奴隷女と冷徹貴族が、夫婦になるまでの物語

blueblack

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2章

2-4

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(断らなくては……)
 ノアがなんと言おうとも、カオルは芯まで汚れている。しかも不妊症という、貴族では致命的な欠陥持ちだ。ここで首を縦に振っては、エヴァンス家の将来を潰してしまう。
(断ら、なくては……っ)

「私、は……っ」

 それなのに、いつまで経ってもその先が言えなかった。
 これはまるで毒のようだ。欲がじわりと広がって、どこまでも重くのしかかってくる。
(帰りたく、ない……)
 離縁をしたら、カオルはもう一生イルミナ家から抜け出せないだろう。暖かいお湯も、美味しいご飯も、二度と触ることはできない。『展示』も遠からず再開される。
(ここに、いたい……っ)
 ノアの黒曜石のような目で見つめられて、名前を呼んでほしい。ルーカスさんも、話していてとっても楽しかった。ここで一緒に暮らせたら、どんなに幸せだろうか。

「やっと、目が合ったな」

 ノアはそう言って、カオルの頬をそっと撫でた。
 陶器に触るような優しい手つきに、顔全体が熱くなる。お料理よりも格段に、凍った心が溶かされる。 

「どうだろう。私は一緒に、暮らして欲しい。カオルはどうだ。ここは嫌か」

 気づけば、想いがそのまま口をついていた。

「私は……、わたし、もっ、……です」
「教えてくれ」
「私も、ここに……っ、いたい、です……っ!」
「そうか、よかった」

 ふう、とノアが小さく息を吐いた。ため息だろうか、本当は帰って欲しかったんだろうか。
 でも、ノアの口元はカオルにもわかるほど綻んでいて、それでようやく、それが安堵の吐息だとわかった。

「それを聞いて、安心した」
「あ、あん……しん……?」
「ああ。カオルが今日もここにいてくれると知れて、安心した」
「そ、それは、ありがとう、ござい、ます……?」

 何を言ったら良いかわからない。そもそも喉がつかえて、言葉にならない。
 そして、先ほどからノアの指がずっとカオルの頬に触れていて、顔が熱くて、どうにかなりそう。

「あ、あのっ。ノア様……っ。指が……、汚れてしまいます」
「……まだいろいろと直すべきところはありそうだが。それは追い追いで良いだろう」

 仄かに笑って、ノアが言う。

「少なくとも今日、カオルのことを一つ知れた。それで良しとしておく」
「……はあ……?」

 怪訝な顔をしてしまうカオルに、ノアは顔を背けてぽつりと言った。

「お前の青い目は、とても綺麗だ」

 きれい、きれい……。
 綺麗。……私が?

「はぁ、あ……、え……なん……っ⁉︎」

 不明瞭な悲鳴をあげる頃には、ノアは既に階下に降りてしまっていた。

    ◇

 やはりカオルには、相当の無理がかかっていたようだった。
 水を飲ませて、しばらく部屋を開けてから中を見ると、新妻は深く寝入っていた。儚げな寝顔をじっくりと見てみたい気もしたが、ノアは自分を紳士だと信じているため控えることにした。
 代わりに、離れに向かう。
 離れの扉を開ける前から既にどんちゃんとうるさくて、ノアは顰めっ面でドアを開けた。

「……来てたんだな、ケアラ」
「やっほー! お邪魔してるよん、ノアの兄貴!」

 ルーカスと肩を組んで乾杯なんぞしていた茶髪の女は、猫のようなアーモンド型の目を意地悪く細める。

「なになに? 奥さんに翻弄されてるんだって? 超楽しいじゃん。教えてよ酒の肴にしたいから」
「そうだそうだ! 全部話せこの鬼畜野郎が!」
「ルーカス貴様……。私とカオルの話が決裂していたらどうするつもりだったんだ。したたかに酔いやがって」
「その辺りは信頼してたんだぜ。兄貴は優しいし、カオルさんも優しそうだったから。話せばわかる。実際そうなったんだろ? 聞かせてくれよ」
「……一杯よこせ。素面で言えるものか」

 どれだけ憎たらしいことになろうとも、孤児院仲間に対してだけは、隠し事はしないと決めている。
 明日に響かないように、一杯だけアルコールを流し込んだ。

    ◇

 やっぱりカオルに関することだけは、隠すことにしよう。
 ノアがそう決めてから、もう一時間ほど経つ。目の前では、神経を逆撫でする下手くそな芝居が打たれている。

「『去れ、娼婦。次に私の寝室を跨いだら、離婚と思え』……。よくあんな綺麗な奥さんにそんなこと言えるよな。頭いっちまった時の兄貴は本当に、そりゃ冷血って言われるわけだぜ」
「うっわサイテー。女の敵ってレベルじゃないよ。あたしなら埋めてる」
「うるさいなケアラ……。あとルーカス。私はそんな顔はしていない。誇張するな」
「……そんでお前、謝るときは口下手すぎるだろ。頼むと申し訳ないしか言ってなくないか? ぶふっ」
「…………なんだ文句でもあるのか」
「はいはーい! 次はじゃあ、格好付けて誉めてみましたの物真似しまーす! さあルーカスも一緒にせーの……」
「「『お前の青い目は、とても綺麗だ』……。あっはっはっはっは!」」

 きりっ、と真面目くさった顔をしたかと思えば、堪えきれずに大笑いをするルーカスとケアラに、ノアはジョッキをテーブルに叩きつける。

「事実だろうが!」
「え、なに惚気てんの?」
「うるさい黙れ! 二度と貴様らにこんな話するか。私は寝る。ルーカス、お前、次の仕事日は馬車馬のように働かせるからな」

 うげえ、と呻くルーカスの額をべしんと叩いて、ノアは立ち上がる。シャワーでも浴びて、ゆっくり寝よう。幸い明日は休みを取ったから、多少は寝坊をしても良いだろう。
 ふと、ケアラが言った。

「ところで兄貴。……カオルさんには、言ったの? あのこと」

 ぴたりと、時間が止まったようだった。
 しばしの沈黙ののち、ノアは下を向く。

「…………言ってない」
「ノアの兄貴は、何一つ悪くない。その上で女の視点から、多少厳しいことを言うんだけどさ。……やっぱり多少は、ショックを受けると、思うんだ。言うなら早めがいいと思う」
「………………」

 ドアノブに手をかけたまま、ノアは押し黙る。ルーカスも、この時ばかりはジョッキを置いて下を向いていた。

「言ったらおそらく、離婚だろうな」
「……あたしたちは何があっても、ノアの兄貴に付いていくよ」
「おそらくカオルには、教育が欠落している」

 馬鹿にしているわけではない。適切な機会を与えるのは庇護者の責任で、カオルには露ほどの非もない。

「一通りの学と、学び方を叩き込む。最悪、実家を離れても自力で生きて行けるように助力する。……そしたらちゃんと言うさ。私が欠陥人間であることを」
「兄貴、そんな言い方はやめてくれ。卑下するなよ。あんたは間違いなく、俺たちの救世主なんだ」
「……どうだか」

 ノア=エヴァンス。
 瞬間記憶能力と、類稀な頭脳を併せ持ち、最底辺の貧民でも閲覧できる虫食いだらけの学習書から、平易な教科書を編纂してのけた、孤児にとっての救世主。
 しかし神というやつは、才能の代わりにノアからあるものを奪っていた。

「私は子孫を、残せない。生殖能力に致命的な欠陥があるそうだ。……エヴァンス家は、私が死ねば取り潰し。女としての喜びを奪い、地位も失われる。そんなものにカオルを巻き込むわけにも、いかないだろう」

 まだ出会って二日目だが、もうはっきりとした感情があった。
 ノアはカオルに、幸せになってほしいと、思っている。
 そしてその幸せは、ノアでは決して、与えてやることはできない。

「すまなかったな。最後に水を差した」

 おやすみ、と言ってノアは離れを後にする。
 背後から、二人分の「おやすみ」が聞こえていた。
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