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40.祈り〜医者視点〜
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「止めなくてよろしいのですか? 先生」
看護士は窓の外を見ながら、机に向かってカルテを書いている私に話し掛けてきた。
彼女の視線を辿らなくとも、何を見ているのかは分かっている。
だが、私は立ち上がると彼女の隣に立って、とある病室の窓を見た。
近くもなく遠くもないけれど、中にいる人の動きは分かる距離。階はこちらのほうが上なので、あちら側は見られていることに気づいていない。
窓に掛かっているカーテンは風に揺れている。あちらの窓も開いている証拠だ。
部屋の中央に置かれたベッドには患者――昏睡状態が続いている青年が横たわっている。
彼は魔法士だった。凶暴化した狼竜に全身を爪で抉られ片足を落とされ、運ばれてきた時は正直すぐに命を落とすと思っていた。
私は彼の横に立って『まだ心臓は動いています』と告げたが、あれは遠回しの死の宣告のつもりだったのだ。
あれから、もう二週間が経過した。
――なのに、彼の心臓は止まっていない。
最初はなぜ彼が生き続けているのか不思議だった。あの怪我、食事も取れない昏睡状態、それだけで死ぬ理由は十分だったからだ。
『手伝ってくれないか?』
『何をですか、先生』
『昏睡状態の彼が生きている理由を知りたいんだ』
今隣に並んでいる看護士と一緒に、片っ端から文献を調べまくったのは一週間ほど前。
そして、魔法士は愛する者同士なら魔力を与えることができると知ったのだ。
通常魔力は回復を助けると言われている。だが、それは自分に限っての話だった。愛し合ったふたりの魔法士の片方に怪我を負わせて、もう片方の魔力が回復の助けとなるかという実験はされたことがない。
そうでなくとも、魔法士は希少だし、愛し合うなんて口でいうほど容易くない。
患者には魔法士の婚約者がいた。
彼女もまた腕に酷い怪我を負っていた。無理をすれば腕を失いかねないほどの。
……そんな状態で魔力を与えるはずがない。
誰だって我が身は惜しい。
私は行き詰まった。
だが、ある日。私と看護士は今のように並んで窓際に立っている時に見たのだ。彼女が目覚めない婚約者に何度も口づけるのを。
一度目はにこやかに笑いながら。
……二度目は何か話しかけながら。
………三度目は唇を噛み締めながら。
…………四度目は嗚咽しながら。
医学的には何が起こっているか分からない。
しかし、彼女によって彼は生かされているのだと直感した。いや、それ以外に奇跡の説明がつかなかったのだ。
だが、それは彼女の回復が遅れることを意味していた。現に彼女の回復は緩やかだ。
それを知っているからこその、看護士の言葉だった。
「止めないよ、私は」
そう告げる私を、彼女は責めるような目で見返した。あの日、私が『見たことは黙っていなさい』と彼女に言ったからだろう。
彼女は誤解しているのだ、私が昏睡状態の彼がいつまで保つか実験していると。
「あの青年が生きているのは、彼女がいるからだ。だが、彼女が生きているのも、彼がいるからだよ」
「でも、魔力を与えているのは彼女の方だけです」
「精神的な支えとなっているんだよ。たぶん、彼が逝ったら、彼女は生きるのをやめてしまう」
「自殺するということでしょうか?」
看護士は短絡的な言葉を口にする。だが、悪気があってではない。年齢の近い彼女を心配しているのだろう。
「いや、そうじゃない。誰だって半身を奪われたら生きられないだろ? そういうことだ」
看護士は眉を寄せて、よく分からないという顔をしている。まだ若いので本物の愛に触れたことがないから仕方がない。
……いや、年齢は関係ないか。
かくいう私だって経験はない。けれども、それなりに長く生きていると分かるのだ。口で伝えることは難しいが……。
また、窓から彼らの姿を目に映す。
婚約者は涙を零しながら、患者の紫銀の髪を手で梳いている。これほど愛しいものはないというように。
ふたりの体は痛々しく悲惨な状態。それなのに、美しいと思ってしまう。いや、眩しいといったほうがいいだろうか。
「……先生の言うことが分かった気がします、私」
看護士は呆けたように呟いた。私と同じように彼女も感じたのだろう。
「先生、私、見てみたいです。ふたりが一緒に笑っている姿を」
「ああ、私もだよ」
医者だから多くの死を見てきた。正直神なんて信じていない。だが、祈らずにはいられない。
窓から下を窺えば、今日もまた絶えず誰か――王宮の鴉だったり、騎士だったり、文官だったり、時には赤ん坊連れの女性だったり――が、彼らの病室を見上げている。彼らも祈っているのだ、ふたりが一緒に笑っている姿をまた見たいと。
これほどの祈りを神が無視できるはずがない。
看護士は窓の外を見ながら、机に向かってカルテを書いている私に話し掛けてきた。
彼女の視線を辿らなくとも、何を見ているのかは分かっている。
だが、私は立ち上がると彼女の隣に立って、とある病室の窓を見た。
近くもなく遠くもないけれど、中にいる人の動きは分かる距離。階はこちらのほうが上なので、あちら側は見られていることに気づいていない。
窓に掛かっているカーテンは風に揺れている。あちらの窓も開いている証拠だ。
部屋の中央に置かれたベッドには患者――昏睡状態が続いている青年が横たわっている。
彼は魔法士だった。凶暴化した狼竜に全身を爪で抉られ片足を落とされ、運ばれてきた時は正直すぐに命を落とすと思っていた。
私は彼の横に立って『まだ心臓は動いています』と告げたが、あれは遠回しの死の宣告のつもりだったのだ。
あれから、もう二週間が経過した。
――なのに、彼の心臓は止まっていない。
最初はなぜ彼が生き続けているのか不思議だった。あの怪我、食事も取れない昏睡状態、それだけで死ぬ理由は十分だったからだ。
『手伝ってくれないか?』
『何をですか、先生』
『昏睡状態の彼が生きている理由を知りたいんだ』
今隣に並んでいる看護士と一緒に、片っ端から文献を調べまくったのは一週間ほど前。
そして、魔法士は愛する者同士なら魔力を与えることができると知ったのだ。
通常魔力は回復を助けると言われている。だが、それは自分に限っての話だった。愛し合ったふたりの魔法士の片方に怪我を負わせて、もう片方の魔力が回復の助けとなるかという実験はされたことがない。
そうでなくとも、魔法士は希少だし、愛し合うなんて口でいうほど容易くない。
患者には魔法士の婚約者がいた。
彼女もまた腕に酷い怪我を負っていた。無理をすれば腕を失いかねないほどの。
……そんな状態で魔力を与えるはずがない。
誰だって我が身は惜しい。
私は行き詰まった。
だが、ある日。私と看護士は今のように並んで窓際に立っている時に見たのだ。彼女が目覚めない婚約者に何度も口づけるのを。
一度目はにこやかに笑いながら。
……二度目は何か話しかけながら。
………三度目は唇を噛み締めながら。
…………四度目は嗚咽しながら。
医学的には何が起こっているか分からない。
しかし、彼女によって彼は生かされているのだと直感した。いや、それ以外に奇跡の説明がつかなかったのだ。
だが、それは彼女の回復が遅れることを意味していた。現に彼女の回復は緩やかだ。
それを知っているからこその、看護士の言葉だった。
「止めないよ、私は」
そう告げる私を、彼女は責めるような目で見返した。あの日、私が『見たことは黙っていなさい』と彼女に言ったからだろう。
彼女は誤解しているのだ、私が昏睡状態の彼がいつまで保つか実験していると。
「あの青年が生きているのは、彼女がいるからだ。だが、彼女が生きているのも、彼がいるからだよ」
「でも、魔力を与えているのは彼女の方だけです」
「精神的な支えとなっているんだよ。たぶん、彼が逝ったら、彼女は生きるのをやめてしまう」
「自殺するということでしょうか?」
看護士は短絡的な言葉を口にする。だが、悪気があってではない。年齢の近い彼女を心配しているのだろう。
「いや、そうじゃない。誰だって半身を奪われたら生きられないだろ? そういうことだ」
看護士は眉を寄せて、よく分からないという顔をしている。まだ若いので本物の愛に触れたことがないから仕方がない。
……いや、年齢は関係ないか。
かくいう私だって経験はない。けれども、それなりに長く生きていると分かるのだ。口で伝えることは難しいが……。
また、窓から彼らの姿を目に映す。
婚約者は涙を零しながら、患者の紫銀の髪を手で梳いている。これほど愛しいものはないというように。
ふたりの体は痛々しく悲惨な状態。それなのに、美しいと思ってしまう。いや、眩しいといったほうがいいだろうか。
「……先生の言うことが分かった気がします、私」
看護士は呆けたように呟いた。私と同じように彼女も感じたのだろう。
「先生、私、見てみたいです。ふたりが一緒に笑っている姿を」
「ああ、私もだよ」
医者だから多くの死を見てきた。正直神なんて信じていない。だが、祈らずにはいられない。
窓から下を窺えば、今日もまた絶えず誰か――王宮の鴉だったり、騎士だったり、文官だったり、時には赤ん坊連れの女性だったり――が、彼らの病室を見上げている。彼らも祈っているのだ、ふたりが一緒に笑っている姿をまた見たいと。
これほどの祈りを神が無視できるはずがない。
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