【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

文字の大きさ
44 / 128

逃げることは許さないよ --- 逆行前

しおりを挟む


「悪いな、急に呼び出して。ナタリアがどうしてるか気になったものだから」


アレハンドロは気遣わしげな表情を浮かべ、そう言った。


「元気がないな・・・まあ無理もないか。今のこの状況じゃ」


そう言って、ナタリアのために注文しておいた飲み物を前にスッと差し出す。


「それで、ベアトリーチェの容体は?」

「この間お見舞いに行ったわ。とても具合が悪そうだった。もともと痩せ気味だったのに、更に痩せてしまって・・・ずっとベッドから起きられないみたい」


ナタリアは涙ぐみながら、渡された飲み物を手に取った。


「・・・そうか。ああでも、おめでとうと言うべきか? お前が待ちに待った時が、もうすぐやって来るんだもんな」

「・・・アレハンドロ?」


その台詞に困惑したナタリアは、口にしていたグラスをテーブルに置いた。ガチャンと少し大きな音が立つ。


「何を言うの。私はトリーチェの死を待ち望んでなんかいないわ」

「へえ、本当に?」

「本当よ。トリーチェが私たちのためにあんな申し出をしてくれた時は本当に有難いと思ったし、確かにそれに縋ってはいたけど・・・でも、トリーチェが生きていてくれる方が、やっぱり私は嬉しい」

「あいつの奥さんになれなくても?」


ナタリアは俯き、テーブルの上で組んだ両手に力をこめた。


「・・・もちろんレオの事は今も大好きよ。でも、だからってトリーチェが死ねばいいなんて思ったことは一度もないわ」

「そっか。じゃあこれを渡しても問題ないな」


アレハンドロは嬉しそうに頷くと、ポケットから小さな包みを取り出した。


「これは?」

「これはね、ドリエステで最近開発に成功した薬だ。ベアトリーチェの病気の特効薬だってさ」

「・・・っ!」


ナタリアは目を瞠る。

アレハンドロは笑みを更に深くした。


「今なら間に合うよ。持っていってあげな。それでベアトリーチェの命は助かる・・・まあ、お前があいつの後妻になるっていう希望は消えちゃうけど」

「これが・・・薬。トリーチェの病気の」


ナタリアは震える手で包みに触れる。

僅かな逡巡。だが、ナタリアはその包みを手に取った。


「・・・ありがとう」


囁くような小さな声。


「こんな貴重なものを、わざわざ取り寄せてくれたのね」

「・・・」

「これをライナルファ家に届けてくるわ。お金は・・・私が後で必ず払うから」


そう言って立ち上がったナタリアを見て、アレハンドロは大きな息を吐いた。


「・・・届ける気?」

「もちろんよ」


そう答えると、まるで宝物の様に手の中の包みをぎゅっと胸に押し当てる。


「・・・だって、これさえあればトリーチェは助かるんでしょ?」

「まあな。なにせ医療先進国のドリエステが、長年の研究の末に開発に成功した新薬だからな」


アレハンドロの試すような言葉と視線に、ナタリアは気づかない。


「それで良いの。だって、やっぱり、トリーチェに死んでほしくない。不治の病なら仕方ないって諦めてたけど、でも薬が出来たのなら生きて欲しいもの」

「じゃあアイツの事は諦めるんだ?」

「・・・そうね。そうなったら諦めないといけないわね。でも暫く恋はしたくないな。ううん、きっと出来ないと思う。私は傷物令嬢になるもの」

「・・・おい、まさか体の関係があったのか?」

「恥ずかしいこと言わないで・・・そんなの無いわ。レオはそういう人じゃないもの。トリーチェを妻として迎える以上、たとえ白い結婚という契約でも、妻以外の女性と関係を続けるのは良くないって。
私もそう思ったから、三年前から私たちは友だちとしての距離を保ってきたわ。
傷物って言うのは、その、私がレオを好きだったって事は皆に知られてるし、もう結婚適齢期も過ぎてるし・・・そういう事よ」

「ふぅん」


寂しそうに笑うナタリアを、アレハンドロの昏い視線が貫いた。


「じゃあさ、こんな案があるんだけど。ナタリアはどう思う?」


そう言って再びナタリアを椅子に座らせると、アレハンドロは胸元のポケットから取り出した一枚の書類を、テーブルの上に広げた。






ガタガタと馬車が走る。

今、二人はライナルファ侯爵家へと向かう馬車の中にいた。

少なくとも、そう指示を出して馬車を出発させた。まだ正気・・だったナタリアが、薬を届けるつもりでいたからだ。


ライナルファ家に着いたら、御者に指示を出して、俺の屋敷に向かわせよう。
今は余計な言葉をこいつの耳に入れられない。

そんな事を考えながら、アレハンドロは隣に座るナタリアの表情を確認する。

その眼はひどく虚ろだ。

それを見て、アレハンドロは薬が効いてきた事を確認する。


目の焦点が合っていないナタリアの頬を、アレハンドロの指がつつ、と撫でた。


・・・馬鹿で純粋なナタリア。

お前は、いつになったら俺の言うことがちゃんと聞ける様になるのかな。

アレハンドロはそう心の中で呟いた。


新薬の開発について話し、いち早く薬を取り寄せた。
その話をナタリアに聞かせ、残っていた希望を砕く。
あの男の後妻になる事を諦めたら、用意した婚姻届にサインさせてそれで終わり。そうなる筈だった。

なのにナタリアは断った。
断ってはいけなかったのに。


先ほどのカフェの店先での遣り取りを思い出し、アレハンドロは眉根をきつく寄せた。



--- ありがとう。私を気遣って言ってくれたのね。でも大丈夫よ


--- アレハンドロは立派な商会の跡取りだもの。きっと素敵なお嫁さんが見つかるわ


--- こんな気持ちのまま、あなたに甘えることは出来ない、申し訳なさすぎるわ




ふざけるな。


今お前を逃せば、またあの男の元に戻ってしまう。
そして今度こそあの男のものになってしまう。

アレハンドロが見せた薬は本物、紛れもなくベアトリーチェの病の特効薬だ。


だが効能が強すぎて、今のベアトリーチェの身体はそれに耐える事が出来ない。


アレハンドロは、取り寄せ先のドリエステの薬師から説明を受けていた。

ある程度の体力を回復させてからでないと、却って命を縮めることになります、と。


今のベアトリーチェは薬を飲める状態ではない。つまり薬を持って行ったとしても服用は無理なのだ。

ならばどうなるかは明白だ、あと数週間でベアトリーチェは病の果てに死に、愛する男レオポルドの妻の座が空いてしまう。


そうなれば、あの忌々しいベアトリーチェの言葉通りに事が運ぶ。


ーーーナタリアが、レオポルドの後妻として嫁ぐのだ。


許さない、許さない、そんな事は許されない。


それを阻むため、飲めもしない薬の情報をナタリアに知らせた。

絶望し、レオポルドとの婚姻を諦めたナタリアに、アレハンドロとの婚姻証書へのサインをさせる。

そして、数週間後には愛する男レオポルドの妻の座が空いたにも関わらず、自分は既に他の男アレハンドロの妻になっていた、そんな最高の状況が作り上げられる筈だった。

それを知った時の絶望、その時に流す涙。


それが見たかった。それが欲しかった。

なのに、この玩具は。


苛立ちのままにナタリアの顎をつかみ、自分の方へと向かせる。


俺から逃げることは許さないよ、ナタリアミルッヒ


アレハンドロは、飲み物に混ぜて服用させた暗示薬の効果で朦朧とするナタリアの耳元でこう囁く。


--- お前の親友は、お前の信頼を裏切ったよ。薬が開発されたんだ、もうあの女がお前に妻の座を譲ることはない


--- あの女は、自分ひとりが助かって、お前を絶望の淵に落とす道を選んだんだよ


ナタリアの瞳が揺れる。

その瞳に涙が滲む。


それに構うことなく、アレハンドロは囁き続ける。


--- 哀れなナタリア。親友にも恋人にも裏切られて


もうお前には、何も残っちゃいない


何一つ、残っちゃいないんだ





しおりを挟む
感想 57

あなたにおすすめの小説

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】 白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語 ※他サイトでも投稿中

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...