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第3章:俺の声はどうだ!
176:ひび割れた眼鏡
しおりを挟むどのくらい走っただろう。
「っはぁ、っはぁ……ちょっ。っはぁ、やっと、おい、ついたっ」
正直、こんな森の奥まで走る事になるとは思ってもみなかった。完全に運動不足だ。今や、呼吸するのが精いっぱいで、喋る事すらままならない。
「っはぁ、っはぁ。えー、いち」
ちょっと、もう無理だ。俺はその場に立ち尽くすと、掌を膝に尽きながら息をするのに専念した。ただ、呼吸をしても呼吸しても酸素が足りない気がする。
二十五歳。既に体力の低下が著しい。それに対して、コイツときたら――!
「あ、サトシ。やっと来たね」
歪む視界の中、呼ばれた名前に、やっとの事で顔を上げてみる。すると、そこに赤毛の長髪を振り乱しながら抵抗する少年の腕を、片手で掴み上げるエーイチの姿があった。
もちろん、俺と違って一切息など切れている様子はみられない。大量の荷物を抱えて走っていた癖に、ホントにエーイチって一体何歳なんだ!
「離せっ!おいっ!離せ!」
「ヤだね」
しかも、抵抗する少年に対して、エーイチはケロリとしている。
瓶を盗られた時も思ったが、少年の身にまとう服は、ボロ布の寄せ集めのようで、体中に擦り傷や切り傷がそこかしこに見え隠れしている。振り乱す長髪の赤毛は、しばらく風呂にも入っていないのだろう。どこか、全体的にくすんで見えた。
「あ、耳」
チラリと髪の隙間から見えた耳は尖っていた。どうやらエルフのようだ。
「……っは、離せ!離せったら!」
「あぁ、もうウルサイなぁ」
「んだよ!?離せーー!!」
少年も逃げ出そうと必死なのだろう。掴まれた腕を必死に引っ張ったり、地団駄を踏んだりしている。しかし、そんな抵抗に対してエーイチはビクともしない。体格からして、その少年と大差ないように見えるのに、これは一体どういう事だ。
「ほーら、暴れないよ。あんまり暴れると、手首が折れるかもよ?」
「っ!」
エーイチの丸みのある柔らかい声には、到底似合わない台詞が飛び出した。しかも、それに呼応するように、少年の手首を掴み上げていたエーイチの手に、血管と骨がこれでもかという程浮かび上がる。
「っっい゛!」
その瞬間、少年が一切抵抗しなくなった。エーイチに捻り上げられた手首が相当痛いらしい。その目にはジワリと涙すら浮かんでいる。
「いい?大人しくしてなよ?」
「っう゛」
涙目でコクコクと頷く少年を横目に、エーイチは片手に持っていた何かを、突然ひょいと俺に投げてよこした。
「はい、サトシ」
「えっ……うわっ」
「ソレ、中身とか減ってない?大丈夫?」
「あ、うん。たぶん、だいじょうぶ」
そうやってエーイチから投げて寄越されたのは、少年から盗まれた、あの瓶だった。既に取り返すところまでやってくれていたらしい。優秀過ぎる。
「あ、ありがと。エーイチ」
「どういたしまして」
そう言って軽くニコリと笑って此方を見てくるエーイチの顔に、俺はふと違和感を覚えた。そう、その顔には、いつもの大きな丸眼鏡がない。
「っあ!そうだった!」
俺は疲れ過ぎて、完全に忘れ去っていた事実を思い出すと、勢いよくポケットに手を突っ込んだ。
「エーイチ、これ」
「あ、良かった。サトシ、拾って来てくれたんだ」
俺がポケットから取り出したもの。それはエーイチの丸眼鏡だった。
「ありがと、エーイチ。これがなかったら、俺どっちに行っていいか分からなかったよ」
「どういたしまして」
そうなのだ。
二人を追いかけている最中どんどん距離を離されていった俺は、守の途中、完全に道に迷ってしまっていたのだ。すると、そんな俺が足を止めた絶妙のタイミングで、このエーイチの眼鏡が落ちていたのである。
「あの辺で、サトシは道に迷うかなって思ったんだけど、バッチリだったみたいだね」
いや、先見の明があるにも程があるだろ。
「バッチリ過ぎて、最初は罠かと思ったよ」
「ふふ。確かにね。まぁ、もっと他のモノを落としても良かったんだけど、地味なモノだとサトシが気付かなそうだし。眼鏡なんて普通落とさないから……目立ってたでしょ」
ね?と首を傾げながら此方を見てくるエーイチに、俺は肩をすくめながら「さすがだよ」と苦笑するしかなかった。いや、ほんとにエーイチと一緒に来て良かった。
「あ。エーイチ。眼鏡にヒビ入ってる」
「ほんとだ……まぁ、別にこのくらいいいけどね」
エーイチは俺から受け取ったヒビの入った眼鏡を気にした風もなくかけてみせる。すると、そこにはいつもの見慣れたエーイチの姿が現れた。なんだろ、やっぱエーイチは眼鏡のある姿が一番シックリくる。
ただ、どうしてもヒビの存在感は大きい。気になる。
「いや、それじゃ見えにくいだろ?後で買いに行こう。俺が買うから」
「まぁ、それは有難いけど。別にすぐじゃなくていいよ。だって、どうせコレ伊達だし」
「へ?」
先程、一番シックリくる。なんて思い、エーイチのアイデンティティのように認識していた眼鏡が、まさか一瞬にしてその存在意義をぶっ壊してくるとは。
「え?ソレ伊達なの?」
「うん、そうだよ」
「なんで?」
「なんでって……特徴を付ける為に決まってるじゃん!お客さんに覚えてもらいやすいようにね」
当たり前じゃん、とでもいうようにエーイチは眼鏡のヒビを見つめながら言った。
「お客さんに顔を覚えてもらうって、商売をやる上で大切な事の一つだよ。売ってるモノが唯一無二の商品ならまだしも、そんなモノは僕の手腕じゃ売り出せないからね。売り物は“僕”を含めて商品にしなきゃ。だから、このメガネも記憶の片隅に置いて貰える為の工夫の一つだよ」
ね?似合ってるでしょ?とヒビの入った眼鏡ですら、特徴の一つだと言わんばかりに着こなすエーイチに、俺はといえば完全にお手上げだった。
「まったく、エーイチには敵わないよ」
「別に敵う必要ないでしょ。だって、僕とサトシは……と、友達なんだからさ」
それまで流暢に話していたエーイチが“友達”という所だけ、恥ずかしそうに詰まる。耳の先も、ほんのり赤い。その、なんともいえないギャップに、同性の俺ですら、エーイチにキュンとしてしまった。
「かわいい」
そうそう、可愛いんだよ。エーイチは。見た目も性格も、全部。……ん?俺、声に出てたか。
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