【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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それは、かけがえのない

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明日か明後日にでも、ナタリアに会いに行こう。


アレハンドロのそんな悠長な考えも、予期せぬ早朝の来客で吹き飛んだ。


「ノーラ」

「すみません・・・お嬢さまに気づかれてしまいました・・・っ」


深々と頭を下げるのは、懐柔しておいたオルセン子爵家のメイド。

聞けば、レオポルドからの手紙を奪おうとして、逆に罠にかかったと言う。


あのナタリアが・・・?


手駒が失態を犯した事よりも、ナタリアのあり得ない変化の方に意識が向いた。


人形のように与えられるものをそのままに受け入れ、疑うことを知らず、全てを諦め、流されるままだったアレハンドロの可愛い玩具が。


「・・・話したのか?」

「ひ・・・っ、い、いいえっ」


怒気のこもった視線に射抜かれ、目の前で平伏するメイドが、怯えた様に小さな悲鳴を上げた。


「見つかったその場で逃げ出して参りました。ナタリアお嬢さまはまだ何も・・・」

「そうか」


アレハンドロは膝をつき、ノーラの頭を優しく撫でた。


「よくやったな、ノーラ。今までご苦労だった」

「アレハンドロさま・・・」

「もうあそこには戻れまい。別の仕事を紹介してやる。俺の近くに置いてやりたいがそうも行かない。それではナタリアに見つかってしまうからな」

「・・・はい」

「ザカライアスに言って案内させる。少しの間ここで待て」

「あ、ありがとうございます」


安堵し、涙ぐんで感謝するメイドを残し、アレハンドロは部屋から立ち去った。


現れたザカライアスには、すれ違いざまに「連れて行った先で処理しておけ」と小声で言い残して。


足早に自室へと向かう。


今、アレハンドロの頭の中には一つのことしかなかった。


ナタリア。
ナタリア、ナタリア、ナタリア。


俺の、俺のナタリア。


十年以上かけ、丁寧に手をかけて作り上げた俺の可愛い玩具。

罠を張るなんて、人形のお前に、そんな事あり得ないのに。


ナタリアなら、あの男を追い詰め仕留め終えるまで、何も気づかず、ただひとり震え怯えて待っているだけ、ただそれだけの筈だった。


それが、逆にノーラを罠にかけた?


おかしいだろ。

だって、それじゃまるで。

まるで人間ひとのすることじゃないか。


「・・・どうもおかしい。何かが変だ」


前の時、ナタリアが思う様に動かなくなったのは、あの女ベアトリーチェが横槍を入れたせいだった。


まさか今回もまた?

いや、それはない。あの女については定期的に報告をさせている。ベアトリーチェがナタリアに近づいたという報告は来ていない。第一、学園では自分の目で確認済みだ。


「なら、他の奴か・・・? いや、それもないな。第一、レオポルドですらここ二か月は姿も見せていないのに」


そのレオポルドはライナルファ邸にこもりきりだ。
報告によると、父親の執務を手伝い、債務を減らそうとしているらしいが。


何かがおかしい。レオポルドもナタリアも、どこか妙だ。

でも何が?

違和感があるのに、それがどこにあるのかが分からず、アレハンドロの眉間に皺が寄る。


「・・・」


自分は、何かを見落としているのかもしれない。


また。

もしかしたら、また自分の手から大事なものがすり抜けていくのだろうか。



「・・・ミルッヒ・・・」


気づけば、死んだ妹の名を口にしていた。


「ミルッヒ・・・ミルッヒ、ミルッヒ・・・ッ」


誰にも笑顔を見せることなく死んでいった妹。


母に疎まれ、使用人たちから厭われ、父親の顔を一度たりとも見ることなく、居場所を失った哀れな子ども。


泣きたくても、叫びたくても、誰かに訴えたくても、言葉ひとつ出す事も出来ない。


兄が気まぐれで見せる優しさに縋るしか、生きていく場所がなかった。


ミルッヒの泣き顔が好きだった。ミルッヒの涙に癒された。


でも、最後の、最後の瞬間に気づく。


一瞬だけ見えたミルッヒの笑顔は、幻のように美しかった。

いや、あれは本当に幻だったのかもしれない。ミルッヒは笑わない子だったのだから。


掴めず、届かず、力が足らず。

ゆっくりと落ちていくミルッヒを、自分は呆然と、ただ見ているしか出来なかった。


遠くで聞こえる水の音。
再び白黒になる世界。

気づけば、アレハンドロの頬を涙が伝った。


金も、物も、後継者の立場も。

要らないものばかりが手に入る。


本当に欲しいものは、本当に欲しいものだけが、いつも自分の手から溢れ落ちていく。


いや、違う。
今回は違う。

ミルッヒが死んで、ミルッヒの代わりナタリアを見つけて、でもまた失くすのが怖くて曖昧な位置に置いた。
すぐに手が届く。でも腕の中には捕らえない。
自分の側に置く。でも当人にそれを選ばせる。それしか選べないようにして。

側に置きながら、手に入れようとはしなかった。

でもそれで良かった。満足していた。


完璧な世界だったのだ。


そう。白馬の王子さまレオポルドが現れるまでは。


そんな力も能力もないくせに、見目の良さだけでナタリアの王子を騙ったまがいもの。

お前に、俺の大事な玩具を守れる訳がないのに、いとも容易く愛を囁く。守ってやると豪語する。


出来もしないくせに。


「そうだ・・・ここで立ち止まっている暇はない」


アレハンドロは立ち上がり、身支度を整える。


やるべき事は沢山ある。

こんなところで躓いている暇はないのだ。


あれは俺の玩具おもちゃだ。

今度こそと大切に、大事に、念入りに作り上げた俺の、かけがえのない存在。


もう二度と、ミルッヒナタリアを失いたくはない。


失うくらいならば、いっそ。

そうだ、いっそ。








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