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11. あのキスが忘れられないのです
しおりを挟む無音の世界だ。
遠くで光るのは稲光。肌を叩く激しい雨。相変わらず音は聞こえない。分かるのは、痛いほどの強さで打ち付ける雨粒の大きさだけ。
濡れた体がひどく重い。ブーツの中に雨が溜まっている。足取りの重さはそのせいか。何処かで雨を避ける方がいい。そう思うのに、自分の意思で体を動かすことができない。体の感覚は自分のものなのに、頭だけを何かに乗っ取られたような状態に不快さが募った。
雨が視界を邪魔する。
目の中にまで雨が入るが、体を乗っ取った何かは拭う必要を感じていないようだ。
強く瞬きすることで目の水滴を払う。何度も何度も。
……これは、涙なのか?
何かに気づいて足の向きを変える。激しすぎる雨のせいで、地面に落ちた雨が跳ね返り足元を白く煙らせていた。足を早める。煙った地面の上の白いかたまり。
……だめだ!そっちに行ってはいけない!!
声を限りに叫び、懸命に体を動かそうとする。そんな努力を嘲笑うようにその白いものに近づいた自分は、やがて足を止めた。
いやだ、見るな、見たくない……!!
仰向けに横たわるのは滑らかな肢体。いつもきちんと揃えていた両脚は力なく開き、投げ出されていた。
白い薄布の室内着の間から、つんと尖った乳房がまろび出ている。背中には翼。黄金のカーテンのようだった髪は濡れて色を濃くし、束になって散らばっている。
その周辺に丸く広がるのは、抜け落ちた白く柔らかな羽だ。羽毛混じりの沢山の羽が、雨に打たれて泥水に浸かっていた。
胸に刺さった矢。左胸に刺さったそれは背を大きく超えて貫通し、地面に落ちた衝撃で矢尻側に押し戻されたようだ。斜めに傾いで傷口を広げ、流れ出た血で大きな赤い川を作っていた。
右腕は顔の横。左腕は体の横に。何度も握ったことのある小さな手は今、わずかに指を折り曲げた形で、手のひらに水たまりを作っている。
薔薇の花びらのようだといつも思っていた唇は薄く開き、真珠のような歯がほんのすこし覗いている。
そしてその目は。
開いたまま、雨に洗われている。光を失ったその、鮮やかな緑の――――
「っ……………ぅ…………っぁっあああ!!!」
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……………
全身湯に浸かったように汗をかいている。手が瘧のように震え、額を流れる汗を拭うこともできない。荒い呼吸音が静かな部屋に響く。頭が殴られたように痛み、両手で頭を掻きむしった。
「…………レオノア…………!」
どこかで遠雷が響いた。
「姫さま、とってもお似合いです!」
「本当に!さすがキングズレー騎士団長様ですわね。この短期間でよくこれだけのドレスを準備できたこと!それに、姫さまの魅力をよーくご存知だということが伝わりますもの。愛されてますわね、姫さま!」
クスクスと笑う侍女たちにからかわれ、嬉しさと恥ずかしさで頬を赤くした。
明日の祝賀晩餐会を控え、エミリーを筆頭に侍女たちの準備に余念がない。髪型は、爪は、香水はと姦しいが、それも全てはドレスや靴、首飾りや耳飾り、髪飾りに至るまで全てをウィリアムが準備したために、工夫を凝らす余地がそこにしか無かったからだ。
あの日。ウィリアムの気持ちを聞くことができて、恥ずかしかったけれど頑張って思いを伝えて本当によかった。
キスも……。私の初めてのキス。あんな感じがするとは思っていなかった……。
指先で自分の唇を触ってみる。ふにふにとしたその指先の感触からは、ウィリアムの唇を思い出すことはできない。
また、キス……できるかしら。
調整の必要もないほどピッタリしたドレスを脱がされながら、ぼんやりと考える。
背中に回した腕で感じた身体の逞しさ。私が押してもびくともしない厚い胸板。大人の男の人の……ウィリアムの匂い。
私からの、触れるだけのキスとは違う。あの激しい……。舌、を………。
思い出してバッと両手で顔を覆った。だ、駄目。私、ウィルのこと以外考えられなくなっちゃってる。
「姫さま!?」
「あ、……ごめんなさい!ドレスは大丈夫かしら?引っかけたりしていない?」
「それは大丈夫ですが……どうなさいました?」
「……なんでもないの。邪魔してごめんなさいね」
しっかりしなくては。そう思う側から耳はウィリアムの話題を拾う。
「それにしても、祝賀会の翌日にはまたギルニアに発たれたんでしょう?お忙しい中でこれだけのお仕度をなさるなんて。出来る方はやはり違うのねえ」
「しかも!毎日のようにお手紙を届けられて。あれでしょう、騎士団にある連絡用の魔法陣で届けられてるんでしょう?業務用なのにってオスカー様が仰ってたわ」
「オスカー様!楽しい方よね。お手紙を届けてくださるときもずっとお喋りされて。相槌を打つ間もないんだもの」
「お話し過ぎだわ。男の方はもう少し静かでないと」
「あら!騎士でキングズレー騎士団長様の側近なんて将来有望よ」
「え?オスカー様って騎士団員だけど騎士ではないんでしょう」
「そうなの?初耳だわ」
「何でも騎士団長様の個人的な側仕えだったのを、機密事項に関与させるために団員にしたって」
「えーっ!そうなの?なら尚更いいんじゃない?だって騎士団は体力が衰えると退団しなきゃいけなくなるけど、キングズレー公爵家ご嫡男の個人的側仕えなんて最高よ」
「でも……オスカー様って……」
「あなたもあの噂聞いたの?」
「ええ。お盛んなんですって。ほら、パーラーメイドのニナが……」
「私はキッチンメイドのメグって聞いたわ」
「うーん、やっぱり私は無理だわ。一途な人がいいもの」
「でもオスカー様ってなかなか素敵なお顔されてるもの。少しくらいは」
「何を話しているのあなたたちは!」
ビリッとするような張りのあるエミリーの声が響いて、侍女のお喋りを耳にまたウィリアムのことを考えてぼんやりしていた私は、驚いてビクッと身体を震わせた。
「私が少し席を外した間にこのような…!姫さまの前で何ということを話しているのですか!」
額に青筋を浮かべたエミリーなんて珍しい。私は慌てて言った。
「違うのエミリー。皆私とウィルのことが嬉しくて、ちょっとお喋りしちゃっただけなのよ」
「いいえ違いません。姫さまの前で口にしていいことと悪いことがございます。選りによってあのような下品な……!あなたたち、このことはエドワード様にも報告します。追って沙汰を待ちなさい」
サーッと全員が青ざめる。私の身の回りのことはエドワードお兄様に一任されている。そしてお兄様が私のことになると度を越した過保護を発揮することも、不手際に殊更厳しいこともよく知られている。私は焦った。
「エミリー!お願いだからそんなこと言わないで。今日だけは許して。お願いよ」
「なりません。このようなことを見逃していては示しがつきませんもの。必ずご報告いたします」
「私、ウィルとのことがあって本当に嬉しいの。だからこんなことで誰かが叱られたり処罰されたりしてほしくない。だからお願い。今日だけ、一回だけでいいから」
「…………」
「エミリー……」
ふう、とエミリーは息を吐いた。
「…………仕方ありません。今回だけですよ。あなたたちも、王女殿下付きの侍女であるということをもう一度よく考えて反省なさい。姫さまにちゃんとお詫び申し上げること。分かったわね」
申し訳ございませんでした、ありがとうございます、反省いたします、と口々に言い、侍女たちはそそくさと部屋を出ていった。いつも優しく穏やかなエミリーだけど、怒ったときにはとても怖いのだ。
「よろしいですか姫さま。今回は見逃しましたが、側仕えの教育はもっと厳しく行うべきです。優しいだけでは姫さまのためにはもちろん、本人のためにもなりません。よくお考えくださいませ」
「はい……ごめんなさいねエミリー。いつもありがとう。大好きよ」
「…………本当に、姫さまご自身のことでもっと我儘を仰っていただきたいものです。いつも周りの者のことばかり。私のことまでこんな……」
エミリーはハンカチを出してチンと鼻をかんだ。
「……エミリー?」
「姫さまが本当にしてほしいとお望みのことができたなら、このエミリーが必ず叶えて差し上げます。ですからその時には私にお申し付けくださるとお約束ください。必ずですよ」
「?分かったわ。その時には必ずね」
「……まあ、今後はウィリアム様が姫さまの願いを叶えてくださるんでしょうけど……。そうそう。お望みのものです。お預かりしてきましたよ」
差し出された封筒には、ここ数日で見慣れたウィリアムの筆跡がある。
「わあ!ありがとう!」
「はしたないですわよ姫さま。……聞いてらっしゃらないわね。毎日届いているのにこんなに嬉しそうに」
にこにこしたエミリーから受け取った封筒を胸に、早足で文机に向かう。精一杯急いで、でも丁寧にペーパーナイフを差し込んで開いた封筒から手紙を取り出し目を走らせた。
「…………!!!エミリー!!ウィルが今日戻るって!」
「まあ、ギリギリのご帰任と伺ってましたのに。きっと姫さまに会いたいとお思いだったんでしょう。こちらにおいでになるんですの?」
「お茶の時間に間に合うように来ると書いてあるわ!大変!今何時?」
「まだ2時間ほど余裕はありますので大丈夫です。まあ姫さま、子どもみたいにはしゃいでないで、髪を整えてドレスも着替えましょう。……あら。何かしら。急に曇ってきましたね」
言われて窓に目をやった。確かに空は黒くなり、雲が早く流れている。先ほどまでの晴天がうそのようだ。
「ほんとう……。急なことね?雨が降りそう。ウィルが濡れたりしなければいいけれど」
「姫さまはウィリアム様のことばかり。フィリップ殿下も一緒にご帰任なさるのでは?」
「そうだったわ……!すっかり忘れちゃってた。……フィル兄さまには内緒よ」
「はいはい。かしこまりました」
二人で顔を見合わせふふっと笑いあう。ドレスを何にするか相談し始めた頃には、窓の外に大粒の雨が打ち付けていた。
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