愛重(あいちょう)のゼラ

軟体ヒトデ

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忍び寄る魔の手

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 月や星のない夜の森を、ソラトは袋詰されたインディカ米と多様な野菜を抱えながら山道を歩く。
 若い雄熊の内蔵を傷つけずに仕留められたのは運が良かった。状態の良い死体が手に入るとあれば商人達も融通を利かせて栄養価の高い食材と交換してくれる。交渉に時間を掛けすぎたせいで本来なら夕方には村に戻るはずがすっかり真夜中になってしまったが。

「これだけ手に入れば、機嫌直してくれるよなあ」

 そうであってほしいという願望の籠もった願いが漏れ出た。
 下着を見てしまったお詫びに食べ物を献上する。文明人としてはあまりにもアニマルに寄り過ぎてないかという懸念はあるが、貯蓄の少ない一人暮らしの女性が相手なら悪いようにはしないだろう。
 物心ついた頃から家族のいないソラトとゼラは村の中では浮いていた。赤ん坊の頃に二人揃って村に捨てられていて、5歳までは村長家族に育てられていたが、そこからは自立できると判断されて追い出された。親のいない二人の孤児、しかも片方は珍しい東洋人の血を引く男では排他的な田舎で馴染めるわけもない。率先して迫害されることはないが、手を差し伸べてくれるわけでもない。淡白な人間関係しかない村で生きていくには自給自足しかない。その中でソラトが食材を提供し、ゼラが料理を作るという共生関係によって今日まで生きてきたのだ。

「でも、あんなに怒ることなかったよなあ」

 最低な発現をしているという意識はあっても、口にしてたいという欲には抗えない。
 元を辿れば突っかかってきたゼラにも問題があるのだ。いつもならクレリックになるという夢を語っても少し小馬鹿にする程度でそれ以上は言及してこなかったのに。今回は妙に辛辣だった。これではムキになるのもしょうがない。

「……何が気に食わなかったんだろ」

 見に覚えがなくてふと考え込む。
 才能がないくせに頑張る姿が浅ましかったから?
 王族の名前に拘る滑稽さが見ていられなかったから?
 それとも。

「俺がいなくなると思ったのかな」

 ありえない話ではない。
 万が一ローブを生み出し、クレリックになれば将来は安泰だ。国内の不穏分子に対する抑止力を欲しがるイルカルラ王国は常に兵士の募集を呼びかけている。そこに王国軍でもたった百人ちょっとしかいないクレリックが現れれば高待遇で軍に向かい入れられ、戦功次第では貴族の位と領地を得ることも夢じゃない。そうなれば助け合いの精神を持たない村に拘る理由なんてない。エリート街道のために幼い頃から一緒に頑張ってきた家族同然の少女を見捨てるなんて世界中でよくある話だ。
 自分が狩りをするようになってからはお互いのプライベートを尊重するために別々に暮らし始めたのもあって、昔ほど助け合う仲間という意識も薄れてはいた。そこは否定しようがないし、恐らくゼラも感じていたからこそ、突然目の前からいなくなるのではという不安があったのかもしれない。

「そんなこと、するわけないじゃないか」

 力強く、この場にいないゼラに聞かせるように断言する。
 もしもクレリックになって、あらゆる待遇を得られるとしても、ゼラには隣にいてもらう。王国が彼女を否定するというなら、彼女の手を取って国外に飛び出す。
 ソラトの人生設計の中に、ゼラのいない未来なんか存在しない。あんなに美しくて凛々しく、時々可愛く、ちょっと怒りっぽいが性格も優しくて料理も上手い。しかもモデル体型で爆乳の女の子を捨てるなんて考えたくもない。

「俺は、ゼラを幸せにしたいからクレリックになりたいんだ」

 幼い頃から変わらない夢。向こうがどう思ってくれてるのかわからないが、ソラトにとって世界で一番大切な女の子なのだから。
 柄にもなく臭いことを言って気恥ずかしくなったその時だ。
 まるで森が悲鳴を上げてるかのようにうたた寝をしていた野鳥達が一斉に飛び立ち、無風の中で木々が揺れ動く。 

「ん?」

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。しかし次いで肌にまとわりつく悍ましい殺意が、頭よりも先に本能で危険を知らせた。

「な、何だっ!?」

 野生の中で生きる動物達の殺気とは違う。捕食や縄張り争いのためではなく、同じ大地を踏みしめる行為を憎悪し、亡き者にしようとするあってはならない殺意だ。

 ガキンッ!

 次いで、鈍く重い衝突音が木霊する。
 これは鉄同士がぶつかり合う音に似ている。銃の発展と、それに伴う銃士隊の普及によって鎧の戦略的価値が薄れてから聞くことのない音。
 ソラトは荷物を下ろし、小銃を構え、声を殺しながらその場で屈む。迂闊に動けば自分の存在を悟られる。何とかやり過ごさねばならない。だが運が悪かった。
 目の前を巨大な何かが横切り、近くの木に叩きつけられた。ずるりと倒れ込み、肺の中の空気を吐き出しながら悲鳴に近い声を上げている。

(う、嘘だろ。クロコディル、それもサルダートだって!?)

 ソラトは叩きつけられた何かの正体に絶句した。身長にして二メートルを超える巨体に黒みがかった鱗を持つ体表。指の一本一本が子供の二の腕かと錯覚してしまうほど太く肉厚で、顔は童話に出てくるオークのように醜い。
 間違いない、クロコディルだ。魔界から無限に現れる化物で、目の前にいるのはその中でも兵士階級にあるサルダートだ、それがなぜこんな戦場とは無縁の森にいるのか。

「な、何でこんなヤバイのが……」

 疑問への答えはさらなる騒音になって帰ってきた。茂みからさらに三つの影が飛び出す。すべてサルダートだ。

「一人ヤラレタッ!」
「化物メ!」
「逃ゲ切レソウニナイ。ココデ倒スゾ!」

 それぞれがそう言うと。サルダート達は手に持っている小銃を茂みに向かって一斉に発泡する。体格の大きい化物が使うのに見合った物々しい外見で、先端には銃剣の代わりに鋭いトゲのついた鉄球。モーニングスターが装着されている。
 弾の一発一発が普通の人間なら掠っただけで肉を抉り取ってしまいそうな轟音を鳴らす。だが。

「グギッ!?」

 火線の向こうから小さな影が飛び出した瞬間、一匹のサルダートの首から紫の鮮血が噴水のように飛び出すし、倒れ伏した。
 影は人の形をしていた。暗がりでよく見えないが、両手には刀身がくの字に曲がった短剣。ククリナイフに似た武器を持っている。

「ガアッ!」

 仲間がさらに殺された怒りか、別の一匹が近づきモーニングスターを上から振り下ろすが、影は風に流される羽毛のようなかろやかさで躱し、二つのククリナイフを突き刺した。
 そのままぐいっと持ち上げ、最後の一匹に向かって走り出す。百キロ以上の重さを誇る怪物を持ち上げて突撃なんてなんて腕力だ。最後のクロコディルは怒りに任せて発砲するが、全てが肉壁となっている仲間に当たってしまう。
 影は物言わぬ肉壁を踏み台にし、三匹目のサルダートに頭部に向かってククリナイフを上から突き立てた。ぼとりと小銃を落とし、最後の生き残りは立ったまま絶命していた。

(すごいっ)

 それ以外に言いようがなかった。単純な膂力だけで熊と殴り合える文字通り別世界のモンスターが、銃を装備しているにも関わらず瞬殺されたのだ。
 一体何者なんだ。素人目でも達人と分かる身のこなしに慄いていると、夜空の満月が顔を出し、木々の切れ目に優しい月光が降り注いだ。

「あ」

 綺麗だ。
 雑多な視界。僅かな光源。だが目の前の少女の美しさはそれで十分であった。
 動きやすさを重視したゆったりとした白のロングスカート。異性を釘付けにする豊満な乳房は黒い下着と、肩から垂れ下がったふたつの金細工の刺繍入りの布で申し訳程度に隠されている。
 シュッとした顎に整った鼻。猛禽類を彷彿とさせる鋭い眼光はエメラルドのように輝いていて、後ろに束ねた灰色のポニーテールが美しさと可愛さを両立させていて……。

「ぜ、ゼラッ!?」

 そこでようやく、目の前の美少女の正体を把握した。
 見間違えるはずがない。たとえ普段の彼女には似つかわしくない武器を持っていようと、そんなことでいつも自分を支えてくれる愛する女性を他人と思うわけがない。
 咄嗟の言葉に、ゼラはソラトの方に視線を向け、まるで存在してはいけないものと相対してしまったかのような絶望的な表情を作る。

「ソラト。何でこんな所に。もうとっくに家に帰って寝てるものかと」
「市場での交渉で時間かかっちゃったんだよ。いやそんなことよりも!」

 なぜ戦乱から離れているこの森にクロコディルがいるのか。なぜゼラがそんな連中と戦っているのか。何よりも。

「何で、ゼラがローブを纏ってるんだ?」

 奇抜なコスプレに見える衣装は、素人のソラトにも分かるほど高密度な魔力の塊だ。さっきの戦闘で目にも留まらないスピードで動いたにも関わらず汚れひとつ付いていない。間違いなくクレリックの証であるローブの特徴だ。
 だがどうして? 彼女はクレリックの素質はないはずだ。往生際の悪いソラトと違って、一回の練習で見切りを付けていたのを今でも思い出す。

「こんな場所にクロコディルが現れるだけでもおかしいのに。ゼラがクレリックになって戦ってるだって? どういうことだよ」
「違うんだソラト。騙してたのは悪いと思ってる。でもこれはお前を思って……」

 慌てるゼラは、縋り付くように弁明をしようとした時だ。

「ガアアアッ!!」

 尽きようとする命を燃焼させる勢いの雄叫びが森を震わせる。
 雄叫びの主は最初にゼラに叩きつけられて虫の息だったサルダートだった。両手でモーニングスター付きの小銃を構え、ソラト達に向かって来る。

「忙しい時に邪魔なっ」

 ソラトを押しのけながらゼラは両手のククリナイフを構える。人間を遥かに凌駕する化物と言えど所詮は風前の灯。どうとでもなるという油断が悲劇を招いた。

「オストリーシェーチ(鋭い網)」

 短く放った一言と共にサルダートの胸から何かが突き出た。

 ズブリ。

 生々しい音が耳に残る。生きた動物に刃物を突き立てた時によく似たものだ。
 音の発生源はゼラだった。彼女の大きな胸にいくつもの細長い針が突き刺さっている。
 針はサルダートの方から伸びていた。ゼラと同じように胸を貫通しており、元々虫の息だった化物がそれによって絶命したようだ。

「がっは……」
「ゼラッ!!」

 針が抜け、力が抜けたように膝を付くゼラに駆け寄る。
 倒れそうになる体を支えると、小指よりも小さな穴から止めどなく血が流れていて、見ているだけで気分が悪くなる。
 ソラトは手持ちのハンカチを押し込むように拭ってやる。とにかく今は止血をしてやらなければと頭を回転させていると。

「あら残念」

 心底落胆したような妖麗な声に背筋が凍る。

「今の一撃で殺せると思ったんだけど。ローブだけじゃなく、胸の脂肪が厚すぎて心臓にまで届かなかったようね」

 振り向くと、針が抜けて支えを失い倒れ伏したサルダートの先に声の主がいた。
 そこにいたのは人間の女性だった。肩にかかる程度の金色の髪をなびかせる女性。しかしこの場にそぐわない格好が、彼女の異常性を高めている。
 女は鎧を着ていた。鈍い光を放つ赤紫のそれは、兵士などが着込む軍服とは根本から異なる。表面の質感から、どちらかというと昆虫の外骨格を思わせるものだ。胸部には蜘蛛の巣をあしらったような模様が浮かんでいる。

「まあ良いわ。どっちにしろこれで終わりよ」

 スッと女は右手の平を向ける。中央には小さな穴が空いている。
 まずい、理屈ではなく本能で察知したソラトは小銃を女性に向けて発砲した。

「っ!」

 反撃など想定すらしなかったのだろう。弾丸を受けて驚いたように後ずさりする。

(おい、何で平然としてるんだ!)

 銃の発達ですっかり廃れてしまった鎧。だが目の前の女のそれはキズひとつ付いている様子がない。

「そ、ソラト」
「逃げろゼラ! こいつは俺が食い止める」

 焦りながらも、ソラトは冷静に小銃に弾と火薬を込めて反撃に備える。ゼラは致命傷を負っているが、クレリックは魔力によってある程度の自己治癒能力があると聞いたことがある。ならここで食い止めればゼラだけでも助けられるかもと、淡い希望を抱きながら叫んだが。

「っぐ!」

 再び苦悶の声を上げるゼラ。見ると彼女の体は目に見えないほど細い糸によって巻きつけられている。

「ゼラ!」
「ちょっと。どうせ死ぬんだから抵抗をしないでちょうだい。あんまり時間を掛けたくないのよ」

 女はめんどくさそうに言った。掲げてる右手の平の穴から無数の糸のような物が飛び出しており、それがゼラを拘束しているのだと本能で察した。

「この野郎!」

 怒りに身を任せて再び発砲するが、変わらず女は涼しい顔で後退りする程度で、まともなダメージが入っていない。

「嘘だろ。何で銃を食らって平然としてるんだ」
「何を当たり前なことを。ブローニャの防御力を鉄砲玉程度で突破できると考えてたの? 傷つけたかったら大砲でも直撃させなきゃ」

 ブローニャ? 聞き慣れない単語だが、鎧を指しているということだけは理解できた。

「何だそれ、ローブみたいなものか?」

 少しでも時間を稼ぎ、状況を打開する方法を考えねばと、どうでもいい質問をすると、女は口元を釣り上げながら小さく笑った。

「ふふ。そんなマナの塊なんかと一緒にされては困るわ。ブローニャは魔王ザダナー様の外皮と骨によって精錬された神の鎧よ。装着者への恩恵は布細工の比ではないわ」

 女は掲げた右手首をクイッと動かす。連動するようにソラトの持っていた小銃はまるでバターのように切り分けられてしまった。

「こんな風にね」

 誇示するように見せつける女性に、ソラトは下唇を噛む。

(何なんだこの女? 銃が効かないんじゃどうにもならないじゃないかっ。でも)

 ザダナーだの巫女だの知らない単語ばかりで頭がパンクしそうになるが、今はこの場を打開しなければならない。震える手で腰にかけた手斧。トマホークを取って走り出す。
 だがあまりに安易な選択だった。女はそんなのはお見通しとばかりに再び右手首を動かすと、ソラトの体はピタリと止まった。ゼラと同様。あの糸で体を拘束されてしまったのだ。

「っぐ!」

 食い込んだ糸が、滴る血を伝っている。このままじゃバラバラになる。ここまでかと考えるソラトに、女性はゆっくりと近づき、不思議そうに顔を見てくる。

「……貴方。ただの人間には見えないわね。後ろの巫女の関係者のようだけど、それならローブくらい纏えるはず。どういうこと?」

 悪意のない純粋な疑問を述べている。後ろの巫女とはゼラのことだろうか。疑問が浮かぶが、それよりもここに来て己がクレリックでないことが憎くてしょうがない。
 ならせめて、何でも良いから適当に大口を叩いて相手の興味をこちらに向かせなければ。少しでもゼラが生き残る可能性があるとすればそれしかない。

「残念ながら、俺はトルマリン家の中じゃ大器晩成型なんだ。でも後ろの女の子よりはこの首に価値があると思うけどな」

 後で恥ずかしくなるような物言いに、女はピクリと眉を動かした。

「……トルマリン家? 単なるホラで名乗っていい名ではないわよ」
「悪いけど本当だ。赤ん坊の頃入ってた籠の中に名前もあった。ソラト・トルマリン。それが俺の名前だ」

 しんっと場が一瞬だけ静寂に包まれた。次いで女は顔を大きく歪め、取り憑かれたように大きく高笑いする。

「あはは! 何だ、こんな所にいたのねソラト。王国を挟んでこんな森まで逃げてたなんて。そりゃ見つからないわけだわ。はははっ!!!」

 不気味な叫笑を絶え間なく続ける女に、ソラトは背筋が凍る心境だった。自分の大口をバカにしている様子ではない。むしろこっちのことを知っているかのような口ぶり。

「お前、俺を知ってるのか?」

 打算のない純粋な質問だった。こんな状況であまりにも場違いなのに、ゼラ以外で自分を知っている人間に対する興味が勝った。

「当たり前じゃない。私もトルマリン家の人間だったんだから」

 笑うのをうやめた女は、あまりにも予想外な返答をした。

「は?」
「パウク・トルマリン。トルマリン家の後継者で、貴方の腹違いの姉よ。」

 何を言っているのか理解できなかった。
 いきなり襲ってきて、ゼラを傷つけたやつが腹違いの姉?

「運が良いわ。16年前に殺し損ねた愚弟を見つけるなんて。これもザダナー様の導きね」
「殺し、損ねただって?」
「そうよ。いくら出来損ないと言っても、貴方がいたら私はザダナー様の生贄に選ばれない可能性があるのだから」

 生贄?
 言っている意味が分からなかった。

「どういうことだ? ザダナー? 俺をどうしようっていうんだ」
「言葉通りよ。それ以上は知る必要はない。ただ貴方は私にとって望まれない命ってだけ。恨むならトルマリン家を恨むの……」

 言い終えるよりも先に巨大な水流がソラトを横切った。
 強烈な水圧によって密集した木々をなぎ倒し、地面を抉りながらパウクを押し流していく。
 拘束していた糸は操り手がいなくなると溶けるように消失して、体は自由になった。

「はあ、はあ。ソラト、大丈夫か?」
「ゼラ! 今のはお前がっ」

 今にも倒れそうになっているゼラは、出血する左胸を抑えながらソラトに駆け寄る。

「奴はまだ生きてる。私が何とかするから、このまま逃げてくれ」
「バカ言うな! そんな傷で放って置けるか!」

 血の巡りが悪くなってどんどん顔色が悪くなる彼女を放って逃げるなんてできない。
 ゼラの腕を肩に回して移動しようとするが、足場が悪すぎて思うように進まない。

「やめてくれ。重荷になりたくない」

 ゼラは往生際が悪く振り払おうとするが、ソラトは。彼女の腰をがっしりと掴み、抵抗を押さえつける。

「今は黙ってろ。重荷になりたくないなら大人しくしてくれ。じゃないとお前が……」

 死んでしまう。その一言が頭によぎった瞬間、今まで想像もしなかったことが現実になろうとしていると理解してしまった。
 ゼラが死ぬ? 16年間支え合ってきた幼馴染が?
 腹違いの姉を名乗る女に好きな人を奪われる。さっきまで殺されかけていたことを忘れ、そればかりが頭の中を駆け巡った。

「良いんだ」

 痛くて苦しいはずのゼラは、そのすべてに耐えながらソラトに微笑む。
 余計な心配をかけまいと。それこそこの場で足手まといになりたくないという思いが込められていた。

(よくないだろ)

 ふざけるなと叫びそうになるが、重症の彼女を刺激したくないあまり、押し黙った。

「自分が痛くて怖い思いをするのはいくらでも耐えられる。でも私のせいでお前が巻き込まれるのは嫌なんだ」

 彼女の長く細い指がソラトの頬を撫でた。ヒンヤリとしながらも人の温かさを保ったぬくもりが、さっきまで心を支配していた恐怖を振り払ってくれた。
 懐かしい。思えば幼い頃から彼女には助けられてばかりだった。
 家族のいない中、王族の血筋であることをアイデンティティにしていたソラトをいつも諭してくれていた。
 血統なんてどうでもいい。ソラトがそのままなら他には何もいらないと。

「……隠しことしておいて巻き込まれるもないだろ」

 優しさと、自身を顧みない考えに苛立つ。

「悪いと思ってるよ。知ったらお前は首を突っ込むと思ったから」

 当たり前だろと怒鳴りたくなる。
 自分が5年間必死に努力しても兆候すらなかったローブを纏って、しかもクロコディルやそれを従えている敵と戦っていて、それを隠していたのだ。
 隠しことなんてするなとは言えないが、こんな命をかけた戦いを、ずっと一緒だった幼馴染に黙っていたことが許せない。何よりも。

「逃がすと思って?」

 パウクの妖麗な声と共に周囲の木々がタイムラグ無しに一斉に切り裂かれる。幹を真っ二つにされた大量の樹冠が降り注いでくるのを、ソラトは必死に避けながら進む。

「諦めなさいな。貴方達は生きてると都合が悪いんだから」

 スパッ。

 両足首に嫌な痛みが伝わる。まるで紙で指を切った時のような激痛に、体勢を崩してしまう。

「っぐ!?」

 柔らかい地面に倒れ込む。痛みでおかしくなりそうな心を奮い立たせるが、切られた足首からはゼラの左胸のように血が溢れている。これでは走れそうにない。

「ソラト!」

 同じく倒れてしまったゼラは青い顔でこちらを見る。晴天に浮かぶ雲のように純白の肌を泥まみれにしてしまって申し訳無さが際立つが。たとえ汚れていても彼女の美しさはまったく損なっていない。

「だい、丈夫」

 何よりも守るべき人の顔を見たことで、折れかかった心が寸前で堪えてくれた。今も足首から送られる危険信号を無視して立ち上がり、うつ伏せに倒れ込んだままこちらを伺うゼラに、やせ我慢を兼ねた笑顔を向ける。

「こんなの、ゼラが受けた傷に比べたら、全然平気だから」

 黙っていたことは許せない。それは確かだ。だがそれはゼラに対してではない。
 トルマリン家を復興したら、必ず王妃に添えたいと思うほど好きな女の子が一人で戦っていたことも知らず、のほほんとしていた自分が許せない。
 踵を返し、目の前の驚異を見据える。パウクは口元から血を流している。どうやらゼラの攻撃は多少なりとも聞いていたらしいが、未だに余裕の表情を崩さず、ゆっくりと近づいてくる。

「気が済んだ? なら死んでちょうだい。ここまで来てザダナー様からの栄光を愚弟なんかに取られたくないのよ」

 パウクは相変わらず気になることを言っているが、それを質問したところで答えてくれないだろうし、こっちもそんな余裕はない。
 今ソラトがやるべきは一つのみ。

「すぅ」

 精神を集中。深い呼吸によって周りの大気から魔力を体内に収める。

「ソラト、ダメだ。そんな怪我をした状態で!」

 倒れ伏してるゼラが声を荒げる。当然だ。五体満足で精神が安定した状態でも練習した後は凄まじく体力を消耗し、少しの休憩が必要になるローブの発現。満身創痍で傷を負っている今やるのはリスクが大きい。

「私が戦うから、お前が逃げてくれ、お願いだから!」
「立ち上がる力も残ってないのに大口叩くなよ」

 心身の乱れで魔力を上手く吸えなかったが、やり直す時間はない。このまま強行する。
 魔力を体の表面に固定するイメージ。そして今着ている衣服から置き換えるイメージ。

「ふん、今更ローブを展開した所で何になるというの? そもそも貴方は出せないんでしょ? 大器晩成型とか言ってたじゃない」

 さっきの負け惜しみをそのままぶつけてくるパウクの表情は変わらない。反撃する力も残っていない獲物を相手に舐めきっている。勝機があるとしたら今しかない。

「舐めるなよ」

 練り込みきれていない魔力が弾け飛ばないように押さえ込みながら、この自分にふさわしい戦闘服を。銃弾を通さず、それでいて動きを阻害しない布を練り上げる。

「幼馴染ができて、男ができないままいるわけないだろう!」

 啖呵を切るのと同時により集中力を増す。失敗は許されない。もう疲れるだけで済まされないのだ。
 ローブがなければ、クレリックになれなければゼラが死ぬ。この邪悪な女に殺される。

「安心なさい、私は慈悲深いの。貴方を始末した後は巫女もすぐ殺してあげる。あの世で挙式をあげなさい」

 パウクが翼を広げるように両手を左右に掲げる。手の平の穴から無数の糸が現れ。

「レズカニト(切り裂く糸)」

 広げた両腕を前方でクロスさせると、糸がソラトの左右に迫る。さっきの木々のように輪切りにするつもりだ。

「エクイップッ!!」

 吠えるように呪文を唱えると、ソラトの体が一瞬だけ光の膜に包まれ、全てを切断する糸の群れが弾かれる。

「何!?」
 
 膜が風に乗って破れると同時に、視界が戻る。目の前にはさっきとは一転。ありえないものを見るような目を向けるパウクの姿だ。

「どういうこと? あの魔力はマナじゃないっていうの?」

 疑うパウクよそに、ソラトは自分の姿を確認する。
 白をベースにした膝まで覆うジャケット。両手には絢爛な装飾が施された黄金の手甲と五指をすっぽりと覆う手袋。
 腰に巻かれた赤い布に、動きやすを重視した黒のズボンにブーツ。

「これが、ローブ」

 ボロボロだった平民服とは違う。選ばれし戦士、クレリックが纏うローブを、今身に付けている。
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