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番外編
夫婦というもの⑦
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「では王女でん……じゃない、シャーウッド伯爵夫人。ご一緒させてください」
「そんな風に呼ばれたの、初めてだわ。嬉しい!」
「喜んでいただけて何よりです。今度お会いしたら呼んでみようと思ってたんですよね~。いくつも爵位持ってると忘れちゃったりしないんですか?団長ってあと二つくらい持ってませんでしたっけ」
「オスカー、頼んだぞ。御者はミリガンだ。覚えているだろう。馬車まで行けば侍女が待っている。確か……」
「アナよ。お義母さま付きの」
「ああ!分かりました。あの茶色の髪で瞳は灰色の子ですね」
「すごいわ!よく知っているのね」
「カワイ子ちゃんの情報はちゃんと覚えてますって。……っと、僕と仲良く話してると、団長がこわい顔になっちゃうからそろそろ行きましょうか。お手を取ることは嫉妬深いご主人に許されておりませんので、さ、こちらへどうぞ」
オスカーのエスコートで通路を進むレオノアは、ふざけた軽口に微笑みながら頷いている。ウィリアムはその姿が角を曲がり、見えなくなるまで見送った。
「…………クソっ」
あんなに寂しそうな顔をしていたレオノアを一人で帰らせたくはなかった。愛おしさと辛さが同時に押し寄せ、身を切り裂かれる思いだ。しかし、どんなに切なくても仕事を放り出すことはできない。レオノアのためにも。
「唯一無二の存在、か」
レオノアはリングオーサの象徴だ。それはもはや信仰に近いもので、レオノアを娶ることは唯一無二の聖なる存在を人の世に引きずり降ろす行為だと見做される。その覚悟はあるのか。婚姻の儀の前に、シルヴェスターから言われたことだ。
誰よりも秀でていることが当然だと思われる。些細な過ちは殊更に取り上げられ、王女に相応しくないと喧伝されるだろう。それでも良いのかと。
愚問に過ぎて答える必要があるのかと思いながら、承知のうえだと返答した。
ウィリアムの望みはレオノアを手に入れること。それに付随する、どんな困難も厭わない。ずっと昔から変わらない思いだ。だが、ウィリアムが完璧であろうと努力を惜しまないのは、父が懸念する理由からではなかった。
レオノアに、ウィリアムを選んで良かったと思ってもらいたい。
だからこそ、ただでさえ忙しい演習前に第三騎士団長の兼務などという無茶な命令も受け、寝る間も惜しんで仕事をこなしているのだ。
「それであんな顔をさせるとは、本末転倒だな」
この程度のことで妻に寂しい思いをさせるなど、既にレオノアに見合う男とは言えないのかもしれない。漏らしたのは自嘲の笑みだ。だが、泣き言を口にする暇があれば一つでも多くのことを成さなければ。それもあとほんの数日で目処がつく。そうすればまた、ゆっくりと妻を慈しみ愛せる日々に戻れるのだから。
そう思ったウィリアムは、王から頼まれていたことを――レオノアに城で数日滞在するよう説得してくれと言われたことを――伝え忘れていたことに気付いた。
心のどこかに許容しがたい思いがあったから、忘れてしまったのかもしれない。たとえ自分が不在でも、レオノアにはガルバートスクエアに居て欲しい。ウィリアムの妻として、そしてキングズレー公爵家の嫁として。
だが、ああまで泣かれるとその思いが揺らぐ。
どうすればいいのだろう。自分の心の中に嫉妬が渦巻いていることを自覚するだけに判断に迷った。本当にレオノアのためを思えば、ウィリアムが多忙な時期は城へ戻るよう言うべきなのかもしれない。しかし、今はアラベラからキングズレー公爵家のことを教わっている最中だ。だからもう少しだけ、自分の手の中に居て欲しい。でもあの泣き顔――。
レオノアに関わることでは常に迷い、悩んでいる。いつまで経っても自信を持って振る舞うことができない情けなさを感じながら、執務室へ戻ろうとしたその時。
「おぉ、第一騎士団長ではありませんか。…………いや、王女殿下の婿殿、と申し上げたほうがいいかもしれませんね」
面倒な奴に捕まった。うんざりしながらも表情を変えず前を見据えると、予想したとおりの四人組が立っていた。
「演習前の忙しいときに奥方を連れ込むとは。いやはや、余裕がおありのようでうらやましいことです」
「まことに。正に『後朝の別れ』そのものでしたな。もしや執務室内でよからぬことを……。いやいやまさか、キングズレー第一騎士団長ともあろうものが」
嫌味たらしく言うのは、第五騎士団のキャンバーと、その腰巾着のオルソンだ。この二人は剣技などの実力はあるものの、とにかく考えが浅く戦略を理解できない。自分の部下であれば困りものだが、ウィリアムからすると無駄吠えする犬のようなもので、やかましさを我慢しさえすれば最期は飽きて口を噤むと分かっていた。
「いや、案外この勘繰りは当たっているのかもしれん。何せ相手はあの……」
「ああ。レオノア殿下の美しさは、この世のものとも思えんからな」
うっとりとした口調でオルソンが言う。ウィリアムの眉がピクリと動いた。無視して立ち去りたいが、そうすれば後々まで尾を引いて却って面倒な目に遭うのは経験済みだった。早く仕事に戻りたい気持ちを抑え、無表情のまま四人を見る。
話し続ける二人の後ろには、二メートルを超える長身のケムラーが団長のブライアン・マッコーデルを守るようにして立っていた。
「あれだけの美しさを誇り、心根はお優しくまさに女神のよう。それが……」
「ああ。王命で嫁ぎ先を決められてしまったとは、おいたわしいことだ」
芝居がかった様子で首を振り、大げさにため息をついてみせる。
「しかし、殿下も王女として自分の嫁ぎ先を選り好みできないことはご存じだったのだろう。懸命に務めを果たそうとしていらっしゃるようだ」
「殿下はよく弁えておいでだからな。しかし……」
ちらり、とウィリアムを見る。
「家格はともかく、夫となるものの力があれほど弱くなったのでは。……皆が皆、今回の婚儀を喜ばしく思っていたわけではない。反対意見もある中でそれが通ったのは、偏に相手の能力が他を圧するほどの力を持っていたからなのに、それがいまや……」
「なるほど。団長職とは名ばかりの、お飾りに過ぎないということか」
「もっぱらの噂だ。その強大な魔力が故に花形である第一騎士団の団長を任されていたというのに、肝心の魔力を失って、そのうえ団長という地位に恋々としていると」
「何と言うことだ。それでは王女殿下は今や……」
「当然だろう。なぜ自分がこんな『出涸らし』のような夫と人生を共にしなければならないのかと、後悔しておいでにちがいない」
「クッ」
「美しく心優しいお方だ。もっと相応しいお相手が…………おい、何を笑っている」
堪えきれず、口元に右手の甲を当てて身体を震わせながら笑うウィリアムに二人が色めき立った。
「す、すまん。『出涸らし』とは、クククっ、言い得て妙だと……ははははっ」
「何が可笑しい!貴公のことだぞ!」
「ははっ、はあ。申し訳ない。さあ、続けてくれ」
くつくつと小さく笑いながら促されたことを侮辱と取ったのだろう。目を吊り上げたキャンバーが腰に佩いていた剣を抜いた。演習場でもないただの通路で抜刀するなど懲罰ものだ。「おい、やめろ」と後ろからマッコーデルが声をかけるが、頭に血が上った男には聞こえていない。
「その態度が前々から気に食わなかったのだ。何もかもを易々と手に入れて、それが当たり前だと云わんばかりの、傲慢な貴公の顔が」
剣先をひたりとウィリアムに向ける。
「それだけ魔力が低下したのなら、自ら身を引いてはどうなのだ。殿下もきっと嘆いておられる。このように、何の力も無くなった男が夫として生涯を共にしようなどと、身の程知らずな高望みを………ッ」
ひゅ…………と、微かに空気が鳴った。数秒後に、飛ばされた剣が離れた場所に落ちる乾いた音。
「囀るな」
余りの剣速に反応もできず、握っていた剣を飛ばされたキャンバーは、何が起こったのか理解できずに茫然としている。剣を鞘に納めたウィリアムは、口角を引き上げながら言った。
「誤解のないよう言っておこう。確かに俺は魔力を失い弱くなった。だが、俺が弱くなったからといって、お前たちが強くなった訳ではない。魔力など使わずとも、俺がその気になりさえすればいつでも叩き伏せられる。それをよく覚えておけ」
そこまで言われて、キャンバーとオルソンはようやく気付いた。ウィリアムは怒っている。いや、怒り狂っていると。
深青の瞳は冷え切り、漏れ出る威圧は空気を震わせるほどだ。唇を笑いの形にしたままなのがより一層怒りの強さを感じさせた。圧倒されて思わず二、三歩後ろに下がる。
いつもはどんなに絡んでも、腹立たしいほど無反応なのだ。それがこれほどまでに激怒するとは……。背筋に汗が流れるのを感じながら、キャンバーは必死で考えた。何がここまでウィリアムの怒りを誘ったのか。
キャンバーは知らなかった。自分の口にしたことが、余りにも的確にウィリアムの弱みを突いたことを。レオノアを愛するがゆえに、ウィリアムがどれだけ悩み、苦しんでいるかを。
「そこまでだ、キングズレー」
マッコーデルが庇うようにして前に出た。二人はあからさまにホッとした様子で、キャンバーなどはよろけて尻もちをついている。
「私の部下が無礼なことを言って申し訳ない。代わって謝罪しよう」
ウィリアムは冷めた目でブライアンを見る。くすんだ金髪を短く整え、いかにも軍人といった様子の逞しい男だ。どことなくグレンダと似た、繊細な面立ちをしている。
「…………第一の者に対しての態度を改めてもらおう。二度と妙な言いがかりをつけることのないよう徹底してくれ」
「いいだろう」
年齢はブライアンが年上だが、家格と騎士団での階級はウィリアムの方が上だ。敬語を使う必要はない。言い捨てて背を向けたウィリアムに、後ろから声がかかる。
「待て、キングズレー」
まだ何か用があるのか。互いをよく思っていないことは分かっている。振り返ったウィリアムに告げられたのは、驚くべき言葉だった。
「キャンバーの言葉は無礼が過ぎたが、あながち間違っているとも思わん」
この男は一体何を言い出すのか。眉を顰めるウイリアムに向かい、ブライアンが続ける。
「それだけ噂が広がっているということだ。それもこれも、全ては貴公の……今の『力』がどの程度のものか、分からないからだろう。そこで提案なのだが」
ふっと表情を和らげてみせる。その顔は、グレンダとの血のつながりを強く感じさせた。
「演習の前哨戦として、私と手合わせをしてはどうだ。第一と第五の団長が剣を合わせて競うのだ。そうすれば団員同士の諍いも治まるのではないか」
ブライアンは剣技に秀で、その実力は将軍のウィルソンを凌ぐほどだという。ブライアン・マッコーデル。マッコーデル公爵家の嫡男。第五騎士団の団長。第三騎士団のグレンダの兄。そして、王女レオノアを娶りたいと王家に申し入れていた男。
舐めるなよ。ウィリアムは返事をするために口を開いた。
「そんな風に呼ばれたの、初めてだわ。嬉しい!」
「喜んでいただけて何よりです。今度お会いしたら呼んでみようと思ってたんですよね~。いくつも爵位持ってると忘れちゃったりしないんですか?団長ってあと二つくらい持ってませんでしたっけ」
「オスカー、頼んだぞ。御者はミリガンだ。覚えているだろう。馬車まで行けば侍女が待っている。確か……」
「アナよ。お義母さま付きの」
「ああ!分かりました。あの茶色の髪で瞳は灰色の子ですね」
「すごいわ!よく知っているのね」
「カワイ子ちゃんの情報はちゃんと覚えてますって。……っと、僕と仲良く話してると、団長がこわい顔になっちゃうからそろそろ行きましょうか。お手を取ることは嫉妬深いご主人に許されておりませんので、さ、こちらへどうぞ」
オスカーのエスコートで通路を進むレオノアは、ふざけた軽口に微笑みながら頷いている。ウィリアムはその姿が角を曲がり、見えなくなるまで見送った。
「…………クソっ」
あんなに寂しそうな顔をしていたレオノアを一人で帰らせたくはなかった。愛おしさと辛さが同時に押し寄せ、身を切り裂かれる思いだ。しかし、どんなに切なくても仕事を放り出すことはできない。レオノアのためにも。
「唯一無二の存在、か」
レオノアはリングオーサの象徴だ。それはもはや信仰に近いもので、レオノアを娶ることは唯一無二の聖なる存在を人の世に引きずり降ろす行為だと見做される。その覚悟はあるのか。婚姻の儀の前に、シルヴェスターから言われたことだ。
誰よりも秀でていることが当然だと思われる。些細な過ちは殊更に取り上げられ、王女に相応しくないと喧伝されるだろう。それでも良いのかと。
愚問に過ぎて答える必要があるのかと思いながら、承知のうえだと返答した。
ウィリアムの望みはレオノアを手に入れること。それに付随する、どんな困難も厭わない。ずっと昔から変わらない思いだ。だが、ウィリアムが完璧であろうと努力を惜しまないのは、父が懸念する理由からではなかった。
レオノアに、ウィリアムを選んで良かったと思ってもらいたい。
だからこそ、ただでさえ忙しい演習前に第三騎士団長の兼務などという無茶な命令も受け、寝る間も惜しんで仕事をこなしているのだ。
「それであんな顔をさせるとは、本末転倒だな」
この程度のことで妻に寂しい思いをさせるなど、既にレオノアに見合う男とは言えないのかもしれない。漏らしたのは自嘲の笑みだ。だが、泣き言を口にする暇があれば一つでも多くのことを成さなければ。それもあとほんの数日で目処がつく。そうすればまた、ゆっくりと妻を慈しみ愛せる日々に戻れるのだから。
そう思ったウィリアムは、王から頼まれていたことを――レオノアに城で数日滞在するよう説得してくれと言われたことを――伝え忘れていたことに気付いた。
心のどこかに許容しがたい思いがあったから、忘れてしまったのかもしれない。たとえ自分が不在でも、レオノアにはガルバートスクエアに居て欲しい。ウィリアムの妻として、そしてキングズレー公爵家の嫁として。
だが、ああまで泣かれるとその思いが揺らぐ。
どうすればいいのだろう。自分の心の中に嫉妬が渦巻いていることを自覚するだけに判断に迷った。本当にレオノアのためを思えば、ウィリアムが多忙な時期は城へ戻るよう言うべきなのかもしれない。しかし、今はアラベラからキングズレー公爵家のことを教わっている最中だ。だからもう少しだけ、自分の手の中に居て欲しい。でもあの泣き顔――。
レオノアに関わることでは常に迷い、悩んでいる。いつまで経っても自信を持って振る舞うことができない情けなさを感じながら、執務室へ戻ろうとしたその時。
「おぉ、第一騎士団長ではありませんか。…………いや、王女殿下の婿殿、と申し上げたほうがいいかもしれませんね」
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「演習前の忙しいときに奥方を連れ込むとは。いやはや、余裕がおありのようでうらやましいことです」
「まことに。正に『後朝の別れ』そのものでしたな。もしや執務室内でよからぬことを……。いやいやまさか、キングズレー第一騎士団長ともあろうものが」
嫌味たらしく言うのは、第五騎士団のキャンバーと、その腰巾着のオルソンだ。この二人は剣技などの実力はあるものの、とにかく考えが浅く戦略を理解できない。自分の部下であれば困りものだが、ウィリアムからすると無駄吠えする犬のようなもので、やかましさを我慢しさえすれば最期は飽きて口を噤むと分かっていた。
「いや、案外この勘繰りは当たっているのかもしれん。何せ相手はあの……」
「ああ。レオノア殿下の美しさは、この世のものとも思えんからな」
うっとりとした口調でオルソンが言う。ウィリアムの眉がピクリと動いた。無視して立ち去りたいが、そうすれば後々まで尾を引いて却って面倒な目に遭うのは経験済みだった。早く仕事に戻りたい気持ちを抑え、無表情のまま四人を見る。
話し続ける二人の後ろには、二メートルを超える長身のケムラーが団長のブライアン・マッコーデルを守るようにして立っていた。
「あれだけの美しさを誇り、心根はお優しくまさに女神のよう。それが……」
「ああ。王命で嫁ぎ先を決められてしまったとは、おいたわしいことだ」
芝居がかった様子で首を振り、大げさにため息をついてみせる。
「しかし、殿下も王女として自分の嫁ぎ先を選り好みできないことはご存じだったのだろう。懸命に務めを果たそうとしていらっしゃるようだ」
「殿下はよく弁えておいでだからな。しかし……」
ちらり、とウィリアムを見る。
「家格はともかく、夫となるものの力があれほど弱くなったのでは。……皆が皆、今回の婚儀を喜ばしく思っていたわけではない。反対意見もある中でそれが通ったのは、偏に相手の能力が他を圧するほどの力を持っていたからなのに、それがいまや……」
「なるほど。団長職とは名ばかりの、お飾りに過ぎないということか」
「もっぱらの噂だ。その強大な魔力が故に花形である第一騎士団の団長を任されていたというのに、肝心の魔力を失って、そのうえ団長という地位に恋々としていると」
「何と言うことだ。それでは王女殿下は今や……」
「当然だろう。なぜ自分がこんな『出涸らし』のような夫と人生を共にしなければならないのかと、後悔しておいでにちがいない」
「クッ」
「美しく心優しいお方だ。もっと相応しいお相手が…………おい、何を笑っている」
堪えきれず、口元に右手の甲を当てて身体を震わせながら笑うウィリアムに二人が色めき立った。
「す、すまん。『出涸らし』とは、クククっ、言い得て妙だと……ははははっ」
「何が可笑しい!貴公のことだぞ!」
「ははっ、はあ。申し訳ない。さあ、続けてくれ」
くつくつと小さく笑いながら促されたことを侮辱と取ったのだろう。目を吊り上げたキャンバーが腰に佩いていた剣を抜いた。演習場でもないただの通路で抜刀するなど懲罰ものだ。「おい、やめろ」と後ろからマッコーデルが声をかけるが、頭に血が上った男には聞こえていない。
「その態度が前々から気に食わなかったのだ。何もかもを易々と手に入れて、それが当たり前だと云わんばかりの、傲慢な貴公の顔が」
剣先をひたりとウィリアムに向ける。
「それだけ魔力が低下したのなら、自ら身を引いてはどうなのだ。殿下もきっと嘆いておられる。このように、何の力も無くなった男が夫として生涯を共にしようなどと、身の程知らずな高望みを………ッ」
ひゅ…………と、微かに空気が鳴った。数秒後に、飛ばされた剣が離れた場所に落ちる乾いた音。
「囀るな」
余りの剣速に反応もできず、握っていた剣を飛ばされたキャンバーは、何が起こったのか理解できずに茫然としている。剣を鞘に納めたウィリアムは、口角を引き上げながら言った。
「誤解のないよう言っておこう。確かに俺は魔力を失い弱くなった。だが、俺が弱くなったからといって、お前たちが強くなった訳ではない。魔力など使わずとも、俺がその気になりさえすればいつでも叩き伏せられる。それをよく覚えておけ」
そこまで言われて、キャンバーとオルソンはようやく気付いた。ウィリアムは怒っている。いや、怒り狂っていると。
深青の瞳は冷え切り、漏れ出る威圧は空気を震わせるほどだ。唇を笑いの形にしたままなのがより一層怒りの強さを感じさせた。圧倒されて思わず二、三歩後ろに下がる。
いつもはどんなに絡んでも、腹立たしいほど無反応なのだ。それがこれほどまでに激怒するとは……。背筋に汗が流れるのを感じながら、キャンバーは必死で考えた。何がここまでウィリアムの怒りを誘ったのか。
キャンバーは知らなかった。自分の口にしたことが、余りにも的確にウィリアムの弱みを突いたことを。レオノアを愛するがゆえに、ウィリアムがどれだけ悩み、苦しんでいるかを。
「そこまでだ、キングズレー」
マッコーデルが庇うようにして前に出た。二人はあからさまにホッとした様子で、キャンバーなどはよろけて尻もちをついている。
「私の部下が無礼なことを言って申し訳ない。代わって謝罪しよう」
ウィリアムは冷めた目でブライアンを見る。くすんだ金髪を短く整え、いかにも軍人といった様子の逞しい男だ。どことなくグレンダと似た、繊細な面立ちをしている。
「…………第一の者に対しての態度を改めてもらおう。二度と妙な言いがかりをつけることのないよう徹底してくれ」
「いいだろう」
年齢はブライアンが年上だが、家格と騎士団での階級はウィリアムの方が上だ。敬語を使う必要はない。言い捨てて背を向けたウィリアムに、後ろから声がかかる。
「待て、キングズレー」
まだ何か用があるのか。互いをよく思っていないことは分かっている。振り返ったウィリアムに告げられたのは、驚くべき言葉だった。
「キャンバーの言葉は無礼が過ぎたが、あながち間違っているとも思わん」
この男は一体何を言い出すのか。眉を顰めるウイリアムに向かい、ブライアンが続ける。
「それだけ噂が広がっているということだ。それもこれも、全ては貴公の……今の『力』がどの程度のものか、分からないからだろう。そこで提案なのだが」
ふっと表情を和らげてみせる。その顔は、グレンダとの血のつながりを強く感じさせた。
「演習の前哨戦として、私と手合わせをしてはどうだ。第一と第五の団長が剣を合わせて競うのだ。そうすれば団員同士の諍いも治まるのではないか」
ブライアンは剣技に秀で、その実力は将軍のウィルソンを凌ぐほどだという。ブライアン・マッコーデル。マッコーデル公爵家の嫡男。第五騎士団の団長。第三騎士団のグレンダの兄。そして、王女レオノアを娶りたいと王家に申し入れていた男。
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