1,401 / 1,436
創作
『悪役令嬢レオノーラ ― 傲慢の女神』
しおりを挟む
『悪役令嬢レオノーラ ― 傲慢の女神』
海から吹く風が、オリュンポスの麓を撫でた。
柘榴の花が赤く裂け、銀木犀の香りが漂う。
祭の朝、城の中庭では白い衣をまとった女が立っていた。
「――見ろ、あれが“傲慢の令嬢”だ」
囁きが群衆を走る。
レオノーラ・ディオニシア。
金の髪、瑠璃色の瞳。
女神のような美貌を持ちながら、婚約者の王子を裏切った罪で断罪された。
「王子を誘惑した? 笑わせないわ。あの人は私を利用しただけ」
レオノーラは冷ややかに笑い、鎖につながれた手をかざした。
銀の指輪が陽を受け、眩しく光る。
「お前の言葉など誰も信じぬ!」
王子が怒鳴る。
「この女の狡猾さに騙された。彼女は神託を偽り、王国を混乱させた!」
その言葉に民衆がどよめく。
だがレオノーラは目を閉じ、静かに言った。
「神託を偽った? ――いいえ、真実を言っただけよ」
秋の風が吹き、芒(すすき)の穂がざわめく。
彼女の足元には、萩と林檎の香が混ざっていた。
*
夜。
牢に入れられたレオノーラの前に、一人の女が現れた。
黒い翼、紅い瞳。冥府の女神――ネメシス。
「お前の怒りの匂い、好きよ」
「……神が人の牢に入るとは」
「人間の悪意は、神の饗宴より面白いもの」
「笑えないわね」
「お前、まだ笑えるじゃない」
ネメシスは囁いた。
「選べるわ。沈黙して死ぬか、復讐の女神になるか」
「復讐?」
「“ざまぁ”ってやつ」
レオノーラの唇が、かすかに上がった。
「いい言葉ね」
女神は微笑んだ。
「ただし、代償がある。
この世の“愛”と“涙”を棄てねばならない」
「そんなもの、とっくに裏切られたわ」
「いい返事ね。なら、行きましょう」
ネメシスが指を鳴らすと、牢の壁が崩れた。
銀杏の葉が舞い込み、稲架(はさ)にかけられた稲が月光を反射する。
「風の女神エイレネが見てる。あなたの“ざまぁ”、楽しみにしてるわ」
*
翌朝、王都に異変が起きた。
晩稲の穂が黒く変わり、井戸の水は紅葉鮒(もみじぶな)の血のように染まった。
空を覆う秋雲の中、銀木犀の香りが強く漂う。
人々は怯えた。
「神の怒りだ!」
「誰が祟った!?」
そして城門の前に、ひとりの女が現れた。
黒い衣、金の髪、手には棉(わた)のように白い火。
「――あなたね、王子」
その声に、群衆が凍る。
レオノーラだった。
だがその瞳は、もはや人間のものではなかった。
光と闇を宿し、秋雨のように冷たい。
「お前は死んだはず……!」
「ええ。人間としては、ね」
彼女の指先から火が舞う。
障子貼のように薄い結界が城を包み、風が鳴った。
「嘘と裏切りで築いた玉座、どれほど脆いか見せてあげる」
王子は剣を抜き、叫んだ。
「悪魔め!」
「いいえ――神よ」
炎が走る。
稲架に吊るされた稲が燃え、黒い煙が天へ昇る。
風が逆巻き、柘榴の木が爆ぜ、赤い果汁が地に落ちた。
それは血のように美しかった。
*
全てが燃え落ちたあと、風が止んだ。
黒い灰の中に、レオノーラは立っていた。
銀木犀の花びらが舞い落ち、焦げた大地に甘い香りを残す。
「……これで、満足か?」
背後からネメシスの声。
「ざまぁ、ってやつね」
「ええ。でも、少しだけ胸が痛い」
「それが“人”の名残よ。消す?」
「いいえ、残しておく。痛みが、私を“神”にする」
風が吹き抜けた。
稲の焦げた匂い、血と柘榴の甘さ、秋雨の湿った空気――。
そのすべてが、レオノーラの新しい息になっていく。
「これからどうする?」
「見ていなさい。
人間は、誰かを悪役にしないと生きられない。
でも、“悪役”がいなければ物語は死ぬ。
――なら、私は永遠に悪役でいい」
ネメシスが笑った。
「やっぱりあなた、好きだわ」
その瞬間、空が裂けた。
銀杏の葉が光り、炎が黄金に変わる。
風の音が鳴り響き、稲の灰が天へ昇る。
それはまるで、新しい神の誕生の祝福だった。
*
数百年後――。
人々は、秋になると黒い翼を持つ女神の像に祈るようになった。
その名を「レオノーラ」と呼んだ。
彼女は恋人に裏切られた女、
悪役にされた令嬢、
そして、復讐によって“ざまぁ”を成した神。
風が吹くたび、銀木犀が香る。
それは、彼女がまだどこかで笑っている証だった。
「悪役でいい。
でも、真実は――私のほうが愛していた」
秋の空に、その声が響いた。
稲架の残骸のような雲が、金色に光っていた。
(了)
海から吹く風が、オリュンポスの麓を撫でた。
柘榴の花が赤く裂け、銀木犀の香りが漂う。
祭の朝、城の中庭では白い衣をまとった女が立っていた。
「――見ろ、あれが“傲慢の令嬢”だ」
囁きが群衆を走る。
レオノーラ・ディオニシア。
金の髪、瑠璃色の瞳。
女神のような美貌を持ちながら、婚約者の王子を裏切った罪で断罪された。
「王子を誘惑した? 笑わせないわ。あの人は私を利用しただけ」
レオノーラは冷ややかに笑い、鎖につながれた手をかざした。
銀の指輪が陽を受け、眩しく光る。
「お前の言葉など誰も信じぬ!」
王子が怒鳴る。
「この女の狡猾さに騙された。彼女は神託を偽り、王国を混乱させた!」
その言葉に民衆がどよめく。
だがレオノーラは目を閉じ、静かに言った。
「神託を偽った? ――いいえ、真実を言っただけよ」
秋の風が吹き、芒(すすき)の穂がざわめく。
彼女の足元には、萩と林檎の香が混ざっていた。
*
夜。
牢に入れられたレオノーラの前に、一人の女が現れた。
黒い翼、紅い瞳。冥府の女神――ネメシス。
「お前の怒りの匂い、好きよ」
「……神が人の牢に入るとは」
「人間の悪意は、神の饗宴より面白いもの」
「笑えないわね」
「お前、まだ笑えるじゃない」
ネメシスは囁いた。
「選べるわ。沈黙して死ぬか、復讐の女神になるか」
「復讐?」
「“ざまぁ”ってやつ」
レオノーラの唇が、かすかに上がった。
「いい言葉ね」
女神は微笑んだ。
「ただし、代償がある。
この世の“愛”と“涙”を棄てねばならない」
「そんなもの、とっくに裏切られたわ」
「いい返事ね。なら、行きましょう」
ネメシスが指を鳴らすと、牢の壁が崩れた。
銀杏の葉が舞い込み、稲架(はさ)にかけられた稲が月光を反射する。
「風の女神エイレネが見てる。あなたの“ざまぁ”、楽しみにしてるわ」
*
翌朝、王都に異変が起きた。
晩稲の穂が黒く変わり、井戸の水は紅葉鮒(もみじぶな)の血のように染まった。
空を覆う秋雲の中、銀木犀の香りが強く漂う。
人々は怯えた。
「神の怒りだ!」
「誰が祟った!?」
そして城門の前に、ひとりの女が現れた。
黒い衣、金の髪、手には棉(わた)のように白い火。
「――あなたね、王子」
その声に、群衆が凍る。
レオノーラだった。
だがその瞳は、もはや人間のものではなかった。
光と闇を宿し、秋雨のように冷たい。
「お前は死んだはず……!」
「ええ。人間としては、ね」
彼女の指先から火が舞う。
障子貼のように薄い結界が城を包み、風が鳴った。
「嘘と裏切りで築いた玉座、どれほど脆いか見せてあげる」
王子は剣を抜き、叫んだ。
「悪魔め!」
「いいえ――神よ」
炎が走る。
稲架に吊るされた稲が燃え、黒い煙が天へ昇る。
風が逆巻き、柘榴の木が爆ぜ、赤い果汁が地に落ちた。
それは血のように美しかった。
*
全てが燃え落ちたあと、風が止んだ。
黒い灰の中に、レオノーラは立っていた。
銀木犀の花びらが舞い落ち、焦げた大地に甘い香りを残す。
「……これで、満足か?」
背後からネメシスの声。
「ざまぁ、ってやつね」
「ええ。でも、少しだけ胸が痛い」
「それが“人”の名残よ。消す?」
「いいえ、残しておく。痛みが、私を“神”にする」
風が吹き抜けた。
稲の焦げた匂い、血と柘榴の甘さ、秋雨の湿った空気――。
そのすべてが、レオノーラの新しい息になっていく。
「これからどうする?」
「見ていなさい。
人間は、誰かを悪役にしないと生きられない。
でも、“悪役”がいなければ物語は死ぬ。
――なら、私は永遠に悪役でいい」
ネメシスが笑った。
「やっぱりあなた、好きだわ」
その瞬間、空が裂けた。
銀杏の葉が光り、炎が黄金に変わる。
風の音が鳴り響き、稲の灰が天へ昇る。
それはまるで、新しい神の誕生の祝福だった。
*
数百年後――。
人々は、秋になると黒い翼を持つ女神の像に祈るようになった。
その名を「レオノーラ」と呼んだ。
彼女は恋人に裏切られた女、
悪役にされた令嬢、
そして、復讐によって“ざまぁ”を成した神。
風が吹くたび、銀木犀が香る。
それは、彼女がまだどこかで笑っている証だった。
「悪役でいい。
でも、真実は――私のほうが愛していた」
秋の空に、その声が響いた。
稲架の残骸のような雲が、金色に光っていた。
(了)
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる