天赦日参拝 令和6年5月

酒原美波

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伊勢神宮天赦日参拝 令和六年五月吉日

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  序章

「天赦日」。1年に数度ある、
天が万物の罪を赦す吉兆日とされている。

 五月末ある天赦日は、何処の神社へ参拝しようかと、以前から考えていた。この日は神社参拝に良い神吉日でもあったので、どこかへ参拝に行くことだけは決めていた。
 だが通院や眼鏡の作り直しなど、5月は物入りで金銭的にキツイ。だがせっかくの吉日、いくつか日帰りできそうな、行ったことのない話題の神社を候補に挙げて調べてみたが、ピンとこない。やはり馴染みの神社が一番かなと、思い始めていた。ほんの直前までは。

 伊勢神宮へと思い立ったのは、昨年、友人からいただいた、神宮内宮のお守りが、ふと目に入ったからだった。常に鞄につけていて、鞄を使い分ける時にもお守りは必ず付け替えていた。それを見たとき、無性に伊勢神宮へ行きたくなった。メガネ買い替え代金どうするんだと脳裏を過ったが、家族の介護で、旅行なんてここ十数年行っていない。家族の介護から一番に学んだこと、それは動けるときに動けだった。
 すぐにネットで一人部屋を探したところ、手頃な値段のホテルのシングルがヒット。おまけに割引券付きで、更にお得に。さっそく、ホテルを予約した。それから最寄りのみどりの窓口に出向き、乗車券と新幹線往復切符を購入。往路は窓側の指定席、復路は時間が読めないので自由席にして、帰る頃に追加料金を支払って指定席に格上げすることにした。

 伊勢神宮へは、過去2回、それぞれ別の友人と行ったことがある。だが一度目のメインは伊勢志摩スペイン村、二回目はミキモト真珠島をはじめとする観光とグルメだった。
 今回は純粋に参拝目的、ちょうど前日が巳の日なので、まだ参拝に赴いたことのない熱田神宮にもご挨拶に行き、手水場近くの楠木に住むという白蛇さんに会えればいいなとも思った。

 みどりの窓口を出てすぐ、本屋へ直行。伊勢のガイドブックを購入して、帰宅してすぐ、参拝順路を検討する。当初は初日に熱田神宮参拝後、電車で鳥羽へ出て話題の神明神社へ行き、それから二見興玉神社を参拝。二日目に伊勢神宮外宮から内宮へ、そして猿田彦神社をはじめとする別社へ立ち寄れるだけ行ければ良いと思っていた。
 それにしても、いまは便利な世の中だ。昔は時刻表とにらめっこしながら、順路計画を立てていた。それがいまでは、スマホですぐに検索できる。
 電車の時刻やバスの時刻を調べているうちに、まず神明神社はバスの時刻的に、一泊二日で詰め込むのには無理があると判断、泣く泣く外した。そもそも海から遠い我が家に、海の安全を守る神様との縁は薄かったのかもしれない。次回があったら、是非参拝したいと思う。
 初日に熱田神宮を入れるのも、工程に無理があるように思えた。参拝ルートが確定してたのは、二見興玉神社で潮風の禊を浴びながら参拝して、伊勢神宮外宮へ、それから伊勢神宮内宮だった。
 伊勢神宮の外宮から内宮への参拝は以前から知っていて、過去2回の旅行でもその順番で参拝していた。だが本来は二見興玉神社で禊するのが正当な方法らしい。さらに調べると、他にも事前に行ったほうがよい神社や、本来の禊はご祈祷を受けてなどキリがない。神様に対してその物言いは失礼だが、一泊二日で、なおかつ限られた予算内に収めるには、上記プランが私にとって限界だった。

 まず初日に、二見興玉神社参拝、伊勢神宮外宮参拝、内宮近くのおはらい町とおかげ横丁を食べ歩き&買い物。翌日朝一番のバスで、伊勢神宮内宮を参拝して、徒歩で猿田彦神社と同じ敷地内の佐瑠女神社の参拝。月読宮や倭姫宮を回れたら赴き、最後は熱田神宮へ行く計画に見直した。
 そんなわけで、思い立った三日後には東海道新幹線に乗って、関東地方を離れたのだった。

   初日(巳の日)

① パニック
 季節柄、電車の遅延が最近は特に多い。それでなくとも元来、遅刻は生理的に我慢出来ないため、予定より早めの電車に飛び乗って、新幹線のりばのある駅へ向かった。
 …毎度のことだが、早すぎた。友人と一緒に行くときは、新幹線ホームでの待ち合わせが恒例だったので、定刻まで休憩室でお茶でも飲みながら時間が経つのを待つのだが、今回は久々の一人旅。指定席を早めの時間に繰り上げることにした。だが昔はあったはずの、新幹線の有人切符売り場窓口がない。有人乗車券改札で聞いたところ、電車の変更は券売機を使ってくださいとのこと。
 カルチャーショックをここでも感じつつ、券売機で新幹線と指定席の変更など、お世辞にも機械に強いとは言えない自分が出来るか不安だったが、意外と難なくこなせた。新幹線変更のボタンがあったので、指示通りにしたらスムーズに変更できたのである。もっとも窓際は売り切れで、三人がけの真ん中しか残ってなかったが、時間を有効に使うためには仕方がない。

 数日前まで、この日の天気予報は曇り時々雨だった。しかし雲は多めなものの、雨の気配はない。楽しみだった新幹線車窓からの富士山は雲と霧に覆われて拝めなかったが、浜名湖付近から雲が減って晴天となった。

 名古屋到着。今回は近鉄特急で伊勢市駅に向かう予定だ。
 実は初めての伊勢旅行では、往路こそ問題なかったものの、復路で近鉄線のトラブルがあって遅れ、新幹線ホームまで友人二人とダッシュして、発車ギリギリで間に合った思い出がある。旅行会社企画のフリープラン旅行だったので、新幹線の変更が不可だった。名古屋駅構内で買い物が出来たらと、乗り換え時間を含めて1時間ほど余裕をもって新幹線を予約したのが、思いがけなく役立った。三人でしばらくゼーゼー言いながら座席に座っていたのも、今となってはいい思い出だ。
 それを教訓に、二度目の旅行ではJRの「快速みえ」を使用したが、指定席とは名ばかりの座席で、次々乗り込んでくる乗客に、指定席券支払っているとはいえ、普通席との区切りが明確ではなかったので、肩身の狭い思いをした。だが新幹線への乗り換えは、段違いに便利だった。
 新幹線からの利便性なら「快速みえ」、車窓を楽しみたいときは「近鉄特急」が断然お勧めである。

 今回は一人旅。案内板を頼りに近鉄のりばへ向かい、近鉄特急Vistaカーの乗車券と特急券を購入。
 近鉄特急のVistaカーは見晴らしが良い。名古屋を出発して、大きな川や小さな川を渡っていく。台風のときのニュースで氾濫危険水位情報がでるのも納得の川の多さだなと実感。そしてこちらは大雨が降った後なのだろうか、水が濁って水量も多い。
 名古屋から離れるごとに、のどかな風景が広がり、たまに発展した駅前は賑やかそうである。そんな見慣れぬ場所の光景を、飽きずに眺めていた。
 しばらく車窓を眺めていたが、ふと帰路の切符のことを思い出して青ざめた。Suicaを入れる定期券入れに、往路の切符は入れていた。しかし昔使っていたような二面の定期入れではなかったので、復路の切符は別の場所に入れようと、クリアハードケースに入れて、机の上に置いた。財布に入れるつもりだったが、早く旅行に行きたい気持ちが急いて、復路の切符を机に置きっぱなしにしてしまったのだ。それでも悪あがきに、もしかしたら財布に入れたかもしれない、ハンドバッグのポケットに入れたのかもしれないと、散々探したが、やはり最後の記憶が正解だったようだ。帰宅後、机の上の新幹線券と乗車券に、どれほど無念さを感じたことか。
 旅行が始まったばかりで、この大失態。メガネの買い替えのために、これ以上の出費は避けたい。だがせっかくの旅行で、参拝時に欲しいと思っていたお守り、なにより御朱印を諦めたくはなかった。
 幸い、友人達に旅行のことは黙っている。お土産を買ってきて驚かそうと思っていたが、このまま黙っているのが賢明だと思った。
 ちなみに昨年、伊勢神宮内宮のお守りをくれた友人は、娘さんが某アーティストの追っかけライヴで名古屋には年に何度も訪れ、鳥羽水族館のラッコちゃんラブでもあるため、伊勢とも縁が深い。心のなかで「すまない」と謝りつつ、今回の旅は自分を優先することにした。
 そうは言っても、たとえ自分のためであれ、散財するわけにはいかない。ガイドブックで調べていたお土産の大半は諦めることにして、食費も削ることにした。本当は以前食べて美味しかった海鮮バーベキューを目的の一つに入れていたのだが、8000円近いお金を一度の夕飯で使うわけにはいかない。いや、食べる気満々だったけど、そのために予算も組んでいたけれど、帰路の切符代を考えるとそうも言ってられなくなった。

 伊勢市駅に到着して、JR側のコインロッカーに持ち歩き不要の荷物を入れる。が、値段の安い現金ロッカーは手持ちの百円玉が足りなかった。旅行前にバス移動時の使用を考えて、Suicaには予めチャージしていていたが、たかが百円、されど百円の差に涙を呑んで、電子マネー対応ロッカーに荷物を預けた。

② 二見興玉神社
 コインロッカーに荷物を預けてから、参宮線で二見駅へ向かう。伊勢市から先はSuicaをはじめとするICカードが使えないので、切符を購入してくださいとのこと。片道、往復があったが、さすがに無人駅でも券売機ぐらいはあるだろうと、片道切符を購入して改札を通る。また無くす(忘れる)愚挙を犯したくなかったのだ。
 電車は一時間に二本、もしくは一本。昼の時間帯は一時間二本だったのと、タイミングが良かったために、さほど持たずに乗車することが出来た。
 伊勢市駅からほんの数分で到着。車内の車掌さんが切符を回収し、改札を出ると券売機がない!
 だが駅の説明案内板に、切符のない方は車内でお買い求めくださいと書いてあってホッとした。
 晴れた空の下、人通りはまばらで、宿泊施設はあるが店もさほどない。ふと、喫茶スペースのある赤福のお店を発見。
 番茶セットが一番安かったが、滅多に抹茶を飲む機会がないので、事前に抹茶セットの食券購入して席で待つ。間もなく運ばれてきた抹茶と赤福に、ホッと一息。
 実はこの日初めての食事(スイーツ)。水分補給は怠らなかったが、乗り物酔いが酷い体質なので、特に長時間の移動の際には食事を抜くか、食後数時間空けてから乗車するのが常だった。もちろん、酔い止めと胃薬は常備。
 抹茶のほろ苦さと、アンコの甘さが五臓六腑に染み渡る。餅は腹持ちもよいので、ちょうど良い昼食となった。

 標識どおりに歩いているが、初めての場所だと、この道で合っているのか不安になる。だが間もなく海が見えてきた。海岸が見えたので、神社参拝したら海辺にちょっと行ってみようかと思ったのは、海から遠い場所に住む人間の憧れ故か。

そして、二見興玉神社に到着。
 海が開けていて、清々しい。台風一号が日本から離れて通過中であるせいか、波が高い気がする。海を間近で見る機会は、数年に一度程度。だがここは、内海のはず。私がたまに出かける機会のある海は、太平洋に面していて、普段はこれほど波が高くない。
 台風のうねりは馬鹿にならないものだと、このとき思った。

 愛知県と向かい合うこの海には、複雑な思いがある。父は戦時中、愛知県郊外に住む親類のもとで、一家揃って疎開していた。戦争が終わっても、焼け野原の東京に戻ったのは祖父だけだったらしい。父が愛知県で通っていた小学校の修学旅行先が伊勢だったので、歴史好きの父は楽しみにしていた。しかしその願いは叶わなかった。修学旅行直前に、一家で東京に引き上げることなったのである。社会人になった後も、出張で松坂までは行っていたというが、伊勢には縁がなかった。
 定年後、伊勢に行く計画が立ったが、どうしても愛知県から出るフェリーに乗って、鳥羽経由で神宮参拝したいというので口論になった。その旅程だと、車で行くならともかく、新幹線などを使った独自計画になると、金銭的に高額になるからだ。
 結局、父はそれなら生涯、伊勢に参拝に行けなくても良いと言って、結局その通りになってしまった。そもそも父の子供時代に出ていた疎開先最寄りのフェリーは廃止となっており、知多半島からでないと行けないオチも付いていた。

 海岸に沿った参道を歩くと、二見興玉神社に到着した。ガイドブック通り、まず入口には天の岩屋。天の岩屋で参拝して、棚の上の輪注連縄のため300円支払い、体中の穢れを取り除いてから、奉納。
 ガイドブックには手水場で手と口を清めてからとなってたから、あれ?と思ったが、本殿にも輪注連縄を奉納する場所があったのを、間もなく知ることとなる。
 本殿参拝。潮風が心地よい。電車からの下車人数は少なかったが、参拝者がそれなりに居たのは、マイカーでこちらに来た人達だろう。確かに、京都のような地下鉄やバスなどの公共交通機関が発達した観光地と違って、伊勢のように目的地が離れていると自家用車があれば便利なはす。いまはカーナビもほぼ常設されているため、迷うこともあるまい。そんな便利機能なかった時代、方向音痴の父のドライブで、清里のロープウェイに行くはずが、何故か白樺湖に着いていたことを思い出す。方向音痴なのに車の運転が大好きで、家族は何処へ連れて行かれるかと、いつも恐々としていたものだ。

 社務所にて、御朱印授与。昨今の神社仏閣は五百円が多いが、伊勢は大抵が昔通りの三百円だった。もっとも、お気持ちということで、金銭的に余裕があればお札でお礼を示したいところだが、なにしろ帰りの切符代という重たい縛りが(汗)。
 社務所では、ガイドブックに掲載されていた蛙のお守りも授与(購入)させていただいた。
 夫婦岩付近には、カエルの石像が多い。そういば、いつの頃か殿様蛙やアマガエル(自宅に住み着いていたヒキガエルは除く)を見かけなくなった。田舎ながらに住宅地開発や公園整備が整ったせいであろう。
 幼い頃は当たり前のようにアマガエルがいて、梅雨の時期には塀に沢山のカタツムリ、夏休みには赤とんぼの大群が一日数回通りかかっていたのに。雀も見かけることが少なくなった。便利さと引き換えに、昔ながらの馴染み(鳥や両生類)が消えていくのは寂しく思う。

 伊勢神宮参拝者は、まず二見興玉神社を参拝して、それから伊勢神宮の外宮から内宮へと参拝するのが正規ルートだと、ガイドブックに書かれていた。
 だが遠い関東の人間からすると、伊勢には魅力的な観光地が沢山あるため、ついそちらを優先してしまいがちだった。だからこうして、二見興玉神社参拝と、夫婦岩参拝ができたのは本当に感慨深かった。
 昔購入したデジタルカメラよりも、いまのスマートフォンの方が画質がいい。つい調子に乗って写真を撮っていると、見る見る充電が減っていくので、たとえ荷物になろうとも充電器は旅行の必須アイテムだ。

 帰り際、海岸へ出た。5月の海岸へ下りる奇特な人間は、私ぐらいなものだった。
 私はお守りがてら、小さな袋に3つの個性ある水晶の欠片を持ち歩いている。その水晶たちには名前をつけていた。真っすぐな透明の水晶は、初代愛犬から名前をもらってジョン。桃色がかった水晶は唯一の雌犬だった二代目愛犬バナナ。そしてクラックの入った水晶の中に虹が煌めく欠片は、最後の愛犬にして三代目のレンから命名した。これを出かけるときには持ち歩き、三匹と常に一緒にいるような心強さをいだいていた。
 三匹とも海は知らない。それどころか、初代犬はお風呂はもちろん川に入るのも大嫌いだった。バナナとレンは風呂嫌いだったが、川に入るのは大好きだった。特にバナナは真冬でも川に入りたがり、用水路に水が流れてると必ず飛び込んでいた。それなのに風呂嫌い、未だに謎だ。
 私はお守り代わりの翡翠のネックレスと、3つの水晶を波打ち際で清めた。そのとき大きな波がやってきて、慌てた私は背後に退こうとしたが足がもつれて、背中から転倒した。日頃はジーンズだが、神宮参拝には神様に敬意を評して、それなりの服装にするべきと本に書かれていたので、数少ないスカートをこのとき履いていた。海に向かってスッテンコロリンしたのは、誰にも見られなくて良かった。海以外はスカートが、まぐれ上がったのを見てなかったのだから。そして砂浜ではなく、砂利だったことも、服が盛大に汚れなかったので助かった。
 だが背後を振り返ると、神社参拝へ行く人達が失笑しているように見える。まあ背中も禊が済んだということで、私はネックレスを首にかけ、3つの水晶を袋に入れてハンドバッグに仕舞うと、何事もなかったかのように海岸を後にした。
 帰路、道に迷いそうにもなったが、何とか二見浦駅に到着。待つこと数分で伊勢市駅行きの参宮線に乗り込み、車内で車掌さんから切符を購入。
 久々の海をもう少し堪能したかったが、一泊二日のスケジュール上、時間は有効に使わねばならなかった。

③伊勢神宮外宮
 参宮線を下りて、伊勢神宮外宮の参道に出た時には驚いた。昔きたとき、薄暗い印象の曲がりくねった道の印象が強かった。
 それが外宮まで、まっすぐに道が整えられて、両脇に洒落た店構えのお店が並んでいたのだから。時代を感じたわ。

 外宮へ行く前に、立ち寄りたいお店があった。「おいせさん」という、今、話題のコスメショップである。都内でもスプレーを買える店はあったが、人気が高くて、目当てのお清めスプレーを数件回ってやっと買えたほどだった。取り扱いはスプレー3種類のみばかりだったので、外宮参道の本店にはどんなものが置いてあるか知りたかった。
 参道から脇道を入ってすぐ、こじんまりとしたお店があった。客人も数名いて、知らない数種類のスプレーの他にも、バスソルトなどが置いてある。バスソルト、買おうか買うまいか迷ったけど、無香料お清めスプレーを見た瞬間に欲しくなったので、バスソルトは諦めた。可愛らしい袋に入ったお手頃価格なものも種類があって、お土産にいいかもとも思ったが、いやいや、友人達にはこの旅行を秘密にしようと決めたではないかと思い直して、自分の分のスプレーのみ購入した。
 スプレーの使い方、本来とは目的が違う方法が有名になってしまっているが、ウチは玄関の方位が悪いので、以前購入したものを帰宅時にスプレーしている。外でも、何となく嫌な場所でお清めスプレーを使っていたが、香りが残るため、無香料があればいいなと思っていたところである。
 そういえば、以前母の診察に訪れていた訪問看護師さんは、真夜中に急患から呼ばれて、墓場の前に通るのは不気味で嫌だと話していた。私はたまたまユーチューブで知ったが、ファブリーズなどのアルコール成分入りが、除霊に多少なりとも効果あるようですよと話したら、それ以来、墓場の前を通るときにはアルコール入除菌スプレーを車内に振り撒いているとのことだった。除菌スプレー程度のアルコールなら、たぶんアルコール検知には引っかからないと思うが、どのぐらい振り撒いていたかまでは、結局、聞かなかった。

 参道に戻り、横断歩道を渡って外宮前に到着。まさか伊勢神宮(本来は神宮と、呼ぶべきらしい)の外宮前に立つ日が来るとは数日前まで予想もしていなかった。
 ここは過去に訪れたときと同じく、穏やかな中にも背筋を正さねばならないような神聖さがある。
 手水場で手と口を清めた後、心地よい初夏の木々に囲まれた表参道を歩く。久々の林の中は心地よく、芳しい花の香りもした。目立つ花ではないようで、辺りを見回りしても花らしい花は見当たらない。だが懐かしい記憶が蘇る、そんな匂いだった。

 以前、近所に夏場でも薄暗い竹林と雑木林があって、たまにキジと出くわしたり、カブトムシやサワガニが歩いていたこともあった。しかし数年前に宅地開発されて、竹林も雑木林も消えた。
 昔、父がガンの手術する事になったとき、犬の散歩途中に必死に拝んだお地蔵様。願いは届いて父の手術は成功した。お礼に庭の花を花束にして供えた事もあったが、宅地開発でお地蔵様の場所は移動となり、向きも北向きから南向きへ変えられた。お地蔵様を動かすと良くないことが起こると、昔ながらの土地には伝承が根付いていたため、古いお地蔵様の隣に真新しいお地蔵様が建立された。鬱蒼とした竹林の中に佇んでいた古いお地蔵様は、道に面した明るい場所に移った。供養も以前以上にされているが、私はこの散歩コースを歩くのが悲しくて嫌になり、それ以来、この道は通っていない。

 神楽殿の横を通って、正宮に到着。前回の式年遷宮以降の参拝となるが、一度目に初参拝したのと同じ場所に正宮が戻ったということになるのだろうか。
 以前は正面から入れたが、感染症対策か、それとも神宮参拝者が激増したためか、入口と出口が分けられていた。
 豊受大神様の和御魂が祀られた正宮では、感謝の念だけを伝えて、願い事は控えるようにと言われている。ここへ来れただけでも感激だった。風が強かったので、参拝時に布がサーっと上がって御本殿を見ることが出来た。歓迎してくださったのかなと、清々しい気持ちで感謝の念を伝えて、出口へ向かった。
 神様を写真に写すのは何となく罰当たりな気もするが、やはり写真に残したかったので、正宮の外の鳥居から斜めに外れた場所からスマホで写真を撮った。中は映らないように配慮した。

 昔、伊勢神宮参拝にきたときには、和御魂と荒御魂の知識がなかった。
 和御魂は文字通り、神様の穏やかな魂。荒御魂は荒々しい神様の魂だ。
 そして伊勢神宮の和御魂に願い事をしてはならない、感謝と国家安泰を祈るべきと本に書かれていた。
 対する荒御魂には、願掛けをしても良いらしい。ただし荒ぶる神様の魂なので、慎重に願掛けしないと、手厳しい反応が返ってくるという。

 私はまず、豊受大神様の荒御魂が祀られた多賀宮より先に、大土乃御祖神様を祀る土宮を参拝し、次に級長津彦様と命級長戸辺命様を祀る風宮を参拝。それから石段を登って、多賀宮へ向かった。
 距離的にさほどではないものの、日頃の運動不足で、石段を上るのがキツイ。ようやく息を切らしながら多賀宮へ到着した。
 参拝者が数名いたので、その列に並んで、自分の番になってから参拝。願い事は内緒。だがこれからの人生を生きていくのに必要な願掛けをした。

 多賀宮の石段を下りて小さな橋を渡り、正宮付近に出る。すると行きには気づかなかったが、縄を張った中央に地面に埋もれるような石があった。その石に、皆が手をかざしてパワーを貰っている。
 過去の記憶を辿ると、確かにこのような石があった。だが今回のガイドブックに、石についての記載がない。こういうときは、スマホの出番だ。
 式年遷宮の際にお参りする場所で、手をかざすと温もりを感じるパワースポットと記載されていた。私も皆に混じって手をかざしたが、鈍い私には温もりを感じることが出来なかった。残念。事前調査をせずに、いきなり手をかざされたから、三つ石様も気を悪くなさったのかもしれない。ゴメンなさい。
 ネットには、亀石というものもあった。場所を調べると、多賀宮へ通じる橋の巨岩だった。穴がポツポツ空いて、樹木の雫が長年かけて穴を開けたのかと思っていたが、これが亀石様だったとは。
 よく見れば、橋の部分は甲羅、橋からせり出した部分が頭のような形をしている。スマホで写真を撮ったものの、うまく亀の形には写らなかった。亀石様、橋になって渡らせてくださり、ありがとうござきました。

 神楽殿へ戻り、ユーチューブで見た勾玉の形のお守りを授与(購入)。ひと目見たときから、惚れてしまいました。
 それから御朱印をいただき、出口へ向う。参道わきの樹木を眺めながら、今度はいつ来れるだろうかと思いつつ、ゆっくり歩く。名残惜しいが、また参拝に来れるときを願いながら。

 勾玉池の畔の休憩所で一休み。自宅から水筒に入れてきた、冷たいほうじ茶の残りは、ここで飲み干した。水分がまだ欲しかったので、自動販売機でしばし悩んだ末に、ミネラルウォーターを購入。お茶などはカフェインでトイレが近くので、控えました。
 勾玉池の周囲では、ちょうど花菖蒲が咲いていた。盛りは過ぎてしまったものの、まだまだ見応えがあった。所々で蛙が鳴いている。見かけなくなって久しいアマガエルの鳴き声だ。私は花菖蒲そっちのけで、根元を入念に探したが、結局、蛙を見ることは出来なかった。

④ おはらい町
 外宮を後にして、まだ時間も14時を過ぎた頃である。内宮は明朝、参拝する予定だが、この時間で空いているお店は赤福本店ぐらいなものだろう。翌日は熱田神宮にも詣る予定だったので、この日のうちにバスで、おはらい町とおかげ横丁へ行くことにした。目当ては伊勢うどんと、豚捨のコロッケとメンチカツ。
 駅前まで戻るのはけっこーキツイなと思ったら、外宮前のバス停から内宮行きのバスがあった。そういえば前回も、外宮そばからバスに乗った記憶がある。だがこんな立派なバス停ではなかった。
 バスに乗って、おはらい町へ。ここへ来ると、買い物熱がウズウズする。
 赤福は二見で食べたので、先ずは伊勢うどん。店の目星は、つけていた。
 おかげ横丁の中にある、多彩なメニューの伊勢うどんが味わえるお店だ。だが時間が時間なだけに、目当ての変わり種伊勢うどんはほほ完売。ならば王道を味わおうと、普通の伊勢うどんの食券を購入した。
 うどんの好みは、人それぞれ。友人知人も、歯ごたえのある讃岐うどん派や、ツルツルと食べられる吉田うどんや稲庭うどん派がいる。福岡出身の友人に、うどんのことは聞いたことなかったが、テレビだと歯ごたえのない柔らかなうどんらしい。
 柔らかいうどんといえば、伊勢うどんぐらいしか、私には思いつかないが。ちなみに私は稲庭風うどん派(本物は高い)であり、きしめんも好きだ。生まれも育ちも南関東だが、祖父母の出身地が愛知県だったので、たまに墓参や法事で愛知県に行くときは、帰路途中の豊橋できしめんを家族でよく食べた。父と二人で行くときは、有名な豆腐田楽定食の支店だったが。
 伊勢うどん、本日二度目の固形物。これから油物を食べるには、結果として王道伊勢うどんで正解だった。胃に優しく、美味しい。この時間でも客は多く、座る場所待ちの人もいた。運良く大型縁台にすぐに座れた私は、間もなくやってきた王道伊勢うどんをササッと食べて、店を出た。
 おはらい町の閉店時間は短い。これはどこの観光地も言えることだが、それでも海外からの観光客が増えてから、ある程度遅くまで店を開いている飲食店も増えてきた。

 次に向かったのは、豚捨のテイクアウト行列。
 前回、三人で出かけた時は、おはらい町で個人行動となったのだが、一人の友とは合流時間まで会うことはなった。
 もう一人の友とも最初は別行動だったのだが、豚捨の前で合流。互いにメンチカツを買って食べたあと、きゅうりの一本漬けを口直しに食べたり、土産物店を覗いたりと、結局合流約束時間まで一緒に行動した。
 コロッケとメンチカツ、どちらにしようか並んでいる間に迷った末、両方を購入して、店舗前のベンチで交互に食べた。座っているベンチのところに、肉を焼くよい香りが鼻腔をくすぐる。食欲スイッチが入った私は、コロッケとメンチカツを食べ終えると、匂いの方向へ向かった。
 そこでは松阪牛串とビールのセットが売っていた。迷わず私はビールセットを購入。肉が焼けるまでしばし時間がかかるというので、先に出されたビールを大型縁台に腰掛けてチビチビ飲む。暑い日のビールは、やはり美味しい。間なく牛串が焼けたとの声がかかり、取りに行って再び縁台に腰掛ける。牛串が加わったことで、ますますビールは美味しくなり、牛串の美味しさも際立った。
 食べ終わる頃にはお腹も満たされていた。本当は方々で売られていたソフトクリームも味わいたかったが、お腹が限界を主張していた。
 その後は土産物店巡り。招き猫専門店で、まっさきに目に入った招き猫。一目惚れしたほど可愛いが、値段が手に届かない。そもそも我が家には京焼の「タマ」という招き猫がいるので、招き猫だらけになるのもいかがなものか。それに家族は大の犬好きで、代わりに猫を目の敵にしていた。三代目の愛犬が子犬の頃、近所お宅の飼い猫に鼻を引っかかれてからは、ますます猫嫌いに拍車がかかった。

 またもや前回の伊勢旅行の話になるが、その時、火打ち石を買うか買うまいか、散々悩んだ末に購入を見送った。後日、近隣の神社の参道で火打ち石を購入したが、下手くそなのか一度も火花が出たことがない。たまに都心の神社でお守りや御札を買う時、巫女さんが手際よく火打ち石を鳴らして火花を出すのが格好良くて憧れる。
 話は脱線したが、その店に行ってみると、前とは大きく様変わりしていた。以前は神具を専門に扱う店だった。神具はいまも取り扱っているが、随分と売り場面積は縮小され、代わりにパワーストーンが売られていた。
 私はパワーストーンが大好きだ。最近流行りのレムリアン水晶も色々と売っていた。他にも魅力的なパワーストーンがあったが、値段に圧倒されて、泣く泣く諦めて店を後にした。
 近年、大きな神社の近くでパワーストーン専門店をよく見かける。だがメインは主にブレスレットで、置き石として楽しめる原石や棒状の六角形に加工したポイント、今ではスフィアと呼ばれるのが主流となった水晶玉などを取り扱う店は少ない。
 アクセサリーではないパワーストーンを入手するには、ネット販売を利用するか、実物が見られるミネラルショーへ赴くのが主流となっている。だがここ、伊勢のおはらい町は私にとって精神修行の場所だった。
 別の店を覗いた時、ローズクォーツのスフィアがあった。値段が高額なので、これは容易に諦めることが出来た。
 だが別店舗で、最大の試練が待っていた。オーラクォーツという、水晶に金属塗布して加工した、自然界にはない色の水晶である。オーラクォーツで有名なのが、明るい水色のアクアオーラクォーツ。これの安い小石サイズは、近隣のパワーストーン専門店でたまたま見かけて購入したので持っている。
 今回見かけたのは、初めてお目にかかったパープルオーラクオーツだった。天然の紫水晶(アメジスト)の濃い色合いのものは、値段が恐ろしく高くて手が出ない。だが加工品なら、少し背伸びをすれば手が出ないこともない。そう、私が帰路の新幹線切符と、乗車券を自宅に忘れてこなければ。散々なやんた末に諦めたが、店を出るときに見てしまった桜瑪瑙のペンダント。
 桜瑪瑙というものを知ったのは、初めて出かけたミネラルショーたった。このときは別の目的のパワーストーンがあり、予算が空だったのと、ある程度の大きさだったので値段も高価だったのだ。
 見かけたペンダントはお値段二千円。手が出ないこともない。桜の柄も美しく出ている。言われなければガラスに桜を描いたのではと思われるほど、魅力的なペンダントだった。これも悩みに悩んだ末、翌日まで諦めきれなかったら買おうと決めて店を出た。

⑤ 伊勢神宮内宮
 時間は、16時前。神社参拝は三時まで済ませた方が良いというが、日本の神社最高峰にして聖域の伊勢神宮内宮。そして来月が夏至ということもあって、まだまだ明るい。
 せっかくここまで来たのに、ご挨拶無しも無礼だなと思って、宇治橋を渡った。
 いや、本当は真っ先にご挨拶に伺うべきだったのだろうけど、メインは明朝と決めていたし、お腹もすいていたので。言い訳にしかならないけれど。

 ビール飲んでから参拝も失礼かもしれないと思いつつ、手水場である五十鈴川へ向う。ところが人工の手水場に、川が増水して危険なため、こちらで清めてくださいと書かれていた。その通りに手と口を清めたが、本来の禊場についた時、観光客が手を清めていた。だいぶ水位が下がったので、開放されたようだ。私も改めて五十鈴川で手を清めて、正宮に向かった。
 正宮には、まばらながらに参拝者がいた。私も並んで、拝殿からご挨拶をした。布の幕がふわりと浮き上がり、半分だが本殿が垣間見えた。酔っぱらいにも関わらず歓迎してくださった、天照大御神様に感謝。
 内宮も、外宮同様、入口と出口が別になっていた。そして小さな小屋に神官様が座っておられたことに、初めて気づいた。
 出口の階段を下りて、社務所に戻って御朱印をいただき、外宮のお守りと対になっている巾着型の白いお守りを授与(購入)。

 宇治橋に戻って写真を撮ったあと、伊勢市駅行きのバス停に向かったとき、ちょうどバスが発車したところだった。定刻より遅れての発車だったので、特に悔しいとも思わなかったが。
 次発のバスは、17時ジャスト発車。普通の路線バスとは違うようだが、Suicaで乗車できるらしい。ところが来たのは路線バスで、アナウンスによると臨時便の特急バス。主要駅以外には止まらないものだった。
 神様のご厚意に感謝しつつ、バスで伊勢市駅へ戻った。コインロッカーから荷物を出して、予約したホテルへ。鍵付きより百円割高だけど、Suicaで開閉できるから、鍵を持ち歩くよりも、忘れん坊の私には都合が良かったかもしれない。

⑥ ホテル宿泊
 伊勢市に宿泊するのは、伊勢への一人旅同様初めてだった。友人と一緒との時は二回とも、観光拠点である鳥羽宿泊だったからだ。ホテルは駅から見えていたので、Googleを使うことなく、ホテルを目指して歩いた。近道もあったのかもしれないが、何とか到着。予定チェックイン時間より三十分早まってしまったが、ホテル従業員さんは快く対応してくれた。
 部屋は六階。ともかく宿泊重視、駅チカ優先で選んだので期待はしていなかったが、シングルにしては広い部屋で、バス・トイレ付きである。このホテルを予約して、ユニットバスを使うつもりは毛頭なかったが。
 なにしろ大浴場とサウナがついていたからだ。

 お風呂の前に、荷物の整理。翌日の参拝用に、黒のヒダ付きジャンバースカート(私の私服の一張羅)、桜色のブラウスをハンガーにかけてシワを伸ばす。
 そして悪あがきにも再度、ベッドの上にバンドバッグの中身をぶちまけて、帰路の新幹線切符と乗車券を探す。当たり前だが、見当たらない。
 ホテルは素泊まり予約にしたので、夕飯用に伊勢市駅のキヨスクでパンと、ミネラルウォーター五百ミリペットボトルを3本購入。以前、ペットボトルを買い忘れて、ホテル値段の自動販売の利用と、ボットで沸かした熱々のお茶で過ごしたことがあった経験による。
 部屋には熱湯から入れるコーヒーとお茶のパックがあったが、暑い日に熱いものを飲む気力はない。冷蔵庫に購入したペットボトルを入れ、外宮で買ったペットボトルを少し飲んでから、ホテルの大浴場に向かった。
 大浴場で入浴なんて、何十年ぶりだろう。予約時にはホテルが取れることだけ念頭に置いていたから、大浴場がついているのは僥倖だった。
 時間が早いせいか、先客は二人。その二人もちょうど脱衣所から出る準備をしていたところだったので、大浴場は私の独り占め状態となった。
 しかし、ロッカーに着替えを入れる際に気づいた。大浴場へ行く前に、忘れ物がないか確認した際、うっかり浴用ボディタオルを持ってくるのを忘れてしまったのだ。部屋に取りに戻るのも面倒だったので、手で洗うことで我慢した。
 家の安価なシャンプーセットや、ボディーソープよりも高級な匂いがして、満足。ただガシガシと、体を硬めのボディタオルで洗えなかった事だけが物足りなかった。
 全身を洗ってから、大風呂へ。一人で広い風呂を独占できるのは、実に贅沢な気分だ。
 隣の深めの風呂はどんなだろうかと、そちらも試したが、こっちはサウナ用の水風呂で、慌てて温かい風呂に戻った。

 風呂から上がって、部屋へ戻った。夕食はキヨスクで購入したハムパンとメロンパン。外宮で買ったペットボトルのミネラルウォーターの残りは、冷蔵庫で冷えていて、食事と一緒に飲み干した。
 せっかくの大浴場。それに、やっぱり体をガシガシ洗いたい。胃が落ち着いてから再度、大浴場へ赴いた。数名の客人がいたが、タイミングが絶妙だったのか、体を思いっきりガシガシ洗ったあと、浴室から人はいなくなり、またも大風呂を独占することができた。風呂から上がると、客人が続々と入ってきたので、本当にタイミングが良かったらしい。ちなみにサウナは苦手だったので、せっかくの施設だが使わなかった。
 部屋に戻ってから、新たなミネラルウォーターのペットボトルを開けて飲む。それからガイドブックを見ながら、翌日のシミュレーションをおさらいした。
 ガイドブックは伊勢特集しか購入していないので、熱田神宮へはスマホの情報が頼りとなる。熱田神宮のサイトにブックマークをつけ、ユーチューブで見どころを確認してから、明日の早朝参拝に向けて、早々に寝た。

   二日目・天赦日

① 再度、外宮へ
 旅先では目覚ましより早く起きる。四時に起床して、本命の早朝参拝の準備をする。
 ただ伊勢市駅から内宮へ行くバスは、六時四十七分が始発となる。ならば外宮にもう一度、参拝することにした。
 五時前にチェックアウト。ホテルの従業員さん、二十四時間チェックアウト対応ありがとうございました。早朝参拝に際しても気さくに話しかけてくださり、本当に良いホテルでした。
 荷物を預けるために、まずJR側の改札にあるコインロッカーへ。Suicaで荷物を預けて、人気のない外宮に続く参道を歩く。
 だが、外宮に到着すると、既にかなりの参拝者が訪れていた。ホテルから来たのが、それとも自家用車を使ってか?

 手水場で、手と口を清めてから一の鳥居をくぐる。朝の神社はいっそう清々しい。鳥の囀りを聞きながら、正宮を目指す。参拝客がいても、数がこれでもまだ少ないせいか、前日の昼間のように出入り口が分けられてはいなかった。
 昨日は気づかなかったが、外宮にも正宮わきに、神官様用の小屋が立っていた。姿勢正しく、神官様は座っておられる。
 無風だったので、昨日のように布幕が上がることはなかったが、清々しい朝の中で参拝できたのは感慨深かった。
 亀石を渡り、土宮と風宮を参拝して、豊受大神様の荒御魂が祀られる多賀宮へ。相変わらず階段がキツイ。そんな中、神宮関係者の方が風圧機で落ち葉を掃除されていた。参拝者が気持ちよく参詣できるよう、こんな朝早くから掃除してくださってるのですね。
 この日は天赦日。すでに神楽殿のお守り授与所も開いていたので、まず御朱印をいただき、お守りを購入。
 昨日、ユーチューブで見て一目惚れして購入した、真っ白な外宮の勾玉型お守りと、同じく白の内宮の巾着型お守り。ユーチューブで見たときから思っていたが、なかなかの大きさで、しかも白なので鞄につけて持ち歩くのは躊躇われる。この2つはベッドヘッドにつけて、伊勢旅行の思い出を反芻するために使用し、カバンに付けられるタイプのお守りを別で授与(購入)を昨夜、決めていた。
 ハンドバックにつける小振りなタイプは、鮮やかな金色。赤も可愛らしかったが、第一印象の方が経験上、確実性が高いので、金色のお守りを選択。天赦日のお守りなので、気持ち的に、有り難さも更に増している。

②今回のメイン、伊勢神宮内宮
 バスの始発時刻にはまだ時間があったが、昨日と同じく外宮前のバス停で1人、バス待ちをしていた。そうしたら通りがかりのタクシーの運転手さんが、声をかけてきた。時間的にまだ10分以上バスを待つことになるため、タクシーに乗せてもらうことにした。
 運転手さんは気さくな方で、内宮や猿田彦神社のこと、その後に行く予定の熱田神宮のことも説明してくれた。熱田神宮そばの、ひつまぶし発祥の地のお店は美味しいよと勧められたが、残念ながら私は子供の頃に脂っこい鰻でお腹を壊して以来、鰻が苦手だった。その話をすると、「あんなに美味しいものが食べられないとは、可哀想に」と言われたものの、いま鰻は高級品。たとえ好物だったとしても、帰路の切符代を考えれば贅沢は敵。このときばかりは、鰻が苦手で良かったと思った。

 タクシーで内宮へ赴く選択肢は、当初から考えていなかった。金銭面というよりも、年々、タクシー台数が減り続けていて、捕まえるのに苦労するだろうと思っていたのだ。
 それを実感する出来事が、何度かあった。一昨年、母が隣県にある母方の墓地へ墓参に行きたいと言い出したので、行きは駅ひとつ先からタクシーで墓地へ向かった。霊園最寄り駅にタクシー乗り場がなく、一つ先の駅は賑やかでタクシー乗り場も充実していたからだ。母方のお墓は、広い市営霊園の奥にあり、昔は片道徒歩二十分の坂道と足場の悪い階段を母と上り下りすることもできたが、母の足腰が弱って杖があってもおぼつかない足取りになってからは、駅からお墓まで歩くのは難しくなっていた。
 墓地の前までタクシーで行けないものか、春に一人で実験的にタクシーでお墓まで行ってみた。毎年、桜の時期には墓参に行っていた。母が元気な時は母と二人で、母が墓参り困難になってからは私一人で墓参に赴き、スマホごしに電話で、母にはお墓を拝んでもらっていた。話を戻そう。墓のある番地を告げると、タクシーはちゃんと目的地であるお墓の前までに行ってくれた。帰りはスマホでタクシーを呼び、来るまで少々時間がかかったが、ちゃんとお墓まで来てくれた。
 これなら母を墓参に連れていけると確信したが、大きな誤算があった。母が墓参に行きたいと言い出したのは、秋のお彼岸。行きは電車を乗り換えながら繁栄した駅まで出て、タクシー乗り場から墓地へ行くことができた。秋の彼岸は人出も多いが、墓地の草も茂っている。一時間かけて草むしりをして、墓の手入れをしてから花とお線香を供えた。母は久しぶりの墓参に満足しており、連れてきて良かったと思った。が、それこそが誤算だった。
 帰路のタクシーをスマホで依頼したが、どの会社もタクシーが出払っていて、予約も満杯とのこと。秋の彼岸とはいえまたまだ灼熱の暑さ。日陰でも暑いことには変わりなく、冷房の効いた休憩所は近くにない。仕方なく母の介助をしながら、霊園最寄り駅まで何とかたどり着いた。しかし日頃、通院以外は出歩かない母に長距離を歩かせた反動がきた。熱中症で倒れてしまったのである。駅員さんが救急車を呼んでくれて、最寄りの大学病に運び込まれた。幸い、数時間点滴して回復したが、電車での帰宅は無理とのことで、病院が呼んでくれたタクシーで帰宅した。このときのタクシー料金は、高額すぎて思い出したくもない。
 二度目のタクシー騒動は、昨年秋だった。急死した叔父の葬儀に参列するため、時間に余裕をもって家を出た。十数年前の祖父の葬儀の際には、駅から簡単にタクシーで今回と同じ葬儀場へ行くことが出来た。だが一昔前と現在では世情が違っていた。タクシーは駅に一台もなく、看板に載っていたタクシー会社に電話をかけても、出払っていてすぐには来れないとのこと。平日の午前中にも関わらずである。仕方なく親戚に電話で事情を説明して、バスと徒歩で葬儀場へ向かった。昔の記憶では、帰路は葬儀場近くのバス停から乗車できたが、今はそのバス路線は廃止になったようである。バスを降りて、スマホのナビを頼りに、本当にこんな山道同然の場所の先に葬儀場があるのかと不安になりながら、葬儀開始予定10分後に遅刻して到着した。てっきり始まっていると思っていたが、事前に電話で状況を説明していたからか、葬儀は私の到着を待って行われた。
 都内では郊外でも、タクシーで苦労したことがない。それが隣の神奈川県で、二度もタクシー難民になるとは思ってもみなかった。そんなわけで、タクシーに頼らず、公共交通機関を有効活用する時代なのだと割り切ることにした。

 内宮へはバスの始発時刻より早く到着した。料金を支払ってから、気さくな運転手さんにお礼を告げて、宇治橋の前に立つ。朝の伊勢神宮は格別だ。橋の上から五十鈴川と青空の景色を撮っていると、数十名の神官様行列が橋を渡ってきた。
 慌てて私は先を急ぎ、昨日の手水場へたどり着く。そして手と口を清めていると、先程の神官様御一行様が、手水場の前にズラリと並んだ。私は仰天しつつ、足早にその場を離れた。肩越しに振り返ると、神官様たちは手水場で柄杓を用い、手と口を清めていた。無駄口は一切なく、整然と。
 五十鈴川の禊場では、ガイドとその説明を聞いている十数名が居た。タクシーの運転手さんから、伊勢神宮の説明してくれるボランティアガイドについて行くと良いと言われていて、実際に宇治橋前の看板前まではすでに多数の人数を相手に説明が始まっていた。時間に余裕があれば、ガイドの説明を聞きながら参拝するのも良かったが、今日中に回りたい神社の予定が詰まっている。
 私は過去の記憶と、ガイドブックを頼りに個人で回ることにした。
 神官様御一行が五十鈴川にも下りてくるかと思ったが、皆様は正宮方面に向かって歩いていた。
 昨日よりもさらに水位は下がっている。カジカガエルの鳴き声が美しい。声は美しいが、実物は子供の頃の野外学習で一度だけ見たきりだ。石に同化したような色合いなので、遠目から探すのは、よほど視力のよい人でないと無理であろう。
 五十鈴川で手を清めてから、正宮に向う。正宮の前の階段下では、数名が写真を撮っていた。私もスマホのシャッターを押したが、一枚目は作動したものの、二枚目以降はスマホが反応しなくなった。近くの女性に、「カメラ使えてますか?私のは急に使えなくなってしまって」と話しかけると、「電波の届く位置の問題ではないでしょうか?」と親切に教えてもらった。少し場所を移してスマホを向けると、作動してくれてホッとした。数枚撮ったが、後で確認すると残っていたのは1枚のみ。ちょうど正宮の前を、神官様御一行が通りかかる光景である。神様が撮られたくないと思ったのかもしれないし、たまたまスマホの状態が悪かっただけなのかもしれない。それでも不思議なことがあるものだ、

 正宮を参拝。晴れた朝の中での参拝は、荘厳であり、清々しい。無風のせいか、それともスマホで撮影しようとした罰なのか、布幕が舞い上がることはなかった。正宮の拝殿の隣の小屋では、神官様が座している。
 私は正宮に、参拝のお礼を心のなかで申し上げて、その場を後にした。

 荒祭宮へ向かう。そういえば、昔のガイドブックには天の石が記載されていたが、あの実物を前回は何処で見たのだろうかと思いながら歩く。御稲御蔵と外幣殿のわきを通り、石段があった。あれ、もしかして?と思いながら注意深く歩くと、あった。
 昔は天の石とガイドブックに書かれていたが、ネットで調べると、いまは踏まずの石となってました。
 荒祭宮へ到着して、参拝。こちらはまだ人気がなかったので、ゆっくり拝ませていただきました。

 次の目的地は、風日祈宮。前回の参拝で、ここへ向かう際に撮影した風日祈宮橋の写真はお気に入りで、色褪せるまで部屋に飾っていた。
 荒祭宮からガイドブック通りに歩いていたつもりが、あれ?
 もしかしなくても正宮に向かってる。父ほどの方向音痴でなかったが、こうした場所ではたまに迷うことがある。引き返して、やっと風日祈宮へたどり着き、参拝。
 神楽殿前に戻り、授与所で御朱印をいただき、外宮の金色のお守りと対になる金色のお守りを授与(購入)。
 友人から昨年いただいたお守りは、手水場付近の返納場で御返しさせていただいた。

 さて、伊勢神宮内宮は一通り参拝したわけだが、以前からどうしても行きたかった場所がある。
 前回の参拝の際、散策途中で、たまたま子安神社へ出た。このとき、不妊に悩む友人が子宝に恵まれますようにと祈願したのだ。祈りが通じたのか、間もなく、その友人から懐妊の知らせを受け取った。その後、元気な女児が誕生。
 そのお礼を、いつか申し上げたいと思っていた。
 前回は友人とお喋りがてら、気づいたら神社に出ていた。だが目的地として行こうとすると、なかなか困難だった。端的に言えば、迷ったのである。そういえば今回は、大きなニワトリさんとも出会わなかったなぁ。以前は外宮でも勾玉池付近で出くわしたが、ニワトリとはこんなに大きいのかと驚いた思い出がある。
 何とか子安神社と、大山祇神社に着いた。子安神社でお礼参拝して、長年の胸のつかえがようやく取れた心地だった。

 おはらい町に出る。流石に疲れたので、一休みしたかった。まだ早い時間なので、開いているのは赤福本店ぐらいのみ。
 赤福本店を目指して歩き、お茶セットの食券を購入して、縁台で待つ。五十鈴川が、間近で見える席だった。
 そういえば前回は、式年遷宮の準備のため、川を上って材木を運ぶ行事を、思いがけなく見ることが出来た。あの旅行は、天気にも幸運にも恵まれていた。狙った訳では無いが、鳥羽の花火大会も特等席で見れた。二泊三日を友人たちと予想以上に満喫しきった。ただ猛暑だったので、河原崎散策後に熱中症で具合が悪くなり、スポーツドリンクを購入してがぶ飲みして、何とか帰りの電車に乗れた、締まらないオチもついていたが。
 友達との旅行は楽しい。だが今回のように、思いついたら行く、自分の行きたいところへ自由気ままに、自分のペース配分で予定を変えることができて、疲れたら人に気を使うことなく休めるだけ休むことが出来る一人旅も、気楽で好きだ。
 運ばれた赤福とお茶をゆっくり堪能しながら、猿田彦神社への道をガイドブックで確認する。おはらい町を直進すれば、猿田彦神社へ出れるはずだ。

③ 猿田彦神社と佐瑠女神社
 おはらい町を抜けたところで、大きな看板があった。駐車場と神社への矢印がついていた。私は勘違いして横断歩道を間違えて渡ってしまったのだが、ちょうど伊勢市駅行きのバス停があったので、結果オーライ。スマホで時刻表を撮影して、改めて猿田彦神社へ向かう。
 前回も参拝したが、おはらい町を友人等と駆け抜けて夕方ギリギリの到着だったため、境内の記憶が曖昧だった。
 ガイドブックも、昔はこんなに大きく取り上げられてなかったように思う。見開きニページに、見どころが書かれていた。佐瑠女神社も、実は今回初めて知った。
 天の岩戸に籠もった天照大御神様に、外へ出ていいただくため、神楽を舞った女神様。前回、こんな重要な神様を見落としていたとは、盲点。猿田彦大神様の奥様でもある天宇受売命様が祀られており、神楽を舞ったことから、芸能の神様として芸能人の参拝も多いのだとか。知らなかった…

 手水場で手と口を清める。目の前の池には、色鮮やかな錦鯉が泳いでいる。そういえば、錦鯉を見るのも久しぶりかも。昔は観光地の池でよく見かけたが、いつの間にか黒い鯉ばかりになっていたり、池の水が濁って錦鯉がいても、よく見えなかったり。綺麗な水の中を泳ぐ錦鯉を改めて見ると、綺麗だなと心から思った。
 猿田彦神社の御殿の前に、方位石が置いてある。つい触って願い事を心の中で呟いたが、参拝後に水分補給がてらガイドブックを見て、御殿参拝後に願掛けをすることと書いてあり、慌ててやり直した。
 確かに、御殿の主の参拝前に、ご挨拶もせず願い事をするのは無作法だった。反省。
 参拝後、社務所に行き、御朱印をいただく。もちろん、猿田彦神社だけでなく、佐留女神社の御朱印両方をお願いした。ガイドブックの地図が分かりづらかったので、社務所の方に佐留女神社の場所を尋ねて、教えていただいた。
 境内にあったのだが、少し外れた場所にあったので見落としていた。御朱印をいただいた後になってしまったが、佐留女神社を参拝。猿田彦神社御殿と向かい合う方角に建てられていました。真向かいではなく、鳥居をくぐった方角からみて右側の、少し外れた場所。もし、並んで建てられていたら、ちょうど右側に来る場所。
 でも横で寄り添うよりも、旦那様の顔を拝見できる位置が良かったのですね。芸能の神様と同時に、縁結びの神様でもある理由が分かります。 
 内宮へ行くときのタクシーの運転手さんから、もしも一戸建てなら猿田彦神社のお砂を購入して、家の四方に巻くと良いと教えてもらった。だが残念ながら、私の家は一戸建てではないため、断念。集合住宅(アパート)に砂をまいたら、迷惑になるので。

 お守りは、あえて見なかった。ガイドブックに可愛いお守りが幾つも載っていたが、既に地元で馴染の神社さんのお守りを何個かぶら下げているので、いくら神様が寛大でも、あまりに多いと窮屈であろうかと。
 御朱印帳も、残り少なくなってきた。半年前に変えたばかりなのだが。参拝のたび、お守りを毎回買えない代わりに、神社参拝の際には、御朱印をお願いしているのだ。それを枕元に置いて寝るようになってから、不眠がいつの間にか治った気がする。それまでは何年も熟睡出来なかったのだが。

 境内の、たから石を撮影。宝船にヘビさんが乗っているような見立ての石で、金運のご利益があるのだとか。

 帰り際、しばし錦鯉を眺める。幼い頃、家族とたびたび外食に行った中華料理屋さんにも、錦鯉が泳ぐ池があった。私は食事よりも、ここの錦鯉を眺めるのが楽しみで、帰り際にいつまでも飽きずに鯉を眺める私を、家族が引き剥がすのに毎回苦労していた。
 既にその店は閉店しており、家電量販店に変わった。錦鯉を眺めるが楽しみだった記憶も、いつしか忘れていた。
 遠い昔のことなのに、こんなに鮮明に当時を思い出せるのは驚きだ。もっとも、いつもこの店で、何の料理を食べていたのかの記憶はないが。

④ 伊勢との別れ、そして名古屋へ
 あっという間の一泊二日だった。名残惜しくもあり、別社巡りも頭をよぎったが、熱田神宮には今まで縁がなく、それどころか名古屋駅から出たこともなかったため、別社巡りは機会があったらまた、ということで、伊勢市行きのバスに乗り込んだ。簡単に割り切ることが出来たのは、前回の旅行で、倭姫宮、月夜見宮には参拝して、御朱印をいただいていたからだ。そのとかに神宮徴古館も見学している。
 蛇足だが、最終日の徴古館行きには、意見が割れた。式年遷宮のための御樋代木奉曳式に、皇族の方がお見えになるというので、見学に行かないかと。だがせっかく伊勢まで来たのだから、歴史を学びたいという意見が優勢となり、予定通り徴古館に決まった。

 車窓から、伊勢の地を眺める。今度は、いつ来れるだろうか。そいうえば知人が、いつか伊勢に住みたいと言っていた。もしそれが実現したら、遊びに行ける機会が増えるかも。
 私自身が移住する計画はない。地元で、家族の墓を守る役目があるから。

 伊勢市に到着後、コインロッカーから荷物を取り出す。バスの中で、近鉄特急の時刻は検索済だ。
 最初にヒットした特急は、時間的に微妙だったので、次発の名古屋行きにすることにした。
 近鉄の券売所で、乗車券と特急券を、スマホに保存していた目当ての電車のスクリーンショットを見せてお願いすると、いま事故のため近鉄線のダイヤが乱れているとのこと。定刻通りに来るかもしれないし、三十分ほど遅れる可能性もあるという。
 遅れる場合、先発の特急でも間に合いそうだったが、手堅く予定通りの特急にした。

 近鉄線乗り場までは、少々距離がある。ホームに到着した時、ちょうど先発の名古屋行特急が出るところだった。ダイヤの乱れは、さほど影響がないようだ。良かった、次発の特急にしておいてと安堵しながら、ホームの休憩場に座り、キヨスクで買ったお茶を飲む。特急はトイレがあるので、お茶を飲んでも心配ない。
 それより問題は、名古屋駅のコインロッカーの場所だ。スマホでコインロッカーの場所はいくつか確認できたが、慣れない場所で、まずコインロッカーに、たどり着けるかが不安だ。小さな駅ならともかく、名古屋みたいな大きな駅で、路線も複雑。熱田行きの電車乗り場を探すのも一苦労の予感。
 大阪行きのVistaカーが到着。時刻はほぼ定刻通りだ。

 そして私が乗車予定の九時五十四分発の特急も、定刻通りにきた。まだまだ伊勢に居たかったが、後ろ髪引かれる思いで、特急は出発した。
 父がよく、言っていた。関東の特急は、近鉄特急などに比べると、物足りないと。
 確かに、足置きなど関東の特急にはついていないものね。いや、私が知らないだけで、関東でも細かいところに行き届いた電車はあるのかもしれないが。
 窓が広いのも、近鉄特急の良さである。のどかな風景を見ながら、天候に恵まれたことに感謝した。
 友人と出かける時は天気に恵まれることが多かったが、私一人の時は曇りや雨の確率が高かった。子供の頃から、入学式や卒業式は雨か曇り、修学旅行も数日のうち必ず一日以上は雨、しかも土砂降りだった。
 今回の天気予報でも前日は曇り時々雨だった。だが予報は外れて晴れ、天赦日のこの日も晴れ。もっとも天気は崩れる傾向とのことだったが。参拝日が雨、特に龍神社へお参りするときは雨だと神様が歓迎してくれると言われている。でもせっかくの旅行なら、やはり晴れてくれた方が嬉しい。

 話は変わるが、今年の正月、正月三日は過ぎていたが、友人と都内へ初詣に出かけた。目的にランチとスイーツもしっかり盛り込まれていたが、目的の神社での初詣は無事に終えた。それからランチを食べて、スイーツも食べて、まだ時間に余裕があった。
 そこで話題の、小網神社へ行ってみようということになった。地下鉄でさほど遠くない距離にいたのもある。駅には数分で到着した。しかしGoogleナビを用いても、なかなかたどり着けない。目的の神社が入り組んだ場所にあるため、分かりづらかったというのもある。何とかたどり着いたとき、仰天した。まだ松の内のであるものの、参拝と社務所への行列双方とも、長蛇の列だったのだ。
 参拝を優先して、社務所でのお守りと御朱印は諦めた。
 この話に後日談がある。ある日、私一人で都心に用事があって出かけたときのこと。用事を済ませて、お昼を何処で食べようかとなったとき、思いついたのが、以前別の場所で食べた群馬名物のひもかわうどんのチェーン店だった。
 このチェーン店、店ごとに限定メニューがあるのだ。調べると日本橋店が最寄りで、日本橋高島屋の裏手となっていたから、徒歩圏内。すぐに分かるだろうと、さっそく出かけてみた。
 だが迷った。ナビを使用しても、目的地から遠ざかったり、近くなったり。こうなったら勘で行ってみようとスマホを閉じて歩き出した。どのぐらい歩いただろうか、何となく見覚えのある場所に出た。もしかして、と記憶を頼りに向かってみると、小網神社に出た。雨が強い日だったこともあり、参拝者はまばら。私はお参りをして、社務所で御朱印をいただき、お守りも授与(購入)することが出来た。ちなみにこの日、昼に何を食べたのか記憶にない。

 名古屋に近づくにつれて、川を渡ることが増えてきた。川の名前の看板を見る間もなく、特急は走る。
 順調に走ってきた特急だったが、名古屋直前になってから数度、止まるようになった。事故によるダイヤの乱れで、在来線の出発に支障が出ているとのアナウンスだった。
 定刻予定より10分ほど遅れて、近鉄名古屋駅に到着した。
 看板を頼りに、JR新幹線乗り場のコインロッカーを目指す。さすが名古屋、人が多い。
 なんとか目当てのコインロッカーを探し当てて、荷物を預ける。コインロッカーの隣にはJR東海ツアーズがある。目印にもなるが、帰りの新幹線指定席と乗車券が買えればいいなぁと思いつつ、在来線改札へ向かった。

⑤ 熱田神宮
 東海道本線豊橋方面行き乗ればいいのは、検索済み。だが路線の多い駅で、乗り場探しは苦労した。名古屋駅で在来線に乗ったのは、今回で二度目になるが、最初に在来線を使ったのは随分前のこと。それにあのときは確か、新幹線から在来線接続口を使ったので、割と容易に目的ホームにたどり着いた気がする。
 何とか東海道本線乗り場に到着して、行き先を間違えないよう確認した。

 名古屋のガイドブックは購入していない。行き先は熱田神宮だけの予定だったからだ。本屋で伊勢のガイドブックを選びがてら、名古屋のガイドブックで熱田神宮のページを立ち読みした。あとはスマホ頼りとなる。

 熱田駅到着。徒歩10分で熱田神宮東門に着くと書いてあったが、10分以上かかった気がする。ただ熱田神宮の敷地らしき横の歩道を歩いていたので、迷ってる感じはなかった。
 前を歩いてる人が、熱田神宮への入り口に入ったので、ついていく。だがそこは駐車場だった。駐車場から、参道を目指して歩く。やっと生け垣の切れ目から、参道が現れた。
 何かのお祭りが近いのだろうか、子供が書いたと思われる絵が描かれた提灯が参道沿いにずっとぶら下がっていた。
 お祭り当日には、露店がたくさん並んで、多くの人が訪れるのだろうか。

 東門から伸びる参道が、本宮へ通じる大参道と合流した。さすが熱田神宮、人出が多い。
 手水場に着き、手と口を清めてまず向かったのが、すぐ近くの大楠の大木。弘法大師お手植えの伝説があるこの巨木には、白蛇が住んでいて、運が良ければ見ることができるらしい。大楠の周囲をゆっくり一周したが、残念ながら見ることは出来なかった。
 本宮の拝殿に参拝。さすが三種の神器の一つ、草薙の剣が祀られているだけあって荘厳な本殿だ。
 社務所で御朱印をいただく。そしてお守りの代わりに、絵馬を奉納することにした。二種類の絵馬のうち、最初は従来型の絵馬を選ぼうしたが、巫女さんからこちらの星型も人気ですよと言われて、そちらを選んだ。
 何で読んだか記憶にないが、願い事は緑のペンで書くほうが叶いやすいとのことで、各種あるペンの中から緑のペンを選んだ。
 絵馬を奉納した方は、カードをお取りくださいと机の上に書かれていた。このとき直ぐにカードを手にしなかったのが悔やまれる。忘れっぽい私は、絵馬に願い事を書いて奉納すると、カードのことはすっかり忘れて立ち去ってしまったのだ。思いついた時にすぐに行動しないで後回しにすると、すぐに忘れてしまう。後で、が有効なのは若い頃だけだとつくづく思う。カードのことも忘れっぱなしなら幸せだったかもしれないが、後で立ち寄った境内の神社で思い出してしまったのだ。後悔、先に立たず。

 事前に調べて、こころの小径を知った。入口は二箇所あるらしいが、本宮からだと神楽殿脇からのが分かりやすいかと思って、そこから入る。細い小径を歩いて間もなく、美容効力のあると言われる清水社に出る。
 三人組の女性がちょうど参拝を終えたところだったので、私も脇のお賽銭箱に少額ながらお賽銭をして、泉の中央にある小石に、備え付けの柄杓で三度、願い事を心のなかで唱えつう、水をかける。年齢的にお肌の悩みは切実。だが柄杓で、少し離れた石に水をかけるのは、なかなか難しい。それでも飛沫ぐらいはかかったから、多少なりともご利益に期待する。後で知ったが、ここの清水は眼病にも効果があるという。しまった、乱視近眼の目を清めてくれば良かった。
 こんなとき。やっぱりガイドブックあった方が助かるなぁと思うのだった。
 私が参拝を終えると、いつの間にか参拝待ちの列ができていた。申し訳ありません、人気に気づかぬほど集中してました。

 小道を進んでいくと、天照大御神様の荒御魂が祀られた、一之御前神社に出た。おお、ここでも天照大御神様に参拝できるとは。有り難く参拝させていただきました。ここは以前、関係者以外立ち入り禁止だったらしいが、10年ほど前から一般にも開放されるようになったとか。だが荒御魂様をお祀りしているので、撮影は禁止とのこと。
 そしてこれも後で知ったのだが、天照大御神様の和魂をお祀りしている社もあったらしい。
 加えて言うと、素戔嗚尊様たち六社がお祀りされた場所もあったとのこと。もっと詳しく調べておくべきだったと、激しく後悔。

 信長塀の前を通ったのは、一之御前神社を参拝した後か前か?
 地図によるとあとになるようだが、記憶だと前だった気がする。ただこの時、空腹で頭の回転も鈍くなっていたため、定かではない。朝に赤福を食べて以来、昼食もまだだぅたもので。

 弘法大師の大楠を通りがかり、もう一回、白蛇さん遭遇を期待して一周する。そのとき地元の方が、「昔はよく木にも上っていたが、烏を恐れて滅多に出てこなくなってねぇ」と説明してくれた。
 白蛇様と縁が無いのは、なんとなく分かっていた。子供の頃、よく遊んでいた田んぼのあぜ道で、友人等はそれぞれ、そこで白蛇を見たことがあると言っていた。だが私はその場所で、普通のアオダイショウとしか遭遇したことがない。成長して犬を飼い始めてから、散歩途中に蛇が前を横切っただけで大騒ぎしていた人間に、熱田神社の白蛇様が姿を見せてくれるはずもないだろう。

 熱田神社で御朱印をいただいた際に、御朱印が向かいのページにくっつかないよう挟まれた紙に、境内にあと二箇所、御朱印をいただける神社があるのを知った。南門の近くにあるらしい。
 私はそこへ向かった。その途中、テラス席のある、きしめん屋さんがあった。宮きしめんという、割と有名なお店らしい。
 きしめんは、大好きだ。もっとも店舗で食べたのは数えるほどで、新幹線名古屋駅ホームの立ち食いと、父方の親戚宅の帰りに立ち寄った駅の改札前しかなかったが。父が兄のように慕っていた従兄さんが存命のときは、毎年乾麺のきしめんが送られてきた。そのきしめんを食べるたびに、父は「きしめんは、美味いなぁ」と言っていた。地元近辺には取り扱いがなかったが、都心のデパートでたまに見かけると、何個か買って帰ったことがある。
 程よく暑かったのと、前日の伊勢うどんはトッピングなしだったので、冷たい天ぷらきしめんを頼んだ。出来上がりを知らせるブザーが渡され、予め確保していた席に座る。
 昼はとうに過ぎていたが、人気店だからか、席の確保に難儀する人たちもいた。私はたまたま、運良く空いた席をすぐに確保できた。出来上がるまで、スマホで帰路の新幹線候補を検索する。そうこうしているうちに、出来上がりを知らせるブザーが鳴った。
 本日初めての、まともな食事。五臓六腑に染み渡る美味しさ。きしめん、そういえば何年ぶりに口にしただろうか。そうか、四年前か。もうそんなに時間が経っていたのだな。
 二十歳を超えると月日の流れが早くなると言うが、ここ数年の時間の流れはますます早まった気がする。だが嫌なこと、クリニックの待ち時間や検査などは、時間が酷く遅く流れるように感じる。ああいう時間こそ、早く流れてほしいものだ。
 食欲スイッチが入ったのか、甘いものも欲しくなった。きしめん屋の隣に、スイーツの販売所がある。私は並んでいる時に抹茶フロートと決めたが、揚げ饅頭も気になる。食べたのはずいぶん昔の初詣だったが。
 冷たいもの連続に油もの、普段ならお腹の具合を気にして控えるが、この時は完全に食欲スイッチが入っていた。そして抹茶フロートと、揚げ饅頭両方を注文。
 抹茶フロートは、ソフトクリームは甘いが、抹茶は砂糖味付けがされていないサッパリしたもの。
 そういえば母は、家族で行ったあるお店の料理の注文の際に頼んだ砂糖なし冷やし抹茶にハマって、自宅で我流に点てた抹茶を氷を入れたコップに注いで、よく飲んでいたなぁ。それを見て父も所望して飲むのはいいが、もっと高級な抹茶なら風味もいいのにといっていたっけ。愛知出身のせいか、抹茶にはうるさかった。毎日抹茶を点てて飲んでいた、祖父ほどではなかったが。
 祖父で思い出したことがある。祖父が抹茶茶碗の一つをくれたことがあった。形はよく見かける深型の茶碗ではなく、飯茶碗のような形状だった。あるとき、母は自分の茶碗を割ってしまい、わざわざ買いに行くのも面倒だと、その抹茶茶碗で暫くご飯を食べていた。同居ではなかったため、祖父にバレなかったのは幸いだった。
 抹茶フルートと、揚げ饅頭。正解だった。まずソフトクリームを食べてから、抹茶と揚げ饅頭を一緒に食す。抹茶とアンコ、正義。前日の赤福と温かい抹茶のセットも良かったが、冷たい抹茶と揚げ饅頭も恍惚とする美味さ。高級店でなくとも、日本は美味しいものが沢山ある。本当に有り難い。

 食事を終えて、目的地へ向かうのを再開する。途中、色鮮やかな社があったので参拝。南新宮社という、素戔嗚尊様が祀られていた。鮮やかな朱色は、八坂神社にあやかったものらしい?
 そして目的地の、別宮八剣社と上知我麻神社に到着。参拝後に、双方の神社の御朱印をいただく。
 そのとき、ふと絵馬が目に留まり、カードを貰ってくるのを忘れていたのを思い出したのだ。だが奉納したあとに、実はもらい忘れましたと貰いに戻っても、証拠があるわけでもないし、縁がなかったと諦めることにした。
 南門を出て、JR熱田駅へ戻ることも考えたが、せっかくの広い境内を出てしまうのはもったいない。
 それで道を戻り、東門へ向かった。緑の中を歩くのは清々しい。原生林か否かは定かではないが、ここまで成長した林は自然でも人工でも関係ないように思える。生きた林は独自の形態を得たのだから。
 東門を出る際に一礼して、駅へ向かう。行きは熱田神宮が目印になった。帰りの目印は、あやふやだったが何となく記憶にあった店の前を通りながら、駅に到着した。

⑥ 帰路
 東海道本線で、熱田駅から名古屋駅に戻る。JRのエリアを跨ぐ時や、無人駅では使えないが、東日本のSuica、ICカードが使えるのはとても便利だ。チャージさえ忘れなければ、電車やバスも全国で使えるのだから。
 視力が悪くなってから、行き先電光掲示板も見づらくなった。更に細かい路線図の切符値段など、メガネがないと見えない。いまはまだ、裸眼で頑張っているが、乱視がかなり悪化してきてるので、メガネが必需品になる日も遠くないかもしれない。
 コンタクトレンズは論外。曇り予防には効果的だが、コンタクトレンズ使用の友人は、強風で目にゴミが入るたびに目の洗浄をしている。なにより、先月半ばに初めて行った眼科でコンタクトレンズを入れての検査は、恐怖でしかなかった。皆、よく目の中にレンズを入れるのに抵抗がないものだと感心する。

 コインロッカーから荷物を取り出し、お隣のJR東海ツアーズに行ってみる。ここで発券が無理なら、新幹線券売所へ行けばいいだけの話だ。
 親切な店員さんが、下車する駅までの乗車券と、事前に調べていた新幹線の指定席を発券してくれた。
 その足で新幹線乗り場へ。時間に余裕を持たせていたので、ホームの駅弁売り場で夕食用の駅弁を探す。お弁当の中身、充実していていながら、東京駅よりお値段リーズナブルではないか?
 最初に目をつけた駅弁は品切れだったが、第二候補の天下取り弁当は購入できた。お茶を購入して待つことしばし。
 のぞみ226号十五時六分名古屋出発。窓際の席を確保してくれたので、車窓を楽しみながら帰路に着ける。と、思っていたのに、新幹線が動き出したと思ってハッと気づいたら掛川駅通過。浜名湖と天竜川を見逃したのは痛恨。
 天気は曇天。どうやら楽しみしていた富士山も期待できそうもない。それでも新幹線は気分がいい。大井川を渡ること出来たし、茶畑を見ることもできた。
 約一時間後、新幹線下車。ここからの帰路のが時間がかかる理不尽。だが帰宅ラッシュが始まる前だったこともあり、在来線には数駅過ぎた後で着席することができた。そこから爆睡して、何とか下車する駅を通り過ぎずに済んだ。
 帰宅したのは十八時近くだったろうか。夏至が近いので、まだ辺りは明るい。
 まず神棚と位牌のそれぞれの水を取り替えて、帰宅の挨拶と、留守を守ってくださったことに感謝を述べる。
 伊勢神宮で授与された外宮之勾玉型お守りと、内宮の巾着型お守りを、以前たまたま手芸に使おうかと購入していた白い紐で結び、ベッドヘッドボードに括り付ける。
 改めて見ると、本当に可愛らしい。旅の間に活躍した御朱印帳も、枕の上の定位置に置いた。

 荷物を簡単に片付けてから、机の上の使われなかった新幹線指定席券と乗車券が入ったクリケースを見る。伊勢まで行って、海鮮焼きを食べられなかった虚しさが過るが、それでも十数年ぶりの旅は楽しかった。忘れたことのない切符を忘れた異常事態、これは無駄遣い禁止の戒めだったのかもしれない。
 乗車券をよく見ると、有効期限がまだ残っている。明日、駄目元でみどりの窓口に聞きに行ってみようと思った。新幹線指定席が無効なのは、分かり切ったことだが、乗車券分の運賃だけでも戻ってきてくれたら嬉しい。期待しすぎずに、と思いつつ、旅の最後の締めくくりとなる駅弁を食べた。
 具材の種類が豊富で美味しかった。

   終章
 翌日、最寄りのみどりの窓口に行った。行列は少なかったが、3つの窓口は、長時間塞がっていた。それぞれ自由旅行のための切符の相談をしていたからである。列の先頭は私だったが、いつの間にか後方に列が伸びていた。違う担当者さんが、利用目的を尋ねに出てきた。私は、自宅に忘れてしまった乗車券が有効期限なので、少額でも返金可能か尋ねに来たことを述べた。回答は、手数料金分引いた金額の返金可能とのことだった。
 私は喜んだが、衝撃の事実を知らされることとなる。
 担当者さんは、「一般的に知られていませんが、帰りの切符を改めて購入する際に、切符を忘れた、無くしたと申告すると証明書が出ます。その証明書を切符と一緒に持っていくと、手数料分を差し引いた額が返金されるのですよ」と言ったのだ。
 愕然としたが、諦めていた乗車券代金だけでも戻ってくるならいい、欲張りすぎては駄目だと自らに言い聞かせた。
 ようやく一つの窓口が空いて、乗車券代金は手数料分差し引きで返金された。
 高い勉強料だが、いつか役に立つかもしれない。いや、役に立つ日が来ないよう、これからは忘れ物に一層注意しなくては。
 そう胸に誓うのだった。

 次の目的地は決まっていないが、六月末の夏越の祓えに友人と行く約束をしている。
 この日に何社か行くことになれば、六冊目の御朱印帳はいっぱいになるだろう。
 ブランクもあったが、多くの寺社を巡ってきたものだ。
 辛いのは、旅先の思い出話を聞いてくれる家族が皆、天へ旅立ってしまったこと。お土産を買う必要がなくなったこと。お供えはしても、味の感想を聞く日は二度と来ない。
 寺社巡りは、壊れかけた私の心を保つためと、旅立った家族へ、これまで共に生きて支えてくれたことへの感謝を神様を通じて伝えてもらうため。
 毎月、お墓参りはしているが、墓の前ではいつも涙が止まらず、もっと最善の選択があったのではないかという後悔の念しか浮かばない。お墓は私にとって、懺悔の場であって、感謝を伝えられるほど心は癒えていない。
 今の私ができるせめてものことは、元気だった頃の家族の写真をバッグに偲ばせ、私と色んな所を巡ること。たまに喫茶店で、両親の大好物だったクリームソーダを頼んだり、兄が好きだったコーラを頼んで、クリアファイルに入れた家族の写真に供えたり。
 多分、供養としては、この方法が一番家族が喜んでいると思う。難点は、私はビールを除く炭酸飲料が苦手ということぐらいか。
 だが今は、きっと長く体を蝕んだ病魔から解放され、一番幸せだった頃の姿で、各々天国で楽しく過ごしているだろう。むしろ地上のことを忘れて楽しんでくれる方が、家族にとっては幸せだ。だが優しすぎた家族たちは、いつも私を気にしてるような気がする。

 天赦日。万物の罪が赦される日。
私はいずれ自分を赦さなくては。そして幸せに向かって歩き出したとき、家族は安らかに天国で過ごせるようになるだろう。
                  完
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