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25.穢したくない人(トウヤ視点)②
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私はずっとレティシアを見ていた。
……そう、私が彼女のことを知ったのは学園に入学してからでなく、それよりももっと前。
私の生家であるエイダン男爵家には子供が大勢いたが、その殆どは父が外で作った庶子で、私もそのうちの一人だった。男爵の妻は常に苛立っていて容赦ない折檻が当たり前。父はそんな妻を止めることはなかった。
――最低な父親と継母。
そして、礼儀作法を覚えるとすぐに食い扶持を稼ぐことを求められた。
私は年齢を偽ってお茶会や夜会で給仕などをした。礼儀作法を躾けられている低位貴族の子息や令嬢はそういう需要があった。平民に一から教えるよりも安上がりというわけだ。
そんな中、私はとある侯爵令嬢――給仕の者にも『ありがとう』と丁寧に告げる少女に目を留める。
『チッ、善人ぶって……』
いつしか私は、レティシアの化けの皮が剥がれる瞬間を見るために目で追うようになる。けれども、彼女は変わらなかった。
媚びず、見下さず、目立たないが俯くこともない。
強い意志を感じさせる雰囲気はないが、誰をも受け入れる陽だまりのような心地良さがあった。
最初私は彼女は弱いと思っていた。……が、それは間違いだった。
本当に弱い人間は、あんなふうには生きられない。同調圧力であっという間に周囲に染まっていく。
レティシアはうちに秘めた強さを持っている――だから染まらない。
いつしか、私は違う意味で彼女を目で追うようになっていた。
……見てるだけでいい。
手の届かない存在だと分かっていたから、それ以上は望んでいなかった。
その気持ちが変化したのは、彼女の婚約者がレティシアの優しさに胡座をかいているだけの男だったからだ。
だが、そんな男を受け入れているのは間違いなく彼女自身でもあった。たとえそれが刷り込みと言われる類のものだとしても。……彼女の選択だ。
――そこに誰かが手を加えるなどあってはならない。
何かを、例えそれが正しいことだろうが、押し付けたら彼女ではなくなってしまう……そんな気がしたのだ。
ロイドを切り捨てるならば、それは彼女自身が判断し決めるべきだと思った。
一方で、もし彼女が助けを求めたら、応えられる男でありたいと願うようになった。
そのためには何が必要か――身分、権力、人脈。
だから、私はここまで這い上がってきた。
睨むように見るミネルバの目を、真正面から見返す。
「レティシア様の輝きはどこにいようとも、誰に対しても変わりません。彼女のために何かをする? それは傲慢な考えです」
「マール伯爵は彼女が傷ついても構わないと?」
「そうは言っていません。ただ、傷つかないで生きられる人間は誰一人いません」
ミネルバのように、その傷を包帯で隠し大丈夫なふりをする者もいれば、他人にその傷を背負わせる者もいる。傷にどう対処するかは人それぞれで、それはレティシアも同じだと告げる。
ミネルバは眉を上げて不快そうな表情を見せてくる。まだ分かっていないのだ。
だが、それはレティシアに惹かれてしまっているからでもあるだろう。
「どれが正解かなんてどうでもいいです。しかし、私達の方法を押し付けた時点で、レティシア様はあなたが惹かれれた彼女ではなくなります」
「……あなたは、自分の為に彼女を変えたくないというの?」
「違います。私は彼女を尊重したいだけです」
彼女は黙ってしまった。それは、彼女の歩んできた人生の大半は尊重とは無縁だったからだろう。
正義を振りかざして守るのは簡単だ、今の私とミネルバには人脈も力がある。だが、それを行うならばレティシア本人の意志があってこそ意味があるのだ。
真綿に包んで守る? それでは、彼女自身が築いてきた強さを否定するのと同じだ。
それがお望みかと視線で問えば、ミネルバはふぅっと息を吐き、降参だというように両手を上げてみせる。私が言わんとしていることが理解出来たようだ。
「ただ見ているだけって辛くないのかしら? マール伯爵」
彼女の声音から棘が無くなっていた。
「辛いですよ。ですが、”己の欲求を優先すればいい”では愚かな人間と同じになりますから」
私は、ロイド・ホグワルのような自分優先の弱い男に成り下がるつもりはない。
では、私は強い人間かと言えば、それも違う。弱いからずる賢く生きてきた。自嘲していると、ミネルバは意味ありげに目を細める。
「もしレティシアの隣が空いたら、あなたはどうするのかしら?」
「……見守っていくだけです」
私は自分の掌に視線を落とす。……綺麗なのは見かけだけだ。
レティシアに触れるのが怖い、穢してしまいそうだから。
「ひとつ良いことを教えてあげるわ。あなたの想いを受け入れるかどうかは、彼女が決めることよ。そんな情けない顔をして、起こってもない未来をぐだぐだ考えるのはお止めなさい」
彼女はそう言いながら部屋にある飾り鏡を指差してくる。横を向くと、そこには私が映っていた。
……っはは、本当になんて顔をしてるんだ。
私は眼鏡を掛け直すふりをして、浮かんでいた表情を消し去る。
「羨ましいわ。誰かを想ってそんな顔になれるなんてね。……もう私は無理だもの。マール伯爵、その時が来たら正直になることをおすすめするわ。ふふ、お節介だったかしら」
「……ご忠告、一応は感謝します。ミネルバ様」
私はいつもの笑顔で応えてから、ダイナ公爵邸をあとにした。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさいませ、旦那様」
「今日は夕食はいらないから、もう下がっていい」
「はい、畏まりました」
マール伯爵邸に戻ると、出迎えた使用人にそう告げて自室へと向かう。この屋敷は必要最低限の使用人しか雇っていないので、いつも静かだ。私はそれが気に入っているのだが、今日はなぜか物足りなさを覚えた。
どうしてだろうかと、自室で酒を飲みながら考える。
――『レティシアの隣が空いたら、どうするのかしら?』
そうか、あの台詞のせいだ。あの時、一瞬だけ想像してしまったのだ。彼女の隣で笑っている自分を。
過酷な環境で育ったせいか、将来誰かと家庭を築こうとは思っていなかった。上手く家族を演じられる自信がなかったのだ。……そう、演じる必要があると思っていた。
本当にそうか? レティシアが相手でも……。
――否、溢れる想いを抑える必要はあるだろうが、演じる必要などない。……だが、それは叶わない未来だ。
「ったく、女狐は余計なことを言ってくれましたね……」
感傷的になっている自分を消し去ろうと、酒を煽るが今夜はなぜか酔えない。
「……レティシア」
熱い吐息とともに、想い人の名をいつものように呼び捨てる。この部屋にいる時だけはそうしているのだ。
彼女が光ならば、私は影のような存在でいい。永遠に交わることはない、だが離れることもない。
……レティシア、私は決してあなたを穢さない。
……そう、私が彼女のことを知ったのは学園に入学してからでなく、それよりももっと前。
私の生家であるエイダン男爵家には子供が大勢いたが、その殆どは父が外で作った庶子で、私もそのうちの一人だった。男爵の妻は常に苛立っていて容赦ない折檻が当たり前。父はそんな妻を止めることはなかった。
――最低な父親と継母。
そして、礼儀作法を覚えるとすぐに食い扶持を稼ぐことを求められた。
私は年齢を偽ってお茶会や夜会で給仕などをした。礼儀作法を躾けられている低位貴族の子息や令嬢はそういう需要があった。平民に一から教えるよりも安上がりというわけだ。
そんな中、私はとある侯爵令嬢――給仕の者にも『ありがとう』と丁寧に告げる少女に目を留める。
『チッ、善人ぶって……』
いつしか私は、レティシアの化けの皮が剥がれる瞬間を見るために目で追うようになる。けれども、彼女は変わらなかった。
媚びず、見下さず、目立たないが俯くこともない。
強い意志を感じさせる雰囲気はないが、誰をも受け入れる陽だまりのような心地良さがあった。
最初私は彼女は弱いと思っていた。……が、それは間違いだった。
本当に弱い人間は、あんなふうには生きられない。同調圧力であっという間に周囲に染まっていく。
レティシアはうちに秘めた強さを持っている――だから染まらない。
いつしか、私は違う意味で彼女を目で追うようになっていた。
……見てるだけでいい。
手の届かない存在だと分かっていたから、それ以上は望んでいなかった。
その気持ちが変化したのは、彼女の婚約者がレティシアの優しさに胡座をかいているだけの男だったからだ。
だが、そんな男を受け入れているのは間違いなく彼女自身でもあった。たとえそれが刷り込みと言われる類のものだとしても。……彼女の選択だ。
――そこに誰かが手を加えるなどあってはならない。
何かを、例えそれが正しいことだろうが、押し付けたら彼女ではなくなってしまう……そんな気がしたのだ。
ロイドを切り捨てるならば、それは彼女自身が判断し決めるべきだと思った。
一方で、もし彼女が助けを求めたら、応えられる男でありたいと願うようになった。
そのためには何が必要か――身分、権力、人脈。
だから、私はここまで這い上がってきた。
睨むように見るミネルバの目を、真正面から見返す。
「レティシア様の輝きはどこにいようとも、誰に対しても変わりません。彼女のために何かをする? それは傲慢な考えです」
「マール伯爵は彼女が傷ついても構わないと?」
「そうは言っていません。ただ、傷つかないで生きられる人間は誰一人いません」
ミネルバのように、その傷を包帯で隠し大丈夫なふりをする者もいれば、他人にその傷を背負わせる者もいる。傷にどう対処するかは人それぞれで、それはレティシアも同じだと告げる。
ミネルバは眉を上げて不快そうな表情を見せてくる。まだ分かっていないのだ。
だが、それはレティシアに惹かれてしまっているからでもあるだろう。
「どれが正解かなんてどうでもいいです。しかし、私達の方法を押し付けた時点で、レティシア様はあなたが惹かれれた彼女ではなくなります」
「……あなたは、自分の為に彼女を変えたくないというの?」
「違います。私は彼女を尊重したいだけです」
彼女は黙ってしまった。それは、彼女の歩んできた人生の大半は尊重とは無縁だったからだろう。
正義を振りかざして守るのは簡単だ、今の私とミネルバには人脈も力がある。だが、それを行うならばレティシア本人の意志があってこそ意味があるのだ。
真綿に包んで守る? それでは、彼女自身が築いてきた強さを否定するのと同じだ。
それがお望みかと視線で問えば、ミネルバはふぅっと息を吐き、降参だというように両手を上げてみせる。私が言わんとしていることが理解出来たようだ。
「ただ見ているだけって辛くないのかしら? マール伯爵」
彼女の声音から棘が無くなっていた。
「辛いですよ。ですが、”己の欲求を優先すればいい”では愚かな人間と同じになりますから」
私は、ロイド・ホグワルのような自分優先の弱い男に成り下がるつもりはない。
では、私は強い人間かと言えば、それも違う。弱いからずる賢く生きてきた。自嘲していると、ミネルバは意味ありげに目を細める。
「もしレティシアの隣が空いたら、あなたはどうするのかしら?」
「……見守っていくだけです」
私は自分の掌に視線を落とす。……綺麗なのは見かけだけだ。
レティシアに触れるのが怖い、穢してしまいそうだから。
「ひとつ良いことを教えてあげるわ。あなたの想いを受け入れるかどうかは、彼女が決めることよ。そんな情けない顔をして、起こってもない未来をぐだぐだ考えるのはお止めなさい」
彼女はそう言いながら部屋にある飾り鏡を指差してくる。横を向くと、そこには私が映っていた。
……っはは、本当になんて顔をしてるんだ。
私は眼鏡を掛け直すふりをして、浮かんでいた表情を消し去る。
「羨ましいわ。誰かを想ってそんな顔になれるなんてね。……もう私は無理だもの。マール伯爵、その時が来たら正直になることをおすすめするわ。ふふ、お節介だったかしら」
「……ご忠告、一応は感謝します。ミネルバ様」
私はいつもの笑顔で応えてから、ダイナ公爵邸をあとにした。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさいませ、旦那様」
「今日は夕食はいらないから、もう下がっていい」
「はい、畏まりました」
マール伯爵邸に戻ると、出迎えた使用人にそう告げて自室へと向かう。この屋敷は必要最低限の使用人しか雇っていないので、いつも静かだ。私はそれが気に入っているのだが、今日はなぜか物足りなさを覚えた。
どうしてだろうかと、自室で酒を飲みながら考える。
――『レティシアの隣が空いたら、どうするのかしら?』
そうか、あの台詞のせいだ。あの時、一瞬だけ想像してしまったのだ。彼女の隣で笑っている自分を。
過酷な環境で育ったせいか、将来誰かと家庭を築こうとは思っていなかった。上手く家族を演じられる自信がなかったのだ。……そう、演じる必要があると思っていた。
本当にそうか? レティシアが相手でも……。
――否、溢れる想いを抑える必要はあるだろうが、演じる必要などない。……だが、それは叶わない未来だ。
「ったく、女狐は余計なことを言ってくれましたね……」
感傷的になっている自分を消し去ろうと、酒を煽るが今夜はなぜか酔えない。
「……レティシア」
熱い吐息とともに、想い人の名をいつものように呼び捨てる。この部屋にいる時だけはそうしているのだ。
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