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しおりを挟む私は困惑した。目の前の私を捕らえている男の言動に嫌な予想が一つ浮かんでいるが、正直認めたくない。
そこで素知らぬふりをする事にした。
「ご謙遜を。10年前の夜会でもご婦人方に囲まれていらっしゃったでしょう。」
未だに独身だと聞いているが、クライセン派の領邦諸国からいくらでも縁談はあるだろうに。
「そうだったか?あんたの事しか覚えてない。紺の礼服にアンバーのマント、本当に似合ってた。」
「……どうも。」
こっちはそんな服だったかすら忘れてるが。
向こうの言動にどんどん嫌な予想が確信に寄っていき、自分の額に汗が浮き始めるのを感じた。
まさかこいつは私を口説くために呼び出したのか。
まさかすぎる。
自国の騎士団内で男同士の色恋について全く話を聞かないわけではないが、私自身が当事者になったことはついぞ無い。
私もまだ独身だがそれだって女性が嫌いなわけではなく、まだ若い我が王が成熟し落ち着いたら仲のいい領内の貴族家から年頃の気立の良い娘を娶るつもりでいた。
何だってこの男は私にこんな態度を取るんだ。私は見た目が女らしいわけでは無い。一応醜男では無いと思っているが、顔も体も厳つい方だ。
……けど、さっきこいつは私の事を可愛いなどと言っていたな。美醜の感覚がおかしいのか?
「あの、呼ばれたのは身代金の話でしょうか。我が一族は此度の戦争にだいぶ財を投じてますが、それでもいくらかは用意できるはずです。ですので、交換までは身柄を保証されるべきで……」
ツヴァイエルンの騎士としてこんなみっともない保身などしたくはない。むしろ殺すなら殺すでいい。しかし、捕虜の身を理由に男の慰みものになる屈辱を考えれば金を盾にするのも致し方ないではないか。
「交換!?まさか。やっと手に入れたのにっ」
アルドリッヒは机の引き出しからいくつかの書類を乱暴に取り出してこっちに来た。
「これ、ツヴァイエルンとクライセンの和平案だ。見てくれ。」
渡された薄い紙の束を受け取り中をざっと見る。
「……信じられません。こちらに有利すぎる。」
そこには領土を戦争前の状態に戻すこと、相場以下とすぐわかる額の賠償金請求、復興のための無償無期借款の提案などが書いてあった。
領土は戦争でクライセンが分捕った分がうちに戻るだけだし、金に至っては賠償金より借款の方が額が大きいから実質ツヴァイエルンに金が入ってくるような内容だ。
「いや、クライセンにも悪くない話なんだ。今制圧してるツヴァイエルンの領土は勝つには必要だったけど和平するならこちらが統治する旨みはあまりない。戦後の余計な行政コストが増えるだけだ。ツヴァイエルンが金を領地に投資して復興が早く進めば、それだけ隣接するクライセンの経済的なチャンスは広がる。だからうちの元老院からも内諾が取れた。」
そういうものだろうか。戦争で領地を奪い、得た土地は責任を持って統治する。そうして領地を増やし拡大させるほど君臨する王は偉大な存在になる。そういうものじゃないのか。
この男の言い草はまるで金儲けが出来ればいいとでも言いたげだ。
会う前は立派な男だと思っていたが、どうにもさっきから不可解過ぎる。
「そうか。ならばさっさと調印されたらよろしいじゃないか。この内容ならツヴァイエルンもすぐに応じるでしょう。」
私は少し憮然とした態度を隠さずに言った。
「ああ、でもこれだけの甘い内容だ。俺が気を変えればすぐに内容を差し替えることもできる。」
「はぁ?」
何を言いたいんだ?と顔に書いてしまった私に、アルドリッヒは手に持っていた残りの束を渡してきた。
パッと見ると契約書だ。契約主体を見ると一方はアルドリッヒ個人、もう一方は……私、だ。
怪訝な顔で文言を読み進める。
内容は、先程見せられた和平案を実現させる代わりに、私個人がアルドリッヒの預かる永久捕虜になるというものだった。
つまり、私がアルドリッヒに身を売るなら和平をツヴァイエルンに有利なものにしてやる、という事らしい。
公私混同も大概にしろクソホモ野郎、と詰りたいのをグッと堪えた。
私はツヴァイエルン王家の人間で、ここはある意味外交の場だ。
常に矜持を保ち見苦しい振る舞いはすまい。
「……本当に、これを飲めばあの内容で和平するんだな?」
へりくだるのを止めて対等な立場で話す事にした。傍流と言えど王族の私に、同じ帝国下の領邦の騎士である私に、身を売れと言うやつに下げる頭はない。
コクリ。
向こうは私が態度を変えた事を気にする風もなく頷いた。
更にポポポポポッと頬を薔薇色に染める。
くそっ、気色が悪いっ!
こいつに会うのが少し楽しみだったついさっきまでの私をぶん殴りたい。
しかし、断ったらどんな和平条件が突きつけられるか分かったものではないのも事実だ。下手すればツヴァイエルンと残りの領邦で戦争が継続して祖国が完全に叩き潰される可能性すらある。
この男はそれが出来る人材だ。
今私一人が犠牲になれば、ツヴァイエルンが失うものは確実に最小限で済む。
「……分かった。この契約を…………受諾する。」
私は重々しく言った。
「あ……いや、返事は明日でいい。これを読んでからで。」
私の苦渋の返事を事も無げにいなし、アルドリッヒは本棚から一冊の本を取り出して渡してきた。
「俺は、あんたとこういうことがしたい。それでも良ければ……引き受けてくれ。」
それだけ言うとアルドリッヒは頬を染めたままくるりとデスクに引き返し、私には目もくれず積まれた書類にせっせとサインをしだした。俯いていて顔色は分からないが今や耳の先まで赤い。
私は渡された本に目を落とし、そのタイトルにいやぁな予感が走ったのでその場で読まずに部屋を後にした。
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