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2章
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ルーカス=ルースのモットーは『人生楽しく』だった。
病める時も、ひもじい時もあるだろう。だけど、しかめっ面しててなんになる。誰も助けてくれやしない。だからいつでも楽しもう。楽しさを求めて、歩いて行こう。そういう思いで、生きている。
そんな観点から見て、今日の朝食は最低だった。
「な、なあノアの兄貴? 今日のオニオンスープには隠し味にオイスターソース入れてみたんだぜ。美味いか?」
「知らん」
「……お、奥さん? なんで食器を全部裏返すんだ……? 食べようぜ、な、なあ」
「すみません……」
(あーもう超空気重い!)
なんなんだ。俺が寝てる間に何があったんだよ。
まるで孤児院時代のようにピリついたノアと、がくがくと震えて青い顔のカオルを客観的に見て、ルーカスは天を仰ぐ。
原因はわからない。わからないけど。
(なんか致命的に、ボタンの掛け違いが起こっている気がする……)
そうこうしているうちに、ノアはさっさと朝食を済ませて、リビングを出てしまう。今日はルーカスも秘書として付き添いだ。
「カオルさん! 食べたくなったらいつでも食べろよ! 冷蔵庫の中も好きにして良い。とにかくまずは栄養だ。お腹いっぱいにして、話は全部それからだ。いいな!」
俯いたままで、カオルの返事はない。
心配だったが、スケジュールを変えるわけにもいかず、ルーカスは車に乗り込んだ。
◇
ノアがピリピリしっぱなしだったお陰というか、せいというか、商談は思ったより早くまとまった。
長めの昼休みで、ルーカスはノアから事情の説明を受けて、ううむと唸る。
「カオルさんが、夜這いをねえ……」
「故に、信用に足らないと判断して、その旨伝えた」
「兄貴、いま悪い癖出てるけど、自覚してるか」
「出てない」
そういうところなんだよ。とルーカスは思う。
ノア=エヴァンス。
瞬間記憶と飛び抜けた頭脳を併せ持つ、孤児にとっての、一代限りの救世主。
しかし彼の悪癖の一つとして、一度敵と見做した人物へは、とことん辛く当たるというのがあった。冷血漢と呼ばれる所以になった側面だ。さらに怒ると視野も狭まる。
「俺ですら、カオルさんが濡れ衣だっていうパターンはいくつも想像できる」
「言ってみろ」
「可能性一、寝室を間違えた」
「奴ははっきり夜這いと言った。服も扇情的なものだ。言い逃れはできない」
まあ、それはそうだ。こっちも本気では言ってない。
「可能性ニ、なんらかの事情で、カオルさんに約束が伝わっていない」
「それもない。婚姻届に添付した契約書には、カオル自身のサインが入っていた。そのサインが本人のものであることは、過去一〇年の書類のサインと見比べて確認済みだ。どれも同じだった」
なるほど。そこまでは考えたのか。
ノアにとって、夜這いされるなんてのは暗殺よりも恐るべきことだろう。だから、契約書の特記欄は、一際大きく書かれている。そこにカオルのサインがあれば、なるほど詰みだと考えるのも無理はない。
でも。
「これは例え話だ。聞き流せ」
「……聞こう」
「あるところに、可哀想な貴族の子がいました。親に愛されず、虐げられ、結婚の道具にされました。……さてこの子は、自らの権利に関する署名を、自らの意思で書けるのでしょうか」
「だが事実、カオルの署名がある。そして書ければ見るだろう」
「それで、気になったんだけどよ。一〇年前のサインと、今のサイン。見比べて同じなんてあり得るのか? 少なくとも俺は、一〇年前は文字なんて書けなかったぜ」
それで、ノアの瞳が見開かれた。
慌ただしく書類を引っ掻き回し、カオルの署名を全て並べる。
一〇年前からずっと、判で押したように、署名は流麗な筆跡だった。幼児にしては、昔の筆跡は不自然なほどに。
「まさか、最初から全部が代筆……?」
「その可能性を捨てきれんのかい? 兄貴」
「………………だとすると」
ノアはしばらく、額に手を当てて黙っていた。苦しげに眉根を寄せて、ため息をつき、それからルーカスを見る。
「昨日、イルミナ家の調査を頼んでいたな」
「やってるぜ」
「優先順位を変える。大至急だ。私の私財の半分までなら使って良い。今日中に終わらせろ」
「りょーかい」
兄貴の私財の半分なんて、街が興せるぞ。
冷静さを欠いている主人の頭をぽんぽんと叩いて、ルーカスは部下に指示を通す。
やっと、楽しくなってきた。
病める時も、ひもじい時もあるだろう。だけど、しかめっ面しててなんになる。誰も助けてくれやしない。だからいつでも楽しもう。楽しさを求めて、歩いて行こう。そういう思いで、生きている。
そんな観点から見て、今日の朝食は最低だった。
「な、なあノアの兄貴? 今日のオニオンスープには隠し味にオイスターソース入れてみたんだぜ。美味いか?」
「知らん」
「……お、奥さん? なんで食器を全部裏返すんだ……? 食べようぜ、な、なあ」
「すみません……」
(あーもう超空気重い!)
なんなんだ。俺が寝てる間に何があったんだよ。
まるで孤児院時代のようにピリついたノアと、がくがくと震えて青い顔のカオルを客観的に見て、ルーカスは天を仰ぐ。
原因はわからない。わからないけど。
(なんか致命的に、ボタンの掛け違いが起こっている気がする……)
そうこうしているうちに、ノアはさっさと朝食を済ませて、リビングを出てしまう。今日はルーカスも秘書として付き添いだ。
「カオルさん! 食べたくなったらいつでも食べろよ! 冷蔵庫の中も好きにして良い。とにかくまずは栄養だ。お腹いっぱいにして、話は全部それからだ。いいな!」
俯いたままで、カオルの返事はない。
心配だったが、スケジュールを変えるわけにもいかず、ルーカスは車に乗り込んだ。
◇
ノアがピリピリしっぱなしだったお陰というか、せいというか、商談は思ったより早くまとまった。
長めの昼休みで、ルーカスはノアから事情の説明を受けて、ううむと唸る。
「カオルさんが、夜這いをねえ……」
「故に、信用に足らないと判断して、その旨伝えた」
「兄貴、いま悪い癖出てるけど、自覚してるか」
「出てない」
そういうところなんだよ。とルーカスは思う。
ノア=エヴァンス。
瞬間記憶と飛び抜けた頭脳を併せ持つ、孤児にとっての、一代限りの救世主。
しかし彼の悪癖の一つとして、一度敵と見做した人物へは、とことん辛く当たるというのがあった。冷血漢と呼ばれる所以になった側面だ。さらに怒ると視野も狭まる。
「俺ですら、カオルさんが濡れ衣だっていうパターンはいくつも想像できる」
「言ってみろ」
「可能性一、寝室を間違えた」
「奴ははっきり夜這いと言った。服も扇情的なものだ。言い逃れはできない」
まあ、それはそうだ。こっちも本気では言ってない。
「可能性ニ、なんらかの事情で、カオルさんに約束が伝わっていない」
「それもない。婚姻届に添付した契約書には、カオル自身のサインが入っていた。そのサインが本人のものであることは、過去一〇年の書類のサインと見比べて確認済みだ。どれも同じだった」
なるほど。そこまでは考えたのか。
ノアにとって、夜這いされるなんてのは暗殺よりも恐るべきことだろう。だから、契約書の特記欄は、一際大きく書かれている。そこにカオルのサインがあれば、なるほど詰みだと考えるのも無理はない。
でも。
「これは例え話だ。聞き流せ」
「……聞こう」
「あるところに、可哀想な貴族の子がいました。親に愛されず、虐げられ、結婚の道具にされました。……さてこの子は、自らの権利に関する署名を、自らの意思で書けるのでしょうか」
「だが事実、カオルの署名がある。そして書ければ見るだろう」
「それで、気になったんだけどよ。一〇年前のサインと、今のサイン。見比べて同じなんてあり得るのか? 少なくとも俺は、一〇年前は文字なんて書けなかったぜ」
それで、ノアの瞳が見開かれた。
慌ただしく書類を引っ掻き回し、カオルの署名を全て並べる。
一〇年前からずっと、判で押したように、署名は流麗な筆跡だった。幼児にしては、昔の筆跡は不自然なほどに。
「まさか、最初から全部が代筆……?」
「その可能性を捨てきれんのかい? 兄貴」
「………………だとすると」
ノアはしばらく、額に手を当てて黙っていた。苦しげに眉根を寄せて、ため息をつき、それからルーカスを見る。
「昨日、イルミナ家の調査を頼んでいたな」
「やってるぜ」
「優先順位を変える。大至急だ。私の私財の半分までなら使って良い。今日中に終わらせろ」
「りょーかい」
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