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20:筆を折る時、創作者が必ずやるべき「たった一つ」のこと

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 金曜倶楽部を後にした足で、俺はそのまま月曜倶楽部へと向かった。
 夕方になっても気温は下がらず、月曜倶楽部の部室には昼の熱気がこもったままだ。

(……やっぱ、金曜倶楽部と全然違うな)

 しかし、嫌な肌寒さを感じていた俺にとっては、このぬるい空気は逆に心地よかった。

「花織先輩、頼まれてた原稿持ってきました」
「あら、渡り鳥クン。優秀じゃない」

 レースのカーテン越しに差し込む光の中、花織先輩は椅子の背にもたれ、脚を組んでこちらを見ていた。レースの袖を軽く払う仕草は、どこか芝居じみていて、いかにも彼女らしいなと思う。
 部室には他に誰もいない。

「何かあった?」
「え?」

 原稿を手渡した瞬間、鋭くも柔らかい視線に、思わず言葉が詰まる。

「もしかして、また嫌なコメントでも貰ったかしら」

 普段のツンと尖った声ではなく、驚くほど優しい声だった。とっさに「なんでもないです」と首を横に振ろうとした俺に、花織先輩がぴしゃりと言った。

「渡り鳥クン、あなたね。思っている以上に顔に出る子なんだから、〝なんでもない〟は通用しないのよ」
「そ、そんなに俺って顔に出ますか?」
「出てるわ。そりゃもう。〝顔に書いてある〟って慣用句が人間の形をとったとしたら、まさにあなたね」

 そんなに泣きそうな顔をしていただろうか、と不安になって頬に手を当てた。すると、それを見透かすように、花織先輩が静かに口を開いた。

「顔に出るって、表情が豊かに変化する事を指すだけではないの」
「それは、どういう?」
「ここに入ってきた時のあなた、無表情だったわ」

 花織先輩は俺の手渡した原稿をパラパラとめくりながら事もなげに言う。

「悲しければ悲しい顔をする、嬉しければ嬉しい顔をする。じゃあ、あなたから表情を失わせるのは……怒り?」
「っ!」
「当たりね。さて、あなたは何に怒っていたの?」

 とても興味があるわ、と言わんばかりに口元に笑みを浮かべながら問われた言葉に、俺はここにきて改めて気付いた。

——なぁ、最近余生の作品さ、ちょっと微妙じゃね?

 そして、耳の奥でこだまする声に、ハッキリと自覚する。
 あぁ、そっか。俺は、怒っていたのか。

「大好きな作品に嫌なこと、言われて。それで……」
「あぁ、納得したわ。それで、あの顔……ふむ。それは怒っていいし、あの顔になるのも頷ける。私が同じ立場であれば、その場で文学論争の果たし状をたたきつけるレベルね。そして、三行で論破してやるわ」

 ぐちゃぐちゃの感情の中から絞り出した言葉に、花織先輩は迷いなく答えを重ねてくる。
 きっと花織先輩なら、俺みたいに黙って耐えるんじゃなくて、その場で堂々とやり返すんだろう。それこそ、余生先生のように。

「渡り鳥クン?」
「……」

 容易に想像できる二人の姿に、なんかもう、改めて「凄いなぁ」と思ってしまった。
 すると、何も言わない俺に対して、先輩は少し気まずそうに視線を逸らしながら口を開いた。

「私のこと、大人げないって思った?感想なんて人それぞれなのにいちいち突っ掛かるなんて、モラルがないって引いてたりする?」
「え、いや。そんな事は……」
「いいのよ、別に。自分で分かってるから」

 俺の返事をさえぎるように、花織先輩はどこか早口で言葉を続ける。

「こんな性格だから、昔から人とうまくやれなくて色々な人と喧嘩してきたし。私は自分が間違ってるとは欠片も思ってないけど……でも、正しいとも思ってないもの」

 そう言って、いつもの自信満々な姿を少しだけ陰らせる先輩の姿に、胸がきゅっとなった。

——俺のせいで、ノキ先生が筆を折ったらどうしよう。

 「自分は間違ってない!」と叫びながら、「正しい」とは自信を持って言えない。そういうところが、先輩も、余生先生も真っすぐで、不器用で——。

「俺、花織先輩のこと、大人だなんて思った事ないです!」
「……は?」

 花織先輩の声が、かすかに裏返っていた。戸惑いと困惑が入り混じったような顔で、じっと俺を見つめてくる。

「むしろ、好きな本の感想を言う時とか、素直で可愛い子だなって思ってます!」
「はぁ!?」

 呆けたような声のあと、目を見開いてこちらを見つめていた花織先輩の顔が、真っ白な肌の上にじわじわと赤みを差していく。そのコントラストがなんだか既視感を呼んで、「やっぱり余生先生に似てるな」と、ぼんやり思った。

(あ、そう言えば)

 目の前で何も言えずに顔を真っ赤にしている先輩をよそに、俺はポケットのスマホに手を伸ばした。
 そうだ、先輩におすすめしたい作品があったんだ。

「あの、花織先輩の好きそうな作品を【ツク・ヨム】で見つけたんです!」
「な、なによ急に!」

 いつもの感想会のときみたいに隣へ駆け寄ろうとした瞬間、座っていた先輩が慌てて立ち上がった。その動きに、いつもの優雅さはまるでない。

「もしよかったら、これだけでも読んでみてください!俺、【ツク・ヨム】作品でも、先輩と感想会がしたいなって、夏休み中ずっと思ってて」
「はぁ!?夏休み中、ずっと私の事を考えてたの!?」
「いや、そこまでずっとじゃないです。ちょっとだけ」
「……へぇ」

 手帳の端にメモっておいたタイトルを急いで引っ張り出し、身を乗り出すように先輩に差し出す。
 なぜか先輩は急に不機嫌そうな顔になってしまったので、俺は慌てて言い添えた。

「あの、【ツク・ヨム】は会員登録しなくても、読むだけなら全然できるので」
「絶対に読まないわよ!あんなバカの集まるサイトに投稿されてる、大衆に媚びた作家の作品なんて!」

 頑なにメモを見ようとしない先輩に、俺はなんとか読んでほしくて少しでも興味を引けたらと、思い切ってタイトルを口にした。

「そう言わずに、あの。月夜涙(つきよなみだ)さんって人の【真実の花は、嘘の水で咲く】って作品なんですけど」
「……今、なんて言った?」

 その瞬間、花織先輩がすごい顔になった。目の奥がギラッと光り、まるで睨みつけるようにこちらを凝視している。

「月夜涙さんの【真実の花は、嘘の水で咲く】ってタイトルの作品で……。あ、コレです!」
「っ!!??」

 興味を持ってもらえた事が嬉しくて、俺は自分のスマホからブックマークしていた月夜涙さんのユーザーページに飛んで見せた。

 この人は、以前【ツク・ヨム】の「地雷作者晒しスレ」に俺が晒されたとき、同じ掲示板に上がっていた作家の一人だ。
「HNとタイトルで全部察したw」ってコメントには書かれていたが、如何せん俺には何も察する事が出来なかったので気になって読んでみたのだ。

 そうしたら、凄く良かった!

「文章が綺麗で、でも綺麗すぎなくて。ちゃんと痛みが残ってる感じで、読んでてすごく刺さるんです」
「っぁ、っぁ……!」
「あと、言葉の奥にどうしても伝えたい何かがある感じがして……展開もわざと焦らすのに、ちゃんと信頼してコッチに委ねてくれるというか。なんか、本気がにじんでる作品だなって——」
「っひ!もうやめて!!!!」

 それまで真っ赤だった花織先輩が引き攣った顔で叫ぶ。

「どうしたんですか?……あ、大丈夫ですよ!最終更新日は四年前なんですけど、ちゃんと完結してる作品なので」
「そ、そ、そんなこと心配してないわよ!?」

 そうなのか。花織先輩が【ツク・ヨム】を嫌いなのは、プロの作家と違って完結の保証がないからだと思っていたが。

「俺、この作品読んで小説投稿サイトってやっぱいいなぁって思ったんです。この人、書いてるとき楽しかっただろうなって」
「……」
「月夜涙さん、今どうしてるんだろう。凄く好きだったから、また作品書いてくれると嬉しいんだけど」
「お、恐ろしい子……」

 いつの間にか、その場に座り込んで体を丸めた花織先輩が、俺を見上げながらぼそりと呟いた。

 大丈夫。そのセリフがとある有名な漫画のオマージュで、本気で「怖い」と言っているわけではないことは、すでに調べがついている。
 俺も先輩に合わせて腰を下ろすと、月夜涙さんの情報をまとめたメモを差し出した。

「だから、もし良かったら読んでみてください。また、一緒に感想会しましょう」
「……本当に勘弁してちょうだい」

 そう言いながらも、先輩は溜息まじりにそのメモを受け取ってくれた。
 そして、しばらくそのメモを見つめたあと、遠い記憶を思い出すように目を細めてぽつぽつと語り始めた。

「ねぇ、投稿サイトなんてやってたらバカになるって……私がそう言ったの、覚えてる?」

 バカになる。バカを見る。
 花織先輩は、助詞を変えながらも一貫して「ばか」という言葉で、投稿サイトを評してきた。それこそ、ずっとずっと頑なに、もう見たくないとでもいうように。

 俺が先輩の言葉に頷くと、花織先輩は言葉を選ぶようにゆっくりと語り始めた。

「投稿サイトみたいに、書き手も読み手もすぐ隣にいて、いろんな人の感情が一気に流れ込んでくる場所にいるとね……今、自分が書いてるものが、〝本当に自分の好きなもの〟なのか、それとも〝みんなが好きなもの〟なのか、境界線が分からなくなっていくのよ」

 零れ落ちて来る言葉を、俺は黙って拾い上げるように聞いた。

「自分の信念を持って表現したモノでさえ、他人の「つまんない」とか「イタい」って感想に侵食されて、「あぁ、そうかも」って思った瞬間があったの。そのとき気づいたのよ。自分の好きなものすら、自分で分からなくなった私は〝バカ〟になったんだって」
「……」
「だから、私は言い返すようになったの。自分の好きなものを守るには、それしか方法が分からなかったから。だから——」

 その瞬間、花織先輩はすくりと立ち上がった。

「これ、やり直し」
「っへ!?」

 言葉と同時に突き返されたのは、さっき提出したばかりの部誌の原稿だった。驚いて目を瞬かせる俺の前には、すでにいつもの〝言葉で殴る月曜の魔女〟の顔があった。

「っへ、全部ですか?」
「全部よ、全部。まったく、つまらない文章を私に読ませないで」

 歯に絹どころかラップ一枚も被せてくれない物言いに、一瞬たじろぎそうになる。しかし、そこはさすがの花織先輩、ただ突き返すだけでは終わらなかった。

「ここをどこだと思ってるの?厭世と虚無の月曜倶楽部よ。我が部の部誌に〝みんな〟なんて読者は存在しない。うちの部誌は会社のプレゼン資料じゃないの。いい?誰でもない〝私を〟満足させるモノを持ってきて」
「……花織先輩を?」
「そうよ。それこそあなたの得意分野でしょう?私はどんな捻くれた文章でも読解してやるから、存分に〝癖〟を出しなさい」

 そこまで言い切ると、花織先輩は勢いよく背中を叩いて俺を部室の外へと追い立てた。

「さあ、京明祭まで時間がないんだから、さっさと書き直してきて!」
「えっ、あ……はいっ!!」

 言われるがままに原稿を抱えて部室を飛び出した俺の背中に、レースの袖がひるがえる音が、妙に高らかに響いた。
 金曜倶楽部で感じた「怒り」も「気持ち悪さ」も、今はどこにもない。

◇◆◇

「……みんなは居ない、か」

 俺は、原稿を片手にぽてぽてと歩き出した。
 部室棟を出ると、空はすでに深い青に染まっていた。思っていたよりもずっと暗い。最近、どんどん日が落ちるのが早くなっている。

 スマホの画面に目を落とすと、時刻はすでに夜の七時を回っていた。

「もう店は閉まっちゃってるなぁ」

 最近、ブルーマンデーのバイトは入れてない。京明祭の準備でなかなか日中に時間が取れなくなっていたのだ。
 でも、それでも俺は毎日のように店に通っている。
 いや、正確には「店」ではない。ブルーマンデーの二階。

 余生先生の部屋だ。

「先生、夜ごはん食べたかなぁ」

 夢中になると彼はすぐ食事を抜いてしまい、マスターも困っている。
 だから、最近では俺がコンビニで軽い食べ物を買って行くようにしてはいるのだが、それでも彼は原稿に没頭したまま。〝一心不乱〟って慣用句が人間の形をとったとしたら、まさに余生先生になるのだろう。

 先生は、本当に「書く」のが大好きな人だ。

『読者を信じて行間に委ねるって、生半可じゃない勇気がいる』

 先生が〝ノキ〟の小説を語った時の真剣な横顔が、ずっと心の中に残っている。それは、先生が「みんな」に届けたいと思っている証拠だ。

 そう思った瞬間、金曜倶楽部で聞こえた、あの無邪気な言葉がまた胸をざらつかせた。

 ——最近、余生の作品さ、ちょっと微妙じゃね?
 ——はいはい、今回もソレねって思うこと多いわ。

「俺は、余生先生だけに届けばいいって思ってるけど、先生は、そうじゃない。……ちゃんと、みんなに届けたいって思ってる。だとしたら——」

 じゃあ、今。先生は、どんな気持ちでコメントを読んでるんだろう。
 リュックを背負い直して、俺は文化祭準備でざわつく夜の校内を、黙って歩き出した。


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