【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

文字の大きさ
11 / 60
第一章

悪徳商人の受難

しおりを挟む
 アレクシスは上着の内側に手を差し入れると、不吉な黒い拳銃を抜く。また悪ふざけをするつもりなのだろうか。不思議そうなブランドンを横目に見ながら、アレクシスはにやりと笑った。

「悪いなブランドン。端数の五十ゴールドは天井の修理代だ」

 言い終わるか終わらないかのうちに、天井に銃口を向けた銃が火を噴いた。

「ぎゃあー!!」

 ビリビリと耳を聾する爆音が響き、銃弾の食い込んだ天井から細かな漆喰の欠片が落ちてくる。ブランドンは両手で耳を押さえてへなへなと床にへたり込んだ。

「銃声だ」
「あの部屋だぞ!」
「こっちだ!」

 まるで何かの合図だったかのように、どやどやと制服姿の男たちが部屋へ入ってきた。
 
「ハリントン卿」

 一番最後に踏み込んできた口髭の男が、厳しい顔でアレクシスに近寄る。先に突入した男たちと同じ制服だが、肩についている記章と堂々とした態度で地位の高さがブランドンにも伝わった。

「またこのようなスタンドプレーをなさって。今度こそ我々にお任せくださいとお伝えしたではありませんか」
「手間をかけさせて済まなかった。だが、不肖の従弟の尻拭い役は俺が務めることになっている。不本意なことだが」

 不肖の従弟、の部分で台車の上の男を顎先で示した。口髭の男は苦虫を噛み潰した顔になる。

「せめて我々の準備が整ってから潜入していただけたならどれほどよかったか。ハリントン卿、あなたの行動が素早すぎて、令状に長官が印を押しているのを待つ間、私がどれほど気を揉んだと思っているんです」
「仕方ないだろう。今夜は友人と約束があるんだ。悠長に待ってはいられない」

 男は大きなため息をつき、ワゴンに置かれた黒い仮面を流し見た。

「そのご友人とのお約束で使う装束ですか」
「ああ、これか?」

 仮面へ落とした視線が、興味なさげにすぐ逸らされた。

「本当は警察に踏み込まれる前に方をつけるつもりだったんだ。顔を晒していたらすぐに俺だとバレて、こんな風にブツブツ言われるだろう」
「たとえ顔を隠されても、こんなに派手に動けば素性はすぐに割れますよ。……情報をご提供くださるのは結構ですが、ご自身が潜入するのはお止めいただかなければ困ります。あなたの妹さんからも、大変な苦情が届いているというのに」
「そうできるものならとっくの昔にやっているさ。あの馬鹿は賭博場で借金を作るだけでなく、それを肩代わりしてやると甘い言葉で誘われてのこのことこんなところにやってきたんだぞ。全く、大人しく債務者監獄に入っていればいいものを」

 会話の合間にも、警官と用心棒たちの叫び声や乱れた足音、肉と肉がぶつかる鈍い音が響いている。

「あのお方については、公爵夫人から面倒をみるよう頼まれていらっしゃるとは伺いましたが」
「ああ。伯母上の頼みでなければ、あいつがどうなろうと知ったことではないんだが」

 アレクシスはワインを一息に飲み干してから、口髭の男に同じものを勧めた。

「一杯どうだ」
「職務中ですので」
「相変わらず固いな、お前は」
「あ、あのう……」

 割って入ったのはブランドンだ。彼は床に座り込んだまま、情報量の多すぎる事態を消化できず混乱しきっていた。

「どうした」
「ええ、あの、何と申し上げればよいやら……」

 へたり込み、髪を乱したブランドンの目は大きく見開かれている。狡猾で知られたクーパー商会の会頭とは思えない、子供のようにあどけない顔だ。
 彼は何を尋ねればよいか分からない様子でアレクシスと口髭の男の顔を交互に見ていたが、やがて一番簡単な質問を口にした。

「貴方様は、どなたでしょうか」

 口髭の男を指しているのは明らかだった。アレクシスは頷き、グラスを持つ手とは反対の手を差し伸べた。

「紹介しよう。彼はロナルド・ストロング。このたび警邏けいら隊改め、王都レスターの安全を守る警察の特殊事件担当警視監に就任した」

 ロナルドと紹介された口髭の男は、両の踵をカチンと音を立てて合わせ敬礼した。

「ロナルド・ストロングと申します」

 それは、クーパー商会の会頭に対する挨拶というよりも、紹介された相手への脊髄反射的な反応だった。しかし、そんなことを知る由もないブランドンは驚いて目を白黒させている。

「ロナルドは妹の想い人なんだ」

 またしても爆弾発言が投下された。ハリントン男爵家の令嬢と警察官。もはやその組み合わせが妥当かどうかも分からなくなっているブランドンだ。しかし、紹介された当のロナルドはクッと眉間に皺を寄せた。

「ハリントン卿。そんな出鱈目を事実のようにお話しになっては困ります」
「何を言う。ジュリアナからは何度も思いを告げられているだろうに」
「いいえ。何度も申し上げましたとおり、あれは単なる憧れのようなものです。レディ・ジュリアナのお気持ちに応えることはできません」
「まあそれは二人でけりをつけることだな」

 潤んだ目で二人を見上げるブランドンの視線を感じ、ロナルドは周囲を見回した。
 粗方片付いたようだ。部下たちは台車の上でいびきをかいている男をどうにか起こそうとしているようだが、まだ目覚める気配はない。用心棒は全員捉え縄を打ってある。ロナルドはブランドンの前へ膝をついた。

「ミスター・クーパー。貴方には今から警察で、我々の質問にお答えいただかねばなりません」
「質問」
「はい。盗難と誘拐、そして人身売買についてです」

 曇りのない目でじっと見返され、ロナルドは内心首を傾げた。悪事に手を染めたとは思えない澄んだ目をしている。それは単に彼がアレクシスに翻弄され、思考がオーバーフローしてしまったことが理由なのだが、もちろんロナルドに分かるはずもない。
 アレクシスは空になった自分のグラスと、もうひとつ空いたグラスにワインを注いだ。

「どうしたブランドン。しっかりしろ」
「はあ、しっかりと」
「さあ。気付け代わりに飲むがいい」
「ハリントン卿、今から取り調べが」
「ワインを一杯飲んだからといって、何も変わらないさ。却って頭がはっきりするくらいだ」

 握らされたグラスとアレクシスの顔、そしてロナルドの顔を順繰りに眺めていたブランドンは、ゆらゆらと身体を揺らしたかと思うとクルリと白目を剥き、グラスを握ったままばったりと後ろに倒れた。ワインは一口も飲んでいないにもかかわらずだ。

 アレクシスとロナルドは顔を見合わせ、床に転がっている悪名高いクーパー商会の会頭と、縄を打たれ主と同じように床に伏せている護衛たちに目を遣った。

 ブランドン・クーパー四十九歳。クーパー商会の会頭としてどんな悪事にも躊躇わず手を染め、死神だとか人の生き血を吸う蛭とまで罵られることを厭わない悪徳商人。
 数々の修羅場を潜り抜け、少々のことでは動じないはずの彼が、生まれて初めて気を失った瞬間だった。
 

 
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~

紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。 毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

処理中です...