【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

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第三章

改心した悪徳商人

 しっかりしろ。この客の口車に乗っては後悔するだけだ。ブランドンは軽く笑いながら自分を励ました。

「まさかそのような。ハリントン男爵様ともあろうお方から見込んでいただけるほど、私は大層な人間ではございませんよ」
「何を言う。どうもお前は自分のことを分かっていないようだな」

 居心地悪そうに座るドミニクとは違い、アレクシスはあたかも自宅にいるかのようにくつろいでいる。ひたりと視線をブランドンに当て、よく通る低い声で話し始めた。

「ブランドン。お前は確かに清廉潔白な男ではない。だが正しいことだけを為して生きられる人間など存在しないし、何より俺は悪事に手を染め、悪を識るお前が本当は善を求めているように思えてならないんだ」

 アレクシスはゆっくりと店内を見まわした。

「……人を選ばないよい店だ。ちょっとした贈り物や、自分のために少しだけ贅沢な物を買いたい時、品物を手に取って確かめながら選ぶんだろう。あの公告もいい。客のことを考えているのがよく分かるよ」

 「新商品入荷しました! 気軽にお声がけください」「どうぞ手に取ってお確かめください」「お取り置きいたします」などと書かれた小さな宣伝用広告を指して言う。更に彼は暇そうに毛先を弄る店員に目を遣った。

「入口に置いてある籠の中には、売り物ではない飴玉がたくさん入っていたな。あれは来客用に用意しているのか?」
「えっ、はあ。まあそうです」

 何て目ざとい男だ。ふいの質問に驚きつつ答えれば、アレクシスは真剣な顔で頷いた。

「俺が店に入る時、入れ違いに出て行った子供がいただろう。この店で買い物などできそうにない、貧しい身なりの男の子だ。だが彼は嬉しそうな顔で店を出ていった。手に飴玉を握りしめてな。そこの店員は籠を持ったまま笑顔で見送っていたし、店内にいたお前もそれを把握していたはずだ」

 ちょうどヴィクターと同じくらいの年の子供だった。洗いざらしだが清潔な服を着た男の子はそばかすの浮いた顔を輝かせ、手の中の飴を大切そうに握って元気に駆けていった。

「平民の、あまり豊かではない家庭で飴玉は貴重だ。容易く子供へ買って与えることはできないだろう。お前はそれを知っているから、買い物客ではない子供にも飴をやるよう店員に伝えていたのではないか」
「……だったら何だというのです。誰にも迷惑をかけていないのだから、文句を言われる筋合いはありませんが」
「なあブランドン」

 アレクシスはぐっと身を乗り出した。

「お前は悪に手を染め法を犯す一方、こうやって子供たちに優しく接している。従業員は皆お前のことを慕っていて、辞める者も少ない。どんなに悪ぶっていても、お前が芯から悪人になり切れていない証拠だろう。俺の話を受けるなら人身売買などしなくても十分に利益を出すことができるぞ。今回の件を機に真っ当な道へ戻ってはどうだ――縁を切ったという弟と、和解するためにも」
「ど、どうしてそれを……!!」

 ガタタッと音をさせ、ブランドンは立ち上がった。顔色が変わっている。青ざめ顎を振るわせるブランドンを、アレクシスは観察するようにじっと見つめた。

「そ、そんなことを、どうしてあんたに言われる必要が……」

 それ以上言葉は続かなかった。
 ブランドンは五歳年下の弟から縁を切られている。商売を軌道に乗せるため、違法行為に手を染めたことを知られたのが原因だった。
 両親は既に亡く、血のつながったたった一人の弟だ。幼かった弟を世話し育てたのはブランドンだというのに「犯罪者の兄とは一緒にいられない」と、一言も告げずに引っ越してしまったのだ。

「居場所は把握しているんだろう。いつかは分かり合えると思いながら、目先の利益に目が眩み問題を先送りしてきた。……いや、違うな。悪事から足を洗い、誠心誠意謝っても許してもらえないかもしれないと、それを恐れたのか」
「……っ」

 絶句するブランドンは膝から床に崩れ落ちた。

「自分と離れて暮らす弟の幸福が嬉しくて、そして寂しかったんだな」

 頬に涙が滂沱と流れる。胸がザックリと斬りつけられたようだ。反論の言葉が出せないのは、アレクシスの指摘が余りにも的を射すぎていたからだ。彼の言うとおりだった。

 金で弟の居場所をすぐに突き止めた。見知らぬ土地で苦労して生活する姿に溜飲を下げた。すぐに頭を下げて泣きついてくると思っていた。
 だが何年経っても弟は戻ってこなかった。いつしか彼は結婚し、子供ができて……。幸せに暮らしていると報告を受けるたび、ほっとしたような、腹立たしいような気持ちになった。自分は一人でいいのだと嘯いていても、どこか満たされない思いがあった。それをアレクシスに突きつけられた。

 丸裸にされたようだ。何故とか、どうしてとか疑問に思うより心細さが先に立った。嗚咽を漏らすブランドンの肩が温かい手に覆われる。

「ブランドン。今のままのお前が弟に会いに行っても断られるだろう。だが人は変わる。一歩踏み出すんだ。現状を嘆いて自分を哀れんでいる暇があったら、一日でも早く真っ当になる努力をしろ」

 涙で汚れた顔を上げたブランドンを、深い青の瞳が射抜いた。

「仕事を引き受けてくれるな?」

 新たな涙があふれ、目の前の青が滲む。負けた。ブランドンはそう思った。








「…………ほんっとさあ、アレクってさ……」

 クーパー商会を出た二人は、公爵家に向かう馬車の中にいた。当初の目的を達成したアレクシスは、特に喜んだ風でもなく端然と座っている。

「俺が、何だって?」
「だってさ。百戦錬磨の悪徳商人をあんな簡単にグニャグニャにしちゃうって、すごいを通り過ぎてもう怖かったよ」

 アレクシスは心外だと言いたげに眉を上げた。

「何も変わったことはしていないんだがな」
「どこが!!」

 ドミニクが叫んだ。

「僕だったらたとえ情報を掴んでいたとしても、あんな風にメロメロにさせられないよ。何なのあれ、もう完全に教祖と信徒みたいになっちゃってたじゃない」
「メロメロと言うな、気色悪いから。……人間は一番弱い部分を衝かれると、防御を剥ぎ取られて抵抗できなくなる。だがまあ、ブランドンあいつも今はああだが時間を措けばまたぞろ悪い虫が騒ぎ出すだろう。しばらくは人を遣って目を光らせておくさ」

 ドミニクはうへえ、気の毒にと心の中で思ったが、口には出さないでおく。下手なことを言えば家庭教師の職を失うかもしれないからだ。

「でも、どうしてクーパー商会だったの? アレクからの頼みなら聞いてくれるところは他にもあるだろう?」
「理由はいくつかあるが、まずブランドンは闇仲買人と交渉できるほど裏の業界に深く通じていて顔が広い。そして商売で大金を動かすことに慣れている。これが案外盲点なんだ。思い切って勝負すべき時にしみったれた値切りをしたり、様子を見るべき時に相手の言いなりになって金を支払ってしまったりする者が多いからな。ブランドンならそういった勝負勘は持ち合わせているから大丈夫だろう」

 確かに人身売買や盗品の販売で動かす金額は桁違いだ。納得しているとアレクシスは説明を続けた。

「何より一番大きいのは、心の底からの悪人ではないからだ。従業員を大切にし、街の貧しい子供の笑顔を見るために飴玉を用意してやる。ただの悪い奴ならごまんといるが、犯罪行為に手を染めながら店員と用心棒両方から慕われる経営者というのはなかなかいないものだぞ。俺は犯罪者とは組まない主義だが、更生しようという者の支援は惜しまない。だから今回は何としてもブランドンに足を洗わせる必要があったんだ」
「へぇ……そうなんだね」

 犯罪者の更生支援という、アレクシスの新たな一面を知ってドミニクは感心しきりだ。持てる者ノブレス・の義務オブリージュだったにせよ、その行いは尊敬に価する。ブランドンなどは感動していたほどだ。

 金に糸目をつけることなく、闇仲買人が売ろうとする布は全て買い占めろ。アレクシスが命じたことに驚きながらも頷いたブランドンの目は使命感に満ちていた。やる気漲るクーパー商会の会頭を思い出しながら、ドミニクの胸に一抹の不安が過る。

「僕の取り越し苦労かもしれないけれど、ブランドンは余計なことをしたりしないかな」
「余計なこと?」
「うん……。どうして布を買い占めようとするのか、アレクは説明していただろう? ハイトブリッジで老舗の店が閉店に追い込まれてる、って。それを聞いた時のブランドンの反応が少し気になって……。黒幕を突き止めようとか、そういう危ないことをするんじゃないかと心配なんだ」

 ドミニク自身ブランドンの毒牙にかかりそうになったというのに、お人好しにも程がある発言だ。しかし、アレクシスの返事は実にあっさりとしたものだった。
 
「ああ、突き止めようとするかもしれないな」
「え? 危ないよねそれ」
「用心棒もいるし、そう無謀なことはしないとは思うが。むしろブランドンが危険な目に遭うよりも可能性が高いのは――」
「高いのは?」

 ドミニクはごくりと唾を飲み、従兄の横顔を見つめた。

「仲買人のほうに寝返ることだな」
「えぇっ!」

 ドミニクは椅子の上で飛び上がった。

「そんな! それでもいいの?」
「よくはないが仕方ないだろう。もしそうなったら、俺の見る目がなかっただけのことだ」
「でも、裏切られる可能性があるならやっぱり別の人に頼んだほうが――」
「いや」

 ふ、と唇を撓めて微笑んだ従兄は、楽しそうに目を細めた。

「そうなった時には、仲買人もろとも切り捨てればいいことだ。何の問題もない」

 カラカラ……と、車輪の音が馬車の中に広がる。話は終わったとでもいうように、従兄は薄暗くなってきた外を眺めていた。ドミニクは冷や汗をかきながら、世の中には絶対に敵に回してはいけない人間がいるのだと改めて思った。


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