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魔王の誘い
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その日は、朝からなんだか様子が違っていた。
いつも通りに起床、いつも通りに朝食を食べたところでそれに気づく。
カイドルさんが妙にそわそわしているのだ。
給仕してくれている間もそうだったが、扉の方をずっと気にしている。
何か予定でも控えているのかしら? と思って「忙しければあとはこちらで片付けておきますよ」と水を向けてみたものの、心ここにあらずという感じで生返事を返すばかりで、すぐに視線はこの部屋の扉、つまり牢獄みたいな鉄格子に戻ってしまう。
一体あの鉄格子に何があるのだろう、とわたしも気になって扉を見つめていたところで、突然扉が開いた。
それ自体は別に珍しくもない。鉄格子とはいえ錠がかけられているわけではないし、キシールをはじめ魔物さんたちはよく出入りする。
だけど。鉄格子の向こう側、二重扉になっている木の扉が開いたその先に立っていたのは、なぜか迷子の子どもみたいに頼りなげな顔をした魔王その人だ。
しきりに目線をさまよわせて居心地悪く落ち着かない様子だった魔王は、わたし、カイドルさん、キシールの視線を一身に集めていることに気づくと、こほんと咳ばらいをしてこう言った。
「あー、その。なんだ。聖女はここに来てから、ずっと城の外に出ていないだろう? 外に出てみないか、好きなところを案内するぞ」
まるで用意されたカンニングペーパーをこっそり読んでいるかのようなたどたどしいその言葉。
「もしかしてそれは、『一緒に出掛けよう』っていうお誘いのつもりなんですか?」
わたしが驚きに目を見開いてそう言えば、視線を逸らして黙り込んでしまった。
心なしか、陶器みたいに白かった頬が赤い気がする。この人は、本当にあの日、劇的にわたしを誘拐しに来た人と同一人物なのだろうか。
あの時の魔王は、神秘的なうつくしさをたたえていた。月明かりの下で、わたしをこの城に招待したいと言った時の、紫の瞳のゆらぎにわたしは魅入られたのだ。それなのに、今のこの人はどうだろう。まるで初めて恋人をデートに誘うみたいにガチガチで、全然恰好よくない。
この城に来てから彼が見せる油断と隙ののようなものは全部演技なのだと思っていた。だけど、これが全部演技なのだとしたら、
(魔王より詐欺師の方が向いているわね……)
「ふふっ」
思わず漏れてしまった笑い声を、両手で口を塞いで止める。魔王はきまりが悪そうに、助けを求めるような顔をしてカイドルさんに視線を送っていた。
「やれやれ、おぜん立てしないと女性一人誘えないんですか!」
「うるさいな……」
「聖女様、申し訳ありません。この通り魔王陛下は大変シャイな方なんですよ。スマートに誘えなくても勘弁してあげてくださいね」
魔王は眉間にしわを寄せて腕を組んでいる様子だって絵になる容姿をしているくせに、女性を誘うのに慣れてないだなんて意外だ。だけどカイドルさんと魔王の様子を見ていても何かをごまかしている様子なんて少しもなくて、魔王は心の底から途方に暮れている。それはきっと、わたしをどうやって誘っていいのか、本気でわからないからなのだろう。
演技をしていたのはむしろ出会った時の方で、わたしを前に途方に暮れているこの姿の方が、彼にとっての本性なのだ。
わたしを誘拐したあの時の魔王が、どれだけ気合を入れていたのか、今ならわかる。
なんだかおかしくて、込み上げてくる笑いをかみ殺すことには少し苦労した。
わたしのその様子を見たら、魔王はより一層苦い顔をしてこう言った。
「わかっただろ? 俺にはキザなセリフなんて言えないんだ。必要があれば威厳のあるふりをするくらいならできなくもないが、ずっとそのままでいろだなんて到底無理な話だよ。……で、どうだ、聖女。外に出る気はあるか?」
仏頂面のままで手を差し出して、だけど視線はまるで縋るよう。
この人に求婚した。聖女の祈りが欲しければ、わたしと結婚してみせろとタンカを切った。
断るならば祈らなくていい大義名分ができる。強引に婚姻関係を結ぶなら心を閉ざせばそれでいい。そう考えていたというのに。
まさか、こんな風に外出に誘ってくるなんて思わない。
魔族の行動は、いつもわたしの予想の範疇を軽く超えてくる。
わたしの返答を待っている魔王の、紫の瞳を見ると胸がムズムズしてくる。
それがなぜなのか気づく前に、わたしは魔王に返事をしていた。
「ええ、ぜひ! わたしも魔族のみなさんの暮らしをもっと知りたいんです」
待ってましたと言わんばかりのスピードでカイドルさんはわたしの外出着を用意した。
それを受け取って着替えるために魔王とカイドルさんに退出を促すと、キシールもまだ眠いのかもぞもぞと立ち上がって他の魔物さんがいるところにお昼寝に向かった。
……それにしても、カイドルさんが用意してくれたすみれ色のカジュアルなワンピースのドレスと宵闇色の外套というのは、一体誰の好みに合わせているのだろうか。
いつも通りに起床、いつも通りに朝食を食べたところでそれに気づく。
カイドルさんが妙にそわそわしているのだ。
給仕してくれている間もそうだったが、扉の方をずっと気にしている。
何か予定でも控えているのかしら? と思って「忙しければあとはこちらで片付けておきますよ」と水を向けてみたものの、心ここにあらずという感じで生返事を返すばかりで、すぐに視線はこの部屋の扉、つまり牢獄みたいな鉄格子に戻ってしまう。
一体あの鉄格子に何があるのだろう、とわたしも気になって扉を見つめていたところで、突然扉が開いた。
それ自体は別に珍しくもない。鉄格子とはいえ錠がかけられているわけではないし、キシールをはじめ魔物さんたちはよく出入りする。
だけど。鉄格子の向こう側、二重扉になっている木の扉が開いたその先に立っていたのは、なぜか迷子の子どもみたいに頼りなげな顔をした魔王その人だ。
しきりに目線をさまよわせて居心地悪く落ち着かない様子だった魔王は、わたし、カイドルさん、キシールの視線を一身に集めていることに気づくと、こほんと咳ばらいをしてこう言った。
「あー、その。なんだ。聖女はここに来てから、ずっと城の外に出ていないだろう? 外に出てみないか、好きなところを案内するぞ」
まるで用意されたカンニングペーパーをこっそり読んでいるかのようなたどたどしいその言葉。
「もしかしてそれは、『一緒に出掛けよう』っていうお誘いのつもりなんですか?」
わたしが驚きに目を見開いてそう言えば、視線を逸らして黙り込んでしまった。
心なしか、陶器みたいに白かった頬が赤い気がする。この人は、本当にあの日、劇的にわたしを誘拐しに来た人と同一人物なのだろうか。
あの時の魔王は、神秘的なうつくしさをたたえていた。月明かりの下で、わたしをこの城に招待したいと言った時の、紫の瞳のゆらぎにわたしは魅入られたのだ。それなのに、今のこの人はどうだろう。まるで初めて恋人をデートに誘うみたいにガチガチで、全然恰好よくない。
この城に来てから彼が見せる油断と隙ののようなものは全部演技なのだと思っていた。だけど、これが全部演技なのだとしたら、
(魔王より詐欺師の方が向いているわね……)
「ふふっ」
思わず漏れてしまった笑い声を、両手で口を塞いで止める。魔王はきまりが悪そうに、助けを求めるような顔をしてカイドルさんに視線を送っていた。
「やれやれ、おぜん立てしないと女性一人誘えないんですか!」
「うるさいな……」
「聖女様、申し訳ありません。この通り魔王陛下は大変シャイな方なんですよ。スマートに誘えなくても勘弁してあげてくださいね」
魔王は眉間にしわを寄せて腕を組んでいる様子だって絵になる容姿をしているくせに、女性を誘うのに慣れてないだなんて意外だ。だけどカイドルさんと魔王の様子を見ていても何かをごまかしている様子なんて少しもなくて、魔王は心の底から途方に暮れている。それはきっと、わたしをどうやって誘っていいのか、本気でわからないからなのだろう。
演技をしていたのはむしろ出会った時の方で、わたしを前に途方に暮れているこの姿の方が、彼にとっての本性なのだ。
わたしを誘拐したあの時の魔王が、どれだけ気合を入れていたのか、今ならわかる。
なんだかおかしくて、込み上げてくる笑いをかみ殺すことには少し苦労した。
わたしのその様子を見たら、魔王はより一層苦い顔をしてこう言った。
「わかっただろ? 俺にはキザなセリフなんて言えないんだ。必要があれば威厳のあるふりをするくらいならできなくもないが、ずっとそのままでいろだなんて到底無理な話だよ。……で、どうだ、聖女。外に出る気はあるか?」
仏頂面のままで手を差し出して、だけど視線はまるで縋るよう。
この人に求婚した。聖女の祈りが欲しければ、わたしと結婚してみせろとタンカを切った。
断るならば祈らなくていい大義名分ができる。強引に婚姻関係を結ぶなら心を閉ざせばそれでいい。そう考えていたというのに。
まさか、こんな風に外出に誘ってくるなんて思わない。
魔族の行動は、いつもわたしの予想の範疇を軽く超えてくる。
わたしの返答を待っている魔王の、紫の瞳を見ると胸がムズムズしてくる。
それがなぜなのか気づく前に、わたしは魔王に返事をしていた。
「ええ、ぜひ! わたしも魔族のみなさんの暮らしをもっと知りたいんです」
待ってましたと言わんばかりのスピードでカイドルさんはわたしの外出着を用意した。
それを受け取って着替えるために魔王とカイドルさんに退出を促すと、キシールもまだ眠いのかもぞもぞと立ち上がって他の魔物さんがいるところにお昼寝に向かった。
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