FATHER TIME

未田不可眠

文字の大きさ
3 / 4

3

しおりを挟む
 真登美は家に、午前2時ごろに着いた。
 かなり早く帰ることのできた方である。
 リビングではナオが寝息を立てていた。
 真登美はその隣に、静かに腰を下ろした。
 ナオの顔を覗くと、年相応の安らかな顔だった。
 普段どんなに背伸びしようと、寝ている子供は誰しもが子供のままだ。
 真登美はナオの頬を撫でた。
 やわらかい。
 ふいに、台に置いた携帯が光った。
 電話だ。
 ディリセンツァからだ。
 真登美は緑のボタンを押した。
 「はい。」
 「断頭会に襲われたようだな。」
 「ええ。無事ですが。」
 「ならよかった。すまない、我々でもあの襲撃は予測できなかった。」
 「私もあれには驚きです。・・・明らかに私たちの所在を知っているようでした。」
 「まったくだ。こちらで護衛を用意できるが、どうする。」
 その言葉を聞いて、真登美はナオに目を移した。
 わずかな時間、深く黙考する。
 ディリセンツァがさらに言葉を掛けた。
 「聞いたところによれば、家族がいるのだろう。」
 「・・・はい。ですが、なぜそのようなお気遣いをされるのですか。一介の殺し屋に。」
 「私がお前たちの雇い主だからだ。マフィアは仲間を尊重し、大事にする。たとえ一時的な関係だとしてもだ。」
 真登美は再び黙考した。
 裏社会の住人としてではなく、ナオの父親として。
 やがて、真登美は答えた。
 「息子の護衛をお願いします。できれば、息子に護衛の存在を気づかれない様に。」
 「ふん、当たり前だ。すぐに数名をそちらに向かわせる。」
 「ありがとうございます。」
 「近いうちに別の依頼を申し込む。それまで待っていてくれ。」
 「判りました。」
 「では。」
 電話が切れた。
 狭いアパートの一室に、静寂が訪れる。
 ナオが寝がえりをうった。
 幼い身体を包んでいた毛布がずれる。
 真登美はその毛布を、ナオの肩にかかるように戻した。
 ナオはいつまでも、安らかな寝息を立てている。
 真登美は再びナオの顔を覗いた。
 こうしてよく見ると、鼻の形が三又にそっくりだ。
 思わず、真登美は鼻を撫でた。
 その感覚が判ったのか、鼻を鳴らしながらナオが目を覚ました。
 ナオの視界に真登美の顔が映る。
 「・・・まとびさん。」
 「ああ、ごめん。まだ寝てな。」
 真登美が毛布越しにナオの身体を擦った。
 「うん。」
 とだけ答えて、ナオは再び寝息を立て始めた。
 その様子を、父親は先ほどと変わらず眺めていた。
 父親は、考えていた。
 また、父さんと呼んでくれなかった、と。
 寝ぼけていても、その一言を口にしてくれなかった。
 いつまでも。
 真登美は、ナオが初めて自分の名前を呼んだ時から、ある一つの不安を抱えていた。
 いつかナオは自分のことを、父さんと呼んでくれるだろうか。
 その不安が、今改めて、真登美の中で息を吹き返していた。
 そもそもナオは真登美のことを父親だと思っているのだろうか、とさえ思っていた。
 そしてそれを試す方法はないと、諦めてもいた。
 耳を澄ますと、部屋に飾ったアナログ時計がチクタク鳴っているのが聞こえた。
 空虚に、鳴っている。
 一度音が鳴ると瞬く間に消滅する空気の波が、真登美の心に複雑なモノを抱えさせた。
 振り返ると、ナオを譲り受けてからも死を間近に感じたことは何度もあった。
 闇の世界にいる以上、いつ死んでもおかしくない。
 だからこそ、真登美はナオの「父さん。」という言葉が聞きたかった。
 一度でいいから、自分が確かにナオの父親であったことの証明として。
 それも当分は叶うことのない願いなのだろうと、真登美は諦観していた。
 アナログ時計はチクタク鳴り続けている。

 真登美が目を覚ますと、もう朝の6時だった。
 どうやら座ったまま眠ってしまったらしい。
 おかげで真登美は関節という関節に痛みを抱える羽目になった。
 ナオは、まだ寝ていた。
 最後に見た姿勢とは違う格好をして眠っている。
 そのナオを起こさない様に、真登美は立ち上がった。
 朝食を用意するために台所へ向かう。
 と言っても調理するわけではなく、ただ炊いた米の残量を確認して、冷蔵庫から明太子を取り出すだけだが。
 しかし昨日とまったく同じものでは、朝が楽しくないと思い、真登美はヤカンを火にかけた。
 インスタントの味噌汁を作るつもりだ。
 普段はちゃんと自分で作ってるが、たまにはこういうものも悪くないだろう。
 お湯が沸くまでテレビを見ることにした。
 ただ隣ではナオが寝ているから、音量はできるだけ小さく設定した。
 朝のニュースはどの局もほとんど同じものを報道している。
 もちろん昨夜の断頭会との戦闘は、どの局も放送していない。
 真登美はリモコンを頻繁に押して、各局を見て回った。
 ほとんどバラエティのような番組もあれば、きっちり報道フロアからニュースをお届けしている番組もある。
 真登美個人は後者が好みだ。
 と言っても、そもそもメディアが苦手なので、どんな番組だろうとそもそも興味がない。
 が、暇つぶしには最適だった。
 ヤカンの笛が鳴った。
 真登美が急いで火を消しに向かう。
 笛の音で、ナオが目を覚ました。
 ゆっくりと起き上がり、小さく欠伸をして目を擦った。
 「おはよう。」
 真登美が言った。
 「おはよ。」
 ナオが返した。
 そしてテレビ左上の時刻表記を見つめた。
 6:12を示している。
 「あ、こんな時間・・・。」
 「まだ登校までに時間あるでしょ。」
 「今日日直だから、早くいかないといけない・・・。」
 そう言いながら立ち上がった。
 と思いきや、また座り込んでしまった。
 真登美が駆け寄る。
 「どうした。」
 「ちょっと、気持ち悪い。」
 「熱測れ。」
 真登美が棚から体温計を取り出した。
 ナオの服を捲って、体温計をわきに挟ませる。
 少し時間を置いてから体温計が鳴った。
 38,2℃。
 欠席決定だ。
 「ひどい熱だ、ほら。」
 と真登美は測定結果をナオに見せてから、布団に寝かせた。
 「学校には連絡入れとくから、病院連れてまで寝てな。」
 「うん。」
 「鼻は?」
 「でない。」
 朝食の予定が変更された。
 真登美は鍋を取り出し、米と、今沸かしたお湯を入れて火にかけた。
 とろみが出て米粒の原型が崩れだしたところで火を止めた。
 お椀におかゆを盛って、匙と合わせてナオの前に置いた。
 「味噌汁はいる。」
 「ううん。いらない。」
 「わかった。」
 次に真登美は保険証を探し始めた。
 家財を入れている引き出しを漁る。
 ナオが体調を崩すのは、珍しいことだった。
 三又から引き取って、病院の世話になったのは2回だけではないだろうか。
 それほど風邪とは縁がない子供だった。
 だから保険証も使わないので、引き出しの奥底まで潜り込んでしまっていた。
 真登美がやっと見つけ出した時には、ナオは出されたおかゆを食べきっていた。
 よかった、食欲はあるようだ。
 しかし疲れているのか、また寝転んでしまった。
 暑いようで、毛布を掛けていない。
 学校への連絡は学校への連絡は後でいいとして、病院までの足をどうするか、真登美は考えていた。
 彼は車を持っていない。
 そもそも免許は大型二輪しかとっていない。
 病人をよく揺れるバイクに跨らせるわけにはいかないし、ましてや電車など乗せられない。
 そこで、枝留紗を呼ぶことにした。
 彼女は普段、自慢の赤い外車に乗っていた。
 昨日の夜から、真登美たちの近くにいることを約束してくれたので、きっとすぐ来てくれるはずだ。
 真登美は電話を掛けた。
 枝留紗は2コールで出てくれた。
 「どうしたの。」
 「すまない、車を貸してくれないか。」
 「なんで。」
 「ナオが熱を出した。病院に連れてきたいんだが俺には足がねえ。頼む。」
 「まあ、いいけど、貴方車運転できなかったよね。」
 「ああ、だから送り迎えを頼みたい。」
 「はあ、わかった。いつ行けばいいの。」
 「近くの小児科が8時半に開くから、それに合わせてきてほしい。」
 「わかった、いいわよ。」
 「ありがとう、じゃあ、あとで。」
 「ええ。」
 電話が切れた。
 それと同時に、真登美は安堵した。
 ナオはまだ寝転びながらテレビを見ている。
 熱があるだけで、体調はそこまで悪くないようだ。
 真登美は安心した。
 こんなに焦りを感じたのは、敵が迫り来ても脱出用の車が来なかった時以来だ。
 一通りやることを終えた真登美は、コーヒーを淹れ始めた。

 時刻が8:30に迫ってきた。
 枝留紗が渋いエンジン音を鳴らしてアパートの敷地に入ってきた。
 赤い塗装の、見ただけでわかる高級車だ。
 正直、乗りたくないと真登美は思った。
 だがわがままを言っている場合ではない。
 「ナオ、枝留紗が来た。立てるか。」
 「うん。」
 ナオは枝留紗と面識があった。
 初めて二人が出会ったのは、2年前、真登美が仕事で大怪我を負った時のことだった。
 右下腹部に大きな穴を空けてしまい、その看病をしに枝留紗が真登美の家を訪れた時に、二人は出会った。
 ナオははじめ、この豪奢で妖艶な女性を怖がっていたが、枝留紗が妙にナオのことを気に入ったらしく、真登美の怪我が治るまでの間に二人は打ち解け、仲良くなっていた。
 なので真登美も、たまにナオと枝留紗と3人で外出するようにしている。
 時たまその様子を「親子だ」と言われることに、真登美はささやかながら喜びを感じていた。
 ナオと真登美が車に乗り込んでくるなり、枝留紗がナオに声を掛けた。
 「ナオ君大丈夫? 具合悪くないの。」
 「全然。ちょっと、くらくらするだけだから。」
 「大丈夫じゃないじゃない。シートベルト締めた?」
 「うん。」
 「じゃあ出るわよ。」
 車が発進した。
 赤い車体が古臭い住宅街を通り抜けていく。
 なんとも奇妙な光景である。 
 小児科医院には10分ほどで着いた。
 父子が下車する。
 「じゃあ、私待ってるから。」
 「ああ。ありがとう。」
 診察結果はただの風邪だった。
 もちろん、真登美は胸を撫で下ろした。
 帰りもまた、枝留紗の車に乗せてもらった。
 「朝ごはんは食べたの?」
 と枝留紗が心配してくれた。
 家に着いてから、枝留紗は真登美に聞いた。
 「このあとは、どうするの。」
 「どうするもなにも、家にいるけど。」
 「夜は?」
 「今日はない。」
 「ならよかった。私もいようか?」
 「いいけど、仕事は。」
 「ない。」
 「家でもやることないぞ。」
 「暇だからいたいのよ。」
 真登美は溜め息を吐いた。
 そして赤い外車を見つめる。
 「車止める場所だけは気をつけろよ。」
 「わかってるわよ。」
 枝留紗が言った。
 「まとびさん、鍵。」
 102号室の前でナオが叫んだ。
 「ああ、ごめん。」
 真登美が駆けていった。

 「ナオ、熱上がってるじゃん。」
 体温計を見つめながら真登美が言った。
 「うそ。」
 「じゃない。寝な。」
 「寝れないよ。」
 「少なくとも動くな。」
 「わかった・・・。」
 ナオが明らかにしょげている。
 珍しい光景だった。
 「本読み終わっちゃったよ。」
 と小声で言ったのも聞こえる。
 思わず、真登美がナオに聞いた。
 「何しようと思ってた?」
 「クッキー作ろうって思ってた。」
 「なんで。」
 「本に出てたから。」
 「クッキーなら私が作ってあげるわよ。」
 「自分で作りたかった・・・。」
 「あら。」
 ナオが毛布にくるまった。
 ナオの死角に入ったところで枝留紗が笑いを堪えている。
 真登美がナオに言った。
 「今は体調良くても、じきに動けなくなってくるから、安静にしてな。」
 「でも・・・」
 「でもじゃない。休んでな。」
 「・・・はい。」
 にしても、こんなに我儘なナオを見るのは真登美にとって初めてだった。
 もともとこんな性格だったのだろうか。
 真登美は三又との酒の席を思い返したが、彼が息子の話をするときはいつも「かわいい」とだけ言っていたことを思い出した。
 (三又、お前・・・。)
 ナオはおとなしくテレビを見ていた。
 だがこの時間はつまらないワイドショーしかやっていない。
 ナオも内容を理解している様子はなかった。
 枝留紗が聞いてきた。
 「お昼、どうするの。」
 「おかゆだけど。」
 真登美が返答した。
 「それだけじゃ悲しいわ。私、何か作るから。台所貸して。」
 「どうぞ。」
 枝留紗が立ち上がり、ソファの後方に向かった。
 今日は真登美にとって、珍しい経験が多い。
 ナオの見たことない表情に我儘。
 それに加えて枝留紗が家事をする様子まで見られる。
 「お前、料理できるのか。」
 真登美が茶化した。
 「貴方、私がどれだけ一人暮らししてるか知ってるの?」
 「いや、これ以上聞かないでおくよ。」
 「賢明な判断ね。」
 卵を溶く音が聞こえた。
 見ると、卵粥を作ろうとしている。
 真登美が朝作ったおかゆに、米と水、それに溶き卵を入れた。
 ぐつぐつと愉快な音が聞こえてくる。
 ひと煮立ちさせたところで、白出汁を大匙3杯入れた。
 きっかり丁寧に、計って入れている。
 (以外にまめな女だ。)
 いい香りが鍋から漏れ出し、リビングに広がってきた。
 ・・・ん? まて。
 「おい、換気扇回してるか?」
 「あ、ごめん。」
 ファンの回る音が聞こえだした。
 そのすぐ後に出汁の香りはリビングから消えた。
 なんやかんやで、完成したようだ。
 「できたよ。」
 と枝留紗も言っている。
 彼女はお盆に卵粥のよそった椀を3つ乗せて、匙と一緒に運んできた。
 いい香りがする。
 「いただきます。」
 父子が声を揃えた。
 匙で粥を掬い、口に運ぶ。
 まず最初に感じられたのは、熱さだった。
 とろみが熱を封じ込めているせいで、舌の上に乗せた瞬間熱が爆ぜる。
 「あちッ。」
 とナオは舌を出している。
 しかし熱さの次には、ちゃんと出汁が香ってくる。
 そこに卵の風味が合わさり、シナジーを見出した。
 真登美は思った。
 予想以上に美味い。
 思わず枝留紗の顔を見た。
 それに気づいた枝留紗が、自慢気に微笑んでいる。
 ナオも粥を冷ませたようで、満足気に頬張っている。
 「おかわりもあるからね。」
 枝留紗が言った。

 あっという間に完食した。
 ナオは二回もおかわりをした。
 真登美とナオの二人は満足そうにしている。
 真登美が枝留紗に声を掛けた。
 「ありがとう。思ってたより美味しかったよ。」
 「あら失礼ね。」
 枝留紗が言った。
 「元カレが風邪ひいた時にはこればっかり食べさせてたわ。」
 「へえ、彼氏いたんだ。」
 「今はいないけどね。」
 「ふうん。」
 「ねえ、買い出し行かなくていいの?」
 「ああ、そういやそうだな。また車出してもらえるか?」
 「ええ、もちろん。ナオ君、なにかほしいものある?」
 「え、・・・特に、何も。」
 「スポーツドリンクは買ってくる。」
 「じゃあ枝留紗、買い出し頼んだ。」
 「は? 私だけ?」
 「病人一人置いていくわけにいかんだろう。」
 「まあ、確かに、そうだけど・・・わかったわ。必要なモノ、携帯に送っといてよ。」
 「すまない。ありがとう。」
 枝留紗が重たい扉を開けて出ていった。
 外からエンジン音が聞こえる。
 その音はあっという間に遠くに消えていった。
 ナオは台に頬杖をついて座っていた。
 ぐったりしている。
 ちょうどお昼の名物バラエティが始まったが、ナオには興味がないようだ。
 「暇か?」
 真登美が聞いた。
 「うん。」
 「テレビも、何もやってねえな。」
 「うん。」
 「暑くないか?」
 「ちょっと、暑い。」
 「熱測りな。」
 真登美は体温計を棚から取り出して、ナオに渡した。
 ナオはゆっくりとした手つきで、体温計を腋に差そうとしている。
 「疲れた?」
 「ちょっと。」
 体温計が鳴った。
 ナオが体温計の液晶を確認する。
 「増えてる。」
 そう言いながら、真登美に結果を差し出した。
 38,5℃。
 「大丈夫か。」
 「うん。」
 「本当に?」
 「うん。」
 「氷枕いる?」
 「・・・うん。」
 真登美は冷凍庫から、大きな保冷材のような柔らかい氷枕を取り出した。
 それに綺麗なタオルを巻いて、ナオの枕の上に置く。
 その上にナオが寝転がった。
 「冷たくない?」
 「大丈夫。ありがとう。」
 テレビでは、バラエティのオープニングトークが終わったようだ。
 真登美たちはしばらく、それを眺めていた。
 20分程して、エンジン音が聞こえてきた。
 渋い音が止んですぐに、ドアを開ける音がした。
 「ただいまー。」
 枝留紗が大きな袋を片手に帰ってきた。
 「おかえり、ありがとう。」
 「おかえりなさい。」
 「ただいま。真登美、この量はなに、一週間分?」
 「そうだが。」
 「はあ、さすがよ、貴方。あ、ナオ君、はいこれ。」
 枝留紗が袋から何か取り出した。
 アイスクリームだ。
 「はい、貴方にもあるのよ。」
 と真登美の分も買ってきている。
 枝留紗の分もあるようだ。
 「ありがとう。」
 「ありがとう、枝留紗さん。」
 「いいえ。さ、食べてどうぞ。」
 「いただきます。」
 ナオはソフトクリームを渡されていた。
 透明な円錐のカップを外して、舐めた。
 真登美には小豆味の氷菓が。
 枝留紗はチョコのカップアイスだ。
 夏の暑さか、それ以外の要因なのか、市販のアイスがいつも以上においしく感じられた。
 そもそもアイスを食べるのが久しぶりだった。
 ナオも夢中で食べ続けている。
 真登美が枝留紗に言った。
 「にしても、お前庶民的なんだな。」
 「なによ。私のことなんだと思ってたのよ。」
 「浪費家。」
 「呆れた。私だって元々庶民の娘なんだから。」
 「ふうん。」
 気づけば、アイスはなくなっていた。
 体が冷えて、ナオも先ほどよりは元気そうにしている。
 三人はしばらく、狭い部屋の中でくつろいでいた。

 夕飯の時間になった。
 メニューは変わらず、おかゆと味噌汁だ。
 それとプラスで真登美が魚を焼いた。
 だがナオは、それを食べ切ることはなかった。
 一度下がった熱が、また上がり始めたのだ。
 真登美は夕食を済ませてすぐに風呂を沸かし始めたが、ナオは入れない方がいいろう。
 枝留紗は、自宅の風呂に入りに一度帰っていった。
 102号室には、ナオが風邪をひいていること以外、いつもの光景が戻った。
 「風呂入ってくる。」
 真登美は横になったナオに向かって言った。
 リビングには、ナオが一人だけ残された。
 シャワーの音が聞こえてくる。
 テレビをつけていても、リビングは静かだった。
 ナオは、昼間と変わらずテレビを見ていた。
 こんなにテレビを見るのはナオにとって初めてのことだったが、別に何も満たされなかった。
 やっぱり本がいい。
 それでも暇なので、テレビを見ていた。
 『I WANT YOU』
 「・・・え?」
 何かが聞こえた。
 確かに自分に向けられた声が、どこからか聞こえてきた。
 『I WANT YOU』
 まただ。
 どこだ。
 疲弊した身体を持ち上げながら、ナオは辺りを見回していた。
 『I WANT YOU』
 恐怖がナオを支配し始める。
 「まとびさ・・・!」
 『SHIIII・・・』
 口元が抑えられたかのように声が出なくなった。
 体中が震え始める。
 この時ナオは、ようやくどこから声が聞こえてきたかわかった。
 
 すぐそこで、囁くように話しかけられている。
 声が、語りだした。
 『お前、父親の正体を知ってるか?』
 「・・・・・・。」
 『そもそも父親を知っているのか?』
 ナオの脳裏に断片的な記憶が蘇った。
 それは、ガラスの割れる音から始まっている。
 『仮面の男を、知っているんじゃぁないか?』
 ドアの陰から、静かに覗くと、青白い仄かな光が目に入ってくる。
 『お前の父親、だぁれだ。』
 記憶が途切れた。
 声もどこかに行った。
 リビングには、テレビの音だけが鳴っている。
 ナオは、身体が汗で濡れいることに気づいた。
 下着が湿っている。
 鼻息も荒くなっていたようだ。
 途端に身体が重くなった。
 何も動いていないのに、ひどく疲れている。
 布団の上に横になった。
 そうして呼吸を落ちつかせる。
 真登美が下着姿で風呂から戻ってきた。
 ナオの着替えも持ってきている。
 「ほら、着替えな・・・大丈夫か。」
 風呂に入る前よりも、ナオがぐったりしていた。
 見ると体が汗ばんでいるようだ。
 「うん。・・・何もないよ。」
 「そうか。」
 (嘘だな。)
 「着替えるから、立って。」
 「自分で出来るよ。」
 「ホントに?」
 「・・・たぶん。」
 「ほら立って、上脱がすから。」
 真登美はシャツに触れて、ナオがよほど汗をかくようなことがあったのだと確信した。
 しかし、何をしたかまでは判らなかった。 
 着替えを終え、熱を測ると37,5分にまで下がっていた。
 「明日もう一日休めば、風邪、治りそうだ。」
 「そう? よかった。」
 そう口にするナオは、まだひどく疲れていた。

 真登美の電話が鳴った。
 枝留紗からだ。
 「どうした。」
 「断頭会に襲われた。」
 真登美が寝転ぶナオの方を向いた。
 「どこでだ。」
 「貴方の家の半径100メートル圏内。多分、貴方場所割れてるわよ。」
 「・・・今日はこっちに来るのはよせ。」
 「わかってるわ。ディリセンツァに色々聞いてみる。」
 「頼んだ。」
 「じゃあね。気をつけて。」
 通話が切れた。
 真登美は携帯を台の上に置いた。
 「どうしたの。」
 ナオが聞いてきた。
 「急な用がでたらしい。」
 「ふぅん。」
 「今日はもう寝な。俺も寝るから。」
 「うん。」
 真登美がスイッチを部屋中の電気を消した。
 カーテンの隙間からは月の光が漏れている。
 「隣、入るぞ。」
 「うん。」
 ナオの隣に真登美が横になった。
 普段はナオが寝る時に真登美は家にいなかったから、真登美と一緒に寝ることが、ナオには新鮮に感じられた。
 最後に二人で一緒に寝たのは、4年前じゃないだろうか。
 ナオの身体が真登美の皮膚に触れる。
 まだ熱い。
 真登美がナオに聞いた。
 「夏休み、いつからだっけ。」
 「あと4日くらい。」
 「そうか。どこか行きたいところはある?」
 「特にない。」
 「じゃあ、海行こうか。」
 「どこの?」
 「どこがいい?」
 「どこでもいい。」
 「近場でいい場所、探しておくよ。」
 「うん。」
 「お休み。」
 「おやすみ。」
 部屋の中から一切の音が去った。
 静寂がナオの睡眠を促した。
 しばらくすると、真登美の耳に小さな呼吸音が届いてきた。
 見ると、真登美の方に腹を向けて、丸まって寝ている。
 真登美の腕が掴まれた。
 優しく抱き寄せられる。
 ナオが、真登美の右手を握っていた。
 真登美も、小さな手を握り返す。
 しばらくすると、真登美も深い眠りについていた。

 枝留紗は電話をかけていた。
 相手はディリセンツァ、依頼主だ。
 そして現在の主でもある。
 3コール以内に通話が繋がった。
 「なんだ。」
 ディリセンツァが電話に出た。
 「また断頭会に襲われた。場所は真登美の自宅の直径100メートル範囲内。どんどん近くなってる。」
 「場所が特定されたわけだな。」
 「ええ、きっとそうね。たとえ特定されてないとしても、もう時間の問題よ。」
 「わかった。すぐに護衛に伝える。」
 「お願い。・・・それと、もう一つ、襲撃されたときに奇妙なことがあったの。」
 「なんだ。」
 「相手が以上に弱かった。」
 「・・・弱かった? お前が強すぎると言いたいのか。」
 「そんな慢心してる場合じゃないわ。だから、私を殺そうとする意志がなかったの。」
 「つまりお前を排除するための襲撃じゃなかったと?」
 「そう。何のための襲撃か、目的が判らないの。」
 「情報局に知らせておく。それと、断頭会の追加調査も任せよう。上がった情報はすぐに伝える。」
 「真登美にも共有して。」
 「わかった。」
 「あいつら、何か隠してるわよ、間違いなく。」
 「だろうな。警戒しておこう。」
 通話が切れた。
 枝留紗は、何か嫌な予感がしていた。
 ゴールデンステート・キラー以外の呪い持ち。
 おそらくその呪い持ちが、場所の特定を行っているのだろう。
 それだけならまだ良い。
 だが枝留紗は、その行動の裏にある、何か狡猾な、どす黒い何かを感じていた。
 その何かは、きっと誰かに、思いもよらない災いをもたらすだろう、と。

 首領・ランは、苛立っていた。
 先代首領、ジンが組織の方針を変えるために情報局を廃止したことを、止めるべきだったと後悔していた。
 おかげでファーザータイムの情報が、外面的な個人情報しか手に入らないでいる。
 わかっているのは住所、家族構成、所属組織だけだ。。
 これだけでは、ファーザータイムを深い絶望に陥れる準備ができない。
 今は組織が経営難で、最後の希望の薬物取引でさえ、ファーザータイムに邪魔された。
 その借りは、きっちり返さなければならない。
 返すならば、徹底的に、倍にして返す。
 それが彼のモットーだった。
 そして断頭会の理念の一つでもある。
 この理念を遂行するために、首領は注力していた。
 愚かとも呼べるほど、執念に満ちていた。
 誰かが首領室のドアを叩いた。
 部下が一人、入室してきた。
 右手にはタブレット端末を持っている。
 「報告します。先ほど首領の命で出動した戦闘員5名の死亡が確認されました。『バニヤン』の殺害には到っていません。」
 「サリバンの護衛はいたか。」
 「いえ、確認されていません。」
 「ふぅむ・・・護衛は用意していないのか?」
 こういう時に情報局の諜報員が重宝するのに、なぜ先代は撤廃したのだろう。
 また苛立ちが募ってきた。
 「戦闘員はいつでも用意できます。どうしますか?」
 「いや、今はいい。しばらく様子を見ることにする。取引の方は順調か?」
 「いえ。どの取引相手も、サリバン・ファミリーを敵に回すことを恐れています。」
 首領が舌打ちした。
 部下の背筋がに伸びる。
 「よろしい。報告ありがとう。出ていけ。」
 「かしこまりました。」
 革靴の音を立てて、部下が首領室から出ていった。
 首領はまた考え始めた。
 どうやってファーザータイムを苦しめるかを。
 最後はこの手で仕留められるようにしたいし・・・。
 あの子供を利用すればいいんじゃないか?
 途端にアイデアが浮かんできた。
 膨らんだアイデアを脳内で整理するた度に、笑みがこぼれ出る。
 ひとまずの作戦は完成した。
 後はあの子供について調べ上げれば、より素晴らしい作戦になるだろう。
 首領は悦楽に満たされた。
 (実に、実にすばらしい!!)
 首領室から、けたたましい笑い声が漏れ出していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

どうぞ添い遂げてください

あんど もあ
ファンタジー
スカーレット・クリムゾン侯爵令嬢は、王立学園の卒業パーティーで婚約もしていない王子から婚約破棄を宣言される。さらには、火山の噴火の生贄になるように命じられ……。 ちょっと残酷な要素があるのでR 15です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

処理中です...