ショートケーキをもう一度

香山もも

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進路と少年

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 1999年――初夏 
 
 その男の子のメガネは、四角だった。
 完全な四角じゃない。どちらかというと、四角。反対から見てもわかるくらいだから、やっぱり、うん、四角。
 めずらしくもないのに、あたしはじっと見てしまう。まばたきもせず、じっと。それは相手も同じだった。
「……あの」
 先に口を開いたのは、男の子のほうだった。急に時間が動いた気がして、あたしは思わず、今度は別の角度からながめてしまう。ぱっちりとした目に、小さな顎。輪郭はどちらかというと、まるい。
 あたしは河原であおむけになっていたところで、急に彼が顔を出したのだ。一人だと思ってたから、半分驚いたものの、なぜか動きが制止してしまった。
「これ、あなたのですよね?」
 彼が持っていたのは、白い紙だった。ひらひらと舞うそれを見つめると、確かにあたしの名前が書いてある。
 進路希望調査だ。
 さっきまで眺めていたもので、となりにあったはずだった。いつのまにか、飛ばされてしまったらしい。
「……ありがと」
 男の子から受け取ると、今度はしっかり、鞄の中へしまう。
 それで、済むはずだった。
 お礼を言って、彼は立ち去ると思っていたのだ。なのにその子は、あたしのとなりにすわった。
「それ、なんで何も書いてないんですか?」
 予想外の行動に、あたしは起きあがる。今度は男の子を、横から見ることになった。
 何も持っていなかった。着ているものは上下同じ色をしたジャケットと半ズボン。白い靴下に、ぴかぴかの革靴。
「高3ですよね? もうすぐ夏休みなのに、白紙はマズイんじゃないですか?」
 三つ折りにされた靴下を眺めながら、あたしは息をついた。
「きみ、いくつ?」
 この辺りじゃ見ない制服だけど、たぶん、小学生だろう。肩も足も、まだまだ細く小さい。
「え……あ……小5ですけど」
「なんで初対面の、しかも小学生のきみに、そんなこと言われなきゃならないの?」
 俯いて、あたしは口にした。
 これでも丁寧に言ったほうだ。「ガキ」と出かかったけど、なんとかガマンした。けれど言ってしまってから、やっぱり言い過ぎたかな、とも思う。ちらり、顔をあげてみると、相手は大きな瞳を、さらに大きくする。
 その時、ふと思った。そう、だれかに似ているのだ。そしてそれが、だれなのか思い出した。
 同じクラスの鶴田隆平。口数は少なく、読書好き。休み時間はいつも本を読んでいる。そんな彼とあたしは、図書委員をしている。理由は単純に、余っていたからだ。
 そして彼も、メガネを使用している。
「……ねえ、きみ、もしかして、お兄さん、いない?」
 考えられるのは、それくらいだった。
 少年は瞳は大きいまま、首をかしげる。けれどすぐに質問の意味を理解したようで、
「……いません。ぼく一人ですけど」
「じゃあ従兄とか。とにかくよく似た親戚、いない?」
「……たぶん」
 少年の瞳がぐるっとしたので、彼なりに頭の中で検索をかけたんだろう。そして、見つからなかったようだ。
「でも、どうしてですか?」
 少年の視線は、思ったよりもまっすぐ、あたしを射抜いてきた。まなざしが真剣だったせいで、なんだか恥ずかしくなってくる。
「あ、えっと、大した理由じゃないんだけど。同じクラスに似た人がいて」
「その人、なんて名前なんですか?」
 さらにぐいぐい、踏みこんできた。
「え、だから――」
 言いかけた時だった。
 急に、ものすごい風が吹く。
 突風というやつだ。
「――あ」
 閉めたはずの鞄が開き、プリントが飛ばされる。あたしはあわてて、紙を追いかけるため、河原を走った。
「ーーあぶないっ」
 声がした時には、遅かった。プリントをつかまえた途端、あたしは足を滑らせたのだ。
 ――転ぶっ
 そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
 そしてその時、のんきに思ったのだ。
 彼の名前、なんだっけ? そういえば自分も、言ってない。
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