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第六章
牢獄の花嫁
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グレッグはクラリスをしげしげと眺め、ほうと感嘆の声をもらした。
「随分いい面構えになったじゃないか。やはり人間、温い場所で過ごしては成長できないということだな。国を出てからのことがいい経験になったんだろう。よかったじゃないか」
とんでもない言い草にクラリスは奥歯を噛みしめたが、ここで腹を立てては計画が狂ってしまう。懸命に平静を装うクラリスの目を、グレッグは肩を揺らして笑いながら覗き込んだ。
「私を見て驚かなかったことといい、おびき寄せられたことは分かっているようだな。それをのこのことやってきたのは、目的があったからか? 例えば、私と刺し違えようというような」
それこそまさにクラリスの望むことだ。キッと睨みつけた姪にグレッグは大きく頷いた。
「そうだろう、そうだろうよ。クラリス、お前の気持ちはよくわかる。両親に加え、兄までも手に掛けた叔父と会うんだからな。自分の命と引き換えに私を殺したくなるのも無理はない」
「う、嘘だ!」
床に転がったままのノエルが叫ぶ。
「王太子殿下は傷を負ってはいるが生きておいでだと、治療をして欲しければ姫様を呼びだせと、あなたはそう言ったではないか!」
グレッグは目線だけでノエルを見下ろした。
「つくづく馬鹿な男だな。そんなもの作り話に決まっているだろう」
「作り話であるはずが……」
「うむ。切羽詰まると人は希望に縋るものだ。私は優しい人間だから、その希望まで奪うつもりはない。好きなだけ夢をみているがいい」
「ご遺体がないじゃないか!!」
ノエルは額からねばつく汗を流しながら、身体全体を使ってグレッグのほうへ這い進んだ。
「王太子殿下を殺害したなら、国民にそれが知れ渡るようご遺体を晒したはずだ! そうしていないのだから、殿下はご無事でいらっしゃる!」
ノエルもクラリスと同じ結論に至っていたようだ。グレッグは糾弾にやや鼻白んだ様子で、それでも十分な余裕をみせた。
「死体がないからなんだと言うんだ。いいか、ルークはあの日兵士に斬られ、大量に出血しながら城から逃げ出した。その出血量がどれほどのものだったかお前は知らないだろう。大理石の床一面が血に染まり、掃除するのにも手間取ったほどだったんだ。そして、血の跡は森の中で途絶えた……これがどういう意味だと思う? あいつにも護衛騎士が二人ついていたが、医者でもなければどうしようもなかったはずだ」
「だ、だがどこにもご遺体は……」
「もしお前がルークについていたとして、あいつが死んだら死体を放置したままにしておくのか? 私の手に堕ちないよう、どこかに隠そうとするんじゃないか。ルークは逃亡中に森の中で死に、死体は……埋めたか、川に流したか。ああ、捜索中に動物に食い荒らされた死体が発見されていたな。もしかしたらそれかもしれない。性別も分からないほど食われていて、辛うじて人間であることが分かるくらいの部分しか残されていなかったから、そのまま捨て置いたんだ。今頃は糞になって土に還っているだろう」
「……貴様……!」
ノエルの身体から殺気が膨れ上がる。視線だけで殺せそうな目で睨まれてもグレッグはどこ吹く風だ。面倒そうにブランドンへ話しかけた。
「こいつをまだ生かしておく理由はなんだ。さっさと始末しろ」
「今時は死体の始末も大変なのですよ。しばらくお時間をいただきませんと」
「それなら別の場所に――」
「ここはぁ、どこだぁ?」
素っ頓狂な大声が聞こえ、全員が地下牢の入口に目を遣った。そこには白髪だらけの蓬髪におかしな角度で帽子を被り、丸めたようなクラヴァットと、元は上等だっただろう汚れた上着の上からガウンを羽織った初老の男性が立っていた。
グレッグは小さく舌打ちをすると、その男性に向かって妙に明るく挨拶をした。
「これはこれは、ウィンシャム公ではありませんか。こんな時間にどうなさったのです?」
「ここは……こんな、時間……?」
ぼんやりとした視線を彷徨わせているのはウィンシャム公爵家の当主だった。クラリスは驚いて口を両手で押さえる。あの舞踏会の夜、アレクシスと言い争いになったニコラスの父親だと気づいたからだ。
あの時アレクシスは、ウィンシャム公のことを何と言っていた? 確か『物忘れが激しくなり、あろうことか邸内で迷うことがある』と言っていなかったか。
クラリスは今まさにその状態を目にしているのだ。しかも、聞いていたより状態はかなり悪い。
青ざめるクラリスに茫洋とした視線を向けたウィンシャム公は、突然カッと目を見開いた。
「お前……なぜお前がこんなところにいるんだ!」
「……!」
「姫様!」
「おい、やめろ!」
老人は激高したかと思うと、いきなりクラリスに掴みかかった。余りにも突然の動きに抵抗できないクラリスの細い首を力任せに絞めあげる。さすがに慌てたグレッグがとめに入るが、どこにそんなと思うほどの力で振り払った。
「ソフィア・パラコート! お前がなぜこんなところに! お前のせいで私は、ハリントンごとき成り上がり者に頭を下げる羽目になったんだぞ!!」
朦朧とするクラリスには分からなかったが、ウィンシャム公が口にしたのはかつて息子を弄び、アレクシスとの諍いの元となった女性の名だった。ハリントン男爵家への恨みが、屈辱を舐めさせられるきっかけとなった女に向いたのか。どちらにせよクラリスには無関係のことなのに、何かにとりつかれたようなウィンシャム公の目には、自ら罰を与えるべき憎い女に見えているようだった。
「まずい! ブランドン、急げ!」
ぎりぎりと首を絞められたクラリスの意識が遠のく。ブランドンの用心棒が力ずくでウィンシャム公を引きはがしてくれなければ、クラリスの命はなかっただろう。
ドサ、と床に倒れたクラリスは、喉を押さえながら空気を吸い込んだ。こめかみで血管がドクドクと脈打ち、いつまでも咳がとまらない。喉から出血したのか血の味がする。かび臭い地下牢の空気が甘露のように感じた。
ぜいぜいと肩で息をするクラリスを助け起こそうともせず、グレッグはまた舌打ちをした。そしてぶつぶつと何事か呟き始めたウィンシャム公へ、場違いなほど平然として笑いかけた。
「乱暴をなさっては困りますね。彼女は私の花嫁なのですよ」
――え?
床に両手をついて叔父を見上げる。グレッグはクラリスの前にしゃがみ、目だけで笑ってみせた。
「クラリス。お前は私の花嫁となり、シエルハーン王国の王妃として私の子を産むのだ。王太子も第二王子もいない中、王女と結婚した私が玉座に就くのを阻む者は誰もいない。盛大な結婚式をしてやろう。ドレスもベールも、宝石をちりばめた宝冠も全部新調すればいい。どんな贅沢もお前の思うがままだ。喜んでくれるだろう? 愛しい姪よ」
「随分いい面構えになったじゃないか。やはり人間、温い場所で過ごしては成長できないということだな。国を出てからのことがいい経験になったんだろう。よかったじゃないか」
とんでもない言い草にクラリスは奥歯を噛みしめたが、ここで腹を立てては計画が狂ってしまう。懸命に平静を装うクラリスの目を、グレッグは肩を揺らして笑いながら覗き込んだ。
「私を見て驚かなかったことといい、おびき寄せられたことは分かっているようだな。それをのこのことやってきたのは、目的があったからか? 例えば、私と刺し違えようというような」
それこそまさにクラリスの望むことだ。キッと睨みつけた姪にグレッグは大きく頷いた。
「そうだろう、そうだろうよ。クラリス、お前の気持ちはよくわかる。両親に加え、兄までも手に掛けた叔父と会うんだからな。自分の命と引き換えに私を殺したくなるのも無理はない」
「う、嘘だ!」
床に転がったままのノエルが叫ぶ。
「王太子殿下は傷を負ってはいるが生きておいでだと、治療をして欲しければ姫様を呼びだせと、あなたはそう言ったではないか!」
グレッグは目線だけでノエルを見下ろした。
「つくづく馬鹿な男だな。そんなもの作り話に決まっているだろう」
「作り話であるはずが……」
「うむ。切羽詰まると人は希望に縋るものだ。私は優しい人間だから、その希望まで奪うつもりはない。好きなだけ夢をみているがいい」
「ご遺体がないじゃないか!!」
ノエルは額からねばつく汗を流しながら、身体全体を使ってグレッグのほうへ這い進んだ。
「王太子殿下を殺害したなら、国民にそれが知れ渡るようご遺体を晒したはずだ! そうしていないのだから、殿下はご無事でいらっしゃる!」
ノエルもクラリスと同じ結論に至っていたようだ。グレッグは糾弾にやや鼻白んだ様子で、それでも十分な余裕をみせた。
「死体がないからなんだと言うんだ。いいか、ルークはあの日兵士に斬られ、大量に出血しながら城から逃げ出した。その出血量がどれほどのものだったかお前は知らないだろう。大理石の床一面が血に染まり、掃除するのにも手間取ったほどだったんだ。そして、血の跡は森の中で途絶えた……これがどういう意味だと思う? あいつにも護衛騎士が二人ついていたが、医者でもなければどうしようもなかったはずだ」
「だ、だがどこにもご遺体は……」
「もしお前がルークについていたとして、あいつが死んだら死体を放置したままにしておくのか? 私の手に堕ちないよう、どこかに隠そうとするんじゃないか。ルークは逃亡中に森の中で死に、死体は……埋めたか、川に流したか。ああ、捜索中に動物に食い荒らされた死体が発見されていたな。もしかしたらそれかもしれない。性別も分からないほど食われていて、辛うじて人間であることが分かるくらいの部分しか残されていなかったから、そのまま捨て置いたんだ。今頃は糞になって土に還っているだろう」
「……貴様……!」
ノエルの身体から殺気が膨れ上がる。視線だけで殺せそうな目で睨まれてもグレッグはどこ吹く風だ。面倒そうにブランドンへ話しかけた。
「こいつをまだ生かしておく理由はなんだ。さっさと始末しろ」
「今時は死体の始末も大変なのですよ。しばらくお時間をいただきませんと」
「それなら別の場所に――」
「ここはぁ、どこだぁ?」
素っ頓狂な大声が聞こえ、全員が地下牢の入口に目を遣った。そこには白髪だらけの蓬髪におかしな角度で帽子を被り、丸めたようなクラヴァットと、元は上等だっただろう汚れた上着の上からガウンを羽織った初老の男性が立っていた。
グレッグは小さく舌打ちをすると、その男性に向かって妙に明るく挨拶をした。
「これはこれは、ウィンシャム公ではありませんか。こんな時間にどうなさったのです?」
「ここは……こんな、時間……?」
ぼんやりとした視線を彷徨わせているのはウィンシャム公爵家の当主だった。クラリスは驚いて口を両手で押さえる。あの舞踏会の夜、アレクシスと言い争いになったニコラスの父親だと気づいたからだ。
あの時アレクシスは、ウィンシャム公のことを何と言っていた? 確か『物忘れが激しくなり、あろうことか邸内で迷うことがある』と言っていなかったか。
クラリスは今まさにその状態を目にしているのだ。しかも、聞いていたより状態はかなり悪い。
青ざめるクラリスに茫洋とした視線を向けたウィンシャム公は、突然カッと目を見開いた。
「お前……なぜお前がこんなところにいるんだ!」
「……!」
「姫様!」
「おい、やめろ!」
老人は激高したかと思うと、いきなりクラリスに掴みかかった。余りにも突然の動きに抵抗できないクラリスの細い首を力任せに絞めあげる。さすがに慌てたグレッグがとめに入るが、どこにそんなと思うほどの力で振り払った。
「ソフィア・パラコート! お前がなぜこんなところに! お前のせいで私は、ハリントンごとき成り上がり者に頭を下げる羽目になったんだぞ!!」
朦朧とするクラリスには分からなかったが、ウィンシャム公が口にしたのはかつて息子を弄び、アレクシスとの諍いの元となった女性の名だった。ハリントン男爵家への恨みが、屈辱を舐めさせられるきっかけとなった女に向いたのか。どちらにせよクラリスには無関係のことなのに、何かにとりつかれたようなウィンシャム公の目には、自ら罰を与えるべき憎い女に見えているようだった。
「まずい! ブランドン、急げ!」
ぎりぎりと首を絞められたクラリスの意識が遠のく。ブランドンの用心棒が力ずくでウィンシャム公を引きはがしてくれなければ、クラリスの命はなかっただろう。
ドサ、と床に倒れたクラリスは、喉を押さえながら空気を吸い込んだ。こめかみで血管がドクドクと脈打ち、いつまでも咳がとまらない。喉から出血したのか血の味がする。かび臭い地下牢の空気が甘露のように感じた。
ぜいぜいと肩で息をするクラリスを助け起こそうともせず、グレッグはまた舌打ちをした。そしてぶつぶつと何事か呟き始めたウィンシャム公へ、場違いなほど平然として笑いかけた。
「乱暴をなさっては困りますね。彼女は私の花嫁なのですよ」
――え?
床に両手をついて叔父を見上げる。グレッグはクラリスの前にしゃがみ、目だけで笑ってみせた。
「クラリス。お前は私の花嫁となり、シエルハーン王国の王妃として私の子を産むのだ。王太子も第二王子もいない中、王女と結婚した私が玉座に就くのを阻む者は誰もいない。盛大な結婚式をしてやろう。ドレスもベールも、宝石をちりばめた宝冠も全部新調すればいい。どんな贅沢もお前の思うがままだ。喜んでくれるだろう? 愛しい姪よ」
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