愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと

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26.いざ夜会へ

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兄ノーマンは婚約者をエスコートする為に先に屋敷を出て夜会へと向かっている。
両親はクーガー伯爵家の馬車に乗り、私はマイル侯爵家の家紋を付けた馬車にエスコート役のヒューイとともに乗っている。

なにもかも予定通りで順調だ。

久しぶりの夜会だから思っている以上に緊張しているようだ。馬車の中でもヒューイとの会話に集中出来ていない。
上の空というわけではないけれども、いつもと違って会話がテンポ良く進まない。

私の緊張を察した彼は『大丈夫かい?マリア』と声を掛けてくれる。
『ええ、大丈夫よ。全然問題ないわ』と言って私は頷くが、その表情はまだ硬いまま。


「マリア、今日はただ楽しもう。大好きダンスをしに来たんだと思えばいい。
まあ知っての通り貴族の夜会では不思議な生き物が徘徊しているが、それも人間観察…いや珍獣に会えたと思えばそれなりに楽しめる。考えすぎずに気楽にいこう」

彼が言っている不思議な生き物とはきっと好き勝手なことを言ってくる自称親切な人達だろう。

彼はそんな人達をなんと『珍獣』扱いしている。

それによって彼らの本質が変わるわけではないけれども、言い方を変えることでなんだか可愛い生き物へと印象が変化する。


 ぷぷっ、…珍獣って言い過ぎよ。
 でもなんかすごく可愛い感じになったわ。
 不思議ね、でも本当におかしくって…うふふ。


込み上げてくる笑みを抑えられず思わず声を上げて笑ってしまうと、肩の力が自然と抜けていく。

「そうね、そう考えると会うのが楽しみになってくるわ。ヒューイの言葉はなんか魔法みたいで凄いわ、ありがとう」

彼は私をリラックスさせてくれる。
それは今だけでない、いつも絶妙なタイミングで欲しい言葉を私にくれる。


 本当にありがとう、ヒューイ。


「マリアがそう思ってくれて良かったよ。
俺の方から珍獣の話を出しておいてなんだけど、今夜は珍獣の相手ではなく寡黙な男の相手を優先してくれないか。
だってその男は今日という日をとても楽しみにしていたんだから珍獣なんかに負けたくない」


『とても楽しみにしていた』という言葉に胸が高鳴る。


それは社交辞令ではないと思う。一緒に夜会への参加を決めた日から彼は私に会うたびにそのことを嬉しそうに口にしていたから。

でもそれは彼だけではない。
私も彼と同じくらいというか、きっとそれ以上に彼と一緒の夜会を心待ちにしていた。

それは私だけの秘密。

はしたないと思われたくないから、その思いは上手く隠していたつもりだ。
ズルいと言われようがこれも淑女の嗜みだから許して欲しい。


「分かったわ、今夜は寡黙で優しくて誰よりも素敵な殿方の相手を優先させましょう」


彼の願いを受け入れる言葉を紡ぐ。
でもこれは私の望みでもあるのは言わないでおく。

私と彼の視線が交わる。なんだか彼に全て見透かされている気がして恥ずかしい。


彼は私の手を取り、大きな身体をかがめ私の手の甲にそっと口づけを落としてくる。

「光栄です、マリア」

私を見つめ続けるその眼差しにドキッとしてしまう。

それはいつもとは違う彼だった。

だって凛と着飾った彼は眩しいほど素敵で、…その存在が反則ではないかと心のなかで叫んでしまう。

そんな彼からこんな扱いをされたら、誰だって胸の高鳴りが抑えられない。

 そうよ、私の反応は普通だわ。
 おかしくなんてないから!


心のなかで言い訳をし、誰に対しての言い訳かと自分自身につっこむ。

その様はまるで挙動不審な令嬢。

そんな私を見て、ヒューイは『緊張が解れたみたいで良かった』と微笑んでいる。
確かに緊張は解れたけれど、そんな格好で微笑まれたら今度は顔が真っ赤になってしまうからやめて欲しい。

自分が子猿のように真っ赤になっているのではないかとを抱えた私は、馬車の中でひたすら早くドイル公爵邸に到着することだけを祈っていた。

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