【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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二度も死んでは

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「レンブラントさま、あちらです。ギョームが残したサインに寄れば、アレハンドロはあちらの方向に向かったと・・・」

「すぐに追うぞ」

「ですが、令嬢はどうしますか? 残らせたとありますが、どこにも・・・」

「後でいい。見たところ他の方角に向かった足跡はない。見つけ次第保護すればいいし、出来なかったとしてもアレハンドロを確保して尋問すれば直ぐに分かる事だ。急げ」

「はっ」


影や私兵たちに指示を出したレンブラントは、影が残した情報と現状との乖離に動揺するレオポルドの背を叩く。


「レオ、しっかりしろ。立ち止まるな」

「・・・あ」

「ここに残っている筈の恋人がいない、それが心配なのは分かるが、ここで突っ立っていても問題が解決する訳じゃない。考えろ、そして動け」

「ああ」


僅かな逡巡の後、レオポルドは頷いた。


アレハンドロに付けた影からの知らせと地面に残った足跡とで、追跡は容易に行えた。


だが、レンブラントは足跡を追うにつれ、表情をより一層険しくしていく。


「この先は・・・」


並んで走っていたレオポルドがその様子に気づく。


「どうした、レンブラント。何か気にかかることでも?」

「・・・前に、お前にも話しただろう。あの男、アレハンドロがどれだけ危険な男なのかを」

「・・・? ああ、覚えてるさ。確か、幼少時に、妹を殺した疑いがかかってるんだろ? なんでも川に突き落としたとか何とか・・・」

「ああ、そうだ。その場所が・・・」


だが、そこでレンブラントは口を噤む。

ようやく冷静さを取り戻し始めたレオポルドにとっては、要らぬ情報だと判じたからだ。

向かう先から微かに聞こえてくる水流の音に、まだレオポルドは気づいていない。
一歩一歩、進むごとにそれは少しずつ大きくなっていくのだけれど。


もとより、その川は膨大な水量の割に流れは緩い。
それでいて小型船舶が行き来するのに十分な水深も幅もある。

流れが穏やかにも関わらず、人が落ちた場合よほど泳ぎの達者な者でないと助からないのはそういう理由からだった。


「なぁ、レンブラント」


最悪を予想し思考に耽るレンブラントに、レオポルドが呼びかける。


「他に足跡がないってことは、ナタリアもこっちに向かったっていう事だよな」

「ああ」

「・・・見張りをしていた影は、ナタリアをあの家に残らせたんだろ? なのに、なんで・・・」

「あいつを追いかけるような真似をしたのかって?」

「ああ。どうしても分からないんだ。せっかく逃げられるチャンスだったのにどうして」

「恋人のお前に分からないのに、全くの他人の俺に分かる筈がない・・・いや、トリーチェなら」

「ベアトリーチェ? なんで彼女が」

「・・・なんでもない。口が滑っただけだ、気にするな」


かつてアレハンドロの妹が死亡した場所、そこに向かったアレハンドロの意図と、敢えて自らそちらに向かったナタリアと。

レンブラントにしてみれば到底思考の読めぬ行動に、ベアトリーチェならどう考えるのだろうかと思いを飛ばす。


今になって、出発間際、妹が必死に言い募った言葉が思い出される。

とんだ戯言だと一笑に付した、あの言葉が。



--- あり得ないわ。アレハンドロはナタリアが大事なの


--- アレハンドロは、ナタリアだけは守ると思う。他の全てを攻撃したとしても、ナタリアのことだけは



「・・・」


何故、言い切れる。

一体、あの三人の間にどんな絆があると言うのか。巻き戻り前の彼らの姿を見ていないレンブラントには、想像もつかない。

いや、妹と彼らとの絆など考えたくもないけれど。

それでも、こうなってはただ願うだけだ。


トリーチェの言葉がその通りであってくれると良い、と。












「馬鹿だね。ナタリア、お前は・・・本当に馬鹿だ」


アレハンドロはナタリアの頭を抱えるようにして抱きこむと、胸元から取り出したナイフを彼女の背に当てた。

影が暗器を手にしたのが見えたからだ。


「馬鹿じゃないわ」

「いいや、馬鹿だね」

「馬鹿じゃない。だって、あの人が」


言い返してきたナタリアに、更に言葉を返す。決して険悪ではないけれど、その応酬は止まらない。


「・・・あの人が、アレハンドロを捕まえるって、そんなことを言うから」

「・・・」

「あなたが捕まるなんて、嫌だもの」


暗器を飛ばす隙を窺う影を遠目に、アレハンドロはぶっと吹き出した。


「ははっ、やっぱりナタリアは馬鹿だ。うん、間違いない」


そう言いながら、反論しようとするナタリアの背に回した腕にぎゅっと力を込める。


そこに影であるギョームが暗器を手に一歩前に進み出た。


「・・・アレハンドロ、要らぬ真似はするな。じきにストライダム家の兵たちが到着し、お前は包囲される。逃げ場はないぞ」

「要らぬ真似? なにそれ」

「・・・知れたことを。疑うことを知らぬそのご令嬢に何かするつもりだろう。実の妹を手にかけただけでは飽き足らぬのか」

「・・・実の妹?」


ギョームの台詞を聞き咎めたナタリアが、同じ言葉を繰り返す。


「ナタリア。あの男はね、俺が妹を殺したと思ってるんだ。この橋の上から突き落としたってさ」


アレハンドロは薄い笑みを浮かべた。


「ああでも、この男だけじゃないな。あの事件を知る奴らは皆、そう思ってる」

「おい、それ以上動くな」


声を発しつつ、じりじりとギョームはアレハンドロとの距離を詰める。

アレハンドロは威嚇するように、ナイフをナタリアの頸に当てた。アレハンドロに顔を向けているナタリアにその刃は見えない。


「せっかく逃がしてあげたのに。大馬鹿だよ、ナタリア。わざわざ俺の手の中に戻ってくるなんて」


そう口にするアレハンドロの表情は、これまでになく柔らかかった。


「アレハンドロ?」

「・・・まったく。そんなお前だから、俺は救われたんだろうな」

「え?」

「お前は死んじゃ駄目なんだよ。ミルッヒは二度も死んじゃ駄目なんだ」

「ミルッヒって? 何を言ってるの、アレハンドロ?」

「ああ違った。お前はミルッヒじゃない、ナタリアだ。俺の、大事な・・・ナタリア」

「アレ・・・きゃっ・・・!」

「ご令嬢!」


ドン、という衝撃と共に、ナタリアの体が突き飛ばされた。


アレハンドロに押されたのだ。ナタリアは地面に尻もちをついた。


動こうとしたギョームにナイフが飛ぶ。ギョームはそれを暗器で弾く。

ギョームの足元に、カランカランと音を立ててナイフが転がった。


「俺は・・・殺していない。ミルッヒだけは、殺してない。殺せる訳がない。そんなこと出来る筈がないだろう。ミルッヒは俺の、俺をちゃんと見てくれたただ一人の妹だったのに」

「・・・っ、待って、アレハンドロ・・・ッ」

「・・・ナタリアッ⁉︎    無事か・・・っ!」


追っていたレオポルドたちが木々の間から姿を現した。


彼らが目にしたのは、橋の欄干の上に立つアレハンドロと、地面に座ったままアレハンドロに向かって手を伸ばすナタリアと、少し離れたところで暗器を構えるギョームと。

状況が分からぬレオポルドたちの足が止まった。


ナタリアが起き上がる。

アレハンドロが笑う。


「ナタリア・・・ばいばい」


アレハンドロの体は、そのままゆっくりと後方へと倒れて行く。


ナタリアが駆け寄った。


「・・・っ! 止めろ、行くな、ナタリアッ、なにを・・・」


足が欄干から離れる寸前、耳にしたレオポルドの言葉にアレハンドロは目を見開いた。


ギョームが駆けた。


ナタリアが欄干によじ登る。

レオポルドたちもまた、駆け寄ろうと地面を蹴り、だがその距離はまだ遠く。


アレハンドロの体が、ふわりと浮いた。


ギョームが走りながら懸命に手を伸ばす。


ナタリアが欄干を蹴る。

息を呑む音、レオポルドの悲鳴にも似た叫び。


ギョームの手は、虚しく空を切る。


アレハンドロの目に、自分に向かって飛び込んでくるナタリアの姿が映った。


思わず、腕を広げ。


徐々に詰まる間も、もどかしく。


アレハンドロは、空中でナタリアを抱きとめた。

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