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人生は演劇である
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「他の女なんか見ないで」
乾いた目元を見せないように、伏せ目がちに言えば、強く抱きしめられた。
ごめん、と何度も懺悔を繰り返され、それがとても哀れで、滑稽で、惨めで、ーー可哀想な人だと思った。
嗚呼、本当に可哀想。
私なんかと縁を持ってしまって。
※ ※ ※
小学二年生の頃に行った、劇形式の自由研究発表会で、私は神様の役を演じた。
なかなかユニークな笑い方をする神様で、気に入った。
当たり前だけど、私は神様じゃない。
だから、神様になった瞬間に味をしめてしまったのかもしれない。
私は私でしかないけれど、私以外の誰かになれることを。
プロになる気などさらさらなく、気楽に無責任に楽しめる範囲で、私は自分ではない誰かに成り切って、生きてみた。
どんな人生を歩んできた人物なのか。
どんなものが好きで、どんなものが嫌いなのか。
どんな思考回路をしているのか。
数多ある選択肢の延長線上に存在しているその人物たちに成れる喜びを私は知った。
つまり、私は強欲だったのだ。
一つの人生しか歩めないことが厭だった。
幾つもの人生を歩みたかった。
神様に始まり、明治の恋する女学生、宝くじを当てた億万長者、孤独な老人、語り部の小人、男子高校生、不倫女に浮気男。
より多くのものを手に入れたかった。
たった一本の道しかないなんて、もはや考えられないほどの場所へ私はいつしか来てしまった。
そんな考えだったせいなのか。
いざ、誰の役でもないありのままの自分でいようとすると、なんとも嘘くさかった。
私とはーー。
一、真面目
二、マイペース
三、おっとり
四、読書好き
五、温泉好き
六、人混みが嫌い
七、普通の家庭
八、九、十......どこまでも続けていける。
でも、なんだろう、その、何かの欠片の寄せ集めのようなその人物像が、厭だ。
欠片の集め方を変えるだけで、他の誰かにあっさり変わってしまうような、そんな、つまらない有機物だ。
けど、それでいいのだ、と無理矢理言い聞かせては、社会に紛れていく。社会人になった時に、強く思った。カメレオンになりたい。うまく擬態できていればいい。普通を演じて、元々普通だけど、でも、そうではなく、第三者目線の普通を目指す。
そうして、穏便に命の砂を少しずつ少しずつこぼしていくのだ。
二十九歳を迎えた時に、結婚しなくては、と思った。それが、私が知る、普通の人生だった。普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に育てて、そうして、また普通の日常をカメレオンになって形成していく。
私自身の人生に、大恋愛なんて、いらない。
そんなものは、中学生の頃に演じた役で充分だ。
周囲の私への見立ては悉く、お見合い結婚であり、また私自身もそうだろうな、と思った。
そして実際にそうなった。
三十一歳の夏のことだった。
少しおしゃれなディナーの後、指輪を渡されてプロポーズ。一年半ほど前に親戚から紹介された年上の男性だ。少し緊張して怖くなった彼の顔と指輪を交互に見て、嗚呼、このシーン知ってる、と思った。
確か、大学の頃、第二演劇部の文化祭の出し物として観たのだ。
だから、対応の仕方は知ってる。
「はい......。不束者ですが、よろしくお願いします」
頬を染めて、はにかんだ。
どう? 完璧でしょう? ーーなんて。
彼はホッと安心したように唇を緩めて、照れたように笑った。
(可愛い人なのになぁ...)
なんか、ごめんね?
こんなので。こんな考えをする人間で。欲張りで。
普通を目指さなきゃいけないくらいの、でも元の素材だって普通の人間で。
全然特別じゃない人間で。
結婚生活を始めて、数年経って、四季の折々に、心の中で、ごめんね、ごめん、本当にごめんね、なんて、呟きながら。
だから、結婚生活四年目で浮気された時だって、ごめんね、と本当に申し訳なく思った。
彼のその選択は、ごくごく当たり前のことのように思えてしまったから。
この地上に生息する人類の半分に値する異性の中から、よりによって私ただ一人を選ぶなんて、そちらの方がおかしいと思っているから。
けど、こんな時の対応なんて、決まってるでしょう?
怒って、詰って、泣いて。それで。それから。
「他の女なんか見ないで」
ーーこの、セリフでしょう?
普通の人生を歩む、普通の女なら。妻なら。
泣いて謝る夫を、心の中の隔たれた窓の向こう側から眺めた。
私という役を表へ出して演じ続けさせたまま、裏方へ引っ込んでいた私が冷めた眼差しで舞台を見つめた。
つまんない。陳腐。ありきたり。お涙頂戴。悲劇の主人公。そして、これから夫婦二人で再生の物語、とか?
ーー嗚呼、これが観客のための舞台に立つ役だったなら、ここから展開される物語があるのなら、どれだけの多彩な脚本があるのだろう。
いつの間にか選びとってしまったただ一つの役柄は、とてもじゃないけれど私の欲を満たしてはくれない。
ただ一つの感情なんて物足りない。
一度しか選びとれない演じ方は、私のバックグラウンドから決まってしまっている。
そう、その生い立ちなら、性格なら、間違ってはいない。人一人、一つの反応。配られた役。幕が降りるまでは、一貫して演じきらねばならない。
誰につかまされたかも分からない台本を放り出したら、また別の台本を誰かがくれたりしないのかな。
どんな役柄だって、演じてみせるのにな。
でも、この役柄を引き受けたのは紛れもない私自身なのだから、まあ、仕方ないよね。
憐憫の情と共に夫を抱きしめて、イエス様のような慈愛の心をもって、妻という私は、懺悔をする夫を許した。
乾いた目元を見せないように、伏せ目がちに言えば、強く抱きしめられた。
ごめん、と何度も懺悔を繰り返され、それがとても哀れで、滑稽で、惨めで、ーー可哀想な人だと思った。
嗚呼、本当に可哀想。
私なんかと縁を持ってしまって。
※ ※ ※
小学二年生の頃に行った、劇形式の自由研究発表会で、私は神様の役を演じた。
なかなかユニークな笑い方をする神様で、気に入った。
当たり前だけど、私は神様じゃない。
だから、神様になった瞬間に味をしめてしまったのかもしれない。
私は私でしかないけれど、私以外の誰かになれることを。
プロになる気などさらさらなく、気楽に無責任に楽しめる範囲で、私は自分ではない誰かに成り切って、生きてみた。
どんな人生を歩んできた人物なのか。
どんなものが好きで、どんなものが嫌いなのか。
どんな思考回路をしているのか。
数多ある選択肢の延長線上に存在しているその人物たちに成れる喜びを私は知った。
つまり、私は強欲だったのだ。
一つの人生しか歩めないことが厭だった。
幾つもの人生を歩みたかった。
神様に始まり、明治の恋する女学生、宝くじを当てた億万長者、孤独な老人、語り部の小人、男子高校生、不倫女に浮気男。
より多くのものを手に入れたかった。
たった一本の道しかないなんて、もはや考えられないほどの場所へ私はいつしか来てしまった。
そんな考えだったせいなのか。
いざ、誰の役でもないありのままの自分でいようとすると、なんとも嘘くさかった。
私とはーー。
一、真面目
二、マイペース
三、おっとり
四、読書好き
五、温泉好き
六、人混みが嫌い
七、普通の家庭
八、九、十......どこまでも続けていける。
でも、なんだろう、その、何かの欠片の寄せ集めのようなその人物像が、厭だ。
欠片の集め方を変えるだけで、他の誰かにあっさり変わってしまうような、そんな、つまらない有機物だ。
けど、それでいいのだ、と無理矢理言い聞かせては、社会に紛れていく。社会人になった時に、強く思った。カメレオンになりたい。うまく擬態できていればいい。普通を演じて、元々普通だけど、でも、そうではなく、第三者目線の普通を目指す。
そうして、穏便に命の砂を少しずつ少しずつこぼしていくのだ。
二十九歳を迎えた時に、結婚しなくては、と思った。それが、私が知る、普通の人生だった。普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に育てて、そうして、また普通の日常をカメレオンになって形成していく。
私自身の人生に、大恋愛なんて、いらない。
そんなものは、中学生の頃に演じた役で充分だ。
周囲の私への見立ては悉く、お見合い結婚であり、また私自身もそうだろうな、と思った。
そして実際にそうなった。
三十一歳の夏のことだった。
少しおしゃれなディナーの後、指輪を渡されてプロポーズ。一年半ほど前に親戚から紹介された年上の男性だ。少し緊張して怖くなった彼の顔と指輪を交互に見て、嗚呼、このシーン知ってる、と思った。
確か、大学の頃、第二演劇部の文化祭の出し物として観たのだ。
だから、対応の仕方は知ってる。
「はい......。不束者ですが、よろしくお願いします」
頬を染めて、はにかんだ。
どう? 完璧でしょう? ーーなんて。
彼はホッと安心したように唇を緩めて、照れたように笑った。
(可愛い人なのになぁ...)
なんか、ごめんね?
こんなので。こんな考えをする人間で。欲張りで。
普通を目指さなきゃいけないくらいの、でも元の素材だって普通の人間で。
全然特別じゃない人間で。
結婚生活を始めて、数年経って、四季の折々に、心の中で、ごめんね、ごめん、本当にごめんね、なんて、呟きながら。
だから、結婚生活四年目で浮気された時だって、ごめんね、と本当に申し訳なく思った。
彼のその選択は、ごくごく当たり前のことのように思えてしまったから。
この地上に生息する人類の半分に値する異性の中から、よりによって私ただ一人を選ぶなんて、そちらの方がおかしいと思っているから。
けど、こんな時の対応なんて、決まってるでしょう?
怒って、詰って、泣いて。それで。それから。
「他の女なんか見ないで」
ーーこの、セリフでしょう?
普通の人生を歩む、普通の女なら。妻なら。
泣いて謝る夫を、心の中の隔たれた窓の向こう側から眺めた。
私という役を表へ出して演じ続けさせたまま、裏方へ引っ込んでいた私が冷めた眼差しで舞台を見つめた。
つまんない。陳腐。ありきたり。お涙頂戴。悲劇の主人公。そして、これから夫婦二人で再生の物語、とか?
ーー嗚呼、これが観客のための舞台に立つ役だったなら、ここから展開される物語があるのなら、どれだけの多彩な脚本があるのだろう。
いつの間にか選びとってしまったただ一つの役柄は、とてもじゃないけれど私の欲を満たしてはくれない。
ただ一つの感情なんて物足りない。
一度しか選びとれない演じ方は、私のバックグラウンドから決まってしまっている。
そう、その生い立ちなら、性格なら、間違ってはいない。人一人、一つの反応。配られた役。幕が降りるまでは、一貫して演じきらねばならない。
誰につかまされたかも分からない台本を放り出したら、また別の台本を誰かがくれたりしないのかな。
どんな役柄だって、演じてみせるのにな。
でも、この役柄を引き受けたのは紛れもない私自身なのだから、まあ、仕方ないよね。
憐憫の情と共に夫を抱きしめて、イエス様のような慈愛の心をもって、妻という私は、懺悔をする夫を許した。
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