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依頼
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翌日、あたしたちは一度、葵さんの家へ戻ることになった。とはいっても、あたしと蓮君の二人だけだ。
「……じゃあ、これに書かれたものを持ってくればいいですね」
メモを確認しながら、あたしは頷く。葵さんはもう少し、泰三さんの病状が安定するまで、病院に居たいという。そのために必要なもの――着替えや生活用品を、あたしが取りに行く形になったのだ。
「ああ、よろしく頼む」
病院のロビーで、平治さんを待っていると、
「やあ」
手をふりながら、さわやかな笑顔でやってきたのは、伊集院さんだった。
「お見舞いですか?」
きっと彼も、泰三さんの意識が戻ったと連絡があったんだろう。今日もどことなく、きらきらしているように見える。
「君たちは? もう帰るのかい?」
「あ……えっと、いろいろ必要なものを取りに。今、迎えを待っているところです」
あたしの言葉に、伊集院さんは右手で顎を触わる。そして決意したように、あたしの目を見た。
「ちょっとそこでコーヒーでもいいかな?」
ごちそうするよ、と笑いながら、返事をする前に行ってしまう。あたしと、そして蓮君も、ついていくしなかった。
蓮君が頼んだのは、またアイスコーヒーだった。あまいものが苦手なんだろうか。お菓子は食べていたような気がするけど。
あたしは、アイスティーにした。ミルクかレモンか迷って、結局シロップだけにする。
「何か食べるかい? ケーキはどうだろう」
「大丈夫です。そろそろ平治さんが来ますし」
「彼だったら、私から言えば大丈夫だよ。なんなら待たせたっていい」
「はあ……」
あたしは、呆気にとられたように彼を見た。昨日とは、また違った印象を受ける。やわらかいけど、少し鋭いような口調だ。
そんなあたしをよそに、変わらないのは蓮君だ。いつもどおり、背筋をのばしたまま、口を開く。
「――用件はなんですか?」
運ばれてきたアイスコーヒーを、一口飲んだ。
「おっと、これは失礼。実は君たちに頼みたいことがあってね」
伊集院さんは軽く手を組む。にこにこしているけど、少し空気が変わったように感じた。
大人の、ちょっとした凄みのようなものだ。けれど蓮君は、怯むどころか同じように手を組み、にっこりと笑う。
「奇遇ですね。ぼくもあなたに、お願いしたいことがあるんです」
もしかしたら、似た者同士なのかもしれない、と、あたしはアイスティーを飲みながら思った。
「――私の頼みというのは、そんなに難しいことじゃない。葵君と日向君。ふたりをデートさせてほしい」
デート。
一瞬、目がくらんだ。
「……死語だよ」
蓮君のつぶやきが聞こえる。伊集院さんには聞こえなかったのか、首を傾げられただけだ。あたしはあわてて、
「ど、どうしてですか? あなたは、葵さんのことが好きなんでしょう?」
あたしの言葉に、彼はホットコーヒーを飲む。さっきから汗一つかかず、涼しい顔をしていた。
「ああ、そうだよ。私は葵君が好きだ。小さい頃からずっとね。彼女が嫁に来てくれるなら、これ以上うれしいことはない」
聞いていて、思い出す。
彼は葵さんが好きで、けど彼女の気持ちが自分に向いていないことを知っている。ということは、つまり。
「ふたりが結ばれるように、手助けしたいってことですか?」
「まさか。なぜそんなことをしなくちゃならない」
だんだん、こんがらがってきた。あたしが眉を寄せていると、
「……すみません、ぼくも意味がわからないんですけど」
蓮君も手をあげて主張する。
「だって昨日……彼女が望むなら、援助だけでもって……」
あたしの聞き間違いでなければ。すると彼は息をついた。手をとき、片手をふりながら口を開く。
「私の記憶が確かなら、断られた、というのも伝えたはずだけどね。単刀直入に言うと、私は彼女には予定通り、うちに嫁いでもらうつもりだ」
「え……でも」
「じゃあなぜ、日向君とデートさせたいか。答えは簡単だ。私はね、うちに来るなら心残りはすべて無くしてきてほしいのだよ」
つまり、こういうことだ。
嫁ぐならその前に、ちゃんとけじめをつけてもらいたい。じゃないと夫婦になったところで、わだかまりが残るという。
「……逆に二人の中が進展してしまったらどうするんですか?」
そう質問したのは蓮君だ。
ふたりは両思いだ。ということは、その可能性もある。
「それはないね」
きっぱりと伊集院さんは言い切った。
「もし、互いの想いだけでなんとかなるようであれば、今頃とっくにどうにかなってるんじゃないかな」
確かに、そうかもしれない。
意外だった。というか、意外に彼は、ちゃんと人を見ているようだ。
「そこまでわかっているならなぜ、彼女受け入れるんですか?」
蓮君がさらに尋ねる。あたしも小さく頷いた。
「彼女も彼も……特に葵君のほうは、自分の気持ちを優先したりしないだろう。小さい頃から見てきてるからね。彼女の性格は、これでもよくわかっているつもりだ」
一度こうだと決めたことは、必ず貫き通すという。昔から、ずっと。
「そういうところも気に入っているんだよ。だからこそ、葵君が私の援助を断った時、彼女をちゃんと受け入れようと思った。彼女が望む形で」
まっすぐな葵さんが思い浮かぶ。でも、背中しな見えない気がした。
「そうでなければ、彼女の我を、葵君の想いを侮辱することになる」
伊集院さんの声は、あくまで穏やかだ。でも、妙な迫力があって、あたしは何も言うことができなかった。
「あなたの気持ちはわかりました。それでぼくたちに、どうしろっていうんです?」
蓮君も、いつのまにか手をほどいていた。アイスコーヒーも少なくなっている。
「私に考えがある。協力してくれるかな。ちなみに君のお願いごとというのは?」
「あなたと同じです。気になさらず、続けてください」
やっぱりこの二人は、似たもの同士なのかもしれない。
桐谷家に着くと、蓮君と二人、部屋に戻る。
「……なんか、大変なことになっちゃったね」
「大変っていうより、面倒ですよ……」
車の中で、あたしたちはなるべく話をしなかった。平治さんもいたし、少し疲れていたのか、出るのはため息ばかりだった。
「でも、このままいくと穂乃香さん生まれなくなってしまいますよね。やっぱり二人が心変わりするのかな……」
蓮君がぶつぶつ言っている。あたしは隣で、伊集院さんの作戦とやらを思い返していた。
彼の計画は、こうだ。
まず自分が、葵さんと待ち合わせする。そこに日向さんが現れる。
なんてことない。特にひねりがあるわけでもなく、聞いた時は蓮君も半分あきれていた。
問題は、日向さんだ。
彼をどうにか呼び出してほしいという。それをあたしたちに頼みたいというのだ。
「そもそもこれって、穂乃香さんの言うとおり、何をしたって変わらないとしたら、ぼくたちが行動を起こすべきではないんじゃ……まあ、逆を言えば、何をやったっていいってことですけど」
蓮君がこっちを見る。あたしもちょっと思うところがあった。
「あのさ、例えばなんだけど、あたしたちがここで行動しなかったら、やっぱり未来って変わっちゃのかな」
「――今更なに無責任なこと言ってるんですか」
「いや、だってほら……ドラマや映画とかでよくあるじゃない。未来を変えるために過去に来て、奮闘する、みたいなの」
少なくとも一度は、見たことがある。ちなみにあたしが知っているのは、過去を変えたせいで現在が変わり、その分、起きないはずのことが起きる、というものだ。
「それって、過去と未来が常に一つだっていう前提の話ですよね……」
あたしはゆっくり頷いた。というか、それ以外の前提が存在するのか。少なくとも、あたしは知らない。
「あくまでこれはぼくの考えですけど。過去を変えたら、ぼくはその分、別の未来が派生するんじゃないかって思ったりします」
「どういう意味?」
思わず首をかしげてしまう。
「つまりぼくたちがここにいる時点で、過去を変えているとしたら、ぼくらが元々来た世界とは、別の次元の未来が存在するってことです」
言われて、あたしはゆっくり言葉をなぞる。なかなか難しいことを、言われている気がした。
「穂乃香さんの言う、過去と未来が一つだったとしたら、ぼくたちが何をしようと、たいして影響はないでしょう。過去に来ることさえ、歴史の一部かもしれませんから」
ここにいること、ここで話していることすら、あくまでもともとあった歴史の流れの中にすぎない、という意味だろう。
「でももし、そうじゃないとしたら……」
「そうじゃないとしたら?」
「ぼくたちのいた世界とはちがう、別の次元がすでに生まれていることになります」
あたしたちがいる過去と。
あたしたちが、来ない過去。
その時点ですでに分かれてしまっているんじゃないかというのだ。
「ちょっと待って。そうするとあたしたちは、どこに帰るの?」
元にいた世界なのか、それとも今いる過去の延長線上の未来なのか。
「それは、わからないですよ。そもそもこの話自体、仮定の域を出ないわけですから」
「そんな無責任な……」
「結局は、やってみなくちゃわからないってことです」
行動してみて、どうなるか。またはどう変わるのか。それとも変わらないのか。
「……神のみぞ知るってこと、か」
あたしたちは息をつき、荷物を詰め始めた。
葵さんの部屋に来るのは、二度目だった。
一度目は、あの夜。そして今日が二回目だ。
特に変わった様子はなく、渡されたメモを頼りに、荷物を詰める。千里さんもあたしに任せると言ってくれた。
ふと、目に入ったのは、百貨店の袋だ。
きっと一緒に、買いものに行った時のものだと思う。中をのぞくと、本当にその通りで、あたしはそっと広げてみた。
彼女にとても似合うと思った、パステルカラーのワンピース。それから、アンサンブル。
これも着がえとして、あったほうがいいだろうか。葵さんの服は、着物がほとんどだ。少し迷って、あたしはそれも荷物に入れた。
車の中で、あたしはもう一度、さっきの話を思い出す。蓮君との話だ。日向さんをどう呼び出すかということ。一応、二人で考えてみたのだ。
蓮君は日向さんとほとんど接触がない。だとしたら、あたしが声をかけるほうが無難だろう。
ただ、うまくいくだろうか。
少しだけ、不安になった。
けれど打ち消すように、あたしは深呼吸をする。
何もしなくても、変わらない。
そして、何かしても、きっと変わらない。
「……じゃあ、これに書かれたものを持ってくればいいですね」
メモを確認しながら、あたしは頷く。葵さんはもう少し、泰三さんの病状が安定するまで、病院に居たいという。そのために必要なもの――着替えや生活用品を、あたしが取りに行く形になったのだ。
「ああ、よろしく頼む」
病院のロビーで、平治さんを待っていると、
「やあ」
手をふりながら、さわやかな笑顔でやってきたのは、伊集院さんだった。
「お見舞いですか?」
きっと彼も、泰三さんの意識が戻ったと連絡があったんだろう。今日もどことなく、きらきらしているように見える。
「君たちは? もう帰るのかい?」
「あ……えっと、いろいろ必要なものを取りに。今、迎えを待っているところです」
あたしの言葉に、伊集院さんは右手で顎を触わる。そして決意したように、あたしの目を見た。
「ちょっとそこでコーヒーでもいいかな?」
ごちそうするよ、と笑いながら、返事をする前に行ってしまう。あたしと、そして蓮君も、ついていくしなかった。
蓮君が頼んだのは、またアイスコーヒーだった。あまいものが苦手なんだろうか。お菓子は食べていたような気がするけど。
あたしは、アイスティーにした。ミルクかレモンか迷って、結局シロップだけにする。
「何か食べるかい? ケーキはどうだろう」
「大丈夫です。そろそろ平治さんが来ますし」
「彼だったら、私から言えば大丈夫だよ。なんなら待たせたっていい」
「はあ……」
あたしは、呆気にとられたように彼を見た。昨日とは、また違った印象を受ける。やわらかいけど、少し鋭いような口調だ。
そんなあたしをよそに、変わらないのは蓮君だ。いつもどおり、背筋をのばしたまま、口を開く。
「――用件はなんですか?」
運ばれてきたアイスコーヒーを、一口飲んだ。
「おっと、これは失礼。実は君たちに頼みたいことがあってね」
伊集院さんは軽く手を組む。にこにこしているけど、少し空気が変わったように感じた。
大人の、ちょっとした凄みのようなものだ。けれど蓮君は、怯むどころか同じように手を組み、にっこりと笑う。
「奇遇ですね。ぼくもあなたに、お願いしたいことがあるんです」
もしかしたら、似た者同士なのかもしれない、と、あたしはアイスティーを飲みながら思った。
「――私の頼みというのは、そんなに難しいことじゃない。葵君と日向君。ふたりをデートさせてほしい」
デート。
一瞬、目がくらんだ。
「……死語だよ」
蓮君のつぶやきが聞こえる。伊集院さんには聞こえなかったのか、首を傾げられただけだ。あたしはあわてて、
「ど、どうしてですか? あなたは、葵さんのことが好きなんでしょう?」
あたしの言葉に、彼はホットコーヒーを飲む。さっきから汗一つかかず、涼しい顔をしていた。
「ああ、そうだよ。私は葵君が好きだ。小さい頃からずっとね。彼女が嫁に来てくれるなら、これ以上うれしいことはない」
聞いていて、思い出す。
彼は葵さんが好きで、けど彼女の気持ちが自分に向いていないことを知っている。ということは、つまり。
「ふたりが結ばれるように、手助けしたいってことですか?」
「まさか。なぜそんなことをしなくちゃならない」
だんだん、こんがらがってきた。あたしが眉を寄せていると、
「……すみません、ぼくも意味がわからないんですけど」
蓮君も手をあげて主張する。
「だって昨日……彼女が望むなら、援助だけでもって……」
あたしの聞き間違いでなければ。すると彼は息をついた。手をとき、片手をふりながら口を開く。
「私の記憶が確かなら、断られた、というのも伝えたはずだけどね。単刀直入に言うと、私は彼女には予定通り、うちに嫁いでもらうつもりだ」
「え……でも」
「じゃあなぜ、日向君とデートさせたいか。答えは簡単だ。私はね、うちに来るなら心残りはすべて無くしてきてほしいのだよ」
つまり、こういうことだ。
嫁ぐならその前に、ちゃんとけじめをつけてもらいたい。じゃないと夫婦になったところで、わだかまりが残るという。
「……逆に二人の中が進展してしまったらどうするんですか?」
そう質問したのは蓮君だ。
ふたりは両思いだ。ということは、その可能性もある。
「それはないね」
きっぱりと伊集院さんは言い切った。
「もし、互いの想いだけでなんとかなるようであれば、今頃とっくにどうにかなってるんじゃないかな」
確かに、そうかもしれない。
意外だった。というか、意外に彼は、ちゃんと人を見ているようだ。
「そこまでわかっているならなぜ、彼女受け入れるんですか?」
蓮君がさらに尋ねる。あたしも小さく頷いた。
「彼女も彼も……特に葵君のほうは、自分の気持ちを優先したりしないだろう。小さい頃から見てきてるからね。彼女の性格は、これでもよくわかっているつもりだ」
一度こうだと決めたことは、必ず貫き通すという。昔から、ずっと。
「そういうところも気に入っているんだよ。だからこそ、葵君が私の援助を断った時、彼女をちゃんと受け入れようと思った。彼女が望む形で」
まっすぐな葵さんが思い浮かぶ。でも、背中しな見えない気がした。
「そうでなければ、彼女の我を、葵君の想いを侮辱することになる」
伊集院さんの声は、あくまで穏やかだ。でも、妙な迫力があって、あたしは何も言うことができなかった。
「あなたの気持ちはわかりました。それでぼくたちに、どうしろっていうんです?」
蓮君も、いつのまにか手をほどいていた。アイスコーヒーも少なくなっている。
「私に考えがある。協力してくれるかな。ちなみに君のお願いごとというのは?」
「あなたと同じです。気になさらず、続けてください」
やっぱりこの二人は、似たもの同士なのかもしれない。
桐谷家に着くと、蓮君と二人、部屋に戻る。
「……なんか、大変なことになっちゃったね」
「大変っていうより、面倒ですよ……」
車の中で、あたしたちはなるべく話をしなかった。平治さんもいたし、少し疲れていたのか、出るのはため息ばかりだった。
「でも、このままいくと穂乃香さん生まれなくなってしまいますよね。やっぱり二人が心変わりするのかな……」
蓮君がぶつぶつ言っている。あたしは隣で、伊集院さんの作戦とやらを思い返していた。
彼の計画は、こうだ。
まず自分が、葵さんと待ち合わせする。そこに日向さんが現れる。
なんてことない。特にひねりがあるわけでもなく、聞いた時は蓮君も半分あきれていた。
問題は、日向さんだ。
彼をどうにか呼び出してほしいという。それをあたしたちに頼みたいというのだ。
「そもそもこれって、穂乃香さんの言うとおり、何をしたって変わらないとしたら、ぼくたちが行動を起こすべきではないんじゃ……まあ、逆を言えば、何をやったっていいってことですけど」
蓮君がこっちを見る。あたしもちょっと思うところがあった。
「あのさ、例えばなんだけど、あたしたちがここで行動しなかったら、やっぱり未来って変わっちゃのかな」
「――今更なに無責任なこと言ってるんですか」
「いや、だってほら……ドラマや映画とかでよくあるじゃない。未来を変えるために過去に来て、奮闘する、みたいなの」
少なくとも一度は、見たことがある。ちなみにあたしが知っているのは、過去を変えたせいで現在が変わり、その分、起きないはずのことが起きる、というものだ。
「それって、過去と未来が常に一つだっていう前提の話ですよね……」
あたしはゆっくり頷いた。というか、それ以外の前提が存在するのか。少なくとも、あたしは知らない。
「あくまでこれはぼくの考えですけど。過去を変えたら、ぼくはその分、別の未来が派生するんじゃないかって思ったりします」
「どういう意味?」
思わず首をかしげてしまう。
「つまりぼくたちがここにいる時点で、過去を変えているとしたら、ぼくらが元々来た世界とは、別の次元の未来が存在するってことです」
言われて、あたしはゆっくり言葉をなぞる。なかなか難しいことを、言われている気がした。
「穂乃香さんの言う、過去と未来が一つだったとしたら、ぼくたちが何をしようと、たいして影響はないでしょう。過去に来ることさえ、歴史の一部かもしれませんから」
ここにいること、ここで話していることすら、あくまでもともとあった歴史の流れの中にすぎない、という意味だろう。
「でももし、そうじゃないとしたら……」
「そうじゃないとしたら?」
「ぼくたちのいた世界とはちがう、別の次元がすでに生まれていることになります」
あたしたちがいる過去と。
あたしたちが、来ない過去。
その時点ですでに分かれてしまっているんじゃないかというのだ。
「ちょっと待って。そうするとあたしたちは、どこに帰るの?」
元にいた世界なのか、それとも今いる過去の延長線上の未来なのか。
「それは、わからないですよ。そもそもこの話自体、仮定の域を出ないわけですから」
「そんな無責任な……」
「結局は、やってみなくちゃわからないってことです」
行動してみて、どうなるか。またはどう変わるのか。それとも変わらないのか。
「……神のみぞ知るってこと、か」
あたしたちは息をつき、荷物を詰め始めた。
葵さんの部屋に来るのは、二度目だった。
一度目は、あの夜。そして今日が二回目だ。
特に変わった様子はなく、渡されたメモを頼りに、荷物を詰める。千里さんもあたしに任せると言ってくれた。
ふと、目に入ったのは、百貨店の袋だ。
きっと一緒に、買いものに行った時のものだと思う。中をのぞくと、本当にその通りで、あたしはそっと広げてみた。
彼女にとても似合うと思った、パステルカラーのワンピース。それから、アンサンブル。
これも着がえとして、あったほうがいいだろうか。葵さんの服は、着物がほとんどだ。少し迷って、あたしはそれも荷物に入れた。
車の中で、あたしはもう一度、さっきの話を思い出す。蓮君との話だ。日向さんをどう呼び出すかということ。一応、二人で考えてみたのだ。
蓮君は日向さんとほとんど接触がない。だとしたら、あたしが声をかけるほうが無難だろう。
ただ、うまくいくだろうか。
少しだけ、不安になった。
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