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祈り
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案内された教会の前は、閑散としていた。
わたしが暮らしていた神殿とは随分と違う。
「教会……お祀りしているのは、主神ですか?」
「そりゃあそうだ。主神信仰だって、もとを辿れば魔族から発祥したものだぞ」
戦前は城下で最も栄えていたという教会は今は収容病院になって、戦争で傷ついた数々の魔族がそこに集まっているのだという。
魔王の後ろについて石段を登り、重厚な扉を抜けると、ステンドグラスを抜けた七色の光が周囲を照らす空間に入った。高い天井を支える柱に備え付けられた神々を象った彫像が見守る下には、祈るための跪き台ではなく多くのベッドが敷き詰められていて、その間を白衣を着た魔族が忙しそうに動き回っている。
「こっちだ」
魔王がそう言って歩き出したので、わたしはその背を追いかけた。
そして常時であれば祭壇になっているだろう、というところに置かれたベッドの脇で立ち止まり、そこに寝ている人を見るように視線だけで促された。
そのベッドの上では、犬と人間の中間みたいな外見の魔族が体中を包帯でぐるぐる巻きにされて呻いている。
毛に覆われているので表情や顔色はわからない。魔族の医療に詳しいわけでもない。それでもとても辛そうであるということくらいは、わたしにもわかった。
「聖女、こいつに触れられるか?」
「え?」
「額に手をあてて、治癒を願ってくれ。キシールにするように、撫でるだけでいいから」
魔王は、まだわたしに聖女の力があることを期待しているのだ、と思った。その力で、生死の淵をさまよう人の意識を取り戻せる、と信じているみたいだった。
だけどそんな力、ただ勇者のために祈るための聖女にあるわけがない。それに、わたしはもう聖女じゃない。
この人の期待に、応えることができない。
「……わたしに、もう聖女の力はありません」
だからこう言ったのに、魔王はさらに言いつのった。
「祈らなくていい、願うだけで。主神に祈るんじゃない、聖女ではないあなたが、こいつの治癒を願うだけだ」
そんなの詭弁だと思う。だいたい、そんなことしたって何の意味もない。聖女の祈りはあくまで、勇者のためのものなのだから。
そう思った。だけど、言い返そうと思って魔王の顔を見たら、反論が引っ込んでしまう。
魔王はまるで見捨てられた子犬みたいに、頼りなく瞳を震わせて、ベッドの上の魔族を見つめていた。
「もう何日も、寝たり起きたりを繰り返している。弱っていくばっかりで、回復していく兆しがない。……俺達にはもう、他に打てる手がない。……頼むよ、聖女。一回だけでもいいから」
魔王とこの獣人らしき魔族がどんな関係なのかなんて知る由もない。それでも、魔王がこの包帯だらけの人を大切に思っているのは十分すぎるほど伝わってきた。傷ついた彼を、どうしても放っておけないのだ、ということも。
真摯にあれ、誠実にあれ。それが正しい人の道である。
神殿でそう教えられて育てられた。しかし軍の上層部に勇者さまの行軍について進言しようとしても、それだけでは誰もわたしの言うことに耳を傾けてなんてくれなかった。
本音を嘘と虚飾で塗り固め、利権を遵守し、行動によって利益をもたらす保証が「人を動かすこと」には必要だったのだ。
それでも勇者さまの力になるために、あの人を守るために動かなければならない。わたしは、聖女なのだから。
その一心で踏ん張って、嘘と虚飾を飲み込んでわたしは日々を過ごしてきた。
くじけて折れそうになる心は、見ないふりをして。それが使命を果たす、一人前の聖女になるということなんだと言い聞かせた。
それなのに。魔王は、わたしに本音をさらけ出して、助けてほしいと、わたしの助力を求める。
彼が誠実であろうとするなら、それに応えないことは、王都で誰にも心を許せずに一人で泣いてばかりいたあの頃のわたしを見捨てるのと、同じことだった。
「ただ、願うだけなら」
わたしは手を差し出し、ベッドで呻く魔族の額にあてる。そして、そのまま瞳を閉じた。
手のひらで、彼の鼓動を感じる。弱弱しく、今にも途切れてしまってもおかしくないのかもしれない。だけど、そんなことをしては魔王はきっと悲しむだろう。だからわたしは祈った。主神ではなく、彼自身に、「ここにあなたを待っている人がいます。どうか、魔王の元に戻ってきてください」と願った。
わたしがしたのは、たったのそれだけ。
なのに変化はあった。
ベッドの上の魔族は薄く目を開いて、大きく息をついたのだ。
「モーシャル、気が付いたか!」
「魔王、陛下……」
まさか、と思う。本当に聖女の力が、勇者以外に作用したのだろうか?
魔王とモーシャルと呼ばれた魔族さんが親し気に会話をしている様子を見ながら、そんなはずない、と私はまた首を振った。
ただの小麦粉でも、薬と信じて飲むと薬効が現れることがあるという。その類いのものだろう。
「あなたのおかげです、聖女様」
ぼんやりしていた視点が次第に定まってきたモーシャルさんは、わたしに穏やかな瞳をむけてそう言った。
「わたしは、何もしていません。たまたまそういうタイミングだったのでしょう」
「おまえは、この期に及んでもそんなことを……」
わたしに向かって何か言おうとした魔王を押しとどめて、モーシャルさんは言葉を続けた。
「暗闇から引き上げてくださった。いるべき場所を指し示してくださった。それが、絶えない苦しみでまどろむ夢の中で、どれほどありがたかったか」
ただの、夢だろう。偶然が重なって、奇跡が起きたように見えるだけだ。
そうは思うけれど、楽になったと言ってもらえるならいくらでも協力しようとも、このときに決めた。
それぐらいでは、償いにはとてもならないだろうけれど。
わたしが暮らしていた神殿とは随分と違う。
「教会……お祀りしているのは、主神ですか?」
「そりゃあそうだ。主神信仰だって、もとを辿れば魔族から発祥したものだぞ」
戦前は城下で最も栄えていたという教会は今は収容病院になって、戦争で傷ついた数々の魔族がそこに集まっているのだという。
魔王の後ろについて石段を登り、重厚な扉を抜けると、ステンドグラスを抜けた七色の光が周囲を照らす空間に入った。高い天井を支える柱に備え付けられた神々を象った彫像が見守る下には、祈るための跪き台ではなく多くのベッドが敷き詰められていて、その間を白衣を着た魔族が忙しそうに動き回っている。
「こっちだ」
魔王がそう言って歩き出したので、わたしはその背を追いかけた。
そして常時であれば祭壇になっているだろう、というところに置かれたベッドの脇で立ち止まり、そこに寝ている人を見るように視線だけで促された。
そのベッドの上では、犬と人間の中間みたいな外見の魔族が体中を包帯でぐるぐる巻きにされて呻いている。
毛に覆われているので表情や顔色はわからない。魔族の医療に詳しいわけでもない。それでもとても辛そうであるということくらいは、わたしにもわかった。
「聖女、こいつに触れられるか?」
「え?」
「額に手をあてて、治癒を願ってくれ。キシールにするように、撫でるだけでいいから」
魔王は、まだわたしに聖女の力があることを期待しているのだ、と思った。その力で、生死の淵をさまよう人の意識を取り戻せる、と信じているみたいだった。
だけどそんな力、ただ勇者のために祈るための聖女にあるわけがない。それに、わたしはもう聖女じゃない。
この人の期待に、応えることができない。
「……わたしに、もう聖女の力はありません」
だからこう言ったのに、魔王はさらに言いつのった。
「祈らなくていい、願うだけで。主神に祈るんじゃない、聖女ではないあなたが、こいつの治癒を願うだけだ」
そんなの詭弁だと思う。だいたい、そんなことしたって何の意味もない。聖女の祈りはあくまで、勇者のためのものなのだから。
そう思った。だけど、言い返そうと思って魔王の顔を見たら、反論が引っ込んでしまう。
魔王はまるで見捨てられた子犬みたいに、頼りなく瞳を震わせて、ベッドの上の魔族を見つめていた。
「もう何日も、寝たり起きたりを繰り返している。弱っていくばっかりで、回復していく兆しがない。……俺達にはもう、他に打てる手がない。……頼むよ、聖女。一回だけでもいいから」
魔王とこの獣人らしき魔族がどんな関係なのかなんて知る由もない。それでも、魔王がこの包帯だらけの人を大切に思っているのは十分すぎるほど伝わってきた。傷ついた彼を、どうしても放っておけないのだ、ということも。
真摯にあれ、誠実にあれ。それが正しい人の道である。
神殿でそう教えられて育てられた。しかし軍の上層部に勇者さまの行軍について進言しようとしても、それだけでは誰もわたしの言うことに耳を傾けてなんてくれなかった。
本音を嘘と虚飾で塗り固め、利権を遵守し、行動によって利益をもたらす保証が「人を動かすこと」には必要だったのだ。
それでも勇者さまの力になるために、あの人を守るために動かなければならない。わたしは、聖女なのだから。
その一心で踏ん張って、嘘と虚飾を飲み込んでわたしは日々を過ごしてきた。
くじけて折れそうになる心は、見ないふりをして。それが使命を果たす、一人前の聖女になるということなんだと言い聞かせた。
それなのに。魔王は、わたしに本音をさらけ出して、助けてほしいと、わたしの助力を求める。
彼が誠実であろうとするなら、それに応えないことは、王都で誰にも心を許せずに一人で泣いてばかりいたあの頃のわたしを見捨てるのと、同じことだった。
「ただ、願うだけなら」
わたしは手を差し出し、ベッドで呻く魔族の額にあてる。そして、そのまま瞳を閉じた。
手のひらで、彼の鼓動を感じる。弱弱しく、今にも途切れてしまってもおかしくないのかもしれない。だけど、そんなことをしては魔王はきっと悲しむだろう。だからわたしは祈った。主神ではなく、彼自身に、「ここにあなたを待っている人がいます。どうか、魔王の元に戻ってきてください」と願った。
わたしがしたのは、たったのそれだけ。
なのに変化はあった。
ベッドの上の魔族は薄く目を開いて、大きく息をついたのだ。
「モーシャル、気が付いたか!」
「魔王、陛下……」
まさか、と思う。本当に聖女の力が、勇者以外に作用したのだろうか?
魔王とモーシャルと呼ばれた魔族さんが親し気に会話をしている様子を見ながら、そんなはずない、と私はまた首を振った。
ただの小麦粉でも、薬と信じて飲むと薬効が現れることがあるという。その類いのものだろう。
「あなたのおかげです、聖女様」
ぼんやりしていた視点が次第に定まってきたモーシャルさんは、わたしに穏やかな瞳をむけてそう言った。
「わたしは、何もしていません。たまたまそういうタイミングだったのでしょう」
「おまえは、この期に及んでもそんなことを……」
わたしに向かって何か言おうとした魔王を押しとどめて、モーシャルさんは言葉を続けた。
「暗闇から引き上げてくださった。いるべき場所を指し示してくださった。それが、絶えない苦しみでまどろむ夢の中で、どれほどありがたかったか」
ただの、夢だろう。偶然が重なって、奇跡が起きたように見えるだけだ。
そうは思うけれど、楽になったと言ってもらえるならいくらでも協力しようとも、このときに決めた。
それぐらいでは、償いにはとてもならないだろうけれど。
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