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第2章 1 魔界の迷宮
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1
魔女の魔法のお陰で私達は一瞬で森を抜ける事が出来た。
私の手の中には魔女から貰った猫耳のカチューシャと猫のしっぽが握り締められている。この2つのマジックアイテムは魔女から、ほんの餞別よと言ってプレゼントして貰ったものだ。
しかし、結局魔女からは私が何故特別な存在なのかを教えて貰う事は出来なかったが代わりにこう言った。
いつかまた何処かで出会う時が来たら、その時に全ての答えが分かるはず—と。
しかしそんな時がやってくるのだろうか・・・?
そもそも私自身が未だに魔界へ行く理由の記憶を取り戻していないからだ。魔女の話では、私はある男性を助ける為にこの世界へやってきたらしいが、無事に魔界へ辿り着けるかも、まして一緒に連れて帰れるかどうかの保証も無いはずだったのに。
それでも私は自分の身を危険にさらしてまで魔界へ向かおうとしていたなんて・・
そこまで大切な人だったのだろうか・・?
「どうしたの?ハルカ。もしかして・・・これから魔界へ行くの・・緊張している?ハルカさえ良かったら・・・魔界へ行く日程を・・少し先延ばしにしてもいいんだよ?何も今からすぐに向かわなくても・・・。」
アンジュが躊躇いがちに声をかけてきたが、私は首を振った。
「いいの、アンジュ。いますぐ私は魔界へ向かうわ。だって、アンジュ・・・さっき教えてくれたでしょう?あまり長い間、人間が魔界に留まっているといずれは魔族になってしまう・・・って。そうなる前に私はこの世界へやってきたはずなんだから・・・。ゆっくりなんてしていられないわ。」
「そうか・・・ハルカの意思がそこまで固いなら・・・。」
それから先、アンジュは黙りこんでしまった。私もこれから向かう魔界の事で頭が一杯だったので2人とも其のまま無言で歩き続け・・・。
「ハルカ・・・。着いたよ。門へ・・・。」
アンジュが私の方を振り向くと言った。
「あ・・・。」
私は門を見上げた。
初めてこの世界へ来た時も、同じ場所に立っていたはずなのに、やはり私には何の記憶も無かった。でも・・今私が握りしめている、この魔界の門を開く鍵を使って、この門をくぐれば・・・恐らく私は記憶を取り戻すのだろう。一体どんな経験をして、どんな思いでこの門をくぐって来たのか・・・それがもうすぐ分かる。
「ハルカ・・・。」
アンジュが私の肩に手を置くと言った。
「いいかい?魔界はとても寒い場所なんだ。でもどうやら君は事前に魔界がとても寒い場所だと言う事を知っていたようだね?だってハルカが持ってきた鞄の中には防寒具が沢山入っているから・・・。今すぐに防寒着を身に付けた方がいいよ?それに魔女がくれたアイテムもね。」
「うん、そうね。」
そこで私は手袋やマフラー、そして分厚い防寒具にマントを羽織った。頭には猫耳のカチューシャ、そして猫の尻尾を落ちないようにしっかり留める。すると、私の姿は猫になってしまったのか、アンジュが私の足元を見ながら言った。
「ハルカ、すっかり可愛らしい猫の姿になったね・・・。いいかい、ハルカ。もし探し人を見つけて、連れ出す事に成功したら、まずは必ずこの世界へ戻って来るんだよ。分かったね?そしてボクの元に来るんだよ。」
「わ・・・分かったわ。」
「うん・・・。ハルカ・・・。無事を祈るよ・・。」
アンジュは微笑みながら言った。
「アンジュ・・ありがとう・・・。」
「ハルカ・・・。この門をくぐれば、無くした記憶が一気に戻って来ると思うけど・・・例えどんな記憶でも気をしっかり持つんだよ?そうでなければ無事にこの世界へ戻って来れないかもしれないから・・・。」
「・・・覚悟は出来てるわ。」
私は鍵を握り締めながら言った。
「そうか・・なら、いいんだ。それじゃハルカ、鍵を使って門を開けるんだ。」
アンジュに促されて私は『魔界の門の鍵』を鍵穴に差し込んで回した—。
途端に眩しい光に包まれる私・・・。アンジュが外側から門を閉じたのだろう。
バンッと音が鳴り、私の背後で門が閉じられた。そして一気に蘇って来る私の記憶・・・。
昼か夜かも分からない、薄暗くてとても寒い大地。
私はあふれる涙を拭いながら遠くに見える城へ向かって歩いている。
今私の胸の中にあるのは激しい喪失感。とても・・・とても大切な人を私は失ってしまった。守って貰うばかりで、助けて貰うばかりで、私はマシューに何もしてあげる事が出来なかった。もう二度と会う事が出来ない・・・かけがえのない人。
でもいけない。
いつまでも泣いていたって、マシューはもう二度と帰ってこないのだ。私はマシューが残してくれた言葉を思い出す。
―無事にノア先輩を助け出せる手助けをするのが俺の役目だと思っているから―
そう、私はマシューと約束したのだ。
必ずノア先輩を魔界から助け出し、2人で一緒に元の世界へ戻って来ると。
私を助けるために犠牲になったノア先輩。今もきっとこのとても寒い世界で寒さに震えて私が来るのを待っているかもしれない。
だから今はノア先輩を助ける事だけに集中しなければ・・・。
もういないマシューに心の中で私は言った。
見ていてね。マシュー。私・・・必ずノア先輩を見つけて、無事に連れ帰って来るからね・・・!
「え・・・?」
その時、私は自分の額が熱くなるのを感じた。そこに触れてみると、熱を帯びていた。
これは・・・マシューが私に付けてくれた魔物達から私を守ってくれると言う印・・・。
え・・・?確か魔女はこの魔法は消えてしまっていると言っていたはずなのに・・。
魔界へ来た事で、この力が復活したのだろうか?
再び熱いものが込み上げてきて、私は声を殺して泣いた。
ごめんなさい・・・。一時でも貴方を忘れてしまっていたなんて。
守りの印を付けてくれたマシュー。そして・・・あの時の口付けは恐らくマシューが私に魔族の力を分けてくれたのだろう。だから魔女やアンジュに言われたのだ。
私から魔族の魔力を感じると・・・。きっとマシューは私が無事にノア先輩の所まで辿り着く事が出来るように守ってくれようとしていたんだ。
私は・・・こんなにもマシューに愛されていたなんて・・ちっとも気が付いていなかった。
私は零れ落ちる涙を今一度拭うと、前を向いた。
恐らく、あの場所は魔女が言っていた第1階層。知性が最も低い凶暴な魔物達が生息すると言う・・・。
私は口の中でそっと呟いた。
「マシュー・・・。どうか私を守ってね・・・。」
するとそれに応えるかのように、私の額が一段と熱くなるのを感じた―。
私は今城の前に立っている。ここに立っているだけで、まがまがしく、恐ろしい気配を感じる。
足を震わせながら、そこに立っているのがやっとだった。どうしよう、すごく怖い。でも、この城の中に入らなければ・・・ここを無事に通り抜けなければ私はノア先輩の元へ辿り着く事が出来ない・・・!
一度だけ、ギュッと目をつぶると覚悟を決めた。よ、よし・・・この城の門を開けて中へ入るのだ・・・・。
ギイイ~ッ・・・・。
怖ろしい音を立てながら木で作られた門をそっと開ける。ただ、開けただけなのにドアの開閉音だけで心臓が止まりそうになるくらいの恐怖を感じてしまう。
中を覗いて見ても、魔物の姿が一つも見えない。ここにはいないのだろうか・・・。
魔族達は城の中にいるのだろうか?
震える身体で、私は一歩中へ足を踏み入れた時―。
グルルル・・・・・。
背後で恐ろしい唸り声が聞こえ、私は全身の血が凍り付きそうになった。
も、もしかすると・・・魔族が・・?
私は恐る恐る後ろを振り返った―。
2
こ、怖い・・・。でも振り向かなければ。いきなり背後から襲われるほうが余程恐ろしくてたまらない。き、きっと大丈夫・・。今の私は魔界に生息するただの猫の姿をしているはず。それにマシューから分けてもらった魔力を持っているのだから人間だとは、ばれないはず・・。
心の中で言い聞かせながら私は恐る恐る背後を振り返り、思わず悲鳴を上げそうになった。すぐ背後にいたのは私の身体よりもはるかに大きい青いオオカミだったのだ。
オオカミの瞳は金色に輝き、半分ほど開いた口からは鋭い牙が見え、荒い息を吐いている。ど、どうしよう・・・た、食べられる・・・・。
もう立っているのがやっとだった私は、恐怖で体が固まって動けなくなっていた。
ああ・・・このまま私は魔族の餌にされて死んでしまうのだろうか・・・。まだノア先輩のいる第3階層どころか、城の中へまで進めてすらいないのに・・・。
でもどうせ殺られるなら、痛い思いをしないで、一瞬で命を奪って欲しい・・!
だけどやはり死の恐怖に耐え切れずに、目をギュっと瞑ると無意識のうちに心の中で今は亡きマシューに助けを求めていた。
(マシューッ!助けてっ!!)
すると一瞬額が熱く燃える様な熱を帯びた。そして目を閉じてはいたが、私には何故かオオカミが怯む気配を感じた。
え・・?これは一体・・?
そこから異様な静けさが1分2分と経過していく・・・。しかし怖くて堪らない私は目を開ける事が出来ずにいたが、一向にオオカミは襲って来ない。
「・・・?」
恐る恐る目を開けると、そこにいたはずのオオカミの気配が消えている。え・・・?一体これはどういう事なのだろいうか・・・?
まさか・・・私があまりにもか弱い存在だったから・・・見逃してくれた?
それとも、マシューに助けを求めた瞬間私の額に付けられた目に見えない印が熱く熱を持った。ひょっとするとマシューが助けてくれたのでは無いだろうか・・・?
「きっと・・・そう、マシューが私を守ってくれているに決まっている・・・。」
そう思うと、今まで感じていた恐怖心が大分薄らいでくれた。
そうだ、私にはマシューが付けてくれた守りの印が残されている。そしてマシューが私に分けてくれた魔力が・・・。
「マシュー・・・。私を見守っていてね・・・。」
マシューによって勇気づけられた私は城の中へ足を踏み入れた・・・。
城の中は、外に比べればまだ多少は寒さはましであったけれども、ひんやりと湿り気を帯びている。空気はカビた臭いがして辺りは何故か薄暗い靄で覆われて視界が非常に悪い。これではいつどこから魔物が襲ってきても姿が見えない・・・!
私は周囲に気を配りながら、壁を背中につけて歩く事にした。こうしておけばいきなり背後から襲われる事が無いからだ。
アンジュから聞いた話によると、第2階層へ続く道は城の入り口から入り、長く続く回廊を抜けた先に、『鏡の間』と呼ばれる部屋がある。そこにおかれている『鏡』が入り口となっているらしい。
この鏡はある一定以上の知性が無い生き物は通り抜ける事が出来ないと言われている。
「まあ・・・さすがに通り抜けられないって事は無いと思うんだけどね・・・。」
微かな不安が残されてはいるけれども、一応私はセント・レイズ学院の才女で通っている。うん、だから多分大丈夫・・・だと思う。
どこまでも長く続く回廊を歩き続けているが、先程から妙な違和感を私は感じていた。どうして・・・この城の中には魔物の姿が無いのだろう?魔女の話では第1階層には知性が最も低い凶暴な魔物達が生息すると聞かされていたのに、この城の入口で出会った魔物は巨大なオオカミ一匹のみ。
けれども時折何処か遠くから聞こえて来る獣のように吠える声や、何者かが闇の中で蠢いている気配を感じる事は出来るのだが、一向に私に接触してくる魔族はいない。
最もその方が私にとってありがたいのは確かなのだが・・・。
「お願いだから・・・『鏡の間』までは何も出てこないでよ・・・。」
私は小声でぽつりと言った。早く、早くこの回廊を抜けなくては・・・!
しかし、歩いても歩いてもなかなか回廊を抜ける事が出来ない。まるで迷宮にはまってしまったかのような錯覚を覚えて来た。
「あれ・・・?おかしい・・・さっきもここを通った気がするんだけど・・・?」
私は歩きながら辺りを見渡して、足を止めた。
先程までずっと恐怖で緊張しながら歩いていたので私は周囲を観察していなかったので気が付かなかったが、先程から感じていた違和感が徐々に強くなってくる。
「ま・・・まさか・・ね・・?」
しかし、万一と言う事がある。私は背負っていたリュックから万年筆を取り出した。
そして床に大きく×を描いた。・・・勝手に魔族の城に落書きをするのはすごく大胆な行動を取っていると我ながら思ったが、それよりも私には今一番確認しておかなければならない重要な事があるのだ。
「これでよし・・・。」
私は再び歩き出した―。
「あ!やっぱり・・・!」
私は床に着けてある×印を見て大声を上げてしまい、慌てて口を両手で押さえた。
その×印は先程私が付けておいた印に間違い無い。
そうだ、私が先程からずっと感じていた違和感・・・それは魔族達の姿が見えないと言う事では無く、入り口から入ってきた時から延々と同じ場所を歩いているような感覚に襲われていたからだ。
けれど、この×印を見る限り・・・。
「間違いない・・・・。私、さっきからずっと同じ場所を歩き続けていたんだ・・。
その事実を知った時、全身の血が凍り付きそうになった。得体の知れない恐怖がじわじわと足元から迫ってきているように感じる。
一体何故?私はこの城へ入った時からずっと、只真っすぐに歩いて来ただけ。現にこの城は一本道しか無く、ドアが付いている訳でもない。
「一体何故・・・?」
私はこの恐ろしい魔物達が生息するこの城で、永遠に出口を求めて探し続けなくてはならないのだろうか・・・?
自分で恐ろしい考えが頭をよぎり、ゾクリと震える。
「どうしよう・・・・どうすればいいの・・・?」
私は両肩を抱えて、廊下に座り込んでしまった。怖い・・・まさかこれほどの恐怖を感じるなんて・・・。思わず目に涙が浮かぶ。
あれ程ノア先輩を必ず助けるのだと意気込んでいたのに、実際魔界へ来てみれば恐怖で震える事しか出来ない、弱い私。
「・・・ノア先輩・・・。マシュー・・・。せっかく魔界に来ることが出来たのに、私・・・もう駄目かも・・・。」
目を閉じれば2人の姿が脳裏に浮かぶ。ああ・・・私は結局マシューを無駄に死に追いやっただけで、ノア先輩を見捨て、自分自身はここで朽果てていくのだろうか・・?
その時・・・。
「ジェシカ・・・。」
え?
誰かが私の頭の中に呼びかけて来る。私は立ち上がって辺りを見渡した。すると再び声が聞こえて来る。
その声は私の前方から聞こえている。まるで姿の見えない誰かが目の前に立っているかのようだ。
「ジェシカ・・・・。こっちだ・・・。」
「誰・・・?」
私は声の主に尋ねてみた。すると声は言った。
「君を助けてあげる・・・。さあ、こっちへおいで。」
その声はまるでわたしを誘導するかのように語りかけて来る。一体、この声の主は誰なのだろう?何処かで聞いたことがあるような、無いような・・聞き覚えの無い声である。だけど・・・何故かその声は私に酷く安心感を与える。
だから私は・・・。
「お願いします。私を『鏡の間』まで案内して下さい』
声の主に頼んだ―。
魔女の魔法のお陰で私達は一瞬で森を抜ける事が出来た。
私の手の中には魔女から貰った猫耳のカチューシャと猫のしっぽが握り締められている。この2つのマジックアイテムは魔女から、ほんの餞別よと言ってプレゼントして貰ったものだ。
しかし、結局魔女からは私が何故特別な存在なのかを教えて貰う事は出来なかったが代わりにこう言った。
いつかまた何処かで出会う時が来たら、その時に全ての答えが分かるはず—と。
しかしそんな時がやってくるのだろうか・・・?
そもそも私自身が未だに魔界へ行く理由の記憶を取り戻していないからだ。魔女の話では、私はある男性を助ける為にこの世界へやってきたらしいが、無事に魔界へ辿り着けるかも、まして一緒に連れて帰れるかどうかの保証も無いはずだったのに。
それでも私は自分の身を危険にさらしてまで魔界へ向かおうとしていたなんて・・
そこまで大切な人だったのだろうか・・?
「どうしたの?ハルカ。もしかして・・・これから魔界へ行くの・・緊張している?ハルカさえ良かったら・・・魔界へ行く日程を・・少し先延ばしにしてもいいんだよ?何も今からすぐに向かわなくても・・・。」
アンジュが躊躇いがちに声をかけてきたが、私は首を振った。
「いいの、アンジュ。いますぐ私は魔界へ向かうわ。だって、アンジュ・・・さっき教えてくれたでしょう?あまり長い間、人間が魔界に留まっているといずれは魔族になってしまう・・・って。そうなる前に私はこの世界へやってきたはずなんだから・・・。ゆっくりなんてしていられないわ。」
「そうか・・・ハルカの意思がそこまで固いなら・・・。」
それから先、アンジュは黙りこんでしまった。私もこれから向かう魔界の事で頭が一杯だったので2人とも其のまま無言で歩き続け・・・。
「ハルカ・・・。着いたよ。門へ・・・。」
アンジュが私の方を振り向くと言った。
「あ・・・。」
私は門を見上げた。
初めてこの世界へ来た時も、同じ場所に立っていたはずなのに、やはり私には何の記憶も無かった。でも・・今私が握りしめている、この魔界の門を開く鍵を使って、この門をくぐれば・・・恐らく私は記憶を取り戻すのだろう。一体どんな経験をして、どんな思いでこの門をくぐって来たのか・・・それがもうすぐ分かる。
「ハルカ・・・。」
アンジュが私の肩に手を置くと言った。
「いいかい?魔界はとても寒い場所なんだ。でもどうやら君は事前に魔界がとても寒い場所だと言う事を知っていたようだね?だってハルカが持ってきた鞄の中には防寒具が沢山入っているから・・・。今すぐに防寒着を身に付けた方がいいよ?それに魔女がくれたアイテムもね。」
「うん、そうね。」
そこで私は手袋やマフラー、そして分厚い防寒具にマントを羽織った。頭には猫耳のカチューシャ、そして猫の尻尾を落ちないようにしっかり留める。すると、私の姿は猫になってしまったのか、アンジュが私の足元を見ながら言った。
「ハルカ、すっかり可愛らしい猫の姿になったね・・・。いいかい、ハルカ。もし探し人を見つけて、連れ出す事に成功したら、まずは必ずこの世界へ戻って来るんだよ。分かったね?そしてボクの元に来るんだよ。」
「わ・・・分かったわ。」
「うん・・・。ハルカ・・・。無事を祈るよ・・。」
アンジュは微笑みながら言った。
「アンジュ・・ありがとう・・・。」
「ハルカ・・・。この門をくぐれば、無くした記憶が一気に戻って来ると思うけど・・・例えどんな記憶でも気をしっかり持つんだよ?そうでなければ無事にこの世界へ戻って来れないかもしれないから・・・。」
「・・・覚悟は出来てるわ。」
私は鍵を握り締めながら言った。
「そうか・・なら、いいんだ。それじゃハルカ、鍵を使って門を開けるんだ。」
アンジュに促されて私は『魔界の門の鍵』を鍵穴に差し込んで回した—。
途端に眩しい光に包まれる私・・・。アンジュが外側から門を閉じたのだろう。
バンッと音が鳴り、私の背後で門が閉じられた。そして一気に蘇って来る私の記憶・・・。
昼か夜かも分からない、薄暗くてとても寒い大地。
私はあふれる涙を拭いながら遠くに見える城へ向かって歩いている。
今私の胸の中にあるのは激しい喪失感。とても・・・とても大切な人を私は失ってしまった。守って貰うばかりで、助けて貰うばかりで、私はマシューに何もしてあげる事が出来なかった。もう二度と会う事が出来ない・・・かけがえのない人。
でもいけない。
いつまでも泣いていたって、マシューはもう二度と帰ってこないのだ。私はマシューが残してくれた言葉を思い出す。
―無事にノア先輩を助け出せる手助けをするのが俺の役目だと思っているから―
そう、私はマシューと約束したのだ。
必ずノア先輩を魔界から助け出し、2人で一緒に元の世界へ戻って来ると。
私を助けるために犠牲になったノア先輩。今もきっとこのとても寒い世界で寒さに震えて私が来るのを待っているかもしれない。
だから今はノア先輩を助ける事だけに集中しなければ・・・。
もういないマシューに心の中で私は言った。
見ていてね。マシュー。私・・・必ずノア先輩を見つけて、無事に連れ帰って来るからね・・・!
「え・・・?」
その時、私は自分の額が熱くなるのを感じた。そこに触れてみると、熱を帯びていた。
これは・・・マシューが私に付けてくれた魔物達から私を守ってくれると言う印・・・。
え・・・?確か魔女はこの魔法は消えてしまっていると言っていたはずなのに・・。
魔界へ来た事で、この力が復活したのだろうか?
再び熱いものが込み上げてきて、私は声を殺して泣いた。
ごめんなさい・・・。一時でも貴方を忘れてしまっていたなんて。
守りの印を付けてくれたマシュー。そして・・・あの時の口付けは恐らくマシューが私に魔族の力を分けてくれたのだろう。だから魔女やアンジュに言われたのだ。
私から魔族の魔力を感じると・・・。きっとマシューは私が無事にノア先輩の所まで辿り着く事が出来るように守ってくれようとしていたんだ。
私は・・・こんなにもマシューに愛されていたなんて・・ちっとも気が付いていなかった。
私は零れ落ちる涙を今一度拭うと、前を向いた。
恐らく、あの場所は魔女が言っていた第1階層。知性が最も低い凶暴な魔物達が生息すると言う・・・。
私は口の中でそっと呟いた。
「マシュー・・・。どうか私を守ってね・・・。」
するとそれに応えるかのように、私の額が一段と熱くなるのを感じた―。
私は今城の前に立っている。ここに立っているだけで、まがまがしく、恐ろしい気配を感じる。
足を震わせながら、そこに立っているのがやっとだった。どうしよう、すごく怖い。でも、この城の中に入らなければ・・・ここを無事に通り抜けなければ私はノア先輩の元へ辿り着く事が出来ない・・・!
一度だけ、ギュッと目をつぶると覚悟を決めた。よ、よし・・・この城の門を開けて中へ入るのだ・・・・。
ギイイ~ッ・・・・。
怖ろしい音を立てながら木で作られた門をそっと開ける。ただ、開けただけなのにドアの開閉音だけで心臓が止まりそうになるくらいの恐怖を感じてしまう。
中を覗いて見ても、魔物の姿が一つも見えない。ここにはいないのだろうか・・・。
魔族達は城の中にいるのだろうか?
震える身体で、私は一歩中へ足を踏み入れた時―。
グルルル・・・・・。
背後で恐ろしい唸り声が聞こえ、私は全身の血が凍り付きそうになった。
も、もしかすると・・・魔族が・・?
私は恐る恐る後ろを振り返った―。
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こ、怖い・・・。でも振り向かなければ。いきなり背後から襲われるほうが余程恐ろしくてたまらない。き、きっと大丈夫・・。今の私は魔界に生息するただの猫の姿をしているはず。それにマシューから分けてもらった魔力を持っているのだから人間だとは、ばれないはず・・。
心の中で言い聞かせながら私は恐る恐る背後を振り返り、思わず悲鳴を上げそうになった。すぐ背後にいたのは私の身体よりもはるかに大きい青いオオカミだったのだ。
オオカミの瞳は金色に輝き、半分ほど開いた口からは鋭い牙が見え、荒い息を吐いている。ど、どうしよう・・・た、食べられる・・・・。
もう立っているのがやっとだった私は、恐怖で体が固まって動けなくなっていた。
ああ・・・このまま私は魔族の餌にされて死んでしまうのだろうか・・・。まだノア先輩のいる第3階層どころか、城の中へまで進めてすらいないのに・・・。
でもどうせ殺られるなら、痛い思いをしないで、一瞬で命を奪って欲しい・・!
だけどやはり死の恐怖に耐え切れずに、目をギュっと瞑ると無意識のうちに心の中で今は亡きマシューに助けを求めていた。
(マシューッ!助けてっ!!)
すると一瞬額が熱く燃える様な熱を帯びた。そして目を閉じてはいたが、私には何故かオオカミが怯む気配を感じた。
え・・?これは一体・・?
そこから異様な静けさが1分2分と経過していく・・・。しかし怖くて堪らない私は目を開ける事が出来ずにいたが、一向にオオカミは襲って来ない。
「・・・?」
恐る恐る目を開けると、そこにいたはずのオオカミの気配が消えている。え・・・?一体これはどういう事なのだろいうか・・・?
まさか・・・私があまりにもか弱い存在だったから・・・見逃してくれた?
それとも、マシューに助けを求めた瞬間私の額に付けられた目に見えない印が熱く熱を持った。ひょっとするとマシューが助けてくれたのでは無いだろうか・・・?
「きっと・・・そう、マシューが私を守ってくれているに決まっている・・・。」
そう思うと、今まで感じていた恐怖心が大分薄らいでくれた。
そうだ、私にはマシューが付けてくれた守りの印が残されている。そしてマシューが私に分けてくれた魔力が・・・。
「マシュー・・・。私を見守っていてね・・・。」
マシューによって勇気づけられた私は城の中へ足を踏み入れた・・・。
城の中は、外に比べればまだ多少は寒さはましであったけれども、ひんやりと湿り気を帯びている。空気はカビた臭いがして辺りは何故か薄暗い靄で覆われて視界が非常に悪い。これではいつどこから魔物が襲ってきても姿が見えない・・・!
私は周囲に気を配りながら、壁を背中につけて歩く事にした。こうしておけばいきなり背後から襲われる事が無いからだ。
アンジュから聞いた話によると、第2階層へ続く道は城の入り口から入り、長く続く回廊を抜けた先に、『鏡の間』と呼ばれる部屋がある。そこにおかれている『鏡』が入り口となっているらしい。
この鏡はある一定以上の知性が無い生き物は通り抜ける事が出来ないと言われている。
「まあ・・・さすがに通り抜けられないって事は無いと思うんだけどね・・・。」
微かな不安が残されてはいるけれども、一応私はセント・レイズ学院の才女で通っている。うん、だから多分大丈夫・・・だと思う。
どこまでも長く続く回廊を歩き続けているが、先程から妙な違和感を私は感じていた。どうして・・・この城の中には魔物の姿が無いのだろう?魔女の話では第1階層には知性が最も低い凶暴な魔物達が生息すると聞かされていたのに、この城の入口で出会った魔物は巨大なオオカミ一匹のみ。
けれども時折何処か遠くから聞こえて来る獣のように吠える声や、何者かが闇の中で蠢いている気配を感じる事は出来るのだが、一向に私に接触してくる魔族はいない。
最もその方が私にとってありがたいのは確かなのだが・・・。
「お願いだから・・・『鏡の間』までは何も出てこないでよ・・・。」
私は小声でぽつりと言った。早く、早くこの回廊を抜けなくては・・・!
しかし、歩いても歩いてもなかなか回廊を抜ける事が出来ない。まるで迷宮にはまってしまったかのような錯覚を覚えて来た。
「あれ・・・?おかしい・・・さっきもここを通った気がするんだけど・・・?」
私は歩きながら辺りを見渡して、足を止めた。
先程までずっと恐怖で緊張しながら歩いていたので私は周囲を観察していなかったので気が付かなかったが、先程から感じていた違和感が徐々に強くなってくる。
「ま・・・まさか・・ね・・?」
しかし、万一と言う事がある。私は背負っていたリュックから万年筆を取り出した。
そして床に大きく×を描いた。・・・勝手に魔族の城に落書きをするのはすごく大胆な行動を取っていると我ながら思ったが、それよりも私には今一番確認しておかなければならない重要な事があるのだ。
「これでよし・・・。」
私は再び歩き出した―。
「あ!やっぱり・・・!」
私は床に着けてある×印を見て大声を上げてしまい、慌てて口を両手で押さえた。
その×印は先程私が付けておいた印に間違い無い。
そうだ、私が先程からずっと感じていた違和感・・・それは魔族達の姿が見えないと言う事では無く、入り口から入ってきた時から延々と同じ場所を歩いているような感覚に襲われていたからだ。
けれど、この×印を見る限り・・・。
「間違いない・・・・。私、さっきからずっと同じ場所を歩き続けていたんだ・・。
その事実を知った時、全身の血が凍り付きそうになった。得体の知れない恐怖がじわじわと足元から迫ってきているように感じる。
一体何故?私はこの城へ入った時からずっと、只真っすぐに歩いて来ただけ。現にこの城は一本道しか無く、ドアが付いている訳でもない。
「一体何故・・・?」
私はこの恐ろしい魔物達が生息するこの城で、永遠に出口を求めて探し続けなくてはならないのだろうか・・・?
自分で恐ろしい考えが頭をよぎり、ゾクリと震える。
「どうしよう・・・・どうすればいいの・・・?」
私は両肩を抱えて、廊下に座り込んでしまった。怖い・・・まさかこれほどの恐怖を感じるなんて・・・。思わず目に涙が浮かぶ。
あれ程ノア先輩を必ず助けるのだと意気込んでいたのに、実際魔界へ来てみれば恐怖で震える事しか出来ない、弱い私。
「・・・ノア先輩・・・。マシュー・・・。せっかく魔界に来ることが出来たのに、私・・・もう駄目かも・・・。」
目を閉じれば2人の姿が脳裏に浮かぶ。ああ・・・私は結局マシューを無駄に死に追いやっただけで、ノア先輩を見捨て、自分自身はここで朽果てていくのだろうか・・?
その時・・・。
「ジェシカ・・・。」
え?
誰かが私の頭の中に呼びかけて来る。私は立ち上がって辺りを見渡した。すると再び声が聞こえて来る。
その声は私の前方から聞こえている。まるで姿の見えない誰かが目の前に立っているかのようだ。
「ジェシカ・・・・。こっちだ・・・。」
「誰・・・?」
私は声の主に尋ねてみた。すると声は言った。
「君を助けてあげる・・・。さあ、こっちへおいで。」
その声はまるでわたしを誘導するかのように語りかけて来る。一体、この声の主は誰なのだろう?何処かで聞いたことがあるような、無いような・・聞き覚えの無い声である。だけど・・・何故かその声は私に酷く安心感を与える。
だから私は・・・。
「お願いします。私を『鏡の間』まで案内して下さい』
声の主に頼んだ―。
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