二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

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35.今できること

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 私が目覚めたのは狩猟大会から二日後だった。
 左腕の二の腕から手首にかけて狼竜の爪に酷く抉られていたけど、それ以外は全身にかすり傷を負っているだけ。

 ――ルークライが守ってくれたのだ。


 応援が到着したとき、三頭の狼竜は動かない何かを爪で嬲っていたという。
 魔法士と騎士達は力を合わせてまず三頭の狼竜を何かから引き離し、防御の盾の中に閉じ込めた。そして、その何かが、泥と血に塗れたルークライと私だと気づいたらしい。



 病室で目覚めたばかりの私に、タイアンは推測ですがと前置きしてからこう告げた。

『リディアが魔力の枯渇で意識を失ったあとも、ルークライは暫く意識を保っていたのでしょう』

『どうしてそう思うのですか?』

『彼はまだ微かに残っていた魔力で防御の盾を発動したんだと思います。自分の身を盾にするようにあなたを抱きしめ、そして、覆えなかったリディアの背中を盾で守ったのではないでしょうか。……そうでなければ、あなたはルークライと同じような状態だったはずです』
 
『同じようなって、ルークはどこですか? 彼の怪我は?』

 病室には私が横たわっているベッドしかなかった。興奮する私を見て医者が何かを飲ませようとしてきたので、私は動かせる右手を振り回して拒んだ。動かない左手にはしった激痛が、起きたばかりでぼんやりしていた頭を覚醒させてくれた。

『いや、ルークに会わせて!』

『落ち着いてください、リディア。そんなに動いたらまた出血します。今から彼のところに連れて行ってあげます。大人しくできるならですが。どうしますか?』

『お願いします!』

 タイアンは私を車椅子に乗せて、彼がいる病室へと連れて行ってくれた。ベッドに横たわった彼は全身に深い裂傷を負っていて、右足の膝から下を失っていた。

『まだ心臓は動いています』

 そう告げたのは、彼の横に立っていたお医者様。絶望を必死で隠している、そんな顔をしていた。タイアンを見れば、彼もまた悲痛な表情を浮かべて、動かないルークライをじっと見つめていた。

『……起きて、ルーク。お願い……ひとりぼっちにしない……で…』



◇ ◇ ◇



 目覚めない彼に縋って泣きじゃくったあの日から五日が過ぎた。


 ――ルークライはまだ目覚めない。

 左手を三角巾でつった私は車椅子に乗って、時間が許す限り彼のもとに通っている。歩いていくと申し出たけど、それなら会うのを許可しないと言われてしまったから。

 医者が曰く、左腕の裂傷は深く予後次第では腕自体を失うらしい。

 ……腕なんてどうでもいい。

 でも、彼に会えないのは耐えられない。
 車椅子を押してくれるのは看護士が殆どだったけど、たまにタイアンが押してくれる時もあった。
 私とルークライはともにまだ面会謝絶だったけど、タイアンは王弟という立場で面会を許されていたからだ。
 そして、私がルークライに面会出来るのは「彼女は患者の婚約者です」と、タイアン王弟が口添えしてくれたから。
 


 今日は看護士が私をルークライの病室に連れてきてくれた。彼女は「一時間後に迎えに来ますね」と部屋から出ていった。

「おはよう、ルーク」

 眠ったままの彼の唇に自分の唇をそっと重ねる。こうすると手を繋ぐよりも魔力を浸透させやすいと気づいたからだ。
 少しづつ回復している魔力を私は彼に渡している。お医者様には内緒。バレたら「無茶をして腕を失ってもいいのですか!」と面会を禁じられるから。

 ……腕なんか惜しくない。

 魔力は回復を助けるけど、他人のそれが回復に役立つのかは分からない。でも、魔力が害を及ぼすことはないから続けている。それに彼が感じているであろう苦痛を少しでも減らしてあげたい。

「心地いいでしょ?」

 彼は答えない。


「結婚式の話の続き早くしたいな」

 彼の目は閉じたまま。

 
「紫銀の髪の子が欲しいな」

 彼は頷いてくれない。
 

 独り言のような会話をしていると、廊下を歩く足音が近づいて来て病室にタイアンが現れた。

「おはようございます、リディア、ルークライ。顔色は……変わりませんね。ですが、悪くもなっていないから良い兆候でしょう」

 タイアンは医者と違って、ルークライにもちゃんと話し掛けてくれる。彼もまた奇跡という名の希望を捨てていないのだ。私にとって心強い同志。

「おはようございます、タイアン魔法士長。それから、白も」

「……ヵ」

 白に会えたのは、あの日以来今日が初めて。タイアンが扉を開けたときにすっと入って来たのだ。

 撫でようと右手を伸ばしたけれど、さっと避けられてしまった。俺様を触る資格はないと言わんばかりの態度で。この鴉はもう少し謙虚になったほうがいい。
 
 ……でも、生きていてくれてありがとう、白。

 ルークライもきっと喜ぶ。


「この子は飼い主ルークライにしか懐きませんね。餌をあげているのに私の髪を毟ってくるんですよ。本当に恩知らずな鴉です」

 そう告げるタイアンの肩に白が自らとまったのを見て、私は息を呑んだ。

 あの日、兄の案内によって岩洞に向かっていた応援部隊は途中で白に遭遇したらしい。その後から白は気まぐれにタイアンと行動を共にすることもあると聞いていたけど。

 ……まさかという思いが頭を過ぎる。


「個人的なことをお聞きしてもいいですか?」

「いいですよ。ですが、まずは座ってください。立ったままでは傷に障ります。あなたに何かあったら、ルークライに殺されそうです」

 タイアンは物騒なことを口にしながら微笑んでいる。彼は以前『もう十分嫌われていますから』と告げたときもどこか嬉しそうだった。


 どんなに子供に嫌われても、親は子供を嫌ったりしませんと言っていたのは誰? ……そう、タイアンだ。


 ずっと立ったままだと目眩がしてしまうので、私は差し出された車椅子に座った。壁際にあった椅子を私の前に置いて、彼もまた腰を下ろした。
 私はひと呼吸置いてから向き合う。

「ルークライの父親はあなたでしょうか?」

「彼から聞いたんですね。そうです、私があの子の父親です。彼に信用されているあなたが羨ましいですよ。私は信用されていないどころか憎まれていますから」

 ……やはりそうなのだ。

「どうして憎まれているのか聞いてもいいですか?」

 興味本位で聞いたわけでない。ルークライは絶対に目覚める。もしタイアンが彼の言う通り最低の父親なら、彼に近づけさせたくない。
 
 もし左腕が腐って落ちたら、それを顔に投げつけて追い払ってやるから。

 考えていることが顔に出ていたのだろう、タイアンは私を見ながら力なく笑った。

「これから真実を話しますが、軽蔑してくれて構いません」

「はい」

「……容赦ない返事ですね」

「はい」
 
 言われなくとも最低な父親なら軽蔑するし、ルークライの為ならそれ以上だってするつもりだ。彼は私をずっと支えてくれた。今度は私が彼を支える。

 私は尊敬するアクセル・タイアンに初めて厳しい眼差しを投げつけた。
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