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一章 お、おれ?
1 かわいいな?
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ある日突然。
「君はホントにかわいいよね」
「へ?」
上司の一ノ瀬課長はにっこりと微笑んだ。何言ってんの?男にかわいいとか……せめてかっこいいと言ってくれ。フツ面だけどさ。俺は不意の言葉に彼を見つめた。
「あの……?」
「ふふっ深く考えるなよ。かわいいと思ったからかわいいって言っただけだ」
「はあ……」
会社の飲み会の後、同じ路線で帰るのが一ノ瀬さんだけで、二人きりになってしまって話しながら駅に向かっていた。
この人いつも何考えてるかまるで分からないんだよ。いつもニコニコしてて、そのくせ仕事は出来る。マネジメント能力は高いし、問題が起きると他部署にふらっと行って軽く解決して来たり、客先でも大事にならず収めちゃう。
「もう大丈夫だからね。ふふっ」
「「はあ……」」
翌日にはこんな回答をするのが日常茶飯事で、俺たちチームのスタッフはいつも呆気に取られるばかり。
彼は交渉事に異様に長けてて素晴らしく、非の打ち所はない。尊敬出来る上司だけどなんだか掴みどころがなくてね。俺は苦手とまでは言わないが、どこか他のスタッフのように彼に踏み込めてはいなかった。
「ねえ楠木くん、少し帰るには早いからもう少し飲まない?」
「はい。別に構いませんが」
「なら僕おすすめの店に行こう」
「はい」
目的の駅前を過ぎてどこに向かってるのか俺は分からない。仕方なく隣を歩いていた。
「ねえ、楠木くんはチームにそろそろ慣れたかな?」
「まだ木村さんの足手まといですが、なんとかですかね」
その答えにふふっと彼は笑った。上司らしいいつもの笑みだ。
「楠木くんは木村さん以外のスタッフとも話すといいかもね。他の人の知恵を借りるのも勉強になるし、自分なりに改良もできるからさ」
「はい」
俺は一ノ瀬さんのチームの人が辞めて異動したから周り全部知らない人しかいない。コミュニケーション能力が悪い訳ではないとは思うけど、さすがに緊張するしまだ余裕がない。
このチームに来て数ヶ月、支社と本社は少しやり方も違って戸惑ってるのも確かでさ。
「ここだよ」
一ノ瀬さんが立ち止まった。路地を曲がりすぐの地下に降りるお店のようだ。階段を下りると扉も古くガラスとかはめ込まれてない、中が見えない家の扉のよう。彼は慣れた手つきで扉を開けた。
「こんばんは」
「いらっしゃいませ、一ノ瀬さん。カウンターにどうぞ」
「楠木くん来なよ」
「はい」
中は落ち着いた雰囲気のいいショットバーだった。へえ、こんなところがあったのか。俺はこの辺で飲んだりしないから知らなかった。それに、会社の飲み会とかこの反対側の通りの奥が多く、土地勘もほとんどない。通勤経路のみだ。
「ジントニック二つね」
「かしこまりました」
ふたりでカウンターに並んで座った。ここは喫煙もオッケーらしく、奥の席で吸ってる客がいた。俺がそちらを見ていると彼は、
「こういうお店今どき少ないんだよね。僕は吸わないけど、この雰囲気が好きでね」
「へえ。俺も吸いません」
ここはシガーバーを兼ねているお店だそうだ。だから棚にタバコか。たくさんの見たことない珍しいタバコの箱が並んでいた。俺が眺めているとお酒が出来てマスターがどうぞと差し出した。グラスにはライムがちゃんと入っている本格派に見えた。
「お疲れ様」
「お、お疲れ様です」
クラスを軽くチンと鳴らし、一口飲……うまッ
「美味しい……ジントニックってこんなに美味しかったかな?」
「でしょう?居酒屋の怪しいのではないからね。こういった店のは美味いんだよ。まあ、これが不味い店は全部不味いけどね。ね?マスター」
ふふっとマスターは微笑み基本ですからって。そういうものなのか、ふーん。俺こういう店来ないからよくわかんないや。
「君のことは、以前のチームの相川さんに聞いてるから気にしないでいいよ。他の人には言ってないし誰も知らないから」
「はい。ありがとうございます」
俺は新人の頃、メンターだった年上の同性の恋人がチームにいたんだ。仕事も私生活も上手くいってたんだけど、次第におかしくなっていった。そのうち仕事でも彼の当たりが強くなって、もう他からはパワハラに見えるほどに。俺も負けずに言い返してはいたけど、ある日俺は大きな契約が取れた。
偶然だったんだけど、他社でたまたま同席してた偉い方に気に入られて、あれよあれよと話しが進み契約が貰えたんだ。俺が気に入らない彼が、その契約に難くせ付けてきて会社で大げんか。彼が会社での評判が悪くなっていた時期と重なり、ストレスもあったんだろう。俺たちの関係は叫ぶし俺が教えたのに生意気とか暴言吐きまくり。思い出したくもないセリフもあったかな。
「すみません。問題起こした俺をチームに入れるの……嫌でしたよね」
「いいや。人手不足はあったし君は悪くなかったんだろ?」
「たぶん。俺からは何もしてません」
「ならいいさ」
あの頃彼は、公私共に俺が憎かったのかもしれないと今は思う。付き合い始めの頃はなにも否定もせず彼を尊敬してたけど、あの騒動の頃には自分の意見も言うようになってたしなあ。
あの契約で「あなたのお陰でここまで成長したんだよ」って報告したら褒めてくれて関係も良くなるなんて期待もあった。逆だったけどね。
「ありがとうございます。あの、彰人、津村彰人は謹慎後どこへ?俺あれから連絡取れなくなったんです」
一ノ瀬さんはうーんと唸り、渋い顔になった。そして考え込むように、
「辞めちゃったんだ。正確にはクビだね」
「へ?」
彼は当然だろ?と俺を見つめた。いや、あの痴話喧嘩のようなものでクビ?と聞けば、場所があるだろって。まあそうか。
「怒鳴り合いくらいなら注意ですんだかもしれない。でも彼は君に手を上げたからね。今コンプラうるさいんだよ」
「そうですね」
そうだよな。会社でだしグーで何発か殴られたからなあ。俺はジントニックを飲みきりグラスを置くと、カランと氷が鳴った。俺がグラスを見つめていると、
「聞いてもいい?君たちはどんな関係?会社で殴るほどキレるなんておかしいでしょ?」
俺はグラスから視線を移し、一枚板であろう使い込まれたカウンターのキズを見つめていた。なんて答えればいいのかな。俺会社でカミングアウトしてないし、この人を信用していいのか分からない。酔った頭でグルグル考えてはみたものの、答えないのも感じ悪いし、誤魔化しても変だし。
「誰にも言ってないのでここだけの話にして下さい。彼は恋人でした」
「ああ、そういう……」
納得したような声だった。そっか……ともう一度言って、彼はカウンターで頬杖をついた。
「彼は新人の頃からのメンターでした。俺は指導してもらう立場で、そのうち付き合うようになって」
「ふーん」
俺は彰人を尊敬してたし恋人としても好きだった。特別仕事が出来るタイプではなかったかな、可もなく不可もなくって感じ。でも彼は仕事を教えるのが上手くて、上司も後輩もその部分は認められていた。
俺は彰人と一緒に動くことが多くて、ある日酔った勢いでホテルに。そこからなんとなくのスタートで最後は修羅場。俺たちの経緯を大雑把に説明した。
う~……話しながら美味しいと二杯も飲んだら頭がフラフラする。ジントニックって強い酒だったの忘れてたよ。
「そっか……」
彼の「そっか」の言葉になんか含んでる気がした。酔った頭では違和感しか分からん。
「なんですか?」
「ううん、なんでもない」
彼はそれっきりこの話には突っ込んでは来ず、仕事の話や同僚のこととか話して過ごした。
一ノ瀬さんは話し上手であっという間に終電近くになりお店を出た。階段を上がりきるとグワンと視界が回った。ヤバいな、完全に飲み過ぎた。
「大丈夫?」
「ハァハァ……なんとか」
ついでに息も上がった。視線を落とすと地面が回るし上を向いても同じ。歩ける?肩貸すよと一ノ瀬さんが助けてくれて、ふらつきながらも大通りに出た。駅は路地を出れば目の前だ。
「ねえ僕んちくる?」
「へ?」
「ここからすぐなんだ。タクシーで帰ろうよ」
彼は俺がぼんやりしている間にタクシーを拾ってくれた。俺はドアが開くと中に押し込まれ、電車で一時間は無理だったかもと思った。この感じじゃ寝過ごして終点まで行きそう、いや行く。
マンションに着いて肩を借りて部屋に向かった。すみませんと謝りながら部屋の中に入ると、酔っぱらった頭でも分かるくらい趣味のいい部屋だった。
「ここに座ってて」
「はい……」
ソファに腰を下ろすと……ダメだキツい。気持ち悪くはないけど、目が回り異常に眠くて上向いたり下向いたりして俺は耐えていた。
「はい、お水」
「ありがとうございます……」
差し出されたグラスの水を少し飲むと、苦しそうだねってネクタイ外してくれて、上着も脱げって。ベルトも緩めてくれて楽にしてくれた。
「すみません……なにからなにまで。ふう……うっく」
「気にしなくていい、僕お酒強いんだよ。こちらこそ付き合わせてごめんね」
「いえ……ハァハァ……すみません」
眠い……本気で眠くて座っていられなくて、ズルズルと落ちてソファに横になってしまった。目が重くて閉じると睡魔に耐え切れず起き上がれなかった。ひとんちで図々しいにもほどがあるけど耐えられない。
そこで記憶は途切れ翌日、凄まじい頭痛で目が覚めた。うっ……クソッ頭痛てぇ……俺どうやって家に帰ったんだ?とりあえずトイレ行きたいと思い目を開けた。
「は?ああ?なんで……ええ?」
一ノ瀬さんの寝顔が目の前にあった。なんでだ!え?ここどこ?見たことのない部屋に俺は寝ていた。パニックでゴソゴソしているとパンイチ。なんだこれッ
「あ、起きた?おはよ」
「お、お…おはようございますぅ!」
俺が震える声であいさつすると、彼が眠そうな目で微笑む。俺は状況がよく分からなくて固まってて、えーっと昨日何してたっけ?飲み会終わって一ノ瀬さんと地下のバーで飲んでそれから……?
「ふふっ君は昨日酔っぱらって一人で帰れなそうだなって僕は判断して、部屋に入ったらすぐに寝ちゃったんだよ。それでソファで寝たら風引くかなって思ったから僕のベッドに寝かせたんだ」
おおぅ…ぅ……なんて図々しい俺、ヤバいよ上司の部屋だぞ。でも仕事を離れた一ノ瀬さんは雰囲気も違い別の人みたいな感じだ。布団から少し見える上半身は裸ですげぇきれいで魅力的……イヤイヤ謝れ俺。
「ごめんなさい!すみませんすぐ帰ります。ありがとうございました!」
ワタワタとベッドから降りたら、ものすごいこめかみの激痛でしゃがみこんだ。ぐふうっこれ無理な痛み。
「大丈夫?急いで帰らなくてもいいじゃない。今日は休みだし、僕予定ないからゆっくりしていけばいいよ」
「で、でもご迷惑ですから!」
それに俺ゲイなの知ってるのに一緒に寝るとかなんなの。それもパンイチで。どんな神経してるんだよこの人は。
「あなた、俺と寝てて……その、嫌ではないのですか?」
ん?と彼は小首をかしげ、なんか楽しそうにしている。
「別に?君酔ってたしね。僕を襲える状況でもないでしょ?」
「それはそうですが……いやいや!そんなことしませんよ!」
何言ってんだこの人。会社の上司を襲うとかねえよ。それもノンケ襲うとかどんだけ男日照りだと思われてんだ。俺はキッと睨んでからアワアワ。睨む権利は俺にはねえだろ、世話になったくせにと慌てた。そんな様子に一ノ瀬さんはクスクスと嬉しそうになった。あ?
「そんなに否定されると僕悲しいんだけどな」
「え?」
「僕ね、君が好きだから泊めたんだ」
「は?」
「ふふっ」
「好き」って聞こえだぞ?いやいや。会社の人はこりごりだよ!次あんなことになったら本気で辞めなきゃならない。今だってギリギリ首の皮一枚で繋がってるようなもんだ。俺が殴り返さなかったからクビを免れだだけ。俺は頭の痛さは無視した。そして冷静に、
「今の話は聞かなかったことにします。ありがとうございました。俺帰ります」
「え?僕の告白は無視?好みじゃないとかかな?」
起きてベッドヘッドの枕に寄りかかり驚いている。俺の方が驚いてるよ。でも焦ってるくせに体はしっかり見ていた。顔はイケメンなのは知ってる。上半身は均等の取れた筋肉が……違う違うバカか俺。
「いえ、そういうことではなくて……あの、ごめんなさい、では!」
この話しをしてる間に椅子に掛けてあった自分のスーツを着ていた。そして逃げるように寝室を出て玄関にダッシュ。ごめんなさい!一ノ瀬さんは好みだけど俺の将来は掛けられん!頭がもげるんじゃ?ってくらいの頭痛。俺は振り返りもせず、もつれながらも靴を履き玄関を出た。本当にごめんなさい!!
「君はホントにかわいいよね」
「へ?」
上司の一ノ瀬課長はにっこりと微笑んだ。何言ってんの?男にかわいいとか……せめてかっこいいと言ってくれ。フツ面だけどさ。俺は不意の言葉に彼を見つめた。
「あの……?」
「ふふっ深く考えるなよ。かわいいと思ったからかわいいって言っただけだ」
「はあ……」
会社の飲み会の後、同じ路線で帰るのが一ノ瀬さんだけで、二人きりになってしまって話しながら駅に向かっていた。
この人いつも何考えてるかまるで分からないんだよ。いつもニコニコしてて、そのくせ仕事は出来る。マネジメント能力は高いし、問題が起きると他部署にふらっと行って軽く解決して来たり、客先でも大事にならず収めちゃう。
「もう大丈夫だからね。ふふっ」
「「はあ……」」
翌日にはこんな回答をするのが日常茶飯事で、俺たちチームのスタッフはいつも呆気に取られるばかり。
彼は交渉事に異様に長けてて素晴らしく、非の打ち所はない。尊敬出来る上司だけどなんだか掴みどころがなくてね。俺は苦手とまでは言わないが、どこか他のスタッフのように彼に踏み込めてはいなかった。
「ねえ楠木くん、少し帰るには早いからもう少し飲まない?」
「はい。別に構いませんが」
「なら僕おすすめの店に行こう」
「はい」
目的の駅前を過ぎてどこに向かってるのか俺は分からない。仕方なく隣を歩いていた。
「ねえ、楠木くんはチームにそろそろ慣れたかな?」
「まだ木村さんの足手まといですが、なんとかですかね」
その答えにふふっと彼は笑った。上司らしいいつもの笑みだ。
「楠木くんは木村さん以外のスタッフとも話すといいかもね。他の人の知恵を借りるのも勉強になるし、自分なりに改良もできるからさ」
「はい」
俺は一ノ瀬さんのチームの人が辞めて異動したから周り全部知らない人しかいない。コミュニケーション能力が悪い訳ではないとは思うけど、さすがに緊張するしまだ余裕がない。
このチームに来て数ヶ月、支社と本社は少しやり方も違って戸惑ってるのも確かでさ。
「ここだよ」
一ノ瀬さんが立ち止まった。路地を曲がりすぐの地下に降りるお店のようだ。階段を下りると扉も古くガラスとかはめ込まれてない、中が見えない家の扉のよう。彼は慣れた手つきで扉を開けた。
「こんばんは」
「いらっしゃいませ、一ノ瀬さん。カウンターにどうぞ」
「楠木くん来なよ」
「はい」
中は落ち着いた雰囲気のいいショットバーだった。へえ、こんなところがあったのか。俺はこの辺で飲んだりしないから知らなかった。それに、会社の飲み会とかこの反対側の通りの奥が多く、土地勘もほとんどない。通勤経路のみだ。
「ジントニック二つね」
「かしこまりました」
ふたりでカウンターに並んで座った。ここは喫煙もオッケーらしく、奥の席で吸ってる客がいた。俺がそちらを見ていると彼は、
「こういうお店今どき少ないんだよね。僕は吸わないけど、この雰囲気が好きでね」
「へえ。俺も吸いません」
ここはシガーバーを兼ねているお店だそうだ。だから棚にタバコか。たくさんの見たことない珍しいタバコの箱が並んでいた。俺が眺めているとお酒が出来てマスターがどうぞと差し出した。グラスにはライムがちゃんと入っている本格派に見えた。
「お疲れ様」
「お、お疲れ様です」
クラスを軽くチンと鳴らし、一口飲……うまッ
「美味しい……ジントニックってこんなに美味しかったかな?」
「でしょう?居酒屋の怪しいのではないからね。こういった店のは美味いんだよ。まあ、これが不味い店は全部不味いけどね。ね?マスター」
ふふっとマスターは微笑み基本ですからって。そういうものなのか、ふーん。俺こういう店来ないからよくわかんないや。
「君のことは、以前のチームの相川さんに聞いてるから気にしないでいいよ。他の人には言ってないし誰も知らないから」
「はい。ありがとうございます」
俺は新人の頃、メンターだった年上の同性の恋人がチームにいたんだ。仕事も私生活も上手くいってたんだけど、次第におかしくなっていった。そのうち仕事でも彼の当たりが強くなって、もう他からはパワハラに見えるほどに。俺も負けずに言い返してはいたけど、ある日俺は大きな契約が取れた。
偶然だったんだけど、他社でたまたま同席してた偉い方に気に入られて、あれよあれよと話しが進み契約が貰えたんだ。俺が気に入らない彼が、その契約に難くせ付けてきて会社で大げんか。彼が会社での評判が悪くなっていた時期と重なり、ストレスもあったんだろう。俺たちの関係は叫ぶし俺が教えたのに生意気とか暴言吐きまくり。思い出したくもないセリフもあったかな。
「すみません。問題起こした俺をチームに入れるの……嫌でしたよね」
「いいや。人手不足はあったし君は悪くなかったんだろ?」
「たぶん。俺からは何もしてません」
「ならいいさ」
あの頃彼は、公私共に俺が憎かったのかもしれないと今は思う。付き合い始めの頃はなにも否定もせず彼を尊敬してたけど、あの騒動の頃には自分の意見も言うようになってたしなあ。
あの契約で「あなたのお陰でここまで成長したんだよ」って報告したら褒めてくれて関係も良くなるなんて期待もあった。逆だったけどね。
「ありがとうございます。あの、彰人、津村彰人は謹慎後どこへ?俺あれから連絡取れなくなったんです」
一ノ瀬さんはうーんと唸り、渋い顔になった。そして考え込むように、
「辞めちゃったんだ。正確にはクビだね」
「へ?」
彼は当然だろ?と俺を見つめた。いや、あの痴話喧嘩のようなものでクビ?と聞けば、場所があるだろって。まあそうか。
「怒鳴り合いくらいなら注意ですんだかもしれない。でも彼は君に手を上げたからね。今コンプラうるさいんだよ」
「そうですね」
そうだよな。会社でだしグーで何発か殴られたからなあ。俺はジントニックを飲みきりグラスを置くと、カランと氷が鳴った。俺がグラスを見つめていると、
「聞いてもいい?君たちはどんな関係?会社で殴るほどキレるなんておかしいでしょ?」
俺はグラスから視線を移し、一枚板であろう使い込まれたカウンターのキズを見つめていた。なんて答えればいいのかな。俺会社でカミングアウトしてないし、この人を信用していいのか分からない。酔った頭でグルグル考えてはみたものの、答えないのも感じ悪いし、誤魔化しても変だし。
「誰にも言ってないのでここだけの話にして下さい。彼は恋人でした」
「ああ、そういう……」
納得したような声だった。そっか……ともう一度言って、彼はカウンターで頬杖をついた。
「彼は新人の頃からのメンターでした。俺は指導してもらう立場で、そのうち付き合うようになって」
「ふーん」
俺は彰人を尊敬してたし恋人としても好きだった。特別仕事が出来るタイプではなかったかな、可もなく不可もなくって感じ。でも彼は仕事を教えるのが上手くて、上司も後輩もその部分は認められていた。
俺は彰人と一緒に動くことが多くて、ある日酔った勢いでホテルに。そこからなんとなくのスタートで最後は修羅場。俺たちの経緯を大雑把に説明した。
う~……話しながら美味しいと二杯も飲んだら頭がフラフラする。ジントニックって強い酒だったの忘れてたよ。
「そっか……」
彼の「そっか」の言葉になんか含んでる気がした。酔った頭では違和感しか分からん。
「なんですか?」
「ううん、なんでもない」
彼はそれっきりこの話には突っ込んでは来ず、仕事の話や同僚のこととか話して過ごした。
一ノ瀬さんは話し上手であっという間に終電近くになりお店を出た。階段を上がりきるとグワンと視界が回った。ヤバいな、完全に飲み過ぎた。
「大丈夫?」
「ハァハァ……なんとか」
ついでに息も上がった。視線を落とすと地面が回るし上を向いても同じ。歩ける?肩貸すよと一ノ瀬さんが助けてくれて、ふらつきながらも大通りに出た。駅は路地を出れば目の前だ。
「ねえ僕んちくる?」
「へ?」
「ここからすぐなんだ。タクシーで帰ろうよ」
彼は俺がぼんやりしている間にタクシーを拾ってくれた。俺はドアが開くと中に押し込まれ、電車で一時間は無理だったかもと思った。この感じじゃ寝過ごして終点まで行きそう、いや行く。
マンションに着いて肩を借りて部屋に向かった。すみませんと謝りながら部屋の中に入ると、酔っぱらった頭でも分かるくらい趣味のいい部屋だった。
「ここに座ってて」
「はい……」
ソファに腰を下ろすと……ダメだキツい。気持ち悪くはないけど、目が回り異常に眠くて上向いたり下向いたりして俺は耐えていた。
「はい、お水」
「ありがとうございます……」
差し出されたグラスの水を少し飲むと、苦しそうだねってネクタイ外してくれて、上着も脱げって。ベルトも緩めてくれて楽にしてくれた。
「すみません……なにからなにまで。ふう……うっく」
「気にしなくていい、僕お酒強いんだよ。こちらこそ付き合わせてごめんね」
「いえ……ハァハァ……すみません」
眠い……本気で眠くて座っていられなくて、ズルズルと落ちてソファに横になってしまった。目が重くて閉じると睡魔に耐え切れず起き上がれなかった。ひとんちで図々しいにもほどがあるけど耐えられない。
そこで記憶は途切れ翌日、凄まじい頭痛で目が覚めた。うっ……クソッ頭痛てぇ……俺どうやって家に帰ったんだ?とりあえずトイレ行きたいと思い目を開けた。
「は?ああ?なんで……ええ?」
一ノ瀬さんの寝顔が目の前にあった。なんでだ!え?ここどこ?見たことのない部屋に俺は寝ていた。パニックでゴソゴソしているとパンイチ。なんだこれッ
「あ、起きた?おはよ」
「お、お…おはようございますぅ!」
俺が震える声であいさつすると、彼が眠そうな目で微笑む。俺は状況がよく分からなくて固まってて、えーっと昨日何してたっけ?飲み会終わって一ノ瀬さんと地下のバーで飲んでそれから……?
「ふふっ君は昨日酔っぱらって一人で帰れなそうだなって僕は判断して、部屋に入ったらすぐに寝ちゃったんだよ。それでソファで寝たら風引くかなって思ったから僕のベッドに寝かせたんだ」
おおぅ…ぅ……なんて図々しい俺、ヤバいよ上司の部屋だぞ。でも仕事を離れた一ノ瀬さんは雰囲気も違い別の人みたいな感じだ。布団から少し見える上半身は裸ですげぇきれいで魅力的……イヤイヤ謝れ俺。
「ごめんなさい!すみませんすぐ帰ります。ありがとうございました!」
ワタワタとベッドから降りたら、ものすごいこめかみの激痛でしゃがみこんだ。ぐふうっこれ無理な痛み。
「大丈夫?急いで帰らなくてもいいじゃない。今日は休みだし、僕予定ないからゆっくりしていけばいいよ」
「で、でもご迷惑ですから!」
それに俺ゲイなの知ってるのに一緒に寝るとかなんなの。それもパンイチで。どんな神経してるんだよこの人は。
「あなた、俺と寝てて……その、嫌ではないのですか?」
ん?と彼は小首をかしげ、なんか楽しそうにしている。
「別に?君酔ってたしね。僕を襲える状況でもないでしょ?」
「それはそうですが……いやいや!そんなことしませんよ!」
何言ってんだこの人。会社の上司を襲うとかねえよ。それもノンケ襲うとかどんだけ男日照りだと思われてんだ。俺はキッと睨んでからアワアワ。睨む権利は俺にはねえだろ、世話になったくせにと慌てた。そんな様子に一ノ瀬さんはクスクスと嬉しそうになった。あ?
「そんなに否定されると僕悲しいんだけどな」
「え?」
「僕ね、君が好きだから泊めたんだ」
「は?」
「ふふっ」
「好き」って聞こえだぞ?いやいや。会社の人はこりごりだよ!次あんなことになったら本気で辞めなきゃならない。今だってギリギリ首の皮一枚で繋がってるようなもんだ。俺が殴り返さなかったからクビを免れだだけ。俺は頭の痛さは無視した。そして冷静に、
「今の話は聞かなかったことにします。ありがとうございました。俺帰ります」
「え?僕の告白は無視?好みじゃないとかかな?」
起きてベッドヘッドの枕に寄りかかり驚いている。俺の方が驚いてるよ。でも焦ってるくせに体はしっかり見ていた。顔はイケメンなのは知ってる。上半身は均等の取れた筋肉が……違う違うバカか俺。
「いえ、そういうことではなくて……あの、ごめんなさい、では!」
この話しをしてる間に椅子に掛けてあった自分のスーツを着ていた。そして逃げるように寝室を出て玄関にダッシュ。ごめんなさい!一ノ瀬さんは好みだけど俺の将来は掛けられん!頭がもげるんじゃ?ってくらいの頭痛。俺は振り返りもせず、もつれながらも靴を履き玄関を出た。本当にごめんなさい!!
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