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病み市場
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この病みの世界では、すべて解決してくれる市場が地下十三階にあったのだ。ここに、中年女性と思しき人がやってきた。この中年女性は、病み市場病院を訪れていた。そこで、この女性の名前が、陽子であることがわかった。
この陽子という女性は、ある人物のことを相談にきていた。この話しの内容からすると、義母つまり姑のことのようであった。この年恰好からして、当初、本人の相談ごとのように勝手に思い込んでしまったが、どうやら違うようである。ひたすら、陽子の姑の名である『京子』を連呼していた。この二人のことが気になり、まず、陽子が連呼していた京子という者を探りたくなった。
陽子が相談していた京子の事であるが、現在年齢七十代半ばであった。京子は、この尾張の農家で生まれた。背格好もこの年齢だと普通くらいで、農家の出身だけあって働き者であった。京子の家族として、当時祖父の春造、祖母の春子と父の健造、母の咲子と兄の修造と姉の綾子そして京子の下に妹の康子がいた。総勢八人で暮らしていた。
春造を中心に咲子が手伝い、毎日田んぼや畑をしており、健造は、会社勤めをしていた。勿論、休みの日は、農作業を手伝っており、その合間に、京子たちが健造に代わって少し農作業のお手伝いをしていたのだった。京子は、幼い頃から土いじりが大好きであった為に、手伝いも苦ではなかった。自分の畑で採れる農作物や米の出荷も大きくなるにつれ、手伝えるようになっていた。それだけでなく、こうして愛情をかけて育てた野菜などを食べられるこの生活を、この上ない贅沢な暮しであると子どもの時より想い楽しんできたのだ。
健造は、農薬の製造会社に勤務しており、農薬については詳しかった。戦前は、さほど農薬を使わなくても、出来た野菜であったが、だんだん農薬を使わないと出来なくなったと春造がぼやいているのを聞いていた京子は、売り物にしない自分たちでいただく野菜は、無農薬で育てていた。家族で食べるものは、多少の見栄えなど気にはしない。それよりも春造は、安全なものを孫である京子たちに食べさせたいと言ってくれていたのだ。
こんな思いを受け継いだ京子は、春造が病で倒れた後も、康子に無農薬に拘った野菜を食べさせていた。しかし、なかなか見栄えでは春造には勝てず、害虫に食べられ放題の野菜が出来上がっていた。そんな京子の思いの通じた野菜を、康子は「虫も食べたいくらい美味しいってことだよ」と言い、喜んで食べてくれていた。
京子は康子より四歳年上で、仲良しだった。しかし、上の修造と綾子とは食べ物の事で揉めることも多くあった。修造は長男としてこの農家を守ると言い、その後農業大学へ進学した。綾子は、地元の高校を卒業して、一般企業の事務員として働きだしていた。その頃、京子は高校の部活でバレーボールに夢中になるほど一生懸命練習に励んでいた。その結果として、いつも学校の帰りにはお腹を空かせていたのだ。ふとそんな時、京子は春造の言葉を思い出していた。
代々農家を営んでいた春造の家でも、米の不作の年があった。その年は、食べるものに困るほど酷かったらしい。それならば、悪天候続きでも農作物として収穫可能なものを植える事にした方が、利口であると思った春造は、さつま芋を空いたスペースに植えようといい、常備野菜として植える事にしたと京子は聞かされていた。そんな常備野菜は、今も毎年植えられていた。咲子に、昼食用のお弁当を毎日作って貰っていたが、それだけでは足らないと言う事も恥ずかしかった京子は、さつま芋を蒸かして部活後用に持っていく事にした。これこそ、常備役であろうと京子は嬉しそうに康子に話していた。
康子は、京子に優しくされ末っ子らしくいつまでも甘えん坊であった。とても性格のいい康子は、正義感も強かった。京子を見て育った康子は、要領も良く常に修造たちにいじめられる京子のフォローを、角が立たないように上手くしていたのだった。同級生だけでなく、すべての者に対して正義感のある康子は、中学生の時生徒会長をしていた。そんな甘え上手且つ行動力のある康子に支えられ京子は、部活動に専念できたのだ。
それから、高校を卒業した京子は、協同組合の職員として働きだした。そんな京子の同じ職場で後に結婚相手となる吉田爽太と出会った。爽太は、四歳年上の同僚であった。爽太の実家も田畑があった。入社して五月になる頃、実家の手伝いで苗を植える事になっていた京子は、その付近にある休日に爽太からお誘いを受けたのだった。その時、咄嗟に用事があるというつもりであったが、田植えがあると素直に応えてしまったのだ。そこで意気投合した爽太は、お互いの田んぼに苗を植えあうことにしたのだ。想いもよらない五月の休みとなり、かなり親しくなっていったのだった。
それから、三年が過ぎた頃、修造と綾子がそれぞれの伴侶となる人と出会い結婚をした。修造がこの農家を継ぐ事になり、小姑にあたる京子は実家が居づらくなり、この実家を出る事にした。勿論、行きつくところは、爽太の実家であった。この時すでに、婚約中であった京子のことを逆に来てくれるのをまだかと待っていたほどであった。嫁という立場の京子であったが、実家よりも温かい居場所を見つけた。一日でも早く、爽太の側に行きたくなったのだ。
爽太の家族は、真面目で思いやりのあるとてもいい家族だった。京子の家族も仲は良かったが、お嫁さんを大事にしており、明らかに待遇が悪くなっている事に気付いた。それならば、この機会にと思い、実行にうつしてみた京子であった。
はじめて吉田家の一員となり、わかった事があった。それは、出荷されている野菜がたくさんの農薬に覆われていることだった。勿論一般に販売されている農薬であるので、使用不可ではないが、春造ができるだけ農薬を使わないように育てていた野菜とは違うものだった。春造は、自分たちが育てた野菜を購入者に対して裏切れず、更に安心して食べていただきたいという想いで育てていた。天然成分だけで害虫よけができないかなど、健造と共に四苦八苦して育てていた心にはたくさんの愛情があった。
そんな想いをこの吉田家には、微塵も感じられなかったのが、とても残念な京子であった。しかし、恐らく無知である為と思い、京子は健造から教わった化学農薬や化学肥料のことを話す事にした。
これら化学の力にはメリットがあった。しかし人体に無害ではないこの化学の力を、自然界によって今まで育て上げてきた土壌に使用するという考えが、いささか可笑しいと健造は思っていたのだ。どれだけ安全であるのか知りたく入社した会社であったが、答えとして無害ではないことがわかったのだ。
どんな生き物であっても、生き抜こうとして生まれ、そして子孫を残そうと必死であるのだ。そんな生態系に割り込むように、君臨したのが人間である。人間以外の生物は、もっと前から生存していたのだ。だからこそ、その者たちへの思いを敬い、そして長く安全な土壌を守ってきた生物たちに感謝をしなければならない。それなのに、感謝どころか行き場を無くし、勝手に害虫とされてしまった。逆に人間が害虫の立場であったなら、どう人間のことを想うのであろうと、京子は切に話していた。その心に届いた爽太は、出来るだけ農薬を使わないように栽培を考える事にしてくれた。
現状、人間よりも下の中等の域にいる生物や、下等の域にいる生物が増えているのであるのならば、これも自然の摂理によって人間の生まれ出るところが減らされている事になるのだ。だから、現在人間は自然の摂理に従って生まれにくくなっていることがわかる。
それに反して、我が子をどうしても授かりたいという人間の欲はいかがなものであるのか?こうした微生物といった小さな命を奪い、逆に人間が生まれればそれでいいというのであろうか。そんな考えでは、いずれお天道様も許してくれるはずはないと京子は、吉田家の人々に語っていた。
京子に悟られた吉田家の人々は、農薬散布の必要のないさつま芋に着目をした。京子もさつま芋が大好きであり、とても嬉しい気持ちになった。
今では、珍しくないが当時としては珍しい安納芋とこの旅で出合う事になったのだ。その旅が、爽太との初めての旅行であったのだ。まず鹿児島へ足を踏み入れた。さつま芋のメッカとして知られる鹿児島は、さつま芋の品種も多くあった。鹿児島で行った先の出来事だった。そこで、日本一甘い蜜といえる安納芋が、種子島にあると聞き、それから急遽種子島に向かう事にした。そこで出合った安納芋は、格別なものであった。しかし、当時安納芋は、この種子島しか栽培が出来なく、残念なことにいただくまでとなったが、一口食べた瞬間から蜜を感じ、高濃度の甘さが口の中に一気に広がったのだ。当時としては、こんなスィ―ツはどこにいってもいただけず、一瞬にして京子は、この安納芋の虜になってしまったのだ。種子島まで足を運んだのは、この安納芋と出合う為であり、この喜びは他では味わう事の出来ない贅沢な時間となった。この安納芋に惚れ込んだ京子であったが、この地に引っ越さなければ、栽培が出来ない現状を諦め、一般的に人気のある紅あずまを育てる事にしたのだ。
それから二年後、京子は爽太と結婚した。これを機に京子は、退職する事にした。その頃、康子は大学の医学部にいた。正義感の強かった康子は、自分の手で人を救いたいという志を持ち頑張っていたのだ。当時学費も安かった為、京子が入学金や授業料を支払っていた。それくらい康子は自慢の妹であり、京子にとっては誇りであったのだ。まだ京子が独身の頃は、京都にいる康子のもとへ、よく遊びに行っていた。
独身時代を満喫した京子は、やっと今日の晴れの日を迎えたのだ。康子は京都から結婚式に駆けつけてくれた。京子の友人は、折角購入した振袖を眠らせておく方が勿体ないと言い披露してくれ、その式に華を添えてくれた。
この日の出席者は、康子以外和装だった。康子は、動きやすさ着やすさ片付けやすさのどれをとっても、洋装に勝るものはないと言い、たった一人であったが、堂々とドレスを着こなしていた。京子の頭には、勿論角隠しが着けられていた。まだこの時には見えぬ角が、半世紀後に現れるとは、誰も予想しなかったのだ。妹想いの京子が、この結婚を機に起こる事になるとは、思いもしなかった。こうして親族や友人に祝福された京子は、この後幸せ街道を歩みだしていた。
それから仕事が一段落した頃、京子と爽太は種子島で安納芋をいただくという最大の目的を兼ね、新婚旅行先を九州にして、一週間かけ巡る旅にでた。九州には、至る所に温泉が湧いており、安納芋の次に楽しみな温泉を堪能できる事もこの九州を選んだ理由の一つであった。温泉卵や温泉まんじゅうを頬張り、食べ物も美味しくいただいた旅であった。
新婚旅行から帰った京子は、畑で農作業を忙しくしていた頃、第一子となる長男健太を身ごもったのだ。幼い頃から、畑を手伝っていた京子にとって、妊婦の身体でも平気だったようで、常に土に触れ大地の温もりとそしてお天道様の温もりに感謝していた。
京子が大好きな紅あずまは、ずうっと育てられていた。その収穫をしている時に、急にお腹に痛みを感じた京子は、爽太と病院へ向かった。慌てて行った京子の指先には、土がついたままであった。しかし健太は順調に下がってきて、やがて誕生した。京子は初産であったが、病院に到着してから二時間ほどの事であった。夕方になり、畑仕事を終わらせた義父や義母たちが病院に来てくれた。爽太の子である健太は、この吉田家にとっては、初孫であった。健太は、王子様のように育てられ吉田家の人々には、大変可愛がられていた。しかし二年後、二男雄太が誕生し、健太への愛情は今までの半分となってしまった。その悔しさから、健太は京子が目を離した隙に、雄太の顔に引っかき傷を負わせたり、まだ乳児であった雄太の上に乗ったりと、いじめていたのだった。目が離せなくなり、そのタイミングで健太は幼稚園に入る事になった。
表向きは仲良しに見えた兄弟であったが、後の雄太は康子に似て、正義感が強くそして多才であった。そんな雄太のことを、勝手に羨ましく想った健太は、兄弟であるのに一緒に遊ぶ事も次第になくなり、道端で会っても素知らぬふりをするくらい仲がいいとは言えなくなっていた。
それから、健太と雄太はそれぞれ成長をし、大学へと進学していた。雄太は、大学でもサッカーを続けており、運動にも長けていた。雄太には、高校生の頃から付き合っていた彼女がいた。それがのちに結婚する郁美であった。郁美は、高校生の頃から吉田家に、時間がある時はいつも来ており、京子には女の子がいなかった事もあり、郁美の事を我が子のように可愛がっていた。農作業もその頃から手伝ってくれていて、毎年出来たお米や野菜をお裾分けしていた。郁美の実家の親とも仲良しで、気心がしれた仲になっていた。
それに比べ、健太は一度も彼女を連れてきた事もなかった。実際、いたのかいないのかさえ京子はわからなかった。全く同じ環境で育てていても、健太と雄太は性格も異なり、少し風変わりと言われることもあるくらい健太は、たくさんの人に溶け込むのが遅かった。大学生になっても、案の定彼女の姿を確認したことはなく、健太は農作業を手伝わなくなり、一人部屋で籠ることが多くなった。学校のある日は、一応休むことなく通っていた為、京子もあまり気に留める事はしなかった。
健太は、念願だったエンジニアの仕事に就くことができた。細かな作業が好きな健太には、打ってつけの職業であった。社会人になった健太であったが、やはり今までと変わらず、女の影すら感じなくなっていた。この吉田家から健太は職場に通っていたが、仕事が終われば夕食は自宅で食べる生活をしており、今までと変わらない生活を続けていた。
一方、彼女のいる雄太は、郁美を連れて帰宅し、夕食をこの吉田家で一緒にとり、翌日も一緒に登校するといった半同棲の生活をしていた。健太は彼女のいる雄太のことを羨ましく思っていない素振りを見せながら、内心ではきっと違っていたはずなのだ。
雄太も社会人となり、会計士として働きだした。同い年の郁美は、銀行員になっていた。この頃には、二人の計画が立てられていて、三年後に雄太は郁美と結婚する事にしていた。こうして、着々と計画通り進めていく雄太は、健太より先に郁美と結婚する事になった。この時、まだ実家に健太がいたので、雄太は新居を購入する事にしたのだ。こうして先に、自立への道を歩み出した雄太であったが、特に資金面での援助もいらないときっぱり京子に断り、郁美との夫婦水入らずの生活を楽しんでいた。郁美は、今まで勤めていた仕事を辞め、専業主婦となった。日中、時間のある郁美は、車に乗り時々吉田家の畑を手伝っていた。今までと変わらない郁美が可愛い京子は、来た時には、毎回お昼を一緒に食べた。
それから、秋の実りも過ぎた年の暮れ、まだ若い郁美であったが、吉田家では初孫となる長男将太が誕生した。爽太は初孫が可愛くて仕方がなく、それ以前までは遅くまでしていた仕事も、雄太たちが遊びに来ていることを知ると、さっと切り上げ早帰りしていたのだ。勿論、同じ吉田家に帰ってくる健太もいたが、健太は夕食を済ませたら、さっさと部屋に入っていた。まだ赤ちゃんの将太を見ても、一度も抱く事はなかった。「子どもは嫌い」と京子に告げていた健太は、お正月も可愛い将太にお年玉をあげる事はなかった。立場的には、伯父になる健太である為、京子は気を遣い『健太からの分』としてお年玉を用意していた。これは、爽太には内緒で京子がしたことであったが、爽太にわかってしまった。なぜなら、健太に「お年玉ありがとう」と爽太が言ったからである。それまで全く知らなかった爽太は「これから生活費として入れてもらおう」と京子に言ったが、直接健太に言ってほしいと言われ、話しはそのまま翌年へと持ちこされた。
平和主義な吉田家には、また新しい命が生まれていた。今度は長女の由香だった。予定日よりも少し早く生まれた由香は、小柄な赤ちゃんだった。男の子とは違い力も弱く父親の雄太でさえ二人目だというのに、最初の抱っこは怖々していたのだ。しかし生まれてからの由香の成長は早く、日に日に大きくなり、見るからにプクプクした手足が出来上がっていたのだ。爽太は我が子として、女の子に恵まれなかったこともあり、由香の事を目に入れても痛くない程可愛がっていた。時には、仕事帰りに直接雄太の自宅に寄ってから帰ってくる事もあった。
三十代に差し掛かろうとしている健太のことを爽太が忘れている訳ではないが、誰がどう見ても健太の事より将太や由香の事の方が可愛かった。そのくらい孫は可愛いのである。その分京子は、毎日のように健太に話しかけかなり神経をすり減らしていた。その直後から少し体調が優れない時も多くなった京子であったが、特に病院へは行かず、ただ横になっていた。
暫くして爽太と一緒に人間ドックに京子は行く事になった。京子の体調の変化として、兆候らしきことはあったが、心配といった気持ちを全く持たず、爽太に誘われるがままついていっただけだった。たまたま行った人間ドックで病気が見つかり、京子は手術を受ける事になった。数時間後、京子の手術は無事終わり、何とか回復する事ができた。
病院から退院した京子は、完全に治っていない身体であったが、気を遣わない健太の要求に従うかのように、食事作りをしていた。ご飯があって当たり前と思っている健太には、遠慮という言葉がなかった。確かに、京子の作る料理は美味しく、毎年正月には京子が作るおせちを、吉田家の人々はつついていたのだ。健太は一円も支払う事無く、美味しい料理が出てくる生活に満足していた為、婚期も遅れていったのだった。
それを突然京子のせいにした健太に、爽太は怒り狂い「いますぐ出ていけ」と言った。行くあてのない健太が辿り着いたのは、雄太の家だった。突然の訪問にビックリした郁美は「何のお構いも出来ませんがどうぞ」と家に入れた。それまで兄弟といっても仲はあまりよくなく、健太の方が一方的に無視をし続けていたのだ。
この雄太の家庭を見た健太は、急に家族がほしくなり、ここにきて婚活を始めることにした。そこで出会ったのが、陽子であった。まだ男である健太は、選り取り見取りではないが、陽子よりも焦らなくてもいい状況であったが、なぜか若い女の人と話しが合わない健太は、同世代の陽子と会ってみる事にしたのだ。二人とも、話しが合わない訳でもなく、盛り上がる訳でもなかったが、お互いこれくらいが適当なのかと思い、もう一回会う事にした。
自宅に戻った陽子は、両親に相談していた。
来週健太ともう一度会う事になっているが、その時に入信している宗教の事を話していいかという内容であった。あなたがしている宗教は、後ろめたさのない世界一の宗教だから、自信を持って進めてみてと言われた陽子は、一週間後健太に会い、素直にそのままその事を伝えた。健太は宗教という言葉にビックリしたが、心の中で陽子がいいのではないかと確信していた為、もう少しどういうものなのか逆に尋ねてみる事にした。その時、吉田家の掟の事が脳裏に浮かんだが、それも本人次第と思った健太は、そのまま身を陽子に委ねる決意をしたのだ。これより、健太は陽子に逆らう事無く、すべてのことが運ばれていくことになった。
爽太が今年定年退職を迎える事になる頃、やっと健太の結婚が決まった。雄太が結婚して十年後のことだった。いきなり、吉田家に連れてきた健太は、陽子のことを紹介した。陽子の実家も同じ尾張にあり、短大卒業後俗にいうOLとして働いていたが、IT化が進んでいく中、必要とされなくなった陽子は、三年前に退職し、現在アルバイトをしている事を話した。爽太はこの時話さなかったが、結婚後にわかったこともあった。特にこの陽子と結婚する事に爽太も反対しなかったが「何か影を感じる女だね」と初対面の時に言っていた。今思うと、爽太は陽子のことを見抜いていたのかもしれない。やはり、あの時に反対していたら良かったのかと、京子は後に同居生活をしていく中で何度も思ったことであった。
陽子の家庭は傍から見ると一般家庭のように見えていた。しかし、この家族はみんなで宗教にハマっていたのだ。勿論、この宗教のことを、健太は陽子たちがしていることを知っていた。知っているだけでなく、吉田家の人々に隠れてその宗教に入信していたのだ。その宗教施設に入った健太は、今まで居場所が自分の部屋だけだったが、ここで自分の居場所が見つかったのだ。だんだん居づらくなっていた吉田家では、最近ではリビングにいられないほどであったのだ。
この素晴らしい宗教を子どもの頃からしていた陽子のことを、逆に尊敬していたのだ。そこまで陽子のことを尊敬できる健太にとって、陽子は自分の人生に必要な人になっていたのだ。この宗教を始めて、お金を今までより使うようになっていた。当初陽子から、全くお金はかからないと説明を受けていたが、そこまで居心地のいいところが無料開放とは、そんなに甘い話しではなかったのだ。それでも、この陽子が崇拝する宗教は、世界中の中で一番と聞かされていたことを信じて、入信する事にした健太であった。
しかし吉田家では無宗教に近く、ただある寺の檀家であるくらいであり、特に信仰をしている訳でもなかったが、吉田家の掟として、勝手に宗教には入らないという決まりごとがあった。やはりどんな人でも、洗脳されてしまうと、正しい判断ができなくなり、それならばそもそも宗教とは関わらない方がいいという結論が出ていたのだ。そんな掟がある事を知っていた健太は、吉田家には隠れて信仰する事に決めたのだ。
それまで、健太から家にお金をいれてもらったこともなく、京子としては貯めているものだと思っていた。しかし知らないうちに、宗教を始めそこに投資するようになっていた。
そんな事をしらない京子は、いざ結婚する話しになり「結婚費用は健太たちでして」と言ったのだ。勿論、十年前に結婚した雄太でさえも、自分たちで結婚式をしたのだ。それもこの年になった健太に結婚費用まで爽太が出す気にもならなかった。話し合いの結果、自分たちで出来ないなら、結婚式はしなくてもいいであろうと爽太がまとめた。その言葉に、この時まだ赤の他人であった陽子が不満げであった。それに気付いた健太も、ふてぶてしい表情を浮かべていた。
京子はこの陽子と知り合ってから、健太の中で何かが変わっている事に気付いていたが、この時それが宗教であるとは、思いもしなかったのだ。
その一週間後、陽子の両親と会う事になった。ここできっぱりと、結婚式は若い訳でもない二人のことなので、こちらとしては費用に関して、一切援助しない事を伝え、どうしてもしたいのなら、自分たちの資金で可能な限りの挙式でしてほしいことも付け加えた。この時、この先について何も考えていなかった健太であったが、陽子は確信犯としてこの頃より豊かに暮らせる同居に決めていたのだ。
この結婚式でお金を使い果たした健太は、住むところまで考えていなかったのだ。特に、そんな話しがでていなかった京子は、この先陽子と同居になるとは全く考えもしなかったのだ。
それから、定年を迎えた爽太は先祖から受け継いだ田畑で暮らしていく事にした矢先の出来事だった。春キャベツの収穫をしていた時、爽太が倒れたのだ。まだ朝は、かなり冷え込む早朝の日の事であった。救急車で病院に行ったが、帰らぬ人となった。これからのんびりとした時間を爽太と過ごそうと京子は思っていたのに、残念で仕方がなかった。全く使っていない退職金を残して、爽太は一人で逝ってしまったのだ。京子は、爽太との畑仕事を楽しみにしていた。それなのに、残されたのは爽太のいない田畑だけ。そんな中での畑仕事を想うと涙が止まらなく、悲しみを忘れることが出来なかった。この一ヵ月後に健太は陽子と結婚をした。
京子は、健太から陽子と住む新居について何も聞かされていなかった。その為、健太たちが新婚旅行へ行っている間に、健太の荷物を整理していたのだ。戻ってきたら引っ越ししてもらおうと思っていたのも、束の間の出来事であった。京子は「とりあえず住所教えて」とまとめた荷物を送る為に言った言葉であったが「このまま住むからいい」と健太から返ってきたのだ。京子は陽子との同居は嫌だと思っていた為、最後まで反対したが、健太はお金がないからと言った為「当分ならいい」と京子は言ってしまった。
思いもよらない形での同居が始まり、すぐに妊娠するつもりの陽子は、三食昼寝付きで家事もろくにせず、ずうっと家にいられたのだ。日中一緒にいる方が苦痛に感じた京子は、近所の方とお茶をしたり、畑に出たりと自分の家なのに居心地が悪くなっていた。三カ月経っても妊娠していない陽子に、パートに行ったらというと、二時間ほど外出するようになった。そして吉田家に戻った陽子は、京子に宗教の勧誘を始めたのだった。勿論、吉田家の掟のことを話し、きっぱりと「入信しない」と京子は言い切った。こんな会話をされるのも嫌になった京子は、ある事を思いついたのだ。出掛ける時間が増えると、嫌な陽子と会わなくてもいい事に・・・・・・。
京子は、爽太の亡きあと寂しさが募る中ではあったが、吉田家以外の人達にも、農業の大切さや拘りについて、伝えたくなり各地を転々と回る事にした。
元来農耕民族の我々は、田畑を大事にしてきた。それでも、不作の年はやってくる。日照り続きや雨続きなど自然界は、いつも人間に試練を与える。それでも、大きな飢饉にも見舞われたが、こうして生き抜いてきたのだ。敵は自然界だけでなく、生物界にも存在する。所謂田畑を狙い撃ちにする害虫である。江戸時代までは、鎖国のおかげもあり、海外から入ってきた物で困りごとは大きくはなかったが、開国し貿易が盛んになった事で、今までこの国にはいなかった新たな外来種と言えるもの、つまり、ここで言う農作物においては害虫を向かい入れる事になったのだった。それまでお目にかかった事のない害虫であったが、これらは農作物にとって、害を及ぼすようになり、次の一手を打たなくてはならなくなった。そこで、考案されたのが農薬であった。貿易に限らずよい事が起こるとそれに反して悪い事も起るという自然の摂理がそこにはあった。このような事を幼い頃より春造より聞かされていた健造は、農薬のことを知りたくその会社に入社したのだ。そこで、農薬のことを更に深めた健造は、自分たちが食べる分は、春造の教えに従い無農薬に拘る事にした。
今使用されている農薬というのは、化学の世界におかれている農薬であるのだ。これだけ農薬に関して詳しい健造が、自分たちの食べる分は、無農薬という拘りをもつ理由が勿論あったのだ。
この農薬というのは、昔から使っているものをずうっと使い続けている訳ではない。例えば、昨年新たに開発した農薬が昨年は害虫駆除に効果があったが、今年に関して昨年と同じ農薬では全く役にも立たなかったという事が繰り返しやってくるのだ。その度に、開発する農薬を少しずつ強力なものへと作り変えなければならなくなってきた。こうした行為は、今なお強力化中であり、農業に長けたところの農作物だから安心という時代ではなくなってきたと健造が語った。本当にそんな恐ろしい世になっている事が信じられない京子は「八百屋さんで売っているのは食べられないの?」と思わず言ってしまった。すると健造から他の害虫ではどうなのか教えてもらう事にした。
屋内の害虫と思われているゴキブリで、今一度考えてみたらどうであろうか?ひと昔前、ホウ酸だんごでゴキブリが駆除できると言われていたが、それを食べたゴキブリは、今ではホウ酸だんごの効果はなくなっている。
健造は、生態系の中の生物というものは、人間も含みで何とかして生き抜きそして子孫を残す行為をしなければ死ねないという思いを持って生まれてきている。それは、どんな生物にも言える事であるのだ。その為、害虫であろうが、農薬如きでくたばる訳にはいかないのだ。そんな気持ちを考えたら、この農薬のいたちごっこは、自然界において永遠に起こってしまう事である。それも、自然の摂理であるから・・・・・・。
そうなると、どうにもこうにもならないが、結局ゴキブリには、一番原始的な駆除方法の『ゴキブリほいほい』が効果的と言えるのである。
自然界すべてに、化学といった力に頼らず、お互い天敵という意識を持たず、持ちつ持たれつというウィンウィンの関係を構築出来た者が勝者となれるはず。そういう健造は、定年退職後、原始的な作戦をひたすら考え、害虫駆除を温かい心でしていたのだった。
しかし現状は、温かい心を完全に失くしてしまった人間が、化学の力でねじ伏せようとし続けている。この心ない人間になりたくないと思った京子は、亡き父健造の遺志を受け継ぎ今も農業に専念していたのだ。
それから、五年が過ぎた頃、まだ厚かましい健太たちは、家にお金も入れず、吉田家に居座っていたのだ。そんな時、やっと陽子が妊娠したのだ。それを聞いた京子は、このまま居座られ健太たちだけに、多くこの家のお金を使われてしまうことを恐れ、余っている農地に家を建てる事にしたのだ。ちょうど、京子の新築が出来た頃、陽子は出産した。この吉田家に陽子の両親もきにくくなる為に、それならば一層の事京子が出ようと思ったのだ。
この事は、健太に一切相談しなかったが、雄太には相談したことであった。雄太たちも陽子の事が不審人物と思っていた為、雄太から何か危険がないかいつも心配されていたのだ。雄太は、計画的に京子が殺されてしまうのではないかと思うくらい、心配していた。この吉田家を京子が出るまでは、心配症の雄太は、毎日のように電話をしてくれていた。
陽子はこうして母親になれたが、若い年齢でもない為、長女の京香が泣いた時は、寝不足からイライラを募らせていたのだ。
雄太たちの子どもである将太と由香は、この時二人とも中学生になっていた。今まで何の支援もしていなかった京子は、これから学費などかかる将太と由香の為に、お金を使う事にした。勿論、この事は健太には話してはいなかった。雄太は相変わらず郁美と仲がよく、部活で忙しくなった子どもたちが不在の時には、二人で出掛ける事にしていた。そんな時に、一人でいる京子に声を掛け一緒に出掛ける事もあった。京子は、こうして雄太と郁美とのんびりと出掛ける時間が、日ごろのストレス発散となっていた。時々は、二人の邪魔になると思い、妹の康子を誘う事もあった。吉田家から離れたことで、京子の新居に来やすくなった雄太たちは、一カ月に一度は遊びに来てくれる事になった。
京子が出てきた吉田家は、陽子の母親が自分の家のように泊まっていくこともあった。そんな家には、家主である京子でさえも、二度と踏み込めなくなっていた。あの吉田家の家賃すらも支払う気もなく、更に現住民であるその土地の固定資産税も支払わず、それでも住みついている陽子たちが、何を企んでいるのかをいつも雄太が気にかけてくれていた。
月日は流れ、将太や由香も社会人になっていた。この頃、陽子からの連絡があった時だけ、京子は京香のことを見ることになっていた。京香は、十歳になっていた。そこまで小さくないが、一人っ子で育ったこともあり、自宅に誰もいない時間帯だけ、京子は孫の子守りをする事にしていた。こうして陽子に言われるがまま、常に従っていた京子は、陽子を疑わなかった。この関係を築けていることを確認した陽子は、ここで動き出したのだ。
あの病み市場病院を陽子が訪れて、二週間が過ぎた頃であった。陽子が再び病み市場病院にやってきたのだ。それから、この二週間の間に、健太を説得して陽子と山下師匠の策略を決行したい事を伝えたのだ。陽子は、健太に京香を育てるには、お金が必要であると伝えた。陽子が高齢出産で授かった一人っ子の京香には、この十年間で多額のお金を使っていたのだ。果てしなくある資金でもないのに、たった小学生半ば程度で使いすぎたこともあり、これ以降更に賭けたい気持ちのある陽子は、健太の収入と陽子のパート程度の収入では、この先京香の夢が叶えられないと伝えたのだ。この陽子の訴えに、健太は頷いた。
これらすべての気持ちが合致した事を伝えに、この日は陽子だけでなく健太も一緒に来ていたのだ。この後、二人は山下師匠の策略に合意した。その間、話しが長引き京子にあるお願いの電話を陽子は入れた。この日以降、陽子からの連絡が一切ない事に、京子も心配にはなっていたが、陽子とあまり話したくない京子は、音沙汰なく過ごしていた。
そして今日、病み市場病院で精神科医の山下と練りに練って考えた策を、決行する時となった陽子は、普段と変わらない朝というよりは、いつもになく心穏やかに、健太と京香の朝食を作っていた。京香は、いつもの陽子の姿では無い事が少し気がかりになっていた。しかし、登校する時間になった京香は、ランドセルを背にして、学校へ向かった。陽子が京香を見送るのを待っていたかのように、その直後健太は仕事へ向かった。
時刻はまだ、七時半であったが、ことを起こすにはまだ時間が早すぎると思った陽子は、珍しく早々と、夕食の準備をしていた。それから三十分程経った陽子は、まだ料理をしていたが、ここで一旦手を止め、京子に電話をしていた。車を運転しない京子に「買い物に行かないか?」と誘ったのだった。京子は、陽子の誘いを断らない事を知っていた為、いつも誘っている時間に「迎えに行く」と言い、どこに買い物に行くかも伝えずに、その時間まで、陽子は料理に奮闘していたのだった。 一方京子は、いつものように家を出て、その間畑で農作業をしていた。京子は、九時五十分に家に戻り、出掛ける準備をして、陽子が来るのを待っていた。
時計の針が十時を指す五分前に、陽子は車で家を出た。ちょうど十時に京子の家の前に車を止めた陽子は、インターフォンを押した。そのインターフォンに出ないまま京子が、玄関で靴を履きそのまま買い物用のエコバッグを持ち出てきた。京子は「いつもありがとう」と言って、陽子の車に乗った。京子はいつも行く近所のスーパーに行くものだと思っていたが、陽子はそのスーパーの方向ではなく、逆の道を進んだために、京子は「どこに行くの?」と陽子に確認した。陽子は「少し遠いスーパー」とだけ言い、更に車を走らせた。京子は、昼食を家で取るつもりで家を出てきた。予想だにしない陽子の行動に少し不安がよぎったが、車は止まる事無く走り続けた為、何もできず助手席にただ座っていた。
それから京子の目に飛び込んできたのが『病み市場入口』と書かれた看板であった。その看板のところで車は、どんどん地下へ入っていった。「どこに連れて行くの?」と、再び不安にかられた京子が陽子に尋ねた。すると、陽子の口から世にもおぞましい言葉が飛び出てきたのだった。京子は「降ろして!」と陽子に叫んだが、車はそのまま病み市場病院の中まで入っていった。そこで看護師が待っていた。車のドアをその看護師が開けると、自動的に看護師に連れられ、保護室と呼ばれるところに連れて行かれた。所持していたバッグすべて奪われ、着の身着のままの状態で、鍵のかかる個室へ入らされた。京子は、こんなところに閉じ込められる理由がわからなかった。それどころではなく、ここがどこかすらもわからないまま入れられたのだった。
看護師に連れられ、精神科医山下の指示でこの保護室に入れられた京子は、突然の出来事に気が動転していた。入れられて少し時間が経過し、そこはまるで留置所か拘置所の独居房の場であるかのようであった。このようなところに入れられる謂れのない京子は、トイレ以外にあったマットレスの上に、座りこんでいた。逆にいうと、この保護室には、トイレしかなかったのだ。畳四畳半ほどの部屋に京子は一人でいた。突然隣の部屋から、扉を叩く音が聞こえてきた。「出してくれ」と叫んでいた。そんな迷惑ともいえる声を聞いた京子は、何もすることの出来ない部屋で大人しくしていた。
この病み市場病院に、お昼前に着いた京子は、この保護室で一人昼食を食べる事になった。トイレを背にして、食事をすることが初めてであり、食事が喉を通らない想いもしたが、病気を患っていた京子は、食べないとすぐに痩せてしまう。おまけに年老いている事もあり、逆に食べない方が精神的に追い込まれてしまうと思った京子は、食べ物が入っていかない喉を無理矢理こじ開けて、食べたのだった。食後看護師が食事の後片付けにやってきたが、その時に、薬も渡されたのだ。いや渡されたではなく、無理矢理飲まされたのだった。今まで、飲んだ事のないこの薬は、京子の記憶でさえも無くすかのように、飲んだ以降ぼんやりとしていたのだ。それから京子は、知らない間にマットレスで横になっていた。
京子は誰かに、この現実をSOSとして発信したかった。しかし、この鍵のかかっている保護室内では、誰とも会話はできず、外部にある電話ですら使用できず、何も出来ない時間がひたすらすぎる事となった。そんな不安な想いも、寝ている時だけ忘れられた。
その時陽子は、京子を病み市場病院に入れた後、入院に必要なものを京子の住む家に取りに行っていた。この家は、陽子の家ではなく京子の家。家主が京子であるのにも関わらず、嫁の立場である陽子が勝手に京子の家に、無断で侵入した事になるのだ。いくら嫁姑という間柄であるといえども、不法侵入に値する。このようにいざこざがない為に、十年前に京子のお金だけで新築を購入したのだ。勿論、京子はこの陽子には、自宅の鍵は渡してはいなかった。しかし、京子を強制的にこの病み市場病院に入院させたことで、京子の自宅の鍵を奪う事が出来たのだ。侵入に成功した陽子は、入院に必要な歯ブラシや歯磨き粉や衣類などを持っていこうとしたが、折角ならば新しいものがいいかと思った陽子は、洗面所周りを写メで撮り、京子の使用していたものと同じものを購入する事にした。それから、ドラッグストアに行った陽子は、同種類のもので新調した。
それから再び、病み市場病院に戻った陽子は、怒りの収まらない京子に会っても仕方がない為に、入院用品を看護師に託して早々に帰っていった。京子の処遇としては、面会は誰にも出来ず、外部の者とも連絡や会話も出来ずという打つ手すらない状況に追い込まれていった。それだけではなく、精神的にも正常であったが、飲まされる薬によって、だんだん京子の記憶が薄れていった。
精神科での入院の手段は、二つあった。一つは任意という自ら入院させて下さいといって入るものと、もう一つは、医療保護入院であった。所謂、本当に精神的に可笑しいのが見受けられて保健所の方も協力しながら入る場合もこの入院である。しかし、今回の京子のように家族によって強制的に入れられる場合もこの医療保護入院となるのだ。
京子は、直前まで畑仕事や自分で食事を作ったり、あとは他の京子名義の土地の管理なども誰の手も借りずに一人でしていたのだ。それから田畑を貸している者つまり借主さんと、毎月のように交流をしていた。そこでは、その田畑で採れたものをはじめたくさんの食材を使い交流を深めていたのだった。そんな社交性のある京子が突然いなくなったことを可笑しいと思ってもらえることを京子は一人願っていたのだ。
この京子がそれらの農地を貸していることすらも知らない陽子は、自分の邪魔者がこの世から排除出来たこの日を祝っているかのように、京子の長男である健太とシャンパンで乾杯をしていた。
まだ入院一日目の京子は、夕食を迎えていた。昼食後飲まされた薬が可笑しいと思った京子は、夕食後に飲まされる薬を拒否する事にした。そうすると、看護師から「もっと処遇が悪くなるから」と脅されてきたのだ。もうこれ以上悪い処遇はなかったが「この保護室から、薬を飲まないといつまで経っても出られない」と言われ、否応なしに飲む事になった。この一件は、翌朝主治医である山下に報告され、昼食後から更に強力な薬を飲まされる事になってしまった京子であった。この病み市場病院からの脱出を夢見る京子は、二日目もなにも出来ずに過ごし、不安な一夜を過ごしていた。
京子は、この保護室から一歩も出る事無く過ごしていた。やっとこの日、この個室から出て、保護室内にあるお風呂に入る事となった。そこで初めて歯磨きも出来たのだ。その時に、京子が愛用していた歯ブラシや歯磨き粉を目にした。その瞬間に、陽子が家の中に侵入したことがわかったのだ。その後、風呂場で渡されたシャンプーやコンディショナーを見て、京子が使用しているものであったことに、更に陽子への怒りがこみ上げてきたのだった。陽子は洗面所だけでなく、風呂場にも入り、どれを京子が使っているのかまでも確認していたのだった。勿論、買い物に連れて行ってもらっている際に購入する事もあったが、特に毎回同じものではなかった為に、どれを購入したらよいのかわからなく、風呂場に入り確認したのであろう。そんな陽子の行動がすべて気持ち悪くなっていった。
こうして京子の精神状態は、薬の相乗効果もあって、更に悪化していったのだった。このような事が、今の日本で実際に起っていることとして捉えると、恐怖でたまらなくなっていたのだ。
それから、入浴日以外で京子のいる保護室から出られる日がきたのだった。あれから、毎回飲まされる薬を看護師のいう通りに飲み続けていた京子は、その甲斐あって数時間であったが、この個室から同じ病棟内ではあったが、一般病棟の公衆電話のあるところに出されたのだ。しかし、入院したあの日に、すべてのバッグを奪われてしまい所持品や所持金もなかったのだ。一円もない京子には、目の前にある公衆電話からも電話する事ができなかった。というよりも、そもそも、京子の処遇は、電話を使用することも禁止されていたのだった。例え、ここに入院している他の患者にお金を借りてかけたくっても、かけられない処遇となっていた。どうしても、外部にSOSを発信したい京子であったが、一時的に出されていたこの日は諦める事にした。
そんな時に、入院患者の翔子と出会った。
この翔子は、誰がどう見ても病人とは思えなかったのだ。会話もまともであり、日常生活も難なく出来るようであった。鬱でも躁でもなさそうであり、訳ありなのだと思ったが、話しのわかる人に聞いてもらいたくなった京子は、現状を聞いてもらうことにしたのだ。京子は、生い立ちなどから話しだしていた。そして、夫が亡くなり一人になったことなども・・・・・・。
そんな時に、長男健太と同世代の患者を目にした京子は、更に子どもの事や孫の事など話した。長男の健太が結婚をして、嫁陽子と同居が始まり、それ以降健太が今までより変わったような気がしていると京子は付け加えた。嫁陽子は、料理も洗濯もしないで、すべてを京子に甘えていたのだ。若い嫁ならいざしらず、何も出来ない嫁を一日中見ていると、気が可笑しくなった事まで話していた。料理を作ることが嫌ではなかったが、食費くらい出してほしかったと翔子に言った。結局、息子たちの家政婦になっている事に腹が立った京子は、健太に「少し食費をいれて」と金銭の要求をしたと京子は話した。
翔子は、そもそもなぜ同居に応じたのかなど聞いてみたが、京子一人では心配だからという健太の体のいい言葉が嬉しくなり、同居に応じたと自分の事を反省するかのように話した。この嫁陽子は、家事を全くしないで、午後から短時間パートに行っていただけ。その後も、子どもにも恵まれなかったが、やっと第一子ができた頃、別居を決断する事にした。その時「出て行って」と言ったが、なかなか応じない健太たちに、しびれを切らした京子が、家を出ていく事にした。それほど最後は嫌になっていた事や、それまで一緒に暮らす中で、京子はこの不審だらけの陽子に、何かされるのではないかとただ不安であった事など、初めて出会った翔子に具体的に話しをした。そんな中で、信頼できる二男の雄太か妹の康子にこの現状を伝えたいと言ってきた。
何かこの二人には、目的があってこの家に居座っている気がすると、雄太に心配されている事など翔子に伝えた。それから、現在怖いと感じた健太と陽子から離れ、別居している事、そしてあまりこの二人に関わらないようにしていると京子が言った。
現在、この二人は五十歳をまわっているのに、とても誠実とは言えない対応に対して、不満を京子は募らせていた。頼れる雄太に相談するようになっていたが、最近、雄太が忙しくなっていた為、ここ一カ月の気になった陽子の言動の話しまでは、出来ていなかったと翔子に話した。最近の京子のことを知らない雄太は、突然陽子に入院させられた事実を知らないままであり、助けを求めたいが、どうしたらいいのかを翔子に尋ねていた。
翔子は自ら何の病気でもないことを話しだした。ただ、所謂毒家族のような者より、強制的に入院させられてしまったと言った。病気でもないのに医療保護入院させられている翔子は、世の中こんな事があってはならないと切に願っていたのだ。この世の邪魔になる者を排除する言い方を変えれば闇に葬ればいいというこの考え方が、正当であり通用するということが間違っているのだ。この世の過ちを糺したいと願う翔子の気持ちを、京子は悟った。
このように正しく生きている翔子を信じた京子は、とにかく二男の雄太に連絡が取りたいと言った。しかし現状、この院内における京子の処遇が、誰にも連絡も接触もできなくなっており、おまけにお金も所持していない現状ではどうする事もできなかった。その為、看護師に雄太と連絡を取りたいと訴える事を勧めた。聞いた中で、翔子が一番気になったのは、陽子の豹変した態度であった。どういう気持ちで、この病み市場病院に強制的に入れようとしたのか?そんなことを真剣に考えている翔子は、逆に陽子に心の病みがあるのではないかと探ってみようとしたが、この日は再び保護室に戻らないといけない時間に京子がなり、翔子とここで別れる事となった。
京子は、翔子に言われた通り、薬を飲まないようにした。病気でない者が、薬を飲まされるということは、病気に見せかけたいという心理のもとに行われる行為であり、最大の目的として病気にさせたい訳がそこにはあり、故意に飲ませようとしている事が読みとれるのである。このような現実を未だに理解できない京子であったが、精神科の病み市場病院では、横行している事実を翔子に告げられていた。
京子はその日の晩、もしかして長男の健太と陽子が共謀したのではないかと考えるようになった。そんなことを考えると我が子であっても信頼できないと思うようになっていた。
京子はこうして三日間一時一般病棟に保護室から出ていたが、この間翔子には合わなくなり不安を募らせていた。しかしこの時、京子は気付いていなかった。翔子に言われた通り、薬を飲まないようにしていたつもりであったが、時はすでに遅くあり、もうこの時から京子の頭の中の回路が、薬によって変えられてしまい看護師からいただく薬を絶対飲むものと思い込まされていたのであった。
こうして、短期間で京子の思考回路を変えられそして薬によって操られるようになっていったのだった。この時は、薬を飲ように支配されていただけであったが、この後京子はだんだん正常な判断ですら、出来なくなっていたのだった。
三日後、一般病棟に移った京子を翔子は見つけた。声をかけたが、京子は翔子のことを忘れていたのだ。翔子は、まだ元気で生き続けたいと思っていた時の京子のことを覚えていた。そして、ここに入院させられた陽子という女性の口から出た世にもおぞましい言葉を、京子から聞いた事も翔子は覚えていた。しかし京子の勢いがあの時とは変わっており、手助けしたい翔子であったが、本人の京子がそのつもりなくこの病棟内で溶け込もうとしており、ここから出る気すら感じられなくなっている姿を見ると、打つ手がないと思うようになっていたのだ。
この時、京子の心理的な変化については、もう自分では気付かなくなっていたが、身体的な変化には自分からいうようになっていた。京子は入院させられた時より、八キロ体重が落ちてしまっていたのだ。高齢の域に達している京子にとって、この年での体重減は元に戻すことが大変で、一気に痩せた事で見るからに老婆化へと変貌してしまったのだった。
こうして、誰が見ても病気風であると思われてしまうようになった京子は、ここで体重を増やしたくなっていた。しかしここで与えられる食事以外の食べ物はなく、日に日に痩せ細っていく京子であった。京子は、この見た目のことだけは、この時看護師に訴えてはいた。そのことを看護師が医師山下に伝え、それが陽子にも伝えられ、この頃から差し入れが届くようになっていった。勿論この差し入れといっても、お金の出所は京子であり、陽子は京子の為に惜しげもなくこの時は持ってきていたのだった。
陽子から届く差し入れを喜んで食べるようになっていた京子は、飲まされる薬によってだんだん陽子がいい人に思えるようになってきていたのだ。まだこの時は、京子の処遇は面会もできなく誰にも電話もできなかった。このような状況になっても、京子はたまに信頼できる雄太の事を思い出していた。
そんな時は突然起こり、看護師に対して「雄太に連絡を取って」と急に思い出したかのように言うのであった。そう言いつつも、さっき何を言ったかもすぐに忘れてしまう京子のことを、看護師は適当にあしらっていた。
こんな変貌しだしている京子の事を不憫に思う翔子は、今なら間に合うのではないかと、必死に何か手立てがないか考えていた。そんな時、翔子の入院病棟が、変わる事となり完全に何も出来なくなってしまった。現状京子は、あの独居房のような保護室から解放された喜び、そして少しずつ陽子からの差し入れをいただきだし、あの鬼嫁ともいえる陽子であっても今の京子には、陽子しか頼れなく、ここで陽子のことを否定してしまえば、死ぬまでこの世界から出られないのではと思い、看護師はじめ医師山下のことを信頼するようになっていた。
翔子は心残りではあったが、本人の京子がこんな気持ちを持っているのならどうする事もできないと思い、この日の午後この病棟を後にした。
翔子は他の病棟に移ってからも、京子の事が心配でならなかった。その移った病棟は、更に閉鎖病棟で面会者もかなり少なかった。以前の病棟の面会者が、一日平均二十人来ていたとしたら、この病棟には、五人程度の面会者であった。面会者が来るスパンは、多くて一週間に一度程度であり、少ないと一カ月に一回ないし三カ月に一回など様々であった。この翔子が移った病棟には、このように長期間この病棟に住み着いている人が多くいた。
そんな隔離病棟では、すでに家族を失い一人では生きられない障害のある方など本来の精神科で扱わないような人も、行くところのない人は、この精神科の隔離病棟に閉じ込められていたのだ。おそらく、この病み市場病院しか受け入れてはもらえず、完全に人間として邪魔者と思った者を、この中へ送っているように思えたのだ。薬を飲み続けていると、勿論逃亡したいという思いも本人たちも起らず、常時この病み市場病院に、こういった患者がいるおかげで病院にとっても、一定の利益が見込めるようになっていた。この当初いたはずのご家族にとっても、この病み市場病院にとっても、ウィンウィンの関係であったに違いないのだ。
この市場においてこの患者の存在は有り難く、薬の副作用などの判断が出来ないこういった患者に、長期間薬を飲ませ続ける事で、更に製薬会社からの恩恵も受けられる形となっていた。その為、多くの精神科では、多すぎる薬をふんだんに出し、本当の意味で薬が手放すことができない患者を増やしていくのが狙いなのであろう。この自立の出来ない患者の面倒を見ながら、病院経営も安泰という構図が描かれているのであった。
こういった薬の手放せない精神科の患者を多く見た翔子は、飲んだら安心するという患者に対して、何か薬以外のもので安心できるものを作ってほしいと願っていた。どんな薬でも副作用があり、その薬を手放せなくなっていた患者においては、もともと必要不可欠な内科の薬であっても、他に飲んでいた精神科の大量摂取の副作用の影響で、だんだん効きが悪くなり、とうとう飲んでも聞かなくなってしまったのだ。薬は飲んだということで安心感を得られるかもしれないが、薬の効果というよりも、安心感を得たいならば、法にも触れず副作用の全くないラムネのような薬風があってもいいのではないかと思っていた。
人間はこのように、薬においても依存症となり、それが手に入らないだけで不安となり、更に症状を悪化させるのであろう。こんな不安感に陥る人間に対して何か施したくなっていた翔子は、出来る限り温かく声をかけていたのだ。
その頃京子は、頻繁に洗濯物を取りに来るようになっていた陽子のことを、この病み市場病院においては、いなくてはならない大切な存在として見るようになっていた。まだ面会は誰とも出来なかったけれど、保護室よりも待遇のいい一般病棟にいられる事が嬉しく、他の入院患者と楽しく過ごしていた。
すっかりこの時は、毎日のようにしていた畑の事も忘れてしまい毎月のようにしていた交流会のことも忘れていた。全く誰と付き合っていたかも知らない陽子は、京子の携帯電話から、情報を得て相手にいけなくなったことなど勝手に連絡していた。それでもこんな事になっている現状を、二男の雄太に連絡を健太もしなかったのだ。それでも、京子は健太の選んだ陽子を悪い人間とは思えず、いつかここから出してもらえる為に、陽子との関係性を壊す訳にもいかず、良好であるかのように医師山下との診察がある時でも、何も文句や処遇に対する不満一つ言わずに、ただの流れ作業に付き合っただけであった。
翔子がある事を思いついた時に、一般隔離病棟にいる京子が看護師に「午後になったら翔子のいる隔離病棟にいく」と言われた。京子は、逆らう事を忘れており、ただ言う事を聞く方が利口であるのではないかと考え、反抗もせずただ身を委ねた。
そしてその日の午後、京子は手荷物をまとめ、翔子のいる隔離病棟へとやってきたのだった。この時、処遇が変わり面会だけが可能になった。けれども、来てくれる人は京子が入院していることを知っている人だけであり、待てど暮らせど雄太や郁美は来てくれなかった。それだけでなく、健太も一度もこの病み市場病院に来た事がなかった。その時、翔子の姿を見た京子は、うろ覚えの記憶に残る翔子に声をかけてきたのだ。
翔子はこの京子のことを何とかしてあげたいと思い続けていたが、ついさっきまで何の接点のなかった事もあり、半分諦めていた時に、京子から呼び止められた。覚えてくれていたことが嬉しい翔子は、どうしたいか京子に聞いてみた。すると京子は、雄太と康子に現状を発信したいというのであった。それまでも、何度となくこの事を看護師に言ってきたが「連絡先は」と聞かれ「わからない」というと「それならば無理」と相手にもしてくれなかった。この病み市場病院に来て一カ月経ったけれど、京子の願いは届かないままとなっていだ。その思いを受けた翔子であったが、自ら電話の発信や受信すら処遇により、できなくされていた京子にはもはや打つ手もなかった。
そんな中で、事態は動くことになった。一週間が経った頃、ようやく雄太に連絡してもいいと言ってくれた。しかし、連絡は健太からすることになっていた。どういう風に健太が雄太に話すのかわからなかったが、現状京子は病人しか見えず、このままでは本当の事が話せても、理解をしてくれない可能性があるのではないかと、翔子が心配していた。ここにきて、雄太が来てくれることになるが、未だに健太がこの病み市場病院に面会に来ることがなかった。
その連絡を受けた雄太は、京子の事が心配になり、平日で仕事があるのを休んで、雄太だけでなく郁美や将太や由香までも来てくれたのだ。京子に会いに来る前に、雄太たちは担当医の山下と話しをしていた。おおまかなことを聞いていた雄太たちは、何も京子の姿に一切驚かずにいた。京子は、直前まで翔子と話す内容を練習していたが、いざ会いたかった雄太たちを目にした時、ホッとしてしまい、陽子に強制的に連れてこられたという一番話さなければならない事を、すっかり忘れてしまっていたのだ。最後になっても、将太や由香が抱きついて来て、更に嬉しくなった京子の頭には、あれだけ話したかったことだったのに、すべて記憶が飛んでしまっていた。
結局、このチャンスさえも、いかせなかった京子は、しょんぼりとしていた。そんな京子は、突然健太も一緒に来てくれると思っていたが、疚しいからか、来てくれなかったと翔子に呟いていた。これを聞いた翔子は、宗教にのめり込んでいる陽子一家の単独犯ではなく、健太も共犯である事が喉から出そうであったが、その言葉を飲み込んだ。
来月になると来てくれるかもしれないと思っている京子には、とても翔子の口からは言えなかったのだ。
そんな時、少しお小遣いを持たされるようになった京子は、公衆電話に近づいているだけでも、看護師から可笑しいと思われていたのにも関わらず、咄嗟に電話をかけたのだ。そのかけたところが悪かった。薬漬けにされる中で覚えていたのは、かつて爽太と結婚して以来住んでいた吉田家であった。四十年もの間住んでいたこともあり、その電話番号だけ覚えていた京子は、天敵のいる陽子に電話をしてしまったのだ。あの恐ろしい陽子が聞く電話口に向かって「あんた何してくれたの?」と言ってしまったのだ。
それ以降、事態は一週間動くことはなかった。陽子からお小遣いを貰っていた事もあり、病棟内にある洗濯機と乾燥機で洗濯は可能になり、京子はそこで自分でするようになっていた。その為、特に洗濯物を取りに来る必要のなくなった陽子は、ぱったりとあの電話以来、来なくなったのだ。しかし陽子は、病み市場病院の山下のところには来ていた。勿論、陽子自身の更年期の薬のこともあったが、京子の今後のことについて、おおかた訪れていたのだ。
経営者としては、メリットの多い有料老人ホームに早く入居してほしい想いは山々であった。それでも、まだ現状の京子は、入居するには年齢的にも若く、更に一人で何でも出来る現状であり、どうしても軽度の認知症と思われるような言動にしないといけなくなった。こうして、あの電話事件直後から、京子の薬漬けの量が一気に増えていったのだ。そして一週間後の今日、京子はこの日を迎えてしまったのだ。
京子は、朝食後に来た人たちにただ「はい」と言い、迎えに来てくれるまで待つ事になったが、返事をした一時間頃から京子は「とんでもないことになりそう」と不安を過らせていた。その言葉を聞いた翔子は『有料老人ホーム』とは一切思わずにいたが「どこにいくの?」と京子にいくら尋ねても「わからない」と返ってきただけであった。京子はこの時、一時間前の話しも覚えられなくなっていたのだ。自分の行くところでさえわからない事もあり、更に不安が募っていたようであったが、これは陽子と山下の策略である為、こうして上手く罠に嵌められてしまったのだ。
京子は、この日の午後から病み市場にある有料老人ホームに入居した。ここは、病院ではない為に、食事もよくなっていた。ここでは、京子の病気に対して配慮した食事が出されることになり、食事に満足した京子は、不満や怒りを忘れる生活が始まっていた。
京子を病み市場の世界に連れてきて、二カ月程で最終目的地に到達した陽子の本当の理由は、自分の更年期治療をする為であったのだ。しかし天敵とも言える京子の事が憎くなった陽子は、この京子が自分のガンとなる人なのでどうにかしてほしいと山下に相談していたのだった。そんな陽子のことに対して、更年期の薬を処方する事にしたが、その一方でこの山下はある提案をしてきたのだった。
それが、京子をこの病み市場病院に入院させることであった。
病院であれば、永くとも最期まで、診療報酬という形での収入だけとなる。しかし、この病み市場病院では、系列に病み市場有料老人ホームを経営していたのだ。この有料老人ホームでは、勿論お金を持っている人しか入居できず、そこではお金を持っている人を常に探していた。陽子の願いである『京子をどうにかしてほしい』という思いがここで通じる事になるのだった。これは、正しくウィンウィンの関係にあたり、陽子にとって何らこの考え方が可笑しいともとれなくなり、それよりも、この提案をしてくださった山下のことを師匠とでも仰ぐように従う事にしたのだ。
山下師匠の仰る通り、この策略は決行されることになった。勿論、京子の長男である健太もこの計画については、わざわざ病み市場病院を訪れ、山下の口から説明を聞いていた。我が子にこんな扱いにされる京子のことをこの長男である健太は、どのように思っていたのであろうか?
京子は、この病み市場病院に入って以来、健太の顔を一切見てはいない。この陽子と山下との策略に、なぜ我が子である健太が乗ってしまったのかについては、未だに疑問が残るが、京子は翔子に言っていた。翔子がまだ元気だった京子から聞いた話では、お金に対してこの健太と陽子は汚かった。だから、京子が死ぬまでに、今ある資産を使われないようにしたかったのだ。この時、まだ亡き爽太の退職金でさえも、残したままであった。
それから京子の入院後、不法侵入まがいで自宅に入り放題になった家の、荒探し兼宝探しを健太と陽子は繰り返していた。そこで見つけた権利書を、自分たちが住む吉田家に持ち帰り、ゆっくりと確認していた。京子が十年ほど前に建てた新居の資産価値や、田畑などの資産を、健太独り占めにしたかったのだ。それだけでなく、今も住み続けている吉田家の実家の建物と土地も、健太が住み続けている以上、二男の雄太は何も言ってはこないであろうと踏んでいた。
京子は、そんな健太たちに何度か「吉田家から出ていけ」と言った事があったが、やはりそこには裏があったのだ。雄太は自分たちの力だけで自宅を購入して、立派に子どもたちを育てていたのに、それに比べ、常におんぶに抱っこのままの健太を想うと、雄太と平等でない事が申し訳なく思っていた京子であった。
それでいて、この陽子たちが京子を勝手に入院させ、都合よく自分たちが京子の世話をするから、京子の資産は自分たちがすべてもらうとでも言いかねない。あくまでも、この病み市場病院入院前までは、兄弟仲良く折半を望むつもりであった京子だったが、今となっては健太に対する温情もわかず、本当の気持ちは、すべて雄太にやりたい気持ちでいっぱいであった。そんな気持ちがもしかして、垣間見れたのかわからないが、その前にこの仕打ちを健太たちにより与えられてしまったのだ。
京子は、我が子である為に、どちらの子どもも可愛かった。それなのに、我が子が憎いと思わないといけないことをされてしまった京子は、角を隠して半世紀経った今、我が子に対して鬼となり、ここで角を生やしてしまったのだ。
この怒りを抑えられない京子は、翔子に今までの事を必死に話しだした。そんな中で、ふと健造の遺志でもある農薬のことも一緒に話した。それだけでなく、健造でも知らないもっと恐ろしい農薬は、今なお使い続けている事を話していた。農作物を販売する上で最も信頼されているところであっても、農家の人に無理矢理『この農薬を散布しろ』と命令しつつ、農作物を作らせている例もあるとのことだった。
この世においては、すべてが、この病み市場のように何でも墓場まで持っていく話しは、山のようにあるのだ。けして、ある国だけが洗脳国家であるかのように伝えられているが、実はどこの国でもある話しである。勿論、今あなたが住んでいる国でも、起っているこれらの話しは、架空の世界の話しでは残念ながらない。こうした恐ろしい病み市場を作り、不要な人を葬り去るこの世が可笑しい。しかしそれをよき事と肯定しつつ、国家はこの病み市場を利用して、何でもお金の力でねじ伏せてしまうのだ。
この現状を知った翔子は、何とかしたかったが、この時すでに病み市場病院から、病み市場有料老人ホームに行く事を京子自ら「はい」と返事をしてしまっていた。『はい』と自ら了承してしまった京子は、後になって不安に陥っていた。その会話の一部始終を聞いていなかった翔子は、京子の同室の者から、後になって聞かされた。
まず、先方の有料老人ホームの方が挨拶をし「午後からこちらに移っていただきます」という説明後「よろしいですか?」と聞かれた京子は素直に「はい」と返事を促されてしたことを・・・・・・。
京子は、この時飲まされていた薬によって、正常な判断が出来ずにいた。咄嗟に聞かれた事に対しては、すぐに素直な性格もあり何でも「はい」と言ってしまうのだ。これを利用した陽子と山下は、策略通り決行に移したのだ。翔子はこの異変に気付いたが、その時がくるのを、ただ待つのみとなってしまった。
こうして何も出来ない翔子は、京子の後姿を見送った。この時、どこに行ったかわからなかった翔子に「有料老人ホーム」と京子の同室の者が呟いていた。その時初めて、この同室の芽衣子と翔子は話したのだ。芽衣子は京子の嫁の陽子に対して、不審な点があったと言う。それは、こんな短期間の入院であったのに、数々届けられた新品の洋服。どう見ても京子には少し派手気味の服装であったが、どんどん惜しげもなく届けられたのには、訳があった。
この病み市場病院に三年ほど入院していたこの芽衣子は、一部始終この院内で行われていたことを目にしていたのだ。ここで薬漬けにされた人にはわからないが、この芽衣子は薬を飲まされてはいなく、自ら任意で入院してきた者であった。その為、薬の強要はなかった。ただこの三年で、おぞましい悪魔のような世界を、目にしてきた。
ここに、医療保護入院を無理矢理された人の中で、お金を持っている人は、その間に薬漬けにして脳内の記憶を消し、今が一番いいと想わせるような処置を司っていくとのこと。例えば、看護師の言う事を聞くようになったら、看護師は必要な人であり、あなたにとって大事な薬をくれる大切な人と思わせるのである。その為、京子が言う事を聞くようになって以来、疑う事すら忘れてしまった京子は、薬を素直に飲むようになっていた。そうなったら、こっちのものとばかりに、病み市場有料老人ホームの斡旋をしてくるのだ。
そこでの入居費用はかかるが、それ以外は、あなたの物になるという説明を受けた陽子は、今後京子が生涯使用するお金が、最高でもこの金額とはじき出されていた。もうこれ以上、勝手に使われる心配がなくなった陽子たちは、すべて自分たちのものにしようと決めていた。どちらかと言うと、長い付き合いのある二男の嫁の郁美の方が、陽子よりも可愛いという想いがあることをわかっていた健太は、相続になった時に不利になると思っていたのだ。もしかして、今後京子が遺言書を準備するかもしれなく、まだこの準備すらしていない今が決行に移す時であると確信した陽子たちは、病み市場に葬ることを決断したのだ。
翔子が芽衣子から聞かされたことは、まず不審に思った洋服のことだった。この病棟内ではよくあるらしく、その対象者に少し若めの服を用意するのは、後に必要でなくなった時に、自分が着ようと思っているからということであった。すべてこの間に与えられている物は、計画的に購入されていたことだと知った翔子は、納得したのだった。
芽衣子は、物忘れの激しくなる前の京子の事をしらなかった為、本当に病気だと思っていた。この時翔子は、陽子という嫁に『ここで殺してやる』と言われ、この病み市場病院に連れてこられたことを話した。それに続き、京子から聞いたこの病み市場病院に入る二週間ほど前のことを、翔子は芽衣子に話した。
京子は孫の京香を小学校まで、迎えに行ってほしいと陽子に頼まれたと言った。その日は、特に陽子がパートに行っている日でもなく、単に用事があるのであろうと思った京子は、何ら不審に思わずに、迎えに行ったということだった。しかしいつもなら、前日にはこういったお願いの連絡が入っていたが、この日は当日の十時頃であった。特に用事のなかった京子はその電話で「いいよ」とだけ言い、京香を小学校が終わる時間を見計らい、自宅から自転車に乗りながら行ったとの事だった。自転車を駐輪場に置いた京子は、京香の待つ教室へ向かった。京香の担任の先生とは、顔見知りになっていた京子は、先生から京香を引き取り、京子の自宅へ自転車を押しながら共に帰っていった。
それから陽子に指示されていた通り、まずは学校の宿題を終わらせて、陽子が迎えに来るまで、京子は京香と一緒にリビングで遊んでいた。一時間くらい遊んだところで、陽子が迎えにきた。陽子は、鍵のかかっていない玄関から、そのままリビングに入ってきた。「帰るよ」と陽子が言った後に「おばあちゃんといたい」と京香が言ったその瞬間に、一緒に遊んでいた京子から京香をいきなり奪い去り、ソファーの上に京香を仰向けにして、陽子はその上に馬乗りになり、きちがいのような罵声を京香に浴びせていたのだった。
この現場を修羅場のように思えた京子は、その時これ以上京香が不利になるような事をしたくない気持ちもあり、少し陽子が冷静になるのを待った。その時京香は、馬乗りにされた状態で「おばあちゃんの方がいい」と必死で叫んでいたのだ。このような虐待事件が起こってしまったのはきっと、この陽子の年齢から推測すると、更年期の症状であり、陽子の方がこの病み市場病院に入院すべき人と、翔子は芽衣子に話した。
この恐ろしい陽子の言葉を聞いた翔子は、京子の目の前では言えなかったが、我が子である健太も共犯であり、確信犯であることを芽衣子に伝えた。逆に資産がある事で、このような事に巻き込まれた京子を何とか救いたいと思っていた。まだ病みではない娑婆世界で生きられたはずの京子は、病みに葬られる事になったのだ。
翔子は芽衣子に言った。
陽子はなぜ、このような犯罪めいた事を強引に起こしてしまったのかというと、現在ある京子の保有する資産を、すべて知り具体的な金額で表したかった。そこで、はじき出された金額から、京子の余命にかかる金額を差し引き、それ以外の資産をできるだけ二男の雄太に取られないようにするには、陽子が京子の面倒を見ているフリを演ずることが手っ取り早いと考えたのだ。これにより、雄太たちは面倒を見ていなかった後ろめたさから、すべての財産を放棄してくれるに違いないと考えたからなのであろう。
まだ、京子が死んでもいないのに、いきなり相続を想定してここまでのシナリオを陽子は描き上げていたのだ。いや、もしかしてこのシナリオは、すべて病み市場病院にある規程集に書かれていたのではないだろうか?その規定集に則り精神科医山下は、独居房同然の保護室に入れたのだ。もしも、ここが独居房ならば、京子は冤罪によって入れられているという事になる。この地下十三階にある病み市場には、悪魔が存在しているのであろう。
陽子はここにいる悪魔によって導かれ、京子をこの病み市場の餌食としたのだ。
すべての構図の見えた翔子であっても、助けたい気持ちはあるが、それでも未だに助けられてはいない。精神科では、こういった強制的に入院させられる事は、珍しくなくこれらの不当な扱いに対して、精神保健相談を各地の弁護士会が対応している。しかし京子の場合、担当医山下から与えられているこの病棟内で行える処遇が、最後まで電話は不可であったのだ。その為、翔子が京子に代わって弁護士会に電話をしたが、京子本人からの依頼に限ると言われてしまいどうする事もできなかったのだ。
今では、京子は病み市場有料老人ホームに入居し、なぜそこに入る事になったのかさえわからないまま穏やかに暮らしていた。
こうして角隠しに隠れていたはずの京子の鬼の角が、怒ることを忘れてしまった今、すっかり折れてしまっていた。
毎日のようにこの病み市場では、自分の手を汚すことなく、自分の望みを叶えてくれる場所として在り続けている。殺したいほど憎い相手でも、こうやって、病みの力で排除できるのである。実際に、起こした陽子の行動は、巧みな言葉で京子を連れ出し、この病み市場まで連れてきただけであった。この行動を起こせるあなたなら、いずれ死者となるこの京子のように葬り去ることができるはず。
こんな病み市場の世界は、あなたの住む街の地下十三階で、京子のようにそこから這い出ようとする手が、あなたの足を探しつつ、あなた帰りを待っている。
この陽子という女性は、ある人物のことを相談にきていた。この話しの内容からすると、義母つまり姑のことのようであった。この年恰好からして、当初、本人の相談ごとのように勝手に思い込んでしまったが、どうやら違うようである。ひたすら、陽子の姑の名である『京子』を連呼していた。この二人のことが気になり、まず、陽子が連呼していた京子という者を探りたくなった。
陽子が相談していた京子の事であるが、現在年齢七十代半ばであった。京子は、この尾張の農家で生まれた。背格好もこの年齢だと普通くらいで、農家の出身だけあって働き者であった。京子の家族として、当時祖父の春造、祖母の春子と父の健造、母の咲子と兄の修造と姉の綾子そして京子の下に妹の康子がいた。総勢八人で暮らしていた。
春造を中心に咲子が手伝い、毎日田んぼや畑をしており、健造は、会社勤めをしていた。勿論、休みの日は、農作業を手伝っており、その合間に、京子たちが健造に代わって少し農作業のお手伝いをしていたのだった。京子は、幼い頃から土いじりが大好きであった為に、手伝いも苦ではなかった。自分の畑で採れる農作物や米の出荷も大きくなるにつれ、手伝えるようになっていた。それだけでなく、こうして愛情をかけて育てた野菜などを食べられるこの生活を、この上ない贅沢な暮しであると子どもの時より想い楽しんできたのだ。
健造は、農薬の製造会社に勤務しており、農薬については詳しかった。戦前は、さほど農薬を使わなくても、出来た野菜であったが、だんだん農薬を使わないと出来なくなったと春造がぼやいているのを聞いていた京子は、売り物にしない自分たちでいただく野菜は、無農薬で育てていた。家族で食べるものは、多少の見栄えなど気にはしない。それよりも春造は、安全なものを孫である京子たちに食べさせたいと言ってくれていたのだ。
こんな思いを受け継いだ京子は、春造が病で倒れた後も、康子に無農薬に拘った野菜を食べさせていた。しかし、なかなか見栄えでは春造には勝てず、害虫に食べられ放題の野菜が出来上がっていた。そんな京子の思いの通じた野菜を、康子は「虫も食べたいくらい美味しいってことだよ」と言い、喜んで食べてくれていた。
京子は康子より四歳年上で、仲良しだった。しかし、上の修造と綾子とは食べ物の事で揉めることも多くあった。修造は長男としてこの農家を守ると言い、その後農業大学へ進学した。綾子は、地元の高校を卒業して、一般企業の事務員として働きだしていた。その頃、京子は高校の部活でバレーボールに夢中になるほど一生懸命練習に励んでいた。その結果として、いつも学校の帰りにはお腹を空かせていたのだ。ふとそんな時、京子は春造の言葉を思い出していた。
代々農家を営んでいた春造の家でも、米の不作の年があった。その年は、食べるものに困るほど酷かったらしい。それならば、悪天候続きでも農作物として収穫可能なものを植える事にした方が、利口であると思った春造は、さつま芋を空いたスペースに植えようといい、常備野菜として植える事にしたと京子は聞かされていた。そんな常備野菜は、今も毎年植えられていた。咲子に、昼食用のお弁当を毎日作って貰っていたが、それだけでは足らないと言う事も恥ずかしかった京子は、さつま芋を蒸かして部活後用に持っていく事にした。これこそ、常備役であろうと京子は嬉しそうに康子に話していた。
康子は、京子に優しくされ末っ子らしくいつまでも甘えん坊であった。とても性格のいい康子は、正義感も強かった。京子を見て育った康子は、要領も良く常に修造たちにいじめられる京子のフォローを、角が立たないように上手くしていたのだった。同級生だけでなく、すべての者に対して正義感のある康子は、中学生の時生徒会長をしていた。そんな甘え上手且つ行動力のある康子に支えられ京子は、部活動に専念できたのだ。
それから、高校を卒業した京子は、協同組合の職員として働きだした。そんな京子の同じ職場で後に結婚相手となる吉田爽太と出会った。爽太は、四歳年上の同僚であった。爽太の実家も田畑があった。入社して五月になる頃、実家の手伝いで苗を植える事になっていた京子は、その付近にある休日に爽太からお誘いを受けたのだった。その時、咄嗟に用事があるというつもりであったが、田植えがあると素直に応えてしまったのだ。そこで意気投合した爽太は、お互いの田んぼに苗を植えあうことにしたのだ。想いもよらない五月の休みとなり、かなり親しくなっていったのだった。
それから、三年が過ぎた頃、修造と綾子がそれぞれの伴侶となる人と出会い結婚をした。修造がこの農家を継ぐ事になり、小姑にあたる京子は実家が居づらくなり、この実家を出る事にした。勿論、行きつくところは、爽太の実家であった。この時すでに、婚約中であった京子のことを逆に来てくれるのをまだかと待っていたほどであった。嫁という立場の京子であったが、実家よりも温かい居場所を見つけた。一日でも早く、爽太の側に行きたくなったのだ。
爽太の家族は、真面目で思いやりのあるとてもいい家族だった。京子の家族も仲は良かったが、お嫁さんを大事にしており、明らかに待遇が悪くなっている事に気付いた。それならば、この機会にと思い、実行にうつしてみた京子であった。
はじめて吉田家の一員となり、わかった事があった。それは、出荷されている野菜がたくさんの農薬に覆われていることだった。勿論一般に販売されている農薬であるので、使用不可ではないが、春造ができるだけ農薬を使わないように育てていた野菜とは違うものだった。春造は、自分たちが育てた野菜を購入者に対して裏切れず、更に安心して食べていただきたいという想いで育てていた。天然成分だけで害虫よけができないかなど、健造と共に四苦八苦して育てていた心にはたくさんの愛情があった。
そんな想いをこの吉田家には、微塵も感じられなかったのが、とても残念な京子であった。しかし、恐らく無知である為と思い、京子は健造から教わった化学農薬や化学肥料のことを話す事にした。
これら化学の力にはメリットがあった。しかし人体に無害ではないこの化学の力を、自然界によって今まで育て上げてきた土壌に使用するという考えが、いささか可笑しいと健造は思っていたのだ。どれだけ安全であるのか知りたく入社した会社であったが、答えとして無害ではないことがわかったのだ。
どんな生き物であっても、生き抜こうとして生まれ、そして子孫を残そうと必死であるのだ。そんな生態系に割り込むように、君臨したのが人間である。人間以外の生物は、もっと前から生存していたのだ。だからこそ、その者たちへの思いを敬い、そして長く安全な土壌を守ってきた生物たちに感謝をしなければならない。それなのに、感謝どころか行き場を無くし、勝手に害虫とされてしまった。逆に人間が害虫の立場であったなら、どう人間のことを想うのであろうと、京子は切に話していた。その心に届いた爽太は、出来るだけ農薬を使わないように栽培を考える事にしてくれた。
現状、人間よりも下の中等の域にいる生物や、下等の域にいる生物が増えているのであるのならば、これも自然の摂理によって人間の生まれ出るところが減らされている事になるのだ。だから、現在人間は自然の摂理に従って生まれにくくなっていることがわかる。
それに反して、我が子をどうしても授かりたいという人間の欲はいかがなものであるのか?こうした微生物といった小さな命を奪い、逆に人間が生まれればそれでいいというのであろうか。そんな考えでは、いずれお天道様も許してくれるはずはないと京子は、吉田家の人々に語っていた。
京子に悟られた吉田家の人々は、農薬散布の必要のないさつま芋に着目をした。京子もさつま芋が大好きであり、とても嬉しい気持ちになった。
今では、珍しくないが当時としては珍しい安納芋とこの旅で出合う事になったのだ。その旅が、爽太との初めての旅行であったのだ。まず鹿児島へ足を踏み入れた。さつま芋のメッカとして知られる鹿児島は、さつま芋の品種も多くあった。鹿児島で行った先の出来事だった。そこで、日本一甘い蜜といえる安納芋が、種子島にあると聞き、それから急遽種子島に向かう事にした。そこで出合った安納芋は、格別なものであった。しかし、当時安納芋は、この種子島しか栽培が出来なく、残念なことにいただくまでとなったが、一口食べた瞬間から蜜を感じ、高濃度の甘さが口の中に一気に広がったのだ。当時としては、こんなスィ―ツはどこにいってもいただけず、一瞬にして京子は、この安納芋の虜になってしまったのだ。種子島まで足を運んだのは、この安納芋と出合う為であり、この喜びは他では味わう事の出来ない贅沢な時間となった。この安納芋に惚れ込んだ京子であったが、この地に引っ越さなければ、栽培が出来ない現状を諦め、一般的に人気のある紅あずまを育てる事にしたのだ。
それから二年後、京子は爽太と結婚した。これを機に京子は、退職する事にした。その頃、康子は大学の医学部にいた。正義感の強かった康子は、自分の手で人を救いたいという志を持ち頑張っていたのだ。当時学費も安かった為、京子が入学金や授業料を支払っていた。それくらい康子は自慢の妹であり、京子にとっては誇りであったのだ。まだ京子が独身の頃は、京都にいる康子のもとへ、よく遊びに行っていた。
独身時代を満喫した京子は、やっと今日の晴れの日を迎えたのだ。康子は京都から結婚式に駆けつけてくれた。京子の友人は、折角購入した振袖を眠らせておく方が勿体ないと言い披露してくれ、その式に華を添えてくれた。
この日の出席者は、康子以外和装だった。康子は、動きやすさ着やすさ片付けやすさのどれをとっても、洋装に勝るものはないと言い、たった一人であったが、堂々とドレスを着こなしていた。京子の頭には、勿論角隠しが着けられていた。まだこの時には見えぬ角が、半世紀後に現れるとは、誰も予想しなかったのだ。妹想いの京子が、この結婚を機に起こる事になるとは、思いもしなかった。こうして親族や友人に祝福された京子は、この後幸せ街道を歩みだしていた。
それから仕事が一段落した頃、京子と爽太は種子島で安納芋をいただくという最大の目的を兼ね、新婚旅行先を九州にして、一週間かけ巡る旅にでた。九州には、至る所に温泉が湧いており、安納芋の次に楽しみな温泉を堪能できる事もこの九州を選んだ理由の一つであった。温泉卵や温泉まんじゅうを頬張り、食べ物も美味しくいただいた旅であった。
新婚旅行から帰った京子は、畑で農作業を忙しくしていた頃、第一子となる長男健太を身ごもったのだ。幼い頃から、畑を手伝っていた京子にとって、妊婦の身体でも平気だったようで、常に土に触れ大地の温もりとそしてお天道様の温もりに感謝していた。
京子が大好きな紅あずまは、ずうっと育てられていた。その収穫をしている時に、急にお腹に痛みを感じた京子は、爽太と病院へ向かった。慌てて行った京子の指先には、土がついたままであった。しかし健太は順調に下がってきて、やがて誕生した。京子は初産であったが、病院に到着してから二時間ほどの事であった。夕方になり、畑仕事を終わらせた義父や義母たちが病院に来てくれた。爽太の子である健太は、この吉田家にとっては、初孫であった。健太は、王子様のように育てられ吉田家の人々には、大変可愛がられていた。しかし二年後、二男雄太が誕生し、健太への愛情は今までの半分となってしまった。その悔しさから、健太は京子が目を離した隙に、雄太の顔に引っかき傷を負わせたり、まだ乳児であった雄太の上に乗ったりと、いじめていたのだった。目が離せなくなり、そのタイミングで健太は幼稚園に入る事になった。
表向きは仲良しに見えた兄弟であったが、後の雄太は康子に似て、正義感が強くそして多才であった。そんな雄太のことを、勝手に羨ましく想った健太は、兄弟であるのに一緒に遊ぶ事も次第になくなり、道端で会っても素知らぬふりをするくらい仲がいいとは言えなくなっていた。
それから、健太と雄太はそれぞれ成長をし、大学へと進学していた。雄太は、大学でもサッカーを続けており、運動にも長けていた。雄太には、高校生の頃から付き合っていた彼女がいた。それがのちに結婚する郁美であった。郁美は、高校生の頃から吉田家に、時間がある時はいつも来ており、京子には女の子がいなかった事もあり、郁美の事を我が子のように可愛がっていた。農作業もその頃から手伝ってくれていて、毎年出来たお米や野菜をお裾分けしていた。郁美の実家の親とも仲良しで、気心がしれた仲になっていた。
それに比べ、健太は一度も彼女を連れてきた事もなかった。実際、いたのかいないのかさえ京子はわからなかった。全く同じ環境で育てていても、健太と雄太は性格も異なり、少し風変わりと言われることもあるくらい健太は、たくさんの人に溶け込むのが遅かった。大学生になっても、案の定彼女の姿を確認したことはなく、健太は農作業を手伝わなくなり、一人部屋で籠ることが多くなった。学校のある日は、一応休むことなく通っていた為、京子もあまり気に留める事はしなかった。
健太は、念願だったエンジニアの仕事に就くことができた。細かな作業が好きな健太には、打ってつけの職業であった。社会人になった健太であったが、やはり今までと変わらず、女の影すら感じなくなっていた。この吉田家から健太は職場に通っていたが、仕事が終われば夕食は自宅で食べる生活をしており、今までと変わらない生活を続けていた。
一方、彼女のいる雄太は、郁美を連れて帰宅し、夕食をこの吉田家で一緒にとり、翌日も一緒に登校するといった半同棲の生活をしていた。健太は彼女のいる雄太のことを羨ましく思っていない素振りを見せながら、内心ではきっと違っていたはずなのだ。
雄太も社会人となり、会計士として働きだした。同い年の郁美は、銀行員になっていた。この頃には、二人の計画が立てられていて、三年後に雄太は郁美と結婚する事にしていた。こうして、着々と計画通り進めていく雄太は、健太より先に郁美と結婚する事になった。この時、まだ実家に健太がいたので、雄太は新居を購入する事にしたのだ。こうして先に、自立への道を歩み出した雄太であったが、特に資金面での援助もいらないときっぱり京子に断り、郁美との夫婦水入らずの生活を楽しんでいた。郁美は、今まで勤めていた仕事を辞め、専業主婦となった。日中、時間のある郁美は、車に乗り時々吉田家の畑を手伝っていた。今までと変わらない郁美が可愛い京子は、来た時には、毎回お昼を一緒に食べた。
それから、秋の実りも過ぎた年の暮れ、まだ若い郁美であったが、吉田家では初孫となる長男将太が誕生した。爽太は初孫が可愛くて仕方がなく、それ以前までは遅くまでしていた仕事も、雄太たちが遊びに来ていることを知ると、さっと切り上げ早帰りしていたのだ。勿論、同じ吉田家に帰ってくる健太もいたが、健太は夕食を済ませたら、さっさと部屋に入っていた。まだ赤ちゃんの将太を見ても、一度も抱く事はなかった。「子どもは嫌い」と京子に告げていた健太は、お正月も可愛い将太にお年玉をあげる事はなかった。立場的には、伯父になる健太である為、京子は気を遣い『健太からの分』としてお年玉を用意していた。これは、爽太には内緒で京子がしたことであったが、爽太にわかってしまった。なぜなら、健太に「お年玉ありがとう」と爽太が言ったからである。それまで全く知らなかった爽太は「これから生活費として入れてもらおう」と京子に言ったが、直接健太に言ってほしいと言われ、話しはそのまま翌年へと持ちこされた。
平和主義な吉田家には、また新しい命が生まれていた。今度は長女の由香だった。予定日よりも少し早く生まれた由香は、小柄な赤ちゃんだった。男の子とは違い力も弱く父親の雄太でさえ二人目だというのに、最初の抱っこは怖々していたのだ。しかし生まれてからの由香の成長は早く、日に日に大きくなり、見るからにプクプクした手足が出来上がっていたのだ。爽太は我が子として、女の子に恵まれなかったこともあり、由香の事を目に入れても痛くない程可愛がっていた。時には、仕事帰りに直接雄太の自宅に寄ってから帰ってくる事もあった。
三十代に差し掛かろうとしている健太のことを爽太が忘れている訳ではないが、誰がどう見ても健太の事より将太や由香の事の方が可愛かった。そのくらい孫は可愛いのである。その分京子は、毎日のように健太に話しかけかなり神経をすり減らしていた。その直後から少し体調が優れない時も多くなった京子であったが、特に病院へは行かず、ただ横になっていた。
暫くして爽太と一緒に人間ドックに京子は行く事になった。京子の体調の変化として、兆候らしきことはあったが、心配といった気持ちを全く持たず、爽太に誘われるがままついていっただけだった。たまたま行った人間ドックで病気が見つかり、京子は手術を受ける事になった。数時間後、京子の手術は無事終わり、何とか回復する事ができた。
病院から退院した京子は、完全に治っていない身体であったが、気を遣わない健太の要求に従うかのように、食事作りをしていた。ご飯があって当たり前と思っている健太には、遠慮という言葉がなかった。確かに、京子の作る料理は美味しく、毎年正月には京子が作るおせちを、吉田家の人々はつついていたのだ。健太は一円も支払う事無く、美味しい料理が出てくる生活に満足していた為、婚期も遅れていったのだった。
それを突然京子のせいにした健太に、爽太は怒り狂い「いますぐ出ていけ」と言った。行くあてのない健太が辿り着いたのは、雄太の家だった。突然の訪問にビックリした郁美は「何のお構いも出来ませんがどうぞ」と家に入れた。それまで兄弟といっても仲はあまりよくなく、健太の方が一方的に無視をし続けていたのだ。
この雄太の家庭を見た健太は、急に家族がほしくなり、ここにきて婚活を始めることにした。そこで出会ったのが、陽子であった。まだ男である健太は、選り取り見取りではないが、陽子よりも焦らなくてもいい状況であったが、なぜか若い女の人と話しが合わない健太は、同世代の陽子と会ってみる事にしたのだ。二人とも、話しが合わない訳でもなく、盛り上がる訳でもなかったが、お互いこれくらいが適当なのかと思い、もう一回会う事にした。
自宅に戻った陽子は、両親に相談していた。
来週健太ともう一度会う事になっているが、その時に入信している宗教の事を話していいかという内容であった。あなたがしている宗教は、後ろめたさのない世界一の宗教だから、自信を持って進めてみてと言われた陽子は、一週間後健太に会い、素直にそのままその事を伝えた。健太は宗教という言葉にビックリしたが、心の中で陽子がいいのではないかと確信していた為、もう少しどういうものなのか逆に尋ねてみる事にした。その時、吉田家の掟の事が脳裏に浮かんだが、それも本人次第と思った健太は、そのまま身を陽子に委ねる決意をしたのだ。これより、健太は陽子に逆らう事無く、すべてのことが運ばれていくことになった。
爽太が今年定年退職を迎える事になる頃、やっと健太の結婚が決まった。雄太が結婚して十年後のことだった。いきなり、吉田家に連れてきた健太は、陽子のことを紹介した。陽子の実家も同じ尾張にあり、短大卒業後俗にいうOLとして働いていたが、IT化が進んでいく中、必要とされなくなった陽子は、三年前に退職し、現在アルバイトをしている事を話した。爽太はこの時話さなかったが、結婚後にわかったこともあった。特にこの陽子と結婚する事に爽太も反対しなかったが「何か影を感じる女だね」と初対面の時に言っていた。今思うと、爽太は陽子のことを見抜いていたのかもしれない。やはり、あの時に反対していたら良かったのかと、京子は後に同居生活をしていく中で何度も思ったことであった。
陽子の家庭は傍から見ると一般家庭のように見えていた。しかし、この家族はみんなで宗教にハマっていたのだ。勿論、この宗教のことを、健太は陽子たちがしていることを知っていた。知っているだけでなく、吉田家の人々に隠れてその宗教に入信していたのだ。その宗教施設に入った健太は、今まで居場所が自分の部屋だけだったが、ここで自分の居場所が見つかったのだ。だんだん居づらくなっていた吉田家では、最近ではリビングにいられないほどであったのだ。
この素晴らしい宗教を子どもの頃からしていた陽子のことを、逆に尊敬していたのだ。そこまで陽子のことを尊敬できる健太にとって、陽子は自分の人生に必要な人になっていたのだ。この宗教を始めて、お金を今までより使うようになっていた。当初陽子から、全くお金はかからないと説明を受けていたが、そこまで居心地のいいところが無料開放とは、そんなに甘い話しではなかったのだ。それでも、この陽子が崇拝する宗教は、世界中の中で一番と聞かされていたことを信じて、入信する事にした健太であった。
しかし吉田家では無宗教に近く、ただある寺の檀家であるくらいであり、特に信仰をしている訳でもなかったが、吉田家の掟として、勝手に宗教には入らないという決まりごとがあった。やはりどんな人でも、洗脳されてしまうと、正しい判断ができなくなり、それならばそもそも宗教とは関わらない方がいいという結論が出ていたのだ。そんな掟がある事を知っていた健太は、吉田家には隠れて信仰する事に決めたのだ。
それまで、健太から家にお金をいれてもらったこともなく、京子としては貯めているものだと思っていた。しかし知らないうちに、宗教を始めそこに投資するようになっていた。
そんな事をしらない京子は、いざ結婚する話しになり「結婚費用は健太たちでして」と言ったのだ。勿論、十年前に結婚した雄太でさえも、自分たちで結婚式をしたのだ。それもこの年になった健太に結婚費用まで爽太が出す気にもならなかった。話し合いの結果、自分たちで出来ないなら、結婚式はしなくてもいいであろうと爽太がまとめた。その言葉に、この時まだ赤の他人であった陽子が不満げであった。それに気付いた健太も、ふてぶてしい表情を浮かべていた。
京子はこの陽子と知り合ってから、健太の中で何かが変わっている事に気付いていたが、この時それが宗教であるとは、思いもしなかったのだ。
その一週間後、陽子の両親と会う事になった。ここできっぱりと、結婚式は若い訳でもない二人のことなので、こちらとしては費用に関して、一切援助しない事を伝え、どうしてもしたいのなら、自分たちの資金で可能な限りの挙式でしてほしいことも付け加えた。この時、この先について何も考えていなかった健太であったが、陽子は確信犯としてこの頃より豊かに暮らせる同居に決めていたのだ。
この結婚式でお金を使い果たした健太は、住むところまで考えていなかったのだ。特に、そんな話しがでていなかった京子は、この先陽子と同居になるとは全く考えもしなかったのだ。
それから、定年を迎えた爽太は先祖から受け継いだ田畑で暮らしていく事にした矢先の出来事だった。春キャベツの収穫をしていた時、爽太が倒れたのだ。まだ朝は、かなり冷え込む早朝の日の事であった。救急車で病院に行ったが、帰らぬ人となった。これからのんびりとした時間を爽太と過ごそうと京子は思っていたのに、残念で仕方がなかった。全く使っていない退職金を残して、爽太は一人で逝ってしまったのだ。京子は、爽太との畑仕事を楽しみにしていた。それなのに、残されたのは爽太のいない田畑だけ。そんな中での畑仕事を想うと涙が止まらなく、悲しみを忘れることが出来なかった。この一ヵ月後に健太は陽子と結婚をした。
京子は、健太から陽子と住む新居について何も聞かされていなかった。その為、健太たちが新婚旅行へ行っている間に、健太の荷物を整理していたのだ。戻ってきたら引っ越ししてもらおうと思っていたのも、束の間の出来事であった。京子は「とりあえず住所教えて」とまとめた荷物を送る為に言った言葉であったが「このまま住むからいい」と健太から返ってきたのだ。京子は陽子との同居は嫌だと思っていた為、最後まで反対したが、健太はお金がないからと言った為「当分ならいい」と京子は言ってしまった。
思いもよらない形での同居が始まり、すぐに妊娠するつもりの陽子は、三食昼寝付きで家事もろくにせず、ずうっと家にいられたのだ。日中一緒にいる方が苦痛に感じた京子は、近所の方とお茶をしたり、畑に出たりと自分の家なのに居心地が悪くなっていた。三カ月経っても妊娠していない陽子に、パートに行ったらというと、二時間ほど外出するようになった。そして吉田家に戻った陽子は、京子に宗教の勧誘を始めたのだった。勿論、吉田家の掟のことを話し、きっぱりと「入信しない」と京子は言い切った。こんな会話をされるのも嫌になった京子は、ある事を思いついたのだ。出掛ける時間が増えると、嫌な陽子と会わなくてもいい事に・・・・・・。
京子は、爽太の亡きあと寂しさが募る中ではあったが、吉田家以外の人達にも、農業の大切さや拘りについて、伝えたくなり各地を転々と回る事にした。
元来農耕民族の我々は、田畑を大事にしてきた。それでも、不作の年はやってくる。日照り続きや雨続きなど自然界は、いつも人間に試練を与える。それでも、大きな飢饉にも見舞われたが、こうして生き抜いてきたのだ。敵は自然界だけでなく、生物界にも存在する。所謂田畑を狙い撃ちにする害虫である。江戸時代までは、鎖国のおかげもあり、海外から入ってきた物で困りごとは大きくはなかったが、開国し貿易が盛んになった事で、今までこの国にはいなかった新たな外来種と言えるもの、つまり、ここで言う農作物においては害虫を向かい入れる事になったのだった。それまでお目にかかった事のない害虫であったが、これらは農作物にとって、害を及ぼすようになり、次の一手を打たなくてはならなくなった。そこで、考案されたのが農薬であった。貿易に限らずよい事が起こるとそれに反して悪い事も起るという自然の摂理がそこにはあった。このような事を幼い頃より春造より聞かされていた健造は、農薬のことを知りたくその会社に入社したのだ。そこで、農薬のことを更に深めた健造は、自分たちが食べる分は、春造の教えに従い無農薬に拘る事にした。
今使用されている農薬というのは、化学の世界におかれている農薬であるのだ。これだけ農薬に関して詳しい健造が、自分たちの食べる分は、無農薬という拘りをもつ理由が勿論あったのだ。
この農薬というのは、昔から使っているものをずうっと使い続けている訳ではない。例えば、昨年新たに開発した農薬が昨年は害虫駆除に効果があったが、今年に関して昨年と同じ農薬では全く役にも立たなかったという事が繰り返しやってくるのだ。その度に、開発する農薬を少しずつ強力なものへと作り変えなければならなくなってきた。こうした行為は、今なお強力化中であり、農業に長けたところの農作物だから安心という時代ではなくなってきたと健造が語った。本当にそんな恐ろしい世になっている事が信じられない京子は「八百屋さんで売っているのは食べられないの?」と思わず言ってしまった。すると健造から他の害虫ではどうなのか教えてもらう事にした。
屋内の害虫と思われているゴキブリで、今一度考えてみたらどうであろうか?ひと昔前、ホウ酸だんごでゴキブリが駆除できると言われていたが、それを食べたゴキブリは、今ではホウ酸だんごの効果はなくなっている。
健造は、生態系の中の生物というものは、人間も含みで何とかして生き抜きそして子孫を残す行為をしなければ死ねないという思いを持って生まれてきている。それは、どんな生物にも言える事であるのだ。その為、害虫であろうが、農薬如きでくたばる訳にはいかないのだ。そんな気持ちを考えたら、この農薬のいたちごっこは、自然界において永遠に起こってしまう事である。それも、自然の摂理であるから・・・・・・。
そうなると、どうにもこうにもならないが、結局ゴキブリには、一番原始的な駆除方法の『ゴキブリほいほい』が効果的と言えるのである。
自然界すべてに、化学といった力に頼らず、お互い天敵という意識を持たず、持ちつ持たれつというウィンウィンの関係を構築出来た者が勝者となれるはず。そういう健造は、定年退職後、原始的な作戦をひたすら考え、害虫駆除を温かい心でしていたのだった。
しかし現状は、温かい心を完全に失くしてしまった人間が、化学の力でねじ伏せようとし続けている。この心ない人間になりたくないと思った京子は、亡き父健造の遺志を受け継ぎ今も農業に専念していたのだ。
それから、五年が過ぎた頃、まだ厚かましい健太たちは、家にお金も入れず、吉田家に居座っていたのだ。そんな時、やっと陽子が妊娠したのだ。それを聞いた京子は、このまま居座られ健太たちだけに、多くこの家のお金を使われてしまうことを恐れ、余っている農地に家を建てる事にしたのだ。ちょうど、京子の新築が出来た頃、陽子は出産した。この吉田家に陽子の両親もきにくくなる為に、それならば一層の事京子が出ようと思ったのだ。
この事は、健太に一切相談しなかったが、雄太には相談したことであった。雄太たちも陽子の事が不審人物と思っていた為、雄太から何か危険がないかいつも心配されていたのだ。雄太は、計画的に京子が殺されてしまうのではないかと思うくらい、心配していた。この吉田家を京子が出るまでは、心配症の雄太は、毎日のように電話をしてくれていた。
陽子はこうして母親になれたが、若い年齢でもない為、長女の京香が泣いた時は、寝不足からイライラを募らせていたのだ。
雄太たちの子どもである将太と由香は、この時二人とも中学生になっていた。今まで何の支援もしていなかった京子は、これから学費などかかる将太と由香の為に、お金を使う事にした。勿論、この事は健太には話してはいなかった。雄太は相変わらず郁美と仲がよく、部活で忙しくなった子どもたちが不在の時には、二人で出掛ける事にしていた。そんな時に、一人でいる京子に声を掛け一緒に出掛ける事もあった。京子は、こうして雄太と郁美とのんびりと出掛ける時間が、日ごろのストレス発散となっていた。時々は、二人の邪魔になると思い、妹の康子を誘う事もあった。吉田家から離れたことで、京子の新居に来やすくなった雄太たちは、一カ月に一度は遊びに来てくれる事になった。
京子が出てきた吉田家は、陽子の母親が自分の家のように泊まっていくこともあった。そんな家には、家主である京子でさえも、二度と踏み込めなくなっていた。あの吉田家の家賃すらも支払う気もなく、更に現住民であるその土地の固定資産税も支払わず、それでも住みついている陽子たちが、何を企んでいるのかをいつも雄太が気にかけてくれていた。
月日は流れ、将太や由香も社会人になっていた。この頃、陽子からの連絡があった時だけ、京子は京香のことを見ることになっていた。京香は、十歳になっていた。そこまで小さくないが、一人っ子で育ったこともあり、自宅に誰もいない時間帯だけ、京子は孫の子守りをする事にしていた。こうして陽子に言われるがまま、常に従っていた京子は、陽子を疑わなかった。この関係を築けていることを確認した陽子は、ここで動き出したのだ。
あの病み市場病院を陽子が訪れて、二週間が過ぎた頃であった。陽子が再び病み市場病院にやってきたのだ。それから、この二週間の間に、健太を説得して陽子と山下師匠の策略を決行したい事を伝えたのだ。陽子は、健太に京香を育てるには、お金が必要であると伝えた。陽子が高齢出産で授かった一人っ子の京香には、この十年間で多額のお金を使っていたのだ。果てしなくある資金でもないのに、たった小学生半ば程度で使いすぎたこともあり、これ以降更に賭けたい気持ちのある陽子は、健太の収入と陽子のパート程度の収入では、この先京香の夢が叶えられないと伝えたのだ。この陽子の訴えに、健太は頷いた。
これらすべての気持ちが合致した事を伝えに、この日は陽子だけでなく健太も一緒に来ていたのだ。この後、二人は山下師匠の策略に合意した。その間、話しが長引き京子にあるお願いの電話を陽子は入れた。この日以降、陽子からの連絡が一切ない事に、京子も心配にはなっていたが、陽子とあまり話したくない京子は、音沙汰なく過ごしていた。
そして今日、病み市場病院で精神科医の山下と練りに練って考えた策を、決行する時となった陽子は、普段と変わらない朝というよりは、いつもになく心穏やかに、健太と京香の朝食を作っていた。京香は、いつもの陽子の姿では無い事が少し気がかりになっていた。しかし、登校する時間になった京香は、ランドセルを背にして、学校へ向かった。陽子が京香を見送るのを待っていたかのように、その直後健太は仕事へ向かった。
時刻はまだ、七時半であったが、ことを起こすにはまだ時間が早すぎると思った陽子は、珍しく早々と、夕食の準備をしていた。それから三十分程経った陽子は、まだ料理をしていたが、ここで一旦手を止め、京子に電話をしていた。車を運転しない京子に「買い物に行かないか?」と誘ったのだった。京子は、陽子の誘いを断らない事を知っていた為、いつも誘っている時間に「迎えに行く」と言い、どこに買い物に行くかも伝えずに、その時間まで、陽子は料理に奮闘していたのだった。 一方京子は、いつものように家を出て、その間畑で農作業をしていた。京子は、九時五十分に家に戻り、出掛ける準備をして、陽子が来るのを待っていた。
時計の針が十時を指す五分前に、陽子は車で家を出た。ちょうど十時に京子の家の前に車を止めた陽子は、インターフォンを押した。そのインターフォンに出ないまま京子が、玄関で靴を履きそのまま買い物用のエコバッグを持ち出てきた。京子は「いつもありがとう」と言って、陽子の車に乗った。京子はいつも行く近所のスーパーに行くものだと思っていたが、陽子はそのスーパーの方向ではなく、逆の道を進んだために、京子は「どこに行くの?」と陽子に確認した。陽子は「少し遠いスーパー」とだけ言い、更に車を走らせた。京子は、昼食を家で取るつもりで家を出てきた。予想だにしない陽子の行動に少し不安がよぎったが、車は止まる事無く走り続けた為、何もできず助手席にただ座っていた。
それから京子の目に飛び込んできたのが『病み市場入口』と書かれた看板であった。その看板のところで車は、どんどん地下へ入っていった。「どこに連れて行くの?」と、再び不安にかられた京子が陽子に尋ねた。すると、陽子の口から世にもおぞましい言葉が飛び出てきたのだった。京子は「降ろして!」と陽子に叫んだが、車はそのまま病み市場病院の中まで入っていった。そこで看護師が待っていた。車のドアをその看護師が開けると、自動的に看護師に連れられ、保護室と呼ばれるところに連れて行かれた。所持していたバッグすべて奪われ、着の身着のままの状態で、鍵のかかる個室へ入らされた。京子は、こんなところに閉じ込められる理由がわからなかった。それどころではなく、ここがどこかすらもわからないまま入れられたのだった。
看護師に連れられ、精神科医山下の指示でこの保護室に入れられた京子は、突然の出来事に気が動転していた。入れられて少し時間が経過し、そこはまるで留置所か拘置所の独居房の場であるかのようであった。このようなところに入れられる謂れのない京子は、トイレ以外にあったマットレスの上に、座りこんでいた。逆にいうと、この保護室には、トイレしかなかったのだ。畳四畳半ほどの部屋に京子は一人でいた。突然隣の部屋から、扉を叩く音が聞こえてきた。「出してくれ」と叫んでいた。そんな迷惑ともいえる声を聞いた京子は、何もすることの出来ない部屋で大人しくしていた。
この病み市場病院に、お昼前に着いた京子は、この保護室で一人昼食を食べる事になった。トイレを背にして、食事をすることが初めてであり、食事が喉を通らない想いもしたが、病気を患っていた京子は、食べないとすぐに痩せてしまう。おまけに年老いている事もあり、逆に食べない方が精神的に追い込まれてしまうと思った京子は、食べ物が入っていかない喉を無理矢理こじ開けて、食べたのだった。食後看護師が食事の後片付けにやってきたが、その時に、薬も渡されたのだ。いや渡されたではなく、無理矢理飲まされたのだった。今まで、飲んだ事のないこの薬は、京子の記憶でさえも無くすかのように、飲んだ以降ぼんやりとしていたのだ。それから京子は、知らない間にマットレスで横になっていた。
京子は誰かに、この現実をSOSとして発信したかった。しかし、この鍵のかかっている保護室内では、誰とも会話はできず、外部にある電話ですら使用できず、何も出来ない時間がひたすらすぎる事となった。そんな不安な想いも、寝ている時だけ忘れられた。
その時陽子は、京子を病み市場病院に入れた後、入院に必要なものを京子の住む家に取りに行っていた。この家は、陽子の家ではなく京子の家。家主が京子であるのにも関わらず、嫁の立場である陽子が勝手に京子の家に、無断で侵入した事になるのだ。いくら嫁姑という間柄であるといえども、不法侵入に値する。このようにいざこざがない為に、十年前に京子のお金だけで新築を購入したのだ。勿論、京子はこの陽子には、自宅の鍵は渡してはいなかった。しかし、京子を強制的にこの病み市場病院に入院させたことで、京子の自宅の鍵を奪う事が出来たのだ。侵入に成功した陽子は、入院に必要な歯ブラシや歯磨き粉や衣類などを持っていこうとしたが、折角ならば新しいものがいいかと思った陽子は、洗面所周りを写メで撮り、京子の使用していたものと同じものを購入する事にした。それから、ドラッグストアに行った陽子は、同種類のもので新調した。
それから再び、病み市場病院に戻った陽子は、怒りの収まらない京子に会っても仕方がない為に、入院用品を看護師に託して早々に帰っていった。京子の処遇としては、面会は誰にも出来ず、外部の者とも連絡や会話も出来ずという打つ手すらない状況に追い込まれていった。それだけではなく、精神的にも正常であったが、飲まされる薬によって、だんだん京子の記憶が薄れていった。
精神科での入院の手段は、二つあった。一つは任意という自ら入院させて下さいといって入るものと、もう一つは、医療保護入院であった。所謂、本当に精神的に可笑しいのが見受けられて保健所の方も協力しながら入る場合もこの入院である。しかし、今回の京子のように家族によって強制的に入れられる場合もこの医療保護入院となるのだ。
京子は、直前まで畑仕事や自分で食事を作ったり、あとは他の京子名義の土地の管理なども誰の手も借りずに一人でしていたのだ。それから田畑を貸している者つまり借主さんと、毎月のように交流をしていた。そこでは、その田畑で採れたものをはじめたくさんの食材を使い交流を深めていたのだった。そんな社交性のある京子が突然いなくなったことを可笑しいと思ってもらえることを京子は一人願っていたのだ。
この京子がそれらの農地を貸していることすらも知らない陽子は、自分の邪魔者がこの世から排除出来たこの日を祝っているかのように、京子の長男である健太とシャンパンで乾杯をしていた。
まだ入院一日目の京子は、夕食を迎えていた。昼食後飲まされた薬が可笑しいと思った京子は、夕食後に飲まされる薬を拒否する事にした。そうすると、看護師から「もっと処遇が悪くなるから」と脅されてきたのだ。もうこれ以上悪い処遇はなかったが「この保護室から、薬を飲まないといつまで経っても出られない」と言われ、否応なしに飲む事になった。この一件は、翌朝主治医である山下に報告され、昼食後から更に強力な薬を飲まされる事になってしまった京子であった。この病み市場病院からの脱出を夢見る京子は、二日目もなにも出来ずに過ごし、不安な一夜を過ごしていた。
京子は、この保護室から一歩も出る事無く過ごしていた。やっとこの日、この個室から出て、保護室内にあるお風呂に入る事となった。そこで初めて歯磨きも出来たのだ。その時に、京子が愛用していた歯ブラシや歯磨き粉を目にした。その瞬間に、陽子が家の中に侵入したことがわかったのだ。その後、風呂場で渡されたシャンプーやコンディショナーを見て、京子が使用しているものであったことに、更に陽子への怒りがこみ上げてきたのだった。陽子は洗面所だけでなく、風呂場にも入り、どれを京子が使っているのかまでも確認していたのだった。勿論、買い物に連れて行ってもらっている際に購入する事もあったが、特に毎回同じものではなかった為に、どれを購入したらよいのかわからなく、風呂場に入り確認したのであろう。そんな陽子の行動がすべて気持ち悪くなっていった。
こうして京子の精神状態は、薬の相乗効果もあって、更に悪化していったのだった。このような事が、今の日本で実際に起っていることとして捉えると、恐怖でたまらなくなっていたのだ。
それから、入浴日以外で京子のいる保護室から出られる日がきたのだった。あれから、毎回飲まされる薬を看護師のいう通りに飲み続けていた京子は、その甲斐あって数時間であったが、この個室から同じ病棟内ではあったが、一般病棟の公衆電話のあるところに出されたのだ。しかし、入院したあの日に、すべてのバッグを奪われてしまい所持品や所持金もなかったのだ。一円もない京子には、目の前にある公衆電話からも電話する事ができなかった。というよりも、そもそも、京子の処遇は、電話を使用することも禁止されていたのだった。例え、ここに入院している他の患者にお金を借りてかけたくっても、かけられない処遇となっていた。どうしても、外部にSOSを発信したい京子であったが、一時的に出されていたこの日は諦める事にした。
そんな時に、入院患者の翔子と出会った。
この翔子は、誰がどう見ても病人とは思えなかったのだ。会話もまともであり、日常生活も難なく出来るようであった。鬱でも躁でもなさそうであり、訳ありなのだと思ったが、話しのわかる人に聞いてもらいたくなった京子は、現状を聞いてもらうことにしたのだ。京子は、生い立ちなどから話しだしていた。そして、夫が亡くなり一人になったことなども・・・・・・。
そんな時に、長男健太と同世代の患者を目にした京子は、更に子どもの事や孫の事など話した。長男の健太が結婚をして、嫁陽子と同居が始まり、それ以降健太が今までより変わったような気がしていると京子は付け加えた。嫁陽子は、料理も洗濯もしないで、すべてを京子に甘えていたのだ。若い嫁ならいざしらず、何も出来ない嫁を一日中見ていると、気が可笑しくなった事まで話していた。料理を作ることが嫌ではなかったが、食費くらい出してほしかったと翔子に言った。結局、息子たちの家政婦になっている事に腹が立った京子は、健太に「少し食費をいれて」と金銭の要求をしたと京子は話した。
翔子は、そもそもなぜ同居に応じたのかなど聞いてみたが、京子一人では心配だからという健太の体のいい言葉が嬉しくなり、同居に応じたと自分の事を反省するかのように話した。この嫁陽子は、家事を全くしないで、午後から短時間パートに行っていただけ。その後も、子どもにも恵まれなかったが、やっと第一子ができた頃、別居を決断する事にした。その時「出て行って」と言ったが、なかなか応じない健太たちに、しびれを切らした京子が、家を出ていく事にした。それほど最後は嫌になっていた事や、それまで一緒に暮らす中で、京子はこの不審だらけの陽子に、何かされるのではないかとただ不安であった事など、初めて出会った翔子に具体的に話しをした。そんな中で、信頼できる二男の雄太か妹の康子にこの現状を伝えたいと言ってきた。
何かこの二人には、目的があってこの家に居座っている気がすると、雄太に心配されている事など翔子に伝えた。それから、現在怖いと感じた健太と陽子から離れ、別居している事、そしてあまりこの二人に関わらないようにしていると京子が言った。
現在、この二人は五十歳をまわっているのに、とても誠実とは言えない対応に対して、不満を京子は募らせていた。頼れる雄太に相談するようになっていたが、最近、雄太が忙しくなっていた為、ここ一カ月の気になった陽子の言動の話しまでは、出来ていなかったと翔子に話した。最近の京子のことを知らない雄太は、突然陽子に入院させられた事実を知らないままであり、助けを求めたいが、どうしたらいいのかを翔子に尋ねていた。
翔子は自ら何の病気でもないことを話しだした。ただ、所謂毒家族のような者より、強制的に入院させられてしまったと言った。病気でもないのに医療保護入院させられている翔子は、世の中こんな事があってはならないと切に願っていたのだ。この世の邪魔になる者を排除する言い方を変えれば闇に葬ればいいというこの考え方が、正当であり通用するということが間違っているのだ。この世の過ちを糺したいと願う翔子の気持ちを、京子は悟った。
このように正しく生きている翔子を信じた京子は、とにかく二男の雄太に連絡が取りたいと言った。しかし現状、この院内における京子の処遇が、誰にも連絡も接触もできなくなっており、おまけにお金も所持していない現状ではどうする事もできなかった。その為、看護師に雄太と連絡を取りたいと訴える事を勧めた。聞いた中で、翔子が一番気になったのは、陽子の豹変した態度であった。どういう気持ちで、この病み市場病院に強制的に入れようとしたのか?そんなことを真剣に考えている翔子は、逆に陽子に心の病みがあるのではないかと探ってみようとしたが、この日は再び保護室に戻らないといけない時間に京子がなり、翔子とここで別れる事となった。
京子は、翔子に言われた通り、薬を飲まないようにした。病気でない者が、薬を飲まされるということは、病気に見せかけたいという心理のもとに行われる行為であり、最大の目的として病気にさせたい訳がそこにはあり、故意に飲ませようとしている事が読みとれるのである。このような現実を未だに理解できない京子であったが、精神科の病み市場病院では、横行している事実を翔子に告げられていた。
京子はその日の晩、もしかして長男の健太と陽子が共謀したのではないかと考えるようになった。そんなことを考えると我が子であっても信頼できないと思うようになっていた。
京子はこうして三日間一時一般病棟に保護室から出ていたが、この間翔子には合わなくなり不安を募らせていた。しかしこの時、京子は気付いていなかった。翔子に言われた通り、薬を飲まないようにしていたつもりであったが、時はすでに遅くあり、もうこの時から京子の頭の中の回路が、薬によって変えられてしまい看護師からいただく薬を絶対飲むものと思い込まされていたのであった。
こうして、短期間で京子の思考回路を変えられそして薬によって操られるようになっていったのだった。この時は、薬を飲ように支配されていただけであったが、この後京子はだんだん正常な判断ですら、出来なくなっていたのだった。
三日後、一般病棟に移った京子を翔子は見つけた。声をかけたが、京子は翔子のことを忘れていたのだ。翔子は、まだ元気で生き続けたいと思っていた時の京子のことを覚えていた。そして、ここに入院させられた陽子という女性の口から出た世にもおぞましい言葉を、京子から聞いた事も翔子は覚えていた。しかし京子の勢いがあの時とは変わっており、手助けしたい翔子であったが、本人の京子がそのつもりなくこの病棟内で溶け込もうとしており、ここから出る気すら感じられなくなっている姿を見ると、打つ手がないと思うようになっていたのだ。
この時、京子の心理的な変化については、もう自分では気付かなくなっていたが、身体的な変化には自分からいうようになっていた。京子は入院させられた時より、八キロ体重が落ちてしまっていたのだ。高齢の域に達している京子にとって、この年での体重減は元に戻すことが大変で、一気に痩せた事で見るからに老婆化へと変貌してしまったのだった。
こうして、誰が見ても病気風であると思われてしまうようになった京子は、ここで体重を増やしたくなっていた。しかしここで与えられる食事以外の食べ物はなく、日に日に痩せ細っていく京子であった。京子は、この見た目のことだけは、この時看護師に訴えてはいた。そのことを看護師が医師山下に伝え、それが陽子にも伝えられ、この頃から差し入れが届くようになっていった。勿論この差し入れといっても、お金の出所は京子であり、陽子は京子の為に惜しげもなくこの時は持ってきていたのだった。
陽子から届く差し入れを喜んで食べるようになっていた京子は、飲まされる薬によってだんだん陽子がいい人に思えるようになってきていたのだ。まだこの時は、京子の処遇は面会もできなく誰にも電話もできなかった。このような状況になっても、京子はたまに信頼できる雄太の事を思い出していた。
そんな時は突然起こり、看護師に対して「雄太に連絡を取って」と急に思い出したかのように言うのであった。そう言いつつも、さっき何を言ったかもすぐに忘れてしまう京子のことを、看護師は適当にあしらっていた。
こんな変貌しだしている京子の事を不憫に思う翔子は、今なら間に合うのではないかと、必死に何か手立てがないか考えていた。そんな時、翔子の入院病棟が、変わる事となり完全に何も出来なくなってしまった。現状京子は、あの独居房のような保護室から解放された喜び、そして少しずつ陽子からの差し入れをいただきだし、あの鬼嫁ともいえる陽子であっても今の京子には、陽子しか頼れなく、ここで陽子のことを否定してしまえば、死ぬまでこの世界から出られないのではと思い、看護師はじめ医師山下のことを信頼するようになっていた。
翔子は心残りではあったが、本人の京子がこんな気持ちを持っているのならどうする事もできないと思い、この日の午後この病棟を後にした。
翔子は他の病棟に移ってからも、京子の事が心配でならなかった。その移った病棟は、更に閉鎖病棟で面会者もかなり少なかった。以前の病棟の面会者が、一日平均二十人来ていたとしたら、この病棟には、五人程度の面会者であった。面会者が来るスパンは、多くて一週間に一度程度であり、少ないと一カ月に一回ないし三カ月に一回など様々であった。この翔子が移った病棟には、このように長期間この病棟に住み着いている人が多くいた。
そんな隔離病棟では、すでに家族を失い一人では生きられない障害のある方など本来の精神科で扱わないような人も、行くところのない人は、この精神科の隔離病棟に閉じ込められていたのだ。おそらく、この病み市場病院しか受け入れてはもらえず、完全に人間として邪魔者と思った者を、この中へ送っているように思えたのだ。薬を飲み続けていると、勿論逃亡したいという思いも本人たちも起らず、常時この病み市場病院に、こういった患者がいるおかげで病院にとっても、一定の利益が見込めるようになっていた。この当初いたはずのご家族にとっても、この病み市場病院にとっても、ウィンウィンの関係であったに違いないのだ。
この市場においてこの患者の存在は有り難く、薬の副作用などの判断が出来ないこういった患者に、長期間薬を飲ませ続ける事で、更に製薬会社からの恩恵も受けられる形となっていた。その為、多くの精神科では、多すぎる薬をふんだんに出し、本当の意味で薬が手放すことができない患者を増やしていくのが狙いなのであろう。この自立の出来ない患者の面倒を見ながら、病院経営も安泰という構図が描かれているのであった。
こういった薬の手放せない精神科の患者を多く見た翔子は、飲んだら安心するという患者に対して、何か薬以外のもので安心できるものを作ってほしいと願っていた。どんな薬でも副作用があり、その薬を手放せなくなっていた患者においては、もともと必要不可欠な内科の薬であっても、他に飲んでいた精神科の大量摂取の副作用の影響で、だんだん効きが悪くなり、とうとう飲んでも聞かなくなってしまったのだ。薬は飲んだということで安心感を得られるかもしれないが、薬の効果というよりも、安心感を得たいならば、法にも触れず副作用の全くないラムネのような薬風があってもいいのではないかと思っていた。
人間はこのように、薬においても依存症となり、それが手に入らないだけで不安となり、更に症状を悪化させるのであろう。こんな不安感に陥る人間に対して何か施したくなっていた翔子は、出来る限り温かく声をかけていたのだ。
その頃京子は、頻繁に洗濯物を取りに来るようになっていた陽子のことを、この病み市場病院においては、いなくてはならない大切な存在として見るようになっていた。まだ面会は誰とも出来なかったけれど、保護室よりも待遇のいい一般病棟にいられる事が嬉しく、他の入院患者と楽しく過ごしていた。
すっかりこの時は、毎日のようにしていた畑の事も忘れてしまい毎月のようにしていた交流会のことも忘れていた。全く誰と付き合っていたかも知らない陽子は、京子の携帯電話から、情報を得て相手にいけなくなったことなど勝手に連絡していた。それでもこんな事になっている現状を、二男の雄太に連絡を健太もしなかったのだ。それでも、京子は健太の選んだ陽子を悪い人間とは思えず、いつかここから出してもらえる為に、陽子との関係性を壊す訳にもいかず、良好であるかのように医師山下との診察がある時でも、何も文句や処遇に対する不満一つ言わずに、ただの流れ作業に付き合っただけであった。
翔子がある事を思いついた時に、一般隔離病棟にいる京子が看護師に「午後になったら翔子のいる隔離病棟にいく」と言われた。京子は、逆らう事を忘れており、ただ言う事を聞く方が利口であるのではないかと考え、反抗もせずただ身を委ねた。
そしてその日の午後、京子は手荷物をまとめ、翔子のいる隔離病棟へとやってきたのだった。この時、処遇が変わり面会だけが可能になった。けれども、来てくれる人は京子が入院していることを知っている人だけであり、待てど暮らせど雄太や郁美は来てくれなかった。それだけでなく、健太も一度もこの病み市場病院に来た事がなかった。その時、翔子の姿を見た京子は、うろ覚えの記憶に残る翔子に声をかけてきたのだ。
翔子はこの京子のことを何とかしてあげたいと思い続けていたが、ついさっきまで何の接点のなかった事もあり、半分諦めていた時に、京子から呼び止められた。覚えてくれていたことが嬉しい翔子は、どうしたいか京子に聞いてみた。すると京子は、雄太と康子に現状を発信したいというのであった。それまでも、何度となくこの事を看護師に言ってきたが「連絡先は」と聞かれ「わからない」というと「それならば無理」と相手にもしてくれなかった。この病み市場病院に来て一カ月経ったけれど、京子の願いは届かないままとなっていだ。その思いを受けた翔子であったが、自ら電話の発信や受信すら処遇により、できなくされていた京子にはもはや打つ手もなかった。
そんな中で、事態は動くことになった。一週間が経った頃、ようやく雄太に連絡してもいいと言ってくれた。しかし、連絡は健太からすることになっていた。どういう風に健太が雄太に話すのかわからなかったが、現状京子は病人しか見えず、このままでは本当の事が話せても、理解をしてくれない可能性があるのではないかと、翔子が心配していた。ここにきて、雄太が来てくれることになるが、未だに健太がこの病み市場病院に面会に来ることがなかった。
その連絡を受けた雄太は、京子の事が心配になり、平日で仕事があるのを休んで、雄太だけでなく郁美や将太や由香までも来てくれたのだ。京子に会いに来る前に、雄太たちは担当医の山下と話しをしていた。おおまかなことを聞いていた雄太たちは、何も京子の姿に一切驚かずにいた。京子は、直前まで翔子と話す内容を練習していたが、いざ会いたかった雄太たちを目にした時、ホッとしてしまい、陽子に強制的に連れてこられたという一番話さなければならない事を、すっかり忘れてしまっていたのだ。最後になっても、将太や由香が抱きついて来て、更に嬉しくなった京子の頭には、あれだけ話したかったことだったのに、すべて記憶が飛んでしまっていた。
結局、このチャンスさえも、いかせなかった京子は、しょんぼりとしていた。そんな京子は、突然健太も一緒に来てくれると思っていたが、疚しいからか、来てくれなかったと翔子に呟いていた。これを聞いた翔子は、宗教にのめり込んでいる陽子一家の単独犯ではなく、健太も共犯である事が喉から出そうであったが、その言葉を飲み込んだ。
来月になると来てくれるかもしれないと思っている京子には、とても翔子の口からは言えなかったのだ。
そんな時、少しお小遣いを持たされるようになった京子は、公衆電話に近づいているだけでも、看護師から可笑しいと思われていたのにも関わらず、咄嗟に電話をかけたのだ。そのかけたところが悪かった。薬漬けにされる中で覚えていたのは、かつて爽太と結婚して以来住んでいた吉田家であった。四十年もの間住んでいたこともあり、その電話番号だけ覚えていた京子は、天敵のいる陽子に電話をしてしまったのだ。あの恐ろしい陽子が聞く電話口に向かって「あんた何してくれたの?」と言ってしまったのだ。
それ以降、事態は一週間動くことはなかった。陽子からお小遣いを貰っていた事もあり、病棟内にある洗濯機と乾燥機で洗濯は可能になり、京子はそこで自分でするようになっていた。その為、特に洗濯物を取りに来る必要のなくなった陽子は、ぱったりとあの電話以来、来なくなったのだ。しかし陽子は、病み市場病院の山下のところには来ていた。勿論、陽子自身の更年期の薬のこともあったが、京子の今後のことについて、おおかた訪れていたのだ。
経営者としては、メリットの多い有料老人ホームに早く入居してほしい想いは山々であった。それでも、まだ現状の京子は、入居するには年齢的にも若く、更に一人で何でも出来る現状であり、どうしても軽度の認知症と思われるような言動にしないといけなくなった。こうして、あの電話事件直後から、京子の薬漬けの量が一気に増えていったのだ。そして一週間後の今日、京子はこの日を迎えてしまったのだ。
京子は、朝食後に来た人たちにただ「はい」と言い、迎えに来てくれるまで待つ事になったが、返事をした一時間頃から京子は「とんでもないことになりそう」と不安を過らせていた。その言葉を聞いた翔子は『有料老人ホーム』とは一切思わずにいたが「どこにいくの?」と京子にいくら尋ねても「わからない」と返ってきただけであった。京子はこの時、一時間前の話しも覚えられなくなっていたのだ。自分の行くところでさえわからない事もあり、更に不安が募っていたようであったが、これは陽子と山下の策略である為、こうして上手く罠に嵌められてしまったのだ。
京子は、この日の午後から病み市場にある有料老人ホームに入居した。ここは、病院ではない為に、食事もよくなっていた。ここでは、京子の病気に対して配慮した食事が出されることになり、食事に満足した京子は、不満や怒りを忘れる生活が始まっていた。
京子を病み市場の世界に連れてきて、二カ月程で最終目的地に到達した陽子の本当の理由は、自分の更年期治療をする為であったのだ。しかし天敵とも言える京子の事が憎くなった陽子は、この京子が自分のガンとなる人なのでどうにかしてほしいと山下に相談していたのだった。そんな陽子のことに対して、更年期の薬を処方する事にしたが、その一方でこの山下はある提案をしてきたのだった。
それが、京子をこの病み市場病院に入院させることであった。
病院であれば、永くとも最期まで、診療報酬という形での収入だけとなる。しかし、この病み市場病院では、系列に病み市場有料老人ホームを経営していたのだ。この有料老人ホームでは、勿論お金を持っている人しか入居できず、そこではお金を持っている人を常に探していた。陽子の願いである『京子をどうにかしてほしい』という思いがここで通じる事になるのだった。これは、正しくウィンウィンの関係にあたり、陽子にとって何らこの考え方が可笑しいともとれなくなり、それよりも、この提案をしてくださった山下のことを師匠とでも仰ぐように従う事にしたのだ。
山下師匠の仰る通り、この策略は決行されることになった。勿論、京子の長男である健太もこの計画については、わざわざ病み市場病院を訪れ、山下の口から説明を聞いていた。我が子にこんな扱いにされる京子のことをこの長男である健太は、どのように思っていたのであろうか?
京子は、この病み市場病院に入って以来、健太の顔を一切見てはいない。この陽子と山下との策略に、なぜ我が子である健太が乗ってしまったのかについては、未だに疑問が残るが、京子は翔子に言っていた。翔子がまだ元気だった京子から聞いた話では、お金に対してこの健太と陽子は汚かった。だから、京子が死ぬまでに、今ある資産を使われないようにしたかったのだ。この時、まだ亡き爽太の退職金でさえも、残したままであった。
それから京子の入院後、不法侵入まがいで自宅に入り放題になった家の、荒探し兼宝探しを健太と陽子は繰り返していた。そこで見つけた権利書を、自分たちが住む吉田家に持ち帰り、ゆっくりと確認していた。京子が十年ほど前に建てた新居の資産価値や、田畑などの資産を、健太独り占めにしたかったのだ。それだけでなく、今も住み続けている吉田家の実家の建物と土地も、健太が住み続けている以上、二男の雄太は何も言ってはこないであろうと踏んでいた。
京子は、そんな健太たちに何度か「吉田家から出ていけ」と言った事があったが、やはりそこには裏があったのだ。雄太は自分たちの力だけで自宅を購入して、立派に子どもたちを育てていたのに、それに比べ、常におんぶに抱っこのままの健太を想うと、雄太と平等でない事が申し訳なく思っていた京子であった。
それでいて、この陽子たちが京子を勝手に入院させ、都合よく自分たちが京子の世話をするから、京子の資産は自分たちがすべてもらうとでも言いかねない。あくまでも、この病み市場病院入院前までは、兄弟仲良く折半を望むつもりであった京子だったが、今となっては健太に対する温情もわかず、本当の気持ちは、すべて雄太にやりたい気持ちでいっぱいであった。そんな気持ちがもしかして、垣間見れたのかわからないが、その前にこの仕打ちを健太たちにより与えられてしまったのだ。
京子は、我が子である為に、どちらの子どもも可愛かった。それなのに、我が子が憎いと思わないといけないことをされてしまった京子は、角を隠して半世紀経った今、我が子に対して鬼となり、ここで角を生やしてしまったのだ。
この怒りを抑えられない京子は、翔子に今までの事を必死に話しだした。そんな中で、ふと健造の遺志でもある農薬のことも一緒に話した。それだけでなく、健造でも知らないもっと恐ろしい農薬は、今なお使い続けている事を話していた。農作物を販売する上で最も信頼されているところであっても、農家の人に無理矢理『この農薬を散布しろ』と命令しつつ、農作物を作らせている例もあるとのことだった。
この世においては、すべてが、この病み市場のように何でも墓場まで持っていく話しは、山のようにあるのだ。けして、ある国だけが洗脳国家であるかのように伝えられているが、実はどこの国でもある話しである。勿論、今あなたが住んでいる国でも、起っているこれらの話しは、架空の世界の話しでは残念ながらない。こうした恐ろしい病み市場を作り、不要な人を葬り去るこの世が可笑しい。しかしそれをよき事と肯定しつつ、国家はこの病み市場を利用して、何でもお金の力でねじ伏せてしまうのだ。
この現状を知った翔子は、何とかしたかったが、この時すでに病み市場病院から、病み市場有料老人ホームに行く事を京子自ら「はい」と返事をしてしまっていた。『はい』と自ら了承してしまった京子は、後になって不安に陥っていた。その会話の一部始終を聞いていなかった翔子は、京子の同室の者から、後になって聞かされた。
まず、先方の有料老人ホームの方が挨拶をし「午後からこちらに移っていただきます」という説明後「よろしいですか?」と聞かれた京子は素直に「はい」と返事を促されてしたことを・・・・・・。
京子は、この時飲まされていた薬によって、正常な判断が出来ずにいた。咄嗟に聞かれた事に対しては、すぐに素直な性格もあり何でも「はい」と言ってしまうのだ。これを利用した陽子と山下は、策略通り決行に移したのだ。翔子はこの異変に気付いたが、その時がくるのを、ただ待つのみとなってしまった。
こうして何も出来ない翔子は、京子の後姿を見送った。この時、どこに行ったかわからなかった翔子に「有料老人ホーム」と京子の同室の者が呟いていた。その時初めて、この同室の芽衣子と翔子は話したのだ。芽衣子は京子の嫁の陽子に対して、不審な点があったと言う。それは、こんな短期間の入院であったのに、数々届けられた新品の洋服。どう見ても京子には少し派手気味の服装であったが、どんどん惜しげもなく届けられたのには、訳があった。
この病み市場病院に三年ほど入院していたこの芽衣子は、一部始終この院内で行われていたことを目にしていたのだ。ここで薬漬けにされた人にはわからないが、この芽衣子は薬を飲まされてはいなく、自ら任意で入院してきた者であった。その為、薬の強要はなかった。ただこの三年で、おぞましい悪魔のような世界を、目にしてきた。
ここに、医療保護入院を無理矢理された人の中で、お金を持っている人は、その間に薬漬けにして脳内の記憶を消し、今が一番いいと想わせるような処置を司っていくとのこと。例えば、看護師の言う事を聞くようになったら、看護師は必要な人であり、あなたにとって大事な薬をくれる大切な人と思わせるのである。その為、京子が言う事を聞くようになって以来、疑う事すら忘れてしまった京子は、薬を素直に飲むようになっていた。そうなったら、こっちのものとばかりに、病み市場有料老人ホームの斡旋をしてくるのだ。
そこでの入居費用はかかるが、それ以外は、あなたの物になるという説明を受けた陽子は、今後京子が生涯使用するお金が、最高でもこの金額とはじき出されていた。もうこれ以上、勝手に使われる心配がなくなった陽子たちは、すべて自分たちのものにしようと決めていた。どちらかと言うと、長い付き合いのある二男の嫁の郁美の方が、陽子よりも可愛いという想いがあることをわかっていた健太は、相続になった時に不利になると思っていたのだ。もしかして、今後京子が遺言書を準備するかもしれなく、まだこの準備すらしていない今が決行に移す時であると確信した陽子たちは、病み市場に葬ることを決断したのだ。
翔子が芽衣子から聞かされたことは、まず不審に思った洋服のことだった。この病棟内ではよくあるらしく、その対象者に少し若めの服を用意するのは、後に必要でなくなった時に、自分が着ようと思っているからということであった。すべてこの間に与えられている物は、計画的に購入されていたことだと知った翔子は、納得したのだった。
芽衣子は、物忘れの激しくなる前の京子の事をしらなかった為、本当に病気だと思っていた。この時翔子は、陽子という嫁に『ここで殺してやる』と言われ、この病み市場病院に連れてこられたことを話した。それに続き、京子から聞いたこの病み市場病院に入る二週間ほど前のことを、翔子は芽衣子に話した。
京子は孫の京香を小学校まで、迎えに行ってほしいと陽子に頼まれたと言った。その日は、特に陽子がパートに行っている日でもなく、単に用事があるのであろうと思った京子は、何ら不審に思わずに、迎えに行ったということだった。しかしいつもなら、前日にはこういったお願いの連絡が入っていたが、この日は当日の十時頃であった。特に用事のなかった京子はその電話で「いいよ」とだけ言い、京香を小学校が終わる時間を見計らい、自宅から自転車に乗りながら行ったとの事だった。自転車を駐輪場に置いた京子は、京香の待つ教室へ向かった。京香の担任の先生とは、顔見知りになっていた京子は、先生から京香を引き取り、京子の自宅へ自転車を押しながら共に帰っていった。
それから陽子に指示されていた通り、まずは学校の宿題を終わらせて、陽子が迎えに来るまで、京子は京香と一緒にリビングで遊んでいた。一時間くらい遊んだところで、陽子が迎えにきた。陽子は、鍵のかかっていない玄関から、そのままリビングに入ってきた。「帰るよ」と陽子が言った後に「おばあちゃんといたい」と京香が言ったその瞬間に、一緒に遊んでいた京子から京香をいきなり奪い去り、ソファーの上に京香を仰向けにして、陽子はその上に馬乗りになり、きちがいのような罵声を京香に浴びせていたのだった。
この現場を修羅場のように思えた京子は、その時これ以上京香が不利になるような事をしたくない気持ちもあり、少し陽子が冷静になるのを待った。その時京香は、馬乗りにされた状態で「おばあちゃんの方がいい」と必死で叫んでいたのだ。このような虐待事件が起こってしまったのはきっと、この陽子の年齢から推測すると、更年期の症状であり、陽子の方がこの病み市場病院に入院すべき人と、翔子は芽衣子に話した。
この恐ろしい陽子の言葉を聞いた翔子は、京子の目の前では言えなかったが、我が子である健太も共犯であり、確信犯であることを芽衣子に伝えた。逆に資産がある事で、このような事に巻き込まれた京子を何とか救いたいと思っていた。まだ病みではない娑婆世界で生きられたはずの京子は、病みに葬られる事になったのだ。
翔子は芽衣子に言った。
陽子はなぜ、このような犯罪めいた事を強引に起こしてしまったのかというと、現在ある京子の保有する資産を、すべて知り具体的な金額で表したかった。そこで、はじき出された金額から、京子の余命にかかる金額を差し引き、それ以外の資産をできるだけ二男の雄太に取られないようにするには、陽子が京子の面倒を見ているフリを演ずることが手っ取り早いと考えたのだ。これにより、雄太たちは面倒を見ていなかった後ろめたさから、すべての財産を放棄してくれるに違いないと考えたからなのであろう。
まだ、京子が死んでもいないのに、いきなり相続を想定してここまでのシナリオを陽子は描き上げていたのだ。いや、もしかしてこのシナリオは、すべて病み市場病院にある規程集に書かれていたのではないだろうか?その規定集に則り精神科医山下は、独居房同然の保護室に入れたのだ。もしも、ここが独居房ならば、京子は冤罪によって入れられているという事になる。この地下十三階にある病み市場には、悪魔が存在しているのであろう。
陽子はここにいる悪魔によって導かれ、京子をこの病み市場の餌食としたのだ。
すべての構図の見えた翔子であっても、助けたい気持ちはあるが、それでも未だに助けられてはいない。精神科では、こういった強制的に入院させられる事は、珍しくなくこれらの不当な扱いに対して、精神保健相談を各地の弁護士会が対応している。しかし京子の場合、担当医山下から与えられているこの病棟内で行える処遇が、最後まで電話は不可であったのだ。その為、翔子が京子に代わって弁護士会に電話をしたが、京子本人からの依頼に限ると言われてしまいどうする事もできなかったのだ。
今では、京子は病み市場有料老人ホームに入居し、なぜそこに入る事になったのかさえわからないまま穏やかに暮らしていた。
こうして角隠しに隠れていたはずの京子の鬼の角が、怒ることを忘れてしまった今、すっかり折れてしまっていた。
毎日のようにこの病み市場では、自分の手を汚すことなく、自分の望みを叶えてくれる場所として在り続けている。殺したいほど憎い相手でも、こうやって、病みの力で排除できるのである。実際に、起こした陽子の行動は、巧みな言葉で京子を連れ出し、この病み市場まで連れてきただけであった。この行動を起こせるあなたなら、いずれ死者となるこの京子のように葬り去ることができるはず。
こんな病み市場の世界は、あなたの住む街の地下十三階で、京子のようにそこから這い出ようとする手が、あなたの足を探しつつ、あなた帰りを待っている。
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