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番外編
公爵令嬢ルシンダは怒っている:中編
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「………失礼ながら、今のお話のどこが気に障られたので?」
それを聞いたルシンダはまあ、と鮮やかな緑の目を見開いた。
「いまの話を聞いて、ほんとうに分からなかったの?」
「ええ。私は昔から不調法者で、女性の心の機微には疎いのです」
重々しく言うブライアン・マッコーデルを、ルシンダは長い睫毛を瞬かせてじっと見た。そして改めて考える。男の人は、それも仕事の忙しい男の人は、女性の細かい心の機微を察するのは難しいのかもしれない。父を思えば良く分かるではないか。現にこうやって、私の気持ちなんてちっとも理解していないのだから。ルシンダは小さくため息をついた。
「おとうさまは私のこと『おちびさん』って、そう言ったのよ」筆でサッと描いたような、優しい角度の眉を持ち上げてみせた。「女性に向かって、たいへんな侮辱だと思うの」
ブライアンはしばしの沈黙のあと、言葉を選びながら慎重に言った。
「それは、所謂愛娘に対する愛情の表現では?」
「それにしてもひどすぎるわ。私のことをちゃんと女性だと認めていたら、そんな呼び方しないはずだもの。それに、アンセルと仲良くしていることだって知っているはずなのに、あんな風にいきなり怒りだして、反対する理由も言わないだなんて。おとうさまみたいな人のこと………そうよ、『おうぼう』って言うんでしょう?」
難しい言葉を思い出して満足気なルシンダを、ブライアン・マッコーデルはまじまじと見た。父親というものは、たとえ娘が適齢期を迎えたとしてもそれを認めたくない、一人の女性だなどとは思いたくないものだと、説明する気も起こらない。そこには妹の長男である6歳のアンセル・ケムラーと、左程年の変わらない背格好の女児がいた。
「ルシンダ嬢。貴女は確か、アンセルよりも年上だったと記憶しているのですが」
「ええ。私のほうが一つ上よ」
答えを聞いて押し黙ったブライアンに、ルシンダはどこか気づかわしげな、励ますような口調で言った。
「あの…………こんなことを言ったら気を悪くされるかもしれないけれど、念のためお伝えしておくわね。男性が女性の年齢を尋ねるのは、あまりいいこととは思えないわ。もっと親しくなってからなら、もしかしたら許されるかもしれないけれど」眉と眉の間にぽっちりとくぼみを作った。「もちろん、私は怒ってなんかいないわ。ただ、今後のことを考えて助言しただけなの。それは分かってくださるわね?」
ブライアンは、今日ほど感情が表に出ない自分を有難いと思ったことはなかった。
目の前で執務室の椅子に腰掛け、来客用に準備していた焼き菓子に手を伸ばそうとしているのは、ここリングオーサで女神の娘として知らぬものはいない、王女レオノアによく似た少女だ。
たとえ名前を知らなくとも、波うつ黄金の髪と鮮やかなエメラルドの瞳、そして何よりもその顔立ちから、彼女を一目見たものはすぐに素性を悟ることだろう。ブライアンと同じように。
第三騎士団の団長で、魔力を持つ平民の見習い騎士を指導するブライアンは、演習場から執務室へ戻る途中で、たった一人通路を歩いている子どもを見つけて驚いた。頭の先から足の先まで念のいった装いと、一目で大切にされていることが分かる髪と肌。どう見ても、こんなところで供もつけずにうろついていい家柄の子女ではない。
思わず後ろ姿に向かって声をかけ、振り向いたその顔を見てさらに驚く。それは自分が仕える騎士団の長ウィリアム・マグナス・キングズレー公爵の愛妻で、700年ぶりに王家に誕生した王女レオノアに生き写しの少女だったからだ。
どうすればいいか考えるよりも先に、お茶でも飲まないかと誘っていた。幸い、執務室には指導する団員やその家族が遊びにくることも多い。一通りの菓子や飲み物も揃っている。
果たしてその少女は何の疑いもなく、誘われるまま一緒に執務室へやってきた。
将軍は一体、自分の娘にどんな教育をしているんだ。ブライアンは心の中で上司に毒づいた。余りにも無防備すぎる。相手が悪ければ、たちまちのうちに攫われてしまっただろう。
もしそんなことになったら。ウィリアムをよく知るブライアンは、疲れを感じて指先でこめかみを強く揉んだ。
あのウィリアムのことだ。犯人は自分の考えうる、いや考えつきもしないほどの、この世で最も残酷な方法で報復されるに違いない。そしてそれを止められる者はただ一人、ウィリアムの妻レオノアだけだ。そのレオノアとて、自分の娘に危害を加えられて、どこまで慈悲の心を持ち続けられるものか。神ならぬ身のブライアンには見当もつかなかった。
なんという面倒なことに巻き込まれてしまったのだろう。自分の運の無さを今更ながらに呪いながら、ブライアンは決意した。とにかく一刻も早く、この少女を公爵邸に戻さなくては。内心の焦りを表に出すこともなく、ルシンダに向かってにっこりと笑ってみせた。
「ルシンダ嬢。実は私は以前から貴女のことをよく聞いていました」
口の中の焼き菓子をごくんと飲み込んでから、丸くしたままの目でブライアンを見たルシンダは、首をかしげて眉を寄せた。同時に眉間にちいさなくぼみが現れる。
「アンセルからでしょう。そしてあなたはアンセルのおじさまだわ。ちがう?」
作り物ではない驚きでわずかに身を引きながら、ブライアンは尋ねた。
「そのとおりです。なぜそれを?」
ブライアンは一度も名を名乗らなかったし、アンセルの伯父だとも言わなかったはずだ。ルシンダは当然のことのように答えた。
「アンセルのお母さまから、伯父さまが第三騎士団の団長をなさってると聞いたことがあるの。あなたは迷いもせずに私をここに連れてきたわ。そして廊下には第三騎士団の区域であることを示す張り紙が貼ってあった。その中央にある執務室に来たんだもの。聞かなくたってすぐに分かるでしょう?」
それを聞いたルシンダはまあ、と鮮やかな緑の目を見開いた。
「いまの話を聞いて、ほんとうに分からなかったの?」
「ええ。私は昔から不調法者で、女性の心の機微には疎いのです」
重々しく言うブライアン・マッコーデルを、ルシンダは長い睫毛を瞬かせてじっと見た。そして改めて考える。男の人は、それも仕事の忙しい男の人は、女性の細かい心の機微を察するのは難しいのかもしれない。父を思えば良く分かるではないか。現にこうやって、私の気持ちなんてちっとも理解していないのだから。ルシンダは小さくため息をついた。
「おとうさまは私のこと『おちびさん』って、そう言ったのよ」筆でサッと描いたような、優しい角度の眉を持ち上げてみせた。「女性に向かって、たいへんな侮辱だと思うの」
ブライアンはしばしの沈黙のあと、言葉を選びながら慎重に言った。
「それは、所謂愛娘に対する愛情の表現では?」
「それにしてもひどすぎるわ。私のことをちゃんと女性だと認めていたら、そんな呼び方しないはずだもの。それに、アンセルと仲良くしていることだって知っているはずなのに、あんな風にいきなり怒りだして、反対する理由も言わないだなんて。おとうさまみたいな人のこと………そうよ、『おうぼう』って言うんでしょう?」
難しい言葉を思い出して満足気なルシンダを、ブライアン・マッコーデルはまじまじと見た。父親というものは、たとえ娘が適齢期を迎えたとしてもそれを認めたくない、一人の女性だなどとは思いたくないものだと、説明する気も起こらない。そこには妹の長男である6歳のアンセル・ケムラーと、左程年の変わらない背格好の女児がいた。
「ルシンダ嬢。貴女は確か、アンセルよりも年上だったと記憶しているのですが」
「ええ。私のほうが一つ上よ」
答えを聞いて押し黙ったブライアンに、ルシンダはどこか気づかわしげな、励ますような口調で言った。
「あの…………こんなことを言ったら気を悪くされるかもしれないけれど、念のためお伝えしておくわね。男性が女性の年齢を尋ねるのは、あまりいいこととは思えないわ。もっと親しくなってからなら、もしかしたら許されるかもしれないけれど」眉と眉の間にぽっちりとくぼみを作った。「もちろん、私は怒ってなんかいないわ。ただ、今後のことを考えて助言しただけなの。それは分かってくださるわね?」
ブライアンは、今日ほど感情が表に出ない自分を有難いと思ったことはなかった。
目の前で執務室の椅子に腰掛け、来客用に準備していた焼き菓子に手を伸ばそうとしているのは、ここリングオーサで女神の娘として知らぬものはいない、王女レオノアによく似た少女だ。
たとえ名前を知らなくとも、波うつ黄金の髪と鮮やかなエメラルドの瞳、そして何よりもその顔立ちから、彼女を一目見たものはすぐに素性を悟ることだろう。ブライアンと同じように。
第三騎士団の団長で、魔力を持つ平民の見習い騎士を指導するブライアンは、演習場から執務室へ戻る途中で、たった一人通路を歩いている子どもを見つけて驚いた。頭の先から足の先まで念のいった装いと、一目で大切にされていることが分かる髪と肌。どう見ても、こんなところで供もつけずにうろついていい家柄の子女ではない。
思わず後ろ姿に向かって声をかけ、振り向いたその顔を見てさらに驚く。それは自分が仕える騎士団の長ウィリアム・マグナス・キングズレー公爵の愛妻で、700年ぶりに王家に誕生した王女レオノアに生き写しの少女だったからだ。
どうすればいいか考えるよりも先に、お茶でも飲まないかと誘っていた。幸い、執務室には指導する団員やその家族が遊びにくることも多い。一通りの菓子や飲み物も揃っている。
果たしてその少女は何の疑いもなく、誘われるまま一緒に執務室へやってきた。
将軍は一体、自分の娘にどんな教育をしているんだ。ブライアンは心の中で上司に毒づいた。余りにも無防備すぎる。相手が悪ければ、たちまちのうちに攫われてしまっただろう。
もしそんなことになったら。ウィリアムをよく知るブライアンは、疲れを感じて指先でこめかみを強く揉んだ。
あのウィリアムのことだ。犯人は自分の考えうる、いや考えつきもしないほどの、この世で最も残酷な方法で報復されるに違いない。そしてそれを止められる者はただ一人、ウィリアムの妻レオノアだけだ。そのレオノアとて、自分の娘に危害を加えられて、どこまで慈悲の心を持ち続けられるものか。神ならぬ身のブライアンには見当もつかなかった。
なんという面倒なことに巻き込まれてしまったのだろう。自分の運の無さを今更ながらに呪いながら、ブライアンは決意した。とにかく一刻も早く、この少女を公爵邸に戻さなくては。内心の焦りを表に出すこともなく、ルシンダに向かってにっこりと笑ってみせた。
「ルシンダ嬢。実は私は以前から貴女のことをよく聞いていました」
口の中の焼き菓子をごくんと飲み込んでから、丸くしたままの目でブライアンを見たルシンダは、首をかしげて眉を寄せた。同時に眉間にちいさなくぼみが現れる。
「アンセルからでしょう。そしてあなたはアンセルのおじさまだわ。ちがう?」
作り物ではない驚きでわずかに身を引きながら、ブライアンは尋ねた。
「そのとおりです。なぜそれを?」
ブライアンは一度も名を名乗らなかったし、アンセルの伯父だとも言わなかったはずだ。ルシンダは当然のことのように答えた。
「アンセルのお母さまから、伯父さまが第三騎士団の団長をなさってると聞いたことがあるの。あなたは迷いもせずに私をここに連れてきたわ。そして廊下には第三騎士団の区域であることを示す張り紙が貼ってあった。その中央にある執務室に来たんだもの。聞かなくたってすぐに分かるでしょう?」
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