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静かに、響く
しおりを挟む王都の外れ。
かつてアレハンドロが生まれ、育った屋敷の裏手にある道を、二つの影が進んでいく。
小さな影と、それにぴったりと付くように後ろを進むのが大きい方の影だ。
コロコロと微かに車輪が回る音がするのは、小さい方の影が車椅子に乗っているためだろう。
それら影たちが橋の手前に来た時、車椅子を押していた大きな影がぴたりと止まる。
二人が目指す前方、橋の中央に、もう一つの影を認めたからだ。
「・・・ザカライアス、いいから進め」
「ですが」
「いいんだ。どうせ誰だか分かってる」
「・・・あの方ですか」
「ああ。丁度いい、あれを渡してしまおう」
「・・・分かりました」
ザカライアスは再び車椅子を押し始めた。
二人はゆっくりと、橋の中央に立つ人影へと近寄っていった。
「よう、レンブラント」
「・・・」
「やっと刑の執行許可を出してくれたな。だいぶ待たされたが・・・いちおう感謝しとくよ」
「・・・下らない言い方をするな。刑の執行なぞ・・・俺にそんな権限がある筈なかろう」
「ん~、じゃあ今日だけ警護の者たちをここから外してくれたことに感謝するってことにするか?」
「・・・相変わらず悪趣味な奴だ」
「死にたがってる奴を生かそうとする方が悪趣味なんじゃない?」
無表情で、いやどこか不機嫌な様子で返答するレンブラントを、アレハンドロは気にする風もない。ただいつもの様に飄々と言葉を継いだ。
「でも、感激しちゃうよ。まさかあんたが俺に最後のお別れを言いに来てくれるなんてさ」
「・・・お前に聞きたいことがあったから来た、それだけだ」
「へえ? あ、そうだ。俺もあんたに渡したいものがあったんだよな。ついでだから今、渡しとくよ」
アレハンドロはそう言うと右手をすっと上げた。
後ろに立っていたザカライアスが、車椅子の取手に括り付けていた鞄から袋を取り出す。
「・・・?」
「あんたからもらったって言う金。だいぶ使っちゃったけど、もう要らないから返しとく。補充できる分はしといたから」
その言葉と同時にザカライアスが前に進み出て、袋を三つレンブラントに差し出した。
「こちらの袋二つにはそれぞれ金貨二百枚ずつ、そしてこちらの袋には金貨八十二枚と銀貨六十枚、銅貨が五十枚ほど入っております」
「・・・」
差し出された袋三つに視線を落とすレンブラント、だがそれに手を伸ばそうとはしない。
するとザカライアスはそのまま袋をレンブラントの足元に置いた。
ザカライアスは静かにアレハンドロの背後に戻る。レンブラントは、アレハンドロをじっと見据えた。
「この金は、好きに使えとお前に渡したものだ。今さら返す必要はない。要らないと言うのならその男に与えれば良いだろう」
「ザカライアスにはちゃんと餞別をあげてあるから気にすんな。こいつもそれ以上は要らないってさ」
その言葉に頷きを返すザカライアスを見て、レンブラントは「例の商会か」と呆れたように言った。
「ああ、勿論あんたも知ってるよな。小さいけど、お陰さまで経営もなかなか順調でね。
こちらが新しい会頭さまになるから、あんたのとこのレジェス商会、いや、名前変えたんだっけ。
まあ、そことも長い付き合いになるかもな。今後ともよろしく」
「・・・」
レンブラントは黙って足元の袋へ視線を落とした。
「・・・商会を立ち上げるのに随分と金がかかった筈だが」
「言ったろ? 補充できる分はしといたって」
「・・・」
「あんたにも言い分はあるんだろうけどさ。それは受け取ってもらうよ?
元よりあんたは俺に払う義理なんてないんだ。俺はナタリアを死なせたくなかっただけだし、死刑になる原因作ったの俺だし」
巻き戻りについて知らないザカライアスはアレハンドロの言葉の意味が理解出来ず、背後で微かに眉を顰める。
レンブラントはそれに気づいたが、今さら咎めはしなかった。ただ黙って頷きを返す。
「けど、もう全部どうでもいいんだ。気がついちまった。やっぱりどこにも・・・ミルッヒはいないから」
そう言ったアレハンドロの眼はとても寂しげで、レンブラントはこれまでずっと感じていた疑問をつい口にした。
「・・・お前は、どうしてそんなに死んだ妹にこだわる? 大事にしていたという記録もなかったが」
「ははっ、やっぱり調べてあるんだ? まあ確かに、俺はさんざんミルッヒを傷つけてたけどさ、でも」
川の方へと顔を向ける。
その表情は懐かしげでありながら、悲哀を含んでもいる。
「ミルッヒは、俺の世界に色を付けてくれた・・・白と黒しかなかった世界に」
「・・・」
「あの日、ここでミルッヒが落ちた時・・・掴もうとした俺の手が間に合わなかった時、また世界は白と黒だけになった。食いもんの味も分からない、雑音ばかりの世界に戻っちまった」
レンブラントは顔を顰める。アレハンドロの背後に立つザカライアスも同様だ。彼はミルッヒの死後、数年経ってからレジェス商会に来た。ミルッヒとは会ったこともない。
「・・・ナタリアの涙を初めて見た時、見つけたって思ったんだ・・・ミルッヒを見つけたって」
でも、とアレハンドロは呟く。
「ナタリアはミルッヒじゃなかった」
何を当たり前のことを、とレンブラントは思った。だが咄嗟に出そうになったその言葉を飲み込む。
「ミルッヒは闘わない。いつだって、やられっぱなしだった。親父からも、母からも、使用人たちからも・・・俺からも」
「・・・」
「ミルッヒは、あんな風に闘おうとはしない。あんな・・・ナイフ持ってる奴にしがみついて止めるなんて」
眼下の川は、いつかの時のように微かな水音を立てて流れている。膨大な水を抱えながら、何事もなかったかのように静かに。
「あんなの、ミルッヒじゃない」
ただ静かに流れるだけだ。
「だから・・・もういいんだ」
アレハンドロは、ゆっくりと顔を橋の向こうへと向ける。
「この世界のどこにも、ミルッヒはいないって、やっと分かったから」
「・・・アレハンドロ」
「だから、今さら止めるなよ?」
「・・・」
レンブラントは唇を引き結び、目を瞑った。
アレハンドロはザカライアスに合図を送る。
それに頷いたザカライアスは、アレハンドロの車椅子を再び押し始めた。
「じゃあな」
「・・・」
車椅子がレンブラントの横を通り過ぎようという時、アレハンドロは唐突に呟いた。
「俺、あんたには散々やられたんだ。前の時」
「・・・は?」
「分かるだろ? 前の時だよ。あんた凄かったんだぜ、怒りまくってさ。すごい追い詰められた」
「・・・」
「あんたのああいう容赦ないとこ、結構気に入ってたよ」
橋の中央に辿り着き、アレハンドロはザカライアスの補助のもと、欄干の上へと昇る。
「・・・アレハンドロ」
下に流れる水流を覗き込んだアレハンドロの背に、レンブラントの声が被さるようにかけられる。
「ん?」
「お前に、聞きたいことがあるって言っただろ」
「・・・ああ、そうだった。なに?」
「・・・」
暫く押し黙った後、レンブラントの口が開く。語ったのは、アレハンドロが予想していなかった人のこと。
「ふうん」
アレハンドロは欄干の上で楽しそうに笑った。
「なんか、面白いことでも考えたのか? いいよ、教えてやるーーー」
季節は未だ初春。
風は少し肌寒く。
彼らの交わした言葉は、風の中へと消えていった。
それから、レンブラントはその場を立ち去って、そしてーーー
その後に静かに響いたのは、水の音。
それが、アレハンドロの最後の日の出来事だ。
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