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アレハンドロは動けないから
しおりを挟むアレハンドロが話さなくなってから起きた変化は少し。
ナタリアがアレハンドロの部屋に行くことが少なくなった。それくらいだ。
それまでは、ミルッヒ、ミルッヒ、と何かにつけてはナタリアを呼び、一緒にいたがったため、必然的にアレハンドロ関係の雑用を任されることが多かった。
だが、何も言わなくなった今は、配膳も、掃除も、シーツ替えも、全てが元から定められていたローテーション通りに戻る。
結果、ナタリアが今日アレハンドロの夕食を届けに行ったのは、実に十日ぶりとなった。
「アレハンドロ、食事を持って来たわ」
返事が来ないことはもう分かっているが、それでもナタリアは声をかけた。
そして、食事用のミニテーブルを出し、その上に食事を乗せたトレイを置く。
水を入れたコップとフォークも添えれば、役目は終了だ。
「食事が終わる頃に、トレイを下げに来るわね」
ナタリアのその声に、アレハンドロはこくりと頷いた。
声が出る出ないに関わらず、態度そのものが前とは違う。アレハンドロの中で何かが変わった。ナタリアはそれに気付きつつも、敢えて深く考えることはしなかった。
考えたとして、答えが出るとも思わなかったし、自分がそんなに聡い方でもないことはよく知っていたから。
六歳でアレハンドロに出会ってから、ずっと一緒にいた。
それからいろんな人と出会って、好かれて、嫌われて。でもアレハンドロだけは一緒だった。
頼りにして、甘えて、依存して。
そして今思えば、アレハンドロにたくさん泣かされた。
それでも、いろんなことの裏を知った後でも。
やっぱりまだ、アレハンドロのことは嫌いにはなりきれない。
どうしてなのかいつも気になって、アレハンドロなら理解してくれる気がして。何かあると一番に頼りたくなってしまう。
腐れ縁とも言えるこの絆は、ずっと続くものだと思っていた、ナタリアはそれぞれの病室にトレイを運びながらそう考える。
けれど、もうあとひと月足らずで、その縁も切れることになるのだ。
ナタリアは、ここから離れた町に移り、学校に通いながら実習として病院の見習いとして働く。
アレハンドロは。
もう動けないアレハンドロは、ずっと生涯を病院で過ごす。
そう、もうすぐお別れなのだ。
自分の割り当てられた分の病室への配食が終わり、一度スタッフ用の食堂に戻って自らも夕食を取る。
それを片せば、今度は先ほど自分が配食したトレイを各病室に再び取りに戻る。
ナタリアは、いつもの様に手早く食事を済ませると、立ち上がってトレイの回収に向かう。
その後は食器洗いがあるから、あまりゆっくりしてはいられない。皿の汚れだって、時間が経てば経つほど落ちにくくなるのだ。
「アレハンドロ、食べ終わった?」
「・・・」
あら、とナタリアは思う。
アレハンドロは、珍しく視線を上げ、ナタリアの顔を真っ直ぐに見た。
それからゆっくりと頷いて。
けれど、ここでも違和感に蓋をしてナタリアはこう続けた。
「全部きれいに食べたのね。良かった」
トレイの上に、カトラリーもコップもまとめて乗せて、ワゴンへと持っていく。
ミニテーブルの上を布巾で拭いて片付ければ、この部屋での用事はお終いだ。
次にアレハンドロの部屋に来るのは、五日後の清掃になっている。
ナタリアはまだ医療行為そのものは手伝えないため、他の看護師たちよりもこの部屋に来る頻度は少ないのだ。
あまり顔を合わせる機会がなくなって、少し寂しいと思う時はある。
大丈夫だろうかと気になる時も。同時に、あまり会わなくなったことに安堵している自分もいた。
アレハンドロは動けないから。
ずっとここにいるから。
大丈夫。もし用があれば、何かあれば、いつでも会える。
そんな風に、単純に、簡単に考えていた。
全ては自分次第だと。
ここ最近、ザカライアスが何度も病院の事務室に足を運んでいたことも。
アレハンドロの様子が前とは違っていたことも知っていたのに。
「じゃあね、アレハンドロ」
そう言って、ナタリアはアレハンドロに手を振ると、ワゴンを押して他の病室のトレイ回収に向かう。
ゆっくりと閉まる扉を、アレハンドロは見つめて。そう、じっと見送って、そして。
「・・・ばいばい、ナタリア」
そう、呟いた。
「今度こそ・・・今度こそ、お前を自由にしてあげるよ」
当然、その声はナタリアには届かない。
翌日、ナタリアがいつもの様に学園に向かい、授業を終え、病院に戻る。
そして、ナタリアは驚愕で目を見開いた。
「え・・・?」
朝のうちに、アレハンドロは転院していた。
支払いも、転院にまつわる手続きも、移動の手配も全て終わっていて。
「・・・アレハンドロ」
ナタリアの前には、きれいに掃除され、アレハンドロのいた痕跡など何処にも残っていない、空っぽの病室だけがあった。
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