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正編 黄昏の章
01
しおりを挟むベッドで眠るアメリアの表情は絵画のように美しく、清らかな処女のまま懐胎した聖母マリアのようだった。
気がつけば閉じられた瞳からは、薄らと涙が溢れている。アッシュ王子はアメリアの涙を拭うように、柔らかな頬にそっと唇を寄せる。
(本当は、アメリアは心の何処かでラルドさんのことをまだ想っているのだろうか?)
アッシュ王子は不安のあまりアメリアは自分のものだと、自らの所有である印を……唇を這わせて、吸い付けて、何処かに残したい衝動に駆られた。けれど、いずれ妊娠により大きくなるお腹が証明してくれるはずだ、と自分に言い聞かせる。
それが信仰のある人々から『処女懐胎の証』と誤認されたとしても。
アイシャの提案通り。疲労が溜まり倒れてしまったアメリアをエルフ族の薬師のヴェスタに診せる。ヴェスタ曰く、『睡眠不足と急な移動による体力の消耗』とのこと。
「妊娠初期の今の状態でこれじゃあ、安定期までもたなくなるよ。一応、妊婦が摂取するといい滋養の薬草を調合するから、目が覚めたら飲ませておくように。彼女のことはお前が支えてやるんだぞ、アッシュ! アメリアさんはお前の妻で、お前はお腹の赤ちゃんのお父さんなんだから」
「ありがとう、ヴェスタ。オレ、アメリアのこと気づかないで無理させちゃったんだな。いや、オレが自分勝手だったんだ……」
アッシュ王子からしても、妻のアメリアが精神的にも肉体的にも疲労していることは目に見えて分かっていたはず。王立騎士団の詰所に立ち寄る方を優先して、アメリアをすぐに休ませなかったのは配慮が不足していたと言える。
コンコンコン!
「お兄ちゃん、ラクシュ姫がお話があるって遊びにきたんだけど」
「分かった、すぐ行くよ」
会話を遮るようにドアがノックされて、妹のアイシャが来客を知らせてきた。
(さっき王立騎士団の詰所で別れたばかりなのに、詰所じゃ話せない内容なのか?)
* * *
改めて話があると訪ねてきたラクシュ姫は、お付きとして先代剣聖のマルセスを一人連れているのみだった。
詰所と異なり一般家屋であるアッシュ王子の養親の家では、大人数の護衛を連れて訪問するわけにはいかないであろうことは分かる。だが、それにしても二人だけで行動するというのは、些か警戒心が強すぎる気もするし、つまり警戒するような状況なのだろうと察せられた。
話の内容は悪神ロキの目的の把握、迫り来る終焉から逃れてアメリアを出産出来る場所の検討、いかにして移動をするかの三点だった。
「まずは悪神ロキの目的から……。悪神ロキは、信仰を失っていく人々に嫌気がさし、全ての終焉、終末……即ち、神々の黄昏を始めようとしているのです。トーラス様の手紙によると、精霊達を偶像と呼び、神殿をただの遺跡扱いしている人間達を憎んでいるのではないか……と」
「神々の黄昏、か。精霊も神も人間達の中では、架空の存在になって来ている。オレやラクシュに精霊の血が流れていると主張しても、権力者が絶対王政を貫くために設定を作っているとしか思わないだろうな。悪神ロキは、自分達が人々の信仰から完全に消えてしまう前に、神々の黄昏を起こす気なんだ」
「えぇ、そしてその第一歩として大地の神ガイアの加護があるとされる精霊魔法都市国家アスガイアから、次の段階で隣国に当たる我がペルキセウス国が狙われると考えられます。終末の災いから逃れてアメリアさんが出産するには、今のうちに国外へと移動するより他ありません」
黄昏が起こる場所が想定出来るのであれば、ロキのターゲットになるのが遅い土地へと移動するのが無難だ。けれど、最も良い解決策は悪神ロキを倒してしまって、災いそのものをストップさせる方法だ。
「予言だと黒いドラゴンを倒せば、災いは封じられるんだよな。これって、悪神ロキの本体があの黒いドラゴンという可能性を示唆しているんだろう? もし、アメリアが移動出来る場所が見つからないのであれば、黒いドラゴンを倒すことを優先する方法もあると思うんだけど」
「私もあのドラゴンを倒せれば、どれくらい良いか……と思っています。けれど残念ですが、あの黒いドラゴンもロキ同様何かの分霊に過ぎないとの見解があるんですの。世界を賭けて負ける勝負に挑むよりも、ペルキセウス国の世継ぎをアメリアさんに産んでもらい、次世代に託した方が希望があるのですわ」
「そっか……予言だと救世主様のように精霊の誰かが犠牲になることで、神々の黄昏は一旦回避出来るんだよ。オレはこの犠牲者はラルド様なのかと思って、アメリアには勧められなかったけど。結局、そのルートしか残っていないのかな」
犠牲者を出さないために予言を信じてラルドだけを会食に出席させたのに、結果としてはアメリアの異母妹である聖女レティアが心臓を抜かれて犠牲となった。現実は予言よりも亡くなる者が多く、アメリアやアッシュ王子も例外ではないことを示しているかのようだった。
「えぇ。そこで、やはりアメリアさんとアッシュには、体調が落ち着き次第移動をお願いしたいのですが。困ったことに既に悪神ロキに、王立騎士団そのものがラルド様の錬金装備品を介して、紐付けされているようなのです。もちろんアッシュの持つ剣聖の剣も」
「紐付け? 要するにオレ達の移動先はラルドさんの錬金装備品を使っている限り、悪神ロキに筒抜けってことかよ! 一体何のための剣聖の剣なんだっ。悪神ロキや黒いドラゴンを倒す手段じゃないのかよっ。身重のアメリアを守りながら戦うことなんて……出来っこないのに。オレはアメリアと共に行動をしちゃいけないのかっ」
ラルドの作ったオリジナルの剣聖の武器の威力を信じて黒いドラゴンと戦うつもりだったアッシュ王子は、意外な理由で武器に頼れなくなり苛立ちを覚えた。
最も強力な武器を持ち続けている限り、自分達の居場所そのものを教えていることになる。アメリアの移動を優先したければ、剣聖の武器を所持している限り共にいられない。
「……ですから、これは提案なのですが。アッシュには申し訳ないけど、その【剣聖の武器】、私の【輪廻の棍】と交換して欲しいのです。私達、よく似た双子でしょう?」
「は……? ラクシュ、お前。一体何を言って……」
「私と貴方の武器を交換し、私と貴方も入れ替わる。私が悪神ロキや黒いドラゴンを誘き寄せ、貴方はその隙にアメリアさんと国外へ逃げる。私達双子の姉弟にしか出来ない最高の作戦……」
ラクシュ姫の提案する【最高の作戦】は双子の姉弟である自分達が入れ替わり、悪神ロキの目を欺く囮作戦だった。
それは、アッシュ王子にとっては双子の姉が自らを犠牲にしたいと申し出てきたことと同義語なのであった。
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