「BREAKOUT ―秘密のヒーローたち―」

春秋花壇

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プロローグ「夜明けの前で」

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BREAKOUT ―秘密のヒーローたち―

プロローグ「夜明けの前で」

 アスファルトの隙間から立ち上る熱気は、夏の終わりの匂いを含んでいた。
 ネオンが滲む雨上がりの街。どこまでも続く排気ガスの灰色の空気に、微かに焦げた鉄の匂いが混ざる。
 その夜、俺――ユウは、逃げていた。

 「……くそっ、なんで俺が……」

 肩をぶつけたまま、裏通りの壁に手をつく。指先がざらつくレンガに擦れて、血の匂いがした。
 追いかけてくる足音。男たちの怒鳴り声。
 ――バイクを壊しただけなのに。
 遊び半分の出来心が、命を懸けた逃走劇に変わっていた。

 そのときだ。
 闇の中、誰かが俺の腕を掴んだ。

 「静かに。息を止めろ」

 低く、鋭い声。反射的に振り払おうとしたが、強い腕に引き寄せられた。
 その瞬間、耳元にかすかな香り――火薬のような、金属のような匂い。
 息を呑む。

 「誰だ、お前……!」
 「通りすがりのヒーロー、って言ったら信じる?」

 皮肉めいた笑み。暗闇の中でもわかる、切れ長の瞳がこちらを射抜く。
 街灯の光を反射して、その眼はまるで刃のように冷たかった。

 「ふざけんな! 離せって!」
 「黙ってろ。見つかる」

 男は俺の口を手で覆い、背中を壁に押しつける。
 その手のひらは驚くほど熱く、脈打つ鼓動が皮膚越しに伝わってくる。
 すぐ目の前――息がかかる距離で、彼はわずかに囁いた。

 「……お前、運がいい。さっきの奴ら、全員捕まった」
 「は?」
 「俺が片づけた」

 見上げると、男の頬には血の筋。服の袖も焦げている。
 息を呑んだ俺に、彼は小さく笑う。

 「名前は?」
 「ユウ。……お前こそ?」
 「レン」

 その名を口にした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
 夜風が吹き抜け、彼の黒髪が頬をかすめる。
 汗と火薬と雨の混ざった匂いが鼻を突いた。
 ――生きている匂いだった。

 「ありがとう。でも……なんで助けた?」
 「放っておけなかった。ただ、それだけだ」
 「嘘だろ。そんな顔して、正義の味方ってわけでもないくせに」
 「そうだな。正義も悪も、俺には関係ない」

 レンは煙草を取り出し、火を点ける。
 オレンジ色の火が一瞬、彼の横顔を照らした。
 頬を流れる血が光り、唇がわずかに動く。

 「ただ――守りたいものがある」

 その言葉が、夜風よりも重く響いた。

 沈黙のあと、遠くでパトカーのサイレンが鳴る。
 レンは煙を吐き出しながら言った。

 「この辺は危ない。ついて来い」
 「ついて行ったら、俺どうなる?」
 「さあな。死ぬかもしれないし、生き延びるかもしれない」
 「どっちでもいい。……今よりマシなら」

 気づけば、足が自然と彼の方へ動いていた。
 ネオンの光が水たまりに反射して、ふたりの影が重なる。
 その一瞬だけ、世界が静止したように感じた。

 「お前、バカだな」
 「よく言われる」

 笑った俺に、レンは呆れたようにため息をついた。
 でもその目の奥に、一瞬だけ、柔らかい光が宿った気がした。

 倉庫街の奥にある古いビルの階段を上る。
 錆びた鉄の匂いと、湿ったコンクリートの冷たさ。
 レンの靴音が前を行くたび、安心感が胸に滲む。
 ――なぜだろう、初めて会ったはずなのに。

 屋上に出ると、夜風が全身を包んだ。
 ビルの谷間から吹き抜ける風に、遠くのネオンが揺らめく。
 レンはフェンス越しに夜景を見下ろした。

 「この街は腐ってる。嘘と暴力でできてる」
 「だからお前は戦ってるのか?」
 「違う。ただ、終わらせたいだけだ」

 彼の言葉は静かで、どこか祈りのように聞こえた。
 俺は気づけば、その横顔をじっと見ていた。
 冷たい風に髪がなびき、頬の血が乾いていく。
 その輪郭が、月の光で淡く浮かび上がる。

 ――綺麗だ。
 男を見てそう思ったのは、初めてだった。

 「なあ、レン」
 「なんだ」
 「お前、本当に人間か?」
 「……どうだろうな。自分でもわからなくなるときがある」
 「なら、俺が教えてやるよ。お前は――ちゃんと生きてる」

 レンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を逸らした。
 風が二人の間を通り抜ける。
 沈黙が、妙に心地よかった。

 「……お前、変な奴だな」
 「お互いさま」

 そう言って笑うと、レンの口元にもわずかに笑みが浮かぶ。
 その笑顔は、夜の街で見たどんな光よりも、まぶしかった。

 「これからどうするんだ?」
 「わかんねぇ。帰る場所もないし」
 「じゃあ、しばらくここにいろ。……俺が見張っててやる」
 「それって、監禁って言わない?」
 「守るって言ってるんだ」

 心臓が跳ねた。
 彼の声は低く、熱を帯びていて、耳の奥で長く残った。

 ――守る。
 その言葉を、誰かから言われたのはいつ以来だろう。

 夜明けが近づいていた。
 東の空がかすかに白み、冷たい風が吹き抜ける。
 遠くの工場の煙突から白煙が上がり、鳥の声が響く。

 「もう朝か」
 「新しい日だ」
 「何か変わるかな」
 「変えるんだよ。自分で」

 レンはフェンスにもたれ、煙草を空に向けた。
 その煙が朝日に透けて、金色に揺れた。

 俺は隣に立ち、指先で彼の袖を掴んだ。
 彼は少し驚いたようにこちらを見て――笑った。

 「離れんなよ」
 「離れない」

 風が吹く。
 新しい光が街を照らす。
 誰も知らない物語が、今、始まる。

 ――BREAKOUT。
 この手で、運命をぶち破れ。

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