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不器用
しおりを挟む「おかえり、レン」
夜遅く、執務を終え王宮から戻って来たレンブラントの部屋を、エドガーが訪れた。
「エドガー、まだ寝てなかったのか。明日の午後には出発だろ?」
「ああ。ちょっと話がしたくてね、待ってたんだ」
「俺を? なんだ、惚気話でも聞かせる気か? 今日はデートだったんだろ?」
ニヤニヤしながら揶揄うレンブラントに、エドガーは苦笑する。
「・・・そのデートの帰り道で、ナタリアという令嬢に会ったんだ」
「なに?」
思わぬ名前に、レンブラントはクラヴァットを緩めていた手が止まる。
「雨が酷くて困ってたところを見かけたんだよ。それをアーティは見過ごせなくてね」
「あんの馬鹿・・・」
「君から聞いてはいたけど、アーティは随分と彼女の事を気にかけているね。だから、少しばかり二人の様子を観察させてもらった」
「・・・」
レンブラントは、ローテーブルの方を顎で示す。
「取り敢えず座れよ」
「レン。君の話だと、あのナタリアという令嬢は巻き戻り前の人生でアーティを刺し殺している」
レンブラントは頷く。
「なのに、どうしてアーティは憎みも恨みもせず、むしろ自分の不甲斐なさを責める方向に行くのか。君はそれを彼女がお人好しだからだと言っていたけど」
「他に理由があるのか」
訝しげに聞き返したレンブラントに、エドガーは一つ一つ言葉を確かめる様にゆっくりと続けた。
「・・・無意識に、自分の代わりとして見ていたんじゃないかと思う」
「・・・は?」
レンブラントの少し低くなった声音に構うことなく、エドガーは話を続ける。
「アーティは幼い頃から、自分が長く生きられない事を知っていた。だから将来への夢とか望みなどを語る事は一度もなかった。子どもらしいたわいない夢でさえ一度も」
「・・・」
「レオに好意を持っていても、アーティには告白する素振りすらなかった。それは勇気がないからじゃなくて、きっと」
「・・・遠からず、死ぬから」
「だと思う。だからきっと、白い結婚を申し出る事までして、あの二人を結び合わせようとしたんじゃないかな。たぶんアーティは、そういう形で自分の恋を成就させようとしたんだと思う。アーティにとっては、ナタリアという令嬢は、もう一人の自分なんだ」
「・・・なんだよ、それ」
レンブラントは苛立たしげに前髪をかき上げる。
それから、一つ大きな溜息を吐いた。
「いくら自分の将来に夢が持てないからって、そんなこと・・・っ」
「うん、そうだね。でもとても・・・アーティらしいとは思うよ。誰かを恨んだり妬んだりするよりも、寧ろその人に自分を重ねて幸福を願うなんて」
「だからって、殺された後にまでそいつの事を気にかける必要はない」
あまり表には出さないが、レンブラントは非常に家族思いだ。とりわけ四つ下の妹ベアトリーチェの事は、病気という理由もあり、過保護なまでに心配していた。
「・・・僕もレンの言う通りだと思うよ。けど、それは僕たちの考えであって、アーティのじゃない」
「・・・」
「アーティが、どうしてもそうとしか考えられないのを無理強いは出来ない。でも、アーティ自身が自分の幸せを夢見てくれる様になれば、いずれきっと」
一旦、言葉を切り、膝の上に置いていた両手を合わせ、ぐっと握る。
「そのために僕たちは努力しているんだ。そうだろう?」
「・・・ああ。そうだな」
詰めていた息を吐いたレンブラントは、ソファの背もたれに体を預けた。
「お前は、そのために婚約者も作らずにこうしてずっと頑張っているんだからな。目の下に隈まで作って、隣国とこちらを行ったり来たりして、なぁエドガー」
「嫌だな、婚約者がいないのは君も同じだろう?」
苦笑しながらエドガーは言い返す。
「将来を夢見る事も叶わない妹の前で、自分ひとりが幸せな顔は出来ないと、数多の縁談を断ってさ」
「・・・別にいいだろ。父上も納得した上での事なんだし」
「まあそうだけど」
機嫌悪そうにそっぽを向いた幼馴染みを見る目が、柔らかく細められる。
「まったく・・・君は自分の事となると途端に不器用になるよね」
「人の事は言えないだろ。お前だって、ずっとトリーチェに何も言えずにいたくせに」
仕返しとばかりにレンブラントが言い返すと、エドガーは心外だとばかりに肩を竦めた。
「それは仕方ないだろう? あの状況では、こちらが申し込んでも僕の将来を気遣って断られるのが分かりきっていた。原因を根本から取り除かない限り、前に進みようがなかったんだから」
「だからドリエステに留学して特効薬を作ろうとか、お前の行動力も半端ないよな。まあ、前の時はそれでも間に合わなかったみたいだけど・・・でも」
レンブラントは、エドガーに意味ありげな視線を送る。
「今度は・・・大丈夫だよな?」
「勿論さ」
エドガーは胸を張って続けた。
「絶対に間に合わせるよ」
決意を帯びた眼から放たれる視線が交差し、ふ、と二人は笑った。
「じゃあ、そろそろ部屋に戻るよ。遅くに済まなかった」
「構わんよ。薬が完成した暁には、二人でゆっくり呑もう」
「ああ是非」
エドガーが退室し、レンブラントが手短に湯浴みをしようと浴室の扉に手をかけた時だ。
壁を叩く音がして、レンブラントが振り向く。
「入れ」
その声を合図に、どこからともなく一人の男が現れる。
「突然に申し訳ありません。影から報告がありましたので急ぎお知らせに」
レンブラントは軽く目を瞠る。
「影という事は・・・アレハンドロに関する報告か。屋敷の監視からか、それとも本人に付けた方か?」
「屋敷の監視の者からです」
報告を取り次いだ者は、表情を変えることなく淡々とした口調で続ける。
「アレハンドロが、昼間に屋敷を出て行ったきり今もまだ戻っていない、との事です」
「・・・そうか」
顎に手を当て、一拍ほど考えた後、再び口を開く。
「奴に付けた影からの報告は」
「ありません」
「なら、我が侯爵家に属する者が巻き込まれてはいないな」
レンブラントの端正な眉が僅かに上がる。
僅かの間逡巡したが、やがて言葉を継いだ。
「・・・取り敢えず父上の耳に入れておこう。ついて来い」
「はっ」
夜もかなり更けていた。
廊下の壁に灯された灯りは、レンブラントの後ろ姿を幻想的に照らす。彼は無言で父のいる執務室へと足早に向かった。
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