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 十月。
 本格的に秋の気配が漂い始めた頃、京明大学では後期の授業が始まっていた。
 それと同時に、学内は一斉に文化祭モードへと突入していく。

 京明大学で最大級の盛り上がりを見せるイベント――それが「京明祭」だ。
 特に「七曜会」に所属する学生にとっては、これまでの活動の集大成ともいえる一大イベントである。

 なかでも各倶楽部が発行する「部誌」の制作は、京明祭の目玉企画のひとつに数えられている。

「まずはこの原稿を金曜倶楽部に持って行って。あぁ、そのあと月曜倶楽部に寄って……」

 そんなわけで、全サークルを〝渡り歩いていた〟俺は、部誌制作のために東奔西走していた。原稿を挟んだクリアファイルを片手に、俺は金曜倶楽部の部室へと駆け込む。

「あの、陽田部長!これ俺の担当の原稿です!」
「お、渡り鳥か」

 十月とはいえ、まだ残暑の気配は色濃い。
 けれど、金曜倶楽部の部室には冷房がほどよく効いていて、外の暑さが嘘みたいに感じられた。息を弾ませながら原稿を差し出すと、部長がパソコンを叩いていた手を止めて顔を上げた。

「おー、ほんとに全部出来てる。渡り鳥が一番乗りだ」
「え、そうなんですか?でも、今日が締切のはずじゃ……」
「あぁ、アレね。俺が早めに締切設定してるのバレてるから、皆ぜーんぜん守ってくれないわ」

 そ、そういうものなのか。じゃあ「締切」とはいったい。
 いつも通りの飄々とした口調の陽田部長に、俺は「なんだかなぁ」と首をかしげた。

「渡り鳥は他サークルの原稿も担当してるのに凄いなぁ。筆早いし、その割に文章もしっかりしてる。……うん、コレならあんま赤入れる必要ないかもな」

 俺の原稿を軽く目で追いながら、部長が呟くように言った。
 その言葉に、思わず顔がほころぶ。俺だって伊達に毎日【ツク・ヨム】で更新してるわけじゃない。

——入れば?

 ふと脳裏に浮かぶ猫背の背中を思い出して、気が引き締まった。
 俺なんて、あの人に——余生先生に比べたら、まだまだだ。

「でも、俺なんか全然筆早くないですよ。一日二万字とか平気で書く人を知ってるので」

 そう言うと、部長が驚いたように目を丸くした。

「一日二万か……そりゃ凄いな。誰だ?木曜の志々島とか?」
「あ、ちがくて——」

 その時、部室の奥から他の部員たちの会話が耳に飛び込んできた。

「なぁ、最近余生の作品さ、微妙じゃね?」
「あー、だな。毎回同じ展開で、はいはい今回もソレねって流し読みしてる」
「コメント欄見ると、似たようなこと言ってるヤツ多いし、そろそろ〝不動の一位〟も終わりかもな」

 呼吸がうまくできなくて、背中がじわりと汗ばんだ。
 聞きたくなかった。聞こえなかったことにしたいのに、言葉だけが耳に残って離れない。

(……汚された)

 全身の力が抜けそうになる中、拳だけが勝手に強く握りしめられている。
 そんな俺の様子を不審に思ったのか、部長が机の向こうから覗き込むように声をかけてきた。

「おい、渡り鳥。どうした、具合でも悪いのか?」
「……いえ」

 声が遠い。まるで、水の底から聞こえてくるみたいに。

「俺、他のサークルの提出があるので、失礼します。修正がある時は言ってください」
「あ、あぁ」

 精一杯、平静を装って頭を下げた。
 部長の、どこか戸惑ったような様子をよそに、足を止めることなく部室を後にする。扉を閉めたにもかかわらず、部室の中からは遠慮のない作品批評が聞こえてくる。

「……汚された」

 舌打ちしたくなる気持ちを、どうにか飲み込んで、俺は早足でその場を離れた。

(汚された、汚された、汚された、汚された)

 未だに暑さの残る部室棟を、俺は背中に張り付くうすら寒い気持ちを振り払うように歩き続けた。

◇◆◇

 騒がしい部室の中で、金曜倶楽部の部長である陽田恭平は、しばらく呆然と直樹が出て行った扉を見つめていた。

「ヒダさーん。すみません、部誌の原稿の締切、明日まで待ってもらっていいですかー?」
「……」
「ヒダさん、どうかしたんですか?」

 首をかしげる部員に、陽田はふと顔を上げて問いかけた。

「なぁ。渡り鳥って、どんなヤツだ?」
「めっちゃいいヤツですよ?最初は髪の色すごくてヤバそうだなって思ったけど、いっつもニコニコしてて話しかけやすいし。あと、素直でスレてないから、可愛いっすよね。アレは絶対年上から好かれるタイプ!」

 返ってきた言葉に、陽田は「だよな」と深く頷く。
 その印象には、陽田自身も完全に同意だった。たしかに、年上受けは異様にいいだろう。

「月曜のゴスロリ様にも可愛がられてるし、俺も素直で可愛いヤツって思ってたけど——」

 そこまで言いかけて、手元の原稿に視線を落とす。
 丁寧に書かれた、まっすぐな文章。どこをとっても及第点以上。けれど、それを渡した直後の、あの無表情と、ぽつりと呟かれた一言が頭から離れない。

——汚された。

 その言葉と共に思い出される、直樹の顔。
 脳裏に焼きついた、まるで汚い蝿でも見るような目に、陽田はポツリと呟いた。

「まったく、素直なフリしてとんでもない頑固者が出て来たもんだ」
「は?」

 戸惑う部員の声を他所に、陽田は「まぁ、それもアリだなぁ」と直樹の原稿を見下ろして穏やかな笑みを浮かべた。

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