ギリシャ神話

創作

萄の精霊と紅の宴 ロッソ・ディ・ノートリ（トゥア・リータ）

萄の精霊と紅の宴　ロッソ・ディ・ノートリ（トゥア・リータ）

夕暮れのアクロポリスの丘は、赤く染まる葡萄畑に包まれていた。金色の陽光が葉の間から差し込み、葡萄の粒は宝石のように輝く。私はデメテル、大地と豊穣の女神。だが今宵は、収穫祭の宴に向けて、特別な訪問者を迎えていた。

「ふふ……来たわね、ロッソ・ディ・ノートリ」
私が声をかけると、霧のように赤い光を纏った小さな精霊――トゥア・リータが羽音を立てて舞い降りた。彼女は葡萄の神秘を体現した存在で、その手に触れるだけで果実が熟すと言われている。

「デメテルさま、今年の葡萄も最高の色に染まりましたわ」
トゥア・リータの声は澄み渡り、葡萄の甘い香りと混ざり合う。私は手で頬を撫で、温かさを感じる。
「ありがとう、リータ……あなたがいてくれるから、畑も畝も、こんなに輝いているのね」
私は穂先の葡萄を一粒摘み、指先で転がす。粒の表面は光を受けて濡れたように輝き、口に含むと甘さが舌の奥に広がった。

「さあ、収穫祭の始まりですわ。皆にこの色を見せましょう」
精霊は空中でくるりと回り、赤い光の軌跡を残す。その軌跡は、まるで夜空に描かれた星座のようで、見る者の心を奪う。
「わあ……まるで魔法ね、リータ」
村の少年が目を輝かせて言う。私も頷き、風に乗る葡萄の香りを胸いっぱいに吸い込む。

宴が始まると、村人たちは収穫した葡萄を籠に入れ、乾いた藁の上に並べた。私はリータと共に、香りを確かめながらひと粒ひと粒を手で触れる。
「この粒は甘くて瑞々しい……まるで太陽の味」
「デメテルさま、そうでしょう？ これぞロッソ・ディ・ノートリの真髄です」
リータの声には誇りが満ちていた。指先で葡萄の皮を押すと、果汁が微かに滲む。冷たく、甘く、香り高い。五感が歓喜で震える。

子どもたちは小さな口を開けて笑い、葡萄を頬張る。
「おいしい！ なんだか体が温かくなるみたい」
「そう……葡萄の魔法よ」
私は微笑み、リータと共に踊るように畑を歩く。風が頬を撫で、葉のざわめきが耳に届き、土の香りと混ざる。全身で秋の恵みを感じる瞬間だった。

「リータ、見て……空も紅く染まってる」
「ええ、母さま。夕陽と葡萄の紅が重なり、まるで宴のよう」
私は目を細め、葡萄畑全体に広がる赤のグラデーションを心に刻む。粒の表面に映る光、葉の影、風に揺れる茎の感触……すべてが五感に深く響く。

夜になると、祭りの火が灯り、焚き火の香ばしい匂いが漂う。リータは火の光を受け、赤い翼を輝かせた。
「デメテルさま、この火で葡萄を炙れば、さらに甘味が増しますわ」
私は頷き、火にかざされた葡萄を見つめる。香りが一層濃くなり、舌の奥に甘みが広がる。
「わあ……こんなに香ばしく、深い味になるのね」

村人たちは輪になり、歌い、踊る。太鼓の低音が胸に響き、笛の音色が夜風に乗る。私は娘のペルセポネと手を取り、リータと共に踊る。足元の草の感触、藁のざらつき、火の暖かさ、そして五感すべてに満ちる葡萄の香り……心が弾む。

「デメテルさま、見てください……皆の笑顔」
リータの声に視線を向けると、火の光に照らされた村人たちの顔が輝いていた。口元に笑み、目に喜び。五感だけでなく、心の奥まで幸福で満ちていく。
「ええ、これが私の喜び……皆の幸せ」
私は深く息を吸い込み、香り、音、温もり、光を全身で味わう。五感が歓喜で震え、感情が溢れ出す。

最後に、リータが赤い光の輪を描きながら空に舞う。
「この紅を来年も皆に届けますわ！」
私は手を振り、答える。
「ありがとう、リータ……あなたと共に、また一年、豊穣を見守れることが幸せよ」
赤い光が夜空に消え、葡萄畑は火と月明かりで静かに輝く。秋の香りと喜び、甘い果実と人々の笑顔……すべてが私の心に深く刻まれた。

五感と感情で満たされた夜。収穫と宴、赤い葡萄の精霊――ロッソ・ディ・ノートリがもたらす幸福。私は深く頷き、来年もこの紅の宴を迎えられることを胸に誓った。