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エピローグ — 星座は動いている
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エピローグ — 星座は動いている
春のジュネーブ。
雪はもう溶け、湖の水面は陽光を跳ね返すようにきらめいていた。
空気は柔らかく、まだ少し冷たい。
アリアは会社の屋上に一人立ち、深呼吸をした。
敷地内では、社内研修のポスターが張り替えられている。
「金融・IT・戦略・言語──学びたい人、誰でも参加できます」
そこに、四月の風がさらりと触れた。
アリアの胸には、静かな余熱が残っていた。
「星は渡すものじゃない。星は、結びつくもの」
呟くと、喉の奥が温かくなった。
手には一通の封筒があった。
宛名は、ハルカ。
◆ ハルカの春
東京。
雨上がりの路地を、ハルカはノートパソコンを抱えて歩いていた。
小さなコーヒーショップの前で立ち止まり、ドアを押すと、焙煎の香りが一気に押し寄せる。
店主が声をかける。
「また新しいクライアント?」
ハルカは笑う。
「そうなんです。地方の工房さんを担当することになりました。
広告運用、やっと黒字にできそうで」
席に着くと、携帯にメッセージが届いた。
──《ハルカさん、動画の効果が出ました。売上が3倍です》
──《本当にありがとう》
ハルカの胸がじんわり温かくなる。
「努力は、未来に届く。
相続じゃなくても、ね」
店主がコーヒーを運んでくる。
湯気が立ちのぼり、ほろ苦い香りが鼻腔に広がる。
「あなた、顔が変わったよ」
「そうですか?」
「うん。前は、“何者にもなれなかった人”みたいな顔だった。
今は、“自分で未来を作る人”の顔だ」
ハルカは微笑む。
「奨学金を受けた時、私はやっと知ったんです。
自分を育てるのは、誰かの相続じゃなくて、今日の意志なんだって」
店主が頷く。
「その意志は、もう誰にも奪われない」
窓の外で、春風が花びらを舞わせた。
◆ ミゲルの夏
南インドの村。
乾いた土の匂い、太陽に炙られた竹の熱。
新しく建てられた平屋の校舎には、白い塗料の匂いがまだ漂っている。
ミゲルはペンキの缶を閉め、額の汗を拭った。
足元では子どもたちが笑いながら走り回る。
「ここが…学校になるのか」
母が少し離れた場所で微笑み、声をかける。
「あなたは昔、土の家で勉強していたね。
ノートは一冊きりで、雨で濡れて破れても捨てられなかった」
ミゲルは頷く。
「だから、学校を作りたいと思った。
子どもたちが、努力を相続できるように」
母はそっと目元をぬぐった。
「あなたは何も持っていなかったのに、今は星を持っている。
でもね、あなたの星は、誰かに渡して初めて輝くの」
その言葉に、ミゲルは深く息を吐いた。
「アリアさんにも知らせたいな。
『努力の星』は、ちゃんと学校になりましたって」
彼はポケットから写真を取り出し、国際郵便の封筒に入れた。
「ここから、未来が生まれる。母さん、僕たちの星座が増えていくよ」
子どもが声を上げる。
「ミゲル先生!黒板に絵が描けたよ!」
ミゲルは笑った。
「素晴らしい!君の描く絵は、世界に届くよ」
夏の光が校舎の屋根に反射し、遠くの山まで眩しく照らしていた。
◆ ルノーの秋
パリ。
会議室には分厚い書類の匂いが漂う。
外は紅葉が揺れ、窓ガラスにかすかな影を落とす。
ルノーは議員たちに資料を渡していた。
「相続税率だけでは、富の循環は起きません。
教育投資と、所得移動の仕組みを同時に作るべきです」
議員の一人が言う。
「税で追いかければ、富は逃げる。
どうすれば逃げない?」
ルノーは迷いなく答えた。
「逃げなくてもいい国を作ればいい。
『人を育てられる国』は、富裕層が帰ってくる。
金は壁ではなく、循環を作る流れです」
議員たちは静まり返った。
「単なる税じゃない。
未来に投資する制度ですね」
ルノーは頷いた。
「国は相続を奪うために税を使うべきではない。
使うべきは、相続を“未来に翻訳する仕組み”です」
書記官が呟く。
「この資料、審議に回しましょう」
その瞬間、ルノーは小さく目を閉じた。
「アリア、君の星座は、制度になるかもしれない」
秋風が書類を揺らし、落ち葉の匂いがほんのり入り込んだ。
◆ アリアの冬
再びジュネーブ。
湖畔のレストラン。
あの食卓で、アリアは一人ココアを飲んでいた。
湯気がグラスの縁を曇らせ、甘い香りが鼻に届く。
ポケットから封筒を取り出す。
ハルカからの手紙。ミゲルからの写真。ルノーからの報告。
全部を胸に重ねると、胸腔に小さな温度が広がった。
アリアは静かに呟いた。
「父さん、私は数字じゃなく、人を相続しているよ。
星は持って生まれたけれど、星座は選べた」
窓の外、夜空に星がいくつも瞬いていた。
それぞれに違う軌道。
それが、互いに線で結びつくように見えた。
店主が声をかける。
「お客様、今日はお一人ですか?」
アリアは笑った。
「いえ、今日は…たくさんの人と一緒なんです」
店主は不思議そうに首をかしげる。
「見えない友情って、あるのね」
アリアは両手でカップを包み込み、目を閉じた。
父の声が風の中で聞こえる気がした。
「人は石垣。人は城」
アリアは微笑む。
「私はもう、孤独じゃない。
人の成長が城壁になり、学校が砦になり、制度が地図になる。
それは、金より強い相続です」
暖炉がぱちぱちと燃え、木の香りが空気に混ざった。
アリアは最後に心の中で言った。
相続が星を与えるのなら、努力は軌道を描き、
友情は、夜空に線を引く。
そして、その線は今日も少しずつ増えている。
暗闇の中で、静かに、確かに。
春のジュネーブ。
雪はもう溶け、湖の水面は陽光を跳ね返すようにきらめいていた。
空気は柔らかく、まだ少し冷たい。
アリアは会社の屋上に一人立ち、深呼吸をした。
敷地内では、社内研修のポスターが張り替えられている。
「金融・IT・戦略・言語──学びたい人、誰でも参加できます」
そこに、四月の風がさらりと触れた。
アリアの胸には、静かな余熱が残っていた。
「星は渡すものじゃない。星は、結びつくもの」
呟くと、喉の奥が温かくなった。
手には一通の封筒があった。
宛名は、ハルカ。
◆ ハルカの春
東京。
雨上がりの路地を、ハルカはノートパソコンを抱えて歩いていた。
小さなコーヒーショップの前で立ち止まり、ドアを押すと、焙煎の香りが一気に押し寄せる。
店主が声をかける。
「また新しいクライアント?」
ハルカは笑う。
「そうなんです。地方の工房さんを担当することになりました。
広告運用、やっと黒字にできそうで」
席に着くと、携帯にメッセージが届いた。
──《ハルカさん、動画の効果が出ました。売上が3倍です》
──《本当にありがとう》
ハルカの胸がじんわり温かくなる。
「努力は、未来に届く。
相続じゃなくても、ね」
店主がコーヒーを運んでくる。
湯気が立ちのぼり、ほろ苦い香りが鼻腔に広がる。
「あなた、顔が変わったよ」
「そうですか?」
「うん。前は、“何者にもなれなかった人”みたいな顔だった。
今は、“自分で未来を作る人”の顔だ」
ハルカは微笑む。
「奨学金を受けた時、私はやっと知ったんです。
自分を育てるのは、誰かの相続じゃなくて、今日の意志なんだって」
店主が頷く。
「その意志は、もう誰にも奪われない」
窓の外で、春風が花びらを舞わせた。
◆ ミゲルの夏
南インドの村。
乾いた土の匂い、太陽に炙られた竹の熱。
新しく建てられた平屋の校舎には、白い塗料の匂いがまだ漂っている。
ミゲルはペンキの缶を閉め、額の汗を拭った。
足元では子どもたちが笑いながら走り回る。
「ここが…学校になるのか」
母が少し離れた場所で微笑み、声をかける。
「あなたは昔、土の家で勉強していたね。
ノートは一冊きりで、雨で濡れて破れても捨てられなかった」
ミゲルは頷く。
「だから、学校を作りたいと思った。
子どもたちが、努力を相続できるように」
母はそっと目元をぬぐった。
「あなたは何も持っていなかったのに、今は星を持っている。
でもね、あなたの星は、誰かに渡して初めて輝くの」
その言葉に、ミゲルは深く息を吐いた。
「アリアさんにも知らせたいな。
『努力の星』は、ちゃんと学校になりましたって」
彼はポケットから写真を取り出し、国際郵便の封筒に入れた。
「ここから、未来が生まれる。母さん、僕たちの星座が増えていくよ」
子どもが声を上げる。
「ミゲル先生!黒板に絵が描けたよ!」
ミゲルは笑った。
「素晴らしい!君の描く絵は、世界に届くよ」
夏の光が校舎の屋根に反射し、遠くの山まで眩しく照らしていた。
◆ ルノーの秋
パリ。
会議室には分厚い書類の匂いが漂う。
外は紅葉が揺れ、窓ガラスにかすかな影を落とす。
ルノーは議員たちに資料を渡していた。
「相続税率だけでは、富の循環は起きません。
教育投資と、所得移動の仕組みを同時に作るべきです」
議員の一人が言う。
「税で追いかければ、富は逃げる。
どうすれば逃げない?」
ルノーは迷いなく答えた。
「逃げなくてもいい国を作ればいい。
『人を育てられる国』は、富裕層が帰ってくる。
金は壁ではなく、循環を作る流れです」
議員たちは静まり返った。
「単なる税じゃない。
未来に投資する制度ですね」
ルノーは頷いた。
「国は相続を奪うために税を使うべきではない。
使うべきは、相続を“未来に翻訳する仕組み”です」
書記官が呟く。
「この資料、審議に回しましょう」
その瞬間、ルノーは小さく目を閉じた。
「アリア、君の星座は、制度になるかもしれない」
秋風が書類を揺らし、落ち葉の匂いがほんのり入り込んだ。
◆ アリアの冬
再びジュネーブ。
湖畔のレストラン。
あの食卓で、アリアは一人ココアを飲んでいた。
湯気がグラスの縁を曇らせ、甘い香りが鼻に届く。
ポケットから封筒を取り出す。
ハルカからの手紙。ミゲルからの写真。ルノーからの報告。
全部を胸に重ねると、胸腔に小さな温度が広がった。
アリアは静かに呟いた。
「父さん、私は数字じゃなく、人を相続しているよ。
星は持って生まれたけれど、星座は選べた」
窓の外、夜空に星がいくつも瞬いていた。
それぞれに違う軌道。
それが、互いに線で結びつくように見えた。
店主が声をかける。
「お客様、今日はお一人ですか?」
アリアは笑った。
「いえ、今日は…たくさんの人と一緒なんです」
店主は不思議そうに首をかしげる。
「見えない友情って、あるのね」
アリアは両手でカップを包み込み、目を閉じた。
父の声が風の中で聞こえる気がした。
「人は石垣。人は城」
アリアは微笑む。
「私はもう、孤独じゃない。
人の成長が城壁になり、学校が砦になり、制度が地図になる。
それは、金より強い相続です」
暖炉がぱちぱちと燃え、木の香りが空気に混ざった。
アリアは最後に心の中で言った。
相続が星を与えるのなら、努力は軌道を描き、
友情は、夜空に線を引く。
そして、その線は今日も少しずつ増えている。
暗闇の中で、静かに、確かに。
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