蛙の唄が聞こえてくるよ

春秋花壇

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孵化(ふか)

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すくすくと伸びていたカサブランカの先端が黒くなり、

びっしりとアブラムシが付いています。

何故かありは一匹もいません。

良太さんとわたしは、慌てて対処します。

わたしは、根元にオルトランの顆粒を蒔き、

良太さんは消毒薬で先端を消毒しています。

リン酸とカリの多めの肥料も施して様子見です。



「うわーん、ごめんなさい」

わたしは、脱衣場の板の間にへなへなと座りこみ泣き出してしまいました。

おろおろと、お風呂場で裸のまま立っている良太さん。

穴があったら、入りたい。

体中から、熱がほとばしり出る。

もう、もう、このまま何もなかったことにして消えてしまいたい。

どうしていいかほんとにわからなかったのです。

こんな時、普通の奥さんはどうしているんでしょう。



わたしは、今日、女の子の日でショーツを汚してしまって、

お風呂場の洗面器に洗剤を入れて漬けておいたのです。

そんな事とは露しらず、大好きな良太さんはお風呂に入ろうとしたのです。

当然のように洗面器を使おうとして、その汚れ物を目にしました。

その洗濯物をどう処理したらいいか分からないので、

良太さんが大きな声で

「これどうするのー?」

って。


わたしは、キモい女、汚い女と思われたと思い込んで泣き出してしまったのです。

びえーん。

思えば、これが蛙化現象の始まりだったと思うのです。

憧れの良太さんと結婚できて、丁度3か月。

そろそろ、脳内お花畑が解けて現実がちらほら見えてきます。

3の法則。

3日、3週間、3か月。3年。

多くの恋人たちに魔が差すのです。

3ヵ月は、慣れも手伝うのでしょうか。

期待、思い込み、押し付けの魔法が溶けてきちゃうんですよね。

そして、単調な生活が残ります。

こうして、泣いている間も私の頭はフル回転し、この事態にどう対処したらいいかを探ります。

とにかく、洗面器を空にしないと……。

わたしは、洗面器から慌てて下着を取り出し洗面所で軽く絞って、

洗面器をよく洗い、良太さんに渡しました。



「ごめん、僕も配慮が足らなかったね。何も言わないで洗ってあげたらよかったのかな?」

そしたら、もしもそんなことになってしまったら、わたしはもっと恥ずかしい思いをしたでしょう。

やっぱり、声をかけてもらってよかったのです。

わたしは慌てて、首を強く横に振りました。

良太さんは、洗面器を受け取ると風呂場の戸を閉めて、

何事もなかったかのようにお風呂に入りました。

残されたわたしは、もう一度汚れた下着を丁寧に洗面所で洗い、

固く絞って物干しハンガーに。



この日から、なんとなく良太さんの顔を今までのようには見れなくなりました。

悍(おぞ)ましいものを見られてしまった。

恥部に触れられてしまった。

思い出しただけでも今でも汗が吹き出します。

耳までまっかになってしまいます。

ふと、学校の教室で同級生が、憧れの男子とデートできたのに

「ふわふわとろとろオムライス」と、長い名前をそのままに注文しただけで

蛙化してしまった話を思い出しました。

二度と会いたくないと思ったのだそうです。

命短し、恋せよ乙女~♪


良太さんにとって、わたしも蛙化したのではないかと思うと

今すぐにでも実家に荷物をまとめて帰りたくなるのです。

わたしは、どんどん病んでいき、ハウスキーパーさんの佐竹さんが来ても

上の空で具合が悪いと布団をかぶって寝ていることが増えてしまいました。

この時には、良太さんへの想いはまだ蛙化してはいなかったと思います。

だって、嫌われるのが唯怖かっただけなのですから。

3日くらいたって、ご飯も食べられなくなって

「実家に帰ってきてもいいですか?里帰り」

良太さんは、にこにこしながら

「そうだね。3ヵ月無事に過ぎたし、ホームシックなのかな?

お母さんに甘えておいで」

と、快く承諾してくれました。

良太さんは、いつもわたしを大切にし、愛してくれます。

だから、わたしもお返ししたいのに。

善き伴侶として、いつもにこにこして夫を送り出す妻になりたいのに。

現実のわたしは、自分が思っているほど、立派な人ではないようです。

シンデレラが12時の魔法が溶けて、ぼろのみすぼらしい少女に戻ったように

白いエプロンのよく似合う可愛い幼な妻はなんとも情けないメンタルの持ち主だったのです。

そして、裸の良太さんの姿も目に焼き付いてしまっているのです。

やっぱり、海の藻屑のようにこのまま消えてしまいたい……。

良太さんに憧れ、妻という座を手に入れたのに

わかめや昆布にからまれ、海の奥深くに引きずり込まれてしまうのでしょうか。

次の日、実家に帰ったわたしを見て、母は、

「何にも言わないで、今はゆっくりおやすみ」

と、ラベンダーティーを飲ませてくれました。

紫の小さな花穂をカップに添えて、安らぎが漂います。

「ようやく夢からお目覚めですか?お姫様」

母は、なぜかこうなる事が分かり切っていたような安堵の顔さえ浮かべているのです。

結婚は、妥協の連続。

結婚は生活。

そんな言葉さえ、知らなかったんですよね。



「蛙化現象」とは、好意を持った相手に好意を持たれたら、逆に嫌になってしまうという現象です。 これは自分にも相手にも影響が生じるものになります。 自己肯定感の低さ、他者軸の強さというのが時に影響してしまうことがあります。







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