【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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エドガーの訪問

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「気分はどうだい? アーティ」


入室を許可する声と共に扉が開き、懐かしい顔がぴょこりと現れる。


「エドガーさま。お久しぶりです。会いに来てくださって嬉しいわ」

「久しぶりだって? 面白いことを言うね、アーティは。一昨日も会ってるのに」


遡る前の人生では、七年前に留学したきり会えずにいたエドガーだ。
つい溢れてしまった本音に、ハッと口を押さえた。


「まあ、そんなに僕と会えなかった時間を寂しがってくれたのなら嬉しいけど」


明るく茶化して肩を竦めるエドガーに、ほっと安心して笑みを漏らす。


「そうね」

「え?」

「その通りよ。エドガーさまに会えなくて、私はとても寂しかったの」


だって、七年以上お会いしていないのよ?


本音を混ぜこんで、冗談めかして答えてみた。


「・・・エドガーさま?」


何故かぴたりと動きが止まった彼に、首を傾げて名前を呼ぶ。


「・・・いや。何でも、何でもない」


頭脳明晰で優しい彼は、昔から時々こうして固まることがあった。


学問のことしか頭にない人だから、きっと今も何か頭の中では難しい事を考えているのだろう。


同い年だった自分とレオポルドとは違い、エドガーはベアトリーチェたちよりも三つ年上だ。


そしてこの年に突然、彼は学園の卒業を待たずに隣国に留学してしまう。


今日は、その報告に来たのだ。


巻き戻り前の人生では、突然に告げられた隣国への留学話を、どこか現実味のない話として聞いていた。


「アーティ。そんな・・・会えなくて寂しかったなどと、あまり軽々しく口にしてはいけないよ」


口元に拳を当て、何回か咳をしていたエドガーは、こちらに向き直ったと思ったら、突然そんな事を言い出した。


ベアトリーチェは首を傾げる。

軽々しい、と評された意味が分からない。


本当に、本当に、エドガーに会いたかった、会えて嬉しかった、だからそう言っただけ。それだけだ。


でも今はそれよりも、エドガーの顔が赤みを帯びていることの方が気になる。


エドガーは細身だけれど体は丈夫だ。

風邪一つ引いたことがないけれど、だからといって油断は出来ない。


ベアトリーチェはそっと手を伸ばし、エドガーの頬に触れた。


エドガーの肩がピクリと跳ねる。


「エドガーさま。お体の調子がお悪いのではなくて? お顔が少し赤いわ」

「・・・」

「エドガーさま?」


まただ。

再びエドガーは固まってしまった。


昔からたまにある事だったので、今さら驚いたりはしないが。


眉根を寄せたベアトリーチェに、エドガーは弱々しい視線を送る。


「あ~、その、アーティ。僕は大丈夫だから。自分の体のことを心配しなさい。二週間前に倒れたばかりなんだよ、君は」


そう言って、頬に当てたベアトリーチェの手をそっと外した。


ベアトリーチェとしては、ようやく再会出来た幼馴染みだ。
懐かしさが勝ちすぎて、ついいつも以上に親しい距離を取ってしまったが、そんな事情は勿論エドガーの知るところではない。


「前は二日も起き上がれなかったんだよ? 今が調子が良くても、あまり油断していてはいけない」


エドガーはそう話しながら、外したベアトリーチェの手をそっとベッドの傍に戻した。


「君に何かあったら皆が悲しむ。君の家族は勿論、僕も・・・それにレオだって」


レオポルド、さま。


その名前に、ベアトリーチェは俯いた。


それはどうかしら。


あの方は学園でナタリアと出会うのよ。

そしてナタリア以外には何も眼に映らなくなるわ。


だから。
だから私はあの時。

あの二人をなんとかしてあげたくて。



「・・・アーティ?」


訝しげな声に、ハッと我に帰る。

そして慌てて微笑んだ。


「いつも心配してくれてありがとうございます、エドガーさま。とても心強いですし・・・嬉しいわ」


自分が紡いだ言葉に、エドガーは何故か驚いた顔をする。だが、これは本心だ。

エドガーはいつもベアトリーチェを気遣い、大切にしてくれていた。それはもう、まるで本当の妹のように。


ベアトリーチェもまた、そんなエドガーにとても懐いていた。

留学してから一度も帰って来ることがなかった彼とは、結局、最後まで手紙でしか交流出来なかったけれど。


「アーティ。君に話がある」


エドガーは、真剣な表情でベアトリーチェに向き直る。


でも、ベアトリーチェは彼がこれから口にする言葉を知っている。


「この春からドリエステに留学することにしたんだ。彼の国で医学を修めたい」

「・・・そう、なのですね」


そう。

貴方はこれから一週間と経たずに隣国へと旅立つの。

そしてもう帰って来ないのよ。
少なくとも七年間は。


「研究したい病があるんだ。どうしてもその病の特効薬を作りたい。ドリエステの医学水準ならこの国よりも早く開発出来る。おそらく十年近くはかかるだろうけど」

「・・・はい」

「もう側にいてあげられないけど、どうか体に気をつけて」


そう言って優しく覗き込む海色の瞳に、ベアトリーチェは言いようのない寂しさを覚えた。


時を遡ってやっと会えたというのに、この頼りになる幼馴染みは一週間後に隣国へと旅立ってしまうのだ。

そうしたらまた、少なくとも七年間は会えなくなる。

今度の人生で、七年先のナタリアの凶行を防いだとして、それでもあの時のベアトリーチェは病で死にかけていた。

だとしたら、もしかすると自分は、もう二度とエドガーに会えないかもしれないのだ。


知らず、ベアトリーチェの眉が情けなく下がる。


そんな些細な表情の変化に気づいたエドガーが心配そうに無言で首を傾げた時。


「・・・行ってしまうのね。寂しいわ、とても」

「え?」

「でも、行かないでと言ってはダメね。私の我儘だもの」


ぽろりと零れた本音に、エドガーは驚いて目を瞠る。


ハッと我に帰ったベアトリーチェが慌てて口を押さえたけれど、言ってしまった言葉はもうなかったことには出来ない。


「ご、ごめんなさい。私ったらつい・・・」

「アーティ・・・」

「立派な志で隣国へ旅立つエドガーさまを引き止めるようなことを・・・」
 

いくら心細いからといって、エドガーの将来を左右する様なことを口走るのはいただけない。


じわり、と涙が浮かび、慌ててそれを拭った。


恥ずかしくて、情けなくて、エドガーの顔を見ることが出来ず、ベアトリーチェは俯いた。


「アーティ。僕は・・・」

「情けないことを言ってごめんなさい。エドガーさま、ドリエステへの留学、心から応援しています。どうかお気をつけて」


既に過去の人生でレオポルドとナタリアの人生を狂わせた自分だ。幸運にも巻き戻れたというのに、今度はエドガーの邪魔をするなど、あってはならない。


ベアトリーチェは、不躾と知りながらエドガーの言葉を遮り、深々と頭を下げて会話を終わらせた。

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