雪と月

𝓐.女装きつね

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魍魎。

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「羨ましく思ってはだめだよ。迷わず幸せとなるのなら “ 人 ” を辞めなくてはならないんだ。……その昔、陰陽師なんてのはね、役目を終えたあと穢れを浄化しきれずに鬼になったんだよ。ほら、神楽の中に神とした “ 鬼 ” が出てくるのでしょ? あれはね、業を引き受けた陰陽師の姿なのさ」


ーー築二十年程になりそうなアパート、通りから一番奥まった二階が雪乃さんの棲み家になる。ワンルームとはいえ八畳のリビングは窮屈を感じさせ無いのだけれど、“ コタツしか無い ” 様相なのだからそれは当然というヤツだろう。
 二人っきりの時は保育園の体育館を貸し切っているように壁が遠いモノだが、その日は何やら勝手が違っていた。

 さてと安請け合いでもしたのか、店で馴染みの女性客が一人、コタツの対で雪乃さんにこうべを垂らしている。

「霊媒師や降霊術師じゃないから松浦まつうらさんの想像とは違う形になるのだけれどね、これでみやびさんと話せると思うよ」

 そう言うと雪乃さんはジェンガでも引き抜くように指先を遊びほぐすと、先ほど押入れからうんせとコタツの中央へ至極丁寧に乗せた電話帳ほどの大きさ、埃まみれた漆塗りのような箱に手をかけた。

 蓋を脇に置いた雪乃さんが中に詰められている藁草のようなモノを掘ると、奥底からはひとつの “ お面 ” が姿を見せた。それは能や神楽で使うような代物に見えるのだけれど、……何とも言い難い。強いて言うのなら “ 妖怪 ” のような不気味な表情を浮かべるモノだった。

「北方……うん、そこの壁を背にして正座してください」

 コタツをキッチンに移動すると真四角な八畳の部屋はひとつの家具も無い状態になる。" 面 ” を座した松浦さんの前に置くと、何か少しあぐねた雪乃さんは、僕に松浦さんと反対側の壁を背に胡座で座れと言った。『せっかくだから見ておいた方が良い、もう水月は “ こちら側 ” なのだから』と。

 キッチンとの境、そしてカーテンを閉ざし、ではと雪乃さんは部屋中央で一度パンッと手を打つと体型からはまるで想像がつかない地響きのような圧で畳に足を何度か叩きつける。
 その度に何かの規則性のよう移動した雪乃さんは最終、松浦さんの前で膝を折った。

 一線上に並んだ三人。僕から見えるのは雪乃さんの背中だけなはずだ。だけれど今僕が見ているのは知るはずの雪乃さんでは絶対になかった。……右手を自分の顔のあたりに折り、左手を真横へ水平と伸ばせて蛙のようなガニ股で屈むそいつの背は天井辿るほどの隆々で、禍々まがまがしさはまるでに魍魎だ。

ーー世が歪む。

 ……松浦さんが泣き崩れるまでほんの僅かだったはずの時間は、僕にまるで幾十年もが過ぎたよう正気を忘却させた。


「話は出来たみたいだね、松浦さん」

「え、えぇ。ホントに何とお礼を……ですが、何故こんな事が出来るのですか? 雪乃さん」


 らしくもなく “ 憑かれたから ” と松浦さんとはそれ切りに浴室へ向かう雪乃さん……それは初めて見るやつれきった姿だった。


ーー雪乃さんから聞いた話だ。

 木樵きこりの面って言ってね。神楽なのだけれど神楽じゃなくてさ、それよりもうんと古い……まぁ “ 神様 ” なんだよ、それも別格のね。だもの演目でこいつを被ったりしたら祟られるなんてじゃ済まないんだ。魑魅魍魎って言うのはある意味山の神、水の神なのだけれど木樵はそれや鬼なんかよりも遥か古くてさ、屍喰いの魍魎、言えば破壊と破滅の神なんだ。
 四角を打って方両ほうりょう、ちょうど八畳の四角四界の中を天壇てんだんに見立てて反閇へんばいを踏んだんだよ。五行と青竜、白虎、朱雀、玄武で封じて神様に願いを聞いてもらった? って感じかな。半身屍みたいな私だからね、聞いてくれたのだろうね。

 それにしてもさ、人の皮で出来ているって翁面でも一五六五年なのに、木樵の面は初めて人手に付いたのが延徳えんとく二年、一四九十年だってんだから程があるってモンさ。山姫やまひめなら喜んで舞ってみようともだけれど……あ、今度見せてあげようか? なかなかなんだから、私の山姫の舞は。



ーー『お前もこちら側だ』と雪乃さんが僕に言った言葉の意味はこの日より約二年の後、ようやくに僕は理解する事になった。
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