない。黙ってお茶とお菓子を振る舞えば良いだけだ。だが帝国の魔術師団長は確かに聞いてしまったのだ。フェイのお腹が盛大にグーグーと空腹を主張していることに。
「かしこまりました」
こうしてレッドドラゴンに乗ったフェイは、フェニックスに乗った帝国魔術師団先導のもと、駐屯地へ向かった。しんがりに、ブラックドラゴンも付いてくる。
(何とか帝国に押し付けられんかな)
フェイはレッドドラゴンに騎乗したまま、ブラックドラゴンの処遇について模索した。
①
……頭脳明晰な脳筋ほど、厄介な人物はいない。
神よ、どうして彼の者をこの世界へ招き入れたのでしょうか?
「ほんと、貴族って大変だなぁ」
教室の窓からフェイは、学園内で繰り広げられる、婚約者探しに奔走する生徒たちを眺めて呟いた。
そう言っているフェイも、トアール男爵令嬢だが、既に彼女は7歳のときに婚約済だ。
相手は貴族令息ではなく、領地内の大牧場の次男。元々はフェイの乳兄弟である。貴族令嬢が一般人と結婚というのも、下位貴族からすると金銭的問題もあって、珍しいことではない。
だがフェイの場合、父の親友である第3王子夫妻から婚約に関する厄介なちょっかいを出されたため、いち早く乳兄弟との婚約を決めた。それに際してフェイに不満はない。「体裁ばかり気にして、中身が空っぽか腹黒の貴族なんてやってられるか」かが本音だったし、乳兄弟のホース・ハーベストとは恋愛感情は全くないが、気の合う乳兄弟なら夫婦になるのも妥協できる。なにしろホースはフェイの言いなりだから、仮面夫婦を命じても了承するだろう。そして別のかわい子ちゃんと、せいぜい浮気を楽しでくれればいいと思っている。それくらい、フェイは貴族との結婚を疎んじていた。ましてや父の親友の息子、つまり次期公爵との結婚なんて論外中の論外。
(あのクソ公爵、毎週、軍幹部やら息子の嫁にとの勧誘の手紙を送ってくるのもウザいんだよね。一度絞めにいくかな)
いまのところ、フェイを貴族夫人にしようと目論む家はジャスティス公爵家のみ。だが息子達には幼少時にトラウマを植え付けていたので、恐らく早々に恋人を、なりふり構わず見つけて結婚するだろう。是非、そうしてほしい。必ずしてくれ。互いに地獄の人生は送りたくないはずと、念を送る。
そんなわけで王立オパール貴族学園に通う理由もなかったし、家族もフェイが問題を起こすに決まってると断言し、当初は行かせるつもりなどなかった。
しかしフェイの双子の妹ルクレツィアは、絶世の美少女と幼女の頃から大評判で、学園に入学したら周囲が必ず問題を起こし、ルクレツィアが被害を被るのは、火を見るよりも明らか。
そこで家族は悩み悩んで熟考を重ねた末、問題児フェイをルクレツィアに同行させることにしたわけだ。両親からすると、「あの死神令嬢が守るルクレツィアに手を出すツワモノはいるまい」と、まるでフェイは狂犬扱いだ。
しかし付け加えておく。両親も兄たちもフェイを心から可愛がっている。むしろ「お姉様大好き!結婚するならお姉様がいい!」と憚らないルクレツィアの行く末を危惧しているぐらいだった。
カラスが数羽飛んでいた。だが3階校舎の窓から外を眺めていたフェイと目が合うなり、カラスたちは次々と落下した。落ちたカラスはすぐに起き上がり、カタカタ震えながら、フェイに頭を下げる。
「相変わらず、失礼ね!」
フェイは教室の窓をピシャリと閉めて、窓辺から離れた。
②
トアール男爵家は代々の貴族ではなく、大商人家系の曽祖父の功労により叙爵された成金貴族だ。
フェイが暮らすミケール王国の貴族は、大別すると4回の婚約者探しがある。
① 生まれながらの婚約。これは直系王族や高位貴族の嫡子に多い。恋愛よりまず、家系を守るための家同士の契約。
② 貴族学園入学までの12歳までに婚約者を見つける。高位貴族、下位貴族ともども、伝手を頼りに茶会やピクニックなどといった催し物で子供たち同士、相性の良い者と婚約させる。もちろん身分の釣り合いは不可欠で、高位貴族は辺境伯家以上、中位貴族の伯爵家、下位貴族の子爵家男爵家と、同レベルの家柄の者同士のコミュニティで子供たちの婚約を見定める。家族としては、この頃に子供の婚約者を決めてしまいところだ。
③ 王立オパール貴族学園。13歳から16歳まで通う全寮制の貴族専門の学校。ここで婚約者をGETしなければ、先は絶望的である。
なにしろミケール王国の貴族子女の成人、すなわち社交界デビューは学園を卒業して間もなくの16歳の秋。せっかくの社交界で独り身は肩身が狭いゆえ、皆、学園で血眼になって婚約者を探す。この頃になると成りふり構っては居られない緊迫感がある。
④ 貴族子女が最も恐れる社交界デビュー後の結婚相手探し。この頃にはロクな相手は居らず、うんと年上か、死別あるいは不名誉な形での離婚をした者、もしくは性格や容姿に難ありの者たちとなる。
傍観者のフェイは、そこかしこで恋の鞘当が行われているのを、他人事のように眺めていた。フェイがこの学園に在籍する理由はただ1つ、姉の使命として、双子の妹の婚約者は吟味、時には相手を牽制(半殺しまでなら可)するよう、父から厳命されているからだ。
家族に言われずとも、可愛い妹の未来の夫選びにフェイは妥協するつもりはない。厳しい目で常にルクレツィアに近づく貴族子息を観察していた。面倒な未来はごめん被る。
フェイは双子で生まれた。母親から受け継いだハニーブロンド、ライトアメジスト瞳は同じである。しかしフェイが父親似の平均的な顔立ちに対して、二卵性双生児の妹ルクレツィアはフェイと違い、美女の誉れ高き母親の更に上を行く、とんでもない美少女だ。
なぜこれほどの美少女が学園入学前に婚約が決まらなかったかと言えば、あまりに美しすぎるルクレツィアを巡って王族を含む、高位、中位、下位の貴族令息がこぞってルクレツィアに求婚し、決闘騒動まで発展したことが多々あったからである。
そこで国王が「ルクレツィア・トアール男爵令嬢の婚約者は、貴族学園に入学してから決めるように」と、ついにお達しが出てしまった。
国王の采配に、フェイは舌打ちせずにはいられなかった。王国オパール貴族学園入学までに、ルクレツィアには婚約してもらわないと面倒なことになるのを、フェイは知っていたからだ。
(くそっ!運命回避のために、ルクレツィアには早々に婚約者をあてがい、貴族学園入学だけは避けたかったものを)
フェイは悪態を付きつつ、心の中で国王を呪った。
「貴様(自国の王様)のせいで、私も家族もお先真っ暗ルート爆進中なんだよ!」
フェイの恨みのこもった怨嗟が通じたのか、国王がルクレツィアの婚約采配直後から半月間、原因不明の高熱にうなされて、王太子が国王代行として奔走して疲労困憊したのは言うまでもない。
③
うるさい親元を離れた思春期のクソガキなんて、手のつけられない狼か熊といった野生動物のようなものだ。
幸い、貴族学園の階級制度によって下級貴族の子弟はわりかし大人しいが、たちが悪いのは、親の権威を笠にきる高位貴族の子息どもだ。
王族や高位貴族は、嫡男やスペアとなる次男は、生まれたときに婚約者が定められる。だが三男以下は身分が保障されない代わりに恋愛は自由で、要はそれなりに釣り合った相手と婚約すれば良いだけの話だ。しかしすぐに婚約をきめてしまっては、成人後の自由時間のない束縛された貴族社会に縛られる。
そのため真面目な王族や高位貴族子弟は別として、クソガキどもは学園入学して自由と悪戯を謳歌するのが慣例化していた。
この馬鹿げた連中のおかげで、これからフェイはとんでもない窮地に立たされることになる。
王立オパール貴族学園には、普通科と魔術科と騎士養成科がある。下級貴族の大半は、功績による叙爵で一般市民と変わらず、使える魔法はランプに火を灯す程度の生活魔法。
しかし中級の伯爵家で3分の1、高位貴族や王族は大半がそれなりの魔力を持っている。魔力が発現すると、それぞれの家で制御方法や簡単な魔術を、私的に雇った魔術師講師から教わる。だが在野の魔術師が教えられる程度の魔術はたかが知れている。そんなわけで、魔術師団へ入団する程の魔力でなくても、魔力量がそれなりにある中級貴族以上の子弟は、コントロール法を叩き込まれる為に、選択の余地なく魔術科に配属された。
魔術科の生徒はエリートという構図が、学園内では必然的に出来上がっていた。
「あーかったるい。乗馬の授業なんて」
フェイはボヤく。乗馬は得意だ。トアール領内ばかりか、周辺の競馬でもフェイは優勝常連。なにしろ婚約者は馬牧場の次男。ハーベスト馬牧場は、お貴族様用の見目麗しい乗馬用の馬と、荷馬車を引くための大型で足の太い馬を、広大な牧場で半々に飼育していた。
だが貴族学園の授業となると、ドレス風の制服を着た生徒は、淑女用の横乗り鞍に乗らねばならない。フェイはこの乗り方の非効率性を乗馬教師に延々と語ったが、「貴族令嬢の常識です」に押し切られた。
ちなみにフェイは、初めての乗馬授業の際、男子生徒用の鞍にドレス風制服でまたがり、気の合う下位貴族の男子生徒(彼らはフェイを悪友認定し、女生徒として全く見ていない)と、競技場を駆け回る疑似競馬をして、教師から叱られた上に反省文を書かされたことがある。
「そうよねぇ。誰が女子は横乗りなんて発明したのでしょう?」
ルクレツィアも同意する。彼女もフェイには到底及ばないが、乗馬は得意だ。
トアール男爵一家は領内および王都でも手広く商売をやっている。荷物があるときや社交へ出向く時は馬車を使うが、普段は騎馬の方が小回りもきいて効率的だからだ。それに馬車は、車酔いを起こす。乗り物酔い皆無のトアール男爵とフェイ以外の家族は、馬車に乗る時は大量の酔い止めと桶を積み込み、2日前から食事も消化が良くて腹六分目に抑える念の入れようだった。
「……あんたら、一応貴族令嬢だってのを忘れなさんな」
数少ない同性友人の1人、マルグリット・サラベス子爵令嬢は言った。爵位は男爵家より上だが、大らかな南部辺境地方育ちのマルグリットの口調の方こそ矯正が必要だと、周囲は思っている。
「そういうマルグリットだって、本当は横鞍の騎乗には反対でしょ?」
「んだなぁ。そもそもドレスなんぞ来て馬に乗るなんて馬鹿げた風習が変だわな。ドレスは馬車、乗馬服は馬と厳格に分けるべきだべねぇ」
マルグリットも、制服ドレスで馬に乗らねばならない意味が理解できなかった。
恋人同士、あるいは夫婦で遠乗りするなら、足の太い丈夫な馬にペアで騎乗した方がロマンティックだし、令嬢あるいはご婦人の安全性も上がる。
そうして乗馬授業が行われる騎馬訓練所へ出向く際、移動中の生徒たちは季節の花が咲き乱れる庭園を抜けて行くのだが、その際に方々から悲鳴が上がった。何事かと思う間もなく、悲鳴を上げる理由とフェイたちは対峙する羽目になる。
評判の美少女ルクレツィアを射止めるべく、白馬の王子様になろうとした、魔術科の馬鹿な高位貴族子弟連中がいた。今日がルクレツィアたちのクラスが乗馬授業なのは調べ済みだ。
この馬鹿貴族子弟どもは、魔術鍛錬実習のために学園で厳重な監視化のもとで飼っていた幻獣コボルトの檻を、こともあろうに皆で力を合わせて魔術を使い、檻の鍵を壊して開けたのだ。
普段、最高学年が魔術実習で生徒数人でグループを作り、コボルト一匹と戦う。ところが己の実力を分かっておらず慢心した馬鹿貴族子弟どもは、放たれた5匹のコボルトに興奮剤まで与える馬鹿の極みの念に入れようで、5匹全てを放ったのだ。
しかも確実にルクレツィアに向かわせるよう、くすねたルクレツィアの匂いのついた櫛をコボルトに嗅がせた念の入れよう。
だが彼らは知らないうちに重大なミスを犯していた。鞄から抜き出したそれは、ルクレツィアがうっかり櫛を無くしてしまったため、外出許可の出る週末に新たな携帯用の櫛を購入するまで、フェイから借りたものだった。
フェイはお洒落に時間をかける生産性を見出せず、朝に髪を束ねて1日を過ごすため、妹に貸していたのだ。乱れれば手ぐしで直せばいいという、なんとも貴族令嬢らしくない発想で。だがこれでも妥協している方だ。洗髪か面倒だからショートにしようとしたときには、周囲が総出で引き留めた。貴族令嬢及び貴族婦人は、艷やかな長髪が常識とされている。成人したら髪を結い上げるためだ。
しかしトアール男爵家の発想は違う。フェイがショートカットで男子のようになったら、ルクレツィアがますますフェイに倒錯的執着するのが目に見えていたからだ。ショートカットを唯一反対しなかったルクレツィアは、早々に兄達のお下がりをフェイに着せようと、早速、兄達の部屋のクローゼットを物色し始めていたほどだった。
ルクレツィアは何度かフェイの櫛を使っていたが、櫛にはフェイの匂いが強く染み込んでいる。
ルクレツィアに向かうと思っていたコボルトがフェイに突進していったのに慌てだす高位貴族子弟。彼らは魔力はあっても、コボルトを倒す、ましてや5匹を一度に制圧する攻撃魔法をまだ習得してなかった。そんなんでよく白馬の王子様になろうなどと、安直な考えをしたものだ。
フェイに襲いかかるコボルトに、周囲の生徒は悲鳴を上げてフェイの近くから逃げ出す。フェイはルクレツィアとマルグリットをライラックの生垣の中へ、咄嗟に突っ込む。だが自らはその場に留まった。
フェイは臆することなく、タコだらけの貴族令嬢らしからぬ拳を握りしめる。ちなみに学園御用達のブーツのつま先には、秘密裏に鉄板を入れる加工を馴染みの靴屋にさせていた。
フェイの幼い頃の夢は女子プロレスラー、しかも悪役レスラーになって、反則技をビシバシ使うのを夢見ていた。しかし運動神経は抜群でも、親戚の迷惑クソジジイの介入のせいで、夢見る未来は捻じ曲げられ、泣く泣く諦めた経緯がある。
高位貴族の中にも、ノブレスオブリージュの精神を持ち合わせた者もいる。その筆頭が、フェイが一番エンカウントしたくない、妹に近寄らせるなど以ての外の第2王子エーリク・ディアを筆頭する、王子の取り巻き高位貴族子弟だった。彼らは逃げ惑う生徒から逆流するようにフェイの元へ向かったが、思うように進めない。
そうこうしているうちに、フェイは先ずリーダー格のコボルトの鼻を殴ってすぐさま腹を蹴り上げる。他のコボルトたちが逆上して一斉にフェイに襲いかかってきたが、フェイは魔法なんて使わずとも、拳と蹴りでコボルトをボコボコに倒してしまった。
「ふん、他愛もない」
フェイは泡を吹いて倒れるコボルトたちを、冷ややかに見下ろす。
貴族令嬢に武術は必要ない。しかし立場的に護身術は、授業カリキュラムにも取り入れらていた。貴族は常に護衛をつけるが、護衛が倒された場合、援軍が来るまで生き残らねばならないからだ。だがフェイの格闘技術は、護身術をはるかに超えていた。
フェイが父からルクレツィア護衛に指名されたのは、彼女の魔力が貴族の魔力持ちと比較すると弱くても、魔力に頼る必要がないほど、めっぽう強かったからだ。侍女や従者は学園寮に下位貴族でも数名なら付けられるが、学園内は高位貴族の子女でも側仕えの立ち入りは禁止。例外は王子の護衛騎士ぐらいなものだった。
「コボルト5匹を……」
「令嬢ただ一人で……」
「さすが最凶令嬢……」
「いや、死神令嬢だろ。コボルトに向ける冷ややかな視線。俺、女だったら惚れてしまうかも」
生徒たちが口々にフェイの華麗なコボルト退治ぶりに称賛する。
遅れて援軍に駆けつけた者たちは呆然とする。見た目は地味で何の取り得もなさそうなフェイが、コボルト相手に華麗に戦う姿に、高位貴族達は目を疑った。
特に第2王子エーリク・ディアは、フェイのコボルト倒し後にも関わらず、何事もなかったかのような涼し気な顔に、ハートを撃ち抜かれた。
「君……名前は?」
エーリク第2王子がフェイに尋ねた時、周囲の女生徒から嫉妬の声が上がる。だが彼女らはすぐさま戸惑った。
第2王子を、フェイは二つ名の1つ『最凶令嬢』の顔で、露骨に凶悪化した顔を第2王子に向けたからだ。
「名乗るほどの者でもございません。それより第2王子殿下とお見受けしますが、教師にさっさとこの馬鹿犬だちを回収して厳重な檻に入れるようするべきでは。まあ、顔面と肋骨数本入っているでしょうから、暫く動けないでしょうけれど」
フェイは淡々と、まるでコボルト脱走の原因が第2王子であるかのごとく、苛立ちさえ込めた顔で睨みつける。周囲は、そんなフェイを怪訝な顔で見つめていた。
第2王子のエーリク・ディアは、金髪碧眼で長身美形、文武両道の、まさに絵に描いたような王子様。貴族令嬢は身分問わずに、正妃たる王子妃は無理でも側妃ならと、虎視眈々と狙って、第2王子との接触の機会を仕立て上げようと奮闘していた。
それをフェイは顔面で「ウゼイ」と、誰がどう見ても、第2王子にまるで恨みでもあるのかと思うような顔をしているのだから、周囲が首を傾げるのも当然だった。
「えっと……」
第2王子が何か言葉を発しようとするのを無視して、フェイは歩き出す。向かった先は、コボルトを解き放った馬鹿高位貴族子弟のもとだ。「ヒィッ!」と声を上げる馬鹿連中は、シドロモドロに言い訳しようとするが、問答無用にフェイは、そいつらを間髪置かずに次々と殴り倒した。
「ウチのルクレツィアにけしかけようとしたな、このクソガキどもが!魔術の基礎しか知らない、ケツに卵の殻をつけた馬鹿風情が、コボルトなんて倒せるわけないだろうが!脳みそかち割って、中身が入ってるか確認したいなぁ」
フェイはバキッと指を鳴らすと、地面に転がって鼻血を出している馬鹿高位貴族子弟どもを平等に蹴り上げた。更に拳をもう一発ずつ振り上げようとしたところで、駆けつけた教師たち全員によって、フェイは止められた。
「別にそんな、負け戦で死地に向かう兵士のような悲壮な顔をなさらなくても、殺しはしませんよ。ウチの父からも『妹に何かしたヤツには、殺さぬ程度の鉄拳で躾しておけ』と言われてるので」
抵抗されなくてホッとしながらも、教師たちは「その教えを指導したトアール男爵、アンタに人の心は無いのか!」と心の中で叫ばずにはいられなかった。貴族学園の教師たちの採用試験規定では、中級程度の魔力を持つことが求められている。従って『最凶令嬢』もしくは『死神令嬢』なんて、フェイを魔術で止めれば良いと当初は高を括っていた。
だがフェイは魔術に耐性のある体質で、教師ごときの魔力では全く効果がないのだ。それをフェイを初めてルクレツィア関連で暴れた際、止めようとした際に分かった教師たちの慌てふためきよう。そう、教師達がフェイを止めようとしたのは、これが初めてではない。
(国王陛下、どうしてルクレツィア・トアール男爵令嬢の婚約を学園入学前に決めなかったのですか!)
ルクレツィアに言い寄る男子生徒に鉄拳を振るうフェイに、下手すると1日数件も立ち向かわねばならない教師たちは皆、同じことを思わずにはいられなかった。唯一の救いは、フェイはそれなりの良識を持ち合わせており、自分や実妹のルクレツィア、ついでに友人のマルグリット・サラベスに敵意を向けねば、大人しく普通の生徒をしているということだ。
「で、ウチのルクレツィアにコボルトを仕掛けたバカどもには、相応の制裁がくだされるんでしょうね?」
フェイが静かに教師達に尋ねると、彼らは一斉にコクコク頷いた。顔の骨が折れて気絶する血溜まりの馬鹿な生徒たちは担架で保健室に運ばれた。そして治癒魔術師の保健医によって顔や全身の怪我が治された後、彼らは全員、退学処分となる。これは教師達がフェイに屈したわけではなく、学園長の英断だった。当然だ、一歩間違えばルクレツィアだけでなく、その場にいた生徒たちだって大怪我あるいは死んでいたかもしれないのだから。
そういうわけで、フェイにお咎めはなかった。ちなみに今回の事件の一番の被害者であるコボルトたちは、第2王子や高位貴族達が呼びに行くまでもなく、駆けつけた魔獣飼育員によって、戸板に乗せられて運ばれた。凶悪なコボルト達は、立ち上がることすら出来ず、血だまりの中で情けなく「キューン、キューン」と鳴いていた。だがフェイの冷ややかな視線に気づくと、一斉に仰向けになって服従をアピールした。
④
「なんと素敵な女性なんだ。あの乱闘の無駄のない美しさときたら!何としても、彼女に交際を申し込むぞ!」
何がどうなるか、賽の目が振られない限り分からない。本来、第2王子を手玉に取るはずのルクレツィアではなく、一般人に埋没しそうな平凡顔のフェイに第2王子は恋をした。
当然ながら、取り巻き高位貴族子弟は、第2王子の頭を疑った。
「特出した人って、実は変人なのですね」、「女人に興味を示さない王族が極稀に存在していて、殿下もそうなのではと疑っていたが」、「だからって、死神令嬢はないでしょ。もう少しマイルドな変人に恋してもらえませんかねぇ?」、口々に周囲がエーリク・ディア第2王子の女性趣向を憂いたのは言うまでもない。
ちなみにバグは、ルクレツィアにも起きていた。フェイの危機に、何もできずとも駆けつけようと、心優しく成長したルクレツィアは、姉の危機に我を忘れて生垣から飛び出した拍子に転倒、危うく逃げ惑う生徒たちに踏まれるところだった。だが危機迫るフェイを身を挺して守ったのが、生真面目だが鬼瓦のような顔をした、ゴリラのような巨漢のマッチョなヨーデル伯爵嫡男だった。
ルクレツィアは、第2王子のような優男よりも、フェイのように容赦手加減の一片もない非情な強さと、加えてフェイの影響でプロレス大好きに。てなわけで、いつの間にかルクレツィアの理想の男性像は、筋肉マッチョになっていた。
ルクレツィアは助けてくれたボラリス・ヨーデル伯爵嫡男は互いに一目惚れして、その後は2人はラブラブとなった。
ルクレツィアに恋するうるさい外野さえ黙らせれば、婚約も秒読み段階といったところか。
2.運命の蛇行
①
フェイの前世で、一部熱烈なファンがついていたアニメ『闇の末路』。深夜放送とはいえ、放送コードギリギリのお色気シーンと残虐シーンを盛り込んだ、テンプレな悪役令嬢一族没落ストーリーである。
ラストは、悪女ルクレツィアの死よりも更に過酷な、美貌が命の顔の両頬と額に焼印を押され、自慢の金髪は丸刈りにされ、家族共々、平民として国で一番厳しい北の土地へ送られて過酷な生涯を過ごすことになる。
「ここで妙なのが、私フェイがストーリーにはいなかったのよねぇ。それと帝国はともかく、財政豊かなポチオローレ王国なんて、こんな国あったっけ?どこかで聞いた国だけど、少なくとも『闇の末路』には出てこなかったはず」
フェイは首を傾げた。フェイは3歳の誕生日で前世を思い出し、ストーリーと転生先に齟齬あるのを見出した。だがバグがいつ発動するのか分からない。それでもポチオローレ王国に、何らかの鍵があるのではと推測、これまでも今も、ポチオローレ王国に関して調べてみたが、一向に謎は解決されなかった。
だがフェイの立証実験、つまり「悪は環境から生じるのか、持って生まれた先天的なものか?」は、いまのところ「環境」に軍配が上がっている。
前世で妹を猛烈に可愛がっていたフェイは、今世でも妹を虜にするなどチョロかった。
一方でルクレツィアが悪に傾こうとしたときのストッパーとなるべく、拳と蹴りで性格矯正できるよう、身体鍛錬に勤しんだ。ここで高位貴族や王族のようにマトモな攻撃魔法が使えたら、もっと効率が良かったのだが、無い物ねだりは仕方がない。フェイは前世の運動神経も抜群だったが、物語終盤の流刑地送りの過酷平民ルート回避のために頑張った結果、学園入学時には軍騎士幹部クラスの運動神経と武術を獲得していた。
そしてルクレツィアも、予想以上にフェイを慕うようになり、「結婚するならお姉様がいい!」と言うまでになるほどシスコンと化した。悪役令嬢の影などこれっぽっちもない。むしろ貴族令嬢として「?」と思われるような、フェイの影響受けまくりの、外見は極上だが、中身が残念な令嬢となってしまった。
さすがにこれはマズイと、両親と兄夫婦たちは、最低限の教養を教えてルクレツィアには何とか及第点の貴族令嬢教養を身につけさせることが出来た。だがフェイは手遅れだった、正確にはフェイを矯正するなど、最初から不可能だったのだ。
いっそこのまま王立騎士団に入隊させた方が外聞が良いのではと、兄夫婦たちは深刻な顔で両親に進言したが、「馬鹿者!あのフェイが大人しく軍の規律に従うわけなかろうが!騎士団を崩壊させるつもりか!」と逆に父から嗜められて納得した。
以前も言った通り、フェイの前世の趣味は、サッカーとプロレス観戦。それを娯楽の少ない領土に広げた結果、僅か数年でミケール王国の国技にまでなってしまった。
ルクレツィアが筋肉フェチになったのも、プロレスラーの肉体美もさることながら、血と汗と派手な技が繰り広げられる、リングと言う名の狭い空間で繰り広げられる格闘美。
フェイはルクレツィアが夢中になれるものが出来て満足しつつも、「あれ、貴族令嬢としては趣味ヤバくね?」と一抹の不安を抱えることとなった。
②
フェイは改めて、『王子様』という人種にアレルギーがあるのを自覚した。
フェイは転生者だ。前世に一応成り行きで恋人はいたが、見た目は爽やかで中身は腹黒な彼氏に根負けして付き合う羽目になった経緯がある。プロレスラーやサッカー選手は推しではなく、あくまでも白熱した対戦が好きで、好みの男性の枠には入らない。そもそもフェイは理想の男性像が、前世も今世も分からない。恋愛談議は昔も今も、フェイがもっとも苦手とする分野だ。
そしてこのエーリク・ディア第2王子はあらゆる分野に置いて優秀と評判だった。だが目的のためなら何でもするという、常識の欠如は否めない。
③
ある夜更け、双子の寮部屋に第2王子が夜這いに来た。
この国の悪慣習の1つに、夜這いで成立したカップルは、たとえ被害者が泣いて嫌がり拒絶しても、結婚を強いられることだ。第2王子の場合は立場的に、トアール男爵令嬢とは身分格差が大きいため正妃にするには難しいものの、荒業でも泣き落としでも駆使して父王を説得し、夜這いが成功したら絶対にフェイ以外の正妃を持たないと決意していた。第2王子がいくら優秀でも武闘でフェイに勝てるわけがないが、第2王子は高難易度の魔術を扱える。魔術でフェイの自由を奪ってしまえばと、王族らしからぬ卑劣な考えが浮かぶなり、即実行に移した。
……彼は失念していた。魔術耐性のあるフェイに、殆どの魔術は通用しないことを。そしてフェイの喧嘩スキルはこの国でもトップクラスだと言う事も。
ちょうどこのとき、リビンクでルクレツィアは恋愛小説を夢中で読んでいた。その近くでフェイは、入浴後のため、汗をかかない程度の鍛錬をしていた。
そこへ窓からいきなり第2王子が侵入してきたのである。ルクレツィアは上等なナイトドレスにガウンを羽織った格好。フェイは前世のTシャツ短パンを、父の経営する洋裁店で特注し、作らせたものを身に着けていた。どちらにせよ、家族でもない人間に見せて良い姿ではない。
「ああ、フェイ嬢ーー」
第2王子がバラの花束を手に愛の囁きを詩にして口ずさもうとしたとき、フェイは試作中のボクシンググローブで、第2王子の顔を思いっきりぶん殴った。たまたまフェイの寝入りばなの鍛錬がシャドーボクシングだったのは、第2王子には幸運だったかもしれない。フェイの素手だったら、確実に鼻の骨が折れていただろうから。それでも顔面クリーンヒットしたパンチで、第2王子の顔から鼻血が噴き出している。フェイは構わずボクシンググローブを放り投げると、テーブルクロスを引っ張って切り裂き、第2王子王子の口と手脚をそれぞれ拘束した。鼻血には何の処置もしていない。慌てるトアール男爵家使用人に、「この程度なら、じきに鼻血止まるから処置する必要もないわよ。全く、絨毯も取り換えなきゃならないし、忌々しいから窓から放り出してやろうか」と、非情な発言。ちなみ双子の寮部屋は4階だ。
ルクレツィアは第2王子突然の登場の恐怖で失神していたため、フェイは同じ背格好の実妹を軽々と姫抱きにすると、ベッドへ連れて行く。その際、使用人に「直ちに寮監を呼ぶように」と命じて、一旦、リビンクから寝室へと移動した。
フェイがリビンクに戻ってくるのと同時に、血相変えた寮監が駆け込んできた。寮監は第2王子の状況に悲鳴を上げる。
なにしろ縛られ倒れたままの第2王子の顔周りは深紅のバラの花びらが鼻血溜まりに浮かび、薄手のトラウザーズは股間が濡れている。だが何が恐ろしいかって、こんな状態でも第2王子は恍惚とした顔をしていたのだ。股間の染みも、臭いからして失禁とは別物のようだ。
「キモっ!コイツ、真性のマゾかよ」
フェイは心底嫌そうに顔を歪め、汚物を見るかのように第2王子を見下した。蹴ってやりたい衝動にも駆られたが、余計に喜びそうなので我慢する。
寮監は直ちに第2王子の特別寮に遣いを出し、第2王子を回収してもらった。寮監や第2王子の護衛達は、フェイに「このことは他言無用で。代わりに貴女の所業、正当防衛とはいえ王族を殴ったことは秘密にしますので」と高飛車な物言いをした。被害者たる自分たちがこんな目に遭って、フェイが黙っているはずがない。
「なら誠意も見せてくださらないかしら。妹は恐怖で失神し、絨毯は汚れて使い物にならず、異国から輸入した貴重な花瓶や、愛用のティーセットはテーブルクロスを引き抜いた際に床に落ちて割れてしまったわ。これらを物品ではなく、お金で返してください。妹にトラウマを植え付けた調度品を、強姦未遂の高貴なナニガシ様から物品で賠償されても気持ち悪いので、ゴミにしかならないですなら」
フェイは指をバキバキ鳴らしながら、寮監や第2王子の使用人たちに迫る。コボルト5匹を素手で倒した凶悪令嬢の気迫に、第2王子の使用人と寮監は態度を一変させ、コクコク頷いた。
……後日、トアール男爵家名義でフェイは、第2王子の特別寮に請求書を送りつけた。壊れた調度品と使用不可になった絨毯の適正価格を請求したのだが、当日直ぐに支払いをしに来た第2王子の使用人は倍額以上の料金を支払った。
「今回のことは、どうぞ内密に」
口止め用込みのようだ。フェイはそれに同意し、「但し、この一度きりです。今度、馬鹿な真似をしたら半殺し程度は覚悟してください」と平然とした顔で言うと、遣いの使用人はコクコク頷いて下級貴族女子棟を後にした。
第2王子は風邪という届けで、暫く登校しなかった。まあ、早業で3連発フェイはパンチを打ち込んだので、両目のアザが引くまで寮から出られまい。
④
(貴様の相手は妹だろうが!私を巻き込むな!)
フェイ・トアール男爵令嬢は、今日も今日とて、キラキラ第2王子エーリク・ディアから逃げ回る。引きこもっている間に、第2王子の優秀な脳が誤作動がますます激しくなったのか、ますますフェイに恋焦がれるようになってしまったのだ。
魔力トップクラスのキラキラ王子様の魔術拘束は効かないが、フェイには索敵魔術を跳ね除けるまでの実力はない。そもそもそれは対抗、もしくは気配消しの高度技術を要する魔術を使わない限り無理だった。
だがスポーツや正当防衛以外で暴力を振るうのは、フェイの美徳に反する。ましてや、相手は王子だ。下手なことをすれば、一家没落ルートが早まりかねない。
「何がどうして、こうなった!」
第2王子を虜にして、婚約者の公爵令嬢に恥をかかせるのは、二卵性双生児で生まれた超美少女の妹ルクレツィアのはずだった。
本編ストーリーにフェイは存在すらしていない。後年はルクレツィアは王子をたぶらかした罪で悲惨な末路をたどり、男爵家の爵位は剥奪されて没落していく。そんなストーリーを回避すべく、影から運命の書き換えを模索して行動していたが、重要登場人物たる第2王子の誤作動までは想定していなかった。
(この世界へ転生するなら、オタクの親友がするべきじゃないか!アイツは、少女漫画に興味のない私にまで無理矢理、布教してきたんだから!)
フェイは運命のいたずらに、悪態をつかずにはいられなかった。オタクな幼馴染の親友とは、大学も一緒で家が近いこともあり、死ぬ間際まで友情は続いた。ときに正規の漫画だけでなく、見るに耐えない同人誌まで押し付けられるのは閉口したが。
転生者のフェイは前世での学生時代、親戚のクソジジイ介入により、行きたくもなかった私立中高一貫校、国立大学生活を不承不承に送りつつ、レスラーやソフトボール選手は無理だが、インターハイやインターカレッジは努力すれば選手として選ばれると、トレーニングは欠かさなかった。その片手間に、趣味のサバイバルゲームや、害獣駆除を目的とした実弾を使って仕留める狩猟。
抜群の運動神経を維持するためと、理系頭特有の探究心による趣味に没頭しすぎた結果、前世のフェイは心臓麻痺で他界した。
天国に行けるかと思いきや、次に目覚めたのが、このミケール王国。よりによって腐女子親友から感想文提出課題を出された『闇の末路』。トアール男爵の流刑は確定、傾国の悪女ルクレツィアは悲惨な末路をたどるという世界線で、本来存在しないルクレツィアの双子の姉に転生してたわけだ。
そもそも王立オパール貴族学園に通うのは、権勢のない伯爵家以下の中位もしくは下位貴族の令嬢や子息。高位貴族も混じっているが、伴侶探しに苦慮した嫡男、もしくは爵位を得られない子弟が大半。
全寮制の貴族学園に入るのは、令嬢は将来の夫を探すため、貴族子弟は伴侶探しをする以外にも、社交界でパイプを作る使命があった。
嫡子の高位貴族や王族は、自邸で多くの講師から勉学からマナーまで学び、社交はデビュー前は茶会やピクニックのお招きを受ければ積極的に参加。デビュー後は晩餐会や舞踏会に出席して、社交界でうまく立ち回らねばならない。
中位貴族でも弱小に入る家では子供たちの交流の場は少ない。だからこそ、学園は友人、あるいは取引相手を探す絶好の場所だった。
王位継承は第1王子に決まっているが、第2王子も王太子に何かあったときのスペアとして大事に王宮で育てられるはずだった。
なのに下位貴族たちの将来の伴侶探しの貴重な場である全寮制オパール王立貴族学園に入学したのは、興味本位というのも理由にあるが、弟の第3王子のためでもあった。
第3王子は通例として、騎士団長になるべく、王立騎士学園に入学することが決まっていた。しかし第3王子は王族の中でも魔力保有が高く、様々なジャンルの魔術にも長けており、この才能を潰してしまうのは惜しかった。
国の防衛には魔術師団も共に関わるが、畑違いの騎士団入団では勿体ないと、周囲は第3王子の才能を惜しんだ。だが国王へ直々に進言する度胸ある者はいない。そこで第2王子は、国王夫妻に直談判して第3王子を王立魔術学園へ、騎士団長には自分がなると宣言したのだ。
「スペアなら、父上がもう一人王子を作れば解決です。我ら王子達の母親である2人の王妃では、既に老けているから見込みはないが、新たに若い側妃を迎えればいい」
ガハハと笑って第2王子は言う。見た目や表面的には完璧な王子様だが、もともと中身は少々残念な人物だった。
第1王妃と第2王妃は幼馴染で親戚同士だったこともあって、仲もよければ性格も似ている。ちなみに第1王子の王太子と第2王子は第1王妃の子供で、第3王子と第1王女は第2王妃から生まれた。共に2人の王妃は美しく教養もあり、第1王妃が公爵家出身、第2王妃は侯爵令嬢と身分も申し分ない。しいて玉に瑕といえば、共に恐妻といったところか。第1王妃と第2王妃の仲は良好だし、王子も3人居れば充分だ。他の妃を入れるつもりなど、一切ない。
……と言うわけで、軽率な言葉を発した第2王子エーリク・ディアは、2人の王妃から1か月間、ネチネチと嫌味を言われる羽目になる。国王は、家臣や国民から慕われる賢王だが、王妃2人には頭が上がらなかったので、見て見ぬふりをした。
「なら素直に騎士学園へ行けよ」とフェイは第2王子がこの学園に居ることを疎ましく思うが、第2王子いわく、一般的な学園も見ておきたいという理由で、1年間を王立オパール貴族学園で学び、その後は本格的に王立騎士学園で騎士団長候補として鍛錬に励むことになっていた。
フェイは学園の隅々を記憶しているので、逃走ルートに不自由はない。だが逃げ足の速いフェイでも、第2王子の魔力探知と人員を動員しての逃走ルート潰しをされては、学園内という限られた狭い空間(校内は迷うほど広い)では、さすがのフェイも逃げ切れない。不覚にも校舎の済に追い詰められた。
「やっと会えたね、フェイ・トアール男爵令嬢。これは僕の愛の挨拶」
第2王子は、持っていた深紅のバラの花束をフェイに差し出す。第2王子は、よほど深紅のバラが好きらしい。深紅のバラは情熱、熱愛を意味するが、この第2王子が持つと意味が変わるのは気の所為だろうか?
だがその途端、フェイは盛大にクシャミを連発した。そのクシャミときたら、令嬢らしい「クシュン」といった可愛らしいものでなく、平民のオッサンのような「ブェクション!」と豪快な連発クシャミだ。
第2王子の取り巻きたちは、「なんでこんな地味で、令嬢らしくもないガサツな女性に第2王子はメロメロなんだ?」と口には出さないが、誰もが疑問を抱かずにはいられなかった。
「フェイ男爵令嬢、君はバラアレルギーだったっけ?」
第2王子は麗しい顔を傾げる。以前、バラの花を強引に贈った時にはクシャミなど出ていなかったからだ。
(バラじゃなくて、あんたアレルギーなんだよ!なんでモブですらない、漫画に存在すらしなかったキャラに執着するんだ!)
とは言え、王族に面と向かって文句言うわけにもいかない。そして幸か不幸か、いまフェイはクシャミ連発で話せる状況ではない。
(誰か、この面倒王子を遠ざけて!)
フェイが願うと、そこへ取り巻きを連れたファーブル伯爵令嬢がやってきた。彼女は没落しかけの伯爵令嬢ではなく、むしろこの国で権勢の強い伯爵家の嫡出子だ。
わざわざ学園の不自由な寮生活を選んだのは、一重に第2王子として接触して気に入られ、ゆくゆくは妃になるのが目的だった。手段を選ばない強欲さは、いっそ清々しい。
付け加えると、こうした権威ある令嬢や高位令嬢の学生は、今年に限って数が多い。皆、美貌の第2王子目当てだ。年の離れた王太子は既に王太子妃との子供をもうけ、しかも王太子妃は実母同様恐妻だった。それでも愛がああるから幸せで、他人が入り込む隙はない。なにしろ王太子夫妻には王子が5人、王女が3人もいて、第2妃や側妃なんぞ迎える意味がなかったからだ。
「まあ、素敵なバラ!それ、私への贈り物ですよね、そうですわよね!」
何気にフェイを突き飛ばして第2王子の前に出たファーブル伯爵令嬢は、瞳を煌めかせてバラの花束を第2王子から強引に奪い取る。
突き飛ばされたフェイは体幹がしっかりしているので、多少よろめく程度で転んだりはしない。それどころか好機とばかりに、脱兎のごとく逃げ出した。
執着第2王子からの逃げ場は、女子寮か教室。フェイと第2王子エーリク・ディア王子とは専攻も校舎も違うため、昼間は移動教室とトイレ以外は極力、教室に籠もっていた。この学園では専攻が違う生徒が他の専攻校舎の教室へ出向くには教師の許可が必要なのだ。
教室の自分机に座ったフェイは、机に肘をついて両手を組みながら、いつもの恨み言を呟く。
「なんで私が。婚約者がいるって、耳にタコが出来るほど言い聞かせてるのに、頭おかしいんじゃないか、あの変態馬鹿め!」
……加えて言う。第2王子は、才色兼備、文武両道、外面最上級で有名だ。
③
話は変わるが、フェイの今世の家族は、両親や妹ルクレツィアの他に、長男次男三男がいる。父親は多岐にわたって事業に携わっており、長男次男三男も各部署で父親の後継となるべく修行していた。
両親と兄たちは「フェイは女の子だから」と、事業に関わらせず、いずれは婚約者の馬牧場で、普通と違う才能を発揮すればいいと考えていた。
しかし父は、5人の子供たちの中で一番フェイに商才があることに気づいてしまった。
そこでトアール男爵はフェイに「ルクレツィアの婚約が正式に受理されたら、国立サンライズ学園へ転校しても構わない。首席卒業できたら、資金援助もしてやる」と約束した。
フェイには夢があった。馬牧場は嫌ではないが、理系女子の探究心がムクムク。前世は強いられた獣医学部だが、今世は医学部か理工学部に所属したい。それに学友を通じて、次は野球やボクシングの普及をしたい。プロレスとサッカーの成功例から、ゆくゆくはワールドカップやオリンピックを開くことも視野に入れていた。
父親がぶら下げた人参に、フェイは大喜びで猛勉強の末、王立オパール貴族学園入学前には既に、庶民のエリートたちが通う国立サンライズ学園の入学試験に合格しており、ルクレツィアの婚約が正式に決まれば、いつでも転校できる手筈は整っていた。
「ルクレツィアに相思相愛相手ができた。婚約も秒読みに入った。こうなったら、もうこの学園に用はない。ウザい第2王子から逃げるいい時期だ。私は前世で自由奔放に生きた日本人、貴族なんて所詮は性に合わないんだよ。粘り強い大和魂、今ここでみせてやる!」
グフグフと笑うフェイを不気味がり、気品高いクラスメートは遠巻きに見るだけだった。
第2王子のお気に入りであるフェイに取り入りたい気持ちは山々あるが、変人がぶっ飛んでる『最凶令嬢』であり『死神令嬢』でもあるフェイと付き合うのは、マルグリットのような別の意味での変人令嬢以外、普通の貴族令嬢には到底無理だった。
なにしろ貴族令嬢的な話題には全く興味を示さず、生物学やスポーツについて熱く語るフェイの思考回路に、貴族令嬢は誰もついていけなかったのだ。
(それにしても、何がどうしてこうなった。悪役令嬢になるはずだった母親似のルクレツィアの矯正は成功し、伯爵家嫡男との婚約話は順調に進んでいる。性格も悪役令嬢どころか、婚約者と筋肉の美徳を語る脳筋令嬢になって、めでたしめでたしなのに!)
ルクレツィアの恋人はボラリス・ヨーデル伯爵令息だが、この学園にありがちな斜陽貴族ではなく、むしろ侯爵家にも匹敵する権威と財産を持っている。
ここへ入学させられたのも、鍛えることに執念を燃やす脳筋の嫡男に家庭教師では手に余ると両親は判断、全寮制の学園で貴族のマナーと勉強を学ばせるために入学させたのだとか。王都から離れたところに領地があるが、それなりに統治するには良い場所で、街も王都ほどではないが発展しているのだとか。
これほど好条件の伯爵家嫡男なら婚約者がいてもおかしくないし、実際、幼少期に親同士が決めた婚約者がいたらしい。だが長ずるにつれ、貴族らしくない脳筋マッチョに成長した伯爵令息に不安を覚えた婚約者が親に泣きついて、婚約破棄料を支払ってまで別れたのだとか。
ルクレツィアとの結婚への障害は身分違いぐらいだが、愛嬌があって美しく、なにより筋肉を愛するルクレツィアと実際に会った伯爵夫妻は、すぐさまトアール男爵家に婚姻を申し出た。
たぶんルクレツィアを逃したら、嫡子たる脳筋マッチョゴリラに嫁の来てはないと察したからだろう。男爵令嬢に過ぎないルクレツィアにしてみれば、破格の幸運な婚約だ。これは双子の姉として、フェイも喜ばしく思うところだ。しかしーー
フェイは考え込む。バグの原因究明に、もしもここに前世のマンガオタクの親友がいたら、解く鍵になったかもしれない。
「今頃は美咲の奴、なにやってるかな。まあ私のことなんぞ忘れて、マンガだアニメだグッズだ同人誌だと、オタク道を驀進しているに違いない。苦労して入った国立大学なんてサボりまくって、きっと親御さんを泣かせているだろう」
そして成り行きで付き合い始めた恋人のことも連動して思い出す。前世のフェイと同じ専攻だった彼氏は、生真面目な仮面を被った鬼畜だったが、犬や猫を前にすると人格が変わる奴だった。そもそもの馴れ初めも、サークルでの話題がペットになるが否や、それまでの真面目一辺倒の雰囲気が一転、彼氏はメロメロに愛犬のことを弾丸のごとく語りだしたのがきっかけだった。
そう言えばフェイが亡くなる前に、彼氏の愛犬のスイスシェパードが、フェイの愛犬・光司の仔犬を身ごもっていたが、何匹生まれたのだろうか。彼氏のことはどうでもいいが、愛犬・光司の子供には会いたかったなぁと郷愁を抱くフェイだった。
3.フェスティバル最中の災害
①
全寮制の王立オパール貴族学園にも、長期休みなどは帰省できる。そして届け出を出せば、門限までの時間帯なら外出することも出来た。
今回の王都の新緑フェスティバルは、届け出を出さずとも祭りに参加することができ、門限もフィナーレである花火が終わる時刻まで特別に延長された。
フェイは、屋台のフライドポテトとスパイスがたっぷりきいたフライドチキンが目的。そしてオリンピックやワールドカップの夢を現実化するためには、有力者の支援も考えなくてはならない。そのためにも商売を成功させるのがまず第一歩。腹が満たされたら、この世界の売れ筋商品リサーチをするつもりだった。
フェイの国立サンライズ学園への編入は、ちょうど学年が変わるタイミングの秋に決定した。ルクレツィアとヨーデル伯爵嫡男との婚約が夏休み中に取り交わされることが、正式に国王から認められたからだ。全く、貴族は婚約1つするにしても、国の許可が必要だから面倒くさい。
ルクレツィアも、婚約を期に学園を退学することになった。ボラリス・ヨーデル伯爵嫡男の卒業を期に、ルクレツィアは結婚することが決まった。そのための花嫁修業として、実家に帰ることになったのだ。
女子生徒は婚約者が決まると、退学して実家で花嫁修業に専念する。貴族は階級によるマナー、特に階級が上の貴族に対する作法が事細かいのだ。ともかく花嫁修業による自主退学は勝ち組で、居残り女学生たちは影で悔し涙を流すという。フェイからするとどうでもいいことだが。
国立サンライズ学園は寮制ではないので、王都のトアール男爵邸から通学できるのも気楽でいい。
なにより、マゾ第2王子から離れられるのが一番嬉しかった。まあ第2王子も秋から王立騎士学園への編入が決まっていたので、二度と顔を合わさずに済むだろう。
「跳ねっ返りのおまえに、貴族令嬢なんて務まるわけないものなぁ」
豪快に笑う父や兄たちに、正直なところムカつかないわけでもなかったが、堅苦しくて自立するのに何ら役に立たない、王立オパール貴族学園での貴族マナー講義なんて、受けるだけ時間の無駄だった。
双子のルクレツィアは、「転校するくらいなら実家に戻って商売の勉強をした方が良いのでは」とシスコン炸裂させて食い下がったが、マルグリット子爵令嬢も国立サンライズ学園に編入が決まったと聞くなり、「なら仕方ないか」と妥協した。マルグリットは、ルクレツィアにとっても数少ない友人だったからだ。
「私もサンライズ学園に編入するさね。親から、『お前みたいなのは、学者になった方が向いている気がする』と言われたさね」
マルグリット・ベネディクト子爵令嬢も、どうやら親が娘の結婚に匙を投げたようだ。彼女は春に行われた編入試験に合格し、秋からフェイと共に国立サンライズ学園に編入する。専攻は、フェイが医学部なのに対して、マルグリットは薬学部を目指すという。家族は「どうして経済学部じゃないんだ」と、フェイに問い詰めたが、フェイが理詰めで「これからの伸びしろは医学にこそある!」と押し切ったのだ。
もちろん片手間で経済の講座を受けることで家族を納得させたが、前世の記憶を使えば、中世ヨーロッパの産業革命直前のような今世の経済を動かすのは、勝者になれるとフェイは確信していた。
マルグリットとは、これまでのようにクラスで一緒にふざけあうことは少なくなるが、それでも友人が同じ学園に編入するのは、正直なところ嬉しい。それに医学部と薬学部は講義が被ることも多いから、互いに切磋琢磨出来るだろう。
②
ルクレツィアは恋人とフェスティバルデートに出かけ、マルグリットは秋からのサンライズ学園編入が楽しみすぎてフェスティバルどころでなく、在校生に遅れることがないよう、今から専門書に没頭している。
いつもプロレスやサッカーを熱く語る男子生徒たちと一緒なのは周囲から浮かねないので、フェイは専属侍女のモニークと共に出かけた。
フェイの婚約を期に、相談相手となる専属侍女が新たに付けられたのだが、それがモニークだった。フェイとモニークは馬が合い、モニークは専属侍女でなく、将来の起業の相棒になることが内定している。一般商人家庭出身のモニークは、身分柄貴族学園には通えずフェイの侍女に徹していたが、国立サンライズ学園の経済学部の試験に合格したため、フェイはモニークとも一緒に通学できることになった。
友人2人との国立サンライズ学園への編入が、今から秋が楽しみでたまらない。
そんな時、王都の東付近から悲鳴が上がり、どんどんそれが広がってパニックとなっていた。空を見上げると、グリフィンの巨大な群れが東のデスライト山脈から西に向かって飛んでいたのだ。
グリフィンは基本、単体だと大人しい。だが団体で子持ちともなると、人を襲うこともある。
「馬鹿な。天文学省は、グリフィンの移動をあと百年近く後だと統計を出していたはず!」
フェイの言う通り、ミケール王国のグリフィンは東のデスライト山脈の資源が少なくなると、西のロストフォレスト山脈へ移動する。それは天文学省の統計で導き出されることが出来、グリフィンも群れで移動する際には人の多い街ではなく、王国を取り囲む山脈伝いに飛んで移動する。
阿鼻叫喚の光景が繰り広げられるなか、フェイは「あああっ!」とこの世の終わりのような声を上げた。
いくつもの屋台から、一番美味しそうだと目をつけていた露店が、一頭のグリフィンに荒らされていたのだ。店主とその周辺の露店商や客はいち早く逃げて無事だったが、ひっくり返された油が燃え広がり、その中で揚げたてのフライドチキンとポテトをグリフィンが貪り食べている。
「よくも……よくも私が楽しみにしていたスパイスフライドチキンを!」
赤茶色の地味な色合いだが、実は仕立てのいいドレスを巻くしあげ、フェイは燃え盛るフライドチキン露店へ突っ込んでいく。
「お嬢様!」
モニークは追いかけようとするが、周囲の人間から止められた。フェイに立ちはだかって引き留めようとする大人もいたが、伊達に第2王子から逃げ回っていた健脚に追いつける者は居ない。
そしてフェイはフライドチキンを貪り食べているグリフィンのもとへたどり着いた。その表情は、悪鬼そのもの。楽しみにしていたフェスティバルのメインを、このクソグリフィンが台無しにしたのだ。
グリフィンは元来、人間を襲うことはない。知恵の神獣として崇められ、ミケール王国の国旗にさえ意匠に使われているほどだ。しかし気の立ったグリフィンは、所詮は獰猛な獣。
旅の途中の食事の邪魔をしに来たフェイに咆哮をあげる。いまにもフェイに襲いかかろうとするグリフィンに周囲から悲鳴上がり、侍女のモニークは恐怖のあまり失神した。
しかしグリフィンがフェイと目が合った瞬間、グリフィンは怯えた顔をして後ずさりし始めた。燃え盛る火の中で怒り狂うフェイの顔は、確かに貴族令嬢らしくない迫力だ。だがグリフィンの敵になるような騎士でも魔術師でもない。
その場から飛んで逃げ出そうとしたグリフィンに、フェイは飛びかかって背に乗るなり、グリフィンと共に空に舞い上がる。
「この馬鹿珍獣が!」
フェイは振り上げた拳でグリフィンの頭を殴る。ご令嬢の拳なんてグリフィンにしてみれば小石が当たった程度でしかないはずだが、グリフィンは悲鳴に似た声を上げた。
それを聞いた、他の露天料理を荒らしていたグリフィンたちが反応して、フェイのもとへ向かっていく。ちょうどその時、魔術師団と騎士団がペガサスに乗って駆けつけた。彼らはフェイが襲われると思って攻撃しようとしたが、フェイの形相に恐れをなしたグリフィンの一団は一定の距離で羽ばたいて立ち止まり、怯えた顔をしている。
「あんたら、絶対に許さないからね!とりあえず街から離れるわよ!お仕置きはそれから!」
フェイを乗せたグリフィンの頭を彼女は再び殴りつけ、そのグリフィンは悲痛な声を上げながら人家のない平原に向かう。フェイが騎乗するグリフィンを先頭に、他のグリフィンも怯えた表情で付き従って街から立ち去った。
「幻獣の長」
魔術師団を引き連れてきた魔術師団長が呟く。その小さな呟きに、魔術師団は驚愕する。
『幻獣の長』の称号を持つ人間は、このミケール王国でも過去に1人しか出ていない。世界的にも歴史を遡って10人も満たないだろう。
「ともかく、街中の消火が先だ!街が丸焦げにならないうちに、火を消すぞ!」
我に返った魔術師副団長の命令に、魔術師団と騎士団は火消しに奔走する。お陰で街は灰と化さず、最低限の火災で済んだ。
火消しが終わると、魔術師団団長は、騎士団長に城へ戻って天文学省に今回の騒動の発端を占って結果を出すよう命じ、魔術師団はフェイが先導して街から離れたグリフィンの一団を追いかけた。
「で、他国からきたドラゴン夫婦に恐れをなして、西のロストフォレスト山脈へ慌てて移動しようとした言うのが真相なわけね」
平原の真ん中で、両腕を組んで仁王立ちするフェイの周囲には項垂れたグリフィンが取り囲んでいる。天文学省が割り出した移動時期と異なる行動をした理由を、グリフィンのリーダーがオズオスと説明した。
「あっちは2頭、こっちは百頭近いのに、縄張りを荒らされて追い出そうとしなかったわけ?」
「相手は獰猛で知られる5本爪のレッドドラゴンでありますぞ!我々が束になって戦ったところで、全滅するのは目に見えておりまする!」
ドラゴンにもピンからキリまで種類がある。だが位が高いとされる5本爪のドラゴン中でも、最高峰が四龍と呼ばれる白龍、黒龍、赤龍、黄龍なのは揺るぎようがない事実。なかでもレッドドラゴンこと赤龍は、四龍のなかでも1、2を争う獰猛さと強さを秘めている。
「だからって、年に6回しかないフェスティバルを潰した理由にはならないけどね。国の象徴の珍獣らしく、もっと威厳を持ちなさいよ!」
グリフィンたちは顔を見合わせる。年に6回もフェスティバルとやらがあるのなら、ここまで怒り狂う必要もないのではと。しかしフェイの鋭い眼光に、身を縮ませる。
「ともかく、あんたらの根城を取り戻すわよ。リーダー、私を乗せて根城へ戻りなさい」
「御意」
グリフィンのリーダーは、頭を垂れてフェイを乗せる。そしてリーダーを先頭に、グリフィンの群れは東のデスライト山脈へ向かった。
3.はた迷惑な家来はいらん!
①
東のデスライト山脈は、深い樹海に覆われた広大な山脈だ。山脈の登頂は絶対生育地を越えていて、始終深い雪に覆われており、帝国およびポチオローレ王国との国境の役割も果たしている。
竜は暖かい場所を好む。デスライト山脈唯一の休火山には、熱い間欠泉が出る熱湯の温泉湖がある。その湖の真ん中の島に、レッドドラゴン夫婦は寄り添っていた。
グリフィンの群れを見るなりオスのドラゴンが威嚇するが、リーダーの背に乗る少女の姿を見て表情を戸惑わせる。顔色というものがあったなら、蒼白になっていたに違いない。
「あんたらが、ウチのグリフィンたちを追い出した侵入者ね。とっとと元の住処へお帰り!」
フェイはグリフィンのリーダーに乗ったまま命じる。地に降りなかったのは地面が灼熱地獄だったからだ。空中で静止してでも、熱風が熱い。
「……『幻獣の王』とお見受けする。いかにも、私は帝国の守護獣をしていたドラゴン。しかしこれには深い事情があるのです」
ドラゴンは威嚇をやめて、フェイに事情を話し出す。レッドドラゴンの夫婦は帝国の外れにあるボルカーノ活火山で暮らしていた。しかし海の彼方から、レッドドラゴンよりさらに強いブラックドラゴンがやってきて根城を占拠。このブラックドラゴンは年数を重ねた強者、若いレッドドラゴン夫婦は移動を余儀なくされた。
「帝国は、ウチの国土の3倍ぐらいあるじゃない。どっか別の場所に根城を持てなかったわけ?」
「妻は初めての子を身ごもっております。また、他の地では我らよりも下位のドラゴンが各所に居りまする。普段なら奴らから根城を強奪することもできますが、妻を万が一にも危険にさらしたくありません。それにあの国に居たら……ブラックドラゴンに妻を奪われてしまう危険性がありました。奴は海の彼方のドラゴン大陸でリーダー決戦に敗れた手負いのドラゴンで、血だけではなくメスを渇望しておりますがゆえ」
レッドドラゴンは項垂れて事情を語った。
「へえ、ドラゴンって種族ごとに繁殖するんだと思ってた。珍獣の世界も奥が深いのねぇ」
フェイが感心すると、「我々は珍獣ではなぬ幻獣だ!」とグリフィンの群れやレッドドラゴンが心の中で叫ぶが、フェイに面と向かって文句は言えなかった。『幻獣の王』に大して、いかなる幻獣も歯向かうことは出来ず、命じられたら従うしかない。
「でもウチの王国は一応グリフィンを奉っているから、ドラゴンが居ると帝国といらぬせめぎ合いになっちゃうのよね。どうにかならない?」
「では『幻獣の王』よ、ブラックドラゴンをぜひ貴女様が説得して、別の国へ去るよう命じてください」
「なんで私が!」
フェイは憤る。それもそのはず、『幻獣の王』なんて初耳だったし、何が楽しくて凶悪なドラゴンを説得しなければならないのだ。
「でなければ、妻のためにも我々はここを立ち退きませぬ。たとえ『幻獣の王』、貴女様の命令でも」
レッドドラゴンは、『幻獣の王』が無意識に放つ独自の強制力に耐えながらも、妻子を守るために訴えた。苦悩と苦痛が入り交じった顔は、顔色が見えれば顔面蒼白を通り越して、血の気ない白になっていただろう。
「我らが『幻獣の王』よ。レッドドラゴンの説明通りだと、ブラックドラゴンは恐らく帝国の人間の王と契約を結んでおりません。これは拘束のない野放し状態。獰猛なブラックドラゴンをこのまま放置しておけば、我がミケール王国にも余波が来るかもしれません」
グリフィンのリーダーは決死の覚悟で、フェイの説得にかかる。
「たとえば?」
「まずは難民。それ以前に帝国の民の多くは、いたぶられて食われて、無残に殺されるでしょう。他の精霊や幻獣も我が国に逃げてくるはず。この国には帝国の幻獣や精霊を受け入れるだけの魔力が土地や大気に足りません」
「つまり、ブラックドラゴンを帝国の皇帝と契約させればいいのね。じゃ、行くしかないか。ちょっと問題の場所まで運んでくれない?」
フェイがグリフィンのリーダーに命じると、グリフィンのリーダーは申し訳なさそうに頭を垂れた。
「我らは初代ミケール王国の国王との契約により、この国の守護幻獣をしております。それゆえ、国境を許可なく越えれば越境違反として、帝国の軍が飼育するドラゴンを差向けられてしまいます。ブラックドラゴンのもとへ参るための解決策はただ一つ」
グリフィンの王は、レッドドラゴンのオスを見る。レッドドラゴンのオスも、決意を込めて身を起こし、フェイに自らの頭に乗るよう促した。
「ドラゴンに乗るなんて、漫画の世界だけだと思ってたのなー」
フェイはグリフィンリーダーから、レッドドラゴンのオスの頭に移動する。ゴツゴツした体は、フワフワもふもふのグリフィンと違って、座り心地が悪い。
「では、参る!妻よ、無事を願っていてくれ!」
レッドドラゴンのオスは、自らを奮起させるように叫ぶ。
「心配すんな、奥方は俺たちが守っててやるから」
グリフィンのリーダーをはじめ、群れは太鼓判を押す。レッドドラゴンのメスも、気丈に夫へ「コテンパンにやっつけてきてね!」と発破をかけた。ドラゴンはメスの数が絶対的に少ない分、オスは頭が上がらないのだ。
「つーか、いつの間にグリフィンと群れとレッドドラゴンは仲良しになった?なら仲良く住めよ」
フェイが厭味ったらしく言うと、一同は目を逸らした。
レッドドラゴンのオスは、フェイを頭に乗せて隣国の住処だったボルカーノ活火山島へ向かって飛び立った。
「哀れだなあ、ブラックドラゴン。よりによって『幻獣の王』が敵に回ったとも露知らず」
グリフィンの一頭が、レッドドラゴンとフェイの後ろ姿を見送りながら呟いた。
②
馬車でマトモに行けば樹海山脈を越えるのを含めて半年、ミケール王国の騎士団や魔術師団がペガサスに乗って猛スピード出しても5日はかかる距離を、レッドドラゴンは1時間もしないうちに元住処近くへ着いた。
「グルルル」
レッドドラゴンは不機嫌な声を出す。大陸から数十キロ離れた海上に浮かぶ火山島は、愛しいメスのために苦労して巣作りした。レッドドラゴンのオスが妻のために集めた沢山の宝石と、石綿で作った巣が跡形もなく消え去り、火山麓の火炎桜の森も灰も残らぬほど消え失せていたことに憤りを隠せない。
が、怒り狂っているのはブラックドラゴンも同じこと。追い払ったレッドドラゴンが戻ってことに、ただでさえ虫の居所が悪いブラックドラゴンは、レッドドラゴンを見るなり業火のドラゴンブレスを敵に向かって吐き出した。
慌てたのはフェイである。こんなところで丸焼けになんてなりたくない。
が、ブラックドラゴンのドラゴンブレスは、レッドドラゴンが浮かぶ空中の半分もいかないうちに方向転換して、吐き出したブラックドラゴンはマトモに自らのドラゴンブレスを浴びた。
「なに、このトリック。こんな力があるなら、わざわざアンタ、ウチの国に逃げ込んで来ることもないじゃない!」
「いいえ、『幻獣の王』よ。これは貴女様のお力ですよ。我々幻獣たちは、どれほど強かろうとも『幻獣の王』には敵わないのです。試しに攻撃してみたらいかがですか。貴女様は、自らの偉大な力をまだ自覚していないようですから」
レッドドラゴンは言い、しばし考え込んでから付け加えた。
「獰猛な奴ですが、同族を殺すのは忍びないので、半殺しでお願いします」
「いやいや、なにを物騒な。いたいけな少女が半殺しなんてーー」
人間を何名も血祭りにしているのを棚に上げてフェイが言う。だがフェイが言ってるそばから、不機嫌絶頂のブラックドラゴンが向かってくる。理性を完全に失って、誰を敵に回しているのが気づいてないらしい。
フェイが咄嗟に指をブラックドラゴンに向ける。動物愛護的にドラゴンを攻撃するのはしのびないと思っていたところに、ふとオタクな親友が書いたボーイズラブ同人誌のワンシーンが浮かんだ。
たちまちブラックドラゴンは特殊な鎖で亀甲縛りにされ、そのまま海に落ちた。山1つ分の巨大な竜が海に落ちたゆえ、津波が活火山や大陸を襲う。幸い、ブラックドラゴンに恐れをなし、辺境の人々は大陸奥地に逃げていたので、津波の損傷は船や家屋に留まった。
ブラックドラゴンは藻掻きながら、顔を海に浮かせたり沈みこませたりしている。『幻獣の王』が使う戒めの鎖は、『幻獣の王』が解かない限り、ドラゴンにどれほどの力があろうとも鎖を断ち切れない。海は荒波が立っているが、ブラックドラゴンか上がってくる気配はない。活火山周辺は、レッドドラゴン夫婦が海を掘って海中を深くしているため、巨大なブラックドラゴンも全身が海に浸かっていた。
「これ、どうすればいいと思う?」
呑気にフェイがレッドドラゴンのオスに尋ねると、縛られたままのブラックドラゴンが「助けてくれ~!」と海面から必死に顔を出しながら助命を求める。
「助けた途端、襲われたくないんだけどなぁ」
「いま、我は我に返った。貴女様『幻獣の王』に逆らったこと、お許しください!代わりに私めは、貴女様の忠実な下僕となりまする!」
「えー、ドラゴンの下僕なんて、冒険者や魔術師じゃあるまいし、いらん。むしろ迷惑」
フェイは将来的に、馬牧場に嫁ぐことになっているのだ。正確には次男坊なので後継者ではないが、既に婚約者のホース・ハーベストには別の馬牧場がトアール男爵から婚約祝として送られており、ホースは荷馬車に特化した馬を飼育しつつ、より強固な体と足つき、それと幻獣と出くわしても暴れない馬を開発中だ。
馬牧場は、フェイの新事業の一環でもある。「ドラゴンの臭いなんてつけてたら、馬が暴れ逃げるじゃないか」というのが、フェイの本音だ。
「そこを何とか!」
ブラックドラゴンは重たいので、縛られたままでは海中に沈むのも時間の問題だ。
「ミケール王国の『幻獣の王』とお見受けする。どうか、あのドラゴンと契約して、助けてやってください!」
何時の間にか、フェイの乗ったレッドドラゴンの背後には、不死鳥に乗った帝国魔術師団が顔を青くさせて訴えた。
「だって、ドラゴンは帝国のものでしょ。ウチの国でドラゴンは、ちょっとねぇ」
「『幻獣の王』の下僕となれば、話は別です!ともかくドラゴンを助けて契約してください!このままドラゴンが溺死したら、海がドラゴンの魔力で汚染されて、漁師たちはもちろん、海辺近くの住人も生活できなくなってしまいます!」
なるほど、そういうわけかと、フェイは帝国魔術師団長の必死の説得に納得する。
フェイがブラックドラゴンの鎖を消すと、自由の身となったブラックドラゴンは海面から飛び出して空中で羽ばたき静止する。
「助けてくださいまして、恩に着ます。また、『幻獣の王』とも知らずに逆らったことを、どうぞお許しください。私はこれより貴女様の忠実な下僕。何なりと、お申し付けください」
ブラックドラゴンは空中で羽ばたいてその場に静止しながら、頭を垂れる。
「じゃ、元の住処に戻ってよ。帝国も我がミケール王国も、図体のデカいドラゴンを養う余裕なんて無いからさ」
フェイが言うと、ブラックドラゴンは絶望的な顔をする。それがあまりに哀れだったのか、被害者のレッドドラゴンのオスか助言する。
「恐れながら、このブラックドラゴンは、闘争に敗北しました。海の彼方のドラゴンランドへは、敗北者は戻れないのです。かくいう私も、かつて決闘に敗れてこの大陸へ渡った身の上。妻はその時、私に同行してくれましたが、それはすなわち、妻もまたドラゴンランドへ戻れぬことを意味します。この大陸にいるドラゴンは、一部の好奇心旺盛さからドラゴンランドを飛び出した例外以外は、決闘に破れて追い出されたハグレモノなのです」
レッドドラゴンは、遠い昔の決闘に敗れた苦い過去を思い出して顔を歪める。だが妻が共に付いてきてくれただけ、レッドドラゴンは幸せ者だった。
「そうは言っても、こんなデカいドラゴンを飼うことになったら、私は学園に通えないじゃない。帝国の魔術師団長殿、貴方様が契約することはーー」
「無理です!ブラックドラゴンは、貴女様『幻獣の王』に忠誠を誓いました。それに上位種のドラゴンは、人や小動物に化けることができますゆえ、貴女様の護衛にピッタリかと」
帝国の魔術師団長は顔面蒼白になりながら説明する。そりゃあ魔術師団長としても、ブラックドラゴンと契約なんて、叶うことならしてみたい。そうすれば周辺国にも睨みを利かせることも出来るし、帝国内の発言力も強くなる。だがブラックドラゴンは、既に主を決めた。
そして『幻獣の王』には、今後、ブラックドラゴンが必要となるだろう。なにしろ大陸を飛び回る任務が課せられるのは確定しているのだから。
「ここでは何ですので、とりあえず帝国近くの駐屯地へ向かいましょう。なにか召し上がりたいものはございますか?」
帝国騎士団長がフェイに尋ねると、フェイは「フライドチキンとポテト、衣にスパイス多めにまぶして!」と躊躇わずにリクエストした。
普段なら、貴族である魔術師団長が淑女に食事のリクエストを聞くことはない。黙ってお茶とお菓子を振る舞えば良いだけだ。だが帝国の魔術師団長は確かに聞いてしまったのだ。フェイのお腹が盛大にグーグーと空腹を主張していることに。
「かしこまりました」
こうしてレッドドラゴンに乗ったフェイは、フェニックスに乗った帝国魔術師団先導のもと、駐屯地へ向かった。しんがりに、ブラックドラゴンも付いてくる。
(何とか帝国に押し付けられんかな)
フェイはレッドドラゴンに騎乗したまま、ブラックドラゴンの処遇について模索した。
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