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魔界のノア 後編 ~薄れゆく記憶の中で~
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1
寒い・・・。
夢の世界から目が覚める・・・。
僕はゆっくり目を開けた。
そこはいつもと同じ代わり映えの無い、僕に与えられた質素な部屋。いつの間にか暖炉の火は消えている。
僕はため息をつくと、ベッドから起き上がり、火かき棒で灰をかいて再び暖炉に火を起こす。・・・本当はこんな暖炉は気休めでしかない。魔界の炎では身体の芯まで冷え切っている僕の身体を温めてくれる事は無いのだから。
火をくべた暖炉に手をかざし、僕は先程までいた幸せな夢の世界に思いをはせた。
美しい星、月が見える優しい世界。
そして・・・とても温かかったジェシカの肌は僕に温もりと一時の安らぎを与えてくれた・・・。
「ジェシカ・・・。」
思わず名前を呟くと、突然背後から声をかけられた。
「随分と楽しそうね、何か幸せな夢でも見ていたのかしら?」
・・・もう帰っていたのか・・・。
「お帰り、フレア・・・。」
僕は振り返り、笑顔を作った。
「ただいま、ノア。」
今夜の彼女はパーティーに参加していたので、いつもとは違い、ドレスアップした衣装を着ている。ベアトップの真っ赤なパーティードレスにシルクの上着を羽織っている。
僕はフレアの背後に回り彼女の上着を外してあげる。
「ノア・・・別にいいのよ?毎回そんな真似をしなくても。別に貴方は使用人でも何でも無いんだから。」
溜息をつきながらフレアは言う。
「そうかな?でも僕は君にお世話になっている身分だからね、これ位は当然のことだよ?」
夢の世界での事を悟られない為に、いつも以上にフレアに優しく接してあげる。
「全く・・・魔界の男は・・皆つまらないわ。いくら付き合いでもあんなパーティーに参加するのはもうこりごりだわ。」
・・・今日のフレアはいつにもまして機嫌が悪そうだ。・・・こういう時は・・またいつものアレを要求をしてくるのだろう。
「ノア・・・。やっぱり貴方が最高よ。」
フレアは言いながら僕にしなだれかかって来る。冷たい肌・・・。一瞬縮こまりそうになるが、何とか耐える。ここで彼女の機嫌を損ねたら大変だ。
僕は冷たい彼女の肩を抱くと、フレアは言った。
「ノア・・・。私を温めてくれるわよね・・・?」
そして潤んだ瞳で僕を見つめて来る。
「・・・もちろんだよ。フレア。」
そして、僕は冷たい彼女の唇に自分の唇を寄せる—。
寒い・・・。ここは寒くてたまらない世界。心まで凍ってしまいそうだ。
だから僕は願う。
どうせもうここから逃げ出せないのなら・・・早く魔族になってしまいたいと―。
最近、大分僕の身体は大分寒さを感じなくなってきた。きっと体質が変化してきているのだろう。
徐々に魔族の体質へと―。
もう、あれ以来ジェシカの夢を見なくなっていた。・・・いやひょっとするとジェシカは完全に僕の存在を忘れてしまったからなのかもしれない。それとも、僕が自分の無意識のうちに夢の世界でジェシカの存在を消してしまったからなのか・・・原因は分からないけど、あの日を境に僕の身体は徐々に変化していったのは確かだった。
そして、自分の体の変化と共に僕の心にも変化が生じて来た。
今迄はフレアに対してもフレア好みの男性になれるようにわざと演技をしていた部分があったけれども、最近は自然にフレアに優しく接する事が出来るようになってきた。
そして、それと同時にフレアは他の魔族の女たちの相手を僕にさせるような事は無くなった。
僕の腕の中でフレアは言う。
―貴方は私だけのものよ―と・・・。
僕はそれに対して笑顔で答える。
勿論だよ、フレア。僕の心は君だけのものだよと。するとフレアは心の底から嬉しそうに笑みを浮かべてくれるようになった。その笑みは誰かと重なって見えるけど・・
それは一体誰だったのだろう・・・?
大分、僕の記憶も曖昧になってきているようだ。以前の僕は誰か別の女性を愛していた気がするけれども、今となっては顔も名前も思い出す事が出来なくなってきている。
でも、きっとそれが僕にとっての幸せなんだ—。
フレアは魔界の貴重な花の管理を任されている有能な魔族で、その花を狙って人間達と取引をしようとしている魔族の監視と人間界の監視も自分の部屋の鏡を使って監視しているのだけど・・・ここ最近は自分の部屋にこもる事が多くなってきていた。
「フレア、最近仕事が忙しそうだけど・・・また第2階層の魔族達が『花』を狙っているのかい?」
僕は仕事で一息ついたフレアにお茶を出してあげた。
「え・・・え、ええ。まあそんなところね。」
フレアは何となく歯切れが悪そうに答える。・・・どうしたのだろう?
少しの間、フレアは何か考え事をしていたけれども、お茶を一気に飲むと立ち上がって僕に言った。
「ノア、少し出掛けて来るから留守をお願いね。」
「うん、いいよ。」
何処へ行くの?とは僕は聞かない。フレアは自分のプライベートな事に首を突っ込まれるのを酷く嫌う女性なのは分かっているから。
「やっぱりノアは物分かりがいいから最高だわ。」
フレアは僕にキスすると出かけて行った。
1人残された僕には特にする事がない。・・・部屋の掃除でもしようかな・・・。
僕は飲み終えたお茶をキッチンに運ぶと部屋の掃除を始めた。
「ただいま。ノア。」
2時間程経過した頃、フレアが家に帰って来た。
「お帰り、フレア。」
笑顔で出迎えると、フレアの隣には見慣れない若い男が立っている。
腰まで長く伸びた青い髪を後ろで一つにまとめた男は金色に輝く瞳を持っていた。
僕は瞬時に悟った。この男は・・・かなり強力な魔力を持つ魔族の男だ。
だけど・・・フレアと一体どういう関係なのだろう・・?
僕のそんな気持ちを悟ったのか、フレアが男を紹介した。
「彼はヴォルフと言うの。私とは仕事上のパートナーを組んでいる男性よ。」
「初めまして・・・ノア・シンプソンです。」
「ああ、お前が人間界からやって来た、ノアって男か。よろしくな。」
ヴォルフと名乗った男はそれだけ言うと、後は僕などは眼中に無いと言った様子でフレアに言った。
「おい、それじゃ早速打ち合わせをしようぜ。」
「ええ、そうね。」
フレアは言うと、僕の方を見た。
「ノア、ごめんなさいね。これからヴォルフと大事な打ち合わせがあるから、それまでは私の部屋に近付かないようにしておいてくれるかしら?」
「・・・分かったよ、フレア。」
僕は素直に返事をする。だってフレアに嫌われたら僕はここで生きていけなくなるからね。フレアの隣こそが・・・僕の居場所なんだから・・・。
ヴォルフと言う男が来てから、数日が経過したある日の事・・・。
フレアが慌てた様子で自分の部屋から出てきた。
「どうしたの?フレア。随分慌てているようだけど?何かあったの?」
「あ、ああ。ごめんなさい、ノア。ちょっと急を要する仕事が入ったから・・・すぐにこれから出かけて来るわ。」
フレアは長い髪の毛を撫でつけながら言った。・・・でも何となく様子がおかしい。
顔色が悪いし、震えている。こんな様子のフレアを見るのは初めてだ。
「フレア?」
僕は心配になって呼びかけると、フレアは一瞬苦し気に顔を歪めた。
「ノア・・・わ、私・・・。何とかしなくちゃ・・。」
うわごとのように何か言っている。
「何?何とかしなくちゃって?どういう意味?」
僕はフレアの顔を覗き込みながら言うと、彼女は我に返ったように僕を見た。
「い、いえ。何でも無いわ。少し・・・仕事上でトラブルがあったから出掛けて来るわ。・・・今夜は戻れないかも・・・。」
フレアが躊躇いがちに言った。
「え?今までそんな事一度も無かったのに?それ程重大なトラブルがあったの?!」
詮索されるのはフレアは好きでは無いのを知っていたけど、つい僕はたまらずに尋ねてしまった。
「い、いえ。大丈夫よ、ノアは何も心配しないで。大人しくここで待っていてね。」
フレアは言うと、転移魔法を口にして一瞬で僕の前から姿を消した。
そして、この日を境に僕の運命は大きく動き始める事になる—。
2
結局、この日・・・フレアは屋敷に帰ってくる事は無かった。いつも冷静沈着なフレアのあの様子・・きっとただ事では無い何かがあったに違いない。
そしてその次の日もフレアは帰ってこなかった。3日目・・・フレアは何食わぬ顔で帰って来た。
その表情は妙にすっきりしていたので、多分トラブルは解決出来たのかもしれない。
「お疲れ様、フレア。」
僕は特製の紅茶を入れてあげた。
「ありがとう。」
フレアは微笑み、紅茶を一口飲むと躊躇いがちに僕に言った。
「ねえ、ノア・・・。もし・・もし、貴方の事を知ってる誰かが会いに来たとしたらどうする?そして・・一緒に帰ろうって言われたら・・・。」
「え?一体何の話なんだい?それに帰るって・・・一体何処に帰るのさ?」
僕は笑いながら答えた。だって僕の居場所はここしか・・・フレアの側しか無いじゃ無いか。
「だ、だから例えばの話よ。他の誰かに一緒に行こうって誘われたら、貴方は付いて行ってしまうのかなって・・・思って。」
ムキになって言うフレア。その姿がとても可愛らしい。だから僕はフレアの側に行くと彼女を抱き締めながら言った。
「何言ってるんだい、僕の居場所は・・・いつだってフレア。君の隣さ。」
するとフレアは僕の腕の中で言った。
「でも・・・でも・・・不安なのよ・・・。いつかノア・・・貴方が私の元から去って行ってしまいそうで・・。」
フレアの身体は微かに震えていた。・・・一体どうしたというのだろう?これ程弱気な彼女を見るのは初めてだ。
「何が・・・そんなに不安なの・・?僕は何か君を不安にさせるような事をしているの?」
「いいえ、そうじゃない、そうじゃないけど・・・。」
僕を見上げたフレアの顔は何だか今にも泣きそうに見えた。フレア・・・何故そんな顔をして僕を見るの・・?それなら・・・。
フレアに口付けすると僕は言った。
「ねえ、フレア・・。僕達・・・結婚しようか?」
本当はずっと前から思っていた事だ。いつか・・・彼女にプロポーズしようと思っていた事を僕はついに口にした。
「え・・・ええ?!ノ・・ノア・・・貴方・・本気でそんな事言ってるの?!」
何故か喜ぶと思ったのに、フレアは驚愕の表情を浮かべて僕を見た。
「え・・?フレアは・・・僕の事・・好きじゃ無いの・・?僕は君の事が好きだよ。だから・・結婚を申し込んでるんだけど・・・。」
「ま・・まさか!わ、私も・・・ノア。貴方が・・・好きよ。だ、だけど・・・!」
フレアは顔を真っ赤に染めて言う。なんて・・・可愛らしいんだろう。僕達はお互いに見つめ合い・・・。
そのまま自然の流れで肌を重ねた・・・。
いつのまに僕は眠ってしまったのだろう?ふと目を覚ますと、隣にいたはずのフレアの姿が見えない。
「フレア?」
おかしい・・・一体何処に行ってしまったのだろう?折角3日ぶりにフレアが家に帰って来たのに・・・。
不在の間も彼女が何処に行っていたのかが気になっていた。
フレアには嫌がられるかもしれないけれど・・・彼女の気配を僕の魔力で何処にいるか探ってみようかな・・・。
僕は意識を集中させて、フレアの気配を探そうとした時にある別の気配を感じ、目を見開いた。
え・・・?これは一体・・・どういう事なのだろう?僕のマーキングの気配を何処か遠くで感じる・・・。どうして?何故なんだ?
僕は今迄誰にも魔界で誰かにマーキングを付けた記憶は無いのに・・・?
だけど、すごく微弱だけど・・・感じる。
一体何処からこの気配が漂っているのだろう・・?
そこまで考えていた時。
「ただいま、ノア。」
僕のすぐ後ろでフレアの声がした。い・・・いつの間に僕の背後に立っていたのだろう?マーキングの事で気を取られていて、少しもフレアの存在に気付けなかった。
「お、お帰り・・・フレア。」
僕は言いながらフレアを抱きしめて驚愕した。え・・・・フレアから僕のマーキングの香りを感じる・・・。一体何故なんだ?僕は一度だって彼女にマーキングを付けた覚えは無いのに・・・。
「どうしたの?ノア・・・。何だか顔色が悪いけど?」
僕を見上げて言うフレアだが、彼女だって顔色が悪いのはすぐに分かった。
「そうかな?気のせいじゃないの・・・。それよりフレアの方こそ・・・顔色が悪いよ。何か・・・あったの?」
するとフレアはギリリと指を噛んで、僕から視線を逸らした。
何だか、かなりイライラしているように見える。
「フレア?ごめん・・・。僕、何か君の気に障るような事・・・してしまったの?」
フレアの顔を覗き込みながら言うと、彼女は激しく頭を振った。
「いいえ、いいえ・・・!違う・・・ノアは何も悪く無いの・・・。悪いのはむしろ私の方なのよ・・・!」
ヒステリックにフレアは叫ぶと僕に言った。
「ごめんなさい・・・ノア。出掛けて来るわ。」
「ええ?!また・・・出かけるの?さっき帰ってきたばかりじゃないか?」
只事ではない様子のフレアを1人きりにさせる訳にはいかない。
「だったら・・・僕も付いて行く。一緒に行くよ。」
「いいえ!それだけは絶対に駄目よ!お、お願いだから・・・貴方はこの家に・・いて?ここは貴方と私の家なんでしょう・・・?」
フレアは今にも泣きだしそうだ。何故・・・?何故こんなに君は取り乱しているの?
「ねえ・・・フレア。本当に一体君はどうしてしまったの?何か思い悩んでいる事があるなら、僕に話してくれない?それとも・・・・そんなに僕は君にとって頼りにならない存在なの?」
「それは・・・違うわ・・。全ては私の気まぐれで・・こんな事になってしまったのよ・・全部私のせいなの・・・。」
フレア・・・・。どうしたら君の苦しみを僕は分かち合える事が出来るんだろう・・。いつか僕に話してくれるよね?それまでは・・何も聞かないで待っている事にするよ・・。
「分かったよ、フレア。」
僕は言った。
「え?」
「いいよ、出掛けておいでよ。僕はここにいるからさ。」
「い・・・いいの・・?本当に?待っていてくれるの・・?」
「うん、僕はフレアが好きだからね。君を苦しませるような事はしないよ。」
そして微笑んだ。
「ノア・・・。ありがとう・・。」
フレアはようやく笑みを浮かべ、僕にキスすると言った。
「それじゃ行ってくるわね。」
フレアは笑顔になると、転移魔法を使って僕の前から一瞬で消えた・・・・。
そして翌日、フレアは家に帰ってきたけれども始終上の空だったのが、僕はずっと気になっていた。
「ノア、今日は上級魔族達の会合が開かれる日だから、帰りが遅くなるの。悪いけど先に食事を済ませてくれる?」
朝食後、出掛ける間際にフレアが僕に言った。
「うん、分かったよ。フレア。それじゃ行ってらっしゃい。」
玄関までフレアを見送り、朝食の後片付けをしていると突然ドアをノックする音が聞こえて来た。・・・一体誰だろう?
訝しみながらドアを開けると、そこに立っていたのは以前に一度フレアと家にやって来た事のあるヴォルフとかいう若者の姿があった。
「よお、確か・・・ノアだったか?」
ヴォルフは挨拶も無しにいきなり話しかけて来た。
「そうだけど・・?言っておくけどフレアなら仕事に行って今はいないよ。」
「ああ、分かってる。だからお前に会いに来たんだ。」
何だか訳の分からない事を言う。
「え・・?何故君が僕に会いに来るのさ。」
「実は・・・お前にどうしても会わせなきゃならない人物がいるんだ。」
ヴォルフは真剣な目で僕を見る。
「僕に・・・?一体誰なんだい?勝手に誰かに会おうとするとフレアが怒るから遠慮したいんだけどな・・・。」
するとヴォルフがいきなり僕の右腕をガシッと掴んできた。
「な・・・何するんだよ!」
振りほどこうとするが、ヴォルフが僕に言った。
「いや、駄目だ!絶対にお前を連れて来るって約束したんだ!」
「約束・・・?誰となんだよ・・。」
この男は何を言ってるのだろう?僕にはちっとも意味が分からない。
「いいから来い!」
ヴォルフは転移魔法を唱え、僕は強引に連れ去られてしまった・・・。
目を開けると、そこは洞窟のような場所だった。松明が灯されていて明るい内部・・・そしてその奥には何故か鉄格子の部屋が見えた。
「え・・?ここは何処なのさ?」
僕がキョロキョロ辺りを見渡しているのに、ヴォルフはそれに応えず鉄格子の部屋へ歩いて行く。
その時、僕は気が付いた。
え・・・?何だ・・?僕の・・・マーキングの匂いがする・・・?
鉄格子の奥から話声が聞こえて来た。
「・・・ヴォルフ・・?来てくれたんだ・・・。」
女性の声が聞こえる。
何故かその声を聞くと、胸が締め付けられそうに苦しくなってくる。
「ああ。大丈夫だったか・・・ジェシカ。」
ジェシカ・・・・?ジェシカだって・・・・?!
突然今迄頭にかかっていた靄が晴れていくような感覚を覚えた。気が付くと勝手に身体が走り出していた。
ジェシカ・・・ジェシカ・・・ッ!
「ジェシカッ!!」
気が付くと僕は鉄格子の前で叫んでいた。
そしてそこには・・・・石の牢屋に入れられたジェシカがいた—。
寒い・・・。
夢の世界から目が覚める・・・。
僕はゆっくり目を開けた。
そこはいつもと同じ代わり映えの無い、僕に与えられた質素な部屋。いつの間にか暖炉の火は消えている。
僕はため息をつくと、ベッドから起き上がり、火かき棒で灰をかいて再び暖炉に火を起こす。・・・本当はこんな暖炉は気休めでしかない。魔界の炎では身体の芯まで冷え切っている僕の身体を温めてくれる事は無いのだから。
火をくべた暖炉に手をかざし、僕は先程までいた幸せな夢の世界に思いをはせた。
美しい星、月が見える優しい世界。
そして・・・とても温かかったジェシカの肌は僕に温もりと一時の安らぎを与えてくれた・・・。
「ジェシカ・・・。」
思わず名前を呟くと、突然背後から声をかけられた。
「随分と楽しそうね、何か幸せな夢でも見ていたのかしら?」
・・・もう帰っていたのか・・・。
「お帰り、フレア・・・。」
僕は振り返り、笑顔を作った。
「ただいま、ノア。」
今夜の彼女はパーティーに参加していたので、いつもとは違い、ドレスアップした衣装を着ている。ベアトップの真っ赤なパーティードレスにシルクの上着を羽織っている。
僕はフレアの背後に回り彼女の上着を外してあげる。
「ノア・・・別にいいのよ?毎回そんな真似をしなくても。別に貴方は使用人でも何でも無いんだから。」
溜息をつきながらフレアは言う。
「そうかな?でも僕は君にお世話になっている身分だからね、これ位は当然のことだよ?」
夢の世界での事を悟られない為に、いつも以上にフレアに優しく接してあげる。
「全く・・・魔界の男は・・皆つまらないわ。いくら付き合いでもあんなパーティーに参加するのはもうこりごりだわ。」
・・・今日のフレアはいつにもまして機嫌が悪そうだ。・・・こういう時は・・またいつものアレを要求をしてくるのだろう。
「ノア・・・。やっぱり貴方が最高よ。」
フレアは言いながら僕にしなだれかかって来る。冷たい肌・・・。一瞬縮こまりそうになるが、何とか耐える。ここで彼女の機嫌を損ねたら大変だ。
僕は冷たい彼女の肩を抱くと、フレアは言った。
「ノア・・・。私を温めてくれるわよね・・・?」
そして潤んだ瞳で僕を見つめて来る。
「・・・もちろんだよ。フレア。」
そして、僕は冷たい彼女の唇に自分の唇を寄せる—。
寒い・・・。ここは寒くてたまらない世界。心まで凍ってしまいそうだ。
だから僕は願う。
どうせもうここから逃げ出せないのなら・・・早く魔族になってしまいたいと―。
最近、大分僕の身体は大分寒さを感じなくなってきた。きっと体質が変化してきているのだろう。
徐々に魔族の体質へと―。
もう、あれ以来ジェシカの夢を見なくなっていた。・・・いやひょっとするとジェシカは完全に僕の存在を忘れてしまったからなのかもしれない。それとも、僕が自分の無意識のうちに夢の世界でジェシカの存在を消してしまったからなのか・・・原因は分からないけど、あの日を境に僕の身体は徐々に変化していったのは確かだった。
そして、自分の体の変化と共に僕の心にも変化が生じて来た。
今迄はフレアに対してもフレア好みの男性になれるようにわざと演技をしていた部分があったけれども、最近は自然にフレアに優しく接する事が出来るようになってきた。
そして、それと同時にフレアは他の魔族の女たちの相手を僕にさせるような事は無くなった。
僕の腕の中でフレアは言う。
―貴方は私だけのものよ―と・・・。
僕はそれに対して笑顔で答える。
勿論だよ、フレア。僕の心は君だけのものだよと。するとフレアは心の底から嬉しそうに笑みを浮かべてくれるようになった。その笑みは誰かと重なって見えるけど・・
それは一体誰だったのだろう・・・?
大分、僕の記憶も曖昧になってきているようだ。以前の僕は誰か別の女性を愛していた気がするけれども、今となっては顔も名前も思い出す事が出来なくなってきている。
でも、きっとそれが僕にとっての幸せなんだ—。
フレアは魔界の貴重な花の管理を任されている有能な魔族で、その花を狙って人間達と取引をしようとしている魔族の監視と人間界の監視も自分の部屋の鏡を使って監視しているのだけど・・・ここ最近は自分の部屋にこもる事が多くなってきていた。
「フレア、最近仕事が忙しそうだけど・・・また第2階層の魔族達が『花』を狙っているのかい?」
僕は仕事で一息ついたフレアにお茶を出してあげた。
「え・・・え、ええ。まあそんなところね。」
フレアは何となく歯切れが悪そうに答える。・・・どうしたのだろう?
少しの間、フレアは何か考え事をしていたけれども、お茶を一気に飲むと立ち上がって僕に言った。
「ノア、少し出掛けて来るから留守をお願いね。」
「うん、いいよ。」
何処へ行くの?とは僕は聞かない。フレアは自分のプライベートな事に首を突っ込まれるのを酷く嫌う女性なのは分かっているから。
「やっぱりノアは物分かりがいいから最高だわ。」
フレアは僕にキスすると出かけて行った。
1人残された僕には特にする事がない。・・・部屋の掃除でもしようかな・・・。
僕は飲み終えたお茶をキッチンに運ぶと部屋の掃除を始めた。
「ただいま。ノア。」
2時間程経過した頃、フレアが家に帰って来た。
「お帰り、フレア。」
笑顔で出迎えると、フレアの隣には見慣れない若い男が立っている。
腰まで長く伸びた青い髪を後ろで一つにまとめた男は金色に輝く瞳を持っていた。
僕は瞬時に悟った。この男は・・・かなり強力な魔力を持つ魔族の男だ。
だけど・・・フレアと一体どういう関係なのだろう・・?
僕のそんな気持ちを悟ったのか、フレアが男を紹介した。
「彼はヴォルフと言うの。私とは仕事上のパートナーを組んでいる男性よ。」
「初めまして・・・ノア・シンプソンです。」
「ああ、お前が人間界からやって来た、ノアって男か。よろしくな。」
ヴォルフと名乗った男はそれだけ言うと、後は僕などは眼中に無いと言った様子でフレアに言った。
「おい、それじゃ早速打ち合わせをしようぜ。」
「ええ、そうね。」
フレアは言うと、僕の方を見た。
「ノア、ごめんなさいね。これからヴォルフと大事な打ち合わせがあるから、それまでは私の部屋に近付かないようにしておいてくれるかしら?」
「・・・分かったよ、フレア。」
僕は素直に返事をする。だってフレアに嫌われたら僕はここで生きていけなくなるからね。フレアの隣こそが・・・僕の居場所なんだから・・・。
ヴォルフと言う男が来てから、数日が経過したある日の事・・・。
フレアが慌てた様子で自分の部屋から出てきた。
「どうしたの?フレア。随分慌てているようだけど?何かあったの?」
「あ、ああ。ごめんなさい、ノア。ちょっと急を要する仕事が入ったから・・・すぐにこれから出かけて来るわ。」
フレアは長い髪の毛を撫でつけながら言った。・・・でも何となく様子がおかしい。
顔色が悪いし、震えている。こんな様子のフレアを見るのは初めてだ。
「フレア?」
僕は心配になって呼びかけると、フレアは一瞬苦し気に顔を歪めた。
「ノア・・・わ、私・・・。何とかしなくちゃ・・。」
うわごとのように何か言っている。
「何?何とかしなくちゃって?どういう意味?」
僕はフレアの顔を覗き込みながら言うと、彼女は我に返ったように僕を見た。
「い、いえ。何でも無いわ。少し・・・仕事上でトラブルがあったから出掛けて来るわ。・・・今夜は戻れないかも・・・。」
フレアが躊躇いがちに言った。
「え?今までそんな事一度も無かったのに?それ程重大なトラブルがあったの?!」
詮索されるのはフレアは好きでは無いのを知っていたけど、つい僕はたまらずに尋ねてしまった。
「い、いえ。大丈夫よ、ノアは何も心配しないで。大人しくここで待っていてね。」
フレアは言うと、転移魔法を口にして一瞬で僕の前から姿を消した。
そして、この日を境に僕の運命は大きく動き始める事になる—。
2
結局、この日・・・フレアは屋敷に帰ってくる事は無かった。いつも冷静沈着なフレアのあの様子・・きっとただ事では無い何かがあったに違いない。
そしてその次の日もフレアは帰ってこなかった。3日目・・・フレアは何食わぬ顔で帰って来た。
その表情は妙にすっきりしていたので、多分トラブルは解決出来たのかもしれない。
「お疲れ様、フレア。」
僕は特製の紅茶を入れてあげた。
「ありがとう。」
フレアは微笑み、紅茶を一口飲むと躊躇いがちに僕に言った。
「ねえ、ノア・・・。もし・・もし、貴方の事を知ってる誰かが会いに来たとしたらどうする?そして・・一緒に帰ろうって言われたら・・・。」
「え?一体何の話なんだい?それに帰るって・・・一体何処に帰るのさ?」
僕は笑いながら答えた。だって僕の居場所はここしか・・・フレアの側しか無いじゃ無いか。
「だ、だから例えばの話よ。他の誰かに一緒に行こうって誘われたら、貴方は付いて行ってしまうのかなって・・・思って。」
ムキになって言うフレア。その姿がとても可愛らしい。だから僕はフレアの側に行くと彼女を抱き締めながら言った。
「何言ってるんだい、僕の居場所は・・・いつだってフレア。君の隣さ。」
するとフレアは僕の腕の中で言った。
「でも・・・でも・・・不安なのよ・・・。いつかノア・・・貴方が私の元から去って行ってしまいそうで・・。」
フレアの身体は微かに震えていた。・・・一体どうしたというのだろう?これ程弱気な彼女を見るのは初めてだ。
「何が・・・そんなに不安なの・・?僕は何か君を不安にさせるような事をしているの?」
「いいえ、そうじゃない、そうじゃないけど・・・。」
僕を見上げたフレアの顔は何だか今にも泣きそうに見えた。フレア・・・何故そんな顔をして僕を見るの・・?それなら・・・。
フレアに口付けすると僕は言った。
「ねえ、フレア・・。僕達・・・結婚しようか?」
本当はずっと前から思っていた事だ。いつか・・・彼女にプロポーズしようと思っていた事を僕はついに口にした。
「え・・・ええ?!ノ・・ノア・・・貴方・・本気でそんな事言ってるの?!」
何故か喜ぶと思ったのに、フレアは驚愕の表情を浮かべて僕を見た。
「え・・?フレアは・・・僕の事・・好きじゃ無いの・・?僕は君の事が好きだよ。だから・・結婚を申し込んでるんだけど・・・。」
「ま・・まさか!わ、私も・・・ノア。貴方が・・・好きよ。だ、だけど・・・!」
フレアは顔を真っ赤に染めて言う。なんて・・・可愛らしいんだろう。僕達はお互いに見つめ合い・・・。
そのまま自然の流れで肌を重ねた・・・。
いつのまに僕は眠ってしまったのだろう?ふと目を覚ますと、隣にいたはずのフレアの姿が見えない。
「フレア?」
おかしい・・・一体何処に行ってしまったのだろう?折角3日ぶりにフレアが家に帰って来たのに・・・。
不在の間も彼女が何処に行っていたのかが気になっていた。
フレアには嫌がられるかもしれないけれど・・・彼女の気配を僕の魔力で何処にいるか探ってみようかな・・・。
僕は意識を集中させて、フレアの気配を探そうとした時にある別の気配を感じ、目を見開いた。
え・・・?これは一体・・・どういう事なのだろう?僕のマーキングの気配を何処か遠くで感じる・・・。どうして?何故なんだ?
僕は今迄誰にも魔界で誰かにマーキングを付けた記憶は無いのに・・・?
だけど、すごく微弱だけど・・・感じる。
一体何処からこの気配が漂っているのだろう・・?
そこまで考えていた時。
「ただいま、ノア。」
僕のすぐ後ろでフレアの声がした。い・・・いつの間に僕の背後に立っていたのだろう?マーキングの事で気を取られていて、少しもフレアの存在に気付けなかった。
「お、お帰り・・・フレア。」
僕は言いながらフレアを抱きしめて驚愕した。え・・・・フレアから僕のマーキングの香りを感じる・・・。一体何故なんだ?僕は一度だって彼女にマーキングを付けた覚えは無いのに・・・。
「どうしたの?ノア・・・。何だか顔色が悪いけど?」
僕を見上げて言うフレアだが、彼女だって顔色が悪いのはすぐに分かった。
「そうかな?気のせいじゃないの・・・。それよりフレアの方こそ・・・顔色が悪いよ。何か・・・あったの?」
するとフレアはギリリと指を噛んで、僕から視線を逸らした。
何だか、かなりイライラしているように見える。
「フレア?ごめん・・・。僕、何か君の気に障るような事・・・してしまったの?」
フレアの顔を覗き込みながら言うと、彼女は激しく頭を振った。
「いいえ、いいえ・・・!違う・・・ノアは何も悪く無いの・・・。悪いのはむしろ私の方なのよ・・・!」
ヒステリックにフレアは叫ぶと僕に言った。
「ごめんなさい・・・ノア。出掛けて来るわ。」
「ええ?!また・・・出かけるの?さっき帰ってきたばかりじゃないか?」
只事ではない様子のフレアを1人きりにさせる訳にはいかない。
「だったら・・・僕も付いて行く。一緒に行くよ。」
「いいえ!それだけは絶対に駄目よ!お、お願いだから・・・貴方はこの家に・・いて?ここは貴方と私の家なんでしょう・・・?」
フレアは今にも泣きだしそうだ。何故・・・?何故こんなに君は取り乱しているの?
「ねえ・・・フレア。本当に一体君はどうしてしまったの?何か思い悩んでいる事があるなら、僕に話してくれない?それとも・・・・そんなに僕は君にとって頼りにならない存在なの?」
「それは・・・違うわ・・。全ては私の気まぐれで・・こんな事になってしまったのよ・・全部私のせいなの・・・。」
フレア・・・・。どうしたら君の苦しみを僕は分かち合える事が出来るんだろう・・。いつか僕に話してくれるよね?それまでは・・何も聞かないで待っている事にするよ・・。
「分かったよ、フレア。」
僕は言った。
「え?」
「いいよ、出掛けておいでよ。僕はここにいるからさ。」
「い・・・いいの・・?本当に?待っていてくれるの・・?」
「うん、僕はフレアが好きだからね。君を苦しませるような事はしないよ。」
そして微笑んだ。
「ノア・・・。ありがとう・・。」
フレアはようやく笑みを浮かべ、僕にキスすると言った。
「それじゃ行ってくるわね。」
フレアは笑顔になると、転移魔法を使って僕の前から一瞬で消えた・・・・。
そして翌日、フレアは家に帰ってきたけれども始終上の空だったのが、僕はずっと気になっていた。
「ノア、今日は上級魔族達の会合が開かれる日だから、帰りが遅くなるの。悪いけど先に食事を済ませてくれる?」
朝食後、出掛ける間際にフレアが僕に言った。
「うん、分かったよ。フレア。それじゃ行ってらっしゃい。」
玄関までフレアを見送り、朝食の後片付けをしていると突然ドアをノックする音が聞こえて来た。・・・一体誰だろう?
訝しみながらドアを開けると、そこに立っていたのは以前に一度フレアと家にやって来た事のあるヴォルフとかいう若者の姿があった。
「よお、確か・・・ノアだったか?」
ヴォルフは挨拶も無しにいきなり話しかけて来た。
「そうだけど・・?言っておくけどフレアなら仕事に行って今はいないよ。」
「ああ、分かってる。だからお前に会いに来たんだ。」
何だか訳の分からない事を言う。
「え・・?何故君が僕に会いに来るのさ。」
「実は・・・お前にどうしても会わせなきゃならない人物がいるんだ。」
ヴォルフは真剣な目で僕を見る。
「僕に・・・?一体誰なんだい?勝手に誰かに会おうとするとフレアが怒るから遠慮したいんだけどな・・・。」
するとヴォルフがいきなり僕の右腕をガシッと掴んできた。
「な・・・何するんだよ!」
振りほどこうとするが、ヴォルフが僕に言った。
「いや、駄目だ!絶対にお前を連れて来るって約束したんだ!」
「約束・・・?誰となんだよ・・。」
この男は何を言ってるのだろう?僕にはちっとも意味が分からない。
「いいから来い!」
ヴォルフは転移魔法を唱え、僕は強引に連れ去られてしまった・・・。
目を開けると、そこは洞窟のような場所だった。松明が灯されていて明るい内部・・・そしてその奥には何故か鉄格子の部屋が見えた。
「え・・?ここは何処なのさ?」
僕がキョロキョロ辺りを見渡しているのに、ヴォルフはそれに応えず鉄格子の部屋へ歩いて行く。
その時、僕は気が付いた。
え・・・?何だ・・?僕の・・・マーキングの匂いがする・・・?
鉄格子の奥から話声が聞こえて来た。
「・・・ヴォルフ・・?来てくれたんだ・・・。」
女性の声が聞こえる。
何故かその声を聞くと、胸が締め付けられそうに苦しくなってくる。
「ああ。大丈夫だったか・・・ジェシカ。」
ジェシカ・・・・?ジェシカだって・・・・?!
突然今迄頭にかかっていた靄が晴れていくような感覚を覚えた。気が付くと勝手に身体が走り出していた。
ジェシカ・・・ジェシカ・・・ッ!
「ジェシカッ!!」
気が付くと僕は鉄格子の前で叫んでいた。
そしてそこには・・・・石の牢屋に入れられたジェシカがいた—。
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